今回は、懐かしい昭和の風景が今も残る東京の東部、足立区荒川区台東区界隈を歩きます! 手塚治虫先生のマンガには下町方面はあまり登場しない印象ですが、実はけっこうあるんです。それから東京東部の某所には鉄腕アトムのいる大学があるとか。大学にアトム? いったいどういう事なのか!? さらに! 読者からの情報で前回の虫さんぽで分からなかった手塚スポットの場所が判明!! うおおっ! さっそくさんぽに出かけようぜ〜〜〜〜っ!!
今回の城東さんぽ、スタート地点はJR常磐線北千住駅だ。しかも最初の目的地はこの北千住駅の目の前にあるのだ。
まずは改札を出たら東口、別名電大口へと出よう。そして駅の階段を降りるとすぐに見えてくる大きなビル、ここが本日最初の手塚スポットなのである!
ビルの壁面には「TDU」の文字。ここは東京電機大学東京千住キャンパスなのだ。すでに新学期の授業が始まっていてキャンパス周辺を多くの学生たちが行き交っている。
だけどこの大学がなぜ手塚スポットなのか? まずは事前にさんぽのお願いをしてあったので総合受付へ行って来意を告げる。
しばらくするとたくさんの書類を抱えたひとりの女性がやって来た。初めまして、伴さんですね!
「はい伴です! お待たせしてすみません、いろいろとバタバタしていまして」
この方が今回の虫さんぽの最初の案内人・東京電機大学入試センター 学生募集広報担当課長の伴明美さんである。
伴さんに通していただいたのは入試センター アドミッションラウンジ。するとその部屋の壁には大きな鉄腕アトムのシルエットが描かれていた。さらにパンフレットが並ぶキャビネットに目をやると、そこにも鉄腕アトムの絵の入った大学のパンフレットがズラーーーリ!! ここが冒頭に書いたアトムのいる大学だったのだ!!
さっそくですが伴さん、なぜこちらの大学で、こんなにたくさんアトムのキャラクターが使われているんですか?
「うちの大学は創立が1907年で今年で創立109年目となります。創立100周年となる2007年には全学改編がありまして、新たに未来科学部が創設されました。そこでその前年の2006年から、大学が新しく生まれかわったことを内外にアピールするにはどうしたらいいか、学外の人も交えて様々なアイデアを出していただいたんです。その中に『鉄腕アトムを本学のイメージキャラクターにする』という案があったんです」
大学のイメージキャラクターにマンガのキャラを使うというのはかなり突飛な発想ですね!
「確かにそうですね。しかし私はその場にはいなかったんですがほぼ満場一致で決まったと聞いています。むしろ審査をするメンバーにアトム世代の人が多くいたのでアトムと聞いて目を輝かせる人が多かったそうですよ。
それに大学が架空のキャラクターをマスコットに使うのは前例がないわけではないんです。いろいろな大学でオリジナルキャラクターをつくっていますし、そのキャラクターを通して大学を知ってもらうよい機会になりますね」
なるほど! そんな中で東京電機大学はなぜアトムだったんでしょうか。
「本大学の教育・研究理念は初代学長の丹羽保次郎が唱えた“技術は人なり”というものです。これは『技術は技術者の人格のあらわれであり、良き技術者は人としても立派でなくてはならない』という意味なんですね。それに人間らしい温かい心を持ったロボットである鉄腕アトムというキャラクターがぴったりと一致したんです。新設された未来科学部にはロボット・メカトロニクス学科もありますし、単なる広報キャラクターとしてでなく、本学のブランドイメージにふさわしいということです」
いやあ、そんなに褒められると照れちゃいますね。
「いえ……黒沢さんのことではなくてアトムの話なんですけど……」
伴さん、実際にこちらの大学のどんな場所でアトムのキャラクターが使われているんですか?
「まずは大学案内などのパンフレットですね。2006年度版から毎年表紙にアトムの絵を入れています。それ以外にも各種パンフレットの表紙やインターネットのホームページ、広告バナー、新聞広告などにもアトムを使用しています。それから、すべて非売品ですがオリジナルグッズもたくさん作っていますよ」
おお、こちらがそうですか。クリアファイル、消しゴム、スマホスタンド、マウスパッド、何でもありますね!!
