前回に続いて今回もグルメな手塚マンガ特集です。ただし手塚マンガに登場する食べ物は前回のような美味しいごちそうばかりではありません。今回は登場人物が目を白黒させてひっくり返るようなまずい料理、下手物料理の数々を集めてみました。あなたはこの料理を出されたら食べますか、それともごめんなさいしますか? 今回のコラムはお食事中に読むのをくれぐれもお控えください。
手塚治虫が美味しい料理には目がなかったというのは前回コラムで紹介した通りである。
だけど手塚先生の場合、例えば高級食材にこだわる超一流の名店ばかりへ足を運ぶとか、化学調味料やジャンクフードを完全に否定するとか、そういった偉ぶった“美食家”ではまったくなかった。
虫さんぽで手塚先生の訪れた場所を訪ねると、その土地の人たちはみな、出した料理を手塚先生が喜んで食べてくれたという話をする。食べ物の好き嫌いがあったという話もまったく聞いたことがない。
NHKで1986年に放送されたNHK特集『手塚治虫・創作の秘密』では仕事場に固定されたカメラの前で、左手に持ったコンビニおにぎりをかじりながら、右手で一心不乱にペンを走らせている手塚先生の姿に、多くの若いマンガ家が衝撃を受けた。マンガの神様がコンビニおにぎりを食べながらマンガを描いている。食事の時くらい手を休めてもっといいものを食べればいいのに。当時、ぼくの友人の若いマンガ家たちは口々にそう言っていた。
手塚先生にとって、仕事中はエネルギー補給さえできれば食べ物は何でもかまわなかったのだ。
手塚の美味しいものへのこだわりと、それと相反するような“何でも食べる”という食に対する幅広さ。じつはこれは手塚だけでなく戦中戦後の食糧難の時代を生きた日本人に共通するものだ。
食べられるときに食べておく。出されたものは残さず食べる。好き嫌いを言わない。当時を生きた人々は、これらを教育として学んだわけではなく、生きるための術として否応なく身につけていたのだ。
手塚がマンガの中に出す食べ物が、決しておいしいものだけではなく、どうにも食べられないようなまずいものがたびたび描かれるのも、かつての強烈な飢餓体験が根強く影響しているのだろう。
1950〜60年代初期の作品には、そうした食べ物にこだわる場面が特によく出てくるが、1961年から63年にかけて雑誌『日の丸』に連載された『ナンバー7』の中にもそんなエピソードがある。
100年後の未来、荒廃した地球へ生物の調査に向かった主人公・ナンバー7こと大島七郎ら地球防衛隊のメンバー。やがて食事の時間になり、食事当番から美味しそうなすき焼きが振る舞われるのだが……。
食事に対する期待値の高さとそれを口にしたときの味のギャップ。そんなことを実体験として幾度となく味わっていたであろう読者にとって、これは単なるギャグではなく、大いに共感できる場面だったに違いない。
手塚マンガの中でまずい料理を作る名人と言えば筆頭に挙がるのが『ブラック・ジャック』のピノコだ。
ピノコが初登場したのは1974年2月に発表された第12話『奇形嚢腫』だ。さる高貴な女性の体内から18年ぶりに摘出された双子の片割れは、ブラック・ジャックによって人工の皮膚と骨格が与えられ、あらためてこの世に生を受けた。ピノコと名付けられた彼女は、実年齢(母親から生まれた年齢)は18歳だが見た目もしゃべり方もどうみても5〜6歳の幼女である。
B・Jとともに暮らすことになったピノコは、料理・洗濯などB・Jの日常の世話をかいがいしくするのだが、全体的に大雑把な性格で特に料理は大の苦手だ。
ピノコ誕生のエピソードに続く第13話『ピノコ愛してる』では、6時間も焼いて完全に炭化した真っ黒なパンをB・Jに差し出し、包丁を突き付けて、食べないとノドを掻き切ると脅す。
尋常じゃないほどホラーすぎる彼女だけど、その根底には自分を救ってくれたB・Jへの感謝の思いと深い愛情があることが読むにつれて分かってくる。
『ブラック・ジャック』第116話「ハッスルピノコ」では、ピノコはB・Jの朝食にソース入りの味噌汁を出している。B・Jは「おまえまたみそ汁ん中にソースをいれたなっ」と言っているからこれが初めてではないらしい。
だけど読み進めていくと、このエピソードでも、彼女は彼女なりにB・Jの役に立ちたいとがんばっているという、そのいじらしい思いがだんだんと見えてくる。
ピノコの作ったまずい料理は、じつはふたりの絆を媒介する薬味として絶妙な味わいを加味しているのだ。『ブラック・ジャック』を読んでいてピノコのまずい料理が出てくるエピソードがあったら、それは間違いなく傑作と言っていいでしょう。
