今回は手塚治虫の痛快娯楽SFアクションコミック『ビッグX』と『マグマ大使』が誕生した時代を振り返る。この2作品は手塚自身があまり高く評価していないこともあってか、マトモに紹介されることはヒジョーに少ない。だけど、どうしてどうして! ここには手塚マンガならではの開拓者精神とSFマインドがたっぷりと詰めこまれ、いま読んでもハラハラドキドキのザンシンな冒険活劇なのである! それを生み出した背景には何があったのか!? これを読めば、あなたもきっともう一度読み返してみたくなる! そんなあの日あの時をお送りいたします!!
「ヒットはしましたが、ぼくとしてはあまり好きな作品ではありません。やたらと正義の味方ぶるからです」
これは、講談社版手塚治虫漫画全集第246巻『ビッグX』第4巻に書かれている、手塚自身によるあとがきの言葉だ。
手塚は『ビッグX』と『マグマ大使』についてはほかでも同様のコメントを残していて、この2作品に対する思い入れは非常に少なかったようだ。そして、そんな作者の発言にぼくら読者も無意識のうちに引っぱられてしまっているのか、手塚マンガ全作品の中でも、これら2作品に対する評価は意外なほど低い。
だから「『ビッグX』大好き!」とか「『マグマ大使』傑作っ!」と言うと、手塚ファン・マンガファンの間でも変人と見られるか、通ぶって変化球を狙っているだけと思われがちなのだ。
がっ! 子どものころに読んだだけで詳しい内容は忘れちゃったよ、という方にぼくはぜひ言いたい! 今までこの2作品を一度も読んだことがナイ方にももちろん言いたいっ! それでは人生もったいないですよと!! 手塚マンガの中でもアタマひとつ飛びぬけた出色のエンターテインメント性をもつこの2作品! そこに詰まった魅力を、その誕生の時代を振り返りつつ大紹介しちゃいます!!
『ビッグX』は集英社から刊行されていた月刊少年雑誌『少年ブック』に1963年11月号から2年3ヵ月にわたって連載された作品だ。
“ビッグX”とは、第二次大戦中に日本の科学者・朝雲博士とナチスドイツが共同で開発した薬品で、生物の体を鋼鉄のような硬さに変化させ、巨大化させることもできるというものだ。そして戦後、その薬品を受けついだ孫の少年・朝雲昭が、それを使って世界征服をたくらむ秘密組織・ナチス同盟と戦う!
ビッグXは液体状の薬品で、注射針を内蔵した特殊なシャープペンシルに仕込んである。そしてその分量を目盛りに合わせて変えながら注射することで、肉体を強化したり、巨大化したりと、その効果を調節できる(物語の中で、後に飲む薬品に改良された)。
では『ビッグX』が発表された時代というのはどんな時代だったのだろうか。
1963年といえば、この年の元旦に虫プロ製作によるテレビアニメ『鉄腕アトム』の放送が始まり、これからまさにテレビアニメブームが始まろうという時期だった。
そして『ビッグX』の雑誌連載開始とほぼ同時期となる10月20日からは、横山光輝原作の『鉄人28号』のアニメ放送が開始。11月からは『エイトマン』の放送も始まり、翌64年8月には『ビッグX』もアニメ化されて放送が始まっている(ちなみに『ビッグX』のテレビアニメは虫プロ製作ではなく、設立されたばかりの東京ムービー[現在のトムス・エンタテインメントの前身]の第1作だった)。
さらに65年になると『スーパージェッター』、『宇宙少年ソラン』、『宇宙エース』などのアニメが相次いでスタートし、この時代のアニメブームは、SFヒーローアニメのブームとほぼイコールだったのである。
そうしたあまたのSFヒーローものの中でも、当時『ビッグX』が斬新だったのは、主人公が巨大化するということだった。
『ウルトラマン』以降の巨大化変身ヒーローブームを知っている世代にとっては、そっちの印象が強くて記憶が上書きされちゃっているかも知れないけれど、円谷プロ製作の特撮テレビドラマ『ウルトラマン』第1作が放送されたのは66年7月であり、『ビッグX』より何と3年近くも後なのだ!
