日々刊行されている手塚治虫の本。特に今年、2018年は手塚治虫生誕90周年という記念の年なので例年にも増して出版物が多い。だがそんな見た目の活況とは裏腹に、手塚マンガの未来に対して危機感をお持ちの手塚ファンも多いのではないだろうか。手塚治虫が亡くなって来年で30年。果たして手塚マンガは今後も未来永劫にわたって読み継がれていくのか。今回は、そんな危機感を抱きつつ手塚マンガの出版と販売の裏側を訪ね歩いてみることにした! 知りたかったのは、そこに携わる人びとの手塚マンガに対する思いと未来への展望だ。果たして関係者からはどんな話が聞けたのか。東京から関西までを走り回った7日間の旅。ぜひお読みいただきたい!!
2018年2月某日、東京都杉並区上荻にある杉並アニメーションミュージアム。ぼくはここである人物と待ち合わせていた。そのお相手とはアンソロジストの濱田高志(はまだたかゆき)さんである。
濱田さんは2009年に国書刊行会から刊行された手塚治虫の複刻本『冒険狂時代・ピピちゃん』の企画・編集をされて以来、現在まで複数の出版社で数多くの手塚本の企画・編集を手がけている。最近の仕事としては立東舎の『手塚治虫ヴィンテージ・アートワークス』や、玄光社の『手塚治虫扉絵原画コレクション』などがある。
ぼくが企画編集を担当して今年2月に出版された『カラー完全版 ふしぎな少年』(小学館クリエイティブ)においても、濱田さんには企画段階からさまざまなアドバイスをいただいており解説も執筆していただいた。
そんな濱田さんと、今回は編集者対談をさせていただくことにした。手塚本はいかにして企画され、本になるのか。そしてそこに込めた思いとは……!?
黒沢「いやー、今回『ふしぎな少年』を1冊作ってみての率直な感想は、手塚本の複刻って大変ですねー、ということです」
濱田「大変でしょ。よく手塚マンガの復刻本は値段が高いと言われるんだけど、それなりに手間とコストがかかるんで仕方ない面もあるんですよ。特に原本からの復元作業というのは誰でもできることではないですから。技術職なんです。ですからどうしてもコストがかかってしまうんです」
黒沢「価格設定は本当に悩ましかったです。立派な本にしたいという思いがある一方で、商品としてはできるだけ手頃な手に取りやすい値段にしたいという思いもあるわけで……」
濱田「ぼくはそこはある意味割り切っています。良い本にするために必要なコストは削れませんから。その本の価値に見合う価格だったら多少高くなってもやむを得ないと思っています。読者にはその本が高いと思ったら“買わない”という選択肢もあるわけですから」
黒沢「国書刊行会で濱田さんが編集された本がまさにそうですね。立派な箱に入った豪華本仕様で定価も1万円以上という。コレクションとしての充実感とでも言いますか所有欲を満たされた感が圧倒的です。
ぼくも『ふしぎな少年』の箱は、最初はもう少しお金をかけてしっかりしたものにしたかったんです。でも定価を税込み1万円以下にしたいということで印刷会社に見積もってもらったら、とても国書さんのような立派な箱にはできませんでした。ぼくの場合は、価格をできるだけ安くして、その分発行部数を増やして多くの人に読んでもらいたいという意図がありましたので」
濱田「黒沢さんの選択もそれはそれで正しいと思います。国書刊行会の場合は少部数発行なのでどうしても値段が割高になってしまうんですね。でも一方で国書さんのいいところは本をすぐに絶版にしないことなんです。大手出版社とかだと倉庫の管理費用がかさむなどの都合もあって、一定の時期が来ると本を断裁して絶版にしてしまうことがよくあります。でも国書の場合は在庫が有る限りずっと売り続けてくれるんです。それでぼくは最初の手塚本の複刻企画を国書さんに持っていったんですよ」
