虫ん坊 2010年1月号 トップ特集1特集2オススメデゴンス!コラム投稿編集後記

コラム:虫さんぽ 第11回:福島県会津若松(前編)・スリル博士と歩く初夏の会津

コラム:虫さんぽ 第11回:福島県会津若松(前編)・スリル博士と歩く初夏の会津

 今回の虫さんぽは、初めて関東を出て、福島県の会津若松市へやってきた! 会津は手塚治虫先生のお気に入りの土地であり、町のいたるところにその足跡が残されている。また、当時連載中だった『スリル博士』の舞台としても登場。これは見どころ満載な予感! さらに! 今回は意外なゲストも登場するぞ〜〜〜っ!!



◎会津には手塚先生ゆかりの地が山ほど!

 東京から電車で3時間、車なら高速で3時間半。会津若松市は福島県のほぼ真ん中に位置する盆地の町で、江戸時代は会津藩の城下町として栄えた。人口はおよそ13万人。町の真ん中に建つ鶴ヶ城や白虎隊ゆかりの地など、歴史的な名所が数多くあり、歴史ファンにはたまらない場所である。
 この地を手塚先生は過去に3度訪れている。そしてそのたびに地元の人たちの手厚い歓迎を受け、逆に先生からは、その人たちひとりひとりの心に忘れがたい思い出と、いくつもの心温まるエピソードを残していった。
 今回は、その3回の旅の中から、最初の旅にスポットを当てて歩きます。
 

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会津若松駅前には白虎隊の銅像が。だけど駅舎内のお城ボくんの方も見逃しちゃいかんぞ〜〜〜っ!!


◎「お城ボくん」のお出迎えで散歩スタート

 散歩の出発地点は会津若松駅。今回の散歩で案内をしてくださるのは、会津でマンガによる地域振興活動をされているNPO法人・会津マンガ文化研究会の皆さんだ。皆さん、お世話になりま〜す!!
 という挨拶もそこそこに、改札口の前でさっそく出迎えてくれたのが、会津若松市のご当地キャラクター「お城ボくん」である。この愛嬌あるキャラクターのデザインを手がけたのは、会津若松出身のアニメーション監督・笹川ひろしさん(74)だ。
 笹川さんは昭和32年、手塚先生の専属アシスタント第1号となり、3年後にマンガ家として独立。『鉄腕ベビー』などのヒット作を生んだが、昭和39年、アニメ製作会社・タツノコプロの設立に加わり、以後はアニメの世界で『タイムボカン』シリーズや『科学忍者隊ガッチャマン』などなど、数多くの傑作・名作を生み出している。
 そして、手塚先生がかつてここ会津を訪れる最初のきっかけを作ったのも、誰あろうこの笹川さんだった。
 今回の虫さんぽでは、イベントの講演で会津を訪れていた笹川さんにも、現地でお会いして、当時のお話をお聞きすることができた。それはまた後ほどご紹介します(引っ張るなァ……)。


◎虫さんぽに欠かせない情報発信基地

 ということで、まず最初に案内していただいたのは、七日町なのかまち通り沿いにある「会津冒険堂」というお店だ。ここは、会津マンガ文化研究会・理事長の佐久間庄司さくましょうじさんが個人経営している、マンガミュージアムと駄菓子のお店である。店内には昭和20〜40年代の懐かしいマンガが壁いっぱいに展示されており、手塚先生の貴重な単行本や笹川先生のマンガの生原稿なども!


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会津冒険堂。入場料おとな200円、子ども100円(ファミリーの場合、子ども無料)
営業時間10:00〜17:00(不定休)
※行かれる前に電話で確認を。佐久間庄司 080-6028-0242


 また、ここには虫さんぽに欠かせない観光パンフレットや、手塚先生と会津に関する資料が揃っているから、ここで情報収集をしてから散歩に出かけるのがオススメだ。


 

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店内には貴重なマンガがズラリ。ほとんどが会津漫画研究会・現会長の白井祥隆氏のコレクションから貸し出されたものだ

 

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会津冒険堂で入手できる虫さんぽのための資料。左から『会津若松冒険王』(子ども向けの学習観光ガイドだが、手塚治虫ゆかりの地についての解説も詳しい。500円)、『私たちの手塚治虫と会津』(手塚治虫が会津を訪れたときの詳細な記録や資料をまとめた本。会津を舞台にした『スリル博士』を雑誌連載当時のまま再録。2,000円)、『手塚治虫先生の歩いた想い出の会津コースについて』(手塚治虫ゆかりの地のイラストマップ。無料)


◎会津は招くよ、お仕事中に(?)

 続いて向かったのは、会津若松のランドマークである鶴ヶ城だ。
 もちろんこの鶴ヶ城も、今回の虫さんぽの重要な紹介ポイントのひとつなんだけど、それを紹介する前に……お待たせしました! 手塚先生が会津へ来た経緯について、笹川ひろしさんにお聞きいたします!!

