今回の「あの日あの時」は、鉄腕アトムなど、手塚マンガの人気キャラクターと時代との関係を探ります! 鉄腕アトムやケン一など、手塚治虫は個性的なキャラを無数に生み出した。その柔軟で自由自在な発想には毎回驚かされる……わけだが! じつはその発想の根底には、時代との密接な関係があった!! 今回は、そんな手塚キャラ誕生の背景となった時代に迫る「あの日あの時」をお送りします。あなたの知らない手塚キャラと時代との関係が、いま明かされるっっ!!
「手塚マンガは時代を映す鏡である」という名言がある。たったいまぼくが言ったんだが。それにぼくが言わなくても誰かが言ってるだろう。
手塚マンガの中には、その作品が発表された当時の流行語や人気芸能人・政治家の似顔絵キャラなどがパロディネタとして随所に盛り込まれていることはよく知られている。
だからずっと後の時代に読むと、「そういえばこの時代はこんなCMが流行っていたんだっけ」なーんて思い出せるのも、手塚マンガの楽しみのひとつなのだ。
ただ、そうした時代の流行を描いたコマは、手塚自身が単行本化する際にバッサリとカットしてしまったりするので、幻のカットとなっている場合も多いのだが……。)
ということで今回は、手塚マンガのキャラクターに込められたその時代の流行と、手塚のキャラクターを生み出す発想の源について迫ってみよう。
まずは手塚キャラの代表といえば、やっぱりこの人(この子と言うべきか)! 10万馬力のパワーと7つの威力でマンガにアニメに大活躍した少年ロボットヒーロー・鉄腕アトムである!
『鉄腕アトム』の前身となったマンガ『アトム大使』が、雑誌『少年』で連載を開始したのは昭和26年4月号からだった。
それは手塚が初の描き下ろし単行本作品『新寶島』(育英出版)を発表してからわずか4年後のことであり、手塚がマンガ家としてやっと本格的な活動を始めたばかりのころだったのだ。
このころは現代と違い、漫画やアニメーションの情報なんてほとんどないころだった。そんな中で手塚が作品作りの参考書、あるいは発想の元ネタにしていたのは、戦前に刊行された田河水泡の漫画や、戦前に見たディズニーの短編アニメーション、海野十三などの空想科学小説、そして父がコレクションしていた新聞や雑誌に載っていたアメリカンコミックなどだった。
そんな戦後間もないころに生まれたアトムの造形には、やはり当時の“時代”が色濃く反映されているのだ。
まずはアトムの顔の最大の特徴である、あのピョコンと突き立った二本の“ツノ”のデザインから見てみよう。あれは手塚のエッセイによればツノではなく髪の毛だという。以下、その部分を引用してみる。
「アトムの頭に二本立っているのは、耳なのか角なのか、という質問がやたらにある。あれは耳でも角でもない、髪の毛がピンと立ったものだ。ぼくは髪の質が硬いので、風呂から上がってしばらくすると、両耳の上の毛が逆毛立つ。それをヒントにしたわけで(以下略)」(講談社版全集 第383巻『手塚治虫エッセイ集』第1巻より)
ここで思わずナットクしてしまうけど、このとがった2本の“髪の毛”の形には、もうひとつのルーツがあったのではないかという説がある。
それは手塚が、戦前から戦中にかけて夢中になって読んだという田河水泡の漫画『のらくろ』だ。
トランプのスペードマークのように、ヘリがゆるやかなカーブを描き、先端が鋭くとがったのらくろの黒い耳、そのイメージをそのまま引用したのがアトムの耳だったのではないかというのである。
こう指摘しているひとりが、マンガ家で現在はイラストレーターとして活躍する、しおざき・のぼる氏だ。
マンガ史に詳しい彼が『誕生!「手塚治虫」』という本の中で、のらくろの耳とアトムの“髪の毛”との共通性を鋭く指摘している。
ジッサイ絵を見ていただくとよく分るが、初期のころのアトムの“髪の毛”は、のらくろの耳と同様、走れば風になびいてしなやかに変形する、ふんわりと柔らかいイメージだったのだ。
ところが『アトム』の連載が続いてアトムのキャラクターが固まっていくにしたがい、あのピンと突き立った硬質なものへと変化していったのである。
また、しおざき氏は同じ本の中で田河水泡の漫画『人造人間』(昭和4年)の主人公である人造人間ガムゼーとアトムとの類似点についても触れている。
