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虫ん坊 2014年10月号:手塚マンガ あの日あの時 第36回:手塚治虫の原作付きマンガを読む!!

虫ん坊 2014年10月号:手塚マンガ あの日あの時 第36回:手塚治虫の原作付きマンガを読む!!

 マンガ家には2種類のタイプがある。原作付きマンガを描くマンガ家と原作付きマンガを描かないマンガ家である。そんな中で手塚治虫は原作者を一切付けず、一貫してオリジナル作品を描いてきたマンガ家と思われがちである。だけどじつは手塚にも原作付きのマンガや、名作小説や戯曲から想を得た作品が意外にも多いのをご存知だろうか。今回はそうした、まとめて語られることのほとんどない手塚治虫の原作付きマンガを、原作本の貴重な書影などとともに振り返ります!!



◎手塚治虫のストーリー・テリングの原点!!

虫ん坊 2014年10月号:手塚マンガ あの日あの時 第36回:手塚治虫の原作付きマンガを読む!!

新潮社版世界文學全集『トンネル』(秦豊吉訳、昭和5年刊)。主人公マック・アランの妻の名前は「モオド」。手塚は、このモオドという名前を『吸血魔団』(1948年)の中でヒロインの名前として使用した

 手塚治虫が1977年に発表した「忘れられない本」と題したエッセイの中で彼はある一冊の本について、その魅力を熱く語っている。その本のタイトルは『トンネル』。ドイツ出身の作家ベルンハルト・ケラーマンが1913年に発表した冒険小説だ。以下、手塚のエッセイから引用しよう。
「ぼくの大河もの作品のストーリー・テリング、スケールをやたらひろげるスペクタクル志向の原点は、この『トンネル』である。
 戦時下の当時、欧米文学書がなかなか手に入りにくかったなかで、父の書棚にある『世界文学全集』は、またとない貴重品であったが、そのなかでも、『罪と罰』や『レ・ミゼラブル』などと並んで『トンネル』はぼくの心をもっともゆさぶった小説なのだった」(講談社版手塚治虫漫画全集別巻 397 『手塚治虫エッセイ集7』より。※初出は「朝日新聞」1977年5月16日付)


◎地球の中心への旅は……!!

虫ん坊 2014年10月号:手塚マンガ あの日あの時 第36回:手塚治虫の原作付きマンガを読む!!

1948年不二書房刊『地底国の怪人』。「トンネル」というタイトルは出版社から却下されてしまったが、欧文ではしっかり「TUNNEL」と入れている。※画像は「別冊太陽 手塚治虫マンガ大全」(1997年平凡社刊)より引用

 手塚がこのケラーマンの小説『トンネル』から強い影響を受けて戦後すぐに発表した作品が、1948年に大阪の不二書房から刊行された『地底国の怪人』だ。
 改造によって人間並みの言葉と知能を持ったウサギの耳男が、科学者の青年ジョンとともに、ジョンの発明した地球貫通列車に乗って、地球の中心へと旅立つ。
 耳男は、途中で出会う太古の動物の化石、金の鉱脈などに驚くが、地球の中心ではさらに想像を絶する冒険が待ち受けていた!
 手塚は当初このマンガのタイトルを『トンネル』にしたいと考えていたが、出版社側の強い要望によってやむなく改題されたという。



◎これが土木SF小説の傑作だ!!

虫ん坊 2014年10月号:手塚マンガ あの日あの時 第36回:手塚治虫の原作付きマンガを読む!!

『地底国の怪人』より。ジョンはウサギの耳男とともに、自ら発明した地球貫通列車で地球の中心を目指す!! 講談社版手塚全集『地底国の怪人』より

 手塚のマンガの方は講談社の文庫全集などでお読みいただくとして、ケラーマンの『トンネル』の内容をざっと紹介しよう。
『トンネル』の物語は喧噪渦巻くアメリカの大都会ニューヨークから始まる。そこで働く土木技師マック・アランにはある大きな野望があった。それは大西洋の海底にトンネルを掘り、そこに弾丸列車を走らせてアメリカとヨーロッパとの交通に革命を起こそうというものだ。
 アランは投資家たちを必死で口説いてまわり、やがてついにその夢が実現する。しかしようやく始まった工事は困難の連続だった。
 落盤事故、労働者たちの暴動、そしてアランが仕事に打ちこむ間に妻のモオドは、アランの親友ホッピイと恋仲になってしまうのだった。ああっ……!!


