手塚治虫のマンガに出てくる無数の半獣半人キャラクターたち。前回のコラムではそんな“人外”キャラのあれこれを振り返ってみたわけだけど、そこで見えてきたのは、手塚が本当にこだわっていたのは“変身”、すなわち“メタモルフォーゼ”だったということだ。ヒトとヒトでないものとの間を行き来するあやかしの“何か”──。今回は手塚マンガの中に横糸のように織り込まれたメタモルフォーゼの系譜を読み解きます!!
ということで今回は“変身”がテーマです。
変身をテーマとした手塚マンガというと、これまた無数に挙げられるわけだけど、ぼくが真っ先に思いつくのは1966年から67年にかけて『週刊少年サンデー』に連載された『バンパイヤ』でしょう。
何かのきっかけで鳥や獣に変身してしまうバンパイヤ族の少年・立花トッペイが主人公の物語だ。トッペイは満月を見たり激しい怒りを覚えたりするとオオカミに変身してしまう。
西洋の狼男伝説や東洋の化け狐の伝説などを下敷きにした、まさに変身そのものがテーマとなった物語で、見所は何といってもその変身シーンにあった。
トッペイが満月を見ていきなり震え出す。やがてその手にはみるみる獣の毛が生えてきてツメが伸び、口からは鋭い牙が生えてくる。
この変身は体にかなり負担がかかるらしく、お化けのようにボワンと煙がたかれて簡単に変身が完了するものではない。トッペイはもがき苦しみながら少しずつその姿を獣に変えてゆくのである。
印刷された紙の絵なのに、この変身シーンはまるでアニメのように頭の中でその動きが再生された。
『バンパイヤ』は1968年から69年にかけて、当時の虫プロ商事の製作でテレビドラマ化され全26話が放送された。主役のトッペイを演じたのは若き日の水谷豊!
そしてこのテレビドラマでも変身シーンは毎回の見せ場となっていた。
この番組は、人間ドラマのシーンは実写で撮影され、獣に変身したバンパイヤたちの姿はセルアニメで描かれて合成されるというもので、その間をつなぐ変身シーンにはハイブリッドな描写が使われていた。
満月を見たトッペイがブルブルと震えだし、その腕に見る見る毛が生えてくる。開いた口からは鋭い牙が! これはコマ撮りしたスチル写真に筆で1本1本毛や牙を描き足していったものだろう。
このころ手塚は円谷プロ製作の『ウルトラQ』から始まった怪獣ブームに大きな危機感を抱いており、その対抗手段として挑戦したのがこのアニメと実写の合成作品『バンパイヤ』だったのだ。
ただ残念ながら当時はまだ合成技術が追いついておらず、アニメと実写の合成シーンの親和性はいまひとつで、ストーリーも後半は原作とかけ離れた通俗的なオリジナル展開になってしまっていたのが惜しまれる。
ただ今になって見返すと、この作品で手塚がやりたかったこと、特に変身シーンへのこだわりは手に取るようによく分かり、その実験精神には感動さえ覚える。なかなか見る機会の少ない作品ですが、チャンスがあったらぜひご覧になっていただきたい。
そしてこの『バンパイヤ』がテレビ放送されていたまさにそのころ、手塚はSF同人誌『宇宙塵』に“変身”についてのこだわりを綴ったエッセイを寄せている。タイトルは『SFアトランダム メタモルフォーゼについて』。その一部を引用しよう。
「ぼくがSFであるなしを問わず、作品に変身をよく使うのは、その奇想天外な映像上の工夫と幻想的表現がマンガの要素にぴったりなのと、ことにアニメーションでは、エミール・コールが『ファンタスマゴリー』の名で発表した初期の動画に見られるように、あきらかに物の形がつぎつぎに変わるおもしろさを目的とした表現法に、変身がもっとも利用しやすいからである。アニミズム、つまり万物精霊思想という原始的発想とともに、自分自身もしくは特定の対象を別のものに変える願望は、アニメーションの世界である程度カリカチュアライズされながらも充たされたといってよいだろう」(講談社版手塚治虫漫画全集『手塚治虫エッセイ集』第7巻より ※初出は『宇宙塵』1969年1月20日発行)
マンガでもアニメでも、手塚がメタモルフォーゼにやたらとこだわった、その本質の部分がここで端的に語られていますね。