「カレンダーは高校や予備校などに毎年配布して喜ばれています。あとイベントの際に関係者が着るスタッフジャンパーやTシャツも作りました。今では東京電機大学=アトムというイメージがかなり定着してきていると思っています」
学生の皆さんはどんな反応をされるんでしょうか。今どきの大学生の中にはアトムを知らない人も多いんじゃないかと思いますが、
「そうですね。ところがある世代の学生たちは『このキャラ知ってる!』と言うんですね。聞いてみたら小学生のころの漢字ドリルにアトムが載っていたと言うんです」
ああ、確かにありましたね、アトムのドリル!
「それから女子学生は、アトムをよく知らないけどかわいい、という人が多いですね。でもそれでいいんです。女の子も手に取りやすい大学案内というのが大きな目標のひとつになっていますので。
というのも、うちの大学は1万人の学生が在籍していますがその9割が男子で女子は1割しかいないんです。ですからぜひとも女子の比率を上げたいというのがずっとあるんですよ」
アトムが東京電機大学で活躍している意味がよく分かりました。伴さん、本日はありがとうございました!! アトムくん、これからもがんばって大学のイメージアップに貢献してね〜〜〜〜っ!!
東京電機大学を後にして、北千住駅のコンコースを通り抜け、こんどは西口に出る。次の手塚スポットはここから徒歩20分ほどの場所にある。
懐かしい昭和の雰囲気が残るアーケードの商店街を歩いて西へと向かおう。
千住は江戸時代には日光詣でのための宿場町として栄えた場所だった。現在は北千住駅から日光へ向かう東武スカイツリーラインが走り、JR常磐線のほかに東京メトロ日比谷線・千代田線、つくばエクスプレスも乗り入れている。まさに旅の出発地点にふさわしい便利なターミナル駅となっているのだ。だけど駅からちょっと歩くとすぐにこうした風情のある街並みが現れるというのがこの街の特徴となっている。
国道4号線を横切ってさらに西へ歩くと間もなく南北に延びる墨堤通りに突き当たる。ここまで来れば目的地はもうすぐだ。墨堤通りに沿って200mほど北上して左折する。と、前方に帝京科学大学千住キャンパスが見えてくる。手塚スポットはこの大学の敷地内にあるのだ。といっても外から見学できるから事前の許可などは必要ないのでご安心を!
大学の正門前を通り過ぎて土手の石段を登るとすぐ目の前は隅田川だ。遠くにスカイツリーも見える。ここで大学の校舎を回り込んだ北西の角に目指すモノはあった。
大きな鋼鉄製のリングのようなオブジェ、これは何か? じつはこれはかつてこの近くにあった千住火力発電所の煙突の構成部品の一部を輪切りにしたものがモニュメントとして展示してあるのだ。
その煙突は4本立っていたが、見る方向によって3本に見えたり2本に見えたり1本に見えたりしたことから“千住のお化け煙突”と呼ばれていた。
このお化け煙突が出てくる手塚マンガが1956年に雑誌『少女』に連載された『ひまわりさん』である。戦時中に生き別れた両親を探している“そよ風さん”ことチヨコ。ある日彼女の元へ「母親の居場所を知っている」という男が現れ、その男に車で乗連れてこられたのが、ここお化け煙突の見える東京の下町だったのだ。だがそこでチヨコを待っていたのは……!!
太平洋戦争時代に激しい空襲があったこのあたりは、1956年当時はいまだに荒れた空き地が残り、簡素なバラック小屋が建ち並ぶ雑然とした場所だった。そよ風さんはここで強欲な養母にコキ使われ大変な苦労することになる。
不幸な運命を背負った少女の物語はこの時代の少女マンガの定番のストーリーであり、この作品も、手塚先生がそうした時流に合わせて描いたものだった。
手塚先生が当時、実際にお化け煙突を見にこの地域を訪れたかどうかは分からないが、1953年に、この地域を舞台とした新東宝の映画『煙突の見える場所』(監督・五所平之助、主演・上原謙、田中絹代)が公開されている。手塚先生も恐らくこの映画は見ていて、それをヒントにこのお話を描いたのではないでしょうか。
千住火力発電所は1963年3月に操業を停止した。煙突については保存を望む声も多かったというが、さすがに倒壊したら危険だし管理もままならないということで63年11月、惜しまれながら解体された。
その後、煙突の一部が発電所の隣にあった小学校に寄贈されて2007年まで校庭で滑り台として利用されていたが、2010年4月、帝京科学大学千住キャンパスが完成した際、敷地の一角に、滑り台がモニュメントへと姿を変え、お化け煙突の記憶とともにここに残されることになったのだ。
資料によれば、足立区が同大学にこの土地を売却する条件としてこの滑り台の保存を条件にしていたという。地元の皆さんにとってそれだけお化け煙突が大きな存在だったということなんですね!!
