間もなく夏休み~~~っ! ということで、今月から3ヶ月連続で関西エリアの手塚治虫スポットを巡ります。夏休みにオススメの場所ばかりなのでぜひ参考にしてください!
第1回目の今回は、手塚先生の故郷・宝塚に新しく誕生した手塚スポットがあるということで、さっそくその場所を訪ねてみることに。また宝塚温泉の老舗旅館では手塚先生のサイン色紙を発見、その由来とは!? さっそくさんぽに出かけましょう!!
今年2018年3月18日、新名神高速道路の川西インターチェンジと神戸ジャンクション間が開通、それと同時に西日本最大級と言われる宝塚北サービスエリアがオープンした。
この宝塚北サービスエリアが新たな手塚治虫スポットだということで、今回のさんぽはここをスタート地点とすることにした。
事前情報によれば、ここでしか買えない手塚グッズの販売があるというので楽しみなのだが、どうやらそれだけではないらしい。いったいここにナニがあるのか。ぜひ行ってみなければならないっっ!!
ちなみにサービスエリアというのは、10数年前までは高速道路を利用する人専用の食事や休憩場所と決まっていたんだけど、最近はその常識が大きく変わってきている。道の駅が隣接していて徒歩で相互に行き来ができたり、一般道から入れる入口が設けられていたりして、高速道路を利用しない人にも開放された施設が増えているのだ。この宝塚北サービスエリアもそんな施設のひとつで、一般道からも立ち寄ることが可能なんだそうである。
ということで、今回の虫さんぽでもこの一般道からの入口を利用させてもらうことにしよう。車で宝塚の市街地方面からこのサービスエリアへ向かうには、国道176号線から生瀬橋東詰交差点を北に折れて山道を登っていく。
うねうねと曲がりくねったけっこうな上り坂だけど、道幅もそれなりにあってきちんと舗装されているから心配はない。距離にして約14km、およそ20分ほど走って高速道路の高架橋をくぐったら目的地はすぐそこだ。案内に従って走っていくと左手に「ウェルカムゲート入口」という看板が見えてくる。ここを左折すれば一般道からの専用駐車場へ入ることができる。
ただし一般道から入れる駐車場は身障者スペース2台分を含めてわずか15台分しかない。なので、従業員用の駐車場90台をお客様用駐車場として開放しているとのこと。
オープン当初やゴールデンウィークには、少し離れた場所に臨時駐車場を設けて、そこからサービスエリアまで無料シャトルバスが運行されたりもしたらしい。それでもけっこうな待ち時間だったとか。なので連休や夏休みなど混雑が予想される日に行かれる場合には時間に余裕を持って行動することをオススメいたします。
ちなみに電車で行く場合の最寄り駅はJR福知山線の武田尾駅となる。ここから阪急田園バスが出ているので出合橋で下車、宝塚北サービスエリアまでは徒歩で20分ほどだ。ただしバスの本数が1日数往復程度のようなので事前にしっかりと調べていただきたい。グループで行くなら宝塚駅からタクシーを借り切って行くという手もありますね。
午前10時、無事に宝塚北サービスエリアのウェルカムゲートにゲートイン!
駐車場に車を止めて入り口を入ると、うおお、広い! 資料によればこのサービスエリアの建物敷地面積は6,738.90 ㎡。店舗棟面積は3,486.46 ㎡だそうである。
宝塚北サービスエリアは“上下線集約型”と呼ばれる、上り線下り線両方から同じ施設を利用する構造になっている。ドライブの際、往路で立ち寄ったサービスエリアでよさげなお土産を見つけて帰りに買おうと思っていたら、反対車線のサービスエリアにはそのお土産が売っていなかったというのは高速ドライブのあるある話だ。しかし上下線集約型のサービスエリアならこれがないのでありがたい。
うろうろしてたら広すぎて迷子になりそうになったので、ここで案内人にお越しいただくことにしよう。今回、こちらを案内してくださるのは光明興業株式会社 宝塚北サービスエリアマネージャーの
大矢さんおはようございます! さっそくですが手塚グッズの売り場へ案内していただけますか?
