うおお〜〜〜っ!! 今回の虫さんぽは前回に続き、手塚プロ新座スタジオのある埼玉県新座市を歩くぜ〜〜〜っ!! 今回は新座に今も残る懐かしい里山の風景をたずね歩く散歩です。そもそも1986年、手塚治虫先生がここ新座にスタジオを設けようと決めた最大の理由が、新座には豊かな緑があったからだと言われている。ではスタジオオープン当時、この周辺にはいったいどんな風景が広がっていたのか。今回、手塚プロのアニメーター・小林準治氏から当時の超貴重な写真をお借りすることができた!! また小林氏と手塚先生との昆虫にまつわる秘話も大公開!! 今回も貴重情報満載で激アツの虫さんぽ! 熱中症対策を万全にしないと暑さと感動でブッ倒れちゃうぜ〜〜〜〜〜っ!! ドタッ!!
今回の散歩は、前回の新座編パート1のゴールだった手塚プロ新座スタジオ前からスタートします。
前回の散歩もかなり初夏の雰囲気を感じる散歩だったけど、前回の写真と見くらべてみると、空の色がすっかり夏空のスカイブルーに変わっているのが分かります。今年は7月上旬から猛暑が続いています。散歩される方は対策を万全になさってくださいね〜〜〜っ!!
ということでさっそく出発だっ! それにしても暑いぜ……どこか……キーンとクーラーのきいてるところへ行きたい……!! って、早すぎだよ!! という皆さんのツッコミをガン無視して最初に向かったのは、もちろんクーラーのしっかりきいた“ある施設”である。
ハァ……ハァ……ク、クーラー!! そうつぶやきながら、ぼくは手塚プロの前の路地を北へ向かってオロオロ歩き、川越街道を越えた先の目的地へと急いだ。
川越街道を越えて間もなく、正面玄関の赤い“ひさし”が印象的な真新しい建物が見えてきた。ここが今回の最初の目的地「ふるさと新座館」である!!
建物外観の撮影もそこそこに、ぼくは館内へと飛び込んだ。ムハーッ、ちょー涼しい!!
だけどぼくはもちろんただ涼みにやって来たわけではない。ここの1階ロビーに等身大の鉄腕アトム像が飾られていると聞いてきたんだけど……おおっ、いた! 観光案内所の横に立つアトムくんの雄姿が目に飛び込んできた!! こんにちはアトムくん!!
ふるさと新座館は、新座市が昨年2012年11月1日にオープンしたばかりの複合文化施設だ。1階には観光案内所と新座市で採れた新鮮な農産物を販売する農産物直売センターがあり、地下には客席数240席のホール、2階には多目的室と公民館が入っている。
アトムくんもこの施設のアピールにひと役買っているようである。がんばってくれたまえアトムくん、ゴクゴク……。って、ジュース飲んでんじゃねーよ、ちゃんと取材しろ>黒沢。
今回は新座市の緑を訪ねて歩くと冒頭でご紹介しましたが、その前にもう少し別の場所へお付き合いください。次にめざすのは「新座市役所」です。
ふるさと新座館を出たら、ふたたび川越街道にかかる長い歩道橋を渡って南側へ。そのまま街道沿いに東へと歩くと300メートルほどで新座警察署前交差点に行き当たる。ここを右折。さらに300メートルほど歩いた交差点の左角に建つ大きな建物が新座市役所の本庁舎と第二庁舎だ。
ここ新座市役所では、前回の虫さんぽで紹介したように鉄腕アトムの住民票を無料でもらうことができる。散歩の折にはぜひ立ち寄りたい。ただし注意すべきは土曜・日曜・祝日は休館だということだ。
ではさっそく住民票をいただきに行こう。ガチャ。玄関が開かない。鍵かかかっているようだ。えーと「本日は休館日です」……って、なにっ!? あっ、今日は土曜日じゃないかっ、ドゴォォーーーン!!
……ということで、散歩当日は土曜日だったため市役所は外観の写真しかありません。ここに紹介した住民票は、前回、商工会の方からいただいたものの流用です。すまぬ……すまぬ……。
気を取り直して散歩を続けよう。この新座市役所のすぐ隣に建っているのが、新座市が運営する観光案内所「新座市観光プラザ」である。
前回の虫さんぽでお世話になった新座市商工会 経営支援課課長補佐・梶原淳さんの情報によると、ここにも鉄腕アトムの等身大像があるという。こちらは水曜定休ということで、この日もしっかりオープンしていた。いざ館内へGO!!
「おじゃましまーす」とトビラを開けると、職員の方がにこやかに出迎えてくださった。
「いらっしゃいませ、観光ですか?」
「あの〜、ここに鉄腕アトムの像があると聞いてきたんですけど」
「それならこちらですね」
と職員の方が示した先に、新座市のハッピを着て立つアトム像が! これ、これを見せていただきに来ましたっっ!!
