3ヶ月連続でお届けしてきた2018年夏の関西広域さんぽもいよいよ今回がラスト! 今回は手塚治虫先生が家族旅行で訪ねた思い出の地を巡りつつ、異国情緒あふれる港町神戸を歩きます。そして手塚グッズを買うべく訪ねた元町の宝石店では、手塚先生にまつわる時価3億円の“アレ”を間近で拝見! 駆けめぐる思い出を追いかけて、虫さんぽ丸、神戸港を出航です!
お早うございます。我われ虫さんぽ隊は今、兵庫県神戸市中央区のJR元町駅へ来ています。今回はここを出発点として、神戸に残る手塚先生の足跡と手塚マンガの風景を訪ねます。
ちなみに今回のさんぽに先立って事前調査を行ったところ、我われはある貴重な情報を得た。それは1981年、神戸ポートアイランド博覧会(ポートピア'81)が開催された年に、手塚先生がご家族を連れ神戸を訪れたというものである。
そこで手塚先生の長女・るみ子さんにメールで詳細をうかがったところ、すぐに返信をいただいた。それによれば、るみ子さんは細かいことはあまり覚えていないと前置きしながらも、ポートピア’81の一環で広告代理店の電通が主催したマンガのイベントに参加するため、奥様の悦子さん、そしてるみ子さんを連れて神戸へ赴いたという。当時、手塚先生のマネージャーを務めていた松谷氏(現・手塚プロ代表取締役社長)と手塚作品の翻訳を多数手掛ける、マンガ研究家のフレデリック・ショット氏も同行し、いくつかの観光名所を巡り、ポートピア'81を見学したと教えてくださった。
そこで今回は、るみ子さんに教えていただいたこの時に手塚先生が訪れたスポットを中心にたどりながら神戸を歩いてみようと思います。雨が降ったり止んだりのあいにくの天気ですが皆さん、足元に気をつけて、風邪を引かないように注意しておつきあいください!!
と、手塚先生の足跡を巡る前に、神戸へ来たらぜひ行ってみたい“ある場所”があった。なのでまずはそこへ立ち寄ってから観光地めぐりを始めよう。
その“ある場所”とは、JR元町駅に近い「神戸元町商店街」の中にある「ジュエリーカミネ元町本店」である。明治39年創業の株式会社ジュエリーカミネは元町本店を始め神戸周辺に全8店舗を構える歴史ある老舗宝石店なのだが、その宝石店がなぜか2年ほど前からオリジナルの手塚グッズを製作・販売しているらしい。
宝石を細かく砕いたものを材料として作られるジュエリー絵画がメインだというが、それ以外にも『リボンの騎士』グッズが多数ラインナップされていたり、前々回の宝塚さんぽで紹介した宝塚北サービスエリアの手塚治虫サイダーも、じつはこちらの会社の商品だったりするなど、意外な商品も取り扱っているらしい。
神戸の宝石店がなぜ手塚グッズを扱っているのか? これはぜひ話を聞いてみなければ!!
JR元町駅の西改札口を出たら県道21号線を渡り南側へと歩く。すると線路と並行して東西に伸びる長ーい商店街へとぶつかる。これが神戸元町商店街だ。同商店街の公式サイトによれば、全長1.2kmの道路に沿っておよそ300店のお店が並んでいるという。
そのアーケードの中をのんびり歩いて駅から数分で目指すお店ジュエリーカミネ元町本店が見えてきた。
今回こちらで話をしてくださったのは、ジュエリーカミネの営業サポート 小島智惠さんと、ジュエリー絵画事業部 山本美優さんのおふたりである。
―――小島さん、山本さんこんにちは! さっそくですが、こちらのお店で手塚グッズを製作・販売するようになったきっかけを教えてください!