 

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鶴ヶ城は現在リニューアル工事中で、完成は平成23年春とのこと。ここにもお城ボくんが飾られている(左下)


「手塚先生のアシスタントになる前、ぼくは地元会津で、会津漫画研究会(NPO法人の会津マンガ文化研究会とは別組織)というグループを作っていたんです。その後、手塚先生から誘われてアシスタントになりましたが、まだ人が足りないということで、ぼくが「会津にはもっと人がいます!」と言って仲間を紹介したんです」
 その結果、現在アニメ絵本作家として活躍している平田昭吾ひらたしょうご氏が会津からやってきて、手塚先生の専属アシスタント第2号となった。だから、当時の手塚先生の仕事場には会津弁が飛び交い、おふたりは、折に触れて手塚先生に会津の話をしていたという。
「そんな昭和34年の3月ごろですか、手塚先生が僕に、突然、会津へ行きたいと言い出されたんです」


 

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笹川ひろしさん。今回は、会津大学で開かれたイベント「会津エンジン05」で講演をするために会津を訪れていた

 

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笹川さんがマンガ家時代に発表した作品。左『少年テムジン』(「少年」昭和35年9月号ふろく)、右『鉄腕ベビー』(「少年画報」昭和35年4月号ふろく)


◎手塚先生、ついに会津へ!!

 それはちょうど日本初の少年週刊誌『少年サンデー』が創刊され、そこで手塚先生の『スリル博士』の連載が始まったばかりのときだった。本当は旅行どころか1分1秒たりとも暇などない時期だったのだが……、
 再び笹川さんのお話。
「それはもうスケジュールのやりくりが大変でしたよ。それに手塚先生が会津へ行かれたら、絶対ぼくらが誘ったと思われるでしょう。ああ、後で編集者たちから恨まれるな〜って(笑)。でも手塚先生は言い出したらきかない人ですし、ぼくらも先生にぜひ会津を見ていただきたかったので……」
 昭和34年4月3日、手塚先生は追いかけてくる締め切りを振り切り、笹川さんと平田さんを伴ってついに会津へとやってきたのだった。


◎旅先でも徹夜で仕事を、そして……!!

 このとき手塚先生は会津に一週間滞在し、会津漫画研究会のメンバーの案内で、観光地を巡ったり、地元のPTAや貸本屋さんを集めて座談会を開いたり、児童養護施設でマンガ教室を開いたり、毎日精力的に活動した。しかも、それらはすべて手塚先生が自から提案したことだったという。
 4日目の夜は、酒好きのメンバーが夜の町を案内して歩いた。宿へ戻ったのは午前2時。と、ここからが超人・手塚である。手塚先生は何とそれから机に向かい、朝までに『スリル博士』の1話分16ページを描き上げてしまったのだ!!
 そして後日、発売された『少年サンデー』を見て会津の人たちはさらに驚いた。掲載されたお話は、スリル博士とケン太が、会津若松の名所旧跡めいしょきゅうせきや観光地を縦横に走り回りながら、大活躍する物語だったのである。


 

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東山温泉の宿で徹夜で描いた『スリル博士』第4話「博士のノイローゼ」は、『週刊少年サンデー』昭和34年5月3日号に掲載された。この話に登場するスリル博士の弟は、当時、会津で手塚先生を案内した白井義夫氏がモデルだ(以下、ここに掲載した『スリル博士』は、すべて『私たちの手塚治虫と会津』より引用)


◎手塚先生の目はまるで写真機!?

 

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白黒写真に人工着色した昭和30年代の絵はがき。マンガに描かれたカットとほぼ同じアングルから見た鶴ヶ城の廊下橋

 

 鶴ヶ城も、もちろんマンガの舞台となっている。現在建っている天守閣てんしゅかくは昭和40年に復元されたもので、手塚先生が訪れた当時は石垣しかなかったが、その石垣がサスペンス仕立てのシーンで効果的に使われている。
 当時、手塚先生を案内した会津漫画研究会・初代会長の白井義夫しらいよしおさん(89)が、今もお元気で会津に暮らしている。その白井さんのお話。
「手塚先生は、町を歩いているときには、スケッチもメモも一切されないんです。なのにマンガを見てびっくりしました。鶴ヶ城も空中ケーブル(後出)も、まるで写真を見て描かれたんじゃないかと思うほど正確でしたからね」


