東京の中心地・中央区銀座。ここではイベントや試写会が毎日のように行なわれ、手塚治虫先生も足しげく訪れていた街だ。今回は、春のうららかな日差しの中、手塚先生の銀座での公私にわたる足跡をたどります。奥様とのロマンチックなエピソードも公開!!
さて、晴海通りを銀座方向へ歩いていくと、最初に交わる大きな交差点が、銀座4丁目交差点だ。銀座といえば、テレビでも映画でもまずここを映し出す。つまりは銀座の“ヘソ”のような場所である。
この交差点の西の角、晴海通りをはさんで服部時計店の向い側に建っている円柱形の建物が、ファッション系のテナントが多く入っている三愛ドリームセンタービルだ。
円柱形のデザインが目をひく現在の三愛ドリームセンターは1963年に完成した。晴海通りを挟んで建つ服部時計店とともに、銀座のランドマークになっている。設計したのは、後に新宿NSビルなども手がける
続いてぼくは並木通りを左折し、銀座6丁目方面へと歩く。
手塚プロ松谷社長の情報によると、かつてここに手塚先生がよく通われた「レンガ屋」というフランス料理店があったという。
レンガ屋は、1972年にフランスの超一流料理人ポール・ポキューズ氏が開いたお店で、作家などの著名人も数多く訪れた名店だった。けれども残念なことにすでに閉店していて、お店の場所が特定できない。
そこで調べたところ、当時レンガ屋で総料理長をつとめていたジョエル・ブリュアン氏が、現在、赤坂の東京ミッドタウンで「キュイジーヌ フランセーズ ジェイジェイ」というお店を開いていることが分かった。
さっそくコンタクトを取ったところ、地図を描いてファックスしてくださった。また、手塚先生が当時食べたであろう料理の名前も教えていただいた。「スズキのパイ包み焼き」と「ムール貝のスープ」。この2点はまず食べたでしょう、とのことだ。また手塚先生の奥様によると、手塚先生はここのお肉料理が大好きで、ご家族で行かれたときはいつもお肉料理を注文されていたそうである。
手塚先生が愛した名店の味を味わいたい方は、ぜひブリュアン氏のお店へ行ってみてください。
次に向かったのは銀座ソニービルだ。ここの1階の喫茶店で、ある方と待ち合わせているんだけど……と、店内を見回すと、ひと足先に来ていたその方は、初対面ながらすぐに分かった!
待ち合わせていたのは漫画家の
漫画集団というのは昭和7年に結成された歴史ある漫画家の集まりで、岩本先生によれば、入会には厳しい審査があるという。すなわち、いわゆる今どきの“コミック”作家は入会できない。笑いと
ソニービル。ここの交差点に面した三角形の狭い空間は、様々なオブジェや広告が展示される企画スペースになっている。岩本先生が漫画集団のチャリティショーを仕切っていたころ、ここに赤塚不二夫先生をクレーンで吊るして漫画を描いてもらおうとしたのだが、危険だといって却下されてしまったそうである(笑)
さて、なぜ岩本先生にここまで来ていただいたかというと、ここソニービルでは、かつて毎年“漫画集団”主催のチャリティショーが開かれていて、それに手塚先生も参加されていたからなのだ。
その内容は、漫画家が持ち寄った品物や本を売ったりサイン会を開いたりして、その収益金を交通遺児育英会に寄付するというもので、1966年に第1回が開催され、70年代の終わりまで続いた。
岩本先生に当時のことをお聞きした。
「そもそもこのチャリティショーの始まりは、『アッちゃん』を描いた漫画家の
手塚さんは忙しいのに、こうした漫画集団のイベントや集まりには必ず参加していましたね。気のおけない仲間と騒ぐのが楽しかったんでしょう。いつもニコニコと笑っておられた記憶がありますよ。
さっきも言ったように、メンバーが漫画家ばかりですから。手塚さんにとってコミック作家は年齢に関係なくみんなライバルでしたが、漫画集団の漫画家はライバルではなくて仲間だったんです」
このソニービルのチャリティショーには、ぼくも高校時代、1973年から3回ほど通った。初めて手塚先生の姿を生で見たのもこのときだ。もちろんサイン会にも並んだ。今から思うと夢のようなことだけど、当時はまだのんびりした時代だったから、ひとりひとり、先生に何を描いて欲しいかをリクエストして、先生がその場で絵とサインを描いてくれたのだ。
ぼくは『ワンサくん』の絵をお願いした。先生は「時間があればもっと色を付けたいんだけどね〜」と言いながら、色紙にワンサくんとみどりちゃんの絵を描き、首輪をブルーに塗って手渡してくれた。か、感動!
この色紙は部屋にずっと飾ってあったので焼けて真っ黒になってしまったが、もちろん今でも大切に保管してある。
ちなみにこの日、ぼくはお金を使いすぎて帰りの電車賃がなくなり、家に電話をかけて母親に銀座まで迎えに来てもらったことは誰にもナイショである。
ところで岩本先生には、手塚先生にまつわるスポットを他にもお聞きしたので、また機会をあらためて歩いてみたいと思います。
と、今回の散歩は、当初はこれで終わりのはずだった。ところが下取材の最中に新たな情報がもたらされた。
これまでにも何度か虫さんぽの取材に協力いただいている手塚先生の元運転手・Sさんから、こんなお話をお聞きしたのだ。
「手塚先生が『アドルフに告ぐ』で、ゾルゲの話を描かれていたころですね。銀座の有楽町寄りの路地を入ったところにあるドイツ料理店を取材するということで、お送りしたことがあるんですよ。だけど詳しいお店の場所までは忘れてしまったなぁ……」
『アドルフに告ぐ』の中で、ちょうどゾルゲの登場するエピソードの後に、由季江がドイツ料理店を開店するシーンがある。恐らくその取材だったのだろう。
ぼくはSさんからお聞きしたエリアを歩いてみたが、残念ながらドイツ料理店を見つけることはできなかった。
何か情報をお持ちの方がいらっしゃいましたらぜひお教えください。
ではまた次回の散歩でお会いいたしましょう!!
(今回の虫さんぽ、3時間7分、4256歩)
取材協力/株式会社三愛、キュイジーヌ フランセーズ ジェイジェイ、岩本久則、ヒサクニヒコ(順不同)
資料協力/財団法人大宅壮一文庫
黒沢哲哉
1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番