手塚治虫先生が多感な少年時代を過ごした街・宝塚。その街の真ん中に、手塚ファンの殿堂・宝塚市立手塚治虫記念館は建っている。この夏、記念館へ行ってみようという方も多いと思うけど、記念館だけを見て帰ったんじゃもったいない! 記念館周辺には手塚なスポットが盛りだくさんなのだ。今回は、手塚治虫記念館から半日で巡れる宝塚界隈の虫さんぽです。
今回の虫さんぽは、先月公開の大阪編に続いて「夏休み関西さんぽ」後編をお送りいたします。手塚治虫記念館を出発地点とし、手塚マンガの原点ともいえる場所を巡る、およそ3時間半の小旅行です(所要時間に手塚記念館の見学時間は含まれていません)。
また散歩の締めくくりには、去る4月30日に宝塚文化創造館で開催された、宝塚市観光大使サファイアの公開選考会を突撃取材! 新たに二代目観光大使サファイアに選ばれたおふたりからは、虫さんぽ読者への直メッセージももらってきたぜ! うおおぉ〜〜〜っ!! 今回もぜひ最後までおつきあいいただきたいっ!!
ということで、まずは何よりともかく手塚治虫記念館へ直行しよう。宝塚駅からは花のみちをそぞろ歩き、宝塚大劇場の前を通過しておよそ8分で到着する。
阪急今津線のガードをくぐると、正面に虹色に光るチタン張りの窓が目をひく円柱形の建物が見えてくる。これが手塚治虫記念館だ。建物の前では、高さ4〜5mはあろうかという大きな火の鳥のモニュメントがさっそく出迎えてくれた。さらに正面玄関へと向かうその足元には、手塚マンガの人気キャラクターたちの手形・足形プレートが!! 手塚ファンなら上を見ても下を見てもいちいち感動してしまうところだけど、早く進まないと、ここで一日が終わってしまいます。
そして館内へ入ると、もちろんこちらも手塚キャラ一色!
建物は地下1階から2階まで3フロアに分かれている。まず1階は常設展示室と、手塚アニメなどを上映するアトムビジョン映像ホール。地階は1分の1で再現された手塚先生の仕事場と、自分で描いた絵をその場でアニメにして動かしてくれるアニメ工房など。そして2階がすごい。企画展示室と、自分で操作して楽しめる情報・アニメ検索機、手塚マンガがその場で自由に読めるライブラリー、記念館限定オリジナルグッズが盛りだくさんのミュージアムショップ、そして手塚キャラに囲まれてお茶ができるジャングルカフェなどがある。
記念館の建物の延べ床面積は1395平方メートル。ひととおり見学するのにかかる平均時間は、およそ1〜2時間くらいだろう。だけど実はこの記念館、ショーケース内の展示物だけが見所ではない。壁から天井から柱から、およそあらゆる場所に手塚キャラが隠れているのだ。それらを細かくチェックしようと思ったら、少なくとも3時間はみておいたほうがいいだろう。用がなくてもトイレへ入ることもお忘れなく!
それから館内は、企画展などで撮影禁止となっている場所以外は撮影OK。自分だけの思い出をバシバシ記録しちゃっていただきたい。
ここで手塚治虫記念館の松本由美子さんにお話をお聞きしよう。松本さんドゾー!!
「手塚治虫記念館は1994年4月に開館しました。当時、手塚プロに対して記念館誘致のお話は、ほかの地域からもいくつかあったそうですが、最終的には手塚先生の育った宝塚市に、市の施設として建てられることが決まりました。
私が宝塚市から記念館へ配属になったのは2005年4月からです。今の私の仕事は、新しいお客さまに足を運んでいただくにはどうするか、ここを何度も訪れたい場所にするにはどうするかを考えることですね」
そのために工夫されていることはありますか?
「はい。5年前からゲストを招いてコンサートを開くなどの立体的な企画をいろいろと試みています。
紙芝居師の
続いて松本さんからいただいたのは『手塚治虫のたからづかワンダーマップ』と題されたB4サイズのイラストマップである。
これは手塚先生が少年時代に昆虫を追って駆けめぐった野山の風景が、懐かしい絵柄でパノラマ化されて描かれている。まさに今回の虫さんぽの必携品となるものだ。
しかもこのマップ、記念館で何と無料で配布されているという。これは皆さん、ぜひ忘れずにゲットいたしましょう! しかし松本さん、タダでもらっちゃっていいんですか!?
