世界中の観光客が訪れる街・銀座! セレブが集う街、銀座!! そんな銀座界隈は手塚治虫先生のマンガにも何度も登場し、過去の虫さんぽでも何度か歩いています。そこで今回は、手塚マンガの中でも大人向けに描かれた青年コミック作品の中から、いまだ紹介していない作品の風景を追って歩いてみたいと思います。大人マンガの中で銀座はいったいどんな風景として描かれているのか。さっそく出発だ~~~~~っ!!
今年の春は早くやってきて早く去ってしまったような気がします。今回はそんな駆け足の春を追いかけるように、東京都心のど真ん中を歩きましょう!!
出発地点は、都営地下鉄浅草線・東銀座駅である。改札を出て階段を上がり地上へ出ると、目の前には2013年春に完成した立派な歌舞伎座の建物が建っている。ここは2010年の虫さんぽ第10回で初めて銀座を歩いたときに、ちょうど取り壊しの直前で、ぎりぎり旧歌舞伎座を見ることができたのだった。
・虫さんぽ第10回:東京銀座界隈で、手塚先生のONとOFFの足跡をたどる
この歌舞伎座の目の前を南北に走る車の往来の激しい通りが晴海通りだ。ここを北へ数百メートル歩くと銀座の中心ともいえる銀座四丁目交差点に出る。ここが本日最初の手塚スポットなんだけど……その前に、ここで今回も、手塚プロの編集担当O山と合流、撮影アシスタントを担当してもらうことになっている。O山とは銀座三越のライオン前で待ち合わせの約束をしていたのだが……三越へ近づいてみると、何とO山はライオンにぴったりと寄り添って待っているではないか!? いや、その、そんなにライオンとくっつかなくても……。ま、まあライオンの背中にまたがっていなかっただけよしとしようか……。
気を取り直してO山と一緒に虫さんぽを再開しよう。この銀座四丁目交差点が登場する手塚の大人マンガは1972年から73年にかけて雑誌『ビッグコミック』に連載された『奇子』である。
天外奇子は5歳の時に身内の殺人事件を目撃してしまった。その口封じのため土蔵に閉じ込められ、そこで大人になるまで暮らすことを余儀なくされた。
その事件の主役であり戦後の混乱の中で暴力団組長へと成り上がったのが、天下家の次男・天下仁朗だった。仁朗は今は桜辰組(おうしんぐみ)組長・祐天寺富夫と名乗っていた。
その桜辰組が経営する表向きの企業T・K興業のあるのが、ここ銀座四丁目付近という設定だったのだ。物語の中の年代は昭和47年(1972年)冬。マンガに描かれている銀座四丁目交差点からは、当時の銀座・不二越ビル(現・アルマーニ銀座タワー)屋上に建っていた森永製菓の地球儀型広告ネオン塔が見えている(1983年撤去)。
ちなみにこのネオン塔は『旋風Z』にも登場していて、そのときは何と悪人の秘密アジトとして使われていた!? そちらは2014年の虫さんぽ第34回で紹介済みなのでぜひ参照していただきたい。
・虫さんぽ第34回:東京・銀座から丸の内へ 手塚先生のおもてなしメニューを堪能する!!
この銀座四丁目交差点界隈が描かれている手塚大人マンガはまだある。1968年に雑誌『現代』に連載された風刺マンガ『ヌーディアン列島』もそのひとつだ。
これは、どこにでもいるごく普通のサラリーマンの日常を描いたマンガなんだけど、現実世界と大きく違うのは、男も女もなぜか素っ裸で生活していることだ。そのため服を着ているとエロティックに感じてしまい、服を着て街を歩けばわいせつ罪で逮捕となる。紙切れが風で飛ばされて体に貼り付いただけでそりゃもう大騒ぎなのである。
そんな異世界にも銀座はあるようで、明治記念祭のパレードの行われる場所として銀座の風景が描かれている。物語の中に銀座という地名は描かれていないが、銀座6丁目の小松ストア(現・ギンザコマツ)の看板が描かれていることから、ここが銀座であることが分かる。
「ここを歩いてる人たちが、みんな裸だったら面白いですよねー」とO山。
確かに目の前を通る取り澄ました紳士淑女がみーんな素っ裸だったらと考えるとそれだけで愉快になってくる。現代人は文明人だと気取っていても、服を脱いでしまえば他の動物と何ら変わらない。このマンガは、手塚先生のそんな皮肉が効いた異色の大人マンガだったのだ。
