虫ん坊 2014年12月号 トップ特集1特集2オススメデゴンス!コラム投稿編集後記

 過去と未来とが複雑に絡み合いながら展開する大長編マンガ『火の鳥』。この巧みな物語構成は、長編作品を得意とした手塚治虫の真骨頂ともいえる代表作だ。ではこの壮大な物語を手塚はいつどこで発想し、どのように構想をふくらませていったのだろうか。じつはそこには連載の中断が大きく関わっていた。連載中断があったからこそ『火の鳥』は超大作となり永遠の名作となったのだ。今回はそんな『火の鳥』誕生秘話に迫ります!!



◎『火の鳥』を連載すると雑誌がつぶれる!?

虫ん坊 2017年2月号:手塚マンガあの日あの時 第50回:大長編『火の鳥』の誕生と幻の結末に迫る!!

『COM』での連載中断から3年のブランクを経て1976年、『マンガ少年』9月創刊号から新生『乱世編』の連載がスタートした。これはその記念すべき連載第1回のトビラ。※画像は復刊ドットコム刊『火の鳥《オリジナル版》大全集』より(以下、特記なき場合、画像はすべて同シリーズからの引用です)

 過去と未来とが交互に描かれながら、人類の誕生から滅亡までの壮大な歴史をたどる。それを俯瞰する超生命体・火の鳥。その火の鳥の視点を通して生とは何か、死とは何かを問う野心作、それが手塚治虫の『火の鳥』である。
 前回のコラムで紹介した通りこの『火の鳥』という作品は様々な理由で連載がたびたび中断しては掲載誌を変え、構想も新たに連載を再開するということを幾度となく繰り返した。
 『火の鳥』の載った雑誌がその後休刊するというケースが相次いだため、「『火の鳥』を連載すると雑誌がつぶれる」という風評が広まったこともある。
 そんな風評は当然ながら手塚自身の耳にも届いていて、『COM』復刊号がわずか1号で休刊となり、待望の『火の鳥』復活がまたも夢となった直後の1974年ごろ、あるファンの集まりで手塚自身がこんなことを語っていた。記憶を頼りに採録風に書いてみると、
「ぼくはね『火の鳥』の続きをすぐにでも描きたいんです。だけどあれを載せると雑誌がつぶれると言ってね、編集者がみんな嫌な顔をするんです。でもぼくはどんなことがあっても『火の鳥』を最後まで描くつもりなんです。ですからこの会場にもしマンガ雑誌の編集者の方がいらっしゃって、『火の鳥』を連載してもいいよという方がおられたら、ぜひ後で手塚プロまでご連絡ください」
 このようにかつては疫病神扱いまでされた『火の鳥』であるが、『火の鳥』という作品にとっては、じつはこの度重なる連載中断と連載再開こそが、作品を熟成させ構想を深めるために不可欠な期間だったのだ、というのが今回のコラムのテーマである。
 どういうことなのか、さっそく見ていきましょう。
 ちなみに今回参考テキストとしたのは、復刊ドットコムより2011年から2012年にかけて刊行された『火の鳥《オリジナル版》複刻大全集』全12巻である。このシリーズは連載中断となったエピソードも含めて『火の鳥』の全エピソードを、雑誌連載当時の形に限りなく近い形で複刻したもので、手塚が連載当時、何を目指していて、どんなことを考えながら描いていたのかを知る格好の資料となっている。


◎『火の鳥』の最初のテーマは日本の歴史を描くことだった!

 手塚治虫が初めて『火の鳥』を発表したのは学童社の雑誌『漫画少年』1954年7月号からだ。この年の4月号で『ジャングル大帝』の連載が完結し、その3ヵ月後に満を持して始まったのが『火の鳥 第一部 黎明篇』だった。
 この最初の『漫画少年』版『火の鳥 第一部 黎明篇』を読んでいただくとすぐに分かるが、ここではその後の大長編『火の鳥』を縦貫したテーマとなる“人間とは何か”“生命とは何か”という主題にはまだ至っていない。この作品で手塚が描こうとしたのは、人間の寿命をはるかに越える生命力を持った火の鳥の力によって三千年の命を持ったナギとナミの兄妹が、日本誕生の歴史を目撃するというものだったのだ。
 手塚は連載第1回目のページの欄外に『火の鳥のはしがきにかえて』と題した次のような一文を添えている。
「日本人の祖先が、どこからやってきたかについては、まえから学者の問題でした。日本人がいろいろな人種の血のまざりあったものだということは、その体つきやことばからだいたいわかります。しらべたけっか、何万年も昔日本にもとからすんでいたアイヌ系の原住民と、蒙古人種、それにマレイや南の島々からやってきた南方民族などがいりまじってできたいわば合成民族だろうというのです。『火の鳥』はこの三ばん目にあたる、ある南の島の祖先たちのものがたりからはじまります」