小島
「これはもう弊社の社長である上根学が昔から手塚マンガの大ファンだったからですね。私たちふたり(小島さんと山本さん)も社長と同じ神戸生まれの神戸育ちなんですが、神戸っ子はみんなこの街が大好きなんです。
神戸は手塚先生とゆかりの深い街ですし、この街から手塚先生が作品に込めたメッセージを発信したい、そうすることで神戸を元気にしたい、そんな思いで企画いたしました。手塚マンガをジュエリー絵画にしてみたらどうだろう、というのも上根の発案です」
山本
「宝石画というものは昔からあっておよそ60年くらいの歴史があるんですが、アニメやマンガをモチーフに製作するというのは弊社としても初めてでした。
ですから作業はいろいろと試行錯誤があって大変でした。例えばパウダー状に砕いた宝石を最初はガラスの表面に貼っていたんですが、それだと輝きがいまいちだったので裏から貼る方法に変更されました。」
―――おお、それは興味深いですね! アニメーションのセルというのは、セルの表面にキャラクターの輪郭線を描いて着色はセルの裏側からするんです。つまりジュエリー絵画は結果的にアニメと同じ手法に行き着いたっていうことですね!
山本
「そうなんですね! ジュエリー絵画は色をぼかして表現するグラデーションの技術がとても難しくて、弊社の工房でもそれをやれる職人さんが3人しかいないんです。手塚マンガの微妙な色調が宝石でどう表現されてるか、そのあたりを良く見ていただけるとうれしいですね」
―――小島さん、山本さん、ジュエリー絵画はどんなお客さんが買われて行くんですか?
小島
「宝石というと女性のお客様が多いのが一般的ですが、手塚治虫ジュエリー絵画の販売を始めてからは男性のお客様も増えています。家に飾って楽しんだり贈り物にするケースもあるようですね」
山本
「ヨーロッパには“bijou de famille(ビジュ ド ファミーユ)=家族の宝石”という言葉があって、宝石を家族への愛の証として代々受けついでいくという習慣があるんです。ジュエリー絵画は時を経ても退色しないので、手塚先生が作品に込めたメッセージを長く後世に伝えていくことができるものだと思っています」
―――続いてジュエリーカミネさんが製作・販売されているその他のグッズについてもお話を聞かせていただけますか?
山本
「ジュエリー絵画以外で最初に作った商品がこちらの手塚治虫サイダーになります」
―――あっ、これは宝塚北サービスエリアでも販売している商品ですね!
山本
「はい、後でご紹介いたしますが、宝塚北サービスエリアでは弊社の製作した手塚グッズを多数販売しておりまして、中でも手塚治虫サイダーは大変ご好評をいただいております」
―――ぼくも買って飲みました! のどごしがやわらかくてスッと飲めるんですよね。甘すぎなくて後味がすっきりしていて暑い夏にはぴったりです。手塚治虫サイダーはいつから販売されているんですか?
小島
「一部の店舗で試験的に売り出したのが2016年からで、その翌年2017年の夏から弊社の全8店舗で本格的に販売を開始しました。『どうせ作るならいいものを作ろう』という弊社社長のこわだりで、大阪府豊能郡能勢町の能勢酒造さんにご協力をいたき、お酒に使われる良質な天然水を使用しています。ですから泡がきめ細かく、黒沢さんの言われたように後味がすっきりしているんです」
―――能勢ですか! 能勢町の能勢妙見山は手塚先生が少年時代、昆虫採集に足しげく通ったという場所なんですよ。ここにも手塚治虫サイダーと手塚先生の縁があったということですね!
小島
「それは知りませんでした。不思議なご縁ですね!」
―――引き続きジュエリーカミネの小島さんと山本さんにうかがいます。先ほどこちらのお店に入ってすぐに目に付きましたが、入り口を入ってすぐ横に手塚グッズのコーナーが作られているんですね。このコーナーだけジュエリーショップとは思えない意外さがありますが……。
山本
「おっしゃる通り、最初に手塚グッズのコーナーに目を止めて入ってこられたお客様は、後から店内を見回されて「あれ、ここ何のお店?」というお顔をされることもあります(笑)。
でも先ほども申しましたように、元町商店街から神戸を元気にしたいという思いで始めた企画ですから、観光で来られたお客様も、お気軽に立ち寄っていただければうれしいですね」
小島
「そんな思いから、今年2018年から新たに企画した商品を増やしまして、『リボンの騎士』のキャラクターを入れた文具や雑貨を多数ラインナップしました。
『リボンの騎士』は宝塚、つまり地元兵庫県にゆかりのあるキャラクターですし、何しろ主人公の名前が「サファイア」という宝石の名前ですからね。宝塚北サービスエリアで限定販売している商品と、当社8店舗でのみ販売の商品がありますので、いずれもお立ち寄りの際はぜひチェックしてみてください。
それから黒沢さん、じつは今日はたまたま当店でイベントが開かれておりまして、弊社が製作した「サファイア姫の王冠」が特別展示されているんですが、よろしければご覧になりますか?」
―――サ、サファイア姫の王冠って、あのニュースにもなった、宝石が散りばめられた時価3億円の王冠ですか!? 買います! ……あ、いや、今日はちょっと持ち合わせがないので買えませんが、ぜひ拝見させてください!!
