今回の虫さんぽは、初めて関東を出て、福島県の会津若松市へやってきた! 会津は手塚治虫先生のお気に入りの土地であり、町のいたるところにその足跡が残されている。また、当時連載中だった『スリル博士』の舞台としても登場。これは見どころ満載な予感! さらに! 今回は意外なゲストも登場するぞ〜〜〜っ!!
散歩の出発地点は会津若松駅。今回の散歩で案内をしてくださるのは、会津でマンガによる地域振興活動をされているNPO法人・会津マンガ文化研究会の皆さんだ。皆さん、お世話になりま〜す!!
という挨拶もそこそこに、改札口の前でさっそく出迎えてくれたのが、会津若松市のご当地キャラクター「お城ボくん」である。この愛嬌あるキャラクターのデザインを手がけたのは、会津若松出身のアニメーション監督・笹川ひろしさん(74)だ。
笹川さんは昭和32年、手塚先生の専属アシスタント第1号となり、3年後にマンガ家として独立。『鉄腕ベビー』などのヒット作を生んだが、昭和39年、アニメ製作会社・タツノコプロの設立に加わり、以後はアニメの世界で『タイムボカン』シリーズや『科学忍者隊ガッチャマン』などなど、数多くの傑作・名作を生み出している。
そして、手塚先生がかつてここ会津を訪れる最初のきっかけを作ったのも、誰あろうこの笹川さんだった。
今回の虫さんぽでは、イベントの講演で会津を訪れていた笹川さんにも、現地でお会いして、当時のお話をお聞きすることができた。それはまた後ほどご紹介します(引っ張るなァ……)。
ということで、まず最初に案内していただいたのは、
また、ここには虫さんぽに欠かせない観光パンフレットや、手塚先生と会津に関する資料が揃っているから、ここで情報収集をしてから散歩に出かけるのがオススメだ。
続いて向かったのは、会津若松のランドマークである鶴ヶ城だ。
もちろんこの鶴ヶ城も、今回の虫さんぽの重要な紹介ポイントのひとつなんだけど、それを紹介する前に……お待たせしました! 手塚先生が会津へ来た経緯について、笹川ひろしさんにお聞きいたします!!
「手塚先生のアシスタントになる前、ぼくは地元会津で、会津漫画研究会(NPO法人の会津マンガ文化研究会とは別組織)というグループを作っていたんです。その後、手塚先生から誘われてアシスタントになりましたが、まだ人が足りないということで、ぼくが「会津にはもっと人がいます!」と言って仲間を紹介したんです」
その結果、現在アニメ絵本作家として活躍している
「そんな昭和34年の3月ごろですか、手塚先生が僕に、突然、会津へ行きたいと言い出されたんです」
それはちょうど日本初の少年週刊誌『少年サンデー』が創刊され、そこで手塚先生の『スリル博士』の連載が始まったばかりのときだった。本当は旅行どころか1分1秒たりとも暇などない時期だったのだが……、
再び笹川さんのお話。
「それはもうスケジュールのやりくりが大変でしたよ。それに手塚先生が会津へ行かれたら、絶対ぼくらが誘ったと思われるでしょう。ああ、後で編集者たちから恨まれるな〜って(笑)。でも手塚先生は言い出したらきかない人ですし、ぼくらも先生にぜひ会津を見ていただきたかったので……」
昭和34年4月3日、手塚先生は追いかけてくる締め切りを振り切り、笹川さんと平田さんを伴ってついに会津へとやってきたのだった。
このとき手塚先生は会津に一週間滞在し、会津漫画研究会のメンバーの案内で、観光地を巡ったり、地元のPTAや貸本屋さんを集めて座談会を開いたり、児童養護施設でマンガ教室を開いたり、毎日精力的に活動した。しかも、それらはすべて手塚先生が自から提案したことだったという。
4日目の夜は、酒好きのメンバーが夜の町を案内して歩いた。宿へ戻ったのは午前2時。と、ここからが超人・手塚である。手塚先生は何とそれから机に向かい、朝までに『スリル博士』の1話分16ページを描き上げてしまったのだ!!
そして後日、発売された『少年サンデー』を見て会津の人たちはさらに驚いた。掲載されたお話は、スリル博士とケン太が、会津若松の
鶴ヶ城も、もちろんマンガの舞台となっている。現在建っている
当時、手塚先生を案内した会津漫画研究会・初代会長の
「手塚先生は、町を歩いているときには、スケッチもメモも一切されないんです。なのにマンガを見てびっくりしました。鶴ヶ城も空中ケーブル(後出)も、まるで写真を見て描かれたんじゃないかと思うほど正確でしたからね」
さて、ここからはちょっと距離があるので車に乗せていただいて移動する。市街地を抜けて背あぶり山方向へ7〜8分走ったところにあるのが「
創業は
背あぶり山への行き帰りにちょっと立ち寄って休憩するのにオススメの場所です。
お秀茶屋の先からは、細い山道をぐんぐんと登っていく。そして到着したのが、背あぶり山の山頂に近い
手塚先生がここを訪れた当時は、ふもとの東山温泉からここまで「背あぶり山空中ケーブル」が通っていて、ケン太がそこで大アクションを展開するという、マンガの中の最大の見せ場となっていた場所だ。
しかしあいにく、このケーブルは昭和60年に廃止され、現在では、当時の様子をしのぶものは何も残されていない。ただ、インターネットネット上の地図サイトで航空写真を見たら、森の奥に残された支柱と索道の
ふたたび山を下り、ふもとの温泉郷・東山温泉へ。当時、手塚先生が宿泊されたのは、この東山温泉の「
さて、今回も内容盛りだくさんで駆け足になってしまったが、それでも紹介しきれていない手塚スポットがいくつもある!! ということで、それはまた会津編・後編として12月に公開する予定です。お楽しみにっ!!
ではまた次回の散歩でお会いいたしましょう!!
(今回の虫さんぽ、4時間22分、3315歩)
取材協力/会津漫画研究会、笹川ひろし、NPO法人・会津マンガ文化研究会、白井義夫、佐久間庄司、長谷川知久満、白井祥隆、関昌邦、お秀茶屋、旅籠芦名(順不同)
黒沢哲哉
1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番