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虫ん坊 2015年5月号:手塚マンガあの日あの時 第40回:変身こそが我がマンガ!? 手塚マンガのメタモルフォーゼを読む!!

虫ん坊 2015年5月号:手塚マンガあの日あの時 第40回:変身こそが我がマンガ!? 手塚マンガのメタモルフォーゼを読む!!

 手塚治虫のマンガに出てくる無数の半獣半人キャラクターたち。前回のコラムではそんな“人外”キャラのあれこれを振り返ってみたわけだけど、そこで見えてきたのは、手塚が本当にこだわっていたのは“変身”、すなわち“メタモルフォーゼ”だったということだ。ヒトとヒトでないものとの間を行き来するあやかしの“何か”──。今回は手塚マンガの中に横糸のように織り込まれたメタモルフォーゼの系譜を読み解きます!!



◎変身願望全開の怪奇マンガ『バンパイヤ』!

虫ん坊 2015年5月号:手塚マンガあの日あの時 第40回:変身こそが我がマンガ!? 手塚マンガのメタモルフォーゼを読む!!

『バンパイヤ』が表紙になった『週刊少年サンデー』1966年7月31日号。当時は藤子不二雄(藤子・F・不二雄)の『オバケのQ太郎』や横山光輝の『伊賀の影丸』などが大人気だった。お化けや忍者もある意味、変身か?

 ということで今回は“変身”がテーマです。
 変身をテーマとした手塚マンガというと、これまた無数に挙げられるわけだけど、ぼくが真っ先に思いつくのは1966年から67年にかけて『週刊少年サンデー』に連載された『バンパイヤ』でしょう。
 何かのきっかけで鳥や獣に変身してしまうバンパイヤ族の少年・立花トッペイが主人公の物語だ。トッペイは満月を見たり激しい怒りを覚えたりするとオオカミに変身してしまう。
 西洋の狼男伝説や東洋の化け狐の伝説などを下敷きにした、まさに変身そのものがテーマとなった物語で、見所は何といってもその変身シーンにあった。
 トッペイが満月を見ていきなり震え出す。やがてその手にはみるみる獣の毛が生えてきてツメが伸び、口からは鋭い牙が生えてくる。
 この変身は体にかなり負担がかかるらしく、お化けのようにボワンと煙がたかれて簡単に変身が完了するものではない。トッペイはもがき苦しみながら少しずつその姿を獣に変えてゆくのである。
 印刷された紙の絵なのに、この変身シーンはまるでアニメのように頭の中でその動きが再生された。


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虫ん坊 2015年5月号:手塚マンガあの日あの時 第40回:変身こそが我がマンガ!? 手塚マンガのメタモルフォーゼを読む!!

トッペイがオオカミから人間に戻るシーン(左)と人間からオオカミに変身するシーン。オオカミに変身してしまうと凶暴になり人間の理性も失われてしまうのだ! 講談社版手塚治虫漫画全集版『バンパイヤ』より



◎日本初のアニメ実写合成テレビドラマ!!

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1968年10月から1969年3月までフジテレビ系列で放送された『バンパイヤ』。これはその放送当時のポスター。ポスターはカラーだけど作品はモノクロで全編に暗い雰囲気の漂った異色のドラマだった

『バンパイヤ』は1968年から69年にかけて、当時の虫プロ商事の製作でテレビドラマ化され全26話が放送された。主役のトッペイを演じたのは若き日の水谷豊!
 そしてこのテレビドラマでも変身シーンは毎回の見せ場となっていた。
 この番組は、人間ドラマのシーンは実写で撮影され、獣に変身したバンパイヤたちの姿はセルアニメで描かれて合成されるというもので、その間をつなぐ変身シーンにはハイブリッドな描写が使われていた。
 満月を見たトッペイがブルブルと震えだし、その腕に見る見る毛が生えてくる。開いた口からは鋭い牙が! これはコマ撮りしたスチル写真に筆で1本1本毛や牙を描き足していったものだろう。
 このころ手塚は円谷プロ製作の『ウルトラQ』から始まった怪獣ブームに大きな危機感を抱いており、その対抗手段として挑戦したのがこのアニメと実写の合成作品『バンパイヤ』だったのだ。
 ただ残念ながら当時はまだ合成技術が追いついておらず、アニメと実写の合成シーンの親和性はいまひとつで、ストーリーも後半は原作とかけ離れた通俗的なオリジナル展開になってしまっていたのが惜しまれる。
 ただ今になって見返すと、この作品で手塚がやりたかったこと、特に変身シーンへのこだわりは手に取るようによく分かり、その実験精神には感動さえ覚える。なかなか見る機会の少ない作品ですが、チャンスがあったらぜひご覧になっていただきたい。