◎手塚治虫を夢中にさせたポイントは!!

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『地球トンネル』(1951-52年、学研『四年の学習』『五年の学習』連載)。手塚は「トンネル」というタイトルによほどこだわりがあったようで、後年『地底国の怪人』をリメイクした際、あらためて『地球トンネル』というタイトルを使っている。※画像は「別冊太陽 手塚治虫マンガ大全」(1997年平凡社刊)より引用

 エッセイの中で手塚は、この物語をこう評価している。
「まず荒唐無稽こうとうむけいで子どもじみたこのプロットを、ケラーマンは綿密な構成とたたみかけるような話術で、とにかく読ませてしまうのである。
 主人公がよき時代のアメリカを代表するような熱血漢で、それに大資本家が加担する。恋人や恋ガタキが現れるなどの構成は、戦前のハリウッド映画の骨組みそのままである。
 しかし、その甘さをおぎなってあまりあるのは、狂気のように突貫していくトンネル工事と、それに続く落盤と浸水の恐怖に充ちた描写である。そこでは主人公たちは影をひそめて、群衆が主導権を握り、パニックと自然の脅威のすさまじさが念を入れてえがかれる。(中略)
 ぼくがいかにこの通俗大衆小説から刺激を受けたかは、ぼくのごく初期の作品である『地底国の怪人』に地底列車を登場させ、『トンネル』の主人公たちの名前を、その後の作品でしきりに流用したことで察していただけよう」(前出「忘れられない本」より)


◎文学作品をマンガにしたい!

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新潮社版世界文學全集『ファウスト其他』(秦豊吉訳、昭和2年刊)。手塚はあるエッセイで、これらの海外文学を「アルス社の世界文学全集」で読んだと書いているが、当時アルス社からは同様の文学全集は出版されていなかった。さらに別のエッセイでは「『ファウスト』を秦豊吉の訳で読んだ」とも書いているので、当時手塚が読んだのは、この新潮社版だったと見て間違いないだろう

 手塚が若いころ、こうして海外文学と慣れ親しむことができたのは、前出のエッセイでも語られているように、父の書棚に並んでいた新潮社の『世界文学全集』によるものだった。
 戦時中、父が戦地へ行って不在の中、手塚は父の書棚から、これらの本を引っぱり出してきてはむさぼるように読んだ。
 そこに収録されていたのが、ゲーテの『ファウスト』やドストエフスキーの『罪と罰』だった。戦後、マンガ家になった手塚は、これらの小説のマンガ化に挑む。
 児童文学でもない小説をマンガ化するというのは、当時としてはかなり画期的で挑戦的な試みだった。手塚はそれを行った動機を後にこう振り返っている。
「ぼくは、青春時代に読んだ世界的な文学作品を、なんとかして当時の子どもたちに、漫画という手法を通じて紹介したいと思い、それらの作品(黒沢注:『ファウスト』や『罪と罰』のこと)をかきました。もちろん、子どもたちにひろく親しまれている『宝島』や『ルパン』などではなく、子どもたちには無縁な、また、おとなたちもあまり読み返したことの少ない文学を選んで、アレンジしてみようと思ったのです」(講談社版手塚治虫漫画全集 10 『罪と罰』あとがきより)


虫ん坊 2014年10月号:手塚マンガ あの日あの時 第36回:手塚治虫の原作付きマンガを読む!!

虫ん坊 2014年10月号:手塚マンガ あの日あの時 第36回:手塚治虫の原作付きマンガを読む!!