そして先生もこの設定をとても気に入っていたようで、講談社版手塚治虫漫画全集のあとがきには「あまりにしめきりに遅れるため中断されました」と書いており、もっと連載を続けたかった気持ちがうかがえる。
銀座四丁目交差点へ戻ってそこから晴海通りの北側を見ると、右手前方に銀色に輝く大きなビルが見える。現在は「有楽町センタービル」という名前だが、1984年にビルが完成した当初は「有楽町マリオン」と呼ばれていた。さらにその昔はここに「日劇(日本劇場)」が建っていた。
このころのこの界隈の風景が登場するのが1969年に『漫画サンデー』に連載された『ペックスばんざい』だ。
サラリーマンのフースケは、ある日銀座の路地裏で、人間の男性のアレ=男性自身にそっくりな生物と出会った。その後、その生物には女性自身そっくりなメスもいることが判明。フースケはこの新生物をペックスと名付けた。
ペックスにはゴミを集めて巣を作る習性があり、東京都清掃局はペックスをゴミ回収に利用して、見事赤字から黒字への転換に成功する。しかし所かまわず現われては交尾するペックスたちに、人間はしだいに不感症になってしまうのだった。
この作品に登場する銀座の街角は、銀座ではなく「オワリ町」と書かれている。尾張町というのは銀座に戦前まで存在した町名で、現在の銀座5~6丁目に当たるという。またその当時は銀座四丁目交差点を尾張町交差点と呼んでいた。戦後、尾張町という地名はなくなったが、昔からの銀座を知る人は、いまだにこの地域を尾張町と呼ぶ人がいる。
『ペックスばんざい』に描かれた「オワリ町」に思いを馳せながら晴海通りを北上し、先ほどの「有楽町センタービル」前へやってきた。
さんぽ当日にはもう散ってしまうのではないかと心配していた桜が何とか持ちこたえてくれていて、センタービル前の交番脇に立っている桜の木もちょうど満開となっていた。
そこでO山に「この桜の木ナメでセンタービルの写真を撮っておいて」と言って撮ってもらった写真がこちら。何とセンタービルが桜に隠れて何を撮った写真かよく分からなくなっている。んー、まあいいか!
この有楽町センタービルの場所にかつて建っていた「日劇ビル」は、先ほど紹介した『奇子』にも、昭和30年代の場面で登場しているのでぜひマンガでチェックしてみよう。
それからもうひとつ、かつて日劇ビルの隣に建っていた松竹系映画館「丸の内ピカデリー劇場」が出てくる大人マンガがある。それが1968年『漫画サンデー増刊号』に掲載された読み切り作品『嚢(ふくろ)』である。
このマンガの主人公の青年は、雨の中、ここで映画館から出てきたばかりらしいひとりの女性と出会う。女性の名は綾野リカ。ふたりはたちまち恋に落ちた。ところが青年がリカに結婚を申し込もうと家を訪ねると、母親は「リカという娘などいない」と言うのだった。そして代わりにそこにいたのは、外見はリカにそっくりだが趣味も性格もまるで異なるマリという女性だった!?
ネタバレになるので、これからこのマンガを読もうという方は、以下の文章を読み飛ばしていただきたい。
※ネタバレ注意
じつはリカはマリの体内で育った畸形嚢種だった。マリとリカは本来は双子として生まれるはずだったが、胎児になる過程でマリの体がリカの体の中へ入り込んでしまったのだ。つまりマリの出自は『ブラック・ジャック』のピノコのルーツだったのである。
続いてこの旧・日劇近くの銀座・日比谷界隈のいくつかの場所が続けて登場しているのが『アドルフに告ぐ』だ。このマンガは1983年から85年にかけて『週刊文春』に連載された作品で、かつてドイツを支配した独裁者ヒトラーの出自にまつわる秘密と、日本の戦前・戦中の歴史とが複雑にからんで展開する一大長編である。
『アドルフに告ぐ』に銀座・日比谷界隈が出てくるのは、物語も終盤に近い昭和20年1月のころだ。アメリカ軍の爆撃機による日本への空襲が激しくなり、連日のように軍需工場や都市部への空襲が繰り返されるようになっていた。そんな空襲の被害状況を伝えるドキュメンタリータッチの場面でここ銀座・日比谷界隈が登場している。具体的に描かれている場所は日比谷交差点、有楽町駅、泰明小学校の3ヵ所だ。なのでこれらを順番に巡っていこう。