ということで、あいにくの雨模様も吹き飛ぶ幸運な巡り合わせによって、我が虫さんぽ隊は、虫さんぽ史上最高にリッチな手塚グッズを見学させていただき、満ち足りた気持ちでジュエリーカミネ元町本店を後にしたのだった。小島さん、山本さん、ご案内ありがとうございます!!
ジュエリーカミネ元町本店を後にした虫さんぽ隊は元町駅からJR線に乗って三ノ宮駅で下車した。
この駅周辺は、1983年から85年にかけて手塚先生が雑誌『週刊文春』に連載した『アドルフに告ぐ』の舞台として登場する。
太平洋戦争開戦前夜から戦時中までの日本とドイツを舞台に、通信社の記者である峠草平が、ヒットラーの出生の秘密を巡って国家という巨大な権力に立ち向かう!!
その『アドルフに告ぐ』にここ三宮駅周辺が登場するのは昭和13年ごろ、戦局が悪化する中で草平がヒットラーの出生の秘密を証明する秘密文書をついに入手した直後の場面だ。ハムエッグ演じる特高警察の刑事・赤羽に捕まりそうになった草平は当時の国鉄のガードをくぐって逃走、地下駅となっている阪神電車の神戸三宮駅へ向かった。
だが惜しくも終電が5分前に出た直後であり、さらに追っ手が迫ってきたため、草平は改札口を突破し、線路へ飛び降りて大阪方面へと逃走する。
今回は誰かに追われているわけではないので正規の入場券を買ってホームに立ってみた。するとマンガに描かれた時代とは駅の雰囲気はかなり変わっていたが、3本ある線路のうち真ん中の2番線ホームだけはマンガの中の風景と同様に線路がどん詰まりとなってる。その終着駅らしい風景に、わずかにマンガの時代の面影を偲ぶことができる。
ちなみにホームの端まで歩いて大阪方面のトンネルを覗いてみたけど、けっこうな不気味さで、ぼくにはここを飛び降りて走って逃げる勇気はなかったです。(※線路へ降りたら犯罪なのでもちろん絶対にやってはいけません!)
神戸三宮駅を出た虫さんぽ隊は、北野異人館街方面へ向かって、様々なお店が建ち並ぶ賑やかな通りをまっすぐ北へ歩く。
するとなだらかな上り坂の途中、左手に大きな灰色のビルが見えてきた。現在は医薬品や医療器具を扱う会社のビルになっているが、かつてここには『アドルフに告ぐ』に登場したドイツ人クラブ「クラブコンコルディア」が建っていた。
そのクラブコンコルディアは、『アドルフに告ぐ』の中では次のように紹介されている。
「ドイツの商社や総領事館の人間が活用していたが 事実上 そこはナチス党の日本支部であり スパイの情報交換所でもあった」
現在、ここがクラブコンコルディアだった当時の建物は現存していないが、近づいてみると、壁の一角に古びた銅板がはめ込まれており、その横に次のような説明文が書かれている。
「ドイツクラブ(クラブコンコルディア)跡
左の銅板はドイツクラブの礎石として埋設されていたものを本館改築に際して発掘、記念の為に保存したものです。
昭和56年12月」
『アドルフに告ぐ』の中では、ドイツ総領事館の外交官であるカウフマンの父親が、ここでナチス=ドイツの秘密国家警察ゲシュタポのスパイと密談を行っている場面が描かれている。
さて、長々と寄り道をしたけど、次はいよいよ手塚先生が1981年の旅行で訪ねた場所へと向かおう。
クラブコンコルディア跡地から北へ向かうと丁字路に突き当たる。この通りが北野異人館街のメインストリートで、この通りから直径1kmほどの範囲に、明治時代以降に外国人が建てた洋館がいくつも建ち並んでいる。
るみ子さんの記憶によれば、手塚先生一行はこの異人館街で「風見鶏の館」や「うろこの家」などを見学したという。さっそく虫さんぽ隊もそちらへ向かおう。ここからはさらに細くて急な坂道になるので雨の日は滑らないよう慎重に歩こう。
石畳の道をゆっくりと登っていくと、目の前に北野天満宮の鳥居が見えてくる。その鳥居の西に建っているのが「風見鶏の館」だ。