◎手塚自身が語る「ぼくが作品に“変身”をよく使うわけ」

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『別冊少年サンデー』の『バンパイヤ特集号』に付録として付いたトッペイの変身マジックカード。トッペイの立ち姿が描かれたカードを一度折り畳んで開くとオオカミに変身する!!

 そしてこの『バンパイヤ』がテレビ放送されていたまさにそのころ、手塚はSF同人誌『宇宙塵』に“変身”についてのこだわりを綴ったエッセイを寄せている。タイトルは『SFアトランダム メタモルフォーゼについて』。その一部を引用しよう。
「ぼくがSFであるなしを問わず、作品に変身をよく使うのは、その奇想天外な映像上の工夫と幻想的表現がマンガの要素にぴったりなのと、ことにアニメーションでは、エミール・コールが『ファンタスマゴリー』の名で発表した初期の動画に見られるように、あきらかに物の形がつぎつぎに変わるおもしろさを目的とした表現法に、変身がもっとも利用しやすいからである。アニミズム、つまり万物精霊思想という原始的発想とともに、自分自身もしくは特定の対象を別のものに変える願望は、アニメーションの世界である程度カリカチュアライズされながらも充たされたといってよいだろう」(講談社版手塚治虫漫画全集『手塚治虫エッセイ集』第7巻より ※初出は『宇宙塵』1969年1月20日発行)


◎これが手塚流変身物語のパターン分類だ!!

 マンガでもアニメでも、手塚がメタモルフォーゼにやたらとこだわった、その本質の部分がここで端的に語られていますね。
 またこのエッセイでは、メタモルフォーゼを次のようないくつかのパターンに分類して考察を加えている。これを読むと手塚のメタモルフォーゼに対するこだわりが半端じゃなかったことがよく分かる。
「(黒沢注:メタモルフォーゼの)パターンの多くはつぎの三つの過程に分類される。
  一、人間が別の物体(または現象)に変形する。
  二、物体(もしくは現象)が人間に変容する。
  三、人間が他の人間に変身する。
 また別の分類から、変身にはつぎの条件が加えられる。
  A、いったん変身すれば二度と原形に復帰できない。
    (例、カフカ『変身』、ガーネット『狐になった夫人』、『道成寺』の清姫等)
  B、いったん変身しても原形に戻ることができる。
   (イ)自己の力、意志によるもの。これは一般に数回以上変身を繰り返す場合が多い。
    (例、ドラキュラ、狼男、魔女、メフィストフェレス、狐狸妖怪の類)
   (ロ)他の強制による受け身のもの。
    (例、『白鳥の湖』のオデット、または人間の異性を思慕するあまり人の姿で現れる精霊等)
 以上のうち、AとBの(ロ)は宿命的、運命的な要因が強く、悲劇的なドラマとして成功しやすい。SFの世界においては、宇宙人もしくは地球外生物の変身など、Bの(イ)に属するものが多く、もっともよくあるパターンとしては、不定形生物もしくは変身装置をもつ種族が地球人の体形をとって侵入してくるというもの。これは描写のうえでも類型が多く、アイデアも常套的である。むしろ今後は、AやBの(ロ)のバリエーションに基づくものが、新鮮で期待できよう」(前出『宇宙塵』のエッセイより)