黒沢「絶版にしないというのはすごく重要なことですね。せっかく貴重な手塚マンガが複刻されてもまたすぐに手に入らなくなってしまったら複刻した意味がないですからね。今回ぼくも『ふしぎな少年』では小クリの役員にひとりひとり直接交渉をして部数を当初予定より多く刷ってもらいたいとお願いしたんです。それは、ある程度の部数が市場に出回らないとこの本が次の世代まで残らないと思ったからです」
濱田「複刻はコアな手塚ファンのためという目的もありますが、手塚マンガ研究の素材としても大きな意味がありますからね。定本としては講談社の全集や文庫などがありますが、それを読んだ上でオリジナル版を読むとまたいろいろな発見がある。そのためにも、手塚作品をオリジナルに近い状態で読みたいと思った人がいつでも手に取れる環境が常にあって欲しいと強く思いますね」
黒沢「ここでいい具合に次の話題につながりました。濱田さん『手塚治虫書店』ってご存知ですか?」
濱田「はいもちろん。手塚プロと丸善ジュンク堂書店がやっている手塚治虫専門書店ですよね」
黒沢「はい。2014年4月7日に丸善 丸の内本店内に第1号店が開店したのが始まりで、現在は関西・中部方面の丸善ジュンク堂書店でも複数店舗で展開しています。この手塚治虫書店の基本コンセプトが“手塚治虫の既刊本がいつでも買える書店”ということだそうなんです」
濱田「読みたい手塚マンガがいつでも置いてある、というのはファンにとってはもちろん理想ですが、ぼくら編集者にとってもありがたい書店ですね」
黒沢「そうなんです。今は新刊の刊行点数がものすごく多いので、手塚マンガといえども発売からある時期が過ぎるとすぐに書店の店頭から消えてしまいますからね。こういう試みは非常に重要だと思うんです。そこでですね、ぼくはこれから手塚治虫書店各店を回ってその現場を直接見てこようと思うんです。そして手塚本がどのように売られているのか確かめてこようかと」
濱田「ぜひ見てきてください!」
黒沢「はい、帰ってきたらまた報告します!!」
3月某日夜9時。編集の仕事を終えて帰宅すると、ぼくは大急ぎで車に荷物を詰めこみ東京の自宅を出発した。最初に目指したのは、愛知県名古屋市にある「ジュンク堂書店 名古屋栄店」だ。ここには2016年1月22日に手塚治虫書店第2号店が開店。中部では最初の手塚治虫書店となった場所である。
大型トラックの群れに囲まれながら、ぼくは深夜の東名高速を西へ向かってひたすら車を走らせた。そしておよそ5時間後。現地に着いたのは日付が変わった午前2時過ぎのことだ。ぼくはそのまま倒れ込むようにベッドに横になり、しばしの惰眠をむさぼった──。
明けて翌朝。ぼくはさっそくジュンク堂書店 名古屋栄店へと向かった。名古屋名物の100メートル道路として知られる久屋大通に隣接した明治安田生命名古屋ビル。その地下1階と2階が名古屋栄店で、手塚治虫書店はその地下1階にある。
このお店でお話をうかがったのは、ジュンク堂書店 名古屋栄店コミック担当の堀尾珠代さんだ。堀尾さんにさっそく手塚治虫書店へ案内していただいた。
オフィスビルの地下ということで店舗スペースは限られているが、それでもひとつの壁に沿った1角がすべて手塚治虫書店になっている。さらにその限られたスペースの中でも、本の背表紙を並べるだけでなく、表紙を表に向けて置かれている本も多い(書店業界用語で面陳列=略して面陳などという)。いちいち本を手に取らなくても、その本がどんな本なのか、すぐに分かるという意味では重要だ。
そして特に大きなスペースを割いて置かれているのが、丸善ジュンク堂書店が昨年2017年11月3日から独自に刊行を始めた新編集版「手塚治虫全集」である。これはオンデマンド印刷のシステムを使って1部からの受注生産を受け付けることにより、B5判とB6判の2種類の判型で手塚マンガ全343巻を刊行するという大企画だ。毎月5タイトルずつ刊行し、完結はおよそ5年後になるという。
