連載期間17年! その間、ずっと人気トップを走り続けた『鉄腕アトム』。その『アトム』の歴史の中に、史上最高のお正月があったって知ってた!? 今回は、そんな、あるお正月の、あの日あの時をお送りします!!
『鉄腕アトム』といえば、言うまでもなく手塚治虫の代表作だ。雑誌『少年』の昭和26年4月号から始まった『アトム大使』から数えると17年にわたって続いた大長編だったのだ。
しかもその間、アニメ化されたりお菓子のオマケのアトムシールが大ブームになったりと、常に話題を提供し続け、昭和43年3月号で『少年』が休刊するまで、ずっと人気トップの座を独走し続けた怪物作品だった。
ということで、アトムは連載中に17回の正月を迎えてるわけだけど、その中でも特別なお正月があったのをご存知だろうか? それは昭和40年1月のことだ。この年の正月は、17年間の『アトム』の歴史の中でも“史上最高のお正月”だったのだ。そして、その史上最高のお正月を知るためのキーワードは3つ。「大団円」「視聴率」「貯金箱」である!!
まずは最初のキーワード「大団円」から読み解いていこう。
これは、『鉄腕アトム』の中でも最高の人気を誇ったエピソードが昭和40年1月号(発売は39年12月)で堂々の完結を迎えたコトを意味している。
そのエピソードとは、昭和39年6月号から始まった『史上最大のロボット』の巻(単行本化時『地上最大のロボット』に改題)だ。
中東の王サルタンが作らせた百万馬力のロボット・プルートゥが、世界に名だたる強豪ロボットを次々と倒していく。プルートゥは、次はどんなロボットと戦うのか!? アトムはプルートゥを倒せるのか!? ぼくらは毎月ハラハラドキドキしながら次号の発売を待った。
しかも物語の終盤近くなって、プルートゥを上回る二百万馬力のロボット・ボラーが出現! お話は最後の最後までまったく予想のつかない展開になったのだった。
手塚治虫自身がノリにノって描いている。そんな空気がぼくら読者にもヒシヒシと伝わってくる。『地上最大のロボット』は、そんな多くの人の心に残る大傑作になったのである。そしてそれが、この1月号でついに大団円を迎えたのだ。これは盛り上がらないハズがないでしょう!!
2つ目のキーワードは「視聴率」! これはもちろんテレビアニメのことだ。
白黒版『鉄腕アトム』は、国産初のテレビアニメシリーズとして虫プロが製作し、昭和38年1月1日からフジテレビ系で放送が始まった。昭和40年1月は、それからちょうど3年目に突入したところだったが、人気は衰えるどころか、ますます上昇し続けていた。
そして昭和40年1月25日放送の第56話『地球防衛隊の巻』が、シリーズ最高視聴率40.3%を記録したのだ!!
2008年に大ブームを巻き起こしたNHKの大河ドラマ『篤姫』の最高視聴率が29.2%だから、当時の『アトム』人気がいかにすごいものだったかが想像できるだろう。
さて、いよいよ3つ目のキーワード「貯金箱」である!
まずは、写真のアトム人形をご覧いただきたい。キリッとひきしまった表情で上空を見上げ、両腕に力を込めたポーズは、いままさにジェット噴射で飛び立とうという瞬間なのか、いまにも動き出しそうだ。さらにその真剣な表情と三頭身のぽっちゃりした体系のギャップが何とも愛らしい。
この人形は高さが12cmほどのソフトビニール製で背中にコイン投入口があり貯金箱になっている。そう、第3のキーワード「貯金箱」とは、このアトム貯金箱のことなのだ!!