1950年不二書房刊『ファウスト』。悪魔の化けた黒犬がもろにディズニー的デザインなのが、ディズニーかぶれだった当時の手塚の画風を表している。※表紙画像は「別冊太陽 手塚治虫マンガ大全」(1997年平凡社刊)より引用



◎三十数回も読んだ『罪と罰』

虫ん坊 2014年10月号:手塚マンガ あの日あの時 第36回:手塚治虫の原作付きマンガを読む!!

1953年東光堂刊『罪と罰』。難解なロシア文学を、ギャグなども交えて子ども向けに分かりやすく翻案。名作文学のマンガ化という後の流行に先鞭を付けた大胆な試みだった。※画像は復刻版

 中でもロシアの文豪ドストエフスキーの長編『罪と罰』は、手塚が「常時学校へも携えていき、ついに三十数回読み返してしまった」と語るほどに熱中した小説だった。(『手塚治虫 ぼくのマンガ道』2008年新日本出版社刊より。※初出は1975年朝日新聞社刊『のびのび』に掲載のエッセイ)
 このドストエフスキーの『罪と罰』に手塚自身の解釈を加え、子ども向けに翻案してマンガ化した作品が1953年の『罪と罰』だ。


虫ん坊 2014年10月号:手塚マンガ あの日あの時 第36回:手塚治虫の原作付きマンガを読む!!

新潮社版世界文學全集『罪と罰』(中村白葉訳、昭和3年刊)(左)と、1968年に雑誌『COM』別冊付録として刊行された手塚治虫版『罪と罰』。並べてみると手塚版の表紙は、かつて手塚がむさぼり読んだという新潮社版全集のイメージを引用しているように見えなくもない?

 原作小説では、自分の犯した罪を娼婦ソーニャに告白した主人公ラスコールニコフは警察に自首をし、その後シベリア送りとなる。
 一方、手塚マンガ版『罪と罰』ではソーニャに罪を諭されたラスコルニコフが、革命で大混乱となった街のど真ん中で、自身の罪を大声で叫ぶという感動的なラストシーンとなっていた。
 この名場面は前回のコラムで紹介しているので、よろしければそちらも参照してください。

・手塚マンガあの日あの時 第35回:人、人、人がいっぱい! 手塚マンガ・モブシーンの秘密!!


◎名作文学をマンガ化する意味は……!?

 ところで、手塚がこうして名作小説を翻案してマンガ化した最初の作品は何だったのか? それは1948年に不二書房から刊行された『森の四剣士』である。これはグリム童話の『二人兄弟』をマンガ化したものだった。
 『森の四剣士』、『ファウスト』、『罪と罰』とそれぞれ読者に好評だったことから、手塚はもっと別の文学作品をマンガ化をしようとしたが、出版社に断られてしまい実現しなかったという。


虫ん坊 2014年10月号:手塚マンガ あの日あの時 第36回:手塚治虫の原作付きマンガを読む!!

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虫ん坊 2014年10月号:手塚マンガ あの日あの時 第36回:手塚治虫の原作付きマンガを読む!!

1948年不二書房刊『森の四劍士』。手塚治虫の初めての原作付きマンガ。前書きに「筋をすっかりかえて」「動物たちを主人公にした」とあるように、グリムの原作からはかなり逸脱している。※画像は2011年小学館クリエイティブ刊「手塚治虫初期名作 完全復刻BOX1」収録の復刻版より



 だが前出の『のびのび』に掲載されたエッセイの中で手塚が『罪と罰』とともに「世界文学全集のなかでも、感動がいまも残っている」作品として挙げたエドモン・ロスタンの戯曲『シラノ・ド・ベルジュラック』は、1953年に雑誌『少年画報』で、『快傑シラノ』という題名で連載を果たしている。


虫ん坊 2014年10月号:手塚マンガ あの日あの時 第36回:手塚治虫の原作付きマンガを読む!!