だけど、先ほど行ってきたふるさと新座館のアトム像とはデザインが違うようですね。
「そうなんです。あちらは去年オープンした施設ですから新しいんですが、こちらはかなり前に作られたものですから」
なるほど。しかし若干太めのアトムくんも、なかなかかわいくて good です。
それからもうひとつ、ぼくが感動したのは声優・清水マリさんの直筆色紙が飾られていたこと!
清水マリさんといえばぼくらアトム世代にとっては、1963年放送のテレビアニメ『鉄腕アトム』で初代アトムの声を演じた憧れのマドンナである! ここで清水マリさんの色紙に出会えるとは、感激ですぅ。皆さんもお見逃しなく。うおお〜〜〜っ!!
……という暑苦しいノリはここであっさりと終了し、次は一転、静かな杜を訪ねます。観光プラザの前の道をさらに南下すると右側に平林寺の総門が見えてくる。
平林寺は南北朝時代の永和元年(1375年)に、今のさいたま市岩槻区に開基した臨済宗妙心寺派の禅寺がその元で、寛文3年(1663年)に現在の場所へ移築されたという。
その境内の広さは何と13万坪。その境内の大半の面積を占めるコナラ、クヌギ、モミジなどの雑木林は1968年に国指定の天然記念物に指定されている。
冒頭にも書いたように、手塚先生が新スタジオの移転先をここ新座市に決めたのは、周りに武蔵野の面影を残す雑木林が数多くあったからだったと言われている。そんな新座市を象徴する雑木林のランドマーク的な存在が、ここ平林寺なのだ。
総門の受付で拝観料500円を払って境内へ。するとさっきまでの喧噪と蒸し暑さがまるでうそだったかのようにシーンと静まり返り、木立に囲まれた小径は気温も外より数度低いのがはっきりと体感できる。
手塚先生がかつて平林寺の境内を歩いたかどうかは確認が取れなかったが、ここの杜の風景は、手塚プロがここへ引っ越してきた1986年当時からまったく変わっていない。
そんな静かな境内のベンチに腰かけて、当時の武蔵野の静かな空気と、それとは対照的に、不夜城と化した手塚プロで仕事に打ちこんでいた手塚先生の熱い姿に思いを馳せてみるのもいいのではないだろうか。
平林寺を出たら、そのまま平林寺の垣根に沿って、そのまま時計回りに歩く。と、遊歩道に沿って細い水路が現れる。これが「野火止用水」だ。
野火止用水は、承応4年(1655年)に老中松平伊豆守信綱が、玉川上水から分水して開削した水路である。小平市から野火止までのおよそ30キロメートルにわたり清流が続いている。
普通は、こうした水路は都市化が進むとジャマになって埋め立てられたり、フタをされて
そして、この野火止用水も、今回ぜひとも訪れたい手塚スポットなのである。
手塚先生は1980年5月に東京都東久留米市に自宅を構えた。その東久留米から野火止用水に沿ってまっすぐ北上すると、平林寺を経て手塚プロ新座スタジオがあったのだ。
手塚先生がまだお元気だったころ、先生は東久留米の自宅から新座スタジオまで、自転車でこの野火止用水沿いをサイクリングして通勤したこともあったというのである。
マンガとアニメの神様が通った道、それがこの野火止用水沿いの遊歩道なのである!!
サイクリングや、脚力に覚えのあるジョガーなら全踏破も楽しいかも知れない。一部だけならお散歩コースとしても魅力的です。ぜひ春か秋に再訪してみたいと思います。
平林寺を中心に、手塚スポットを時計回りに歩いてきた今回の虫さんぽは、ふたたび手塚プロ新座スタジオへ戻ってゴール! ……なんですが、話はこれで終わりじゃありません。ここでスペシャルなゲストにご登場いただきます。小林準治さん、どうぞ!!