このアトム貯金箱は、昭和39年ごろに大和銀行(現・りそな銀行)が景品として作ったもので、これをもらうには「アトム積立預金」を契約する必要があった。
昭和54年発行の『大和銀行六十年史』によると、「アトム積立預金」の取り扱いが始まったのは昭和38年12月20日からだった。
ただし、このときからアトム貯金箱のプレゼントも始まっていたのかどうか、残念ながらこの『六十年史』には、貯金箱についての記述は何もない。ぼくの記憶では、まだこの時点では貯金箱はなかったように思うのだが……。ちなみに、現在ぼくの手元にある雑誌の中では、昭和39年10月号の『少年』の大和銀行の広告に、初めてこのアトム貯金箱が登場している。
このコラムを担当する手塚プロのI藤さん(年齢は秘すが若い女性)に、この広告を見せたら、「少年誌に銀行が広告を出してたなんて意外で驚きました」と言われた。確かに今の『少年ジャンプ』や『少年サンデー』に銀行の広告が載ってたら違和感がある。
だけど当時は、銀行が個人の顧客獲得に必死だった時代で、その狙いは子どもにも向けられていた。子どもの持っているお金……そう、狙われたのは年に1度だけ子どもたちに転がり込むビッグマネー=お年玉だったのである!!
昭和40年1月4日、ぼくは母親と一緒に隣町の大和銀行へ行き、お年玉千円を貯金して「アトム積立預金」口座を開設した。そして3ヶ月間、ず〜〜〜っと思い続けていたアトム貯金箱をついに手に入れたのだった!!
このアトム史上最高のお正月に、ぼくと同じようにお年玉を預けた子どもは、恐らく数え切れないほどいたに違いない。その証拠に、今でもこの貯金箱はフリーマーケットやネットオークションでしばしば見かける。そして、それらのひとつひとつにマジックで名前が書かれていたり、個性的な傷や汚れがあったり。当時の子どもたちが、いかにこの貯金箱を愛していたかが想像できるのだ。
マンガのキャラクターを使用したものでは、昭和37年に三菱信託銀行(現・三菱UFJ信託銀行)が根本進の新聞マンガの主人公『クリちゃん』の貯金箱を出しているが、アニメキャラとしては、大和銀行の「アトム貯金箱」がお初だったのではないか(「違う!」という指摘があったらコメントください)。
その後、ソフビ製マスコット貯金箱人気は家電メーカーにも広がっていく。
手塚キャラでは、昭和40年10月から放送が始まった、日本初のカラーテレビアニメ『ジャングル大帝』のスポンサーだった三洋電機が、レオの貯金箱や、手塚治虫デザインのリスのマスコットの貯金箱などを出していた。
この貯金箱人気は、その後、昭和40年代後半に入るころから次第に下火となっていくが、手塚ファン的には、さらにもうひとつの盛り上がりを見逃してはいけない。
昭和46年ごろ、手塚治虫が手がけた三和銀行(現・三菱東京UFJ銀行)のマスコットキャラ『ワンサくん』の貯金箱を、同行が出し始めたのである。三和銀行は、ワンサくんを昭和60年ごろまでマスコットとして使用しており、その間に作られた「ワンサくん貯金箱」は何と20数種にものぼっている。
ちなみにアトムの貯金箱も、後年、ほかの銀行などが入れ替わり立ち替わり作っていて、ぼくが現物を確認したものだけでも以下の種類があった。東邦銀行、山口銀行、北海道銀行、北越銀行、近畿銀行、千葉興業銀行、ユニバーサル証券(現物を持ってないので画像はなし。スマン!!)。
口座開設から2年後、ぼくは自転車を買うために口座を解約した。当時、大和銀行は解約すると通帳を返さなければならず、手元には貯金箱だけが残った。
このアトム貯金箱は、ぼくが書いた本や雑誌の中で、過去に何度も出演してもらっている。そして現在は、友人の経営する「柴又のおもちゃ博物館」に出張中だ。
彼(=アトム貯金箱)は、今日もきっと博物館のガラスケースの中で、ほかのマスコット貯金箱たちと一緒に、訪れるお客さんたちの目を楽しませているだろう。もしかしたら「彼」は、現存するアトム貯金箱の中で、もっとも多くの人の目に触れた1体かも知れない。
たまに博物館へ行って「彼」と再会するとき、ぼくは、あのアトム史上最高のお正月を思い出す。『史上最大のロボット』が堂々の完結を果たした、その余韻にひたりながら、テレビの『鉄腕アトム』を食い入るように見たあのアトムな正月を──。
ガラスケースの中にひっそりとたたずむアトムくんの視線の先にも、きっと、そんな思い出の数々が浮かんでいるに違いない。
参考文献/『大和銀行六十年史』(大和銀行刊)
黒沢哲哉
1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番