虫ん坊 2017年2月号:手塚マンガあの日あの時 第50回:大長編『火の鳥』の誕生と幻の結末に迫る!!

『漫画少年』版『火の鳥 第一部 黎明篇』連載第7回目のトビラ。正方形の枠の付け方が後年の講談社版手塚治虫漫画全集のイメージに似ている。あの額縁のような飾り枠に手塚はかなりのこだわりがあったというが、この時代からそのイメージを持っていたのだろうか


虫ん坊 2017年2月号:手塚マンガあの日あの時 第50回:大長編『火の鳥』の誕生と幻の結末に迫る!!

虫ん坊 2017年2月号:手塚マンガあの日あの時 第50回:大長編『火の鳥』の誕生と幻の結末に迫る!!

『漫画少年』版『火の鳥 第一部 黎明篇』より。三千歳で寿命を迎えた火の鳥の母親が自らの身を焼いて、その炎の中から子どもの火の鳥が誕生する


◎初期設定では火の鳥にも寿命があった!

 また後年のエッセイではこの作品を構想したきっかけとテーマについて、より具体的に書いている。
「昭和二十九年に『漫画少年』に連載していた『ジャングル大帝』が無事に完結して、そのあとどういうものを描いたらよいのか迷っていたときでした。
 ぼくはある劇場で、ストラビンスキーの有名なバレー“火の鳥”をみました。バレーそのものももちろんでしたが、なかでプリマバレリーナとして踊りまくる火の鳥の精の魅力にすっかりまいってしまいました。
 火の鳥の精は、悪魔にとらえられた王子を救うために、出発する王子の案内役をつとめる鳥で、ロシアの古い伝説なんだそうです。その情熱的で優雅で神秘的な、この鳥はレオに匹敵するドラマの主人公として最適のように思えました。(中略)
 ぼくは、この火の鳥を通じて、日本の歴史を、ぼくなりに描いてみたいと思いました。そして、そのテーマは、いつの世にも変わらぬ人間の生への執着、それに関連しておこるさまざまな欲の葛藤を、火の鳥を狂言まわしにして描くことにしました」(『火の鳥《オリジナル版》複刻大全集』第2巻『未来編』所収『火の鳥と私』より。※初出は1968年虫プロ商事刊『火の鳥 未来編』)
 この『漫画少年』版『黎明篇』が後年の大長編『火の鳥』の設定と大きく違っていたのは、火の鳥は宇宙空間を悠然と舞う超生命体などではなく、南の島に生き残っていた古代鳥の一種と設定されていたことだ。
 先の連載第1回目に掲載された『火の鳥のはしがきにかえて』では、舞台となった南の島にはむかしの動植物がいまだ多く生き残っている設定と説明した上で、火の鳥の正体についても次のように書いている。
「火の鳥も、その仲間のひとつで、この島にいきのこっていた古代鳥類ということにしてあります」
 この時点では火の鳥はまだ三千年という有限の寿命を持った生物だったのである。


◎漫画少年版『火の鳥』連載中断の真相!

 漫画少年版『火の鳥 第一部 黎明篇』は1955年5月号に掲載されたのを最後に連載は中断し、同年10月号で雑誌自体が休刊となったためにそのまま未完となった。
 後年の作品紹介などでは『漫画少年』の休刊によって連載が中断したと書かれているものもあり『火の鳥』が連載されると雑誌がつぶれるというジンクスの始まりとして語られるわけだけど、じつはこれは大きな間違いで、連載は休刊の5ヵ月も前に中断していたのだ。

虫ん坊 2017年2月号:手塚マンガあの日あの時 第50回:大長編『火の鳥』の誕生と幻の結末に迫る!!

