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虫ん坊 2015年11月号:手塚マンガあの日あの時 第42回:二度と戦争なんか起こすまい。手塚マンガが描いた“戦後”の“戦争”

虫ん坊 2015年11月号:手塚マンガあの日あの時 第42回:二度と戦争なんか起こすまい。手塚マンガが描いた“戦後”の“戦争”

 手塚治虫は数多くの作品の中で戦争反対を繰り返し訴え続けた。戦後70年目となる今年、戦争が描かれた手塚マンガだけを抜き出し年代順に並べてみたところ、手塚の描いた戦争マンガと、その時代との関係がより鮮明に浮かび上がってきた。その時手塚はマンガで何を訴えたかったのか。何に危機感を感じていたのか!? そんなことを振り返りながら手塚治虫の戦争マンガのあの日あの時を振り返ってみた!



◎特集企画編纂の過程で見えてきたものは……!!

 太平洋戦争が終わって70年目となる今年8月、手塚プロダクションでは戦後70年企画としてこの公式ホームページで『手塚治虫と戦争』という特設ページを公開した。
 手塚が自ら語ったり書いたりした戦争体験や戦争をテーマとしたマンガ、戦争についての考えを述べた言葉や文章などを時系列順に並べて俯瞰するという企画である。
 この企画には私・黒沢も、作品の選び出しや解説文の執筆などで微力ながら協力させていただいた。  
特設ページはこちら:手塚治虫と戦争


虫ん坊 2015年11月号:手塚マンガあの日あの時 第42回:二度と戦争なんか起こすまい。手塚マンガが描いた“戦後”の“戦争”

虫ん坊2015年11月号:手塚マンガあの日あの時 第42回:二度と戦争なんか起こすまい。手塚マンガが描いた“戦後”の“戦争”

手塚自身の戦時中の体験を元に描かれた半自伝的作品『紙の砦』(1974年)より。主人公の大寒鉄郎は、大阪の街に明かりが灯っているのを見て戦争が終わったことをようやく実感する。画像は講談社版手塚治虫漫画全集『紙の砦』より


◎手塚の戦争マンガをめぐるミステリー

 本題はここからだ。手塚の描いた戦争マンガを年代順に並べて、それが描かれた当時の世相や出来事などを考えながら読み進めていったところ、今まで埋もれていたある事実が見えてきた。
 それは、手塚の描く戦争マンガが個々の作品ごとのテーマを超えて、もっと大きな、その時代を切り取ったかのような“巨大な潮流”を成していたということだ。
 例えば1950年代に描かれた戦争マンガでは、手塚は核戦争や核兵器の恐怖をしつこいほど繰り返し描いている。
 だけど1960年代に入ると“核の恐怖”というテーマは後退し、今度は戦争に巻き込まれた弱者の悲劇や戦争そのものの無意味さを描いた作品が増えてくるのだ。
 その背後にはどんな出来事があったのか。手塚はそれに対して何を思い、何を訴えたくてその作品を描いたのか。
 今回は、そんな手塚治虫の戦争マンガをめぐる「あの日あの時」をお送りします!!


◎終戦の開放感を描いた未発表作品とは

 手塚が戦後最初に描いたマンガは『恐怖菌』という作品だった。  
 1945年8月15日、17歳の手塚少年は終戦の日を故郷宝塚で迎えた。  
 その終戦の6日後から描き始められたのがこの『恐怖菌』である。この作品、一読してまず感じるのは作品全体を覆っている異常なほどの明るさだ。登場人物の大学生たちは所構わず歌を歌いまくり踊りまくる。それはまさに手塚自身の戦争が終わった開放感と喜びが、そのまま登場人物たちに乗り移ったようである。  
 手塚は終戦の年の1945年3月に旧制北野中学を卒業し7月1日に大阪大学医学専門部へ入学した。終戦のわずか1ヵ月半前のことだ。この阪大の医学専門部は戦時中に軍医を養成するために新設された学部であり、もしもそのまま戦争が続いていたら、手塚も間違いなく軍医として戦場へ行っていただろう。  
 そんな死線の淵から生還を果たしたのだ。手塚が踊り出したいほどの開放感を感じていたとしても無理のないことだろう。  
 このマンガは戦争を主題とした作品ではないが、手塚の戦後マンガは、戦争が終わったことによるこんなナチュラルハイな気持ちの中から第一歩を踏み出したということには、その後の手塚の戦争マンガを読み解く上で重要なキーになってくる。  


虫ん坊 2015年11月号:手塚マンガあの日あの時 第42回:二度と戦争なんか起こすまい。手塚マンガが描いた“戦後”の“戦争”

