今年の夏、福島県会津地方全域を舞台として『手塚治虫キャラクタースタンプラリー』が開催された。会津は手塚先生お気に入りの土地で、虫さんぽでも2010年夏に訪問済みだ。しかしあれから6年。現地の方の情報では、会津にはいまだ未発掘の手塚情報が山ほどあると言う。そこでスタンプラリーの様子をレポートしつつ6年ぶりに会津を歩いてみることにした。楽しかった夏の思い出アルバムのページを繰るように、真夏の東北虫さんぽ、皆さんもぜひご一緒いたしましょう〜〜〜〜っ!!
会津17市町村が合同で行っている観光キャンペーン『極上の会津』。その一環としてこの夏(2016年7月1日〜8月31日)に開催されたのが『会津 手塚治虫キャラクタースタンプラリー』だ。(※現在は終了しています)
会津地方全域に点在する39箇所のチェックポイントそれぞれに絵柄の違う手塚キャラのスタンプが1個ずつ用意されていて、さらに会津地方各地で開催されるイベント会場でしかもらえない限定スタンプも14種類。何と合計53種類ものスタンプがあったのだ。
今回の虫さんぽは2泊3日の予定だったので全スタンプ制覇は最初からあきらめ、手塚先生の愛した会津の休日をゆっくりと楽しむことにした。内容盛りだくさんなので今回も前後編に分けてお届けいたします。
今月お送りする前編では、スタンプを集めながらいつもの虫さんぽでは見られないような絶景の観光地を巡り、11月公開の後編では、前回訪ねることができなかった手塚スポットを訪問すると共に、驚きのお宝や証言者が続々と登場する予定です。お楽しみに!!
ということでやってきました、6年ぶりの会津若松駅。前回と違うのは、駅前にスタンプラリーののぼりが整然と並んで風にはためいていることだ。
手塚先生はかつて3度この町を訪れている。最初は1959年、当時手塚先生のアシスタントをしていたマンガ家の笹川ひろしさんと平田昭吾さんが共に会津出身だったことから手塚先生を会津への旅に誘ったのだ。その後、手塚先生は1972年に漫画集団の仲間と再訪、さらに1975年には家族旅行でこの町へやって来た。
手塚先生がなぜ会津のリピーターになったのか。前回の虫さんぽではそれを探るのが大きな目的だったが、答えは現地を訪れてみてすぐにわかった。この土地の人たちは誰もが暖かくて心優しく旅人に親切なのだ。
虫さんぽにうかがいたいと現地の方々に電話で相談したところ、事前に段取りを組んで手塚先生にご縁のあった方を紹介してくださったり、マイカーで1日がかりで手塚先生ゆかりの地を案内してくださった方もいた。
手塚先生も、そうしたこの土地の人々の暖かさに触れてここが大好きになったのだろう。
そんな2010年の虫さんぽ前後編は下記でお読みいただけます。
・ 第11回:福島県会津若松市(前編)・スリル博士と歩く初夏の会津
・ 第13回:福島県会津若松市(後編)・東北の城下町に手塚先生の素顔を見た!
そんな充実した前回の虫さんぽから8ヵ月後の2011年3月11日、東日本大震災が発生した。福島県の中でも内陸部に位置する会津地方は地震の直接的な被害は少なかったが、原発事故の影響による風評被害は大きく、一時は観光客が激減してしまったという。
そんな時、もしも手塚先生が健在だったら、きっとすぐにでも駆けつけてサイン会や講演会を開いたりして地元の活性化や観光客誘致に協力したことだろう。そう思うと居ても立ってもいられない気持ちだった。
前回の虫さんぽで案内人を務めてくださった会津漫画研究会会長の
そして今回、スタンプラリーという機会を得て、ようやく会津再訪が実現したのである。
ちなみにスタンプラリーの企画実現にも白井祥隆さんの努力が大きく関わっていたということなんだけど、それについては後ほど紹介させていただきます。
ではさっそく会津若松駅構内の観光案内所で記念すべきファーストスタンプをゲットして、会津虫さんぽ前編、スタートだぜ〜〜〜〜〜っ! PON(スタンプを捺した効果音)!!