黒沢「さっそくですが堀尾さん、こちらのお店のお客様はどんな方が多いんですか?」
堀尾「このあたりは会社が多いので、平日はビジネスマンのお客様が圧倒的ですね。一方で土日はお近くに住まわれている方が多く来られているという印象です」
黒沢「手塚治虫書店のお客様はどうでしょう」
堀尾「中高年の方が多いですが、最近は20代くらいの若い女性の方もよく足を止めておられます」
黒沢「売れ筋はどんな作品ですか?」
堀尾「やはり定番の『ブラック・ジャック』や『火の鳥』などがよく売れますね。あと若い女性の方だと『リボンの騎士』とか『ユニコ』など。それから『七色いんこ』も人気なんですよ」
黒沢「『七色いんこ』を選ぶ若い女性というのはなかなか手塚ツウですね」
堀尾「若い方のほうがむしろ作品の知名度にとらわれず、かわいいとか絵がきれいだとか、そういう第一印象で手に取る方が多いような気がします」
これはまさに手塚マンガの既刊がたくさん並ぶ手塚治虫書店ならではの効用か。願わくばそうした方には、手に取った1冊を足がかりに、2作目3作目の手塚マンガに手を延ばしていっていただければありがたい。
最後に堀尾さんおすすめの手塚作品を聞いてみた。
堀尾「私はアニメ世代なので手塚マンガとの出会いも最初はアニメでした。ですから『ジャングル大帝』とか『ふしぎなメルモ』、『三つ目がとおる』といったアニメ化されている作品がお薦めですね。最初にアニメを見て気に入ったら原作を読んでもいいですし、その逆でもいいと思います。そうするとアニメとマンガで2倍楽しめますので」
堀尾さんによれば、今後はよりお客さんが本を手に取りやすく欲しい本が見つけやすいよう、レイアウトを工夫したいという。
堀尾「例えば文庫は文庫で集めた方がいいのか、出版社ごとに並べた方がいいのか、それとも作品ごとに違う版を並べて比較できるようにした方がいいのか。いろいろ試行錯誤してみようと思っています」
堀尾さんはマスクの奥で微笑みながらそう締めくくった。
ここで時計の針を巻き戻し、時は2月下旬。場所は東京都新宿区の高田馬場へ戻る。そもそも手塚治虫書店とはいったい何なのか。ぼくは高田馬場にある手塚プロ本社を訪ね、このプロジェクトに立ち上げ当初から関わっている手塚プロ出版局の石渡広隆さんに話をうかがった。
黒沢「石渡さん、手塚治虫書店というのはどういう経緯で始まった企画なんでしょうか」
石渡「話は2013年7月、東京ビッグサイトで開催された東京国際ブックフェアにさかのぼります。手塚プロは毎年このフェアに出店していたんですが、2013年に初めて「手塚治虫書店」というコンセプトで出店したんです」
黒沢「現在の手塚治虫書店のサンプルのようなものですね」
石渡「はい。ここに出店当初の企画書がありますが、このコンセプトは現在の手塚治虫書店にもほぼ踏襲されています」
黒沢「では最初からブックフェア限定の企画ではなく常設店にしたいという構想があったんですか?」
石渡「そうですね。出店当初から、こうしたお店が常設できたらいいよね、という話は社内でも出ていました。それにブックフェアに来られたお客様からもそうしたご要望をたくさんいただきましたので。それで後日、そんな話をある印刷会社さんにしたところ、丸善ジュンク堂書店さんに話をつないでくださいまして、そこからはトントンと話が決まっていきましてね。2014年4月7日の鉄腕アトムの誕生日に丸善丸の内本店内に手塚治虫書店1号店がオープンしました」
黒沢「その1号店オープン当時、「虫ん坊」に株式会社丸善ジュンク堂書店副社長(当時、現在は副会長)・岡充孝さんのインタビューが掲載されていますが、丸善ジュンク堂書店では新刊だけでなく既刊を長く売りたいという希望が前々からあって、それと手塚治虫書店の企画意図とが一致したのだと語っておられましたね」
石渡「まさにその通りです」
参考:虫ん坊特集 手塚治虫書店仕掛け人 岡充孝さんインタビュー!