『漫画少年』1955年6月号に突然掲載された休筆のおわび文。ここでは休筆に至った経緯は語られていないが、その理由はずっと後年になって明かされた

 その連載中断の理由についても手塚は前出の『火の鳥と私』の中で正直に書いている。
「このふたり(黒沢注:イザナギとイザナミのこと)が、不老不死の超能力をもつ火の鳥の生き血を、偶然飲んだために、ぜんぜん死ねない肉体になって、二十世紀の現在まで、そのまま生きのこるという設定でした。ところが描いているうちにだんだんそのふたりが、あまり死なないのでお化けみたいに思えてひじょうに描きにくくなりました。ところがそのうち、『漫画少年』が廃刊になって『火の鳥』は、中断してしまったのです」
 想定外の展開となってしまったことで行き詰まりを感じた手塚は、恐らく多忙を理由に連載を一時中断し、構想を練り直して再開するつもりだったのだろう。ところがそのまま雑誌が休刊してしまい未完になったというのが真相だったのだ。
 最後の連載が掲載された翌月の『漫画少年』1955年6月号には、『火の鳥ごあいさつ』と題して登場キャラクターたちが一列に並んで頭を下げている絵と共に、手塚自身の言葉による連載中断のおわび文が掲載されている。


◎『少女クラブ』での連載再開!!

虫ん坊 2017年2月号:手塚マンガあの日あの時 第50回:大長編『火の鳥』の誕生と幻の結末に迫る!!

『少女クラブ』1957年8月号から新たに連載が始まった『火の鳥 エジプト編』連載第1回目のトビラ。火の鳥は生物ではなく天国で飼われていた神の鳥という設定になった

 『漫画少年』版『火の鳥 第一部 黎明篇』の連載中断から1年後、講談社の雑誌『少女クラブ』1956年5月号で『火の鳥 エジプト編』の連載が始まった。その経緯についても『火の鳥と私』に詳しい。
「それから(黒沢注:『漫画少年』版『火の鳥』の連載中断から)一年たって、こんどは『少女クラブ』に連載していた『リボンの騎士』が、おしまいになりましたので、そのあとつづいての新連載に、ぼくは、どうしても『火の鳥』のつづきを描きたいと思いました。
 ところが編集長は、いったん別の雑誌にのったストーリーのままではこまりますねと首をかしげたので、では同じ歴史でも西洋史をあつかってエジプト時代からはじめましょうと提案し、それならというので連載がはじまりました」
 この『少女クラブ』の連載は、『漫画少年』版の続編ではなく、手塚の文章にある通り同じモチーフのまま舞台を日本からヨーロッパに置き変えて描かれたものだ。連載は『ギリシャ編』『ローマ編』と1957年12月号まで続いた。
 この『少女クラブ』版の3編で手塚は、『漫画少年』版『黎明篇』の反省から大きく2つの設定変更と展開の見直しを行っている。
 その1つ目が火の鳥の正体についての設定だ。『少女クラブ』版では火の鳥を古代鳥ではなく、天国で飼われていてそこから逃げ出した鳥という設定にした。これにより物語のファンタジー色が強まり、火の鳥の超能力の意味づけにもより神秘性が増した。
 そして2つ目が火の鳥の生き血によって不老不死の体となったクラブとダイアというふたりの男女は、『漫画少年』版『黎明篇』のイザナギとイザナミのふたりとは違い、一度は死んでしまう(仮死状態となる)が、長い時を経て再び復活する(目覚める)という設定になったことだった。これによって一度死んだふたりは離ればなれとなり、時代を超えて生き返っては運命の再会を果たすのだ。
 この2点の変更により、不老不死の力が「お化けみたい」に感じられるということがなくなり、時代を超えて描かれる生命の歴史という、後の大長編『火の鳥』のテーマに一歩近づいたのである。
 この時は連載も好調で手塚の意欲も高かった。だがまたしても連載が中断してしまったのは、ただただ手塚が多忙だったからだという。後半は代筆が続き『ローマ編』のラストはまるで夜店の屋台を畳むようにどたばたとあわただしく物語を畳んで完結している。
 ちなみに『少女クラブ』が休刊となったのは1962年12月号であり、『火の鳥 ローマ編』の連載終了から5年も後のことだ。ここでも『火の鳥』が載ったから雑誌が休刊したというのはとんでもない風評なのである。これを読んでくださった皆さんはくれぐれも、そんなデマをTwitterなどで広めないでいただきたい。