虫ん坊 2015年11月号:手塚マンガあの日あの時 第42回:二度と戦争なんか起こすまい。手塚マンガが描いた“戦後”の“戦争”

終戦の6日後から描き始められた未完の未発表作品『恐怖菌』の扉(左)と本編。 扉画像は原稿より、本編画像は『手塚治虫 創作ノートと初期作品集』(2010年、小学館クリエイティブ刊)所収の『恐怖菌』より


虫ん坊 2015年2015年11月号:手塚マンガあの日あの時 第42回:二度と戦争なんか起こすまい。手塚マンガが描いた“戦後”の“戦争”

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同じく『恐怖菌』より。シリアスな設定のお話ながら作品全体のトーンはご覧のように明るく開放的。まさに手塚が戦争が終わった喜びをかみしめながら描いている様子がペン先から伝わってくるような絵である


◎デビュー直後の夢あふれる作品群

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手塚の商業デビュー作『マアチャンの日記帳』(1946年)から、終戦直後という時代を感じさせるエピソードを3つだけ抜き出してみた。しかし手塚自身がセレクトした講談社版手塚治虫漫画全集にはこの3作品とも未収録となっている。時代背景が分からないと意味が通じないと思って割愛したのだろうか。画像は『手塚治虫デビュー作品集』(1991年、毎日新聞社刊)より


『恐怖菌』は11月3日に46ページ目を描きかけたあたりで中断され、その後、二度と執筆が再開されることはなかった。
 これは終戦から数ヶ月が経ち、あらためて冷静になって読み返してみて作品に満足がいかなかったためか、それとも目の前にプロマンガ家としての道がほんの少し見えてきたからだろうか。
『恐怖菌』の中断から2ヵ月後の1946年1月1日、手塚は『少國民新聞』(毎日小学生新聞)に掲載された『マアチャンの日記帳』でプロマンガ家デビューを果たした。
 そしてそれ以後は、単行本を中心に明るく夢のある作品を続々と発表し始める。
『新寶島』(1947年)に始まる秘境や異世界を舞台とした冒険活劇、『地底国の怪人』(1948年)などの空想科学ストーリー。そのどれもが夢がいっぱいの心躍る物語だった。この時期の作品で戦争をメインテーマとして描いたものは一作品もない。


◎戦後初の手塚の戦争マンガとは!?

 そんな手塚が戦後初めて戦争を正面から描いた作品が、1951年1月と2月に前後編の描き下ろし単行本として刊行された『来るべき世界』だ。
 核兵器の開発でお互いに一歩も譲らないスター国とウラン連邦。両国は国際会議の席上でついに意見が決裂し戦争が始まる。
『来るべき世界』は旧約聖書にあるノアの箱舟伝説を下敷きとしたストーリーだが、そこに描かれているのは、じつはこの時代まさに目の前にあった戦争だった。
 第二次世界大戦の終結後、アメリカと当時のソビエト連邦の二つの大国は関係を悪化させ、やがてそれは世界を二分するにらみ合いへと発展していった。戦火の見えない戦争=“冷戦”の始まりである。
 1949年、ソ連が原爆実験に成功するとアメリカもそれに対抗し核実験を盛んに行うようになった。そして1950年には朝鮮戦争も始まった。
 終戦直後、一度は手に入れたはずだった平和の喜び。『恐怖菌』の大学生のように踊り出したいような幸福な気持ち。それが再び失われようとしている。そんな危機感の中で描かれたのが『来るべき世界』だったのだ。
 手塚は後年、この作品を描いた動機をエッセイの中でこう書いている。
「もう戦争は沢山だ。結局、人間みんなが大損じゃないかというやりきれない気分で、ぼくは、『メトロポリス』と『来るべき世界』を描いた」(講談社版手塚治虫漫画全集『手塚治虫エッセイ集1』より)


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1951年に大阪の不二書房から刊行された『来るべき世界・前編』(左)と後編に当たる『宇宙大暗黒篇』の2冊。手塚には珍しく執筆にかなり悩んだようで着手から完成まで1年近くがかかったという(もちろん並行して他の作品をいくつも描きながらではあるが)。本文で紹介した戦争に対するやりきれない気持ちを作品として昇華させるには、やはりそれだけの時間が必要だったということか


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『来るべき世界』より。国際原子力会議は紛糾し、冷静さを失ったスター国代表ノタアリンは「戦争じゃ」と叫ぶ。画像は講談社版手塚治虫漫画全集『来るべき世界』より