ところで今回の虫さんぽは現地でのスケジュールがタイトだったのでマイカーを利用しているが、会津乗合自動車株式会社(会津バス)が、スタンプラリーに因んで2016年4月1日から2017年3月31日まで『「手塚治虫漫画家デビュー70周年記念号」〜会津 手塚治虫キャラクターラッピングバス〜』を運行している。磐梯山、鶴ヶ城などの会津名所とともにバス全面に手塚治虫キャラクターがぎっしりと並んだ超カラフルなバスだ。
このラッピングバスは、会津バスが運行する高速バス・会津若松=新宿線で、火、水、金、土の週4日、会津発と東京新宿発でそれぞれ1日1便が運行されている。スタンプラリーは終わってしまったが、これから会津へ行ってみようという方は、ぜひその交通手段として検討してみてはいかがだろうか。運行時間は直接下記にお尋ねを。
会津バス本社:0242-22-5560(平日8:30〜18:00)
会津バス若松営業所:0242-22-5555(6:00〜21:00)
ちなみにここに掲載したラッピングバスの写真は、ぼくがさんぽをしたまさにその日に新宿駅を出発する様子を手塚プロのO山さんが撮影したものです。
会津若松駅で1個目のスタンプをゲットしたぼくが次に向かったのは、駅から車でおよそ5分の場所にある会津若松市役所だ。ここの観光課に事前に電話で「手塚治虫キャラクタースタンプラリーについて話をうかがいたい」とお願いしてあったのだ。
約束の時間におじゃますると、応対してくださったのは会津若松市役所観光商工部観光課主査の大竹正之さんと同課の
さっそく、今回の手塚治虫キャラクタースタンプラリーの企画が実現した背景をうかがった。
「スタンプラリーの企画が持ち上がったのは去年の夏ごろですね。2年前から福島県がJRグループと組んでデスティネーションキャンペーンを行っていたんですが……」
でっどでっど、でーもんず、ででででですとらくしょん……ですか???
「Destination Campaignです。略してDCとも言うんですが、JRグループ6社と特定の自治体や地域が手を組んで共同で行う大型観光キャンペーンのことです。
2014年はプレDC、去年の本DCとして開催してきましたキャンペーンについても、今年のアフターDCで終わりとなることから、会津で出来ることは何かと考えた時に、手塚先生のキャラクターを使ったスタンプラリーをやったらどうか、という案が出たんです」
提案されたのは、やはり市役所内の手塚ファンだったんですか?
「残念ながらそうではないんです。JR東日本が新幹線の車内で配布している『トランヴェール』というフリーペーパーがあるんですが、その2014年5月号で手塚先生と会津との関わりを紹介した特集記事が組まれたんです。うちのスタッフがそれを思い出しましてね、そういうご縁があるんであれば、一度、手塚プロさんに相談してみようという話になったんです」
スタンプラリーをやるというのは、わりとすぐに決まったんですか?
「まず決めたのは今回のキャンペーンのテーマを何にするかということからでした。会津は歴史の町ですから観光に来てくださる方の年齢層も比較的高めなんですね。でも今回は夏休みだから家族で楽しんでいただける企画を立ててみようと。そんな話し合いの中で、お城でイベントをやったらどうかなど、いろいろなアイデアが出たんです。
でも今回の企画は会津の17市町村が合同で行う『極上の会津』の中でやるものですから、それぞれの自治体がバラバラにイベントを企画したらお客様も全部は回りきれないですよね、ということになりまして、だったらお客様がご自分で自由に各地を巡れるスタンプラリーがいいのではないかということで話がまとまったんです」
引き続き会津若松市役所の大竹さん、橋谷田さんにお話をうかがいます。手塚プロとの交渉はスムースに進みましたか?