ロスタンの戯曲『シラノ・ド・ベルジュラック』が収録されている新潮社版世界文學全集『佛蘭西近代戯曲集』(長野隆、鈴木信太郎他訳、昭和3年刊)。手塚はこの作品を読んだ当時の感想を、後年こう述べている「『シラノ』は、あの大時代的な感傷が気に入って、そのセリフをそらんじたくらいだった。だいたいぼくはリアリズムに徹したドラマよりもロマンを好む。きざっぽく、俗っぽく、人間的なこの中世ものは、当時のギスギスした感情からの格好の逃避剤になった」(『手塚治虫 ぼくのマンガ道』2008年新日本出版社刊より。※初出は1975年朝日新聞社刊『のびのび』)

虫ん坊 2014年10月号:手塚マンガ あの日あの時 第36回:手塚治虫の原作付きマンガを読む!!

1953年、雑誌『少年画報』に連載された『快傑シラノ』。手塚はレッド公にシラノを演じさせ、意気込んで連載を開始したのだが、多忙のため惜しくも未完となった。※画像は「別冊太陽 手塚治虫マンガ大全」(1997年平凡社刊)より引用


◎古典SFをあえてマンガ化する!!

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ハヤカワSFシリーズ『月世界最初の人間』(白木茂訳、1967年早川書房刊)。月面の描写や月人の襲撃などイマジネーションの豊かさはまるで古さを感じさせず、いま読んでもワクワクする

 ほかに手塚が海外の名作文学を翻案した作品としては、シェイクスピアの戯曲を元にマンガ化した『ベニスの商人』(1959年)や、H・G・ウェルズのSF小説『月世界最初の人間』をマンガ化した『月世界の人間』(1972年)がある。
『月世界の人間』はアポロが月着陸を果たした3年後の1972年、潮出版社の雑誌『希望の友』に掲載された読み切り作品だ。
 アポロが月に降り立った後に、なぜ手塚がこの古典SF小説をわざわざマンガ化しようと思い立ったのかは謎だけど、長編である原作の見所を巧みに切り取り短編にまとめ上げていることからも、手塚がこの原作をそうとう読み込んでいる様子がうかがえる。
 ちなみにこのウェルズの『月世界最初の人間』に、月世界に昼が訪れると凍っていた大気が溶けて一斉に気化し、巨大な植物が繁殖を始めるという描写があるが、このアイデアは『鉄腕アトム』「イワンのバカの巻」(1959年)でも引用されている。


虫ん坊 2014年10月号:手塚マンガ あの日あの時 第36回:手塚治虫の原作付きマンガを読む!!

虫ん坊 2014年10月号:手塚マンガ あの日あの時 第36回:手塚治虫の原作付きマンガを読む!!

手塚版『ベニスの商人』(1959年『中学一年コース』掲載)。学生時代、劇団に所属して役者をやっていたこともある手塚にはシェイクスピア作品も身近な存在だったようで、後年『ロミオとジュリエット』をヒントに『鉄腕アトム』「ロビオとロビエットの巻」(1965年)なども描いている。※表紙画像は「別冊太陽 手塚治虫マンガ大全」(1997年平凡社刊)より引用


虫ん坊 2014年10月号:手塚マンガ あの日あの時 第36回:手塚治虫の原作付きマンガを読む!!

虫ん坊 2014年10月号:手塚マンガ あの日あの時 第36回:手塚治虫の原作付きマンガを読む!!

手塚版『月世界の人間』(1972年『希望の友』掲載)。ラストには手塚アレンジによる意外なオチが待っている!? ※表紙画像は「別冊太陽 手塚治虫マンガ大全」(1997年平凡社刊)より引用



◎そして再び『ファウスト』に挑戦!!