◎『バンパイヤ』のテーマをより深化させた作品

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1972年に虫プロ商事から『COMコミックス増刊』として雑誌形式で発売された『きりひと讃歌』の最初の単行本。雑誌と同じザラ紙のページが、物語の凄惨な内容と相まって、かえって迫力を増している気がする

 そしてこのエッセイが書かれた翌年の1970年、手塚が先のエッセイの中で「今後」「新鮮で期待できよう」と分類したAとBの(ロ)にまさしく当てはまる作品を発表した。『ビッグコミック』に連載された『きりひと讃歌』である。  人間が獣の姿に変わってしまうという謎の奇病「モンモウ病」と戦い、やがて自らもその病に感染してしまうという青年医師の物語。それは手塚が『バンパイヤ』で描いた異端者の苦悩というテーマをより突き詰めた作品だった。外見が醜い獣となってしまった青年医師・小山内桐人。だが人間社会には外見は聖人ぶっていても獣以上に醜い心を持った人間がゴマンといる。そんな痛烈な風刺がここには込められていた。


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『きりひと讃歌』における変身は『バンパイヤ』のそれとは違い、長い時間の中で自分が少しずつ獣になってゆくという恐怖をじっくりと描いていた。以下4点の画像はいずれも講談社版手塚治虫漫画全集『きりひと讃歌』より


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モンモウ病の初期症状は、獣のように生肉を欲しがることから始まって、やがて外見も獣と化してゆくのだ。

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同じく『きりひと讃歌』より。見た目が獣と化してしまったことで人格までが否定されてしまう苦しみ。それは肉体的苦痛の何倍もの痛みをともなうものだった!


◎“擬人化”ならぬ“擬獣化”とは!?

 人間こそが世の中でもっとも野蛮な獣である、というこうした風刺表現について『きりひと讃歌』連載中の1971年、手塚があるエッセイの中でユニークな新語を使って語っているので紹介しよう。『週刊世界動物百科』という動物の雑誌に発表された記事だ。
「マンガの登場人物をおもしろく描くには、人間なら動物らしく、動物なら人間らしく描くのがコツである、といった先輩がいる。擬人化、という語に対して“擬獣化”とでも新語をつくってはどうか。『有名人の動物見立て』とかいったマンガには、政治家がタヌキだったり、資本家がブタだったりするのが、意外にハッとするようなリアリティーをもつことがある。(中略)
 古来から動物の人間への化身、人間の動物への変身といった言い伝えや物語が、世界各地に無数に存在するのも、こういったおたがいの感覚的な類似点が生みだした幻想であろう。ハクチョウの清楚さ、キツネの狡猾さ、ヘビの陰険さ、チョウの軽快さ、これらは何かの種類の人間にぴったり通じるものだ。それだけに、これらの動物が人格化して人間と交わるのが、至極当然のような錯覚を古人が感じてもおかしくはない」(講談社版手塚治虫漫画全集『手塚治虫エッセイ集』第3巻より。※初出は『週刊世界動物百科』1971年6月20日号)
『きりひと讃歌』を頭に思い描きながらこの文章を読むと、手塚がこの作品に仕掛けた重層的なテーマが浮かび上がってくるだろう。

◎手塚の変身キャラクター元祖はこのウサギ!!

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私家版『ロストワールド』より。不二書房版ではカットされているミイちゃんの生い立ちが、ここではより詳しく語られている。ミイちゃんは毛皮屋でまさに毛皮にされようとしていたところを若き日の敷島博士に助けられたのであった