『人造人間』の主人公・ガムゼーは、怪力でまだ世間知らずなロボットだ。そのガムゼーの黒いパンツがアトムのパンツ姿のイメージと重なるというのである。
確かにベルト付きの黒いパンツはアトムによく似ています。
もう少しアトムのキャラクターデザインについてお付き合いください。アトムといえば、空を飛ぶときに片方の腕を前方にまっすぐ突き出して、もう一方の腕を脇に引きよせた、あの独特のポーズが思い浮かぶ。
このポーズにもルーツがあった。以下、手塚と小野耕世との対談から、手塚の言葉を引用してみよう。
「それから、スーパーマンの飛び方ね、あれ、アトムの飛び方とまったく同じ。つまり片方の手を上にあげて、もう一方を胸のところへやる。スーパーマンは、たいていそう飛んでいるでしょう。こうはならないんですね(両手を上にガッツポーズをして)。実際にアトムをこう飛ばしたんだけど、ちっともカッコよくないんだな、これが。相撲取りが土俵入りやってるみたいで(笑)。スーパーマンのように飛ぶと、流線形になって決まるんですね」(講談社版全集 第393巻『手塚治虫対談集』第3巻より。※初出は『月刊スーパーマン』1979年2月号)
また、これはぼくの見方だけど、1919年に生まれたアメリカのアニメキャラクター・猫のフィリックスからも手塚先生はインスパイアされたものがあったのではないだろうか。
それはアトムの“髪の毛”が額の真ん中でV字型になっているあの特徴的な部分についてである。この三角形の部分が猫のフィリックスの、両目がくっついた額のV字型部分とヒジョーによく似ていると思うのだ。
さて、アメリカのコミックとアニメといえば、アトムのみならず、初期の手塚キャラに与えた影響は、もうはかりしれないものがあった。
そのあたりについては、前出の小野耕世との対談において、手塚自身が惜しげもなくネタばらしをしているので紹介しよう。以下、カギカッコ内は同対談から引用した手塚の言葉である。
まずは『鉄腕アトム』にも出てくる下田(げた)警部について、
「あれは、しいていえばディック・トレーシーなんですよ」
『ディック・トレーシー』は1931年にアメリカで生まれたコミックヒーローだ。摩天楼ひしめく大都会を舞台に、トレンチコートにソフト帽をかぶったダンディな私服刑事ディック・トレーシーが活躍する作品で、1960年にはアニメ化され、その2年後には日本でもNET(現・テレビ朝日)系列で放送された。
1990年にはウォーレン・ビーティの監督・主演で実写映画化もされている。
ただし下田警部がデビューした手塚マンガは昭和31(1956)年に発表された『くろい宇宙線』だから、手塚がディック・トレーシーを参考にしていたとすれば、アニメではなくコミックを入手したかどこかで見ていたということになりますね。
また手塚は、ディック・トレーシーと同様、アメコミの『バットマン』に出てくる悪役ジョーカーからもインスパイアされて描いたキャラクターがあった。再び引用をどうぞ。
「ぼくはジョーカーが好きでね、初めて見たとき、なんでこれだけ色をぬってないのかなって思ったんです(笑)。(中略)アメリカのマンガで、ああいう淫靡(いんび)なやつっていなかったでしょ。(中略)やせて、黄金バットの陰性みたいなやつにはびっくりしたね。で、その影響で、『鉄腕アトム』のなかに、そっくりなやつが出てくる。(中略)“コウモリ伯爵の巻”の伯爵ですよ。似てるでしょ、ジョーカーに」
それに対して小野耕世が「なるほどね。気がつかなかった」と言うと、手塚はこう答えている。
「そりゃそうだよ。そのとき見ていいなって思ったやつが、記憶に残ってるのね。その印象で描くから、そのときはどこからとったかわからないわけ。あとで気がついたりしてね。これは『バットマン』だってね。」
これを聞くと、手塚治虫の記憶ファイルというものは実に複雑に重層的に整理されていて、そこから必要に応じてイメージが自由自在に引っぱり出せる様子がうかがえて興味深い。
手塚の記憶力の良さは有名だけど、こうした記憶の整理能力、応用力もまた抜群だったわけである。
さてここでもうひとつ。手塚ファンなら誰もが知っている人気キャラクター・ケン一についてもそのルーツを紹介しよう。じつは彼もまた、あるアメリカのアニメーションから影響を受けていたのである。
このことはなぜか今まであまり検証されて来なかったようだけど、今回、ぼくのとっておきのネタとして公開しちゃいます!