「はいどうぞ(笑)。このマップは宝塚が手塚先生のマンガと切っても切れない深い関係にあるということがひとめで分かるものとして製作したんです。このマップに描かれている場所で現存するところは少ないんですが、イラストから当時の雰囲気を読みとっていただければ幸いです。
このイラストを描いてくださったのは、
記念館としては、京都精華大、京都国際マンガミュージアムなど、関西を中心としたマンガ関連の組織とは、これからもいろいろと連携を深めながら、手塚先生の業績を後世に語り継いでいきたいと思っています。夏休みにはぜひ皆さん、記念館へ来てください。スタッフ一同、お待ちしております!」
うーん、やっぱり手塚記念館に長居してしまった(笑)。
まずはいったん花のみちを通って宝塚駅前まで戻り、JR線の線路を渡って、細い路地を北へと向かう。道は緩やかな上り坂になっていて、その先は
手塚先生は5歳から24歳までこの宝塚に暮らしていた。手塚先生のエッセイから、当時のこのあたりの雰囲気について書かれた文章を引用してみよう。
「ぼくの故郷の宝塚は、当時、昆虫の宝庫であった。有名な温泉や歌劇場はほんのひとかたまりの盛り場であり、だらだら坂をのぼりつめると、肥料の臭いや牛の鳴き声がし、視界がひらけて野菜畑と稲田になった」(講談社版全集第383巻『手塚治虫エッセイ集1』より)
今ではすっかり住宅地になってしまい、当時の
上り坂がどんどんキツくなってきて、住宅地の路地を抜け、先生のエッセイの通り視界がパッと開けたところで目に飛び込んでくるのが、広々とした人工の貯水池だ。
先生は子どものころ、この池を「
この瓢箪池の横を通ってさらに坂道を上ってゆくと、住宅地の隙間に隠れるようにして小さな名もないお稲荷さんが
手塚先生が少年時代、ここに名付けた名前は「蛇神社」。何とも雰囲気のあるネーミングだ。当時からフィクションの才能に満ちあふれていたことがよく分かりますね。
そして、この蛇神社は1979年に発表した短編『モンモン山が泣いてるよ』の中にも、物語の中心的な舞台として登場している。物語の中では蛇神社は取り壊されてしまうが、本物の蛇神社は今もひっそりとこの地の
蛇神社から、住宅地をぐるりと
そしてこの猫神社もまた、手塚先生が昆虫採集にしばしば訪れた場所だそうで、しかもここはその当時の面影が色濃く残る貴重な場所なのだと聞いている。
ところがこの猫神社の神様は人を化かすのが好きなようで、地図でおおよその場所の目安は付けてきたにもかかわらず、なぜかなかなかそこへたどり着けない。住宅の隙間から、それらしきこんもりした森が見え隠れしているのに、そこへ向かう道が見つからないのだ。
「あれ〜、おかしいなァ……」と首をかしげながら何度か行きつ戻りつしたところで、ようやくその入り口を発見。まるでトトロの森のような不思議体験でありました。
ほんの数分だけど少年のころに戻ったような冒険気分が味わえて楽しかったので、今回のさんぽ地図でも、その入り口は曖昧に描いていただいた。初めて行かれる方はぜひこの体験をしてみてください。
2010年3月、地元の人たちがここを「手塚治虫昆虫採集の森」と名付け、この神社の氏子の人たちが資金を出し合って記念碑を設置した。こうした地元の人たちの愛があれば、この神社の森は末永く残っていくことでしょう。
蛇神社と猫神社の探索を終え、坂を下って宝塚駅まで戻ってくると、そこには現代の都会の風景が広がっていて、まるで時間旅行から戻ってきたタイムトラベラーのような感じがした。
ここで、先ほど手塚記念館で松本さんから仕入れておいた小ネタを紹介しよう。それは「記念館はこちら」という案内プレートの設置場所の情報だ。松本さんによれば案内プレートには2種類あり、駅前など5箇所に設置されているという。
まずひとつ目が阪急宝塚駅に隣接して建つショッピングビル「ソリオ1」の西側入り口横にある。続いて2つ目と3つ目は花のみちの入り口とその途中。4つ目は記念館側から宝塚大橋を渡った左側のビル「サンビオラ5番館」前。そして5つ目が阪急今津線宝塚南口駅を出たところのタクシー乗り場近くに設置されている。
まー言ってしまえば単なる案内板ですから、わざわざ見に行くほどのもんじゃないとも言えますけどね。しかしコレクター気質のある人なら全部回ってみるとそれなりの充実感が得られるでしょう。いや5つあると知ったら全部回らずにはいられない人もきっと多いに違いない(笑)。
