ついにゴールデンウィークに突入! みなさんはどこへお出かけされるのでしょう。なーんにも予定がないよと言う方は、たとえばこんな異国情緒あふれる港町虫さんぽはいかがだろうか。今回は手塚治虫先生がマスコットキャラをデザインした横浜博覧会「YES'89」会場跡地を巡り、鉄腕アトムが現役でマスコットキャラとして活躍しているサッカースタジアムまでを歩きます!!
本日の横浜さんぽは、横浜高速鉄道みなとみらい線日本大通り駅からスタートです。しかしおしゃれな港町を歩くのに黒沢ひとりでは絵的に地味だ。手塚プロのプロデューサーがそう考えたからかどうかは分からないが、今回は虫ん坊の編集担当・O山も同行することになった。ここで待ち合わせなんだけど……おーっ、いたいた、O山登場である。春っぽい薄手の上着にアトムのキャラクターの付いた白いキャップをかぶり戦闘態勢もばっちりだ。さっそく出発しよう!
まず最初に向かう手塚スポットは横浜港の昔からのシンボル「大さん橋」だ。駅から地上へ出たら案内看板に従って北へ歩く。やがて花壇に囲まれた噴水が見えてきた。ここは開港広場公園というちょっとした公園になっている。「すっかり春だな~」と和みながらふと上を見ると目の前に歴史のありそうな古いレンガ色のビルが建っていた。早くも異国情緒満点である。
日本大通り駅から徒歩およそ5分で「大さん橋」に到着。岸壁には日本最大の大型クルーズ客船「飛鳥Ⅱ」が停泊している。それにしても、ここへ来るのは20年ぶりなので風景が一変していて驚いた。昔は真四角なコンクリートの岸壁が海へ突き出していて、そこにターミナルビルが建っているだけのそっけない場所だったんだけど、今はウッドデッキ風の板張りの床と壁が優雅に波打っていたりして、とってもおしゃれな場所になっている。資料によれば2002年に改築されて現在の形になったようだ。
この大さん橋が登場する手塚マンガが2作品ある。ひとつ目は1972年から73年にかけて雑誌『ビッグコミック』に連載されたサスペンスマンガ『奇子』だ。連載第1話の冒頭、終戦から間もない昭和24年1月、戦地から帰還する元兵士たち=復員兵を満載した復員船が大さん橋に着岸し、船からたくさんの復員兵たちが降りてきている。
その中に主人公・天外仁朗もいた。仁朗を出迎える母と妹。だが仁朗は久々の再会にもかかわらず故郷へは直行せず、その足で日比谷へ向かう。彼が行ったのは当時占領下にあった日本を統治していたGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の本部だった。仁朗はそこで事務官らしき日系人の男に何かを手渡す。
いわくありげな場面が次々と続き、早くも先を読まずにはいられない期待感でいっぱいになってくる。そしてこの時代の空気感をたったワンシーンで表現していたのが復員兵でごった返す横浜大さん橋の風景だったのである。この場面に描かれている大さん橋の風景は、確かにぼくが記憶している、かつての大さん橋の風景だ。
そして大さん橋が登場する手塚マンガのふたつ目は1983年から85年にかけて雑誌『週刊文春』に連載された『アドルフに告ぐ』だ。こちらは時代がさらにさかのぼり昭和8年9月、クイーン・エリザベス号が横浜港へ寄港した場面が描かれている。このとき船からひとりのドイツ人が降り立った。男の名はラムゼイ。だが実はこれは彼の数多い偽名のひとつに過ぎず、後に明らかとなった本名はリヒァルト・ゾルゲ博士。彼は当時のソビエト連邦のスパイだったのである。
史実ではゾルゲ博士はその後昭和16年に日本政府の機密をソ連に漏らしたとして尾崎秀実らとともに逮捕された。これが当時の日本を揺るがしたスパイ事件=ゾルゲ事件だ。ということでここでも不穏な時代に起きた歴史的な事件の始まりの舞台として、ここ横浜港が描かれていたのでありました。
大さん橋を後にして次に目指すのはいよいよ横浜博覧会の会場跡地である。現在はみなとみらい21地区として再開発が進み、大さん橋以上に風景が一変してしまっているというが、果たして横浜博当時の面影を残したものは何か残っているのだろうか。