「どうも、小林です」
小林準治さんは1948年生まれ。少年のころから手塚治虫に憧れ、1966年、高校卒業と同時に当時の虫プロダクションへ入社。以来、手塚先生の元でアニメやマンガの仕事を続け、現在も手塚プロでアニメーターとして活躍されています。1984年に手塚が制作し、世界中で高く評価された実験アニメーション『ジャンピング』では作画を担当されました。
そんな小林さんは、手塚プロがここ新座にスタジオをかまえた当時のことも大変良くご存知なのです。
ではさっそく小林準治さんにお話をうかがいましょう。
小林さんは、お仕事では手塚先生と上司と部下という関係だったわけですけど、それとは別に昆虫という共通の趣味をお持ちだったんですよね。
「手塚先生は大の昆虫好きでしたし、ぼくも昆虫マニアですから、先生とは仕事の話以外に虫の話もよくしました。
手塚先生は生涯に700本の作品を描いたと言われていますが、そのうち180もの作品に昆虫が出てくるんです。虫をこんなにたくさん描いたマンガ家はほかにいませんよ」
新座にスタジオが引っ越してきた当初、このあたりは森だったそうですね。
「当時は周りにホントに何もないところでね、今はスタジオの隣にも前にも家が建っているけど、当時は雑木林だったんです。そのころぼくが撮った写真があるのでお見せしましょう」
小林さんがそう言って見せてくださったのが、ここに紹介した貴重な写真の数々だ。
おおーっ、確かにスタジオのすぐ隣が雑木林ですね!
「夜になると周りは真っ暗で人通りもまったくなくなりますから、スタッフで「お化けを見た」とか「UFOを見た」という人が何人もいました。雨でもないのに白い霧のようなものが空中にモヤモヤ浮かんでいたとかね」
うひょ〜、こ、恐いです!!
「残念ながらぼくは一度も見たことがないんですけどね」
そんな話を聞いて夜中まで仕事をしていて恐くなかったですか?
「いやもう全然。いるなら見たいと思っていましたから。だけど最近はそんな話はまったく聞かないので、街が開けてしまって、お化けもUFOもどこかへ行ってしまったんでしょうね。
それからスタジオがラブホテルと間違われたこともあります」
ラブホテル……ですか///。
「ラブホテルは今も近くに1軒ありますけど、前はほかにもう1軒ありましてね。そこと間違えたカップルがスタジオへ入ってきて、玄関あたりをウロウロと……(笑)。だからぼくは当時、スタジオの副業でラブホテルをやったら儲かるんじゃないかと真剣に考えていましたよ」
アニメスタジオ兼ラブホテルですか!? お化けより気になって仕事ができなそうですね(笑)
光に集まってくるのはカップルもですが、虫も多かったでしょうね。
「すごかったですよ。今はもう点けなくなってしまいましたが、スタジオの玄関に、壁面のアトムマークを照らすためのサーチライトが設置されていましてね、その光にコガネムシがいっぱい集まってきたんです。
スタジオが引っ越してきて最初の夏に、ぼくがそこで虫を見ていたら、手塚先生がスタジオから出てきまして、そこで虫の話をしたことがありました。今でも忘れられない思い出です。
それから当時、近くの林で採集したオサムシを標本にして、手塚先生にプレゼントしたんです。手塚先生はそれをスタジオの仕事場に飾ってくださいまして。
その仕事場は今も当時のまま残されていて、オサムシの標本もそこに置かれています。年に1回ほどぼくが防腐剤を入れ替えているんですよ」
小林さん、貴重なお話と写真、ありがとうございました!!
ということで今回の虫さんぽもこれにてゴールです。おしまいに、小林さんのエッセイからもうひとつ、新座スタジオでの手塚先生の思い出を紹介いたします。
「先生が、亡くなる前の年の夏、手塚プロの脇の林で大発生していたクロヒカゲを見てこんなことを言ったという。スタジオの中に迷いこんできたクロヒカゲを手ですくって「こんなところにいたら小林君にみつかって殺されちゃうよ」と言い外に逃がしたというのだ。私はその現場にいなかったので、人から聞いた話だ。
その頃先生は大手術をされた後で、もしかしたら自分はあまり長くないということを感じておられたのかも知れない。気弱になられていたのだろうと思う。蝶一頭(虫屋は匹ではなく、頭と呼ぶ)でも、慈悲の心が湧いたのだろうと思う。そういえば「ブッダ」ではそんなシーンがいっぱいあったなあなどと考えた。
実際には昆虫の発生は天文学的なもので、人が採集した位では滅多に減らない。その代わり環境が変わると激減する。木を伐ってゴルフ場などにすると、虫は全くいなくなってしまうのだ」(小林準治著『手塚先生の思い出』2013年、作品発表会「広場」刊より)
この小林さんの指摘は鋭い。黒沢の自宅、東京の葛飾柴又も、20年ほど前まで昆虫などどこにでもいたのに、いつの間にかほとんど見なくなってしまった。
小林さんによれば、新座の昆虫もスタジオが越してきた当初からするとかなり減ってしまったという。それでも平林寺はあるし、周りにもいまだ雑木林がたくさんある。手塚先生の愛した自然がいまだここには豊富に残っているのだ。
手塚プロ新座スタジオは、いつまでもこの自然の中にあってほしいですね!!
それでは今回もお暑い中、おつきあいくださいましてありがとうございます。ぜひまた次回の散歩でも、ご一緒いたしましょう!!