大矢
「『tezuka pockets』ですね。どうぞこちらへ!」
そう言って大矢さんと一緒に売り場へ向かうと、まず目に飛び込んできたのが『リボンの騎士』の主人公・サファイアのフィギュアだ。高さ175cm、細部まで精巧に作られフルカラーで彩色されている。
そうやってぼくが見ている間にも、次々とお客さんがやってきてこのサファイアの前で記念写真を撮る姿が見られた。中にはアジア人らしき外国人のお客さんもいたけど、果たしてこれが何のキャラか知っているのかな? と思っていたら、その中に「サファイア、サファイア!」と言っているお兄さんがいた。「おー、分かってるじゃないか」と思い、思わず彼と握手をしたい衝動にかられたがやめておいた。
そしてこのサファイアの隣の平台には鉄腕アトムが立っていて、それを取り囲むように手塚グッズが並んでいる。ただし今回訪れたのが休み明けの月曜日だったため、この日は一部の商品が品切れになっていた。気に入った商品を見つけたら後で買おうと思っていると買い逃しちゃうかも知れませんぞ。
ただし大矢さんにうかがったところ、商品は随時補充されるとのことなので、どうしても欲しいグッズが売り切れだった場合にはまた時期を置いて遊びに行くのもいいかも知れません。
ところで大矢さん、そもそもこちらで手塚グッズを販売することになったのはどういう経緯からなんでしょうか。
大矢
「宝塚にはふたつの宝があります。宝塚歌劇と手塚治虫の故郷であるというこのふたつですね。そこで新たにこの場所にサービスエリアがオープンすると決まったときに、宝塚らしさを出すためにぜひこの2つの宝を取り入れたいということになったんです。
施設の建物は、宝塚大劇場やその周辺のイメージと合わせて南欧風の外観といたしました」
いわゆる“宝塚モダン”ですね!
大矢
「その通りです。そして手塚先生の故郷であるというもうひとつの宝につきましては、先ほどご覧いただいた『tezuka pockets』の他に、今回、このグッズコーナーの案内として、鉄腕アトムと火の鳥のトピアリーを設置いたしました」
とぴありー…ですか?
大矢
「庭木を装飾的に刈り込んで作るオブジェのことを“トピアリー”と言うんです。こちらでは手塚プロダクションに全面監修していただき、日本トピアリー協会と足並みを揃えながらていねいに作りました」
では大矢さんにそのトピアリーのある場所へ案内していただこう。上り線側の駐車場に設置されているのが火の鳥のトピアリーで、下り線側駐車場には鉄腕アトムのトピアリーだ。なるほど! 大矢さん、本物の樹木で作られているから生命感や温もりが感じられて単なるオブジェにはない魅力がありますね!
大矢
「トピアリーは生きていますから常に手入れをする必要があって、大変手間がかかるんです。でもそれだけにここでしか見られないユニークなオブジェになっていると思いますよ」
確かに。特にぼくが感動したのはアトムで、目や口は別パーツが使われているものの、表情の愛らしさやほっぺたのふっくら具合などを樹木で表現するのはけっこうな技術が必要なのではないかと思った。
大矢
「オープン当初はアトムも火の鳥ももっとスリムだったんです。でもそれから2か月ほど経ちまして、今はかなりふくよかになってますね(笑)。そろそろ手入れが必要な時期だと思いますので、そうしたらまた今とは違った姿のアトムと火の鳥が見られるはずです」
分かりました。ぼくもまた宝塚方面へ来た際には必ずここへ立ち寄りたいと思います。大矢さんありがとうございました!
宝塚北サービスエリアを後にして、先ほど走ってきた山道を宝塚市街地方面へと引き返す。次に向かったのは宝塚市立手塚治虫記念館である。
手塚治虫記念館へは過去の虫さんぽでも2011年と2014年に2度おじゃましている。
・虫さんぽ 第17回:【夏休み関西さんぽ・後編】兵庫県宝塚市:手塚治虫記念館周辺を歩く
・虫さんぽ 第37回:宝塚さんぽ(前編)手塚治虫記念館で隠れキャラを探そう!!
その上で今回の新しい話題としては、記念館の目の前に新しい道が開通したのに合わせ、2015年4月にエントランス周りの改修が行われたことだ。
この改修によって今までよりも玄関前のスペースが広くなり、火の鳥のオブジェと記念館の建物を同時にカメラに収めやすくなった。「手塚治虫記念館へ来たぞー!!」という記念写真もバッチリ撮れる。これはうれしいことです。
そしてもうひとつのNEWな話題は、今年2018年4月1日に新たな館長が記念館に就任されたということだ。今回の虫さんぽではさっそく新館長を表敬訪問し、記念館運営にかける思いなどをうかがうことにした。新館長の今後の記念館運営にかける思いは? そして館長の手塚マンガ体験は!?
館長さん初めまして!
河合
「こんにちは、手塚治虫記念館館長の河合晋一です」
さっそくですが館長さんのこれまでのご経歴と手塚マンガ体験について聞かせていただけますか?