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『少女クラブ』連載の『ギリシャ編』より。一度死んで離ればなれになった王子クラブと王女ダイアが再会した場面。だがふたりは記憶を失っており相手が誰だか分からないのだった


虫ん坊 2017年2月号:手塚マンガあの日あの時 第50回:大長編『火の鳥』の誕生と幻の結末に迫る!!

虫ん坊 2017年2月号:手塚マンガあの日あの時 第50回:大長編『火の鳥』の誕生と幻の結末に迫る!!

『漫画少年』版『黎明篇』(左)と、『少女クラブ』連載の『エジプト編』(右)から、火の鳥を捕えようとする場面を並べてみた。まったく同じカットもあり、手塚としてはこの『少女クラブ』版で『火の鳥』を最初から描き直すつもりだった意図がうかがえる


◎雑誌『COM』でいよいよ本命版の連載開始!!

 『少女クラブ』版のこの3編は掲載誌が少女雑誌だったため、メロドラマとしての側面が強調されていた。だからもし仮にこのまま『少女クラブ』で連載が続いていたとしても、これ以上の世界観の広がりはなかったのではないかと思われる。
 やはり後の大長編『火の鳥』が誕生するには、またしても連載をいったん終了させ、構想を改めるという段階が必要不可欠だったのだ。
 それはまるで作中に登場する火の鳥が、自分自身の身を炎で焼いてその中から新たな生命として復活するという手順を、奇しくも作品自体が歩んでいたことになる。
 『少女クラブ』版の連載終了から9年後、手塚は構想を全面的に見直した新生『火の鳥』の第一編となる『火の鳥 黎明編』を雑誌『COM(こむ)』1967年1月創刊号から連載開始した。
『COM』は手塚治虫が設立した虫プロ商事から創刊された雑誌で、手塚がかつての『漫画少年』を標榜した新人マンガ家の育成と正当なマンガ評論活動の場として立ち上げたものだ。いわば手塚治虫の思いがストレートに反映された個人雑誌であり、そこで手塚は雑誌の編集方針に左右されることなく思い通りに『火の鳥』を描く環境を得たのである。
 この『COM』版『火の鳥 黎明編』のサブタイトルは漫画少年版と同じ『黎明篇』だが舞台は神話の時代から3世紀ごろの倭国(日本)に移され、火の鳥の生き血を求めて争う人々の欲望がより生々しくリアルに描かれている。
 ここで『漫画少年』版や『少女クラブ』版から大きく変更されたのは、火の鳥がより神格化された神々しい姿で登場し、人間たちの争いを高見から見下ろす神のような存在として描かれていることだ。それにともなって火の鳥のビジュアルイメージも愛らしい鳥の姿から、より崇高で近づきがたいイメージへと変わっている。現在、多くの人がイメージする火の鳥の姿は、この『COM』版以降の火の鳥ということになる。


虫ん坊 2017年2月号:手塚マンガあの日あの時 第50回:大長編『火の鳥』の誕生と幻の結末に迫る!!

『少女クラブ』連載の『ローマ編』より。『COM』版以降の『火の鳥』とくらべると火の鳥がかなり人間的なキャラクターとして描かれている

虫ん坊 2017年2月号:手塚マンガあの日あの時 第50回:大長編『火の鳥』の誕生と幻の結末に迫る!!

『COM』版『黎明編』連載第1回目のトビラには毅然として立つ火の鳥の姿が描かれた。ここで後の火の鳥のキャラクターが確立したのだった


虫ん坊 2017年2月号:手塚マンガあの日あの時 第50回:大長編『火の鳥』の誕生と幻の結末に迫る!!

虫ん坊 2017年2月号:手塚マンガあの日あの時 第50回:大長編『火の鳥』の誕生と幻の結末に迫る!!

