雑誌に一度掲載されただけで単行本未収録となっていた幻のエッセイ、手塚治虫がアニメ作品のために書き下ろしたシノプシス、シナリオなど。そうした散逸しがちな手塚の活字資料を丹念に収集して文庫化している出版社がある。今回は手塚関連の本を出する出版社の中でも異色な企画が光る立東舎の編集の現場を直撃! 単行本未収録資料の発掘や、初出時の内容を復元する苦労などについていろいろとうかがってきた!!
本コラムでは、前々回から手塚治虫関連の書籍を出版している出版社に取材をし、そこに関わる編集者やプロデューサーなどに手塚本の出版に賭ける思いなどを聞いてきた。そのシリーズも今回が完結編!
今回は手塚治虫関連の希少な活字資料を文庫化してこつこつと出版し続け、先月2017年11月には同社初の手塚のビジュアル本『手塚治虫ヴィンテージ・アートワークス 漫画編』を刊行したばかりの立東舎へおじゃましてきた。
同社から出版されている手塚関連の本には、単行本初収録となる貴重な資料がさりげなく(しかもわりと数多く)収められていたりして、ファンの間では、そのこだわり方がマニアックだと評判になっている。
そんな立東舎の手塚関連本は、今では本屋さんの手塚コーナーの一角を占めているが、じつは同社が手塚関連の本を出版したのは2016年7から8月にかけて刊行した文庫本3冊(7月『ぼくはマンガ家』、『手塚治虫小説集成』、8月『手塚治虫映画エッセイ集成』)が最初だった。そしてそれ以後立て続けに手塚の文庫本を出版し、現在では手塚関連の文庫の既刊は8冊。さらに今年の年末から来年2018年の年明けにかけても、すでに数冊の手塚関連書籍と文庫の刊行が予定されているという。
今回はこれらすべての企画の仕掛け人であるアンソロジストの
濱田さん、山口さん、よろしくお願いします! まず山口さんにうかがいますが、過去に手塚の本を出したことがない御社がいきなり手塚の文庫本を出したきっかけは何だったんですか?
山口「うちは2016年の1月から文庫本を出し始めましてね。手塚本ではない別の本の企画で知人から濱田さんをご紹介いただいたんです。それがご縁で、後日濱田さんからこういう企画はどうだろうと言って、手塚本の企画をご提案いただいたんです。
ぼくと濱田さんは同じ1968年生まれで、ぼくも小学校の時に『ブラック・ジャック』などを読んでいましたから、すぐに面白いなと思いました。それに手塚先生がこんなにたくさん文章を書かれていたなんて知らなかったんです。それでこれはいけると思ってさっそく会社に企画を諮ることにしました」
企画を出したときの社内の反応はいかがでしたか?
山口「最初は“そんなのうちで出せるの?”という感じでしたね。うちはもともと音楽系の出版社でしたから、手塚先生の本が(うちで)出せるなんて誰も想像もしていなかったんですよ」
山口さんの言うとおり、リットーミュージックといえば音楽専門の出版社だとぼくもずっと思っていた。なのでぼく自身のおさらいの意味も含めて同社の公式サイトを参考に同社の略歴を紹介しよう。
株式会社リットーミュージックは1978年に創立。『キーボードマガジン』、『ギター・マガジン』、『サウンド&レコーディング・マガジン』などの雑誌で知られる音楽系専門の出版社として活動していた。1992年に株式会社インプレスの傘下に入り、2015年5月「立東舎」という新レーベルを立ち上げて一般書籍や文庫の出版も始めた。以上!
というわけで山口さん、社内でこの企画はすぐに通ったんですか?