またこれを書きながら、巨大化変身ヒーローといえば、ちょうどあのころ『マイティ・ハーキュリー』という海外製のテレビアニメもあったな、ということをふと思い出して検索してみたら、ウィキペディアによれば、カナダ製のこのアニメが日本で初めて放送されたのは63年11月4日とあった。つまり『ビッグX』の連載開始よりもひと月ほど後だったことになる(雑誌は月号表示よりも1ヵ月ほど早く店頭に並ぶため)。
マイティ・ハーキュリーというのはギリシャのオリンポス神殿に住むヒーローで、ピンチになると指輪を天にかざして天のエネルギーを体内に蓄えパワーアップする。巨大化や縮小化も自在なヒーローだった。
ということで、日本における元祖巨大化変身ヒーローは? と聞かれたら、今後は『ウルトラマン』と言わずに胸を張って『ビッグX』と答えていただきたい。
それから、この作品の本質を見誤らないために、ここであらためてハッキリ確認しておかなければいけないのは、この作品の新しさは単に人が“変身して巨大化する”ということではなく、“ヒーローが”変身して巨大化することだ。
つまりただ人間(もしくは人の形をした怪物や妖精の類など)が巨大化するお話ならば、古くはアラビアンナイトにもあるし、日本にも打ち出の小槌で大きくなる一寸法師のお話もある。
だけどここで巨大化するのは主人公の少年であり悪と戦うヒーローなのである。そんなヒーローなんて今まで見たことがなかったから、慣れるまでは正直言うと昭が巨大化してもかっこいいとは思えず、かなり不気味で怪物にしか見えなかった。
例えば『ビッグX』の連載開始から2年後の65年8月に公開された東宝特撮映画『フランケンシュタイン対地底怪獣』には、ビッグXと同様、第二次大戦中にドイツで造られた人造人間=フランケンシュタインが登場する。戦後の広島で保護されたこのフランケンシュタインは急激に成長し、やがては身長20メートルを越す巨人となる。
特撮の神様・円谷英二が手がけた渾身の特撮による、このフランケンシュタインの恐怖たるやすさまじく、ぼくは当時、激しく戦慄して夢にまで見るほどだった。フランケンシュタインの大きなちぎれた手首が、病院の床をズルリズルリと這うシーンは今でもトラウマものである。そして最初のころの『ビッグX』にも、まさにこれと同じ種類の恐怖があったのである!
このあたりは『ウルトラマン』以降の世代にはなかなか分からない感覚だと思うので、ここに紹介した昭が初めて巨大化したシーンなどから想像していただくしかないんですけど……んー、この絵から恐怖を感じてくださいっていうのは、今ではかなりムリがあるかも知れませんね。
そんなビッグXが恐怖をぬぐい去りヒーローらしいヒーローになったのは、花丸博士が昭のために、巨大化しても破れない伸縮自在のコスチュームを作ってあげた時からだ。
いやでもヒーローを意識させる真っ赤なスーツにはダブルの金ボタン。旧ドイツ軍のフリッツヘルメットを思わせる後頭部に覆いが付いたヘルメットには、Xのマークと両脇に平和を連想させる白い羽根が2枚付いている。
これ以前にも『白いパイロット』(61〜64年)などでコスチュームヒーローを数々描いてきた手塚だけど、そうした古今の手塚ヒーローの中でも、このビッグXのコスチュームは、ぼくは最高レベルのかっこよさだと思います。
ちなみにこれから数年後の60年代後半、日本ではグループ・サウンズと呼ばれるグループ歌手やバンドが大流行する時代がやってくる。そしてそうしたグループの多くが、ミリタリールックと言う軍服を派手にアレンジした衣装を着ていたのだが、それを見たときにぼくらは思った。「なんだビッグXじゃん」と!!
それからここでひとつ、今の若い読者からは必ず入りそうなツッコミにあらかじめ答えておこう。昭が巨大化したときに上着はビリビリに破けてしまうのに、なぜズボンの腰の部分だけ破れないのか! そこは当時の少年読者も「変だな〜」とは思っていた。確かに。でも当時はそこを深く追求するのは“ヤボ”だったのだ。たとえていえばアイドルに「トイレはいつ行くの?」と聞くくらい無神経でハジシラズずなことだったのである。ほら、アメリカの超人ハルクだって服は破れてもズボンは破れないっしょ。だからいーんです、これで!!