「このような自治体のイベントは、普通は企画会社が間に立って権利関係の交渉などもすべてやってくれるんですが、うちは全部自分たちでやっておりますので、まずは手塚プロさんにどうやって連絡を取ったらいいかという、そこから話が始まりました。
それで調べたところ『会津若松冒険王』という過去の観光キャンペーンでもご協力をいただいた、手塚先生と会津の関係を熱心に研究されている地元の方がいらっしゃるということで、さっそくご連絡させていただきました」
それが会津漫画研究会の白井祥隆さんですね。
「そうです。お目にかかって企画を説明したところ、白井さんはすぐに手塚プロに連絡を取ってくださって、後日私どもがあらためて東京の手塚プロへ企画の説明にうかがい、今回のスタンプラリーが実現したんです。白井さんにはその後も企画展の開催や資料提供など様々な形でご協力いただいています」
スタンプが全部で53種類もあるのにびっくりしたんですけど、各市町村ごとにそれぞれキャラクターを使い分けてるんですね。
「そうなんです。手塚プロさんからはどれでも好きなキャラクターを使っていいですよ、と言われましてね。ではどうやって割り振ろうかと。うち(会津若松市)が各市町村に一方的に割り振ったら不満も出るだろうということで、ドラフト制にしようということになりました。
各市町村の担当者さんに好きな手塚キャラを第17候補まで選んでいただき、もしも他の市町村とかぶった場合には抽選になります、とご説明をさせていただいたんです」
そうなるとアトムやレオなどの人気キャラクターが競争率高かったんじゃないですかね。
「私どもも最初はそう思っていたんです。ところが皆さん予想以上に真剣に考えてくださったようで、かなり希望がばらけたんですよ。例えば磐梯町には慧日寺(えにちじ)という歴史あるお寺があってそこが名所なので、それに因んで“ブッダ”を指名したそうです。
北塩原村が選んだ“ユニコ”もそうですね。北塩原村には五色沼という、湖水が様々な色に見える幻想的な湖沼群がありますので、そこにはもしかしたらユニコみたいな幻獣もいるかもしれない、というイメージからユニコを選んだということです」
市町村ごとに意味を考えながらキャラを選んでいるというお話、面白いですね。じゃあ例えばランダムにうかがってみると、三島町は“火の鳥”を選んでいますが、これにも意味があるんですか?
「えーと、確かめたわけではありませんが、三島町は会津地鶏という特産の地鶏が名物となっておりますので、恐らく鳥つながりで“火の鳥”を選んだのではないかと思われます」
あー、なるほど。鳥は鳥でも食べちゃうんですねー。不老不死になれるかもしれません! そして会津若松市は手塚治虫先生を選んでいますが。
「私どもは事務局なので、皆さんに先に選んでいただいて最後に残ったキャラを使おうと考えていました。それでフタを開けたところ手塚治虫先生はどこも名乗りをあげていなかったので、手塚先生を使わせていただくことにいたしました」
大竹さん、橋谷田さん、貴重なお話ありがとうございました。
そして帰り際、橋谷田さんからもうひとつスペシャルな追加情報があった。鉄道模型などを発売している株式会社トミーテックから、先ほど紹介した会津バスのラッピングバス『手塚治虫漫画家デビュー70周年記念号』のミニカーが発売されるという。発売は2016年11月中旬予定で150分の1スケールのNゲージサイズ、予価1,600円(税別)とのこと。買い逃しのないようにご注意を!!
大竹さんと橋谷田さんに見送られながら会津若松市役所を後にして、今日は日のあるうちにスタンプのある場所をいくつか巡ってみることにした。まず向かうのは大竹さんと橋谷田さんにお薦めいただいた大内宿に決定。
大内宿は南会津郡下郷町にある古い宿場町で江戸時代の宿場の風景がほとんどそのまま今に受け継がれているという貴重な場所なのだ。手塚治虫キャラクタースタンプラリーでは33番目のスタンプスポットになっている。カーナビに目的地をセットしていざ出発である。
スタンプラリー帳には会津若松市内から大内宿までの距離およそ31km、車で約52分とあるが、橋谷田さんによると連休や観光シーズンには道路が渋滞することもあるという。なので皆さんが行かれる際には交通情報に注意して時間に余裕を持って行動してください。
電車を利用する場合は会津鉄道湯野上温泉駅が最寄り駅となり、そこからタクシーで約10分ほどだそうです。
途中、多少の渋滞はあったものの1時間ちょっとで無事に大内宿に到着した。大内宿の中は一般車両進入禁止なので、大内宿の目の前にある有料駐車場へ車を駐める。料金は大内宿整備保存協力費として軽・普通車1回300円となっている。