しばらく歩いていくと右手に2棟の巨大な赤レンガ倉庫が見えてきた。ここは手塚スポットではないが大さん橋と並ぶ横浜のシンボルなので少し立ち寄ってみることにしよう。海の方を向いて右側に建っているのが1号館で左側が2号館である。明治時代に保税倉庫として建築された建物で、ちょうど横浜博が開催された1989年までは実際に倉庫として使われていた。
倉庫としての役目を終えた後は取り壊しという話も出たが、最終的には土地と建物を横浜市が買い取り保存のための大規模な修復作業が行われた。そして2002年、ホールや展示スペース、レストランやショップなどが入った商業施設として生まれ変わったのである。ここもぼくが記憶している20年前の赤レンガ倉庫からは雰囲気が一変していたが、単に博物館的に建物を残すだけではなく実際に活用されていることで、建物も生き生きしているような気がします。
食事のできるお店もいっぱいあるしお土産も買えるので、あらかじめここらでランチタイムになるようなコース取りをして、ここでゆっくりと横浜情緒を楽しむのもありですね。
O山はシウマイ弁当の屋台やアクセサリー小物のお店がものすごく気になる様子だったが、ぼくらは先を急ぐので彼女を引きずるようにして先へと進む。
赤レンガ倉庫から西へ向かって歩いて行くと、前方に大観覧車が見えてきた。正式名称は「コスモクロック21」。これこそ横浜博覧会の会場内に建設されたアミューズメントゾーン「コスモワールド・子供共和国」のメインアトラクションとして建設された観覧車だったのだ。全高112.5m、乗車定員480名。建設当時は世界最大の観覧車としてギネスブックにも登録されたという。現在この観覧車が立っている場所は横浜博開催当時の場所とは変わっており、運河を挟んでみなとみらい21地区の対岸へおよそ100mほど移設されている。従ってこれに乗れば横浜博覧会の会場跡地を一望できるはずだ。さっそく乗ってみよう。チケットは3歳以上ひとり800円か。
と、横を見るとO山の口数が少なくなっている。聞くとO山は高いところが苦手なのだという。そっかー高所恐怖症なのか、それじゃ観覧車は辛いかもねー。すみません大人2枚お願いします。
「えっ、私も乗るんですか?」
「もちろんです。虫さんぽ隊に撤退の2文字はありません」
ということでロボットのようにこわばっているO山をゴンドラへ押し込む。1周約15分、ぼくが快晴の横浜港のパノラマ風景を楽しむ間、O山は最初に座ったポジションから1ミリたりとも動こうとしなかったのだった。
ゴンドラがゆっくりと上昇していくにつれて、みなとみらい21地区の全景が少しずつ見えてきた。
1989年3月25日から10月1日まで、この場所で横浜博覧会(YOKOHAMA EXOTIC SHOWCASE '89=略称YES'89)が開催された。敷地面積は69ヘクタール。「宇宙と子供たち」をメインテーマとして多数の企業や団体がパビリオンを設置し、入場者数は公式発表で1,300万人にのぼったという。
手塚先生はこの横浜博のマスコットキャラクター「ブルアちゃん」のデザインを手がけた。ブルアちゃんという名前の由来は英語のブルー・アース(=青い地球)から来ていて、地球と地球の自然を何より大切だと訴え続けた手塚先生の思いが込められている。だが手塚先生はこのころすでに体調が優れずに入退院を繰り返しており、博覧会の開催を見ることなくその年の2月9日にこの世を去ったのだった。
今回、手塚プロ本社に保管されていた手塚先生のデザイン原画をO山が見つけてきたのでここに大公開いたします。
手塚先生の原画類などの貴重な資料はすべて新座スタジオにある保管庫に厳重に保管されているのだが、この原画はなぜかその他の資料にまぎれて本社に置かれていたのだという。それを見つけてくるとは、O山もたまにはちゃんと仕事をしているのである。
この原画について、当時手塚先生のチーフアシスタントをされていた伴俊男さんにお尋ねしたところ、メールでお返事をいただいた。文中に出てくる面高さんというのは当時の版権部長だった面高昌治氏で、甲斐君というのは元アシスタント・甲斐謙二氏のことだ。甲斐氏は手塚プロを辞めてからも手塚プロの版権用の絵の仕事などをされていたそうである。