 一方『ファウスト』は、最初のマンガ化から38年後の1988年、手塚は構想も新たに『ネオ・ファウスト』として再びマンガ化を試みている。
 この作品は手塚が亡くなったことで残念ながら未完となってしまったが、メフィストを女性にしたり、ゲーテが書く以前のファウスト伝説にまでさかのぼってエンディングを構想するなど、かなり意欲に満ちた作品だった。
 その、マンガとしては描かれなかった構想を語っている当時の手塚の言葉を紹介しよう。
「もともとファウスト伝説というのは最後地獄に落ちたとこで終わりますが、ゲーテによって初めて天国へつれていかれます。いわゆるもとからあるプレ・ファウストというんですが、ファウストの伝説のほうに近づけようと思っています。そうするとたいへんカタストロフィーで終わってしまいますので、そこらへんどうしようかなあと…。下手にかくとそこでまったく夢も希望もない未来の破滅というところで結末ついてしまう。そこらへんファウストはなんで満足するのかと考えているんです」(講談社版手塚治虫漫画全集 369 『ネオ・ファウスト』第2巻「あとがきにかえて」より。※初出は1988年9月、朝日カルチャーセンターの講演)


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『ネオ・ファウスト』の最初の単行本(1989年朝日新聞社刊)。巻末には手塚治虫の長男・手塚眞氏のエッセイも収録されている

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『ネオ・ファウスト』より。絶筆とは思えないほどの筆力でラストページまで一気に読ませる。未完であることがかえすがえすも残念でならない



◎手塚流『丹下左膳』に意気込む!!

 ここまで海外文学を原作として手塚がマンガ化した作品を振り返ってきたが、手塚は日本の小説もわずかながらマンガ化している。
 そのひとつが1954年、集英社の雑誌『おもしろブック』別冊付録として描かれた林不忘原作の『丹下左膳』である。
 原作はご存知、隻眼隻腕の風貌怪異な謎の剣士・丹下左膳が活躍する時代小説で、戦前は大河内傳次郎主演で映画化されて大ヒットした。
 手塚がこの小説をマンガ化することになったのは、当時の『おもしろブック』編集長・長野規氏のリクエストがあったからだ。しかし手塚は当初、あまり乗り気ではなかったようだ。
「せめて『大菩薩峠』か『宮本武蔵』ぐらいくれればよかったのに‥‥。(中略)
 丹下左膳といえば、フランケンシュタインの怪物に比するべき怪人の印象でした(げんに原作でも化け物あつかいされています)。
 こんなものをかいたら、手塚治虫の作品イメージがすっかり変わってしまうのでは‥‥と気になりました」(講談社版手塚治虫漫画全集 68 『丹下左膳』あとがきより)などと愚痴っている。
 だが“もらったものはなんでもこなそうとする職人気質”から、手塚はすぐにそのネガティブな気持ちを180度反転させる。
「『こうなりゃ、手塚治虫の丹下左膳てものをつくってやろうか。今までのどぎつい丹下左膳のイメージをかえて、サラリと軽快でしゃれた喜劇にしてしまったらどうだ?』
 ──いうなれば、フランス映画風丹下左膳。
 そうなると、むやみにイメージがわいてきました。
『やってみましょう。』」(前出『丹下左膳』あとがきより)
 こうして手塚流にアレンジされた丹下左膳が誕生したのである。


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手塚版『丹下左膳』(1954年『おもしろブック』付録)。単行本収録の際にカットされた前書きには、手塚の「自分流丹下左膳を描くぞ!」という意気込みがにじみ出ている。※画像は復刻版



◎実験的な表現で宮沢賢治作品に挑戦!!

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手塚治虫の『やまなし』が収録された潮出版社の雑誌『コミック トム』1985年5月号(左)。巻頭では「科学万博つくば'85」の特集が組まれている。

 そしてもうひとつ、手塚は1985年、宮沢賢治の短編小説『やまなし』を読み切り短編としてマンガ化している。
 これは当時、潮出版社の雑誌『コミック トム』誌上において、人気作家の競作という形で不定期連載されていた「宮沢賢治漫画館」シリーズのひとつとして描かれた作品だ。
 この原作をマンガ化するにあたって手塚は、マンガのページを上段と下段に分け、上と下でそれぞれ別の物語が進行するという大胆な構成を取っている。


虫ん坊 2014年10月号:手塚マンガ あの日あの時 第36回:手塚治虫の原作付きマンガを読む!!