『漫画少年』版『黎明篇』、『少女クラブ』連載『エジプト編』に続いて『COM』版『黎明編』でみたび描かれた、人間が火の鳥を捕獲しようとする場面。前2作品との描写の違いを見くらべていただきたい


虫ん坊 2017年2月号:手塚マンガあの日あの時 第50回:大長編『火の鳥』の誕生と幻の結末に迫る!!

『COM』版『黎明編』より。火の鳥を捉えようとして命を落した兄ウラジに続いて応答とのナギもまた火の鳥を仕留めようとする。このときは逆に火の鳥からナギに話しかけてきたのだった


◎単行本化の際に書き変えられたひとこととは!?

 この『COM』版『黎明編』以降の展開は、前回のコラムで紹介した通り、過去と未来とが交互に描かれながら、各時代が緊密に関わりを持って描かれ、少しずつ現代へと近づいていくという構成が取られている。これこそが大長編『火の鳥』の基幹部分を構成するストーリー設定ということになる。
 次に気になるのは、手塚がこのドラマチックでダイナミックな構成をいつどのようにして思いついたのかということだ。今まで紹介してきた内容から明らかなように『少女クラブ』版連載の時点までは、この構想はまったくなかったと思われる。
 さらに『COM』版『黎明編』の連載が始まった時点でも、恐らくまだ具体的な展開としては考えていなかったのではないかとぼくは見ている。というのはこの『黎明編』にはそれ以後の各編にあるような、別の時代の展開との関連を匂わせる伏線がまったく描かれていないからである。
 ただしその『黎明編』の中に唯一、未来を思わせる一文があった。「あった」と過去形にしたのは、その文章が後の単行本化の際に書き変えられているからだ。
 それは『黎明編』のちょうど中盤あたり、猿田彦の略歴を紹介している部分だ。雑誌連載当時、それは次のように書かれていた。
「この物語の中では、猿田彦は、ただの防人ではあるが、お茶の水博士の先祖ということになっている」
 これが後の単行本では次のように書き変えられた。
「この物語の中では 猿田彦はただの防人ではあるが 彼の子孫は 物語全体を通じて いずれも重要な役割を持つようになるのである」


虫ん坊 2017年2月号:手塚マンガあの日あの時 第50回:大長編『火の鳥』の誕生と幻の結末に迫る!!

虫ん坊 2017年2月号:手塚マンガあの日あの時 第50回:大長編『火の鳥』の誕生と幻の結末に迫る!!

『COM』版『黎明編』より。左は雑誌連載時のもので、それが単行本化される際、手塚は文章の一部を右のように書き変えた。そこに込められた意図は何だったのかは本文を参照していただきたい。※右の画像は講談社版手塚治虫漫画全集『火の鳥』第1巻より

 じつはこの書き換えに『火の鳥』の根幹を成す重要な意味があるとぼくは考えている。まず雑誌連載当時だが、この時手塚は「お茶の水博士の先祖」という一文にあまり重要な意味を持たせていなかったのではないかとぼくは思うのだ。ここでは手塚はお茶の水博士と風貌が良く似た猿田彦を親しみやすいキャラとして紹介するために、いわばサービストークとして書いたのだ。
 ところがそれが後に『火の鳥』全体の構成に関わってくることになったために、あえて関係性をぼかすことにした。もしかしたら手塚自身が自分で何気なく書いたこの一文がヒントとなって大長編『火の鳥』の構想を思いついたと考えてみるのも面白いかも知れない。
 ただ何の証拠もない中でそこまで言い切るのは暴論だとしても、その後の作品展開を見れば、過去と未来を交互に描くという『火の鳥』の構成は、まさしくこの『黎明編』の中盤あたりから固まったと考えるのはごく自然な解釈だと言うことには多くの人に同意していただけるのではないだろうか。
 そして『黎明編』に続いて連載された『未来編』からは、その設定が全面的に取り入れられ、後の展開の伏線が満載されて物語が展開していくのである。
 前回のコラムで『火の鳥』入門者にぜひ最初に読んでいただきたいお勧めの一編として紹介したのが『未来編』だったのも、『未来編』こそが大長編『火の鳥』のあらゆる見所を詰めこんだ最初のお話だったからである。


◎初めて『火の鳥』を「ライフワーク」と公言!!