それにしても煙突の現物がないのはなんとも寂しいですよね〜、と思っていたら、何と足立区大谷田にある「足立区立郷土博物館」に、お化け煙突の精密な模型があるというじゃないですか。北千住からだと少し距離があるけど、せっかくなのでぜひ見に行ってみましょう!!
ただしここで注意が! じつは足立区立郷土博物館に事前にお訪ねしたいという相談をしたところ、あいにく現在は大規模な特別展を開催中で、その期間中はお化け煙突の模型は一時的に非公開になっているとのことでした。特別展『美と知性の宝庫 足立』は5月22日まで開催されていますので、お化け煙突の模型をご覧になりたい方はこの開催期間後にお訪ねください。
と、それでは話が終わってしまうので、今回はお願いして一時非公開中のお化け煙突模型を特別に見せていたけることになりました。うおお、ありがとうございます〜!!
北千住駅からお化け煙突のモニュメントまでは歩いて来たけど帰りは疲れたらバスを使ってもいいだろう。墨堤通りへ出たところの「千住桜木」バス停から東武バスで北千住駅西口までおよそ10分、運賃は220円(ICカード利用で216円)だ。
北千住駅からは千代田線に乗って亀有駅へと向かう。亀有駅北口を出て東武バス「八潮駅南口行き」に乗りおよそ5分、「足立郷土博物館」バス停で降りれば目の前が博物館だ。運賃はこちらも220円(ICカード利用で216円)である。
足立区立郷土博物館は、蔵をイメージしたという和風の外観の建物である。黒塗りのどっしりとした門をくぐって玄関を入ると右手に受付がある。ここで応対してくださったのは足立区立郷土博物館 専門員の奥村麻由美さんだ。
さっそく奥村さんに案内していただいて、現在は一時的に非公開となっている1階の展示室へ入れていただき、そこに仮置きされているお化け煙突の模型を見せていただいた。
この模型は普段は2階の展示室に展示されているという。台座の大きさは80cm×80cm。その上に縮尺200分の1の精密な発電所の模型が作り込まれている。建物と煙突だけでなく岸壁に並ぶ艀船(はしけぶね)、取水口、貯炭場なども再現されている。グレー1色に塗られているところがむしろ想像力をかき立ててくれていて、頭の中でのリアリティを増幅してくれている。
そしてそのまん中に立つ4本の煙突は、この模型でも実物通り見る方向によって2本に見えたり1本に見えたり、ちゃんとお化け煙突になっているのだ。
奥村さんに詳しく話をうかがおう。奥村さん、こちらの博物館にお化け煙突の模型が置かれているのはなぜなんですか?
「現在足立区となっている地域は江戸時代以降に大きく開けた土地です。土壌が豊かで平地が多いことから、この地域には江戸時代以降、農業や各種産業が発展しました。当博物館は1986年に開館したのですが、そうした足立区の近代以降の歴史・民俗を展示することを主なテーマにしています。
2009年3月にリニューアルする際、その方向性をより強く打ち出す新しい常設展示のひとつとして、近代産業遺産として評価の高まっている千住火力発電所の復元模型を制作・展示することになったんです」
すでになくなっていた建築物を模型で復元するのは大変ではありませんでしたか?
「制作はまず資料集めから始まりました。1954年に足立区で観光写真コンクールがありまして、その時に撮影テーマのひとつとして千住火力発電所があったんです。このときの応募写真は大変貴重な資料となりましたね、当時は誰でも写真を撮る時代ではありませんでしたから。それから東京電力に発電所建設当時の見取り図が写真として残されていたんです。あとは当時、実際にそこで働いておられた方の証言ですね。何人もの方から聞き取りを行いました。先日も、当館にも以前から協力していただいている発電所で実際に働いていた元社員さんがいらして、貴重なお話を聞かせていただきました」
さすが地元に密着した区立博物館の強味ですね!! 手塚先生がお化け煙突をマンガに描いていたのはご存知でしたか?