1978年から79年にかけて『週刊少年マガジン』に連載された『未来人カオス』にも、ピノコと良く似た大雑把な性格で料理が苦手な少女・由利アンヌが登場している。彼女はじつは本物の人間である由利アンヌの細胞から作られたクローン人間で、いささか本物の人間の感覚とはズレている。
そんな彼女が主人公・須波光二のために超能力で作ったのが、どこかの惑星の郷土料理だという、膨張するパン生地のような鍋料理(?)だった。
こうしてドタバタギャグ的に始まった物語であるが、こうしたアンヌの粗忽な性格が災いし、大郷はやがて想像もつかない運命の嵐の中へ巻き込まれてゆくことになる。手塚マンガの中では、料理が苦手だといって笑ってばかりもいられないのである。
『未来人カオス』の10年前の1968年に『週刊少年キング』に連載されたSFマンガ『ノーマン』には、戦士の訓練の一環としてまずい料理を無理矢理食べさせられるという場面が登場する。
5億年前の月を舞台に異星人との戦いに備えて訓練に明け暮れるノーマン・レインジャーの面々。そこへ新たに加わった中条タクら新人隊員の目の前に美味しそうなごちそうが差し出される。ところがそれをひと切れ口へ運んだところ、あまりのまずさに思わず吐き出してしまう。
先輩隊員のメルスは「これも訓練であり残したやつには罰を与える」と冷酷に言い放つ。
じつはこのエピソードには元ネタになっていると思われる手塚自身の体験がある。以下『ノーマン』連載の3年前に発表されたエッセイからの引用だ。
「ぼくのたのしみは、旅行先でその地方の名物やらお国料理を、かたっぱしからたべ歩くことです。そういう点からいって、アメリカには、閉口しました。なにしろ、なにもかもまずいんです。肉なんか大味で、悪くいえばクツをかんでるみたい。そのうえ生焼けが多いんで、中が赤くって、血なまぐさくって、どうもいけません。『ベリー・ウェルダン(よく焼いてください)』とたのむと、コックやボーイがギョロリとにらみます。生焼けの肉をたべられないなんて、男じゃないと思っているのです。料理を残してもギョロリとにらみます。これは『まずいから残した』という、コックに対して、ブジョクになるからです。たべないで出ようとすると、下町のキッチンなんかでは、お皿を指さして、『まだ残ってる!』というような身ぶりをするところもあります。仕方ないから、まずい肉をごってり(ほんとに山盛りなんです)盛り上げた皿を、ゲーゲーいいながらつめこみました」
(講談社版手塚治虫漫画全集『手塚治虫エッセイ集4』「ボクの旅行記(1)」より。※初出は『鉄腕アトムクラブ』1965年12月号)
文化と食習慣の違いから、口に合わない山盛りの肉を無理矢理食べなければいけなかったこの体験は、まさに先の『ノーマン』のエピソードに直結しているとみていいだろう。
昆虫ヒーローが主人公のマンガ『ミクロイドS』では主人公のヤンマたち3匹がうっかりジャムパンの上に乗ってしまい、人間に食べられそうになるというエピソードがある。
迫りくる男の巨大な口が妙に生々しいが、じつはこれも子供のころ昆虫採集に夢中になっていた手塚が、かつて昆虫を食べた経験がこの描写のベースとなっているのではないか。
以下、再び手塚のエッセイから引用しよう。
「カイコの
カイコの蛹はカロリー満点の食料で、製糸工場の女工さんたちは、当時、これでけっこう栄養を補充していたというので、さらにそれを天然からとろうというわけ。
なにはともあれアルコールで景気をつけたあと、しょう油みりんで照り焼きにした蛹がくばられた。二、三日に前に能勢の山からとってきたものである。
みんな青い顔して、湯気の立った蛹をかじっていたら、とたんに声あり、『うわーっ、こいつ、もう中で蛾になってやがる!』幸い、私のではなかった。味は、さしあたりイナゴを一段と青臭くしたようなもの、だが、口から鱗粉をぬきだした、運の悪い男を見なければ、さして敬遠すべき代物でもない」
(講談社版手塚治虫漫画全集『手塚治虫エッセイ集4』「味覚採点 ゲテモノ食い」より。※初出は『オール読物』1962年10月号)
H君というのは手塚の高校時代の同級生で昆虫採集仲間だった林久男氏のことだ。『虫さんぽ』で手塚先生の弟の浩さんに宝塚を案内していただいたときにもそのお名前が出てきた。そのときの浩さんのお話では、林さんは戦時中にはカナブンを粉挽き機で粉にしてふりかけをこしらえて食べたということだった。
・ 虫さんぽ 第38回:宝塚さんぽ(後編) 手塚治虫先生の実弟・浩さんと昆虫採集の森を歩く!!
