ベートーヴェンの半生を描いた絶筆『ルードウィヒ・B』など、手塚治虫のマンガには音楽をテーマとした作品が数多くある。自らもピアノをたしなみ、執筆の際にはいつも大音量でクラシックをかけていた。そんな手塚にとってマンガの中で音楽をどう描くかは大きなテーマだったようだ。音の出ない紙の上で音楽をどう描いたらいいか。今回はそんな手塚マンガの音楽表現のこだわりを振り返ります。
手塚プロダクション本社のある東京のJR高田馬場駅。この駅の発車メロディには2003年4月から『鉄腕アトム』の主題曲が使われている。作曲したのはテレビの草創期からテレビの伴奏音楽などに携わってきた高井達雄だった。
高井は、手塚治虫の実験アニメ第1弾『ある街角の物語』でも作曲を手がけており、手塚は高井の作曲家としての力に大きな信頼を置いていた。この『鉄腕アトム』のテーマ曲はその信頼から生まれた名曲だったのだ。
高井との打ち合わせの際には、手塚は自分でピアノを弾いて求めている音のイメージを高井に伝えたという。手塚は後のエッセイでこう書いている。
「ぼくは動画の音楽には口うるさい。納得いかなければ自分でピアノをたたいたりする。ピアノは子どものとき習ったのだが、リズムを重視する動画づくりに大いに役にたった」(手塚治虫+小林準治著『手塚治虫クラシック音楽館』(2008年平凡社刊)「ブラームスからアトムマーチへ」より。※初出は『FMfan』1973年1月1日号)
そして、高井と共に手塚が絶大なる信頼を置いた作曲家がもうひとりいる。冨田勲だ。
高井より1歳年上の冨田もまた早くからテレビ音楽の作曲を手がけていたが、冨田が初めて手塚と一緒に仕事をしたのは、1965年に放送された、日本初のカラーテレビシリーズとなったテレビアニメ『ジャングル大帝』第1作からである。
冨田が作曲した『ジャングル大帝』の主題歌は、これを聴いたアメリカの放送関係者が「マグニフィシェント!」(magnificent:壮大な、雄大な、崇高な)と言って感嘆したという。
『ジャングル大帝』以後、冨田は手塚の制作するアニメで何度も作曲を担当することになる。そしてそのたびにハードなスケジュールの中で冨田は手塚の期待に応えたのである。
このような手塚のアニメ制作における音楽にまつわるあれやこれやも、掘り下げていくとまだまだいろいろなエピソードが出てきそうなんですが、それについては稿をあらためてご紹介するとして、本題である手塚マンガの中の音楽表現について見てまいりましょう。
手塚は、アニメだけでなくマンガでも、音楽の表現には常にこだわっていた。音の出ない紙のマンガで音楽をどう表現したらいいのか。その試行錯誤の足跡を振り返ってみよう。
初期の代表作『来るべき世界』(1951年、不二書房刊)では、地球最後の日が迫る中、ピアノ教師の和田さんが一心不乱にピアノを弾いている姿が描かれている。曲目は不明だがこれを聴いている書生の六角さんのセリフから、弾いているのがベートーヴェンの曲であることが分かる。
最初は鍵盤を軽やかに叩いていた和田さん。ところがいよいよ最期の時が迫ってくると鍵盤を叩く力がだんだんと強くなってくる。そしてついにはピアノがたわむほどに激しく指を叩きつける。そこに描かれる効果音の文字も「ボカン ボボン」などという、およそピアノらしからぬものとなる。もしも終末の音楽があるとしたら、恐らくこんな音楽なのではないだろうか。そんなことを思わせる忘れがたい名場面であった。
1950年から54年にかけて雑誌『漫画少年』に連載された『ジャングル大帝』は、ミュージカルマンガと言ってもいいほど、動物たちが音楽に合わせて歌い踊る場面が数多く登場している。
中でも、レオが動物たちを指揮して大オーケストラを結成し合唱する場面は忘れがたい。
ジャングルでひとりぼっちとなってしまったケン一を励ますために、レオは動物たちで歌を歌うことを思いつく。
始めは「ガガー」とか「ブー」などという描き文字でただのノイズとして描かれている動物たちの鳴き声が、レオが指揮棒を振って少しずつ調律していくことによって、だんだんと音楽に近づいていく。鳥たちの「ピッピピピ ピョピョピョ」という鳴き声には音符が重なって描かれている。
やがて全ての音が整い、いよいよ多種多様な動物たちがそれぞれの鳴き声で歌う大合唱が始まる。レオの指揮のもと全ての動物がひとつとなりメロディを奏でる見開きシーンにはもはや雑音は一切なく、軽やかな音符が空へ空へと広がっていく様子が描かれている。
このころ手塚の描く少女マンガには、どの作品にも手塚が幼い頃から親しんでいた宝塚歌劇のイメージが色濃く反映されていた。そのため音楽そのものをテーマとした作品や、作中に歌や踊りが出てくる場面が多数描かれているのだ。