 先ほどから何度か引用している『火の鳥と私』と題された手塚のエッセイは、1968年に虫プロ商事から刊行された『火の鳥』の初めての単行本化の際に書き下ろされたものだ。このエッセイの中で手塚は次のように書いている。
「三度目の正直といいますが、こんどこそ最後まで完結させて、ぼくのライフワークのひとつとして、残したいと思っています」
 これが手塚が『火の鳥』を初めて「ライフワーク」と語った言葉となった。これはいよいよ大作として『火の鳥』を描くという覚悟というか決意表明と受け取っていいだろう。
 その宣言通り、『COM』の連載中断後も手塚は掲載誌を移しながら『火の鳥』を精力的に描き続けた。しかし完結まで描ききったエピソードとしては1986年から88年にかけて雑誌『野性時代』に連載された『太陽編』が最後となった。
 ではその後、どんなエピソードが続くはずだったのか。その手がかりとなる資料や言葉がわずかながら残されている。
 そのひとつが最晩年の1988年にシノプシスとシナリオだけが書かれた『大地編』だ。これは手塚が原案・構成・総監督を務めた劇場用オリジナルアニメ『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』をベースに手塚自身が舞台ミュージカル用として描き下ろしたものだ。
 シノプシスの方は昭和13年1月、日中戦争の勝利に沸く日本統治下の中国・上海が舞台となっている。勝利の勢いに乗った日本軍は兵士たちのさらなる戦意昂揚をはかるため、不老不死の力を持った火の鳥の捕獲を間久部緑郎に命じる。
 けれどもこのアイデアは採用されず、手塚はあらためてシナリオを描いた。このシナリオでは2000年の大晦日、20世紀から21世紀になる一夜のドラマが描かれている。
 核エネルギーの乱用によって地球全体に放射能がばらまかれ動植物はほとんど死滅していた。だが皮肉なことに人間だけは人工臓器とクローン技術の発達により死にたくても死ねない体となっていたのだった。


虫ん坊 2017年2月号:手塚マンガあの日あの時 第50回:大長編『火の鳥』の誕生と幻の結末に迫る!!

1988年に手塚が舞台ミュージカル用として書き下ろした『火の鳥 大地編』シノプシスの冒頭部分。間久部緑郎の登場など、期待感の高まるプロローグである

虫ん坊 2017年2月号:手塚マンガあの日あの時 第50回:大長編『火の鳥』の誕生と幻の結末に迫る!!

こちらはシノプシスが没になった後、アイデアを練り直して執筆された『火の鳥 大地編』のシナリオ。神のような存在となって現れた猿田の語りから物語が始まる。※画像は講談社版手塚治虫漫画全集『手塚治シナリオ集』より

 この2つの『大地編』がマンガとして描かれることはなかったが、このシノプシスが採録された本の解説で、当時の手塚プロ資料室長・森晴路氏は次のように書いている。
「手塚治虫は、シルクロードを舞台にした物語を描きたいと資料などを準備しており、存命ならば『火の鳥』の一編、もしくは最新作として描かれたに違いない」(『火の鳥《オリジナル版》複刻大全集』第11巻『太陽編(下)』「大地編シノプシス」解説より)


◎幻の『アトム編』構想とは!?

 そしてこの『大地編』のほかに、手塚が近しい関係者に構想を語っていたというエピソードがもうひとつあった。それが鉄腕アトムが登場する物語、『アトム編』(仮称)である。例えば手塚治虫の長男・手塚眞の著書の中にこんな一節がある。
「ある時、(手塚治虫が)編集者にそっと耳打ちした話です。『あれ(『火の鳥)』)は過去、未来と話が行ったり来たりして、最後に現代に近いところで終わるんだよ。そう、アトムが誕生するころにね』。火の鳥とアトムが出会うなんて、ファンにとっては夢のような話ですね」(手塚眞著『「父」手塚治虫の素顔』2009年、誠文堂新光社刊より)

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『太陽編』より『火の鳥』にお茶の水博士が初めて登場した場面。回想イメージシーンであり、この時点ですでに故人になっているという設定ではあるが、いよいよ『アトム編』が近いのではないかと期待できるシーンだった