またこのエッセイでは、メタモルフォーゼを次のようないくつかのパターンに分類して考察を加えている。これを読むと手塚のメタモルフォーゼに対するこだわりが半端じゃなかったことがよく分かる。
「(黒沢注:メタモルフォーゼの)パターンの多くはつぎの三つの過程に分類される。
一、人間が別の物体(または現象)に変形する。
二、物体(もしくは現象)が人間に変容する。
三、人間が他の人間に変身する。
また別の分類から、変身にはつぎの条件が加えられる。
A、いったん変身すれば二度と原形に復帰できない。
(例、カフカ『変身』、ガーネット『狐になった夫人』、『道成寺』の清姫等)
B、いったん変身しても原形に戻ることができる。
(イ)自己の力、意志によるもの。これは一般に数回以上変身を繰り返す場合が多い。
(例、ドラキュラ、狼男、魔女、メフィストフェレス、狐狸妖怪の類)
(ロ)他の強制による受け身のもの。
(例、『白鳥の湖』のオデット、または人間の異性を思慕するあまり人の姿で現れる精霊等)
以上のうち、AとBの(ロ)は宿命的、運命的な要因が強く、悲劇的なドラマとして成功しやすい。SFの世界においては、宇宙人もしくは地球外生物の変身など、Bの(イ)に属するものが多く、もっともよくあるパターンとしては、不定形生物もしくは変身装置をもつ種族が地球人の体形をとって侵入してくるというもの。これは描写のうえでも類型が多く、アイデアも常套的である。むしろ今後は、AやBの(ロ)のバリエーションに基づくものが、新鮮で期待できよう」(前出『宇宙塵』のエッセイより)
そしてこのエッセイが書かれた翌年の1970年、手塚が先のエッセイの中で「今後」「新鮮で期待できよう」と分類したAとBの(ロ)にまさしく当てはまる作品を発表した。『ビッグコミック』に連載された『きりひと讃歌』である。
人間が獣の姿に変わってしまうという謎の奇病「モンモウ病」と戦い、やがて自らもその病に感染してしまうという青年医師の物語。それは手塚が『バンパイヤ』で描いた異端者の苦悩というテーマをより突き詰めた作品だった。外見が醜い獣となってしまった青年医師・小山内桐人。だが人間社会には外見は聖人ぶっていても獣以上に醜い心を持った人間がゴマンといる。そんな痛烈な風刺がここには込められていた。
人間こそが世の中でもっとも野蛮な獣である、というこうした風刺表現について『きりひと讃歌』連載中の1971年、手塚があるエッセイの中でユニークな新語を使って語っているので紹介しよう。『週刊世界動物百科』という動物の雑誌に発表された記事だ。
「マンガの登場人物をおもしろく描くには、人間なら動物らしく、動物なら人間らしく描くのがコツである、といった先輩がいる。擬人化、という語に対して“擬獣化”とでも新語をつくってはどうか。『有名人の動物見立て』とかいったマンガには、政治家がタヌキだったり、資本家がブタだったりするのが、意外にハッとするようなリアリティーをもつことがある。(中略)
古来から動物の人間への化身、人間の動物への変身といった言い伝えや物語が、世界各地に無数に存在するのも、こういったおたがいの感覚的な類似点が生みだした幻想であろう。ハクチョウの清楚さ、キツネの狡猾さ、ヘビの陰険さ、チョウの軽快さ、これらは何かの種類の人間にぴったり通じるものだ。それだけに、これらの動物が人格化して人間と交わるのが、至極当然のような錯覚を古人が感じてもおかしくはない」(講談社版手塚治虫漫画全集『手塚治虫エッセイ集』第3巻より。※初出は『週刊世界動物百科』1971年6月20日号)
『きりひと讃歌』を頭に思い描きながらこの文章を読むと、手塚がこの作品に仕掛けた重層的なテーマが浮かび上がってくるだろう。
さて、こうして“変身”を使って様々なテーマを描いてきた手塚だが、ここで気になるのは、手塚の変身キャラクターのルーツはいったい何かということだ。
さかのぼってみると、その元祖は知能を持ったウサギの耳男(みみお)に行き着く。
耳男の商業出版におけるデビュー作は1948年に不二書房から刊行された『地底国の怪人』だが、実際にはそれより5〜6年前の1942〜43年ごろ、当時中学生だった手塚が描いて友人の間で回覧していたという『ロストワールド』(私家版)にすでに登場している。