雑誌『少女サンデー』に創刊号から連載された『野ばらよいつ歌う』(1960年-61年)は、ドイツのピアニスト、クララ・シューマンの半生を描いた作品だ。
この作品で注目すべきは9歳のクララが初めて演奏会の舞台に立ってピアノ演奏を披露する場面である。最初は緊張して指がうまく動かないクララだったが、やがて少しずつ緊張が解けて鍵盤の上を軽快に指が走るようになってくる。すると指が擬人化され、文字通り鍵盤の上を走り出すのだ。この斬新な表現には当時もかなり衝撃があったのではないだろうか。
さらにこの先の場面では、鍵盤の上で踊っていたクララの指は、そのまま蝶の姿になり、続いて妖精のような姿になり、音符型のハープを奏でたのち、再び鍵盤に舞い降りてクララの指に戻る。
生涯アニメーションを愛し、常に変身・変形にこだわっていた手塚流メタモルフォーゼ表現の真骨頂といえる場面だろう。
手塚の宝塚趣味が全開となったマンガ『リボンの騎士』(1963-66年)は、この時代の手塚のマンガにおける音楽表現の見本市ともいえる作品となっていた。
例えば物語の冒頭近くに描かれる謝肉祭の場面では、花火の音や人々の歓声は描き文字で描かれているのに、音符はひとつも描かれず楽しげに踊る人々の姿だけがサイレントで描かれている。
しかし一方、チンクが夢の中でコオロギたちの音楽を聴く場面では、五線にのったメロディがゆるやかに流れる描写が効果的に使われている。
仕事がうまくいかずホームシックにかかってしまった天使のチンク。草むらに横たわり鳴きながらそのまま寝入ってしまった彼の耳元でコオロギが鳴き始める。その鳴き声がやがて音楽となり、チンクの夢の中で昆虫たちが大合唱を始めるのだ。
昆虫たちの歌に囲まれたチンクは夢の中でこうつぶやく。
「そうだ……音楽かァ 美しい音楽を聞くと……どんな人でも心が動いてやさしくなるんだっけ……」
そして目覚めたチンクは木ぎれを削って笛を作り、それを吹くことで元気を取り戻すのだった。
1975年に『少女コミック』に短期集中連載された『虹のプレリュード』は、手塚にとっては久々に描く少女マンガだった。
この久々の舞台で手塚がテーマに選んだのは、作曲家ショパンの若き日を描いたドラマだった。ロシアの圧政に苦しむポーランドでひたすら作曲に打ち込むショパン。彼の恋人として登場するルネという男装の女性は架空の人物だが、ショパンには一時期交際していたジョルジュ・サンドという男装の小説家の恋人がいて、恐らくそのサンドがモデルになっていると思われる。
ここでの音楽表現は、『野ばらよいつ歌う』で描かれたのと良く似た鍵盤の上を弾けるように舞う指の表現だ。ただし大きく違うのは、そこに圧政の中で自由に音楽を演奏できない苛立ちや、戦争を起こした人々への怒りと抵抗の意志などなど。それらの強烈な表現が、この作品を単なる伝記マンガを超える作品にしている。こうなってくるといくら言葉を尽くして説明しようとしても蛇足でしかない。まずはここに紹介した実際のコマをご覧いただき、興味を持ったらぜひマンガ本編を読んでいただきたい。
マンガの中で音楽を表現する手法として、空中に浮かぶ音符を描くという技法は、ルーツは不明だが少なくとも戦前からあったようだ。今回ちょっと調べたところでは、昭和6年に大日本雄辯會講談社(現・講談社)から発行された田河水泡の短編集『漫画常設館』の中に、音符で歌を表現している場面を見つけた。
手塚マンガの場合は、単音を表現する場合は音符が音源から飛び出すように描かれ、メロディが流れる場面では五線の上に音符を重ねて表現されることが多いようだ。
だが、手塚が音符による音楽表現とは全く別の方法である音楽を表現したことがある。それは冒頭でも紹介した絶筆『ルードウィヒ・B』だった。
1987年から89年にかけて雑誌『コミックトム』に連載されたこの作品はベートーヴェンの半生を描いた伝記マンガであるが、この中でバッハの産み出した「対位法」の話が出てくる。そこで手塚はこの「対位法」を音符や楽譜で描くことをせず、まるでゴシック建築のような、あるいはDNAの連鎖のような奇妙な構造物の連鎖によって表現したのだ。
恥ずかしながらぼくにはクラシック音楽の素養がないのでこの表現がどれほど的確で画期的なのかは語れないが、クラシックを愛し、手塚治虫の元で虫プロ時代から長くアニメーターとして仕事をしていた小林準治氏は、この表現について著書の中で次のように語っている。