明治42年(1909年)ごろにドイツ人貿易商トーマス氏の邸宅として建築された建物だそうで、赤レンガの外壁と塔の先端に立つ風見鶏がこの館のシンボルとなっている。
『アドルフに告ぐ』に登場するアドルフ・カウフマン邸のシルエットがこの風見鶏の館に良く似ていて、塔の先端には風見鶏も立っている。そのためこの建物をモデルにしたと言われているのだ。
風見鶏の館からさらに細い路地を登っていった先に建っているのが、るみ子さんのメールにあったもうひとつの異人館「うろこの家」だ。「うろこの家」は高い木に囲まれていて道路からは見えない造りになっているので、入館料を支払って館内へ入ってみた。
受付でお金を払って階段を上がると、目の前が西洋風の小さな庭になっていて、その正面に円柱形の外壁が特徴的な「うろこの家」と、同じ意匠で作られた「うろこ美術館」が2棟並んで建っている。
うろこの家は明治38年(1905年)ごろに建てられた建物だそうで、それが大正年間にここ北野へ移築されたのだという。3千枚もの天然石のスレートが重ねて葺かれていて、その外壁がまさに魚のうろこのように見えることが「うろこの家」の名前の由来となっている。
建物の中には古い調度品が並んでいて、手塚先生は奥様やるみ子さん達と一緒にここを見学しながら『アドルフに告ぐ』の構想を暖めていたのだろうかと考えると、単なる観光地巡りではない様々な思いがわき上がってくる。
このあたりから雨が少しずつ強くなってきたが、めげずに次の目的地へと向かおう。徒歩でいったん三宮駅まで戻り、神戸新交通のポートライナーでポートアイランドへと渡る。
同じ道を戻るのではつまらないのであえて横道へ入ってみたら、狭い路地に小さな雑貨のお店があったりして、このあたりはそぞろ歩きも楽しいです。
ちなみに今回の神戸さんぽでは徒歩での移動距離が長いので、晴れていたら電動アシスト自転車のレンタルを利用するつもりで、出発前にネットでユーザー登録も済ませてあったのだ。だけどこのようなあいにくの天気となってしまったために断念。次に機会があればぜひ利用してもっと寄り道をしてみたいと思います。
三宮駅からポートライナーに乗って3駅目のポートターミナル駅で下車。ここから徒歩で向かったのは、るみ子さんのメールで見学をしたと書かれていた「みなと異人館」である。
「みなと異人館」は島の北端にあるポートアイランド北公園の中にある。明治39年(1906年)にイギリス人貿易商ヘイガー氏の私邸として北野町に建設された建物だそうで、ポートピア'81の開催された昭和56年(1981年)に現在の場所へ移設された。
建物のすぐ目の前が海で開けた場所にあるため、先ほどの北野異人館街とはまた違う港町神戸の情緒があって、これはこれでまた素敵です。
さんぽ当日は雨のためもあって人影はまばらだったが、手塚先生ご一行がここを訪れたときはポートピア'81開催の真っ最中だったので、きっと多くの人がこのみなと異人館の周辺を行き交っていたに違いない。手塚先生はるみ子さんや奥様とここで何を語らったのだろうか。
さていよいよ今回のさんぽもゴール間近だ。最後に巡るのは、手塚先生が家族を連れて神戸へやってきた最大の目的地、神戸ポートアイランド博覧会=愛称:ポートピア'81の会場だった場所である。現在その場所はどうなっているのか、当時の面影を探りつつ歩いてみよう。 徒歩でポートターミナル駅まで戻り再びポートライナーに乗車する。車窓から見える風景は企業の倉庫や大型ショッピングビル、高層マンションなど、港近くによくあるわりと味気ない風景だ。だがかつてここには写真で紹介したような巨大博覧会会場があり多くの人で賑わっていたのだった。 ポートピア'81は1981年3月20日から9月15日までポートアイランドで開催された国際博覧会だ。ポートアイランドは六甲山系の一部を削った土砂で神戸港を埋め立てて作られた436ヘクタールの人工島で、1981年に第一期工事が完成。その完成を記念して開催されたのがポートピア'81だった。 80日間の入場者数は当初予定を300万人以上上回るおよそ1610万人、収入は337億円に達した。当時日本各地で相次いで開催された地方博覧会の中でも特に成功をおさめた事例だったという。