 さて、こうして“変身”を使って様々なテーマを描いてきた手塚だが、ここで気になるのは、手塚の変身キャラクターのルーツはいったい何かということだ。
 さかのぼってみると、その元祖は知能を持ったウサギの耳男(みみお)に行き着く。
 耳男の商業出版におけるデビュー作は1948年に不二書房から刊行された『地底国の怪人』だが、実際にはそれより5〜6年前の1942〜43年ごろ、当時中学生だった手塚が描いて友人の間で回覧していたという『ロストワールド』(私家版)にすでに登場している。
 この『ロストワールド』(私家版)では、毛皮工場で毛皮にされそうなところを敷島博士に救われた一匹のウサギが、博士によって改造され、人間と同じような知能と二足歩行とを手に入れた。
 またこの作品には植物から人間に改造された植物人間の双子姉妹あやめともみじも登場している。
 しかし彼ら彼女らの愛くるしい外見とは裏腹に、彼らは人間たちから異端者として差別され疎外される。その後の変身テーマの手塚作品すべてに通じるテーマがすでにここに内包されていたわけである。
 さらにここで注目すべきなのは、耳男もこの植物人間の姉妹も、先に紹介した手塚の分類によればAであり、他人から変身を強制されたという意味ではBの(ロ)でもあるということだ。
 何のことはない、1969年のエッセイで手塚は「今後」「新鮮で期待できよう」と予言的に語っていたが、自分では30年近くも前にすでにそれを作品化していたのである。


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左は1982年に名著刊行会から刊行された『ロストワールド 私家版』全3巻。この作品のオリジナルは手塚が中学時代に執筆した生原稿を自分で製本して友人の間で回覧していたものだった。右はその私家版の執筆からおよそ5年後に大阪の不二書房から出版された『ロスト・ワールド』前後編(こちらの画像は2011年に小学館クリエイティブから刊行された『SF三部作完全復刻版と創作ノート』に収録された復刻版)


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ヒゲオヤジが知能を持ったウサギ・ミイちゃんの生い立ちを聞く場面。左が私家版で右が不二書房版だが、いずれもほぼ似たような会話が展開されている


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私家版『ロストワールド』より、豚藻負兒(ぶたも まける)博士が造った植物人間のもみじとあやめ。まったく同じ環境で生まれたふたりだが、その後のふたりの運命は大きく分かれてしまうことになる


◎手塚本人の手によって繰り返しリメイク

 この『ロストワールド』も『地底国の怪人』も、ともに手塚にとっては特に思い入れの強い作品で、『ロストワールド』は1946年に関西の新聞に連載され(未完)、1948年には不二書房から前後編に分けて2冊の単行本として出版、さらに1955年には雑誌『冒険王』に『前世紀星』というタイトルで連載された(未完)。『地底国の怪人』は1970年に『アバンチュール21』というタイトルで新たな解釈を加えてリメイクされている。  それぞれの作品で、彼らの出自や疎外感の描かれ方に微妙な違いがあるので、描かれた時代背景などを頭に入れながら読みくらべると、その差が浮き彫りになってきて興味深いです。


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これも不二書房版にはなくて私家版『ロストワールド』だけにあるシーン。肉食恐竜があやめをさらった理由は、あやめを食べるためではなく、あやめに恋をしたからだった!? この種を越えた悲しい恋の物語は1933年のアメリカ映画『キング・コング』を思い出す。フェイ・レイに恋をしたコングは彼女をさらいエンパイアステートビルを登り出す。手塚はこの物語を描く以前に『キング・コング』を観ていたのだろうか


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1948年の作品『地底国の怪人』より。特に優れた知能を持つ一匹のウサギが選ばれて科学者たちによって肉体改造された。以下、この作品の画像は4点とも講談社版手塚治虫漫画全集より


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科学者たちの肉体改造によって生みだされた耳男だが、人間からは何かと見下されコンプレックスが積み重なってゆくのだった


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『地底国の怪人』の発表から22年後にリメイクされた『アバンチュール21』より。ウサギに人間並みの知能を持たせるために人工の頭蓋骨をかぶせ脳の肥大化を促すという、よりリアルな描写が加えられている。以下、この作品の画像は6点とも講談社版手塚治虫漫画全集より


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ここでも人間に差別された耳男は自分の耳を切り落とそうとする

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『アバンチュール21』の地底国の描写では、人間に近い顔立ちで獣のような体をした人外的な知的生物も登場

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さらに地下深くへ進むともうひとつの地底国があり、そこは女王アリに支配された知的なアリ族たちの世界があった


◎人魚は変身の途中段階!?