まずは日比谷交差点へと向かう。交差点の北東角にマンガと良く似た外壁のビルが建っている。ただしこれは2007年にオープンした高級ホテル「ザ・ペニンシュラ東京」で、昭和20年(1945年)には当然ここには建っていないし、手塚先生がこのマンガを描いた時代にもなかった建物である。
ザ・ペニンシュラ東京が建つ前、ここには1952年に竣工した日活国際会館(後に日比谷パークビルと改名)というホテルと各種テナントが入った複合商業ビルが建っていた。ただしそのビルのデザインもマンガの絵とは違っている。もしかしたら、ザ・ペニンシュラ東京のビルは、日比谷パークビル以前にここに建っていたビルのデザインを参考にして建てられたのだろうか。それともまったくの偶然か。残念ながら昭和20年当時の日比谷交差点の写真が見つからなかったので、今後新資料が見つかったらあらためてご報告いたします。
続いて有楽町駅前へ。ここも昭和20年当時とは風景が大きく変わっているが、レンガ造りのガードは健在なので、その風景をマンガに近い構図でカメラに収めた。
そして3ヵ所目の泰明小学校へと向かう。
中央区立泰明小学校は銀座のど真ん中、銀座5丁目にある公立の小学校である。その歴史は古く創立は明治11年(1878年)。今年2018年で創立140周年となる。この学校の出身者には、島崎藤村や近衛文麿、朝丘雪路、加藤武などなど、文豪から政治家、映画スターまで著名人の名前がずらずらと並ぶ。さすが銀座の一等地にある小学校である。
ただし去年から今年にかけては別のことでこの小学校に注目が集まった。今年の4月から、この学校の標準服をイタリアのファッションブランド「アルマーニ」デザインのものにすると発表したところ、賛否両論が噴出して大きな話題となったのだ。
かつてバブル景気が華やかだった1980年代、私立の学校や企業がブランドデザインの制服を採用するのが流行した時代があった。しかし当時は超好景気だったから評判になりこそすれ批判されることはほとんどなかったように思う。けれども今回は舞台が公立小学校だために否定的な意見も多く、結果的に炎上に発展してしまったのだろう。
ここをさんぽしたのは、その新標準服を着た新一年生が通い始める直前の3月末のことである。ぼくは、テレビのニュースを見て写真を撮りに来たお上りさんと思われないように遠巻きにして控え目に写真を撮っていたのだが、O山は一向に意に介することなくバシバシと写真を撮りまくる。
ついには学校の職員が校庭を横切ってぼくらの方へまっすぐに近づいてきた!
「す、すみません、ぼくら虫さんぽ隊と言いまして……!!」
とあわてて釈明しようとしたところ、どうやら目的はぼくらではなく、来客があるために門扉を開けにきただけだったようである。
ちなみに学校職員が近づいてきたとき、O山はぼくを押しのけて真っ先にその場から逃げたことは言うまでもない。
ここでちょうどお昼時間になったので昼食を食べる場所を探すことにした。じつはさんぽの数日前、2018年3月29日にオープンしたばかりの新名所がすぐ近くにある。東京ミッドタウン日比谷だ。地上35階建ての超高層ビルで上層階はオフィス階、地上1階から6階までが各種テナントの入った商業施設となっている。
せっかくなのでここでお昼を食べようと近づいてみると、何とビルに入るのに順番待ちの列に並ばないといけないという。隣にいるO山を見ると、油の切れたロボットのように動きがぎこちなくなっている。O山はお腹が空くと見る見る動作が鈍くなってくるのだ。
そこで東京ミッドタウン日比谷でのランチはあきらめて、その真向かいの日比谷シャンテで無事昼食にありついた。
お腹がふくれて眠くなったぼくは、エネルギーが満タンになり元気回復したO山に引きずられるようにして次の目的地を目指す。
次の目的地は日比谷から皇居の西側を北上した場所にある警視庁本部庁舎だ。
今回紹介する、ここが舞台として登場する大人マンガは前出の『奇子』だ。昭和24年7月、このころ日本では当時の国鉄職員三万人以上の大量解雇が発表され、国鉄職員の労働組合による猛反発が起きていた。
そんな中、警視庁の下田警部は警視庁本部庁舎の一室に詰めていた。そこへ1本の電話が入る。それは何と渦中の国鉄総裁が列車に轢かれた轢死体で見つかったという急報だった。日本の暗部に渦巻く黒い霧をめぐり、物語はここから大きく動き出すことになる──!!
