手塚治虫が、デビュー間もない昭和20年代から最晩年まで描き続けた大長編マンガ『火の鳥』。“巨匠のライフワーク”、“生と死を描いた一大叙事詩”、そんな大仰な言葉で持ち上げられるこの作品、何となく重たい印象があって「名前は知っているけど読んだことはない」っていう人も多いんじゃないだろうか。そこで今回は『火の鳥』が誰でもサクサクと読めるようになる案内情報をお届けたします。題して虫ん坊・火の鳥ナビ! 案内スタートですっっ!!
年の瀬というと、その年に起きた1年間のニュースを振り返るのがお約束だけど、2016年マンガ界のぼく的な最大のニュースは『こち亀』の連載終了だった。
『こち亀』というのは秋本治が『週刊少年ジャンプ』に連載していた『こちら葛飾区亀有公園前派出所』というマンガ作品の略称だ。1976年から連載が始まり、今年2016年の『ジャンプ』10月3日号で40年間の歴史に幕を下ろした。単行本全200巻もすごいけど、40年間1度も休載せずに週刊連載を完走したのが驚異的だ。
一方、手塚治虫の長期連載作品はというと、1951年から68年まで17年間連載された『鉄腕アトム』が継続して連載された手塚作品としては最長の作品となる。
しかし途中で中断をはさみながら連載した作品となると、『鉄腕アトム』の2倍の34年間にわたって連載された作品がある。それが『火の鳥』だ。
『火の鳥』は別表の通り1954年に雑誌『漫画少年』に『黎明編』を発表し、最後の連載となった『太陽編』が完結したのが1988年だから(連載の空白期間はあるものの)実に34年間も連載が続けられた大長編マンガだった。しかもそれでも完結はせず、手塚は続編を描くつもりで構想を練っていた。
手塚教信者がひとりでも増えて欲しいと願っている手塚宣教師のぼくとしては、名作『火の鳥』を『こち亀』のようにより多くの人に気軽に読んで欲しいんだけど、『火の鳥』は大長編である上に未完ということでなかなか手を出しにくいという話もよく聞く。
そこでこれから『火の鳥』を読もうかな、という人に向けて、お薦めの読み方を案内することにいたしました。「火の鳥ナビ」ぜひ参考にしてください。
本屋さんの手塚治虫コーナーの前に立ち『火の鳥』の単行本を前にしてまず悩むのは、文庫や単行本、全集、豪華本と種類がいくつもあって、どの本で読んだらいいのかということだ。
マニアックなことをいうと、じつは本によって内容に細かな違いがあったりする。というのも手塚は例によってこの『火の鳥』でも、新しく単行本が出るたびに内容の編集を繰り返したからだ。だけど初めて読むならそうしたバージョン違いを楽しむより前に内容に集中できた方がいいので、文庫や全集バージョンがお薦めだ。
そのバージョン違いについてざっと説明しておくと、手塚が最後に編集したバージョンが1986年から87年にかけて刊行された角川書店版で、それを踏襲しているのが1992年刊行の角川文庫版(全13巻)だ。講談社の手塚治虫漫画全集版は、かつて虫プロから刊行された雑誌サイズの単行本をベースに手塚が編集したもので、2011年刊行の講談社手塚治虫文庫全集版(全12巻)や2009年刊行の朝日新聞出版版、秋田書店のコンビニコミック版などはほとんどこの虫プロ→講談社全集版をベースにしている。これがもっとも多く流通しているスタンダードなバージョンである。
コレクターや研究者向けなのが、連載時のビラやカラーページを再現した小学館クリエイティブのGAMANGA BOOKS版(全11巻)と、復刊ドットコムの『火の鳥《オリジナル版》復刻大全集』(全12巻)だ。後者はトビラやカラーページはもちろん、未完のエピソードなども含めて最初の雑誌掲載時の形に限りなく近づけた完全復刻版である。
さて本は入手した。次はどのエピソードから読んだらいいかということだ。
『火の鳥』はオムニバス形式で物語が進み、各エピソードには『黎明編』、『未来編』などのサブタイトルが付けられている。各編はそれぞれが独立したお話として成立していて、どこから読み始めても良いようになっている。その一方で各編に出てくる登場人物や世界観は時代を超えて微妙につながっているため、読む順番が変わると受ける印象もかなり違ってくる。
