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2010年12月号 コラム:虫さんぽ 第13回:福島県会津若松(後編)・東北の城下町に手塚先生の素顔を見た!

2010年12月号 コラム:虫さんぽ 第13回:福島県会津若松(後編)・東北の城下町に手塚先生の素顔を見た!

福島県会津若松市。手塚治虫先生がこの町を訪れたのは昭和34年、47年、50年の3回。そのいずれもが、親しい仕事仲間や友人、家族を連れての個人的な旅だった。仕事では日本全国を飛び回っていた手塚先生だけど、プライベートで3度も訪れた町は珍しい。そしてこの町にはいまも、先生が訪れた時の思い出を大切に語り継いでおられる人々がいた。今回は前々回に続き、手塚先生が大好きだった町・会津若松の虫さんぽ後編をお届けします!



◎ 取材2日目の朝は早かった

 前々回の虫さんぽ「会津若松(前編)」では、手塚治虫先生が昭和34年4月に初めて会津を訪れたときの足跡を中心に歩いた。
 この最初の旅で地元の方々の歓迎を受け、会津に多くの親しい友人ができた手塚先生は、その後、昭和47年に漫画集団の仲間と、そして昭和50年には家族を連れて、あらためてこの地を訪れている。
 今回の虫さんぽ「会津若松(後編)」では、その3度の旅で手塚先生がこの地に残した足跡を、前回に引き続き、地元の方々の案内でたどってみた。するとそこから見えてきたのは、手塚先生のあくなき好奇心と、周りの人に対するやさしさや気配り、そして、あふれんばかりのマンガに対する情熱だった。

2010年12月号 コラム:虫さんぽ 第13回:福島県会津若松(後編)・東北の城下町に手塚先生の素顔を見た!

会津若松駅前に飾られているC57型機関車の巨大な動輪。会津若松にはかつて会津若松機関区という広大な蒸気機関車の基地があった(現在は会津若松運輸区として稼働)。C57は現在、新潟と会津を結ぶ「ばんえつ物語号」を牽引する機関車として活躍中だ

 さあそれでは取材2日目の虫さんぽ、寝不足気味ではありますが、さっそく出発いたしましょう!!
 今回もスタートは会津若松駅である。駅前に置かれた巨大なSLの動輪に見入っていると、向こうから会津漫画研究会会長の白井祥隆しらいよしたかさん(60)が笑顔で手を振りながらやってきた。
 白井さんは「どうもどうも、黒沢さん朝早くからご苦労さまです!」とていねいにお辞儀をしてくださったが、お世話になるのはこっちなので、ぼくがさらに腰を低くしてお辞儀をすると、白井さんもますます深くお辞儀をする。おかげでいつまでたっても挨拶が終わらない(笑)。会津の人はあくまでも礼儀正しいのだった。


◎ 手塚先生が座った椅子で記念撮影

 白井さんの案内で、おみやげ屋さんや飲食店が建ち並ぶにぎやかな中央通りを南下し、日光街道(七日町通り)を西に200メートルほど歩く。すると右手に重厚な3階建ての建物が見えてきた。白井さんによれば、ここが本日ひとつ目の手塚スポットだという。
 ここは白木屋漆器店しらきやしっきてんという会津塗りの漆器を扱うお店で、創業は慶安年間けいあんねんかん(1649〜1656年)。江戸では軍学者の由井正雪ゆいしょうせつらが慶安の変(1651年)を企てていたころだ。そしてこの建物は大正3年に竣工した会津初の洋風建築だそうである。
 以下、白井さんの説明をお聞きしよう。
「手塚先生は、昭和34年に初めて会津へ来られた際に、ここで会津塗りを見学し、ご自分でも工房で絵付けを体験されたんです」


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白木屋漆器店の外観。ルネッサンス様式を取り入れた重厚な土蔵造りの洋風建築だ。店内の一部が漆器の資料館となっており、2階の応接室も含めて営業時間中は見学無料。営業時間9:00〜17:30、定休日は年末年始と棚卸し日など(※ホームページで要確認)。問い合わせ:0242-25-3977