スタンプラリーのスタンプはこの駐車場内にある観光案内所に置かれている。車を置いたら大内宿へ向かう前にまずはスタンプである。下郷町のスタンプキャラクターはピノコだ。案内所へ入ってスタンプを捺していると、若い女性スタッフが声をかけてくれた。
「スタンプ、けっこう貯まりましたか?」
まだ2つ目です、とぼくが答えると「がんばってくださいね」とやさしく微笑んでくれた。会津の人は気さくで親切だなぁ、と思いつつ、ぼくの方からも質問してみた。
「スタンプ捺しに来る人、けっこういますか?」
するとお姉さん、
「多いですよ、特に日曜日には何人もいらっしゃいますね。20人とか30人とか。夏休みになったらもっと増えるんじゃないでしょうか(さんぽ当日は7月中旬)。どんな方が捺しに来られるか、ですか? そうですね、男性の方でおひとりでいらっしゃって何冊も捺して行かれる方とか、あと親子でいらっしゃる方も多いですね」
お姉さんにお礼を述べて大内宿へと向かう。南北に走る県道131号線と並行して、その西側を走る細い道、そこが江戸時代の旧道で、その旧道に沿って大内宿がある。
大内宿の公式サイトによれば、その道はかつて会津と下野の国(現・栃木県日光市)を結ぶ下野街道であり、会津から3番目の宿場町として1640年ごろに整備されたのが大内宿だそうである。全長450mほどの道の両側に木造茅葺き屋根の民家が整然と建ち並んでいる。その風景はまるで時代劇のセットのようである。
しかも愛知県の明治村や東京小金井市の江戸東京たてもの園のように建物を博物館としてただ保存しているのではなく、ほとんどの家に人がいてお土産屋さんや飲食店、民宿などを営んでいる。実際に人が住んでいるから町も建物もちゃんと生きている感じがする。それがとても素敵な町ですね。
ちょうどお腹も空いてきたので、こちらも橋谷田さんお薦めのねぎそばを食べることにした。
ねぎそばというのは別名“高遠そば”とも呼ばれるこの地域の郷土食だそうで、大内宿には「ねぎそば」の看板を掲げたお店が何軒もある。何といってもその特徴は、割り箸を使わないで、一緒に付いてくる1本の長ねぎでそばをすくい上げて食べるということだ。長ねぎはそばを食べながらときどきかじることで薬味としての役割も果たしている。
いったい何でこんな奇妙な食べ方をするようになったのか、そのルーツは判然としなかったが、面白いので迷わず挑戦である。
適当に入ったお店でねぎそばを注文すると出てきたのが写真のもの。これ、うまく食べられるのか? と思ったら、ねぎは予想以上に摩擦係数が高いらしくてむしろ割り箸よりも滑りにくい感じだ。あとはねぎの先の曲がったところにそばをひっかけたら、丼に口を寄せてすする。これがまた割り箸とは違うねぎの口当たりで味わい深いのだ。コーラや牛乳を瓶で飲むのと紙パックで飲むので味わいが違うのと同じだろう。
仕事の取材で日本全国へ出かける機会はあるけど目的地へ直行直帰してしまうことがほとんどなので名物や名所にはほとんど縁がない。今回も手塚治虫キャラクタースタンプラリーがなければこんな珍しい経験は出来なかったでしょう。ありがとう手塚先生!!
お腹を満たした後は車に飛び乗り、再び国道118号線を一気に北上、次に目指すのは猪苗代湖の北側、磐梯山のふもとに位置する猪苗代町だ。
ナビにセットした目的地は猪苗代町中津川渓谷レストハウス。大内宿からの距離はおよそ80km。一部磐越自動車道を利用したとしても予想所要時間は1時間50分。これは急がねば。
猪苗代町のスタンプキャラクターはメルモちゃんである。1971年のテレビアニメ放送当時からのメルモファンのぼくとしては、他のスタンプはパスしても、メルモだけは絶対に捺さなければならないのだ。
途中道の駅ばんだいでブッダのスタンプを捺し、桧原湖の景色がきれいな駐車場があったのでチラッと立ち寄るが、気持ちはすでにメルモ一直線である。そして森に囲まれた山道をどんどんと登っていった先に、ようやく中津川渓谷レストハウスが見えてきた。
標高はおよそ800m。下界は晴れていたのに、ここまで登ってくると空気がしっとりとしていて、あたりは幻想的な霧に包まれている。
ここでついに念願のメルモちゃんスタンプをゲット。スタンプがレジ横に設置されていたので、スタンプを捺しているとき、店長さんらしき男性がここでも親しく声をかけてくださった。その方にうかがってみると、今日も何人かのお客さんがスタンプを捺していったということだ。
男性は「スタンプラリーというとお子さんがやられることが多いと思いますが、このスタンプラリーはけっこう大人の方も捺しにいらっしゃいますよ」と語っておられました。