黒沢コレクションより、南部鉄製の宮城県土産2点をご紹介。宮沢賢治の有名な写真を立体化したペン立て(左)と、「雨ニモマケズ」の詩がしたためられたノートをイメージした文鎮

 作品の時代を戦時中とし、上段では賢治の『やまなし』を子どもらが舞台でお芝居として上演する物語が展開。そして下段では、今まさにその村で起きている出来事が描かれる。
 上段と下段がお互いに影響し合い、微妙にシンクロしながら展開していくストーリーは、さながら前衛的な実験演劇のようだ。
 このとき手塚がなぜ『やまなし』を原作として選んだのかはどこでも語っておらず不明だが、手塚はあるエッセイの中で宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の映像的な描写を高く評価していた。
『やまなし』もまた『銀河鉄道の夜』と同様に生き物の生と死を扱った作品であり、非常に映像的でリリカルな詩情に富んでいる。なので恐らくそんなところからこの作品を選んだのではないだろうか。


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手塚版『やまなし』のトビラ絵。ロゴも手塚自身によるものだろう。こうしたトビラ絵にも味があるのに単行本収録の際にはカットされてしまうのがもったいない

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手塚版『やまなし』の本編は、ページの上段と下段それぞれで2つのドラマが同時進行していく



◎ノンフィクションをマンガ化!!

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岩波文庫版『日本渡航記』(井上満訳、昭和16年刊)。ゴンチャロフを乗せたパルラダ号は香港から日本へ向けて出航。まず小笠原諸島へ上陸したのち長崎に寄港した

 さて最後に紹介するのは、手塚のノンフィクション分野での原作付き作品群である。
 厳密に言うと原作付きと言うよりはノンフィクションとして世に出た文学作品から想を得て手塚が独自に描いたマンガ群と言った方がいいかも知れないが、じつはこうした作品、意外に多いのだ。
 そんな手塚のノンフィクション系の最初の作品と言えるのが、1952年に雑誌『少年画報』の別冊付録として発表された『ピストルをあたまにのせた人びと』だ。
 これは嘉永6年(1853年)にロシアのフリゲート艦パルラダ号に乗って日本を訪れたプチャーチン提督の秘書官ゴンチャロフの書いた航海記『フリゲート艦パルラダ号』を元にしている。同書は日本では戦時中の昭和16年にその抄訳である『日本渡航記』として岩波文庫で刊行されていて、手塚もこの版で読んだに違いない。
 この本を元にマンガを描こうと思った動機を、手塚は後にこう述べている。
「日本訪問のくだりで、外国人、それもはじめて日本人を見た人たちの印象記としてはきわめておもしろく、示唆に富んでいて、変わった幕末ものになるだろうと感じたのです」(講談社版手塚全集『丹下左膳』あとがきより)


◎外国人が見た不思議な日本人

 作品タイトルになっている「ピストルをあたまにのせた人」というのは外国人から見た武士のチョンマゲのことで、元ネタとなった『日本渡航記』にもきっとその記述があるんだろうと思っていたんだけど、つい最近入手した同書にはその記述はなかった。どうやらこの表現は手塚のオリジナルだったようですね。
 ただチョンマゲを初めて見たゴンチャロフの描写もなかなかユニークで面白いので引用しよう。
「頭は顔と同じやうにすつかり剃つてあるが、後頭部の毛髪だけを上に取上げて、切り取つたやうな細く短い髷に結ひ上げて、腦天にしつかりと横たへてある。こんな珍妙醜怪な髪形に一體どれだけ氣を使つてゐることだろう!」(『日本渡航記』1941年岩波書店刊、井上満訳より)
 またもう少し読み進めると、ゴンチャロフは日本人(の武士)が帽子をかぶらず、剃った頭が直射日光にさらされていることもかなり気になっていたようで、こんな一文を書いている。
「時々數人の人間を乗せた小舟が通ることがある。太陽がその人々の頭をまともにやきつけるのは、見た目にも氣持ちがよい。日光はどこかの塔の金色の丸屋根に當つたやうに、剃りこんだつるつるの腦天に踊り、その一つ一つの頭に陽が一點となつて燃えてゐる。この日光の下にこんな風に散歩をして、どうして死なずに居られるか(中略)と思ふ程である」(前出『日本渡航記』より)


虫ん坊 2014年10月号:手塚マンガ あの日あの時 第36回:手塚治虫の原作付きマンガを読む!!