 この時、手塚先生を案内したのが、前編でも取材をさせていただいた会津漫画研究会初代会長の白井義夫しらいよしおさん(89)だった(白井祥隆さんとは同姓だけど親戚ではありません)。白井義夫さんによれば、手塚先生は、初心者にはかなり難しいという絵付けを見事にこなし「さすがはマンガ家!」と感心したそうである。
 再び取材現場に戻ろう。白井祥隆さんの後について建物の2階へ上がると、クラシックなソファの置かれた応接室があった。そしてその片隅には、まさにこのソファでくつろぐ手塚先生の写真が飾られていた!
 その写真と現在の室内をくらべてみると、ほとんど当時のままであることが分かる。50年前に手塚先生が座られたまさにその場所で記念写真が撮れるなんて、手塚ファンにとっては、まるでタイムマシンに乗ってやってきたような感動体験のできる場所でした。


 

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2階の応接室に、手塚先生がここを訪れた時の写真パネルが飾られていた。右から2番目が手塚先生だ。そしてその右隣が前編で取材に協力していただいた当時手塚先生のアシスタントだった笹川ひろしさん、左隣が白井義夫さんだ。パネルに光が反射してしまうため正面から撮影できませんでした。失礼!

 

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50年前に手塚先生が座った椅子に、今回の虫さんぽ案内人である白井祥隆さんに座っていただいた。本当に当時の風景そのままなのに感動してしまいますね


◎ 16坪の空間で昭和の記憶に浸る

 いきなり濃い〜場所に案内されて早くも興奮ぎみのぼくを、白井さんが次に連れて行ってくれたのは、白木屋の斜め向いにある、これまた懐かしさあふれるお店だった。
 「昭和なつかし館」と書かれた木製の看板がいい感じのこのお店は、16坪の店内に、昭和30年代の町並みや、一家団らんの場所だった居間の風景が当時のままに再現されている。入館料200円を払って中へ入ると、昭和32年生まれのぼくにとって、そこはまさに少年時代の風景そのものの空間だった! 展示されているおもちゃや雑貨はもちろん、町並みに使われている木材も古い昔の部材だそうで、見れば見るほど細部までこだわって作られていることがよく分かる。手塚マンガのおもちゃもいろいろ置かれていたから、行かれたら、ぜひ宝探しのつもりで見つけてみよう!


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昭和なつかし館の中に再現された昭和の居間。テレビでは最初の白黒アニメ版『鉄腕アトム』の映像も見られる。「昭和なつかし館」営業時間10:00〜18:00、不定休、入館料:小学生以上200円(ホームページの割引券をプリントして持参すると10%の割り引きあり)、問い合せ:0242-27-0092


◎ 地元の人を集めた座談会

 再び中央通りへ戻り、南へ下ると通りの名前が神明通りしんめいどおりに変わる。その通りの右側に、かつて白井義夫さんの経営するパーラーがあった。昭和34年、手塚先生はここで地元の学校の先生やPTA、貸本屋さんを集めて座談会とマンガ教室を開いた。


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白井義夫さん。昭和34年以来、手塚先生が会津を訪れるたびに現地での便宜をはかった大親友である。当年89歳。いつまでもお元気で大切な思い出を会津の皆さんに語り続けていただきたいですね!

 白井義夫さんは当時をこう振り返る。
「手塚先生が会津へ来られて3日目の事でした。東山温泉ひがしやまおんせんの旅館で仕事をされていた手塚先生から私に電話がありまして、マンガ教室を開きたいと言うんです。いきなりだったので驚きましたけど、私としては大歓迎でしたので、すぐに会場は私のお店にすることにして、大あわてで関係各所に連絡をして集まっていただいたんです」
 昭和30年代当時、マンガは子どもに悪影響を及ぼすものとして教育関係者やPTAから激しく攻撃されていた。中でも目の敵にされたのが、表現がどぎつく俗悪とされた貸本マンガだった。今年話題になったNHKの朝ドラ『ゲゲゲの女房』にも、PTAの団体が貸本屋へ抗議に押しかけるシーンがあったのを覚えている方も多いだろう。
 そこで手塚先生は、そうした人々の誤解を解こうと、あえて自分から批判にさらされながらも一貫して力強くマンガを弁護し続けた。そんな当時の手塚先生の奮戦ぶりは『手塚マンガ あの日あの時』第10回でも紹介した通りである。