◎スリル博士も食べた会津田楽のお店

 さて、ここからはちょっと距離があるので車に乗せていただいて移動する。市街地を抜けて背あぶり山方向へ7〜8分走ったところにあるのが「お秀茶屋おひでちゃや」という会津田楽のお店だ。
 創業は延宝えんぽう年間(1673〜1681年)で、現在は17代目のご主人がお店を守られている。そのお店の奥の柱に、額に入れて飾られているのが、手塚先生がここを訪れたときに描かれた色紙だ。ヒゲオヤジ(スリル博士)が、このお店の囲炉裏いろりの前で田楽でんがくさかなにおちょこを傾ける姿が実に気持ち良さそうで、これを描いたときの手塚先生の気分もさぞやと想像できる、心温まる色紙である。
 背あぶり山への行き帰りにちょっと立ち寄って休憩するのにオススメの場所です。


 

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お秀茶屋。会津田楽とは、餅や生揚げ、里芋、身欠きニシンみがきにしんなどを竹串に刺し、甘味噌を塗って炭火で焼いたもの。その歴史は戦国時代にまでさかのぼるという。営業時間午前10:00〜材料がなくなり次第終了(不定休)、問い合わせ:0242-27-5100

 

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昭和34年に手塚先生がここを訪れたときに描かれた色紙。今のご主人・佐藤竜太郎さん(57)によると、店内の雰囲気は50年前とほとんど変わっていないという


◎ケン太が空中ケーブルで大活劇を!!

 お秀茶屋の先からは、細い山道をぐんぐんと登っていく。そして到着したのが、背あぶり山の山頂に近い関白平かんぱくだいらという場所だ。
 手塚先生がここを訪れた当時は、ふもとの東山温泉からここまで「背あぶり山空中ケーブル」が通っていて、ケン太がそこで大アクションを展開するという、マンガの中の最大の見せ場となっていた場所だ。


 

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黒沢コレクションから発掘された、昭和30年代の背あぶり山空中ケーブルのパンフ。「新名所」とあるから開業当初(昭和31年)のものだろうか。当時の運賃は往復大人130円、こども65円(夏期)


 しかしあいにく、このケーブルは昭和60年に廃止され、現在では、当時の様子をしのぶものは何も残されていない。ただ、インターネットネット上の地図サイトで航空写真を見たら、森の奥に残された支柱と索道の痕跡こんせきがかすかに確認できた。ちょっとうれしい(笑)。


 

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背あぶり山の関白平からの眺望。散歩当日はあいにく雲が出ていた。正面のテレビ塔の右下あたりに、かつて空中ケーブルの関白平駅があったという。ここからさらに徒歩で30分ほど登ると『スリル博士』に描かれた見晴らし台に到達する

 

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昭和40年代ごろの背あぶり山空中ケーブルの絵はがき。この絶景! ぜひ乗ってみたかったなぁ


 

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空中で止まってしまったケーブルのゴンドラ内で急病人が発生、ケン太の活躍が始まるっ!! 講談社版全集では第20巻『スリル博士』で読める


◎手塚先生が泊まった部屋を再現!

 ふたたび山を下り、ふもとの温泉郷・東山温泉へ。当時、手塚先生が宿泊されたのは、この東山温泉の「原瀧はらたき」という旅館の別館すみれ館だった。今はそのすみれ館はもうないが、「旅籠芦名はたごあしな」という旅館に、手塚先生が宿泊された部屋をイメージした部屋が作られている。部屋の奥の小さな机にベレー帽と眼鏡、そして描きかけの『スリル博士』の生原画が……!! もちろん複製原画ですけどね(笑)。この部屋は実際に宿泊もできるので、マンガ家志望の人は、ぜひここに泊まって、この机で構想を練ってみるというのはいかがだろうか。もしかしたら大傑作が生まれるかも???!


 

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旅籠芦名に再現されている、手塚先生の宿泊された部屋「あられ」。1泊16,800円(2食付き1名)。2009年にテレビ東京の番組『出没!アド街ック天国』で会津若松が特集された際、宿で仕事をする手塚先生の再現映像にもこの部屋が使われた。「旅籠芦名」問い合わせ:0242-26-2841


 

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2009年7月に設置された東山温泉の案内看板。手塚先生のイラストや写真も掲載されていて、まさに虫さんぽ地図だ! 旅籠芦名のすぐ横にある

 

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今回の取材に全面協力してくださった会津の皆さん。左から白井祥隆さん、長谷川知久満さん、佐久間庄司さん、笹川ひろしさん、白井義夫さん


 さて、今回も内容盛りだくさんで駆け足になってしまったが、それでも紹介しきれていない手塚スポットがいくつもある!! ということで、それはまた会津編・後編として12月に公開する予定です。お楽しみにっ!!
 ではまた次回の散歩でお会いいたしましょう!!


(今回の虫さんぽ、4時間22分、3315歩)


取材協力/会津漫画研究会、笹川ひろし、NPO法人・会津マンガ文化研究会、白井義夫、佐久間庄司、長谷川知久満、白井祥隆、関昌邦、お秀茶屋、旅籠芦名(順不同)

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黒沢哲哉
1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番


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