朝日新聞社主催のマンガ賞、「手塚治虫文化賞」の発表の時期が、今年もやってきました! 震災の影響で開催が危ぶまれていた本賞ですが、5月27日、無事受賞式が行われ、大賞および新生賞、短編賞を受賞された方々への賞の贈呈が行われました。 ここで今一度、第15回手塚治虫文化賞の受賞者、受賞作品を振り返って見ましょう!
★マンガ大賞★
『JIN -仁-』 村上もとかさん
『
★新生賞★
『
★短編賞★
手塚治虫文化賞は1997年の創設から毎年開催されており、今年で15回目。今年の大賞は、2009年の『大奥』『劇画漂流』のダブル受賞以来、2度目の2作品受賞となりました。
ドラマ化で一気にブームになり、昨年12月に大団円の完結を迎えた『JIN —仁—』(村上もとかさん)について、選考委員の
「江戸の町に、現代の医療を持ち込むという大変特殊な設定で、未来の技術を過去に持ち込むという設定に、手塚先生の「スーパー太平記」を思い出すところがありました。
いつの時代にあっても生命に真摯であろうとする作品のメッセージ性には、手塚先生が生涯追い続けた、『生命・宇宙とは何か』というテーマにも通じるところがあり、卓越したストーリー性と、それを支える時代考証——非常に困難な設定だと思うのですが、江戸における現代の医療の可能性のようなものを本当に大変な努力で描かれたと、尊敬を禁じえません」
と、作品に流れる生命に対するあたたかいまなざしと卓越したストーリー性が、
江戸時代を舞台にした時代劇を斬新な手法で描いた『竹光侍』(松本大洋さん、永福一成さん 作)については、
「まれに見る突出した作品である、と大変高い評価を集めておりました。ドラマ化などで話題を集め、今をときめく『JIN —仁—』と最後まで大賞を争いましたが、一歩も引かない魅力があり、どちらでも文句がない、と選考委員皆が思っていると思います。
原作を永福さんが、マンガを松本さんが描かれていますが、松本さんのほとばしるような才能と、原作の永福さんの制御のきいたストーリーが見事なバランスを作っています。高い芸術性、エンターテイメント性が同居した、得がたい作品となっており、新しいマンガの世界を拓いたのではないかと思います」
と、その芸術性と、ストーリー運びのエンターテイメント性のハーモニーが、特に評価されました。
一方、新生賞は最終回が掲載された2010年7月発売の『少年ガンガン』が瞬く間に売り切れた、という前代未聞の注目を集めた『鋼の錬金術師』。そして、短編賞は『C級さらりーまん講座』などのサラリーマンたちの生態(!?)を面白おかしく風刺する山科けいすけさんへ贈られました。
こちらも、竹宮惠子さんの選評をご紹介しましょう。
『鋼の錬金術師』については、「骨太な、しっかりとした設定で、非常に力量を感じます。大賞に匹敵するような作品ではありますが、初連載作品ということで、新生賞の受賞となりました。
主人公の少年が、失われた身体を取り戻すために旅をする、という設定には、手塚先生の『どろろ』も思わせ、語弊はあるかも知れませんが、手塚先生の諸作品が新しい作家によって乗り越えられ、新たな扉を開く時代になっているのかもしれない、と感じました。
作者の荒川弘さんによれば、酪農に携わっていた際、牛たちの生死を間近でみて、命の尊厳というものを考えた、ということですが、エンターテイメントでありながら、深いテーマ性を持つ、受賞にふさわしい作品であると思います」
山科けいすけさんについては、「ブラックユーモアが特徴の作品ですが、一見普通のサラリーマンたちの中に隠れている、普通でない感覚というものが大変面白いという評価でした。
山科さんの作品は、新聞や雑誌など、さまざまなところでお目にかかることができるのですが、どれも大変レベルの高いものでありながら、われわれは山科さんの作品に触れることにぜいたくにも慣れてしまっているかも知れません。長いキャリアをお持ちながら、まったくネタの面白さを損なわず、常に高いテンションを保っている作品ばかりで、なぜいままで受賞しなかったのか、とふしぎに思うくらいです」
と紹介。ちなみに、山科けいすけさんの奥様、森下裕美さんの『大阪ハムレット』も、第11回の手塚治虫文化賞で短編賞を受賞しており、ご夫婦ともに受賞ということに。
村上もとかさん
私は、1951年6月3日に生まれました。ちょうど一週間後、還暦を迎えます。
そんな時代に生まれた子供にとって、手塚治虫先生のマンガというのは特別なもので、僕が4歳か5歳で、まだ字が読めなかったころ、手塚先生のマンガを近所の畳屋さんの縁側で一生懸命になって読んでいた記憶が、自分にとって最も古いマンガの記憶です。
小学校のころには、『鉄腕アトム』を無我夢中になって読み、私が高校に入ったころ、手塚先生が主催された「COM」という雑誌が発刊され、そこの読者の投稿コーナーに夢中になり、そして『火の鳥』に夢中になって、マンガを描き始めました。