 そして手塚先生はここ会津でも、わずかな機会をとらえてマンガの楽しさや大切さを地元の人たちに伝えようとしたのだろう。翌日開かれた集まりの様子を、白井義夫さんはこう語ってくれた。

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白井義夫さんが経営するパーラーがあった場所。手塚先生はこの場所で2度マンガ教室を開いた。1度目はこの土地にマンガ文化が根付くように、そして二度目は親友の開店祝いのために

「手塚先生は、出席した先生やPTAの役員さんたちに『マンガはおやつです。主食だけでは子どもたちは心も体もバランスを失ってしまいます』と語り出しましてね、質疑応答にも1問1問ていねいに答えておられました。その後のマンガ教室では模造紙にアトムやリボンの騎士の絵を描いてくださったんですが、これがものすごいスピードで、みんなびっくりしていました。準備はバタバタで最初はどうなることかと心配でしたが、最後には会場から大きな拍手がわきましてね。手塚先生には今も心から感謝しています」
 さらに前編でも紹介したように、この時手塚先生は孤児院こじいんでのマンガ教室も行っている。
 プライベートで遊びに来たのに、ただ飲んで食って観光地を巡るだけじゃなくて、夜は徹夜でマンガを描き、さらにその土地のマンガ文化の発展のために次々と行動する。手塚先生……ウルトラスーパーすごすぎます!


◎ 漫画集団がやってきたヤァヤァヤァ!

 続いて白井祥隆さんは、細い路地を入ったところにある興徳寺こうとくじという古いお寺へ案内してくれた。ここは手塚先生が2度目に会津を訪れた際のゆかりの場所だという。
 昭和47年9月、手塚先生は2度目の会津旅行を実現した。しかもこの時は漫画集団の仲間・総勢24人を引き連れての大旅行だった。当時、漫画集団は年に1回、全国各地のお祭りに参加するという親睦旅行しんぼくりょこうを行っており、それがこの年は会津の「白虎祭りびゃっこまつり」に決まったのだ(現在は「会津まつり」に名称が変わっている)。もちろんこれは手塚先生の提案によるものだった。
 やなせたかし、馬場のぼる、小島功こじまこおなど、そうそうたる漫画家たちが会津を訪れ、サイン会を開いたり盆踊りに参加したりして、この年のお祭りはひときわ盛り上がったという。

 

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興徳寺。路地を1本入っただけなのに大通りの喧噪もここまではまったく届かず、ひっそりとしている。だけど昭和47年にここでマンガ教室が開かれた時は、さぞやにぎやかだったんでしょうね。またこのお寺は手塚先生の『夜明け城』にもその名が登場する豊臣秀吉が立ち寄ったお寺としても知られている

 

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興徳寺近くの路地。かつてここに「江戸っ子寿司」というお寿司屋さんがあった。昭和34年、地元の方たちに連れられてここを訪れた手塚先生は色紙にヒゲオヤジを描いた。そしてその時、ふと思いついて何とその絵に醤油で着色をしたという。寿司屋では醤油のことを「むらさき」と言う。むらさきで色付けするなんて、手塚先生、粋だねぇ!!


 そしてここ興徳寺の境内では、手塚先生とやなせたかし先生が子どもたちを集めてマンガ教室を開いた。漫画集団のメンバーは大人向けの漫画を描く作家さんが多く、子どもにも知られたマンガ家さんということで、このふたりが代表して教室を開いたのだろう。おふたりは濡れ縁に立ち、壁に貼った模造紙に絵を描きながらマンガの話をした。前出の白井義夫さんによれば、その時はこの静かな境内けいだいが人で埋めつくされたそうである。仏様たちもきっと何ごとかとびっくりされたことでしょう(笑)。

◎ 家族旅行の思い出が詰まった飯盛山いいもりやま

 次のスポットまではちょっと距離があるので車で移動する。会津若松駅から西へ5分ほど走って着いたのは飯盛山だ。標高314メートルの小高い山で、中腹には白虎隊のお墓がまつられている。ふもとに立つと、山頂へ向かって石段がダァーッと一直線に延びていて、その長さに圧倒される。