「添付してもらったキャラ(の線画)はアシスタントの手が入ってるっぽいですね。特に太くなってる線のキャラクターは、アシスタントに線を太らせたのじゃないでしょうか。
一つ見本に先生が太らせた線を入れて、アシスタントが習って線を太らせる…ような感じで。
どうもあまりはっきり覚えがないのですが、一度企業のキャラで一晩徹夜した覚えがあるんです。先生がいくつものパターンのマスコットキャラを描かれて、翌朝に企業の偉い人が来て決めるというような日でした。面高さんも真剣な表情をしてました。その時、4階からたくさん降りてくるキャラクター見本画の線を太くして色を塗ったような気がするんですが…どうもはっきりしません。
翌朝、キャラクターは企業からOKが出て面高さんも笑顔になってました。なすび型の顔のキャラでした。線を太らせる作業は思ったよりずっと時間と手間がかかります。甲斐君の仕事で先生のキャラの線を太らせたことがあるんですが、僕が“甲斐タッチ”と呼んだ線の太らせ方はやはり手間がかかって大変でした。」
文中で「(見本画が)4階から降りてくる」という表現があるが、当時手塚先生はマンション4階の仕事場でひとりで仕事をしており、アシスタントの部屋は同じビルの2階にあったために4階から2階へと原画が運ばれてくることをこう表現されているのだ。
そしてこのような行程を経て完成したブルアちゃんのキャラクター原画が横浜博のパンフレットに使われたり公式グッズとして商品化されたりしたのである。そのごく一部をここに紹介しよう。
観覧車から降りたら急に元気になったO山がお腹が空いたというので、隣接する大型商業施設「横浜ワールドポーターズ」で昼食を取る。
「ふ~、お腹いっぱいです。黒沢さん、ゆっくりしてる場合じゃないです。早く横浜博の会場跡地へ行きましょう」
お腹が空いたと言ったのは誰だか完全に忘れてしまったO山に引っぱられるようにして運河に架かる国際橋を渡り、ぼくらはみなとみらい21地区=横浜博覧会会場跡地へと上陸した。
会場跡地は現在、ランドマークタワーやホテル、国際会議場、商業ビルなどが建ち並び、当時の面影はほとんど残っていない。当時のままの姿でわずかに残るのは、横浜博のパビリオンのひとつとしてオープンし、その後も恒久施設として残された「横浜美術館」と、「帆船日本丸」くらいだろうか。
帆船日本丸は昭和5年に進水した航海訓練用の帆船で、1984年に退役して以来ここ横浜港の日本丸メモリアルパークに係留展示されている。博覧会に際してこの日本丸メモリアルパーク内に海と船の歴史を学ぶ「横浜マリタイムミュージアム」が開館。同施設は2009年4月に横浜みなと博物館と改名されてリニューアルオープンし現在に至っている。
それからもうひとつ横浜博当時の遺構がありました。JR桜木町駅から横浜博の会場入口まで設けられた動く歩道である。当時は動く歩道はまだ珍しく横浜博の売りのひとつになっていた。その高架歩道橋が現在はランドマークタワーへ向かう道として残っていてそこで動く歩道もしっかりと稼働中である。
歩き疲れたのでファミレスへ入って休憩したら時間が押してしまったので、タクシーを拾って次の手塚スポットへ急ぐことにした。
「ヘイ、タクシー!!」
ぼくがそう叫んでやってきた空車のタクシーに右手を挙げたところ、O山から「黒沢さん、叫ばなくてもタクシーは止まりますよ」と突っ込まれた。いやいやいや、昭和の時代の映画やテレビドラマでは、事件記者が容疑者を追っていて急いでタクシーを拾う時には必ずこうやって叫ぶのがお約束だったのだよ。
ということで、みなとみらい21地区からタクシーでおよそ15分、本日最後の目的地「ニッパツ三ツ沢球技場」へと到着した。ここはサッカーJリーグのクラブチームである「横浜FC」のホームスタジアムだ。そしてこの日はこれからここで横浜FCと徳島ヴォルティスとの試合が開催されるのだという。それにしてもサッカーと手塚治虫。どんな関係があるのか?