マンガ家になって後、1983年、小学館で『
僕のマンガ家人生の重要なところに、手塚先生の大きな影響があったように思います。なによりも、手塚先生によって、マンガはそれこそ、字が読めない子供でも無我夢中になれるような、そして、60歳、80歳になってもその輝きを失うことのないような、無限の可能性をもち、最も読者に身近な表現手段だ、ということを教えてくださいました。
そろそろ、細かい絵を描いていると目はかすんでくるし、辛いこともありますが、今回の受賞は、「そんなことを言っていないでもっとがんばんなさいよ」と手塚先生に背中を押されたような気がしています。これからますます気を引き締めて、もっと新しい、もっとマンガの可能性を広げられる作品にチャレンジしていきたいと思っています。
松本大洋さん
このたびは、このようなすばらしい賞をいただき、大変光栄です。
『竹光侍』という作品は、力一杯描けた作品だと思います。どんなに努力をしても、こういうふうに自分の力全部で描けるという作品は、いつも、というわけではないので、この作品の製作中は楽しくて、終わるのがいやだな、と思ったことも何回もありました。原作を描いてくれた永福さん、編集をしてくれた堀さん、デザインをしてくれた
永福一成さん
マンガ界の末端にいるものとして、手塚治虫先生の名を冠した賞をいただく、というのは大変光栄なことであり、非常なプレッシャーを感じました。特に僕は、原作者としてはこれが始めての連載で、このような大きな賞をいただいて、非常に身の引き締まる思いでございます。これを機に、また、更なる精進をしたいと思っております。
連載を支えてくださったみなさんに、僕も大洋同様、感謝をいたします。それと同時に、僕に原作を依頼してくれた松本大洋くんに、特に感謝したいと思います。
山科けいすけさん
私は、マンガを読むほうは大好きですけれど、マンガを描くほうは嫌いでして(会場笑)、何の因果か、描くほうを仕事にしてしまったのですが、デビュー以来ずっと、描くのがいやでいやで、こんな仕事、いつもやめたい、と思いながら……かといって、他に出来ることもないので、こんなに自分にむいていない仕事もないな、と思いながら、ずっと来てしまいました。
このたび、手塚先生の名を冠した、さらには、「文化」という言葉をつかった、これまた、全く自分に向いていない賞をいただくことになりまして、なんか、向いてない仕事で、向いてない賞をいただくというのは、ちょっと、マンガ的です。
こんなマンガ的な人生を送っている自分が、マンガ家に向いていないこともないんじゃないかな、と、思うようになりました。
このたびは、どうもありがとうございます。
なお、新生賞の荒川弘さんはご欠席。代理で登壇されたのは、アニメ『鋼の錬金術師』でエドことエドワード・エルリックを務める
「このたびは、大変に名誉な賞をいただき、ありがとうございました。しかし、せっかくの授賞式にお呼びいただいたというのに、出席できずに申し訳ありません。私事ですが、現在出産を控えておりまして、万が一、会場で緊急事態が起こっては、せっかくの華やかな式典に水をさすことになりますので、欠席させていただきました。本当に申し訳ありません。
おめでたい式典ですので、代理の方は華やかな方を、と思い、女優として、また、声優として活躍なされている朴[王路]美さんに、お願いいたしました。「鋼の錬金術師」で、主人公・エドを演じていただいた方です。その、明るい声と、みなぎるオーラで、会場を盛り上げてくださることでしょう。
しかし、それにしてもマンガの神様のお名前を冠した賞、身に余る光栄です。このたび受賞なされた村上先生の作品には、いつも真摯であることの強さと美しさを教えられ、松本先生の作品にはそのセンスにいつも度肝を抜かれ、山科先生の「SENGOKU」などには爆笑させられ、日本史に興味をもったりで、一読者として、作品を楽しませていただいた先生方と、今、こうしてマンガ家として、並んで賞に名前が残るという現実は、なんともふしぎな、そして恐れ多い、の一言です。全くもって、授賞式に出られないのが悔やまれます。こんなこと、子供のころの自分に教えてやったら、ひっくりかえるんだろうなあ、と思います。
「鋼の錬金術師」は、9年かけて、去年、無事に終えることができましたが、私の現実、そして主人公たち、ともに遠いところに来たなあ、と、改めて実感しています。
世界も、マンガ界も移ろい、変化していきますが、子供のころからもっている「マンガ大好き!」な心は、変化させることなく、これからも精進していきたいと思います。
最後に、「鋼の錬金術師」エドワード・エルリックから、一言。
『この作品にかかわってくれたみんな、なにより、9年もの長い間、俺たちの旅を見守ってくれた読者のみんな、本当にありがとな!』」
Q:もし、南方仁先生のようにタイムスリップするとしたら、いつの時代、どこに行きたいですか?