だったら単行本の1巻から順番に読んでいけばいいんじゃないの? と言われるかも知れない。単行本はどのバージョンもおおむね連載時の発表順に並んでいる。もちろんそれでもいいんだけど、じつはこの作品全体の世界観を手っ取り早く把握するには必ずしもそれがベストな順番とは言えないのだ。それに後ほどあらためて紹介するけど、手塚自身もその読み方をあまり望んでいなかったようなのだ。
ここで話の流れを整理するために各編を物語の中の年代順で並べ直してみたのが次のリストだ。
●『火の鳥』年代順リスト
・黎明編【COM版】(3世紀ごろ)
↓
・ヤマト編(4世紀ごろ)
↓
・太陽編(過去パート:7世紀ごろ)
↓
・鳳凰編(奈良時代)
↓
・羽衣編(10世紀ごろ)
↓
・乱世編【マンガ少年版】(平安時代末期)
↓
・異形編(室町時代)
↓
・大地編【構想のみ】(幕末~明治時代)
↓
・大地編【シノプシス、シナリオ】(1938年)
↓
・(現代編?)※未発表
↓
・アトム編【構想のみ】(アトム誕生の2003年前後?)
↓
・太陽編(未来パート:2009年)
↓
・生命編(2155年)
↓
・望郷編【マンガ少年版】(西暦2***年代?)
↓
・復活編(Aパート:西暦2482年)
↓
・復活編(Bパート:西暦3030年)
↓
・未来編(3404年)
未来編はそのラストで再び黎明編へとつながり、物語は全体で大きな円環を成す。そして手塚は最後に自分の死の直前に現代編を発表して『火の鳥』は完結すると語っていたが、残念なことに現代編が描かれることはついになかった。
連載年表には名前が入っていないのにこのリストにだけ名前が入っている編もあるが『大地編』は手塚が最晩年に舞台劇用に作ったシノプシスと、それと同題で別内容で書かれたシナリオがある。またその作品の舞台を幕末~明治時代に置きかえてマンガとして描く構想もあったと言われている。鉄腕アトムが登場する『アトム編』については、いくつかの場所で手塚自身がその構想があると語っていた。これら『火の鳥』の未発表エピソードについては次回コラム後編であらためて紹介いたします。
またこの年代順リストには、全体の流れから外れる以下の6編は含まれておりません。
・黎明編【漫画少年版】
・エジプト編
・ギリシャ編
・ローマ編
・望郷編【COM版】
・乱世編【COM版】
こうして各編を年代順に並べ直して時代の古い方から順番に読んでいくというのも『火の鳥』ひとつの読み方だ。ただしこれは『火の鳥』をすでにある程度読み込んだ上級者向けの読み方だろう。これから初めて読もうという人にお勧めするなら、過去と未来がダイナミックに交錯する『火の鳥』の世界観をもっと楽しんでいただきたい。
そこでぜひ最初に読んでいただきたいのが『未来編』だ。
絶滅した動物を再生しようとたったひとりで研究を続けている世捨て人の猿田博士、人間の心を読みとって望みの形に変形できる不定形生物ムーピー、旧式だけど人間くさいロボット・ロビタ、そして火の鳥の力によって永遠の生命を得た青年が見た、ある生物の進化と滅亡の歴史……。
『未来編』には『火の鳥』の物語の根幹となるキャラクターや要素がほとんど集約されているのだ。従ってこのエピソードさえ押さえておけば、その後はどの話を読んでもすんなりと理解しやすくなる。
『未来編』を読んだあとは、好みによって様々な読み進め方が可能だ。
例えば、神となった青年が見た人類誕生のその後が知りたければ、続けて『黎明編』(COM版)を読むといいだろう。
『黎明編』では、その後『火の鳥』全編を通して各編で重要な役割を演じることになる猿田彦=我王=猿田博士という子々孫々まで続くキャラクターの最初の祖先の登場に出会える。
女王ヒミコの怒りを買った猿田彦はまだらバチの穴蔵へ入れられ、鼻を刺されて醜く腫れ上がってしまう。だがその醜さが逆に彼の心を清め、人々に対する無償の愛を育んでゆく。