 手塚治虫のマンガ『鉄腕アトム』の中ではロボットのアトムが科学省で誕生したのが2003年という設定だから、もしも『火の鳥 アトム編』が描かれていたとしたら、恐らくその前後の時代が舞台となったことは間違いないだろう。
 この『アトム編』について手塚自身がその構想を書いたものは何も残されていないが、近く『アトム編』が描かれる予定だったかも知れないというヒントが、他ならぬ『火の鳥』の作中にある。
 それは『太陽編』に登場するレジスタンスのボス“おやじさん”の兄として、お茶の水博士が初めて『火の鳥』に登場していることだ。
 お茶の水博士は『鉄腕アトム』の中では、科学省長官として、またアトムの育ての親としてアトムを公私両面から支える重要な人物として描かれている。そのお茶の水博士が『火の鳥』に登場したとなれば、いよいよ『アトム編』が描かれるのも近かったのではないかと想像できるのだ。

◎猿田彦の子孫がお茶の水博士だとすると……

 ただし、ここでひとつ気になる点がある。『太陽編』のお茶の水博士がなぜか目つきの悪い悪人面に描かれていることだ。これは何を意味しているのだろうか。
 そこで思い出していただきたいのが、『COM』版『黎明編』が単行本化された際に文章の一部が書き変えられたというお話だ。
 単行本化の際には曖昧な言い方にぼやかされてしまったが、雑誌連載時の解説文を信じれば、『火の鳥』に登場するお茶の水博士は猿田彦の子孫ということになる。
 そういえば『火の鳥 宇宙編』の中にこんな描写があった。火の鳥の力で若返り無力な赤ん坊となったかつての仲間を殺そうとした宇宙飛行士の猿田が、火の鳥から罰を言い渡される場面だ。
「あなたの顔は永久に見にくく……子子孫孫まで罪の刻印がきざまれるでしょう」
 猿田一族の子孫として先祖の業(カルマ)を背負って生まれる『火の鳥』のお茶の水博士は、もしかしたら『鉄腕アトム』で活躍したあのひょうきんで善良なお茶の水博士とは別人のような人物だったのかも知れない。
 もっとも見方を変えると、『太陽編』に描かれたお茶の水博士の姿はあくまでも弟の主観の中に出てきた姿だから、弟がお茶の水博士について抱いている悪意がそのままイメージとして現れただけと解釈することもできる。さて、あなたはどう読み解かれますでしょうか?


虫ん坊 2017年2月号:手塚マンガあの日あの時 第50回:大長編『火の鳥』の誕生と幻の結末に迫る!!

虫ん坊 2017年2月号:手塚マンガあの日あの時 第50回:大長編『火の鳥』の誕生と幻の結末に迫る!!

『宇宙編』より。赤ん坊となった同僚の牧村を自分のエゴで殺そうとした猿田。
それに対し、火の鳥は子子孫孫まで続く重い罰を言い渡した


◎手塚自身が『火の鳥』完結編について語った!!

 手塚は常々「完結編は自分が死ぬ間際に発表する」と語っていた。その完結編は現代を描いたストーリーであり、そこで人類の輪廻転生の物語がひとつにつながって円環を成すという。
 『大地編』の舞台は昭和初期、もしくは2000年から2001年にかけてということで、もし描かれていれば、幻の『現代編』の一歩手前まで来ていたことになる。
 その『現代編』について、何かヒントは残されていないのだろうか。あ・り・ま・し・た。それは雑誌『野性時代』に『太陽編』を連載中だった1986年暮れ、手塚が当時の角川書店社長・角川春樹と対談した記事だ。

角川

『火の鳥』は過去から未来への悠久の時の流れを描いておりますが、『現代』を描かれると、よりいっそうの普遍性が表われると思うんです。

手塚

しかし『現代』というのは難しいんです。たとえば今、私が話していても、1分たてば過去になるわけですよね。

角川

そのとおりです。現代というのはあくまでもこの時点ですから。

手塚

連載が1年あるだけで、現在から過去へどんどん流れている。ですから僕にとっての『現代編』は、僕の体から魂が離れるときを指すのだと解釈しています。描けないですからね。肉体がないですから(笑)。そこで描けるなら、そのとき描きたいですね。それがぼくの『現代』の極限なんですよ。そこから前の段階というのは、僕にとって『過去』になってしまう。

