敗戦直後の大阪で、手塚治虫は医大生として、またマンガ家として二足のわらじをはいて歩み始めた。いまだ生々しい戦争の記憶、廃墟となった街。それらは若き日の手塚に生涯変わらない戦争批判の気持ちを植え付けた。でも一方で手塚は、平和と復興に向けて力強く歩み始めた人びとに大きな期待も寄せている。この時期に描かれた手塚作品には、そんな時代の気分が素直に描かれている。今回はこの当時の代表作『ジャングル大帝』を中心に、手塚治虫の文明観を読み解いてみよう。
今回のテーマは昭和20年代の手塚治虫の文明観についてです。これは前回のコラム『大阪赤本と秘境探検ブームの時代』から続くお話として当初から予定していたものでした。
けれども、その執筆の準備をしている中で東日本大震災が起こりました。被災された方々はいまだ苦しい状況の中で日々を送られていることと思います。この場を借りて心よりお見舞い申し上げます。また原発事故問題もいまだ解決の目処が立たず、放射能汚染という二次被害が広がり続けており、世界中が不安に陥っているさ中でもあります。
そうした状況の中で文明観について語ることが果たして適切なのかどうか悩みました。
しかし、そんな迷いの中であらためて『ジャングル大帝』を読み返してみると、不思議と元気が湧いてきました。震災でしぼんでいた気持ちや将来への不安がフッと軽くなった気がしたのです。
それはなぜなんだろう。この作品には近ごろのテレビのような「がんばれ、がんばれ」と連呼する励ましの言葉は一切出てきません。そこに描かれているのはアフリカの密林に住む白いライオン一族の3代に渡る生き様の物語です。森の平和を脅かす人間たちとの壮絶な戦い。まだ見ぬ故郷を目指す幼いレオの命がけの旅。肉食獣と草食獣との間で模索される共存への道──。そうした様々な出来事の中で、生き物たちがそれぞれ必死に生きている姿が描かれているのです。
そうした中で、彼らが常に正しい選択をするとは限りません。主人公のレオでさえ誤った判断をし、それが取り返しのつかない結果をもたらしてしまうこともあるのです。このマンガは彼らの生き方を通して、人間が生きることの厳しさをありのままに描いているのです。
でもそんな厳しい世界にあってなお、生きて前へ向かって歩こうとする姿が、今のぼくの落ち込んだ気持ちに活力を与えてくれるのです。
このマンガが発表された当時も日本は大変な状況にありました。そしてそんな中で読者はレオたちから大きな勇気をもらったにちがいありません。そうしたことから、今回のテーマはやっぱりコレでいこうと決めました。
このコラムを読んで興味を持たれた方は、ぜひ『ジャングル大帝』を読んでみてください。すでに読んだことのある方も読み返してみてください。今の萎れた気持ちがほんの少し軽くなるかもしれませんよ!