「あいにく知りませんでした。秋本治先生のマンガ『こちら葛飾区亀有公園前派出所』でお化け煙突が描かれたコミック(単行本)を紹介しています」
奥村さん、お化け煙突模型の紹介ありがとうございました!!
その後、奥村さんには博物館の敷地内に併設されている東渕江庭園も案内していただいた。回遊式の日本庭園で、中央の大きな池にはたくさんの鯉が優雅に泳いでいた。博物館の開館日は入園無料で散策できるので、さんぽの際にはぜひこちらにも立ち寄ってみてください。
亀有駅へ戻ったら再び上り電車に乗って次に向かうのは南千住駅だ。路線図を見ると亀有から南千住までは1本の線路でつながっているけど亀有駅からの直通電車はなくて北千住で一旦乗り換えないといけない。土地勘のない方はご注意を。
そして電車は隅田川を渡って南千住駅に到着。同じ“千住”の名が付いているけど北千住は足立区でここは荒川区である。この近くにある手塚スポットは2箇所だ。まずひとつ目は明治通りを白鬚橋を目指して東へ歩こう。するとすぐに左側に見えてくるのが巨大な球形の構造物=ガスホルダー・通称=千住のガスタンクだ。
ここは東京ガスのガス備蓄基地で、この界隈がモデルになっていると思われる手塚マンガが1960年から61年にかけて少女雑誌『なかよし』に連載された『エンゼルの丘』だ。
人魚姫ルーナと間違えられてとらわれの身となっていた草原あけみ。彼女がようやく懐かしい母親と兄の元へ戻ると、母は悪人にだまされて貧しい生活に身を落していた。そんな3人の新生活の場所が、東京の外れのガスタンクのある町・音坊呂町(おんぼろちょう)だった。
マンガでは鉄のやぐらで囲まれた円柱形のガスタンクであり、今の球形のガスタンクとは形が違うけど、じつはかつてここにあったのもこのマンガと同じ円柱形のガスタンクだったのだ。いつから球形のタンクに変わったのか、はっきりした資料は見つからなかったけど、ぼくの記憶では確か1970年代の半ばごろまではマンガと同じ円柱形のガスタンクだったように思う。
高層建築がほとんどなかった当時、手塚マンガに限らず、下町を舞台にした昭和30〜40年代のマンガにはこのガスタンクがランドマークとしてしばしば描かれていた。例えば1968年から『週刊少年マガジン』で連載が始まった『あしたのジョー』(高森朝雄原作、ちばてつや作画)などが有名だ。
続いて南千住駅近くにあるもうひとつの手塚スポットへ向かおう。
ガスタンクからは徒歩200mほどの場所、明治通りの南側一帯がそこだ。現在は清川、日本堤、東浅草という町名になっているが、かつてこのあたりは山谷(さんや)と呼ばれていた。1950〜60年代の高度経済成長時代、この地域には“ドヤ”と呼ばれる格安の木賃宿が密集して建ち並び、地方からの出稼ぎ労働者が多く集まる場所となっていた。
そんな時代の山谷は先ほどの『あしたのジョー』にも登場するが、手塚マンガにも描かれている。
この場所が出てくるのは1968〜69年に『ビッグコミック』に連載された『地球を呑む』だ。このマンガが始まってすぐのエピソード、主人公関五本松の父・関市松が落ちぶれて息子とともに身を寄せているのがこの山谷のドヤ街だった。
ある日、そのドヤ街に場違いな高級外車が乗り込んでくる。外車に乗っていたのは戦時中、南太平洋の戦地ガダルカナルで関の戦友だった安達原鬼太郎だった。安達原は関に「ある目的のために息子を貸して欲しい」と申し出る。果たして……!!