◎冷戦と『来るべき世界』

『メトロポリス』は『来るべき世界』の二年前の1949年に発表された作品で、さらにその前年の『ロスト・ワールド』と併せて手塚の初期SF三部作として語られることが多い。
 だが『ロスト・ワールド』の明朗さとくらべて後から発表された二作品は明らかに暗く厳しいトーンが際立っている。
 手塚のエッセイはさらにこう続いている。
「かなり虚無的な気持ちでこれ(黒沢注:『メトロポリス』と『来るべき世界』)を描き、アンハッピー・エンドにするつもりだった。が、翌年、朝鮮がいったん休戦にはいり、まがりなりにも日本が講和条約に調印したので、『来るべき世界』のラストも、大団円にし、『もし人類が再び過ちをくり返すならば、危機はまたやってくるだろう』といった意味の、きざな警告をつけ加えた」(前出『手塚治虫エッセイ集1』より)


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同じく『来るべき世界』より。暗黒ガスが地球へと降りてくるこの作品のクライマックス。スター国のノタアリンとウラン連邦のレドノフは互いにいがみあっていたことを悔い、初めて手を取り合うが、最期の時はもう目の前に迫っていた……!!


◎核戦争の恐怖を訴え続ける!!

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『太平洋Xポイント』(1953年)。コスモポリタン国による空気爆弾の実験が避けられない状況になったことをラジオのニュースで知ったギャング団のボス・地下鉄サム(ヒゲオヤジ)。サムはこわばった表情の中である重大な決意をしていた。表紙画像は『別冊太陽 手塚治虫マンガ大全』(平凡社刊)より引用、本編は講談社版手塚治虫漫画全集『太平洋Xポイント』より

『来るべき世界』以降、手塚の短編マンガには戦争を描いた作品が急激に増えてくる。特にこの時期目立っているのが冒頭でも触れたように核戦争の恐怖を主題とした作品だ。
 例えば次のような作品が挙げられる。『太平洋Xポイント』(1953年)、1954年『地球1954』(のちに『地球の悪魔』と改題)、『世界を滅ぼす男』、1955年『大洪水時代』。
 1953年に雑誌『冒険王』の別冊付録として発表された『太平洋Xポイント』は、コスモポリタン国が開発した最終兵器“空気爆弾”をめぐる騒動を描いた物語だ。空気爆弾は架空の爆弾だが、ここに描かれている恐怖は現実にある原水爆の恐怖そのものだ。
 事実この作品が発表された翌年の1954年3月には日本の遠洋マグロ漁船が操業中にアメリカの水爆実験の死の灰を浴びるという「第五福竜丸事件」が起きている。核の恐怖は日本人にとっても決して他人事ではなかったのである。


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◎ニキビ環礁と水爆マグロ!

 ついでに戦争マンガではないけど、手塚がこの「第五福竜丸事件」の3ヵ月後に発表した『ケン1探偵長』にこの事件で流行語となった“水爆マグロ”という言葉が出てくるので紹介しておこう。
“水爆マグロ”とは、第五福竜丸事件で被曝し放射能に汚染されたマグロの一部が日本の市場に流通してしまいこう呼ばれたものだ。
 ちなみにこの作品の中でアメリカが“竜巻爆弾”の実験を行った場所を“ニキビ環礁”と呼んでいるが、これは当時アメリカが核実験を行っていたマーシャル諸島の“ビキニ環礁”をもじったものである。 


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『ケン1探偵長』「竜巻爆弾の巻(1954年)より。アメリカがニキビ環礁で竜巻爆弾の爆破実験を行った。一方、日本のとある田舎町でそれが原因と思われる放射能魚騒動が勃発。ケン一はその調査に乗り出す。画像は講談社版手塚治虫漫画全集『ケン1探偵長』より


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左から『地球1954』(1954年)、『世界を滅ぼす男』(1954年)、『大洪水時代』(1955年)の表紙。核兵器の恐怖を手塚は様々な切り口から繰り返し描いた。画像は3点とも『別冊太陽 手塚治虫マンガ大全』(平凡社刊)より引用

 

◎核戦争から冷戦がテーマに!