ケン一のモデルとなったのは、アメリカで1931年に第1作が発表され、その後、1940年代まで製作が続けられた『Scrappy(スクラッピー)』という短編アニメーションだった。
内容はスクラッピーという幼い少年とその弟のオッピー、そして仲間たちがくりひろげる日常のいたずらや愉快な失敗を描いたショートストーリーである。
このスクラッピーとケン一の関係について、手塚は『ケン一探偵長』のあとがきでこう述べている。
「ケン一というキャラクターは、「新宝島」でピート少年として初登場した、ぼくにとってはヒゲオヤジなどについで古い、おなじみなのです。
この子のモデルは、じつはアメリカの古いアニメ「ハピー」の主人公です。目がビー玉だったり、くつの感じなどからみても、このケン一はいかにもクラシックで、早晩、漫画ブームの中で消え去る運命だったのです。
でも、ぼくはケン一に愛着がありました。(中略)そして、一度だけ彼の名をタイトルにまでして、思いきり活躍させてやろうとしたのが「ケン1探偵長」です。」(講談社版全集 第135巻『ケン1探偵長』第2巻あとがきより)
手塚の文章では「ハピー」となっているが、これがスクラッピーであることは、絵柄を見ていただければ一目瞭然だろう。
最後にもう一つ、この時代の手塚キャラでアメコミがルーツの人物を紹介してこの時代の話題を終わりにしよう。
それは手塚の異色西部劇マンガ『サボテン君』だ。このマンガの主人公サボテンについて、手塚はエッセイにこう書いている。
「サボテンのモデルは、アル・カップというマンガ家の「リル・アブナー」というコミックがヒントだが、もちろん顔もスタイルも全然違う。ヌーボー的で、おっちょこちょいの性格だけをいただいたわけである」(講談社版全集 第389巻『手塚治虫エッセイ集』第3巻「西部劇マンガと私」より。※初出は筑摩書房刊『少年漫画劇場劇場 第8巻』1971年)
ぼく(黒沢)は『リル・アブナー』という作品を知らなかったのでちょっと検索してみたところ、1930年代に生まれたアメリカンコミックのキャラクターで、アメリカ本国では長く愛され、何度も実写映画化やアニメ化されている作品だそうである。
戦前から戦後にかけてのアメコミのキャラデザインが、昭和20年代の手塚キャラに多大な影響を与えていたことはこれまで紹介してきたとおりだけど、次に紹介するのは、別の意味でアメリカ生まれの手塚キャラである。
それは、キティちゃんのサンリオが発行していた雑誌『リリカ』に連載されていた『ユニコ』の主人公ユニコである。
手塚先生の文章を紹介しよう。
「ユニコというキャラクターはアメリカ生まれです。いや、アメリカ人が作ったわけではありません。
サンリオというファンシー商品の会社が、アニメの本格的な作品として、「メタモルフォセス」(後に『星のオルフェウス』と改題)という日米合作長編ものを手がけるために、ロサンゼルスにスタジオを開設したのです。
そこへ遊びにいった時、スタジオの一室でハッとユニコの姿が思いうかびました。
そこで紙をもらって、イメージが消えないうちにスケッチをしました。ユニコの誕生です」(講談社版全集 第286巻『ユニコ』第2巻あとがきより)
やはり手塚の発想には、アメリカ〜ンな刺激は重要な触媒となるようです。
さて、ここで話は一気に現代に戻る。この原稿の入稿直前、ぼくは非常にホットでタイムリーな極秘資料を入手した! それはこの5月22日に小学館クリエイティブから刊行される『手塚治虫デッサン集』の校正刷りだ。
といっても別にやましい手段で手に入れたものではない。いつも仕事でお世話になっている小クリ編集長の川村寛さんから「黒沢くん、これどこかで紹介してよ」と言ってコピーを託されたのだ。
この『手塚治虫デッサン集』は、手塚が作品を描く前に鉛筆で描いたキャラクターの下描きや、アニメを作る際にスタッフにイメージを伝えるために描いたキャラクターのスケッチなど、普段は決して表に出ることがないラフデッサンのみを集めた本である。
中には実際にマンガになったキャラとはまったく違うNGキャラの絵もあったりして、いわば手塚キャラの原型が詰まった貴重な資料になっている。
今回のように手塚キャラのルーツを研究しようなどという人には最高の資料になるだろう。
その『手塚治虫デッサン集』から一部を紹介しよう。たとえば『ふしぎなメルモ』の主人公・メルモちゃんのスケッチをごらんいただきたい。
メルモの髪型は前髪がパラリと何本か垂れ下がり、後頭部がピョコンと尖った形をしている。このラフスケッチでは、そのトンガリを右に出してみたり左に出してみたりしながら、見た目の感じをあれこれと確かめている様子がうかがえる。
そして何よりこのスケッチを見ると、鉄腕アトムの妹・ウランにかなり似ているように見えないだろうか。
完成したメルモのキャラはウランとはかなりかけ離れているが、このデッサン集の絵を見ると、じつはそのルーツがおよそ20年前に誕生したウランだったことがはっきりと分かるのだ。
『手塚治虫デッサン集』からもうひとつ紹介しよう。それは『七色いんこ』に登場する犬の玉サブローのスケッチだ。
まるで人間のような芝居をするこの犬についても、手塚があれこれと造形を迷っていた形跡がラフスケッチからうかがえて興味深い。耳の形やシッポの形など、あれこれ描いてみながら、少しずつイメージを固めていったんですなあ。
ところで玉サブローといえば鳥の翼のような切れ込みの入った耳が特徴的だけど、ぼくはこの耳のルーツは戦前の大城のぼるのマンガだったのではないかと考えている。
それは大城のぼるが昭和16年に発表した『愉快な鐵工所』というマンガに登場する犬のチビ公である。この雑種犬・チビ公の耳が、まさに玉サブローの耳と同様、鳥の翼のような形をしてるのだ。ウランとメルモの関係からすれば、手塚が数十年の時をへだてて大城のぼるの作品をふと思い出したとしても決して不思議はないだろう。
『手塚治虫デッサン集』にはほかにもいろいろな発見がありそうです。皆さんもぜひ手に取って宝探し感覚で読んでみてください。
今回も最後までおつきあいくださりありがとうございます。ぜひまた次回のコラムにもおつきあいくださいね〜〜〜〜っ!!