今月の虫ん坊では、手塚治虫のSF短編マンガの中でも根強い人気を誇る『荒野の七ひき』(手塚治虫漫画全集『ライオンブックス』1巻 所収)をご紹介します。
例えば、
・殺伐とした現代社会に疲れ、癒しを求めている
・通知表で、協調性に欠けると書かれたことがある
・基本、ぼっちで集団行動が苦手だ
・最近、忙しくて、ご飯を味わいながら食べられていない
・ソーシャルでしか人と会話をしない日がある
・尽くしているはずのに、彼(彼女)に大切にされていないと感じる
・ポケモンマスターになれない
etc.
ひとつでも思いあたる節があるすべての人々に、是非いま読んでいただきたい秀逸な作品です!
(手塚治虫 講談社刊 手塚治虫漫画全集『ライオンブックス』7巻あとがき より)
「ライオンブックス」の名は、集英社のかつての名編集長長野さんの命名によるものです。
昭和三十一年、長野さんはぼくのSF(当時日本ではまだSFということばすら一般化していませんでした)作品の極めつきを毎月別冊で描かせ、その連作をライオンブックスと名づけようと企画しました。毎月の別冊とは、もうたいへんな仕事でした。十二冊描きましたが、人気もいまひとつのところで、ひと段落して中止することになりました。
しかし、六巻のはしがきにも書いたように、当時のSF漫画としては発想が先走りすぎました。この連作を読んでインスピレーションをひろげた読者たちが、多くSF作家や漫画家になりました。
二度めの「ライオンブックス」は、昭和四十六年、とつじょとしてまた長野さんから再出発をうながされ、はじめたものです。
こっちのほうは、別冊ではなく、一か月に一度の本誌読み切りでした。これも二十四本ほどで終結になりました。 こちらのほうは、やはり二番煎じのきらいはまぬがれませんでしたが、すでにSFブームを来たしている時代でもあり、前回のものよりテーマ、内容ともに凝ったものになっています。なによりも、「百物語」という思わぬ代表作が生まれたことは、ぼくにとって幸いでした。
それ以来、長野さんはじめ集英社のかたから、時折、読み切りをたのまれて描きますが、それらは程度の差はあれ、「ライオンブックス」の申し子たちであり、この全集ではそれらの作品を、「タイガーブックス」という名で収録してあります。
なぜこのSF短編作品のタイトルが『荒野の七ひき』なのか? それは2人の地球人が、5人の宇宙人を捕虜にして、荒野をさまよう物語だからで、つまり2+5で7ひきというわけです。ではなぜ「七人」ではなく「七ひき」なのか? どうやらそこに、この作品のテーマが隠されているようです。
地球人である潮と味島の2人は、汎地球防衛警察同盟の決死隊員として、地球へ降りてきた宇宙人を200人ちかくも奇襲攻撃で殺し、5人の生き残りを捕虜にします。しかし、その5人を本部へ護送する途中、ミスで護送車を破壊してしまい、捕虜を連れたまま荒野をさまよい歩く事になるのですが……。
この作品で描かれる、種族の異なる5人の宇宙人たちの、徹底した自己犠牲と助け合いの行動は、あくまで捕虜を支配し、威圧的にふるまおうとする地球人の2人の態度と対比されています。それは他人を傷つけ、争いを繰り返す人類に対する諷刺であり、同時に他人との違いを理解し、助け合い、慈しむ心を持ってほしいという啓蒙でもあります。
なぜ「七ひき」なのか——それはつまり、地球人の2人も、5人の宇宙人も、おなじ7ひきの生き物である、という手塚治虫の視点が生んだタイトルといえるでしょう。
SFとしても充分大人の鑑賞に耐える作品ではありますが、若い世代の読者にぜひおすすめしたい一篇です。
瀕死の状態の中、同じ人間のキャラバンを発見した味島は、助けを求めいちもくさんに駆け寄りますが、相手から敵が現れたと誤解され、銃撃戦となってしまいます。
わずか21ページの短編にもかかわらず、清々しいほどの傲慢さでクズっぷりを発揮していた彼ですが、このシーンでは散々邪険に扱っていた捕虜の宇宙人を命懸けで守ろうとします。
地球人側もはじめは誤解にもかかわらず、宇宙人たちが地球を攻めようとしていると思っていました。指令を受けた味島と潮は当然のように宇宙人たちを襲います。攻撃という行動に移すことで、宇宙人たち=未知なるものに対する脅威や恐怖心を拭い去ろうとしていたのかも知れません。同様に、キャラバンたちにとっても、突如武器を持って現れた味島たちは単に自分たちをおびやかす存在でしかありませんでした。そう考えると、味島の今までの態度はおびえきっていた彼の本心の裏返しだったと言えます。
「タベル?」
水も食べるものもない極限状態の中、自らの身体を差し出す宇宙人のセリフです。
『荒野の七ひき』に出てくる宇宙人には名前がないため、虫ん坊スタッフの間では、通称「タベルくん」と呼ばれて親しまれています。
いつの間にか「食べる」という地球人の言葉を覚え、まるで飴ちゃんを配り歩く大阪のおばちゃんのような気軽さで話しかけてくる彼。
その行為と風貌から、やなせたかし先生原作の名キャラクター、アンパンマンに通じるものを感じる人も多いでしょう。
彼らの星では、ひもじい人間がいたら自らの身体を与えるという習慣がありますが、ただ、分け与えるだけではなく、そうすることで他の人間が少しでも多く助かる可能性に賭けているのです。
命を落とす危険すらいとわないその姿は、未来への強い希望の想いであふれています。