虫ん坊 2014年10月号:手塚マンガ あの日あの時 第36回:手塚治虫の原作付きマンガを読む!!

『ピストルをあたまにのせた人びと』(1952年『少年画報』別冊付録)。極東の島国日本は西洋人にとっては神秘の国だった!? ※表紙画像は復刻版



◎連続殺人鬼の記録、原典はどこに!?

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やっと見つけた『ペーター・キュルテンの記録』の元ネタ本! 『家の神』(文:鶴見俊輔、写真:安達浩、1972年淡交社刊)。民俗学的見地から日本の“家”“家族”“信仰”を読み解いた本。閉鎖的なムラ社会の中で自分の居場所を見つけられなかった混血児の少年が連続強姦殺人魔となってしまった。そのエピソードを語る流れの中でペーター・キュルテンが紹介されている

 1973年、雑誌『漫画サンデー』に発表された読み切り『ペーター・キュルテンの記録』は、20世紀初頭のドイツに実在した連続殺人鬼を主人公に描いたノンフィクションマンガである。
 この作品の最終ページには「このテキストは鶴見俊輔氏の著書によるものである」と書かれていて鶴見氏の本を参考にしたことが明記されているのだが、本の名前は書かれておらず、ぼくにはその出典がずっと不明だった。
 鶴見氏の著書には、ぼくが知る限りではペーター・キュルテンを主題として扱ったものはないのだが……。
 と、つい最近、それをやっと発見したので紹介いたしましょう。それは1972年に淡交社から刊行された『家の神』という本だ。
 これは日本人にとって“家”とは何か、それを土着の神や民間信仰などの考察を織り交ぜながら取材し記録した本だ。その日本人を掘り下げたこの本の中で、1960年代に連続強姦殺人を犯した少年の記述と絡めてペーター・キュルテンの生い立ちと事件経過がおよそ8ページにわたって詳しく紹介されていたのである。いやー、まさか日本をテーマにした本の中に書かれていたとは。こいつはお釈迦様でも見つからないですよね!?


虫ん坊 2014年10月号:手塚マンガ あの日あの時 第36回:手塚治虫の原作付きマンガを読む!!

虫ん坊 2014年10月号:手塚マンガ あの日あの時 第36回:手塚治虫の原作付きマンガを読む!!

手塚治虫『ペーター・キュルテンの記録』(1973年『漫画サンデー』増刊号掲載)より。かつて夫を殺してしまった女性が、ひとりの男と知り合った。男は女性の全てを知った上で結婚を申し出る。だがその男の正体は連続強姦殺人魔だったのだ!!



◎ロックが研究熱心な大学教授を熱演!!

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『イシ ─北米最後の野生インディアン─』(行方昭夫訳、1970年岩波書店刊)。石器時代そのままの暮しをしていたアメリカ先住民が現代に現れた! 刊行当時はかなり話題になった本だった

 続いてその2年後の1975年、週刊少年サンデーの増刊号に発表されたのが『原人イシの物語』だ。
 アメリカ先住民ヤヒ族のイシは1911年、サクラメント郊外を、衰弱してたったひとりさまよっているところを保護された。文明と隔絶された原始生活を送ってきたイシは人類学者アルフレッド・L・クローバー教授の元に引き取られ、1916年3月に亡くなった。
 そのクローバーの妻シオドーラ・クローバーが1961年に著したのが『イシ ─北米最後の野生インディアン─』であり、日本では1970年に行方昭夫の訳で岩波書店から刊行された。


虫ん坊 2014年10月号:手塚マンガ あの日あの時 第36回:手塚治虫の原作付きマンガを読む!!