山口「じつは弊社社長の
濱田「社長さんは手塚プロとの最初の打ち合わせにも同行されたんですよね」
山口「そうなんです。手塚プロへ企画説明にうかがう際に自分も行きたいと言って同行しました」
濱田「古徳稔さん(手塚プロ出版局長)も驚いておられましたよ。こういう場に社長が直々に来られたのは初めてだと言って(笑)」
山口「その時、古徳さんに書庫を案内していただいたんですが、うちの社長は「写真撮っていいですか?」と聞いて了解をいただくと盛んにバシャバシャやってました(笑)」
再び濱田氏に話をうかがおう。濱田氏はこれまで国書刊行会や玄光社など、他社でも手塚関連本の本を多数企画したりプロデュースするなどしてきた。なので過去に手塚本を出したことのある出版社へ企画を持ち込むこともできたと思うのだが、そんな中でなぜこれら一連の企画を、これまで手塚治虫と縁のない立東舎へ持ち込んだのだろうか。
濱田「ぼくは元々、手塚先生のマンガはもちろん好きですが、手塚先生の文章も大好きだったんです。エッセイや小説などの文章は講談社版手塚治虫漫画全集に別巻として収録されていますし、過去にも様々な出版社から出ていますけど、どれも完全ではなかったり、バラバラに収録されていたりするので、それらをまとめたものをいつか出版したいな、どこへ企画を持っていこうかなと漠然と考えていたんです。
そうしたところ立東舎の山口さんと知り合ったので、文庫なら気軽に買えるし、高価な複刻本とは違う読者にリーチするのではないかなと思って提案したんです。
手塚プロ資料室長の森晴路さんもそのころはまだ健在(※)で、森さんにも「この企画を立東舎へ出そうと思っているんだけど」と相談したところ「ああ、いいんじゃない!」と2つ返事でご了解をいただきました。
※2016年4月に病気のため急逝。
森さんは兼ねてから、手塚先生の本はいろんな出版社から、それぞれの出版社のカラーを生かした形で出た方がいいと言っておられたんです。それはぼくもまったく同意見でした」
この考え方には黒沢も同感である。手塚本を出す出版社が1社に集中すると、それはそれでデザインが統一されて見栄えが良いとか、固定読者がついて売り上げが安定するなどの良い面もあるが、一方でその出版社のカラーに合わない企画は通りにくかったり、幅広い読者に読んでもらう機会を失ってしまうなどのマイナス面もあるからだ。
こうして先に紹介した『ぼくはマンガ家』、『手塚治虫小説集成』、『手塚治虫映画エッセイ集成』の文庫3冊が順次刊行されることになった。では最初に刊行されたこの3冊のラインナップはどのように決められたのか。
濱田「まず『ぼくはマンガ家』ですが、これは1969年に毎日新聞社から書き下ろし単行本として出版された、手塚先生が生前に出された唯一の自伝本です。
過去にも何度か単行本化されていますし、講談社版手塚治虫漫画全集にも収録され文庫にもなっています。
ですのでじつは手塚プロサイドではそんなに売れると思っていなかったようです。でもいまはどの版も絶版だし、手塚治虫のテキストワークの基本図書ですからね。ぜひとも最初のラインナップに入れたいと考えていました。結果的にはとっても評判が良くて次の企画につながりましたので成功だったと思っています。
そこに、最近は何となく忘れられたみたいになっている手塚先生の小説と映画エッセイを加えて、ぼくのイメージとしてはこの3冊がセットで3部作と考えていました。それも最初は3冊セットの箱入りで出したいと考えていたんです。ただし現実的には最初から3冊セットでは売れませんから(笑)、3冊買ってくれた人への特典として箱をプレゼントするという方法に落ちついたんです」
では実際に手塚本を世に出してみて反響はどうだったのだろうか。
山口「おかげさまで大変好評でした。とくに書店営業に行くとまず書店さんに喜ばれるんですね。いい本を出してくれたと言って。そんなエバーグリーンな本をうちで出せたというのが、今回の手塚先生関連の本の仕事に関われた大きな喜びですね」