 また、変身そのものとは若干ニュアンスが異なるが、人間と魚との中間的存在である“人魚”も手塚が早くから好んで繰り返し描いているモチーフである。  1951年に刊行されたオムニバス単行本『化石島』の一エピソードに登場した人魚のピピは、元々は単独作品に登場させる予定だったキャラクターであり、同年、雑誌『おもしろブック』に、その名も『ピピちゃん』というタイトルで新たに連載を始めている。
 また1960年には『エンゼルの丘』で人魚姫の少女ルーナを描き、1969年には『海のトリトン』(初出時タイトルは『青いトリトン』)を発表。およそ10年ごとに人魚の出てくる作品を描いていたことになる。


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『ピピちゃん』より。来たるべき爆発的人口増加に備え、わが子を水中でも生活出来る姿に改造してしまった両親。しかしひとり海での生活を始めたピピに、海中の生き物たちはみな冷淡だった。※画像はすべて講談社版手塚治虫漫画全集より


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『海のトリトン』より。中央はトリトンが人魚の少女ピピと出会う場面。右はトリトンの成長を描いた場面である。トリトン族は普通の人間のように少しずつ成長するのではなく何度かにわけて、あるとき一気に成長する。それはまるで昆虫の脱皮のようだったと書かれている。このトリトン族の設定も昆虫の変身イメージを下敷きに構想されたものだったのだ。※画像はすべて講談社版手塚治虫漫画全集より


◎少年時代に観たポパイマンガの影響

虫ん坊 2015年5月号:手塚マンガあの日あの時 第40回:変身こそが我がマンガ!? 手塚マンガのメタモルフォーゼを読む!!

1997年岩波書店刊『ぼくのマンガ人生』より。
昭和14年夏に撮影された手塚少年(右)と手塚の親友・石原実氏(左)の昆虫採集中のスナップ。手塚がこの時代に観察した昆虫の不思議な生態は、その後の手塚マンガの中で無数に描かれることになる“変身”のイメージにも大きな影響を与えたことは間違いない

 手塚の変身への異常なほどのこだわりの根源には、やはり彼が少年時代に夢中になった昆虫採集との関わりがあるだろう。
 昆虫はその短い一生の間に何度か変身を繰り返す。卵からかえった芋虫がやがてサナギになり、そのサナギを割ってチョウが出てくる。この変身の不思議さは手塚マンガを構成する摂理そのものといっても過言ではないだろう。
 また、手塚自身が語っている言葉としては、幼い頃に見たアニメーションの影響が大きかったと書いている。手塚はあるエッセイの中で、自分が“変形(メタモルフォシス)”にこだわるのは、少年時代に観たポパイのアニメーションの影響だという。以下、引用。
「ぼくはこの変形をアニメにするのが大好きで、ぼくのアニメにはやたらにこれが出てくる。
それは少年時代にポパイマンガに接したおかげだ。
 ホウレン草を食べたポパイの腕は、いきなりふくれあがってブルドーザーになり、タンクになる。突進するポパイは機関車に変わり、砲弾になり、衝突したブルートはおせんべいのようにひしゃげる」(講談社版手塚治虫漫画全集『手塚治虫エッセイ集』第2巻より。※初出は1980年刊『12人の作家によるアニメーションの作り方』)
 ポパイのアニメーションを観て感化された手塚は、夏休みに動画を自作することを思い立つ。だが100枚ほど描いたところで挫折してしまった。パラパラとページを繰ってみても、100枚ではわずか5秒にも満たない動きにしかならなかったからだ。
 手塚はこの一文をこうしめくくっている。
「だが、一生に一本でもいい、ぼくの絵を、ぼく自身が映画にできたらなあ……夢はぼくの頭から消えることはなかった」(前出のエッセイより)
 こうしたアニメーションへの憧れとマンガの中に描かれた変身へのこだわり。それらは常に表裏一体となりながら手塚マンガの世界を紡いでいったのである。
 ではまた次回のコラムにもお付き合いください!!



黒沢哲哉
 1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番


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