ここからは散歩も後半に向かいます。今日3度目の花のみちを通って再び手塚記念館方面へ。記念館の前を右に折れ、宝塚大橋を宝塚南口駅方面へと渡る。
歩き疲れていたら、ひと駅だけ阪急宝塚駅から電車を利用してもOK。料金は150円だ。また、ここで記念館へ立ち寄って2階のジャングルカフェでお茶をしながら休憩するのもおすすめだ。記念館は受け付けでチケットの半券を見せれば当日限り何度でも再入館ができるからね。えっ、チケットを捨てちゃったって!? 早く拾って来たまえ!! 先に言わなくてスマン。
そして到着した阪急宝塚南口駅前には1926年(大正15年)創業という歴史ある宝塚ホテルが建っている。ここが本日の虫さんぽ最後の手塚スポットだ。駅正面の建物は新館で、その向かって右隣に建つ建物が本館(旧館)である。この本館の建物が、1959年6月、当時『週刊少年サンデー』に連載していた『スリル博士』に登場する。
ケン太を人質にして警察の包囲網を突破したスパイ団の首領が逃げ込んだのが、この宝塚ホテルだったのだ! この室内シーンにはワニのような顔をした怪人ゲラズリも登場するが、怪人ゲラズリは、浅草・
またこの宝塚ホテルは、この作品発表から4ヵ月後の10月4日、手塚先生の結婚式場となった場所でもある。恐らくこの時はすでに式場として決まっていて、そんな思い入れからこの場所を作品の舞台にしたのだろう。
『スリル博士』には、このほかにも宝塚周辺の実在する地名がいくつか出てくるが、それらはいずれまた、機会を改めて紹介したいと思います。
さて今回の虫さんぽでは、宝塚市と宝塚市国際観光協会が主催する、宝塚市観光大使 リボンの騎士「サファイア」最終選考会の模様も取材してきた。会場は手塚記念館からもほど近い宝塚文化創造館である。
宝塚観光大使サファイアというのは、手塚先生の作品『リボンの騎士』の主人公・サファイアをイメージシンボルとして、サファイアの衣装を着て、宝塚市の観光大使として各種イベントで活躍するというものだ。
2009年に行われた選考会で初代観光大使サファイアになったのは、
最終選考に勝ち残ったのは応募者34名のうち11名(うち1名棄権)。この中の誰がサファイアになるのかっ!?
ステージに立った10名は年齢が18歳から23歳の華麗なサファイアたち。うおおっ、どの子がいいか、早くも目移りしてしまうぜ〜っ! ってぼくが選ぶわけじゃないんですけどね(笑)。
ちなみにサファイア観光大使の応募資格に性別は関係ないという。それは原作のサファイアが男であり女でもあるからだというが、残念ながら今回の最終選考には男性の姿はありませんでした。我こそはと思う男性の方、次回はチャレンジしてみたら!?
それはそれとして、今回の話題は、まず双子の姉妹で応募してふたりとも最終選考まで残ったという23歳の姉妹がいたこと。またパフォーマンスの審査では、お琴を演奏する人やアカペラで歌を歌う人がいて大いに盛り上がりました。
そして結果発表。注目の二代目サファイアに選ばれたのは、お琴を演奏した19歳の学生・小田早祐莉さんと、地元ラジオでDJをやっている20歳の学生・萩原由衣さんのおふたりだった!!
まだサファイアになりたてで緊張した表情のおふたりに、虫さんぽ読者の皆さんにオススメのスポットを紹介していただいた。まずは小田さんから!
「えーと、そうですね。花のみちを手塚記念館の方へ歩いてくると、途中にとてもきれいな花屋さんがあるんです。そこを歩くといつもすてきな花の匂いがするので、皆さんも散歩の途中に、ぜひ足を止めて癒されてみてください」
続いて萩原さん、どうぞ!
「私は王道で、まず宝塚大劇場へ行ってシメは温泉でまったり、というのがいいと思います。それと大劇場へ行くときは、近くにある「ルマン」というサンドイッチ屋さんでサンドイッチを買って歌劇の幕間に食べるのがおすすめです!」
ということで、これらのスポットに行けば、もしかしたらおふたりに会えるかもっ!? それではおふたりそろって……!!
「ぜひ皆さんも宝塚へ遊びに来てくださ〜い!!」
ではまた、次回の散歩でお会いいたしましょう。
(今回の虫さんぽ、5時間17分、16568歩)
取材協力/宝塚市、宝塚市立手塚治虫記念館、宝塚市国際観光協会(順不同・敬称略)
黒沢哲哉
1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番