この当時、この地域には気性の荒い労働者が多く集まり、身元の不確かな人物も数多くいたことから治安の悪い場所として有名だった。だけど近年は、ご存知の方も多いと思うけど、格安の宿が多く集まっていることから外国人旅行者に人気のエリアとなっていて、雰囲気もすっかり明るくなった。昼間ならカメラを持って歩いていても、女性がひとりで歩いていても、まったく危険ではない場所になっている。
それだけに新しい建物もどんどんと建ってしまい昭和時代の雰囲気はかなり薄まってしまっているが、アングルの選び方によっては『地球を呑む』のころのような写真を撮ることも可能だ。
今回は電車とバスでの移動距離が長く、だいぶ日も傾いてきたので先を急ごう。というのも次の目的地には何としても明るいうちに着きたいからだ。なぜそんなに急ぐのかって? そりゃああなた、次の目的地が墓場だからですよ、お客さん、ヒヒヒヒ(誰がお客さんだ!)。
泪橋交差点を渡って南千住駅へ戻り、常磐線に乗って日暮里へと向かう。
この日暮里駅南側の高台に広がる広大な墓地、それが谷中霊園である。
この谷中霊園が描かれている手塚マンガはタクシードライバーを主人公にした短編連作ストーリー『ミッドナイト』だ。タクシードライバーのミッドナイトこと三戸真也がある晩、ワセダ大学の裏手で不気味な老女を客として乗せる。その老女の指定した行き先は何と谷中の墓地だった。なぜこんな時間に墓地へ行くのか、ミッドナイトが尋ねてみても老女は薄気味悪い笑みを浮かべるだけだった……。果たして老女の目的は……!?
ここ谷中霊園はじつは桜の名所としても知られていて、今回の虫さんぽ当日はちょうど桜が満開だったため、花見目的で散策している人も数多くいた。
何とか明るいうちに谷中墓地を歩けたので、最後の目的地へと向かいましょう。
今回の虫さんぽ最後の目的地も『ミッドナイト』から。先月のコラム「手塚治虫のグルメマンガ特集」で、ラーメン店で飼われることになった野良猫の話を紹介しましたが、そのネコの住みかとなっていたのが、ここ谷中にある宗善寺(そうぜんじ)というお寺だったのだ。
谷中霊園を出て言問通りを西へ300mほど歩き、右へ折れて長い上り坂の路地を登った先に宗善寺はある。
実際の建物を見ると『ミッドナイト』に出てきたお寺の絵とはまったく似ていないから、手塚先生は単に名前を拝借しただけかも知れないけれど、野良猫が逃げこむには格好の場所ではありました。
話の流れ的にミッドナイトがよく立ち寄るラーメン屋「ラーメン軒」もこの近くにあると思われ、ミッドナイトの務めるタクシー会社も多分この付近にあるという設定なのだろう。
ということで最後は再び言問通りへ出て地下鉄根津駅でゴール。今回の虫さんぽ終了といたします。皆さんお疲れさまでした!!
ところで! 今回のさんぽはおしまいですが、話はまだ終わっておりません。
前回の虫さんぽ「上野編 パート2」の最後で場所が不明な手塚スポットがひとつあるという話をしました。
それは1974年に発表された『ブラック・ジャック』第22話「血が止まらない」に描かれた1シーンで、恋人同士のふたり博と由紀が語り合う場面。その背後に円柱形の台座の銅像が立っていて、その奥には洋館風の建築が見えている。この場所が上野近辺だと思って探したんだけど、結局さんぽ時には発見できず読者に情報提供を呼びかけていたのです。
すると先日、読者の方が、何とその場所が判明したというメールを手塚プロにくださった。メールをくれたのは大阪出身で東京在住の尾崎友絵さん。
尾崎さんは元々この場所をご存知だったわけではなく、マンガの画像を元に当たりをつけてネットで検索し、場所を特定してくださったとのことだ。以下、尾崎さんのメールから。
「さて、件名にもある不明スポットですが、おそらく東京駅の丸の内側、銅像は毎日新聞社前『愛の像』だと思います」
メールにはネットで公開されていた画像も添付されていて台座の形が確かに一致、背景の洋館風建築の特徴も東京駅の駅舎ともぴったり合致していたのでした。
さっそくぼくもネットで調べたところ、この銅像=「愛(アガペー)の像」は巣鴨プリズンに収容されていた戦犯たちの遺稿をまとめた本の印税を元に、1955年、平和への祈りを込めて建立されたものだという。だけど2007年に東京駅駅舎の復元工事が始まる際に撤去されてしまった。その後、像を再設置するかどうかずっと未定だったが、2年前の2014年、JR東日本は現在工事中の駅前広場が完成する2017年春に再設置することを決めたのだという。よかったよかった。
ということでぼくもさっそく東京駅へ行って写真を撮ってきましたが銅像はありません。再設置された暁にはぜひとも虫さんぽで再訪したいですね。尾崎さん、情報ありがとうございました!!
それでは次回の虫さんぽにもぜひおつきあいください!!