その後、北塩原村の道の駅裏磐梯で、五色沼にいる(かも知れない)ユニコのスタンプをもらい、本日ラストの目的地として向かったのは会津の北方に位置する、喜多方ラーメンで知られる蔵の街・喜多方市だ。喜多方市のスタンプは鉄腕アトムである。
今回さんぽにうかがった2016年7月16日と17日の2日間は、ちょうどここで『喜多方レトロ横丁』と題したイベントが開催されていた。ここへ来た目的のひとつは、このイベント開催期間中だけもらえるイベント限定スタンプを捺してもらうこと。
そしてもうひとつが、イベントのひとつとして開かれている『手塚治虫ギャラリー&ブックミュージアム』を見学することだ。
車を臨時無料駐車場に設定されている小学校の校庭に駐め、徒歩でイベント会場へと向かう。
喜多方駅の北側に南北に延びている県道25号線、そこがふれあい通り商店街という商店街になっている。長さはおよそ450m。その商店街を完全に車両通行止めにし、道の中央には数多くの露店が並び、各お店でも様々な企画展示が行われている。ホーロー看板の展示やレトロなオートバイの展示、鉄道模型の展示など。さらに路上でも歴史的な発動機や農具の展示が行われていたり、子どもが乗れるミニ機関車が走っていたり、学校給食が食べられるお店などもある。
今回で12回目になるというが、当初予想していたよりもはるかに大規模なイベントで驚いた。この本気度はすごいです。
イベントの目玉は、このためにわざわざ日本全国から馳せ参じたというクラシックカーのパレード「レトロモーターShow」だ。国産・外車問わず懐かしい往年の名車が数十台、目抜き通りをゆっくりと走行。車がメイン会場前を通過する時には、カーマニアのマイクパフォーマーさんが1台1台にマニアックな解説を加えておりました。
そしてこちらのイベント限定スタンプは、昭和時代の懐かしいおもちゃや本、生活道具などを集めた博物館「昭和レトロミュージアム」の中にありました(入場無料)。
このイベントで、かつて本屋さんだった空き店舗を利用して開かれていたミニギャラリーが『手塚治虫ギャラリー&ブックミュージアム』だ。壁面の本棚には手塚マンガがズラリと並び、ガラスケースの中には、手塚先生が会津を訪れたときの写真や、懐かしいアニメのセル画、手塚先生が地元の方にプレゼントしたサイン色紙(複製)などが展示されている。
筆で描かれたカラーの色紙からは手塚先生の地元の人に対する感謝の気持ちや心遣いがひしひしと感じられ、心が温かくなってくるものでした。
ということで先を急ぐぼくは、帰り際に適当な喜多方ラーメンのお店へ飛び込んで塩ラーメンを注文。出てきたラーメンを一気にかきこんですぐに店を出る。会計を忘れて追いかけてきたお店のお姉さんにお代を払って車へ飛び乗り、会津若松駅へととんぼ帰りする。
何しろ今回の虫さんぽは予定がみっちりと詰まっているのだ。午後6時20分には絶対に会津若松駅に着いていないといけないのだ。
なぜかって? それは間もなく分かります。
6時5分、会津若松駅前へ到着。何とか予定時間に間に合ったぼくは車をコインパーキングに駐め、デジカメを持って駅前のバスターミナルで“あるもの”の到着を待つ。
待つ、ひたすら待つ。6時20分。情報ではもう来るはずなんだけどまだ現れない。
間もなく7時になろうとするが一向にヤツが現れる気配はなく、7時を過ぎても来なかったらあきらめようと思っていたところ、6時57分になってついに“それ”が交差点の向こうからゆっくりと姿を現わした。
ずっと待っていた“それ”とは、今朝紹介した会津バスの『「手塚治虫漫画家デビュー70周年記念号」〜会津 手塚治虫キャラクターラッピングバス〜』だったのだ。
午後に新宿駅を出発したバスがおよそ4時間半をかけてここ会津若松駅までやってきたのだ。東京からやってきたお客さんたちがバスから続々と降りてくる。ようこそ会津若松へ! そして全てのお客さんを降ろしたバスはまた静かに駅前を去って行ったのだった。
さて次回10月31日公開予定の後編では、先ほども何度かお名前の出た会津漫画研究会会長・白井祥隆さんの案内で、前回のさんぽで行けなかった手塚スポットを訪ねる予定です。
ところが待ち合わせ場所にやってきた白井さんからぼくに意外な提案があった。
「お久しぶりです黒沢さん。じつはせっかく来られたので手塚スポットをご案内する前に、付き合っていただきたいところがあるんです」
そう言って白井さんが連れていってくれたのは思いもかけない場所だった。そこで待っていたのはいったい誰だったのか、さらにその方々が見せてくれた“あるもの”とは!?
ということで次回会津さんぽ後編もお楽しみに。ぜひまたご一緒に会津を歩きましょう!!
黒沢哲哉
1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番