河合
「私はここへ来る前は宝塚市の観光企画課という部署に所属していまして、市のPRですとか花火大会などのイベントを企画していました。手塚マンガは子どものころから読んでおりましたので、館長に就任すると決まったときは、うれしかったのと同時に、大役をおおせつかったな、という感じで身の引き締まる思いでした。
子どものころは『ジャングル大帝』や『ブラック・ジャック』が好きでした。アニメもよく見ていました。中でも私が一番感銘をうけた手塚マンガは『アドルフに告ぐ』です。これは手塚先生が亡くなった後の話ですが、高校2年生のときに本屋さんで単行本の第1巻を買いまして、家に帰って読んだら感動してすぐに全巻買って一気に読みました。3人のアドルフをめぐる壮大なお話で、戦争とは何か、正義とは何なのかという手塚先生のメッセージが強烈に私の中へ入ってきたんです。手塚先生ご自身が戦争を経験されていますでしょう。その経験を読者に伝えたいという思いが私の心にストレートに響いたんです。
それから私は、手塚先生が住んだトキワ荘のある椎名町にも一時住んでいたことがあるんですよ。トキワ荘があるから住んだというわけではなくて、たまたま私が前に勤めていた会社の寮があっただけなんですが(笑)。でも今にして思えばそれもご縁があったのかなと思っています」
今後の手塚記念館運営について計画はお持ちですか?
河合
「市外旅行代理店などへの手塚治虫記念館PRを強めていきたいですね。
手塚治虫記念館に来られたお客様がここだけ見て帰られるのではなくて、この場所を中心として市内の観光地を周遊できるような。もちろんそれは今までもやってきていますけど、それをさらに加速させることができないかと考えています。具体的には他観光施設も組み合わせた市内モデルコースの提案とかですね。予算も限られていますから何でもできるわけではありませんが、以前に旅行関係の仕事をしていた経験も生かしてがんばっていきたいと思います」
ここからは徒歩で宝塚駅周辺を巡ります。手塚治虫記念館から西へ向かうと、土手の上の遊歩道「花のみち」が続いている。この遊歩道には2014年の宝塚さんぽでも紹介した手塚キャラのカラータイルがあるので見逃さないように。
そして顔を上げ左を見れば、そこに次の手塚スポット「宝塚大劇場」がそびえ立っている。手塚治虫の母親は宝塚歌劇の大ファンで、手塚先生がまだ赤ん坊のころから毎月のように観劇に通っていた。そして終戦後、マンガ家として活動を始めた手塚は宝塚の歌劇雑誌にもマンガやイラストを寄稿するようになっていた。
過去のさんぽでここを歩いたときは建物の外観を紹介しただけだったので、今回は館内も見学させていただくことにした。劇場内へはもちろんチケットを買わないと入場できないが、館内のレストランやラウンジ、カフェ、グッズショップなどは入場チケットがなくても入れるのでぜひ立ち寄ってみていただきたい。
ちなみに終戦後、手塚先生が宝塚でマンガ家としての仕事を始めたばかりの昭和21~22年ごろの日記が「ぼくのデビュー日記」と題して講談社版手塚治虫漫画全集『新宝島』の巻末に収録されている。そこから宝塚歌劇について触れている部分をいくつか引用してみよう。(注)も手塚治虫自身によるものだ。まずは昭和21年の日記から。
昭和21年
6月27日(木)
朝は五時から新温泉の入り口(注)で行列に立たされて、友達の義理とはいいながら、眠いしだるいし腹はへるし、四時間も待ち
(注・当時の宝塚歌劇は、よい席をとるためには早朝から入り口に行列して買わねばならなかった。私は友達のために、家が宝塚なものでいつもその大変な役をおおせつかっていた。)
7月12日(金)
昼から今井兄弟と歌劇を観に行った。前から一、二、三、四番、進駐軍のすぐ横で、とてもよく見えた。
そして昭和22年3月以降は、宝塚の雑誌にマンガやイラストを寄稿する様子が記されている。
3月29日(土)
本日「歌劇」発売、小生のマンガがきれいに出ていた。
5月11日(日)
一日中「宝塚グラフ」の原稿。
6月10日(火)
午後三時頃まで、
(注・ヅカ生)
8月2日(土)
やっと「歌劇」の原稿を仕上げ、昼から図書館へ行き、「パリゼット」時代の記事を片っ端から調べた。
8月5日(火)
歌劇事務所へ「宝塚グラフ」「歌劇」原稿持参す。東京行きが具体化し、晩、オヤジはチッキにするトランクを詰めてくれた。
こうして宝塚でマンガ家としての経験を着々と積み、実力を磨いた手塚先生は、間もなくその拠点を東京へと移し、さらに大きく羽ばたいていくことになるのだ。
宝塚大劇場の館内を歩きながら、青雲の志に燃えていたころの手塚先生に思いを馳せると、身が引き締まるといいますか、胸が熱くなってくる思いです。
では今回の宝塚さんぽ最後の目的地へと向かおう。宝塚大劇場から阪急宝塚駅方面へ反時計回りに歩き、宝来橋を通って武庫川の対岸へ渡る。こちら側へ来ると宝塚歌劇の雰囲気とは大きく変わり昔ながらの温泉街の雰囲気になる。
1911年、当時の箕面有馬電気軌道が武庫川の北側に宝塚新温泉を開業するが、この宝塚温泉は宝塚の観光事業として古くから栄えていた。そしてこちらでは現在でも3館の老舗旅館やホテルが元気に経営を続けている。そのうちの1館である「ホテル若水」が手塚スポットなのだという。
宝来橋を渡って左折したすぐ左側、武庫川に沿って立つレンガ色の建物が「ホテル若水」だ。
正面玄関を入ると目の前に2階まで吹き抜けになった広いロビーラウンジが広がっている。静かで開放的で落ちつく空間だ。
このホテルのどこが手塚スポットなのかというと、その秘密は2階へ案内していただいて明らかとなった。吹き抜けになったロビーに沿って走る2階廊下の壁面に、マンガ家の色紙が並べて掲げられており、その中に手塚先生のイラスト色紙が2枚飾られていたのだ。
妙齢の女性のイラストは『地球を呑む』(1968-69)のゼフィルスと『人間昆虫記』(1970-71)に出てきた料亭の若女将・しじみだろうか?
