手塚治虫デビュー70周年と漫画会館開館50周年を記念し、「手塚治虫とっておきの漫画」展がさいたま市立漫画会館で開催されています。
詳しくはコチラ⇒さいたま市立漫画会館にて「手塚治虫とっておきの漫画」展開催
一コマ風刺漫画や絵本画など、手塚治虫の知られざる作品を中心に展示。ストーリーマンガにおいても今まであまり展示されたことのない『七色いんこ』、『アリと巨人』、『百物語』といった作品の原画を見ることが出来ます。
今回のオススメデゴンス! では、その中の『アリと巨人』にスポットを当ててご紹介!
幼馴染の主人公、スギやんとムギやん。可愛らしい絵柄とは裏腹に時代の流れや運命に翻弄されていく2人の対照的な生き方は、のちの代表作『アドルフに告ぐ』に通ずるものを感じます。
(手塚治虫 講談社刊 手塚治虫漫画全集『アリと巨人』 あとがきより)
「アリと巨人」は、学習研究社の学年誌に、「フィルムは生きている」のあとで連載したものです。
この作品にしろ、「フィルムは生きている」にしろ、学研さんは、好きなものを、好きなように書かせてくれるので好きです。小学館の漫画賞を昭和三十三年にとった「漫画生物学」、「漫画天文学」なんて、まったく勝手気ままにかきながして……それがかえってよかったのです。
「アリと巨人」は、はじめの構想では、もっとファンタスティックだったのです。毎回クスノキと動物たちとの対話がありますが、ああいうふんいきをもっとひろげるつもりだったのです。漫画の主人公たちが、かき手の構想をはなれて、勝手に行動してしまって、収拾がつかなくなる、ということをよく仲間がかいていますが、「アリと巨人」のマサやんとムギやん、ことに後者はそうです。
浅沼事件などがおこり、安保前夜の不安な世相などが、ぼくを刺激して、あのようなストーリーに進めてしまったのでしょう。
物語の暗さもあって、しばらくは単行本化されず、S出版から一度出しましたが、あまり評判にもならなかった、地味な作品です。
この『アリと巨人』は、ちょうど手塚治虫が『鉄腕アトム』を連載していたころの作品で、中学生向けということもあってか、丸っこくてかわいらしい絵柄ですが、戦争に巻き込まれる人々や戦後日本の混乱に乗じて暗躍するギャングなどを描いたなかなかハードな内容で、手塚治虫の戦争の悲惨さを訴えるメッセージが色濃く現されています。
戦争で両親を失った二人の少年、マサやんとムギやんは大の親友。ところがひょんなことから二人は離れ離れになり、それぞれまったく正反対の人生を歩みだします。マサやんは正義に燃える新聞記者に、ムギやんは殺しも厭わないやくざ者に。
二人を再び引き合わせるのは、不運にも一つの殺人事件でした。政治家・菅沼氏が何者かに事故に見せかけて殺害されたのです。事件を追う新聞記者・マサやんですが、なんとこの事件の犯人は、親友・ムギやんだったのです。
アメリカの作家、O・ヘンリの「ラッパのひびき」という短編をちょっと思い起こさせる、正義と悪に分かれてしまった親友二人の切ないお話ですが、スマートな短編に収まっているO・ヘンリの作品よりこの『アリと巨人』の方が物語としてはスケールが大きく、マサやんとムギやんは長年にわたって対決し続けます。特にムギやんのしぶとい活躍ぶりは「勝手に行動してしまった」と解説で手塚治虫自身も書いているように、悪役でありながらも常にマサやんの先を行く鮮やかさで、読者としてはマサやんにちょっとやきもきしてしまうほどです。このマサやんとムギやんの関係は、ずっと後の『ブラック・ジャック』の「刻印」のロックとブラック・ジャックを思わせます。
クスノキと動物の対話などに見られるファンタスティックな世界観と、殺し屋と新聞記者の数年来の対決という、ハードボイルド冒険小説のようなドラマ性、根底に流れる戦争批判と自然への愛——この三つが融合した、ふしぎな雰囲気の本作品。手塚治虫のエッセンスを十二分に感じられる作品といえるでしょう。
これはレア!? タイヤのホイールとなって登場しているヒョウタンツギを発見!!
ときどきヒョウタンツギの口から勢いよく出されている謎のガスとタイヤから漏れる空気とが完全に一体化しています。
いつもはものに貼り付いたり、キノコの一種(?)として道に生えていたり、食べられたりしているヒョウタンツギ。タイヤのホイール化したパターンは珍しいのではないでしょうか。
オススメデゴンス! では、これからもユニークキャラの意外な登場シーンを積極的に取り上げていきたいと思います。
「そんなだから世の中に
わるいやつがはびこるんだね…
はるみさん」
昭和24年 東京——
専務のメイ、はるみのあとおしもあり、マサやんは新聞社の正式な記者になります。その矢先、総出で追っていた事件が「えらい人」の圧力により、うやむやにされてしまいます。
権力の前ではたとえ正しいことであってもありのまま世の中に伝えられないことがある。マサやんのこのセリフは現代社会に向けられた痛烈なメッセージでもあります。