その林氏について、手塚は同エッセイの中でこう紹介している。
「彼のおかげでずいぶんといろんなものをのどに通したが、彼はもっぱら人にすすめるほうで、自分は農林省へつとめだしてからは、飲み屋街であろうと、たいていまともなお茶漬けかなんかをすすっている」
そんなこんなで昆虫食を含むげてもの食いを題材にした手塚マンガがあるので紹介しよう。
1969年から70年にかけて『週刊漫画サンデー』に発表された読み切り短編シリーズ「サイテイ招待席」の1編で、タイトルもズバリ『げてもの』。
丹波の国の殿様に仕える下級武士・風介。家老から彼に殿の“とある趣味”のお付きが命じられた。その趣味とは“げてもの食い”。夜な夜なお忍びで町のげてもの料理屋へ足を運んではそれを食していたのだ。「ナメクジのスープ」「うじの照り焼き」など背筋がぞわぞわしてくるような料理が次々と出される。風介は、毎度毎度それを食べきるのに四苦八苦する、というお話だ。会社勤めの悲哀ここに窮まれり、といったところか。
先に紹介した『ミクロイドS』と同様、自分自身が食材として食べられかける、というマンガもまだある。自分自身が食べられそうになるとなったら、これはもう美味しいまずいの問題ではなく、ただただ「やめてくれ!」と叫ぶしかない。
1952年から59年にかけて雑誌『冒険王』に連載された『ぼくのそんごくう』では食いしん坊の猪八戒が何度となく自分が食べられそうな危機に陥っている。三蔵法師と猪八戒が黄風山を支配する黄風大王に捕えられたときには、猪八戒がトンカツに化けさせられ、あわや食べられる寸前というピンチに陥った。
大王の手下はトンカツに化けた猪八戒にだめ出しをする。
「色のわるいトンカツだな もっとうまそうなのにばけろ」
それに対して猪八戒は「いくらぐらいのだい?」とランクを聞いて化け方を変えている。
前回のごちそう編でも紹介した『七色いんこ』第35話「ベニスの商人」でも、いんこの相棒である犬の玉サブローが食材にされそうになっていた。
ジャンボステーキを食べ切ったら10万円がもらえるというポスターに釣られた犬の玉サブローがステーキ店に入り、そこで店主の罠にはめられて自分自身がライオンのエサにされそうになる。
話の下敷きになっているのは言うまでもなくシェイクスピアの戯曲『ベニスの商人』である。元のお話では主人公アントニオが玉サブローと同じように借金のカタに自分の胸の肉1ポンドを差し出すよう高利貸しから迫られて裁判となった。
裁判官は高利貸しの主張を全面的に認めアントニオに胸の肉1ポンドを差し出すように命じた。しかし裁判官は高利貸しの男に続けてこう言い放つ。「契約書にあるのは1ポンドの肉だけである。もしも1滴の血でも流そうものなら契約違反としてお前の所有地と財産をすべて没収する」と。結局、進退窮まった高利貸しはアントニオの肉を取ることをあきらめ『ベニスの商人』は大団円を迎えることになる。
ところが玉サブローの場合はアントニオとは契約内容が異なっていた。店主が玉サブローに捺印させた契約書では玉サブローの体丸ごとが借金のカタとなっていて血も肉も全てがこの強欲店主のものとされていたのだ。果たして玉サブローが助かる道は残されているのだろうか……!?
最後に、これはキモチワルイと誰もが思う究極のゲテモノ食いを描いた短編作品があるので紹介しよう。1970年に『小説サンデー毎日』に発表された読み切り『蛸の足』がそれだ。
労働争議で一度は会社をクビにした元社員の男の元へ、かつての会社の社長が訪ねてくる。会社側の一方的な理屈でまた彼が必要になったので呼び戻したいと言うのだ。
だが男はへんぴな田舎町で何も仕事をせずにぶらぶらと暮らしており再就職にはまったく興味がないようだった。
それにしても男はいったい何で生計を立てているのか。と、そんなとき台所から流れてくる美味しそうな料理の匂いに鼻腔をくすぐられた社長は思わず男に言う。
「めしを一ぱいごちそうになれんか?」
そうして社長にふるまわれたその肉は案外美味であったようだが、その素材の正体を知ると……!!
会社のためにまるで家畜のように働かされる会社員のことを今どきの俗語で“社畜”と言ったりするが、この男こそは会社の犠牲となって自分自身の体が家畜のようになってしまった、そんな悲劇を描いた作品である。
う〜ん何とも。手塚グルメ・メシマズ編の締めくくりにふさわしい作品ではないでしょうか。
ではまた次回のコラムにもぜひおつきあいください!!