A:やはり、幕末の江戸ですね。しかもそれぞれの季節で行ってみたいです。観光コースもちゃんと考えてあったりしますよ! ただ、やっぱりずっと行きっぱなしというのは大変ですから、一日から数泊ぐらいの体験旅行で行きたいなあ、と思います。
Q:「C級さらりーまん講座」に出てくるキャラクターには、特定のモデルはいない、ということですが、スピーチによれば、先生の性格も入っていつつ、飲み屋での会話を拾われつつ、エピソードを作られているということですが、とてもリアルで、愛嬌があります。
A:彼らは、ムリヤリにいろいろ混ぜて作っているキャラクターですから。一人だけ、実在の人物をモデルにした人がいるんですよ。とっても毛深い男がいるでしょう? かれはある日、すし屋で見かけた、すごく毛深いお客さんをモデルにしたんです。
Q:手塚マンガで、思い入れのある作品がありましたら、教えてください。
A:ブラック・ジャックと火の鳥がぼくはやっぱり、一番好きですね。子供のころ、「『ブラック・ジャック』ごっこ」っていって、粘土の中に鉛筆いれたりとかして、それをメスにみたてたナイフで裂いて取り出す、みたいな遊びはよくしました。ブラック・ジャックはやはり、かっこいいので、あんなふうになりたいな、という憧れはすごくありましたね。
作品への思いとはまた別に、手塚先生のことを考えると、僕とはつんでいるエンジンがちがうな、というような気持ちになります。インテリジェンスもそうですし、体力的なところもそうなのですが、作品を仕上げるための執念というのかが、すこし怖いぐらいなので、あそこまでやらなければ手塚治虫になれないのか……と思うとあきらめてしまう、とでもいうような。僕自身はあまり、面と向き合わないようにしてきたところがあります。
ぼくは、ずっとバンド・デシネの影響を受けていて、ずっとそれにかぶれていたのですが、「竹光侍」ではやはり、日本の絵を作りたい、というのがすごくあって。浮世絵などをみたりして、描いたりもしましたね。永福さんが、単純なキャラクターを作ってくださったので、やっぱりすごく楽しかったです。絵をあそこまで崩しても、娯楽として難解ではない、という感じがすごくあります。永福さんの原作に助けられた部分もありますね。
Q:松本大洋さんとともに、江戸時代の空気を描ききられた、という感じですが、やはり、時代劇というか、江戸ものはお好きなのでしょうか?
A:もちろん、時代劇は大好きで。実は僕は、時代劇ってSFの一種だと思っているんです。だって、江戸時代、って僕らの中にイメージはありますが、実際に行ったことがある人なんて、この世にいないわけじゃないですか。あんな、木造の家屋が発達した都市なんて、ほとんど知らないので、そういった意味では、江戸時代の町って、ムー大陸とか、アトランティスに近い、ファンタジックな世界なんじゃないか、とすら思っているんです。それに、時代劇って、現代では決して出来ないような、悪人をばっさばっさと切り倒したりというカタルシスがあって、子供のころはそういうものが好きだったので。実際に自分で書いてみたところ、あまり人きりが出ない作品にはなったのですが。
Q:ちなみに、手塚マンガでお好きな作品は?
A:好きといえば、ぜんぶ好きなのですが、ちょっとマイナーですけど、「ザ・クレーター」という短編が好きです。SFがすき、ということもあって。もちろん、「三つ目がとおる」も、また、「ブラック・ジャック」も好きなのですが。手塚先生の作品の何が、といわれると、難しいですね。
残念ながら、当日ご欠席されていた荒川弘さんには、メールにてご回答をお寄せいただきました。
おめでたい席での突然のインタビューにもかかわらず、お答えありがとうございました!
©村上もとか/集英社
©松本大洋 永福一成/小学館
©荒川弘/スクウェア・エニックス
©山科けいすけ/小学館