そして当時『ビッグX』がアタラシかったことはもうひとつある。それは“サイボーグ”という言葉を当時の子どもたちに広く知らしめたことだ。
手塚は戦後すぐのデビューして間もないころに早くもサイボーグをマンガに登場させている。『大空魔王』(48年)という作品がそれで、この中に出てくる大空魔王は、サイボーグという言葉こそ使っていないが、脳だけが人間で体が機械というまぎれもないサイボーグだった。
手塚はその後『鉄腕アトム』の「人工太陽球の巻」(59〜60年)や「ホットドッグ兵団の巻」(61年)などにもサイボーグを登場させているが、主人公をサイボーグヒーローとしたのはこの『ビッグX』が初めてなのである。
『ビッグX』と同時期にアニメの放送が始まった『エイトマン』の主人公も、殉職した東刑事の頭脳をロボットにそっくりコピーした一種のサイボーグだったが、物語の中ではサイボーグという言葉はひとことも使っていない。また石森章太郎(後の石ノ森章太郎)が雑誌『週刊少年キング』で『サイボーグ009』の連載を始めたのは『ビッグX』から1年後の64年7月からである。
おしまいに、これは余談ぽい話になるけど『ビッグX』の中には手塚ファンにはぜひともチェックしていただきたい重要なシーンがある。それは昭が、テレパシーの使える少女ニーナを連れてナチスの要塞から逃亡し、街中で隠れ家を探す場面だ。
ふたりは「かしまあり」という看板を見つけてその家のドアを叩く。そして人のよさそうな女主人に案内されたのは、何と非常階段の先の“空中に”板を突き出して作られた掘っ立て小屋だった。
その小屋は下に土台があるわけじゃないので、ふくよかな女主人が小屋の中で動くたびに建物全体がグラグラと揺れる。こんな小屋、見たことないけどホントにあったら楽しそう! ということで、この部屋の印象はぼくの記憶に深く刻まれた。
それからおよそ16年後、手塚は何とこの小屋にそっくりな建物を、ふたたび作品の中に登場させたのだ。
それは終戦直後の大阪を舞台とし、手塚自身がモデルとなった人物も登場する半自伝的マンガ『どついたれ』(79〜80年未完)の中だった。
この『どついたれ』の中で、家を追われた青年・葛城健二と戦災孤児の少年・山下哲のふたりがビルの谷間に渡された板の上に掘っ立て小屋を建て、そこで小さな会社をおこす。
この建物がそう、あの『ビッグX』に出てきた小屋にそっくりなのである。中で動くと建物がグラグラ揺れるところまでまったく同じだ!
この作品は手塚治虫の絶筆のひとつで未完となってしまったが、実在の人物がモデルとして多数登場し、この葛城健二にもモデルがいた。後の「アップリカ葛西」の創業者・葛西健蔵氏がその人だ。後年、虫プロが倒産し手塚の元へ債権者が押し寄せたときには、葛西氏がその債権を一時預かって手塚アニメの版権を守ったという、手塚の大恩人でもある人だ。
この葛城の建てた掘っ立て小屋が果たしてフィクションだったのか実話だったのか、それは分からないが、このイメージが手塚の頭には『ビッグX』のころからあったことは間違いない。
『ビッグX』を読んだら続いて『どついたれ』を読む。ぼくはこれを手塚マンガの推薦読書コースのひとつとして提案したいと思います。
さて手塚は『ビッグX』とほぼ同時期に、もうひとつの巨大ヒーローものを描いている。『マグマ大使』(65〜67年)がそれだ。
この作品を描いたきっかけについて、手塚はこう述べている。「「マグマ大使」は、「鉄腕アトム」のテレビが軌道にのったころ、徹底したエンターティンメントを、という「少年画報」の依頼ではじめました」(講談社版全集第188巻『マグマ大使』第2巻あとがきより)
そうした意図通り『マグマ大使』は『ビッグX』よりももっと娯楽性を高めた作品となっている。ロケットがヒト型ロボットに変形するという、これまた時代を大きく先取りした設定もさることながら、宇宙人が登場し、怪獣が登場し、もう何でもアリのごった煮マンガとなっているのだ。
しかしこの作品も『ビッグX』と同様、手塚の思い入れはあまり強くないようで、連載後半は多忙のため、当時手塚プロに在籍していた井上智と福本一義による代筆となってしまい、その部分は一度も単行本化されていない。だけどここで取り上げる理由はもちろん、このマンガが『ビッグX』以上に面白い作品だからなのである!!