黒沢「手塚治虫書店のイメージは高級感といいますか重厚感が強調されたコンセプトで統一されていますが、これは手塚プロの方でデザインされているんですか?」
石渡「そうです。企画当初はもっと別の案も検討されたんです。もっとアート寄りのデザインだとかポップなものとかですね。でも最終的にはクラシカルといいますか、手塚マンガには伝統を感じさせる落ちついた雰囲気がふさわしいんじゃないかということで現在の方向性が決まったんです」
黒沢「流行に左右されないデザインということですね」
石渡「カジュアルにすると目立つし一時的には注目を浴びるかも知れませんが飽きられるのも早いですからね」
黒沢「手塚治虫書店では店頭ポップとかポスターなどもあまり派手に貼らないようにしているとうかがいましたが」
石渡「そういうことをやっていくと手塚治虫書店としてのイメージが埋もれてしまうといいますか、ただの手塚治虫コーナーになってしまいますから、各書店さんにはコンセプトを大切にしてもらっています」
黒沢「手塚治虫書店という企画はとてもユニークですが、どなたが提案されたんですか?」
石渡「ぼくが最初に提案したのは書店内書店というコンセプトでした。その基本的な考え方はすごくシンプルで、手塚治虫に関する本を全て置いた書店を作りたいということなんです。マンガはもちろんですが、画集とか研究本だとか、最近だと若い作家が手塚原作を使った新作を描いたりしていますが、そういったものも含めて手塚に関する本はすべてそこに売っているというお店を作りたいと。そこが出発点ですね」
黒沢「でも毎月のように新刊もどんどん出ますから、だんだん置ききれなくなってきますよね」
石渡「それでも理想は全部置きたい!」
黒沢「うわー、欲張りですね(笑)」
石渡「手塚治虫書店で重要なのは、普段あまりマンガを読まない方にも手塚マンガを手に取っていただきたいというのがあるんです。なので、黒沢さんも手塚治虫書店各店を回ってこられたら分かると思いますが、手塚治虫書店はなるべくコミック売り場じゃない場所に設置して欲しいと要望しているんです。
マンガマニアじゃない人がたまたまそこへ立ち寄って、昔読んだマンガをふと読み返してみようと思ったり、新しい手塚マンガに出会えたりする、そんな場になって欲しいからです。
本と一緒にグッズを扱っているのも、マンガファンだけじゃない一般の人に目を止めていただきたいという意図からなんですね」
最後に石渡さんに、手塚治虫書店の未来についてうかがってみた。石渡さんは今後手塚治虫書店をどのような方向へ発展させていきたいのか。
石渡「現在、丸善ジュンク堂書店さんとのコラボで東京に1店舗、関西・中部に3店舗が営業中ですが、じつは昨年2017年12月にタイのバンコクにも手塚治虫書店がオープンしているんです。さらに今年の5月には台湾の台北にも出店を予定しています。今後はこうして国内だけでなく海外にも少しずつ広げていけたらいいなと思っていますね」
舞台はふたたび関西へと戻る。3月某日、ぼくは阪急梅田駅の東側、商業ビルの建ち並ぶ新御堂筋沿いの一角へやって来ていた。ここに建つチャスカ茶屋町という商業ビルの中にMARUZEN&ジュンク堂書店 梅田店がある。同店はビルの地下1階から地上7階までを占めていて総売り場面積は2060坪。日本最大級の書店だという。
手塚治虫書店はここの6階だ。一方で入口の案内板によればコミック売り場は地下1階となっている。ここで手塚プロ出版局の石渡さんの言っていた「手塚治虫書店はコミック売り場ではない場所に設置したい」という言葉が思い出される。
エスカレーターで6階へ上がると、ゆるやかな弧を描いた壁面に沿って重厚な焦げ茶色の本棚が並んでいる手塚治虫書店がすぐに目に飛び込んで来た。
こちらで対応してくださったのはMARUZEN&ジュンク堂書店 梅田店店長の中村育広さんだ。中村さんの案内であらためて手塚治虫書店を見渡してみた。
大きな書棚の向かい側にはゆったりとくつろげる肘掛け付きの椅子が置かれている。そのすぐ横にはガラスのショーケースに入った複製原画が展示されている。椅子に座り手塚本のぎっしりと詰まった本棚を眺めていると、まるで自宅のコレクションルームにいるような気分になってくる。
まずは中村さんにこの店のお客さんの傾向などをうかがってみた。