そうこうしているうちにポートライナーが南公園駅に到着した。ここで下車である。
じつは事前にネット検索をしたところ、ポートピア'81開催当時の建物がほとんど現存していない中、わずかに3棟だけ当時のパビリオンだった建物が恒久施設として残されていることが分かった。
駅を降りて歩道橋を歩くと目の前にさっそくその建物が見えてきた。お椀を伏せたような形の建物で屋根の頂点がちょこんと尖っている。この形はコーヒー文化に影響を与えたイスラム教のモスクをモチーフにしているというが、無理矢理手塚先生と結びつけるわけではないけど、手塚先生のベレー帽がここにちょこんと置かれているようにも見える(笑)。
この建物、現在はUCCホールディングス株式会社が運営する「UCCコーヒー博物館」となっているが、ポートピア'81開催当時は「UCCコーヒー館」というパビリオンだったのだ。博覧会当時は現在の外観とは異なり真っ白なコーヒーカップ型の非常にユニークな形をした建物だった。それが1987年に改装されて周囲の景観に溶けこんだ落ちついた色合いのベレー帽(?)になったのだ。今回、UCCコーヒー博物館から博覧会当時の貴重な写真をお借りできたので、ぜひ新旧の外観を見くらべていただきたい。
外観を楽しんだら入館料を支払って館内も見学してみよう。エントランスロビーへ入ると目の前にいきなり最上階まで上るエスカレーターがある。まずそれを上ったら、今度はゆるやかなスロープを下りながら各展示室を巡るという構造になっているのだ。かつてのコーヒーカップ型パビリオンの形が生かされた見学ルートである。
展示室ではコーヒーの起源から豆の種類、栽培の様子、様々な焙煎器具など、コーヒーの歴史が写真や映像と実物で視覚的に分かるようになっている。また入館時にコーヒーの試飲引換券がもらえ、月替わりで様々なコーヒーの試飲ができる。コーヒー大好きなぼくにとってははいつまでいても飽きない場所だった。
UCCコーヒー博物館を出て東へ100mほど歩くと、ここにもう1ヵ所、博覧会当時の建物が2棟並んで現存している場所がある。現在は神戸市が運営するプラネタリウムと子どものための科学館が併設された施設「バンドー神戸青少年科学館」だ。
向かって左側(西側)の建物が博覧会当時、太陽神戸銀行(現・三井住友銀行)が出展したパビリオン「神戸プラネタリウムシアター」で、右側(東側)の建物が神戸市の出展した神戸館だった建物だ。
いずれも博覧会当時とは建物の色や形が違っているが、プラネタリウムシアターだった建物は外観がほぼそのままなのですぐにそれと分かる。いまや貴重な博覧会遺構である。
さて、今回の神戸さんぽはここでゴールです。今回は朝から雨に見舞われてしまったけれど、手塚先生ご一行が訪れた日の天気はどうだったのだろう。
神戸の異人館とポートピア会場を見学した手塚先生ご一行は、その後、ここからほど近いポートピアホテルにチェックインしたのだという。なのでぼくらもそこをゴールにしたかったんだけど雨がますます強くなってきたため、残念ながらポートピアホテルはポートライナーの車窓から眺めるだけといたしました。
ということで今回はポートライナーの南公園駅で解散です。皆さんお気を付けてお帰りください。そして手塚先生とのプライベートな旅行について教えてくださった手塚るみ子さんにあらためて感謝いたします。
では次回の虫さんぽでまたご一緒いたしましょう!!
(今回の虫さんぽ、7時間52分、18,803歩)
黒沢哲哉
1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番