エバーグリーンというのは耳慣れない言葉だったので後で検索してみたところ、英語の「evergreen」を直訳すると「常緑樹」という意味だが、音楽業界用語では「時を経ても色褪せない名曲」という意味でも使われるという。さすが音楽系専門出版社らしい言葉の選択だ。続いて濱田氏は、
濱田「最初に出した3冊はそれぞれ平均して売れ行きが良かったのが意外でしたね。小説集は弱いかなと思っていたんですけど、フタを開けてみたところ3冊とも凸凹なく売れていました。
そして期待していたとおり、読者の幅が広がったのもうれしかったです。若い人たちが予想以上に買ってくれているみたいなんですよ。いまの人はあんまり本を読まないと言われていますが、文庫なら読んでくれるんですね。文庫にして正解でした。
それで最初の3冊が好調だったから山口さんから「ほかにもありますか?」と聞かれたので、ありますよと。じつはぼくは最初から全15冊のシリーズを考えていたんです。立東舎の手塚先生の文庫は年内にエッセイ集をあと2冊出しますけど、山口さんとは「いずれ対談集も出したいね」と話していますし、企画はまだまだ控えているんです。
ただ、それもこれも現在出ている文庫が売れないと出せませんので、続きが読みたい方は、ぜひお買い求めいただければと思います!」
さて、ここまでは広報的なと言いますか、わりと宣伝紹介的な記事になっておりますが、じつはここからが本題です!
立東舎の文庫シリーズの評価が高いのは、細部にこだわった編集と、冒頭にもチラッと書いたようにこれまで単行本未収録だった貴重な資料を丹念に収集して再採録していることだ。そのあたりのこだわりを突っ込んで紹介しよう。
まずはさっきから紹介している立東舎版『ぼくはマンガ家』であるが、これもただ絶版を再刊したから売れたわけではない。この本がポイント高いのは、その内容が毎日新聞社の初出版にしっかりと準拠していることだ。じつは過去に出版された再刊本にはそれぞれ初出とは微妙に異なる点があったのだ。一例を挙げると講談社版手塚治虫漫画全集に『手塚治虫エッセイ集1』として収録されたものは一部の固有名詞がイニシャルに書き変えられるなどしていた。また2000年に刊行された角川文庫版『ぼくはマンガ家』では、ページ数の制約からか丸ごとカットされているエピソードがあったのだ。
また立東舎版『ぼくはマンガ家』の巻末には『鉄腕アトムクラブ』に1964年から66年にかけて連載された手塚先生のイラストエッセイ『ボクのまんが記』も全話収録されている。こちらも2008年に朝日新聞出版から単行本として刊行されているが、この時はイラストが雑誌からの複刻だったのでカスレが目立っていたが、今回は現存している原画を使用したとのことで、手塚本来のペンタッチを味わうことができる。
ではその他の本はどうだったのだろうか。再び濱田氏にうかがおう。
濱田さん、『手塚治虫映画エッセイ集成』にも単行本初収録のエッセイが何編か収録されているそうですね。
濱田「そうなんです。『手塚治虫エッセイ集成』は、1982年から87年まで雑誌『キネマ旬報』に全60回にわたって連載された映画エッセイがベースとなっています。
この連載も過去にはキネマ旬報社から、まだ連載中だった1987年に単行本が一度刊行されて、手塚先生が亡くなった後の1995年にも増補改訂版が1冊刊行されています。それから講談社版手塚治虫漫画全集にも『手塚治虫エッセイ集8』など、いくつかの本に分散して収録されています。かつて資料室の森さんからうかがっていた話では、これらの単行本で連載記事は全て録されているということだったんで、ぼくも詳しく確かめずにずっとそうだと思っていたんです。