会場前でぼくらが待ち合わせていたのは手塚プロ著作権事業局営業1部のディレクター・若色伸明氏である。間もなくしてその若色氏がやってきた。じつは若色氏は大のサッカーファンであり横浜FCのサポーターでもある。その若色氏が横浜FCへのコラボレーション提案ののち、2016年3月から始まったのが「鉄腕アトム×横浜FC」コラボグッズの発売だったのだ。
しかもこのさんぽ当日には、ちょうどこの日から発売される新商品もあるという。それは楽しみです!!
若色さんの案内でそのコラボグッズが販売されている横浜FCオフィシャル公式スタジアムショップへと向かう。ちなみにショップは入場ゲート内にあるので試合観戦チケットが必要となりますのでご注意ください。
ここでぼくらをもうひとりの方が出迎えてくれた。横浜FC事業部物販担当主任の笠井祐介さんである。さっそく笠井さんからお話をうかがおう。横浜FCと鉄腕アトムとのコラボレーションが実現したのはどんな理由だったのでしょう。
「最初は若色さんからご提案をいただいたんです。そこですぐにクラブ内で検討を始めたんですが、鉄腕アトムはどんなに大きなロボットが相手でも勇敢に立ち向かって行きますよね。一方横浜FCも強い相手にひるむことなく果敢に闘うチームであるというのは関係者もサポーターもみんなが自負していることです。いわばアトムの持っているストーリーとクラブのストーリーとが完全に一致したんですよ。ですからそこからは話が早かったです。ぜひコラボを実現させたいということで、さまざまなアイデアが出てグッズの商品化が決まっていきました。
最初に発売されたのはキーホルダーとTシャツです。Tシャツは好評ですでに売り切れてしまったので現在は新たなデザインのものを準備中です。もうデザインも決まっているので間もなくお見せできると思いますのでお楽しみに。それから去年の7月から発売している芝生風の素材を使ったスマートフォンケースとコースターも人気なので、欲しい方は急がないとなくなってしまうかも知れません」
確かにコースターのフワフワジョリジョリした手ざわりは癖になりますね。デザインもシンプルで普段使いにぴったりです。ぼくもコースター買わせていただきます!!
「お買い上げありがとうございます! そしてまさに今日(2017年3月25日)から発売になったのが、こちらの横浜FCのユニフォームを着たアトムくんのぬいぐるみなんです。可愛いでしょう」
確かに! それに横浜FCのユニフォームがとっても似合っていますね。ところで笠井さん、アトムとコラボしたことで何かチームに影響はありましたか?
「クラブチームとサポーターの距離が縮まったことを感じています。特にアトムは幅広い世代に人気がありますから、親子2代の横浜FCファンなどがお揃いで買われていくこともありますよ」
つまりサポーターとクラブチームの距離を縮めるのにも役だっているということですね。本日はお忙しいところありがとうございました!!
帰りはバスで横浜駅へと向かい、そこで本日のさんぽは解散となりました。
さて次回の虫さんぽにもぜひおつきあいください!!
黒沢哲哉
1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番