この『ロストワールド』(私家版)では、毛皮工場で毛皮にされそうなところを敷島博士に救われた一匹のウサギが、博士によって改造され、人間と同じような知能と二足歩行とを手に入れた。
またこの作品には植物から人間に改造された植物人間の双子姉妹あやめともみじも登場している。
しかし彼ら彼女らの愛くるしい外見とは裏腹に、彼らは人間たちから異端者として差別され疎外される。その後の変身テーマの手塚作品すべてに通じるテーマがすでにここに内包されていたわけである。
さらにここで注目すべきなのは、耳男もこの植物人間の姉妹も、先に紹介した手塚の分類によればAであり、他人から変身を強制されたという意味ではBの(ロ)でもあるということだ。
何のことはない、1969年のエッセイで手塚は「今後」「新鮮で期待できよう」と予言的に語っていたが、自分では30年近くも前にすでにそれを作品化していたのである。
この『ロストワールド』も『地底国の怪人』も、ともに手塚にとっては特に思い入れの強い作品で、『ロストワールド』は1946年に関西の新聞に連載され(未完)、1948年には不二書房から前後編に分けて2冊の単行本として出版、さらに1955年には雑誌『冒険王』に『前世紀星』というタイトルで連載された(未完)。『地底国の怪人』は1970年に『アバンチュール21』というタイトルで新たな解釈を加えてリメイクされている。
それぞれの作品で、彼らの出自や疎外感の描かれ方に微妙な違いがあるので、描かれた時代背景などを頭に入れながら読みくらべると、その差が浮き彫りになってきて興味深いです。
また、変身そのものとは若干ニュアンスが異なるが、人間と魚との中間的存在である“人魚”も手塚が早くから好んで繰り返し描いているモチーフである。
1951年に刊行されたオムニバス単行本『化石島』の一エピソードに登場した人魚のピピは、元々は単独作品に登場させる予定だったキャラクターであり、同年、雑誌『おもしろブック』に、その名も『ピピちゃん』というタイトルで新たに連載を始めている。
また1960年には『エンゼルの丘』で人魚姫の少女ルーナを描き、1969年には『海のトリトン』(初出時タイトルは『青いトリトン』)を発表。およそ10年ごとに人魚の出てくる作品を描いていたことになる。
手塚の変身への異常なほどのこだわりの根源には、やはり彼が少年時代に夢中になった昆虫採集との関わりがあるだろう。
昆虫はその短い一生の間に何度か変身を繰り返す。卵からかえった芋虫がやがてサナギになり、そのサナギを割ってチョウが出てくる。この変身の不思議さは手塚マンガを構成する摂理そのものといっても過言ではないだろう。
また、手塚自身が語っている言葉としては、幼い頃に見たアニメーションの影響が大きかったと書いている。手塚はあるエッセイの中で、自分が“変形(メタモルフォシス)”にこだわるのは、少年時代に観たポパイのアニメーションの影響だという。以下、引用。
「ぼくはこの変形をアニメにするのが大好きで、ぼくのアニメにはやたらにこれが出てくる。
それは少年時代にポパイマンガに接したおかげだ。
ホウレン草を食べたポパイの腕は、いきなりふくれあがってブルドーザーになり、タンクになる。突進するポパイは機関車に変わり、砲弾になり、衝突したブルートはおせんべいのようにひしゃげる」(講談社版手塚治虫漫画全集『手塚治虫エッセイ集』第2巻より。※初出は1980年刊『12人の作家によるアニメーションの作り方』)
ポパイのアニメーションを観て感化された手塚は、夏休みに動画を自作することを思い立つ。だが100枚ほど描いたところで挫折してしまった。パラパラとページを繰ってみても、100枚ではわずか5秒にも満たない動きにしかならなかったからだ。
手塚はこの一文をこうしめくくっている。
「だが、一生に一本でもいい、ぼくの絵を、ぼく自身が映画にできたらなあ……夢はぼくの頭から消えることはなかった」(前出のエッセイより)
こうしたアニメーションへの憧れとマンガの中に描かれた変身へのこだわり。それらは常に表裏一体となりながら手塚マンガの世界を紡いでいったのである。
ではまた次回のコラムにもお付き合いください!!