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 手塚の戦争マンガのテーマが、核戦争一辺倒からやや傾向を変え始めるのは1950年代半ばを過ぎたころからだ。
 1956年8月、手塚は雑誌『おもしろブック』の別冊付録でSF短編シリーズ「ライオンブックス」の執筆を始めた。
 その第1作となる『来るべき人類』は新型爆弾42・GAMIによって廃墟と化した地球が舞台となっている。
 手塚は、このころから目に見える核兵器の恐怖を描くのをふっつりとやめ、その兵器が使われたらどうなるか、その背後にあるものは何なのかといった目に見えない戦争の恐怖=冷戦の恐怖そのものを描くことに力を注ぎ始めたのである。

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『おもしろブック』の連作読み切り「ライオンブックス」シリーズ第1作目『来るべき人類』(1956年)より。金星から地球へ帰還した探検隊員たちが見たのは、出発時とはまるで違ってしまった廃墟の銀座だった。
扉画像は『別冊太陽 手塚治虫マンガ大全』(平凡社刊)より引用、本編画像は講談社版手塚治虫漫画全集『ライオンブックス』第6巻より


◎日本が独裁国に占領される日!?

 またこの時期、手塚は冷戦の根源である国境や領土をテーマとした作品も描いている。
 ライオンブックスシリーズの第8作目『狂った国境』(1957年)は、レッドベア国とブルジョイ国という二つの大国が、なぜかたびたび位置が変わる国境線に振り回されるというお話だ。


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ライオンブックスシリーズ第8作目『狂った国境』(1957年)。国境を越えて脱走を試みる者には容赦ない銃撃が加えられる。東西冷戦時代、ドイツにあったベルリンの壁を思わせる光景だ。
扉画像は『別冊太陽 手塚治虫マンガ大全』(平凡社刊)より引用、本編画像は講談社版手塚治虫漫画全集『ライオンブックス』第7巻より


 同じく雑誌『おもしろブック』に連載された『地球大戦』(1957-58年)は後の時代の架空戦記のような物語である。近未来、世界はヨーロッパの軍事大国ウラメシアによって牛耳られており、その他の国は厳しい弾圧に苦しんでいた。そうした中、日本はついにウラメシアに宣戦布告をするが、ウラメシアの爆撃によって敗北、屈辱的な占領を受け入れることになる。
 じつは1957年7月から58年12月にかけては国際地球観測年とされ、南極大陸を国際協力のもとで平和利用しようという動きが進んでいた時期だった。それまで複数の国が領有権を主張していた南極を中立の土地とし、科学的な地球観測の場にしようという取り決めが進んでいたのだ。
『狂った国境』や『地球大戦』はそうしたニュースを下敷きに描かれた作品だったわけだけど、手塚は果たしてこのニュースの先に平和な未来を見ていたのか、それとも……。それは皆さんが個々の作品から読みとっていただきたい。
 さて、それから間もなく手塚の戦争マンガの傾向がまた大きく変わる時期がやって来る。それは1960年代半ば過ぎのことだ。
 このころいったい何があったのか──。そう、ベトナム戦争である。 

虫ん坊 2015年11月号:手塚マンガあの日あの時 第42回:二度と戦争なんか起こすまい。手塚マンガが描いた“戦後”の“戦争”

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『地球大戦』(1957年)。ウラメシアに敗北した日本は占領され、ずだ袋に入れられた日本人が運ばれてゆく先は強制収容所かそれとも処刑場なのか……!! 
画像は講談社版手塚治虫漫画全集『地球大戦』より


◎冷戦からベトナム戦争の時代へ

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 1940年代のインドシナ戦争に端を発したベトナム戦争は、1964年に起きた「トンキン湾事件」をきっかけに一気に激化した。
 1964年8月、北ベトナムのトンキン湾において北ベトナム軍の魚雷艇がアメリカ海軍駆逐艦に魚雷攻撃を行った。これをきっかけにアメリカは軍事介入を本格化させ、北ベトナム領内への空爆(北爆)を開始。1965年からは地上戦も始まりベトナム戦争は泥沼化していった。
 1967年1月、手塚は『人間ども集まれ!』を発表する。青年マンガ雑誌『週刊漫画サンデー』に連載された長編作品で、かつてアドルフ・ヒトラーが支配した独裁国家・ドイツ第三帝国を皮肉ったパロディである。
 日本人青年・天下太平の精子には、自分の意志も欲望も持たない「無性人間」を生み出す性質があった。様々な人間たちが無性人間を利用しようとする中、太平はある日ついに自分自身が独立国を作り、そこの総統におさまる。
 これまで紹介してきたように、短編作品では切れ目なく反戦メッセージを発信し続けてきていた手塚だが、戦争を真正面から捉えた長編作品を描くのは『来るべき世界』以来16年ぶりのことだ。


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『人間ども集まれ!』(1967-68年)より。戦争の愚かさ、無意味さを徹底的に茶化した作品。天下太平が独裁者となった時の姿はヒトラーのパロディであるが、ヒトラーそのもののを模倣しているというよりも、かつてチャップリンが映画『独裁者』の中で茶化したヒトラーの姿を真似ているように見える。
画像は講談社版手塚治虫漫画全集『人間ども集まれ!』第2巻より


◎『火の鳥』に描かれた終末戦争後の未来!