中村「この茶屋町という町は、若者向けのファッションビルが数多くありまして、梅田の繁華街の中でも特に若い人が多く集まる地域なんです。ですからうちも全体的に若いお客様が多いですね」
黒沢「では手塚治虫書店のお客さんも若い方が多いんですか?」
中村「手塚治虫書店のお客様は非常に幅広いですよ。年配の方もおられますし、お子様連れで立ち寄られる方もおられます。若い方はグッズをよく買われていきますね」
中村さんによれば、グッズではマグカップやバッグなどが人気だという。また夏には手ぬぐいが良く売れたとか。
そしてもうひとつ中村さんが紹介してくれたのは、手塚先生がかつてコーヒーをイメージしてデザインしたオリジナルキャラクター「マコちゃん」の絵柄が入ったコーヒーカップ&ソーサーのセットだ。このキャラクターは、元々は大阪の西区で営業していた福田珈琲の社長さんからの依頼で手塚先生がデザインしたものだった。しかし同店は残念ながら2016年4月に閉店、「マコちゃん」のキャラクターはアラブ珈琲という会社に引き継がれたのだった。こちらの手塚治虫書店ではこのアラブ珈琲と交渉をして、このグッズの梅田店限定での販売が実現したのだという。
ここで中村さんに気になる『ふしぎな少年』の売り上げを聞いてみた。
中村「『ふしぎな少年』は店頭に並べてすぐに2セット売れました。固定ファンのお客様がいらっしゃるのか、うちでは高額商品でも3セットくらいは必ず売れるんです」
ちなみにここMARUZEN&ジュンク堂書店 梅田店には、6階の手塚治虫書店の他に地下1階のコミック売り場にも手塚マンガのコーナーがあるというので、そちらも中村さんに案内していただいた。するとこちらにもかなりの数の手塚マンガが並んでいた。ここはここでマンガファンのためにそのまま棚を残しているのだという。
これはとても興味深い実験だと思った。地上6階と地下1階という微妙に近くて遠い距離に設置された手塚治虫書店とコミック売り場の手塚治虫コーナー。この両者で売り上げはどう変わるのか、売れ筋に違いは出るのか。手塚治虫書店設立の意義がまさにここで試されていると言っていいだろう。近くにお住まいの方はぜひ足を運んでみていただきたい。
関西・中部地方の手塚治虫書店を巡る旅で最後に巡ったのは、岐阜県岐阜市の郊外である。大阪から名神高速道路を東へ走り、琵琶湖の南端から東岸に沿うようにゆるやかに北上する。そしておよそ3時間で目的地の岐阜県岐阜市正木中にある大型ショッピングモール「マーサ21」に到着した。このマーサ21の3階にある「丸善 岐阜店」の中に関西・中部地方で3店目となる手塚治虫書店が入っているのだ。
マーサ21に着いたのは平日のお昼過ぎだったが1600台以上駐められるという駐車場のかなりのスペースが車で埋まっていた。店内へ入ってみても行き交う人の数はかなり多い。約束の訪問時間には少し早かったので、店内を歩いてみることにした。
じつは手塚プロ出版局の石渡さんからの事前情報で、こちらの商業施設には手塚治虫書店以外にも手塚キャラが点在している注目の場所がいくつかあると聞いていたのだ。
まずは各階のエレベータードアに手塚キャラの絵が描かれているというので行ってみた。
1階が鉄腕アトム、2階が火の鳥、3階がリボンの騎士の絵柄である。予想以上に大きな絵で驚いた。
それから手塚治虫書店各店には、特定のエリアでスマホやタブレットをWiFi接続すると手塚マンガ全400巻が無料で読める「TEZUKA SPOT」が設置されているが、ここではそのTEZUKA SPOTもゆったりしたソファの置かれた広々とした休憩スペースになっている。もしぼくが近所に住んでいたら、休日に通ってコーヒーでも飲みながらゆっくりくつろぎたい場所だ。
そうこうしているうちに約束時間が来たので手塚治虫書店へと向かう。コミック売り場と一般書籍売り場は離れた場所にあるが、ここでも手塚治虫書店はコミック売り場ではなく一般書籍売り場の一角に設けられている。
まっすぐな壁面に沿って焦げ茶色のシックな本棚があり、そこに手塚マンガがずらりと並ぶ。またこの店で特徴的なのは、この大きな本棚と別にエスカレーター前にも手塚治虫書店の看板を掲げたミニコーナーがあることだ。こちらではTシャツやノート、缶バッジなどのグッズが主に販売されていた。