「これは曲の構成の意味を知り、さらに絵が描けなければ出来ない性質のもので、普通は想像すらできないものである」(小林準治著『手塚先生の思い出』2013年、作品発表会「広場」発行、より)
手塚と仕事をした多くの証言者によれば、手塚がマンガを描いているとき、仕事場には常にクラシック音楽が大音量で流されていたという。ではいったいどんな曲がかけられていたのか。
手塚が先に紹介した『ジャングル大帝』の最終回を執筆した際には、藤子不二雄A氏がアシスタントとして作画を手伝っていた。そしてこのときかけていたレコードがチャイコフスキーの交響曲第6番『悲愴』だったという話は有名だ。
「編集者からの電報で、手塚先生が仕事場にしていたトキワ荘に呼び出された。行くと、『漫画少年』に連載されていた『ジャングル大帝』の最終回の原稿でした。雪山で探検隊が遭難し、吹雪の中で一人、また一人と倒れていく。それをかばいレオも死んでしまう……。僕はその吹雪を描いていたんですが、先生がチャイコフスキーの『悲愴』(交響曲第6番)をかけられた。四畳半の部屋いっぱいに鳴り響く『悲愴』を聴いていたら、僕も涙が出てきました。あたかも自分がその雪山で、レオと一緒に最期を迎えようとしている……そんな気持ちになったんです」(CD『手塚治虫、その愛した音楽』ライナーノーツ所収の藤子不二雄A氏インタビュー記事より)
ちなみに2008年にCommonsから発売されたこのCD『手塚治虫、その愛した音楽』は、手塚治虫の書斎に残されていたクラシックのレコードから選ばれた以下の8曲が収録されたオムニバスCDである。
1. モーツァルト 「クラリネット五重奏曲イ長調K581」より第1楽章アレグロ
2. リムスキー=コルサコフ 「交響組曲シェヘラザード作品35」より第3楽章「若い王子と王女」
3. ストラヴィンスキー 「バレエ組曲:火の鳥」より「カスチェイ王の魔の踊り」(1919年版より)
4. ベートーヴェン 「交響曲第9番ニ短調作品125」より第4楽章
5.「勘兵衛と勝四郎〜菊千代のマンボ」 (モノラル録音)
6. ショパン 「ピアノ協奏曲第1番 ホ短調 Op.11」より第3楽章
7. ロジャース 「王様と私」より「シャムの子供たちの行進曲 」(モノラル録音)
8. チャイコフスキー 「交響曲第4番ヘ短調 Op.36」より第4楽章
このCDに同梱されているライナーノーツには、手塚の書斎に残されていた所蔵レコードリストも収録されている。ベートーヴェンやショパン、チャイコフスキー、プッチーニ、サンサーンスなどの雑多なクラシックレコードに混じって『007』や『ベン・ハー』などの映画音楽。さらに意外なところでは森繁久弥のレコードやピンキーとキラーズの『恋の季節』などもあったようだ。
手塚は演奏者や指揮者にはあまりこだわりがなかったそうで仕事場のレコードには統一性がなく「聴ければいい」というタイプだったという。また仕事をしながら手早く掛け替えるためにレコードはジャケットに入れられずにほとんどがむき出しで置かれており、中袋を使わず直接ジャケットに入れられていたものも多かった。そのため傷だらけ埃だらけで再生するとパチパチというノイズが出る。
同冊子収録のインタビューによれば、現・手塚プロ著作権事務局長の清水義裕氏は当時手塚にCDプレーヤーを買ってきて使い方も説明したが、どうやらCDは性に合わなかったようで、相変わらずパチパチとノイズが入るレコードを聴き続けていたのだそうである。
手塚は晩年『ルードウィヒ・B』などを精力的に執筆する一方で、チャイコフスキーの交響曲を使ったアニメーション『森の伝説』の制作にも心血を注いでいた。
さらに小林準治氏によれば、ゲーテの『ファウスト』や木下順二の『夕鶴』のアニメ化も構想していたという。
クラシックファンとして小林氏はこんなことを語っている。「(もしそのアニメ化が実現したとすれば)『ファウスト』には、リストの『ファウスト交響楽』が、『夕鶴』には団伊玖磨のオペラ『夕鶴』を考えておられたかも知れない」(前出『手塚先生の思い出』より)
埼玉県新座市にある手塚プロ新座スタジオ。そこの4階に手塚治虫が最後の仕事場とした部屋が当時のまま残されている。
その部屋のレコードプレーヤーには、手塚が最後に掛けたレコード、ベートーヴェンの『交響曲第8番』が今も置かれている。
この曲が流れていたとき、手塚が描いていたのは連載中の『ルードウィヒ・B』か、『グリンゴ』か、『ネオ・ファウスト』か。それとも新たなアニメーションの構想を練っていたのか。今となってはただただ一方的に想像するしかないのが何とも寂しい限りである。
ではまた次のコラムにもお付き合いください!!