今回の虫さんぽは、鎌倉だっ! 鎌倉といえば歴史の町であり寺と神社の町である。また昔から多くの文豪に愛された文学の町としても有名だ。ここに暮らしたことのある作家には、
今回の散歩はJR
東口を出ると、すぐ目の前が、細い路地におみやげ屋さんや食べ物屋さんがひしめく小町通りである。「鎌倉へ来るのも久しぶりだなァ〜」なんて観光客気分でお店を冷やかしていたら、いつの間にか女子高生の大群に取り囲まれていた。どうやら修学旅行生らしい。そういえば平日だというのに、けっこうな人出である。
風流とはほど遠い雰囲気で、もみくちゃにされながらなんとか大通りへ出て、まずは
本殿へ向かう長い石段の向かって左横に、しめ縄で囲まれた一角があり、その前に人が集まっている。今年2010年3月10日、ここに立っていた樹齢1000年といわれる大イチョウが強風で根本からポッキリと折れて倒れてしまった。当時、ニュースでも大きく報じられたのでご記憶の方も多いだろう。
あれからどうなったのか。なんと折れた木の根元からは“ひこばえ(新芽)”が元気よく
ところで古木の倒壊といえば、手塚ファンなら『陽だまりの樹』を思い出す人もいるかも知れない。『陽だまりの樹』の中で、水戸学者・
また中編『アリと巨人』や短編『モモンガのムサ』にも、それぞれクスノキの古木が重要な役割をになって登場していた。手塚マンガにおいてはこうした植物も、物語を描く上で欠かせない大切なキャラクターなんですね。
さて、次は鶴岡八幡宮を出てすぐの県道204号線を左へと向かう。細い路地を入って7〜8分ほど歩くと見えてくるのが
ここの境内には高さ3メートル、直径1メートルというブロンズ製の大きな絵筆塚がまつられていて、その表面には、何十人もの漫画家による河童をモチーフにした絵が並んでいる。そしてその中には我らが手塚先生が描いたアトム河童の絵もあるのだ!!
いったいどんないわれでここに絵筆塚が
「この絵筆塚が建立されたのは1989年の10月ですが、漫画家さんと当社とのご縁は、さらに昔にさかのぼります。長く鎌倉にお住まいで河童の漫画を描き続けておられた漫画家の
そのかっぱ筆塚というのが、絵筆塚の手前に、しめ縄を巻いて祀られているおにぎりのような形の石だ。40年近く風雨にさらされて表面が削られ、ちょっと目を凝らしてみないと分かりにくいけど、確かに清水崑氏の河童の絵が刻まれている。
引き続き、安藤さんのお話。「その後、昭和49年に清水先生が亡くなられまして、鎌倉にお住まいの漫画家・
以来、荏柄天神社では毎年10月の日曜日に絵筆塚祭というお祭りを行っていて、今年2010年の絵筆塚祭は10月10日に開かれる。つまりこの記事を公開直後に読まれた方ならまだ間に合う! ぜひこの機会に秋の鎌倉を散策しつつ、アトム河童を見に行かれてはいかがだろう。
ところで冒頭にこの日は雨の予報だと書いたけど、ちょうど荏柄天神社の
雨も小降りになってきたので、ここで少し足をのばして海まで出てみることにした。鶴岡八幡宮の前の
ちなみに今回の虫さんぽもそうだけど、鎌倉の観光スポットはけっこう距離をおいて点在しているので、効率よく回るにはレンタサイクルショップで自転車を借りるのもひとつの手だ。坂道が多いので電動自転車ならモアベターである。また車で来る場合は、若宮大路沿いの駐車場はすぐに満車になってしまうから事前に裏道の駐車場をチェックしておこう。観光のハイシーズンにはそれでも混雑するので、由比ヶ浜や七里ヶ浜の駐車場に車を駐めてパーク&レールライドを利用するのもいい。
潮風を浴びて気分がリフレッシュしたところで鎌倉駅方面へ戻り、こんどは西口へと向かう。駅前の道を250メートルほど歩くと、右側に『ギャラリーヨコ』という小さなギャラリーと、一風変わった外観のスターバックスコーヒーが仲良く並んで建っているのが見えてくる。
実はここはかつて『フクちゃん』で知られる漫画家の横山隆一先生の私邸と仕事場があった場所だ。横山先生が健在だったころ、毎年春にここで漫画集団の仲間を招いてお花見会が開かれ、そこに手塚先生も参加されていたという。漫画集団というのは昭和7年に結成された歴史ある漫画家の集まりである。詳しくは虫さんぽ第10回の銀座編を参照していただきたい。
さて、その横山邸のお花見会について、今回は、横山隆一先生の三女で、ご自身も画家・さし絵画家として活躍されている
「父・隆一が最初に鎌倉に家を借りたのは、戦前の昭和12年ごろだったと聞いてます。その後、昭和24年にこの土地を買って家を建てました。今のスターバックスのところに
かつて横山先生が仕事をされていたという場所から中庭を見下ろすと、桜の木と
「父がこのプールを作ったのは昭和34年です。当時、父は『おとぎプロ』というアニメーションの製作会社を
コンクリートはプロに打ってもらったにしても、穴掘りは横山先生たちがやったなんて、このプールにもマンガとアニメの歴史が詰まっているんですね。
引き続きふさ子さんのお話。
「お花見会は、私が物心ついたころにはもうやっておりました。最初は新年会だったそうですが、だんだん年配の方が増えてきたので冬にお招きするのは心苦しいということで、昭和30年ごろからお花見会に変えたそうです。
手塚先生はお忙しいでしょうに、ほとんど毎年出席されていましたね。私は子どものころ、手塚マンガの大ファンでしたから、手塚先生が来てくださるのがとてもうれしかったのを覚えています。
それでそのとき驚いたのは、手塚先生がうちの父に対してとても礼儀正しく接してくださっていたことです。私はそれを見て「あの手塚先生が父を立ててくださるなんて、父はすごい人なんだと、あらためて父を尊敬するようになったんです(笑)」
この土地にスターバックスコーヒーとギャラリーヨコがオープンしたのは2005年10月である。
「2001年11月に父が亡くなって、その後も私はここに住んでいたんですが、ときどき、お庭を見せて欲しいという方がおりましてね。それで、コーヒー店なら誰でも気軽に立ち寄ってお庭を見ていただけるのではないかと思いまして、知り合いのスターバックスの方に相談をしたんです。お貸しする話が決まってからは、この場所の特徴が生かせるようにしようと、うちが建築チームに依頼をしてあの建物を建てました」
ということで、ここでふさ子さんとお別れして、スターバックスへと向かった。案内してくれたのは、スターバックスコーヒージャパンPR担当の
「この横山隆一先生宅跡に作られた「鎌倉御成町店」は通常の店舗とはひと味違ったコンセプトストアのひとつで、鎌倉という土地柄や景観が最大限に生かされている店舗だと思っています。傾斜した長い屋根が特徴ですが、これは建築家の方が、後ろにある山の
かつて漫画家たちの笑い声であふれた場所に、今は毎日たくさんの人が訪れ、コーヒーの香りとともに、中庭に移ろいゆく季節の景観を楽しんでいる。横山先生や手塚先生もきっと喜んでおられることでしょうね!
ではまた次回の散歩でお会いいたしましょう!!
(今回の虫さんぽ、6時間55分、6451歩)
取材協力/荏柄天神社、ヒサクニヒコ、横山ふさ子、ギャラリーヨコ、スターバックスコーヒージャパン(株)(順不同・敬称略)
黒沢哲哉
1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番