こちらのお店で出迎えてくれたのは丸善 岐阜店店長の友田健吾さんだ。
まずは友田さんにこちらの手塚治虫書店の沿革をうかがった。
黒沢「友田さん、大変失礼ながら、手塚治虫書店4号店の場所が岐阜だとうかがってとても意外な気がしたんです。なぜ岐阜なのかと」
友田「おっしゃる通り、普通だったらもっと大都市に作ろうと考えるかも知れませんね(笑)。ここに手塚治虫書店がオープンしたのは昨年2017年10月1日なんですが、じつは今年2018年がマーサ21のオープン30周年目に当たるんです。それで何か記念になることをやりたいということでマーサ21さんからうちに相談がありまして。丸善ジュンク堂書店ではこんなことをやっていますよ、と手塚治虫書店をご紹介したんです。そうしたらぜひここでもやってもらいたいと言われましてね。それでマーサ21さんから全面的なご協力をいただいてオープンいたしました」
黒沢「それでエレベータードアに手塚キャラの絵が描かれていたり、TEZUKA SPOTも充実しているんですね! 岐阜の皆さんの反響はいかがですか?」
友田「オープン前からけっこう反響があって驚きました。お客様からいつオープンするんですか、とか、どんな本が並ぶんですかなどというお問い合わせをいただいたりですね。それからオープン当初はマーサ21のギャラリースペースで手塚マンガの複製原画展を開催したんですが、こちらも大変好評をいただきました(※)」
※現在は開催されていません。
続いて友田さんにこちらのお店のお客さんの層と、売れ筋手塚作品をうかがった。郊外にある唯一の手塚治虫書店ということで、他の手塚治虫書店との違いはあるのだろうか。
友田「この地域に住んでおられる方は車が日常の足ですから、平日でもたくさんのお客様がいらっしゃいます。でもやはりお客様が多いのは圧倒的に土日で、平日の倍以上になりますね。
手塚治虫書店のお客様も熱烈な手塚ファンというよりは一般の方が多いような気がいたします。売れ筋は、若い女性には『ふしぎなメルモ』や『ユニコ』などかわいいものが人気です。あとは定番の『ブラック・ジャック』や『火の鳥』ですね。どのバージョンが売れているかというと、うちでは新編集判の全集が良く出ています。文庫は、年配の方がたまに全巻まとめて購入されてラッピングを希望される場合がありまして、恐らくお孫さんへのプレゼントなどにされているのではないでしょうか。
手塚治虫書店がオープンして間もなく半年になりますが、驚くのは新刊だけでなく既刊もコンスタントに売れていることですね。刊行されてから何十年も経っているのに、いまだに第1巻が売れる本がたくさんあるというのは驚きです。
昔読まれた方が読み返そうと思って買われているのか、それとも新たに読もうという方がいらっしゃるのか。後者もたくさんいたらうれしいですね。ぼくも高校生のころはマンガ少年でしたから、『火の鳥』を大判の本で読んだりしていました。今回、うちのお店で手塚治虫書店をやることになったので久々に読み返してみてあのころの感動が甦ってきましたよ」
こうしてうかがってみると、郊外の大型ショッピングモールという立地にも大きな価値があるように思えた。最後に友田さんに今後、手塚治虫書店をどう発展させていきたいかを聞いてみた。
友田「イベントですね。開店当初にギャラリーでやった複製原画展が好評でしたから、もう少し小規模なものでもいいのでぜひうちの店内でやりたいです。それからグッズの売れ行きがいいのでもっと新商品が揃えられたらいいなと。ただうちで商品を開発しているわけではありませんのでこれは手塚プロさんにお願いしたいところです。特に季節商品があると売り場がにぎわいますのでうれしいですね」
黒沢「分かりました、帰ったら手塚プロ出版局の石渡さんに伝えます!(笑)」
関西・中部の手塚治虫書店を巡って東京へ帰ってきたぼくが最後に訪ねたのは、東京駅丸の内口に隣接した丸善 丸の内本店だ。2014年4月7日、ここに手塚治虫書店第1号店がオープンした。「虫さんぽ」でもオープン直後の2014年6月に訪問して紹介しているが、間もなく4年目に入ろうとしている第1号店は今どうなっているのか。
参考:虫さんぽ 第34回:東京・銀座から丸の内へ 手塚先生のおもてなしメニューを堪能する!!