『奇子』に登場する警視庁本庁舎は1931年に建てられた旧庁舎で、その後1980年に現在の建物に建て替えられた。この警視庁本庁舎は皇居西側の桜田門の目の前に位置していることから通称「桜田門」とも呼ばれている。
ちなみに旧警視庁本庁舎の建物には、ビルのてっぺんに円柱形の部分が突き出た独特の形をしていた。じつは設計当初、あの円柱部分はもっと高く作られて周囲を警戒する“火の見やぐら”的な用途で使われる予定だったらしい。しかし建築前に「皇居を見下ろす位置にそんな高い建物を建てるのはけしからん」というお叱りを受け、あのように上部をカットせざるを得なくなったんだそうである。
この警視庁をぐるっと西側へ回ったところに立っている堂々とした建物が皆さんテレビのニュースなどでよくご存知の国会議事堂である。
国会議事堂が舞台として登場するのが、1973年に『ヤングコミック増刊号』に掲載された読み切り『悪魔の開幕』だ。舞台は、極右的な内閣が成立したことにより国民が抑圧された社会となっている近未来(1970年代後半)の日本。反体制派の青年達から“先生”と呼ばれ慕われている大物思想家が首相暗殺計画を企てていた。その実行要員として白羽の矢が立ったのがごく平凡なひとりの青年であった。こんな不気味な物語の序盤で、国家権力の象徴として見開きの大ゴマでドーンと描かれているのがここ国会議事堂だったのだ。
O山とふたりで国会議事堂の正門前へ歩み寄ると、周囲にはテロを警戒する警察や機動隊の車両が点々と配置されており、銀座周辺とはまるで違うものものしい雰囲気だ。
ぼくひとりでカメラを持ってウロウロしていたら不審者として職務質問を受けるんじゃないかというくらいピリピリした空気が漂っている。
だけど今回は派手なマンガ柄のスカジャンを着たO山が同行している。そればかりではなく、いつものほほんとした顔のO山は、不審者とは対極に位置するユルさの持ち主なのである。O山が不審者ならば日本中の人間が不審者になってしまう。それほどいつも緊張感がないのである。そんなO山のおかげでぼくらは一切警官に怪しまれることもなく、無事に国会議事堂をカメラに収めることができたのだった。
ではいよいよ本日最後の大人マンガスポットへと向かおう。
国会議事堂からは徒歩15~20分ほどの場所だ。しかしこのあたりでO山がノドが渇いたと言い出した。そうこうしているうちにO山の動きがみるみるロボット化し始めた。水分が足りなくなっても動きが鈍くなるようだ。
確かに気がついてみると、日比谷通りを超えて皇居のお堀沿いを歩き出してからは、お店はおろか、ドリンクの自動販売機すら1台も見当たらない。夏場にこのルートをさんぽする際には、事前に水筒かペットボトルの飲み物を用意しておくことを強くお勧めいたします。
そしてようやく道の向こうに最後の目的地である「千鳥ヶ淵緑道」が見えてきた。千鳥ヶ淵緑道は、皇居北西の角にあるお堀の一角、千鳥ヶ淵沿いを走る遊歩道だ。桜の名所としても有名で、満開時には全長700メートルもの桜のトンネルができる。今回の大人さんぽをこの時期に決行したのも、この桜のトンネルを皆さんにお見せしたかったからなのだ。冒頭にも書いたようにこの日は東京の桜がギリギリ満開だったので、ぼくらも十分にこの絶景を味わうことができた。
ここ千鳥ヶ淵が登場する手塚の大人マンガは、1973年から74年にかけて『ビッグコミック』に連載された『ばるぼら』だ。
新宿で奇妙なフーテン女・ばるぼらと知り合った作家の美倉洋介。彼は彼女の不思議な魅力の虜となり、彼女なしではいられなくなっていく……。そのばるぼらの母・ムネーモシュネーの営む骨董店にはさまざまな奇妙な仕掛けがあり、そのひとつが下水道を通って千鳥ヶ淵の石垣へと通じる抜け道だった。
ちなみにムネーモシュネーの店は新宿区「歌舞伎町五丁目15番地の小さな薬屋の隣」にあったはずで、虫さんぽ第40回の新宿さんぽで紹介済みである。ということは、美倉とばるぼらは東京の下水道を新宿から千鳥ヶ淵まで歩いてきたということか。それとも地下道のどこかで時空間が歪んでいるのだろうか……。
・虫さんぽ第40回:東京・新宿界隈 SF作家仲間との交流、そして路地裏アラベスク!!
この千鳥ヶ淵緑道を、のどが渇いてロボットのようになったO山と一緒に、桜のトンネルを楽しみつつそぞろ歩き、靖国通りに出たところで今回はゴール。東京メトロの地下鉄九段下駅はすぐ目の前である。ただしさんぽ当日はすぐお隣の武道館でアイドルのコンサートがあったらしく地下道入口周辺はものすごい人波でごった返していた。改札へたどり着くまで10分はかかりそうである。
そこでファミレスへ入って時間調整&水分補給をすることにした。ジュースを一気に飲み干したO山も大復活。お疲れさまでした。
さて次回は皆さんが夏休みに出かけるのにお薦めなさんぽルートを紹介すべく都内近郊を離れて遠征に出かける予定です。果たしてどこへ行くのか。ぜひまた次回のさんぽにもおつきあいください!!
黒沢哲哉
1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番