ではいよいよ本題です。皆さんは“
昭和20年8月15日、長かった戦争がようやく終わり、灯火管制の必要がなくなった夜空に煌々と明りが灯った。
戦後生まれのぼくはもちろん当時を知るわけではないが、その日を経験した多くの人が、光り輝く夜景を見て初めて「ああ、本当に戦争は終わったんだ」と実感したと語っている。
手塚治虫も、この8月15日に大阪の夜景を見たときの思い出をこう記している。
「H百貨店のシャンデリアが、はげ落ちた壁の間で、目も眩むばかりに輝いている。何年振りだろう、灯火管制がとかれたのは? その灯を見ていたら、はじめて平和になったのだという気分がこみ上げてきて、満足この上なく、踊り狂わんばかりに陽気になった。
──ヒャア、おれは生き残ったんだ。幸福だ──」(講談社版全集第383巻『手塚治虫エッセイ集1』より)
このときの電気の光は、科学文明を知る現代人にとって、まさしく平和の象徴だったわけである。
けれどもその一方で、つい昨日までは、その科学文明によってもたらされた
そのため手塚が戦前から戦時中にかけて構想したという初期SF3部作『ロスト・ワールド』(昭和23年)、『メトロポリス』(昭和24年)、『来るべき世界』(昭和26年)には、科学文明を過信し、それに
特に、人間の身勝手によって生み出された人造人間が、人間社会を大混乱に陥れるという物語『メトロポリス』では、ヨークシャー・ベル博士が冒頭とラストシーンで語るこの言葉が、読むものの胸にストレートに突き刺さる。
「いつかは人間も 発達しすぎた科学のために かえって自分を滅ぼしてしまうのではないだろうか?」
こうした手塚の、科学文明を悪用することに対する批判の姿勢は終生変わらず、多くの作品でそれを読み取ることができる。
ただしここで読み誤らないように注意したいのは、手塚マンガは決して科学文明そのものを批判しているわけではないということだ。
1980年代ごろだったか、科学文明に対する一種の反対運動のようなものが少しだけ流行した時期がある。人間が人間らしく生きるためには文明を捨てて自然に帰るべきだという運動だ。そしてそのころ、『ジャングル大帝』などの手塚マンガがその先駆として注目されたのだ。
だけど、その運動家たちもそれを紹介したメディアもその内容を完全に読み誤っていたのは、手塚マンガは今も言ったように文明そのものを批判したことは一度もないということだ。
『ジャングル大帝』は、確かにジャングルに暮らす動物たちと人間との対立を描いており、その限りにおいては、人間の文明社会を鋭く風刺したものになっている。
人間社会で成長したレオが、初めて見た故郷のジャングルが想像とまるで違う未開の地だったことに絶望するシーンなどは、まさしくその象徴と言えるだろう。
例えばここでレオが気を取り直し、人間社会で学んだ文明を捨てて野性に帰り、大自然の中で生きることを選択したのなら、
けれどもレオのした選択はそれとはまるで逆だった。
レオは動物たちに人間の言葉を教え、密林を
当時、『ジャングル大帝』を盛んに持ち上げていた自然回帰派の人たちは、このエピソードをいったいどう読んでいたのだろう。あるいは実際はろくに読んでいなかったのかも知れませんね(笑)。
ともかく、レオはこうして人間社会の文明をジャングルに次々と持ち込み大改革を行っていく。そしてついには動物たちがレオに内緒で自主的に、ジャングルの中に古代神殿のような巨大な宮殿まで作り上げてしまうのだ。
動物たちが自分の持てる能力を最大限に発揮しながら地盤を固め、石を運び、木材を切り出し、次第に宮殿の姿が見えてくる。
このあたりのまるで予想のつかない展開は、まさに手塚マンガの
連載当時は、日本各地で戦災からの復興の
読者は恐らく、そんな明るい未来への希望と重ね合わせながら、レオのジャングル文明化計画を胸躍らせて見守っていたに違いない。
今回の震災報道の中で、被災地に電気が回復し、ようやく家の電灯が付いたとき、その場にいた全員が「わあっ!」と喜びの声を上げたのがものすごく印象的だった。
それはきっと手塚が終戦の日に大阪の夜景を見て感じた幸福感にも等しいものだったに違いない。やはり電灯の光は、単なる明るさを提供するだけのものではなく、文明社会そのものの象徴なのだ。
今後、原発事故が安定化へ向かったとき、ぼくらは、あらためて電気エネルギーをどのように生み出し、それをどのように使っていくのか、決断を迫られるときがくる。
今回の事故を反省材料として原発をより安全なものとして対策を施し、再び運用させるのか。あるいは生活を変えて減った分のエネルギーを節約することで対応するのか。
願わくばそのときに、レオのような決断力と行動力を持った人が出てきてぼくらをより良い方向へ導いてくださいますように。……って、お前は他力本願かよ!>黒沢
黒沢哲哉
1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番