 

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会津若松市内を巡回するレトロ調のボンネットバス「ハイカラさん」。1回乗車大人200円。1日フリーパス大人500円。市内を効率よく回るのに便利なのでぜひ活用しよう

 

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飯盛山の登り口。左右に並んだおみやげ屋さんの先には、見上げるような石段が! この石段を上がるのがキツい人(ぼくだ!)は、石段の横の飯盛山スロープコンベア(電動エスカレーター)を利用しよう(大人250円)。飯盛山へは会津若松駅から街中周遊バス「あかべぇ」でおよそ5分(12月〜3月運休)。車の場合は会津若松方面から来て飯盛山に突き当たる100メートルほど手前に無料の市営駐車場がある。もっと近い場所におみやげ屋さんの駐車場もあるが、こちらは買い物や飲食をしないと有料の場合があるので、市営駐車場を利用した方がいいだろう


 

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2010年12月号 コラム:虫さんぽ 第13回:福島県会津若松(後編)・東北の城下町に手塚先生の素顔を見た!

昭和30年代ごろの飯盛山と白虎隊の墓の絵はがき。手塚先生がここを訪れた時は、こんな風景だったんでしょうね


 昭和34年、手塚先生はここを初めて訪れた際、前編でも紹介した『スリル博士』のお話の中にしっかりと登場させた。博士とケン太が石段を下りてくると、いきなり、ふたりめがけて巨木が倒れてくる、という場面だ。
 今回の散歩で、ぼくは手塚先生がこの発想のヒントにしたと思われる木を発見した。ふもとの風景は一変してしまったが、この木の周りだけは50年前のままだった。行けばすぐに分かるから、皆さんもぜひチェックしてみてください。


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手塚先生が昭和34年の会津滞在中に描いた『スリル博士』第4話の、飯盛山を舞台とした場面。このマンガの初出は『週刊少年サンデー』昭和34年5月3日号。講談社版全集では第20巻『スリル博士』に収録されている(ここに掲載した図版は、前編で紹介した『私たちの手塚治虫と会津』に収録された復刻版から引用しました)


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石段の中ほどに他の樹木よりもひときわ太い木が立っている。手塚先生はこの木を見た瞬間にマンガのアイデアを思いついたに違いない

 また昭和50年8月に手塚先生が家族旅行で訪れた際にもここへ来ている。この時のことは、手塚先生の奥さまの悦子えつこさんや、長女のるみ子さんがそれぞれ著書の中で書かれている。
 それによれば手塚先生は、子どもたちの夏休みに合わせて家族旅行を計画し、会津行きを決めた。ところが毎度のことながら手塚先生は仕事が終わらず、家族だけが先に出発し、先生は2日目になってやっとタクシーでやってきて合流したという。しかしそれからは先生は全力で家族サービスに努め、会津若松市内だけでなく東山温泉や五色沼ごしきぬまにまで足を延ばした。ここ飯盛山でも先生は子どもたちに白虎隊について詳しく語って聞かせたという。
 るみ子さんにとってこの旅行は、忙しい父親を独占できる数少ない貴重な時間だったのだろう、この時の思い出を詳細につづっている。機会があればぜひ読んでみてください。
 また、手塚先生はこの家族旅行の時にも白井義夫さんのお店でマンガ教室を開いた。再び白井義夫さんのお話。
「このときは、商店街の近代化事業で私の店の2階に画廊がろうと喫茶を新設したばかりだったんです。そうしたら手塚先生が『何のお祝いもできないから、かわりにマンガ教室を開いてあげましょう』とおっしゃるんです。さすがにこの時は家族旅行ですし、お疲れだと思って遠慮したんですが、先生は『タクシーの中で寝てきたから大丈夫』とおっしゃって、結局、ご厚意に甘えさせていただきました」
 過去の虫さんぽでも同じような話がたくさんあったように、こうした手塚先生のこまやかな心づかいには本当に頭がさがってしまいます。


 