手塚の『原人イシの物語』が掲載された『少年サンデー』1975年10月増刊号。「巨匠手塚治虫の100ページ」と題して描き下ろし『原人イシの物語』のほかに短編『ガラスの脳』を再録。ほかに永島慎二による『ぼくの手塚治虫先生』も掲載されている

 この物語も、手塚がなぜこのタイミングでマンガ化しようと思い立ったのかは不明だけど、ちょうどこのころマンガ界では劇画が台頭し、史実や事実をベースにしたノンフィクションマンガがもてはやされていた時代だったから、手塚もその流れに乗ったのかも知れない。
 手塚のマンガでは、クローバー教授と共にイシの調査に当たった実在の人物トマス・T・ウォーターマン教授をロックが演じ、イシを単なる研究対象としか見ないドライな学者の役を好演している。


虫ん坊 2014年10月号:手塚マンガ あの日あの時 第36回:手塚治虫の原作付きマンガを読む!!

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手塚治虫『原人イシの物語』より、印象的なプロローグ場面。原作の学術書的な内容が、登場人物にロックを加えたことで一気にエンタテインメント化した!



◎火山活動を記録した市井の研究者!!

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『昭和新山物語』(1974年誠文堂新光社刊)昭和新山の誕生を観測し続けた三松正夫の著書

 いよいよ今回紹介する最後の作品となる。1979年に雑誌『ビッグゴールド』に発表された読み切り『火の山』は、北海道有珠郡で郵便局長として働きながら、昭和新山の誕生から生育までをつぶさに記録した三松正夫の伝記をマンガ化したものだ。
 ただしこれは書籍として刊行された自伝や伝記を元に描かれたものではなく、手塚は編集者と共に北海道へおもむき、昭和新山資料館などに取材して書かれた作品だ。
 なのでこれまで紹介してきた作品とは若干おもむきが異なるが、ノンフィクションということで共通するものがあるのであえて紹介しちゃいますね。
 三松正夫は1888年北海道に生まれ、有珠郡壮瞥の郵便局長として働いていたが、戦時中の昭和18年(1943年)、有珠山の昭和火山 活動に遭遇する。
 北海道の過酷な自然をこよなく愛していた三松は、誰から強制されたわけでもなく、ただひとり使命感に燃えてその火山活動をつぶさに記録し始めた。戦後は山が荒らされることを心配して私財をなげう ち、その土地を買い取って保護に努めた。
 マンガの中では、手塚は井上昭和あきかずという、盗みやスリを繰り返してばかりいる架空の男を登場させて、物語に立体感を持たせている。
 最初は三松に迷惑をかけてばかりいた井上だったが、三松の情熱に感化され、次第に彼の重要な助手となっていくのである。


◎比較して読むとまた新たな発見が……!!

 さて、手塚治虫の原作付きマンガを振り返ってきた今回の「あの日あの時」いかがだったでしょう。
 現在ではなかなか原作が入手しにくい作品もありますが、機会があればぜひ 原作と手塚マンガとを読みくらべてみてはいかがでしょう。
 手塚がそれらの作品のどこに心を動かされ、それをどうマンガ化したいと思ったのか。原作のどんなメッセージをマンガの読者に伝えたかったのか……。
 そんなことを考えていくと、手塚治虫の創作の秘密がまたひとつ明らかになってくるのではないでしょうか。
 ではまた次回のコラムでお会いいたしましょう!!


虫ん坊 2014年10月号:手塚マンガ あの日あの時 第36回:手塚治虫の原作付きマンガを読む!!

虫ん坊 2014年10月号:手塚マンガ あの日あの時 第36回:手塚治虫の原作付きマンガを読む!!

三松正夫の生涯を描いた手塚治虫の『火の山』。リアリティあふれる風景描写には現地取材の成果が存分に生かされている。※画像は講談社版手塚治虫漫画全集より


取材協力/福元一義(敬称略)



黒沢哲哉

 1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番


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