角川

そうですね。現代と現在の違いも難しいですね。

手塚

現代と仮に言ったら、どこからどこまでを現代というのか。という問題が出てくる。(中略)現代は常に浮遊しているわけですね。僕にとっての『現代』はまだ来ないんです。

角川

あ、それはよくわかります。

手塚

僕のなかにあるエネルギー体が、何かの形で羽化をするときが、そのときだと思うんです。

角川

でも羽化するのは死ぬときですからね。描けませんよ(笑)。

手塚

いや、僕は描いてみせますよ(笑)。ひとコマでもいいんですよね。それがひとつの話になっていればいいんですから。『火の鳥』の終末になっていればいい。それは僕にとっての初めての体験でもあるんですよ。「あ、これで僕は死ぬんだ」とは思わないかもしれませんよ。どこかの星に行くのかもしれない。

角川

それは素晴らしいお話ですね。

(角川春樹・手塚治虫特別対談「火の鳥と現代」『ニュータイプ』1989年5月号別冊付録『手塚治虫 MEMORIAL BOOK』より。※初出は『ニュータイプ100%コレクション 火の鳥』1986年、角川書店刊)


虫ん坊 2017年2月号:手塚マンガあの日あの時 第50回:大長編『火の鳥』の誕生と幻の結末に迫る!!

虫ん坊 2017年2月号:手塚マンガあの日あの時 第50回:大長編『火の鳥』の誕生と幻の結末に迫る!!

『COM』1971年11月号に掲載された『火の鳥 休憩 INTERMISSION』。このひと月前の号には『羽衣編』が掲載され、翌月からは『望郷編』が始まる予定であり、その合間に掲載されたわずか6ページのエッセイ風告白マンガ。ここで初めて「『火の鳥』の結末は自分が死ぬときに発表する」と語っている。しかし単行本にはずっと収録されず1997年に刊行された講談社版手塚治虫漫画全集『手塚治虫エッセイ集』第6巻に初めて収められた


虫ん坊 2017年2月号:手塚マンガあの日あの時 第50回:大長編『火の鳥』の誕生と幻の結末に迫る!!

1986年に行われた手塚治虫と角川春樹の対談。角川が手塚に「ぜひとも『火の鳥』の現代編を描いて欲しい」としきりに言うのに対し、手塚が「それを描くのは自分が死ぬときだ」と答え、そこから始まる禅問答のような会話が面白い

虫ん坊 2017年2月号:手塚マンガあの日あの時 第50回:大長編『火の鳥』の誕生と幻の結末に迫る!!

『異形編』より。火の鳥の言葉は神の言葉として人間の過ちを鋭く指摘する


◎そして『火の鳥』は永遠に未完となった……

 『大地編』、『アトム編』で過去と未来が限りなく近づいて、最後にひとコマだけの『現代編』を描き『火の鳥』は完結する。まさに“画竜点睛”の瞬間と言えるだろう。
 画竜点睛とは、物事を完成させるための最後の仕上げという意味だ。竜の絵を描いて最後に目を描き入れたところ、その竜に命が宿り、天に舞い上がっていったという中国の故事に由来する。
 角川氏との対談における手塚の自信たっぷりな口ぶりからすると、手塚の頭の中には、その完結編の構想もすでにあったに違いない。
 死ぬ直前に描くつもりだったひとコマだけの『火の鳥』完結編、それはいったいどんな壮大な物語だったのだろうか。
 ではまた次回のコラムにもぜひお付き合いください!!


虫ん坊 2017年2月号:手塚マンガあの日あの時 第50回:大長編『火の鳥』の誕生と幻の結末に迫る!!


虫ん坊 2017年2月号:手塚マンガあの日あの時 第50回:大長編『火の鳥』の誕生と幻の結末に迫る!!

虫ん坊 2017年2月号:手塚マンガあの日あの時 第50回:大長編『火の鳥』の誕生と幻の結末に迫る!!

完結した最後のエピソードとなった『太陽編』。左はその連載第1回目のトビラで、右の2点は最終回のラスト2ページ。これ以後、『火の鳥』がマンガとして描かれることはなかった


黒沢哲哉
 1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番


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