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飯盛山の中腹に立つさざえ堂。江戸時代後期の1796年にここに建てられた仏堂で、内部のスロープが二重らせんになっていて、登りと下りで別の道を通るという不思議な構造の建物だ。拝観時間9:00〜日没まで、拝観料大人400円

 

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さざえ堂の受付には手塚先生がここを訪れた時の写真が飾られている。この写真パネルはかつて手塚先生が訪れた会津市内の19ヵ所に設置されていて、本文で紹介したスタンプラリーの時のスタンプ設置場所にもなっている


◎ まだある手塚スポット・追補編ついほへん

 ということで今回の虫さんぽはここで日没終了! だけど実はもう1ヵ所、紹介したかった手塚スポットがある。それはJR只見線ただみせん・会津本郷駅近くにある向羽黒山城跡むかいはぐろやましろあとだ。向羽黒山城は戦国時代、会津を治めた葦名盛氏あしなもりうじが築城した城で、上杉景勝うえすぎかげかつ直江兼続なおえかねつぐ主従が最後の砦とした東北最大級の要害ようがいだった(アンチョコ丸写し)。
  そしてここは、手塚先生が学研の学習雑誌『中学一年コース』に昭和34年9月号から連載した『夜明け城』のモデルと言われている場所なのだ。手塚先生はこの連載が始まる5ヵ月前に会津を訪れた。その際、当時アシスタントだった絵本作家の平田昭吾ひらたしょうご氏から向羽黒山城の伝説を聞いたという。『夜明け城』は全くのフィクションであるが、平田氏の話とこの城の伝説が発想のきっかけになった可能性は大いにある。
  白井祥隆さんによれば、現在は向羽黒山城の面影をしのぶ遺構いこうはほとんど残されていないというが、それでもひと目見ておきたかったナ〜。


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今回行けなかった向羽黒山城跡のパンフレット(左)と、そこをモデルとして描かれたという手塚先生のマンガ『夜明け城』(復刻版)。講談社版全集では第50巻『夜明け城』に収録されている


◎ 追補編その2・東山温泉に新手塚スポットが誕生

 そしてもうひとつ、原稿の締め切り直前に白井祥隆さんから新たな情報がもたらされた。何と前編で紹介した東山温泉に、新しい手塚スポットができたという。


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東山温泉の旧郵便局を利用して作られた新スポット。1階は「ほっと東山」という地酒の飲めるバー。そして2階が「昭和漫画記念館」という展示施設になっている。入館料は現在は無料(いずれ100円程度の維持管理費を取るようになるかもとのこと)、営業時間16:00〜20:00、不定休、問い合わせ・東山温泉観光協会:0242-27-7051


 元は郵便局だった建物を利用して新しくオープンしたのは「昭和漫画記念館」という施設。ここは昭和時代の懐かしい漫画を集めて展示した施設で、ここの目玉が、昭和34年に手塚先生が宿泊した部屋をリアルに再現したスペースだとか。前編では「旅籠芦名はたごあしな」に再現された部屋を紹介したけど、今回は展示であることから、よりディテールにこだわったということだ。


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2010年12月12日まで現在開催中のスタンプラリーのパンフレット。地元で無料配布されているので、会津虫さんぽの際にはぜひ入手したい

 ちなみに会津若松では現在「手塚治虫先生と歩く会津」というスタンプラリーを実施中だ(2010年11月15日〜12月12日)。このコラムを公開直後に読まれた方はまだ間に合う。ご用とお急ぎでない方は今すぐ会津へ!! それではまた、次回の散歩でお会いいたしましょう。

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おまけ。昭和34年、東山温泉に宿泊した手塚先生は、当時東山温泉の旅館「原瀧」にあった千人風呂を『スリル博士』に登場させている。今回、その千人風呂の絵はがきが手に入ったので、マンガとともに紹介しよう。湯船の真ん中に立っている灯台のような円柱がマンガにも確かに描かれてますね



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(今回の虫さんぽ、3時間14分、2215歩)



取材協力/会津漫画研究会、NPO法人・会津マンガ文化研究会、白井義夫、佐久間庄司、長谷川知久満、白井祥隆、関昌邦、白木屋漆器店昭和なつかし館(順不同、敬称略)


黒沢哲哉
1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番


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