ところが今回あらためて読み返してみたらぼくが記憶していた話が載ってなくておかしいなと。ぼくは連載当時キネ旬を毎号読んでいたんです。でもまだ中学生でお金がなかったから図書館でコピーしたりしてコレクションしていました。それでおかしいなと思って当時のコピーを確かめたら何本も漏れがあったんです。記憶というのはけっこうばかにできないなと思いましたね。
具体的にはキネ旬の2冊の単行本に収録されていない話が14回分あって、そのうち講談社版手塚治虫漫画全集にも収録されていない、つまり単行本未収録のエピソードが6回もあったんです。そこで山口さんに急いで電話をしましてね、山口さん、未収録が見つかっちゃったよ、って(笑)」
山口「それも校了みたいなけっこう差し迫ってからでした。でもタイミング的には何とかぎりぎり間に合う時期だったので、すぐに30~40ページ増やして収録することにしたんです」
ぼくも編集の仕事に関わっているのでおおよその事情は分かりますが、校了直前の増ページなんて、作業進行だけでなくて予算とか配本スケジュールなど様々な部分に影響が及びますよね。
山口「おっしゃる通りです。いろいろ難しい面もありましたが、これはうちにとってもチャレンジの企画でしたからね。手塚先生の本を出せる機会なんてそうそうありませんから、目の前に手塚先生の単行本未収録の作品があって、それを収録できる可能性があれば見送るという選択枝はありませんでした。ネタを集めてくるのは濱田さんですが、版元としてうちががんばれるのはそこかなということで……」
がんばったわけですね!
山口「がんばらせていただきました(笑)」
いや~泣ける話です。当然ですが出版社も企業ですから利益を出さなければいけないし、本の仕様や納期を守ることで印刷所や取次や書店との信頼関係を築いているわけで、なかなか「良い本を作ろう」というこだわりだけでは話が進まないものなんですが、おふたりの熱意が関係者のみなさんを動かしたわけですね。
その後に刊行された各書でも単行本初収録となった手塚の貴重な絵やテキストが多数あるので、その一部をざっくりと紹介しよう。
●『手塚治虫シナリオ集成 1970-1980』
口絵「キャラクター・スケッチ・アーカイヴス」の『100万年地球の旅 バンダーブック』(1978年)、『ジェッターマルス』(1977年)シノプシス(全24話のうち、手塚治虫が手がけた第1話から第7話まで)が単行本初収録。
●『手塚治虫シナリオ集成 1981-1989』
口絵「キャラクター・スケッチ・アーカイヴス」は、過去に単行本やムック本などにモノクロで掲載された絵もあるが、カラー掲載は初。青鉛筆や赤ペンで書き込まれたアタリ線からは、手塚の思い描いたキャラクターのイメージをよりリアルに読み取ることができる。その他『ブレーメン4 地獄の中の天使たち』(1981年)の企画書、原案、シノプシス。『ユニコ 魔法の島へ』(1983年)の初期案となったプロット『ユニコと黄金の惑星』が単行本初収録。
●『手塚治虫エッセイ集成 私的作家考』
収録された初単行本化作品は以下。
「単行本の漫画と雑誌の漫画1~3」(1954~55年)
「科学漫画に就いて」(1955年)
「わが投書時代」(1954年)
「最近ごらんになった一番おもしろい漫画」(1954年)
「まんが宣言発行にあたって」(1971年)
「群鳥伝(一)」(1958年)
「坂口尚さん」(1980年)
この中の「群鳥伝」は『ぼくはマンガ家』発行の11年前、東京児童漫画会の会誌『児童漫画』に掲載された手塚30歳のときの自伝的文章だ。(一)とあるが第2回以降は続かず未完になったそうである。
●『手塚治虫エッセイ集成 映画・アニメ観てある記』
「ピーターパンを見て」(1954年)、「ファンタジアを見て」(1955年)が単行本初収録。
前回のコラム『カラー完全版 ふしぎな少年』の時にも書いたことだけど、こうした未収録作品の情報を集めたり原本を入手するのは常に困難がつきまとう。これらの企画の場合はどうだったのだろうか。