そして猿田彦の子孫である我王が主人公のひとりとして活躍するのが『鳳凰編』だ。生まれながらにして不幸を背負った猿田彦の子孫である我王が、何の呪いか鼻が巨大に腫れ上がり、醜くなったその鼻が原因でたったひとり自分を愛してくれた妻を斬り殺してしまう。その後、魂の救済を仏像彫刻に求めた彼は仏師として生きていくことを決意するのだ。
『乱世編』(マンガ少年版)では両腕を失い400歳になった我王が鞍馬山の山中で神様と呼ばれ、しいたげられた人々の救済をしている姿が見られる。
以後、猿田彦の子孫は時代順に書くと『太陽編』(未来パート)、『生命編』、『宇宙編』、『復活編』に登場し、『未来編』では猿田博士となって、荒れ果てた地上でひとり隠遁生活を行っているのだ。
一方、『未来編』に続けて『復活編』を読むと、ロビタがロボットなのになぜああも人間くさいのか、そしてなぜ猿田博士の隠遁生活に付き合っているのかが理解できる。
またムーピーの不思議な生態と人間との関わりを知りたければ『望郷編』(マンガ少年版)を読むといいでしょう。
こうして各編を関連付けて読んでいくと全部の話がつながっていると思いがちだけど、じつは全体の流れから孤立しているエピソードもある。雑誌『COM』1971年10月号に掲載された1回読み切りのエピソード『羽衣編』がそのひとつだ。
時は平安中期。天女の羽衣伝説をモチーフとして、未来からやってきた謎の女性・おときと素朴な漁師の若者ズクが結ばれ、赤ん坊が誕生するというお話だ。
じつはこの『羽衣編』には幻の続編があった。COM版『望郷編』がそれだ。COM版『望郷編』は『COM』1971年12月号と、その翌月に誌名が変わった『COMコミックス』1972年1月号に2回だけ連載された。だが『COMコミックス』の編集方針が変わったために連載はこの2回で中断し、その後雑誌自体も廃刊となった。
このCOM版『望郷編』は未来世界が舞台で、おときがなぜ平安時代へ来たのか、その理由が語られていた。
しかしその後、朝日ソノラマの雑誌『マンガ少年』で構想も新たに連載が始まった『望郷編』では、おときとの関連については触れられておらず『羽衣編』が宙ぶらりんになってしまったのである。
ここまでぼくのオススメの読書順を紹介してきたけれど、手塚治虫自身が読者に読んでもらいたい順序というのはなかったのか。実はあったのだ。
2012年に刊行された『火の鳥《オリジナル版》復刻大全集 第11巻 太陽編(下)』の巻末解説で、当時の手塚プロダクション資料室長・森晴路氏はこう書いている。
「角川書店から四六判ハードカバーの単行本を出すことになったとき、時代ものから先に刊行されたが、未来もののほうは手塚治虫は出す気がないような感じだった。組み合わせもそれまでの版とは、ヤマト・異形編、宇宙・生命編というように変わっている。また望郷編、乱世編は再び手を入れなおしている。羽衣編も収録には消極的だった」
手塚治虫は単行本を刊行する際、自分の気に入ったエピソードから先に収録していったというのは良く知られた話だ。それからすると読者にはまさにこの刊行リストの順番で読んでもらいたかったというメッセージと理解していいだろう。
そして『羽衣編』の収録に消極的だったというのは、やはり『望郷編』との関連性がなくなってしまったために扱いが中途半端になってしまったためだろう。
そして注目すべきは『乱世編』上下巻の間に『黎明編』が挟み込まれていることや、『ヤマト編』と『異形編』を1巻にまとめたことだ。そこに込められた意図は何だったのか。様々な解釈ができると思うが、ここで私見を挟むのは差し控え、あとは皆さんの感想にゆだねよう。ぜひこの順番でも読んでみてください。
さて次回は『火の鳥』が、どのような成立過程を経て、こんなにも複雑で重層的な物語になったのか。連載と中断を繰り返した34年間の歴史を振り返りながら読み解いてまいります。さらには描かれるはずだった幻の完結編についても貴重な資料と証言を大公開。これを読めばますます『火の鳥』が分かっちゃいますよ! お楽しみにっっ!!