『ビッグX』では手塚は“サイボーグ”というものをぼくらに教えてくれた。そしてこの作品ではさらにSFの楽しさを、手を変え品を変えてこれでもかというくらいに詰め込んでいる。
物語の冒頭は、主人公である村上まもる少年の家が突然、前世紀の恐竜時代へタイムスリップしてしまうところから始まる。それは何と宇宙の帝王を自称する宇宙人・ゴアのしわざだった。続いて現れたのがマグマと名乗る謎の巨人であり、巨人はロケットに変形。まもるを地球の創造主であるアースさまの元へと連れて行く。アースさまはまもるをみて、その場でまもるそくりの少年ロケット人・ガムを作り出す。
と、何とここまでが第1話。もーね、このスピード感が最高です。物語がこれからいったいドコへ向かうのか、『ビッグX』を初めて読んだときも相当コーフンしたけど、これはそれ以上にワクワクするプロローグだったのだ。
さらにこの後も手塚のSF趣味が惜しみなく繰り出される。ゴアが地球へ送り込んだ人間モドキによって、地球人たちがいつの間にかニセモノへと入れかわっていく。まもるが母親に違和感を感じ、それが次第にニセモノだという確信に変わっていくという展開は、後に読んだジャック・フィニイのSF小説『盗まれた街』(1955年)で感じた恐怖をひと足早く味わわせてくれた。
またその人間モドキの弱点がある種のキノコだということが分かり、かろうじて生き延びた人間たちが地下でキノコを栽培するという展開も、サスペンスたっぷりの見逃せない展開だった。
ほかにもこの作品には「絶対零度」とか「白色矮星」、「テレポーテーション」といったSF用語が次々と飛び出してくる。当時、子どもの読者がそれをどこまで理解していたかはぼくも含めてはなはだおぼつかないが、それでもこれが後に読むSF小説の下地となっていたことは確かである。
これはもうこのコーナーでも何度も書いていることだけど、まだSFという言葉すら一般的でなかった時代に、ぼくらはこうして手塚マンガによってSFの楽しさをひとつひとつ知っていったのである。
また今回再読してみて面白かったのは、物語の中で「地球は誰のものか」ということを真正面から問いかけていたことだ。
宇宙のチリを集めて地球を造ったアースは、宇宙の創造主であるカオスに、ゴアが地球を奪おうとしていると訴える。するとカオスは驚いたことに、地球はアースのものではない、と言うのだ。カオスは「宇宙全体のすべてのものはカオスのものだ」と言い、アースにもゴアにも平等に権利があると言うのである。
何だかスケールが途方もなく大きくなっていくけど、こうしたどこへ向かうか分からない奔放な展開も『マグマ大使』の魅力のひとつなのだった。
ちなみにこの作品は当時、ピー・プロダクションという製作会社によって特撮テレビドラマ化され、こちらも大ヒットした。その誕生秘話については「第14回:『マグマ大使』と特撮怪獣ブームの時代」で紹介済みなので、ぜひそちらもお読みいただきたい。
それともうひとつ、各章に設けられたサブタイトルにも注目していただきたい。たとえば第1章のサブタイトルは「きわめてユニークなプロローグを期待する読者の失望」、第2章は「ここで非現実的な英雄が登場する」といったぐあいで、どれも大上段にふりかぶり、人を食ったような言葉が並んでいる。
実はこのサブタイトルは雑誌掲載時からあったものではなくて単行本化の際に新たに書き加えられたものだ。そしてここには、正面切って正義のヒーローを描いてしまったことに対する手塚自身の照れが見え隠れしている。そんな照れを風刺に置きかえるべく、あえて作品を皮肉るようなサブタイトルを付けているのだ。
実際のところ、このサブタイトルが付いたからといって、子どもの読者にとっては作品の印象はほとんど変わらないだろう。しかしこうして大人になってから読み返してみると、その突き放したようなスタンスに思わずニヤリとさせられるのだ。
そしてこれもまた、後に読んだ星新一のSFショート・ショートなどで再び出会うことになる風刺SFのシニカルな味だったのである。
ということで今回は「陽のあたらない手塚マンガの名作」第1弾として『ビッグX』と『マグマ大使』という2大ヒーローマンガを取り上げた。ここまでお読みくださった方は、この2作品が手塚先生自身の好みとは別に、いかに見所満載のワクワクするお話だったかが、お分かりいただけただろう。
それに「やたらと正義の味方ぶる」という言葉も正確ではなくて、昭少年は一般市民を見捨てて逃げようとしてニーナにたしなめられたこともあったりして、彼はビッグXがなければ、どこにでもいるごく普通の少年だったのである。しかしそれが作品の質を落とすことにはもちろんなっておらず、むしろ人間くさい生きたヒーローとしてぼくらも受け入れていたのである。
ではまた次回のコラムにもぜひおつきあいください!!