濱田「情報として一番にあるのは、さっきも言いましたが、ぼくがリアルタイムで読んでいた記憶ですね。幼稚園のころから手塚ファンでしたから、学生時代に単行本未収録作品を図書館でコピーして集めたり、手塚治虫ファンクラブ京都が発行していた自費出版の復刻本を集めたりとかですね。
ですから講談社版手塚治虫漫画全集に未収録だったり不完全収録だったりする作品がたくさんあることは知っていたんです。
後は森さんが健在だったころは森さんに教えていただいた情報だったりとか、田中さんから「こんなのもあったよ」と教えていただく情報だとか。
それから最近は、オールド手塚ファンの方々とも親しく交流させていただいておりまして、そうした皆さんからも情報や資料をたくさん提供していただいています。
古参のファンの皆さんはそれこそぼくらの世代が知らない古い手塚作品にもリアルタイムで接しておられたので貴重な情報源になっています。しかもありがたいのは皆さん、情報を囲ってしまうのではなく「これもあるよ」「あれもあるよ」と教えてくださるので、大変感謝しています」
そして11月24日には立東舎から手塚治虫のアイデアスケッチや単行本化初収録カットなどを多数収録したヴィジュアル・ブックがついに刊行されますね。
濱田「はい。『手塚治虫ヴィンテージ・アートワークス』と言います。11月に「漫画編」が刊行されて、来年2月には「アニメ編」が刊行される予定です」
山口「うちとしては文庫を8冊出した中で、手塚プロさんからもある程度信頼が得られたのかなと言うところで、満を持してビジュアルの方に入らせていただくという感覚でおります」
濱田「この2冊は、これまでいろいろなビジュアル本やムック本などに散発的に発表されていた手塚先生のスケッチや単行本の下書き未使用原稿などを1冊にまとめたいなと思って企画したものです。それらを丹念に調べては資料室の田中さんと一緒に整理しながら、収録可能なものを探していきました。そうしたらこれがまたけっこうたくさん出てきたんですよ。
そしてここでもオールド手塚ファンのご協力で貴重な資料をお借りすることができました。例えば会津若松に何枚も残されていた手塚先生直筆の色紙や、手塚先生が会津のファンにプレゼントされた『リボンの騎士』の生原稿などですね」
ああ、ぼくが2016年夏の『虫さんぽ』で一部紹介したものですね。
・虫さんぽ 第49回「再訪・福島県会津地方(後編)会津に遺された手塚先生の宝物を巡る旅!!」
濱田「そうです。本書にはそれらをカラーで初収録しています。これは東京在住の手塚ファンである扇谷正敏さんの仲介で会津の白井祥隆さんをご紹介いただいて実現したものです。ぼくが編集した『手塚治虫表紙絵集』(2016年玄光社刊)の時にも二階堂黎人さんをはじめ何人もの手塚ファンにご協力いただきました。手塚作品の復刻においては、今後もこうしたファンとの連携はものすごく重要だと思いますね」
山口「ちなみに『手塚治虫ヴィンテージ・アートワークス 漫画編』もぎりぎりでページ数を増やしたんですよ……」
ああ、やっぱり……内情お察しします……。
しかし濱田さん、こだわりの結果完成したこの本は自信作になりましたか?
濱田「中味はあくまでも手塚先生の作品ですから、自信作という言い方は適当ではないかも知れませんが、間違いなくぼく自身が欲しい本になりました。ぼくにとって良い本というのは、自分が欲しい本かどうかが一番のものさしですから。これまであちこちの本に少しずつしか載ってなくてモヤモヤしてたものがきちんと1冊の本に収まっている。これはファン目線で見て、良い本ですよ」
続く『手塚治虫ヴィンテージ・アートワークス アニメ編』も楽しみです。そして今後の文庫シリーズにも期待しています。濱田さん、山口さん、本日はありがとうございます!
では皆さん、次回のコラムにもぜひお付き合いください!!
取材協力/立東舎、濱田高志(順不同・敬称略)