 また1967年12月から雑誌『COM』で連載が始まった『火の鳥・未来編』も、ベトナム戦争時代の殺伐とした空気が色濃く反映された作品だ。
 すでに荒廃して死にかけた地球。わずかに生き残った人類は地下に都市を作ってひっそりと暮らしていた。各地下都市はそれぞれが巨大コンピュータによって制御されており、様々な重要決断もコンピュータがくだしていた。そんなある日、ヤマト国のコンピュータ「ハレルヤ」とレングート国のコンピュータ「ダニューバー」が対立、「ハレルヤ」はレングート国に宣戦を布告した。
 1967年当時、終末戦争後の寒々とした世界をここまでリアルに視覚化した作品は映画でもマンガでも恐らく他にはなかったのではないだろうか。


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『火の鳥・未来編』(1967-68年)より。荒廃した地球で失われた生物を甦らせようと努力する猿田博士に火の鳥は地球の危機を訴える。その頃地下では、ヤマト国のコンピュータ「ハレルヤ」がロックに戦争開始の命令をくだしていた。
画像は講談社版手塚治虫漫画全集『火の鳥』第3巻より


◎反戦を訴え続けた短編作品群!!

 ベトナム戦争は、このころ手塚にいくつもの短編も描かせている。しかもその内容は下世話な言葉で言うと、かなり“エグい”ものが多い。手塚はそれほどベトナム戦争に対して強い怒りと危機感を覚えていたということだろう。
『空気の底』シリーズ第1話「ジョーを訪ねた男」(1968年)は、ベトナム戦争へ向かう米軍兵士の人種差別に正面から斬り込んだ作品だ。
『がらくたの詩』(1969年)は、この年の春から夏にかけて東京・新宿で盛り上がった反戦フォーク集会を作品の舞台に引用している。
 そのほか『0次元の丘』(1969年)、『ザ・クレーター』「溶けた男」(1969年)、『I.L』「南から来た男」(1970年)、『イエローダスト』(1972年)などなど、ベトナム戦争によって平和を奪われ地獄に落ちた人々の悲劇が様々な切り口で読むものの心に突き刺さる。


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『0次元の丘』(1969年)。ある日、世界各地で5人の9歳の子どもが、突然自分が生まれる前の記憶を語り出した。その不思議な記憶をたどった先にあったのは、ベトナム戦争がもたらしたある悲劇だった。
画像は講談社版手塚治虫漫画全集『タイガーブックス』第4巻より


◎そして新たな戦争マンガの表現へ!

 しかし手塚は、こうして強い口調で反戦を訴えるマンガを描く一方で、虚無的な短編マンガも数多く発表している。『ドオベルマン』(1970年)、『ザ・クレーター』最終話「クレーターの男」(1970年)、『ブタのヘソのセレナーデ』(1971年)、『笑う男』(1971年)などである。
 戦争はどうやっても終わらないのか。自分がどれだけマンガで反戦を訴えても何も変わらないのか。そんな空しさがこれらの作品には込められているような気がする。
 その後、手塚の中でどんな葛藤があったのかは分からない。だが手塚の描く戦争マンガは1970年前後からまた少しずつ変わり始める。
 そのもっとも大きな変化が、作品の中に自分自身の分身を登場させて自らの体験した戦争を語るということだった。


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『ザ・クレーター』「溶けた男」(1969年)。
大学の研究員・佐藤栄作は米軍からの委託を受けて秘密の研究を行っていた。徹夜となったある晩、栄作は古めかしい服装の学生と出会う。当時のリアルな戦争=ベトナム戦争と太平洋戦争の時代とが交錯した恐怖ストーリー。
画像は講談社版手塚治虫漫画全集『ザ・クレーター』第1巻より

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『ドオベルマン』(1970年)。
手塚治虫自身がキャラクターとして登場する作品。新宿の街角で出会った変なイギリス人・ドオベルマン。彼は安アパートの一室で何かに取り憑かれたように絵を描き続ける。じつはその絵にはある真実の物語が込められていた……!! 
画像は『別冊太陽 手塚治虫マンガ大全』(平凡社刊)より引用


 次回のコラムでは手塚治虫の半自伝的戦争マンガの軌跡を振り返ります。 ぜひまた次回もお付き合いください!!


黒沢哲哉
 1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番


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