この色紙がこちらのホテルに飾られている経緯について、代表取締役の小早川優さんにお話をうかがった。
小早川
「この色紙は1970年に大阪万博が開催されたころ、手塚先生がマンガ家のお仲間とご一緒に当館へお泊まりくださいまして、そのときに描いていただいたものだと聞いております。
当館は昭和26年の創業で、前は現在の場所より少し下流側の旧館で営業しておりました。手塚先生がお越しになられたのもその旧館の時代です。その後、1996年4月に現在の新館がオープンしました。いただいた色紙は、それまではずっと大切に保管していたのですが、この機会にお客様にも見ていただこうということで新館オープンと同時にこちらへ飾らせていただくことにしたんです。
お食事やご宿泊で来られたお客様はどなたでもご覧になれますのでぜひ見ていただければと思っております」
小早川
「はい。手塚治虫記念館の先々代の館長さんからお話をいただいて2014年から15年にかけて、最初は1年間の期間限定で行ったんです。しかしおかげさまで大変好評でしたので現在もサービスを継続しています。
手塚治虫記念館の当日の入館券をご提示いただくと、通常大人1600円、子ども800円の入浴料がそれぞれ1000円、500円に割り引きとなります(各タオル付き)。また1階ロビーラウンジ「すみれ」でのご飲食の際に当日の入館券をご提示いただくと全品20%割り引きとなります。
割り引きをご利用になられるお客様の傾向ですか? 週末は家族連れが多いですね。あと外国人の方もいらっしゃいますね。記念館にお越しいただいた際にはぜひ温泉の魅力も味わっていただきたいです。
それから私が宝塚へ来られる手塚ファンの皆さんにぜひ立ち寄っていただきたいと思う場所が、手塚先生が猫神社と呼んでおられた千吉稲荷神社です。私は宝塚で生まれ育ったんですが、すっかり市街地化してしまった宝塚の中で、あの場所は奇跡的に昔のままの風景をとどめているんですね。それは、あの土地を所有している地主さんが、あのお稲荷さんの山とその前の畑だけはそのままにしておきたいという思いで守っておられると聞きました。町としてもずっと守り続けていかなければいけない風景だと思っています。この場所に立つと、手塚先生が虫取りをしている風景が感じられるんです」
おっしゃる通り、あそこはぼくも、子どものころの風景を思い出して本当に懐かしくなった場所です。小早川さん、本日はどうもありがとうございました!!
帰り道、ホテル若水を出た虫さんぽ隊は、そのまま反時計回りに歩いて宝塚大橋を目指す。途中、橋の手前で宝塚ホテルの前を通過する。宝塚ホテルは現在、宝塚大劇場の隣に新ホテルを建設中で、2020年にその新ホテルが開業したら、こちらの建物はすべて解体されてしまうのだという。
宝塚ホテルは手塚先生が結婚式をしたホテルで、マンガ『スリル博士』にも登場した思い出の場所だ。その建物がなくなってしまうのは寂しいが、ホテルを経営する阪急電鉄では、宴会場のシャンデリアや、館内装飾の一部は新ホテルに再利用される予定だとか。
そうしたらまた新ホテルもさんぽしてみますかね!
ということで武庫川沿いをぐるっと一周して戻ってきた虫さんぽ隊は手塚治虫記念館前で解散となった。お疲れさまでした。
次回、夏の関西さんぽ(中編)はどこへ行くのか、それは来月のお楽しみ! ではまた次回もご一緒いたしましょう!!
黒沢哲哉
1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番