手塚治虫書店の前に来てみると、相変わらず広々としたスペースに手塚マンガがゆったりと並べられている。そしてここでも目立つのは新編集版「手塚治虫全集」だ。またここの書店で特徴的なのは、ギャラリースペースが充実していてガラスケースの中に複製原画が常時展示されていることだ。そしてまさに今回の訪問時には、そのギャラリースペースで『カラー完全版 ふしぎな少年』の刊行に合わせて『ふしぎな少年』の複製原画展示をしてくださっていた。『ふしぎな少年』の連載は昭和36年に始まっている。このとき手塚は33歳。気力も体力も充実し筆がもっとも走っていた時代だ。そんな時代の原画をこうして間近で見ると、そのペンの勢いに圧倒される気がする。わずか数枚の原画をみただけで感じられる強烈なエネルギー。恐らく多くの人が、この原画を見ただけで、このマンガは間違いなく傑作であると確信されるはずである。お近くの方は展示期間中にぜひご覧になっていただきたい。
ここで丸善ジュンク堂書店で手塚治虫書店全店を統括管理しておられる、同書店営業本部コミック仕入統括担当の小磯洋さんにお話をうかがった。
小磯さん、手塚治虫書店が足かけ4年目に入るということで、これまでやってこられていかがですか?
小磯「開店当初は手塚マニアのお客様がたくさん駆けつけてくださいましてね。そうした方々は今でも常連さんとして通ってくださっているんですが、その後の傾向としては、たまたま立ち寄られたお客様が『ブラック・ジャック』とか『火の鳥』を見て、「ああ、このマンガ知ってる」という感じで足を止めて行かれる方が増えている感じがしますね」
黒沢「それはまさしく手塚治虫書店のコンセプトがうまく機能しているということですね」
小磯「そういうことだと思います」
黒沢「丸善 丸の内本店内に第1号店がオープンしたときには、アンテナショップ的な位置づけでここ1店だけなのかと思っていたんですが、その後、次々に新たな手塚治虫書店がオープンして驚きました」
小磯「それは弊社の岡の考え方で、大都市にそれぞれ1店ずつくらい欲しいよねということで増えていったんです」
黒沢「小磯さんは、今後手塚治虫書店をどのようにしていきたいとお考えですか?」
小磯「まずは刊行が始まったばかりの新編集版「手塚治虫全集」を成功させたいというのがありますね。まだまだ先は長いですから、より多くの方に認知していただいて売っていきたいと思っています」
黒沢「今回の新編集判の「手塚治虫全集」は、B5判とB6判を両方出してしまうというのが思い切った判断ですね」
小磯「判型を決める際に手塚プロさんからB5判で出したいという要望があり、最初はB5判のみで刊行の予定でした。その後オンデマンドなので判型を変えて刊行可能という事が分かり、だったら講談社版全集のB6判のイメージも強いので両方出しちゃいましょう、という話になったんです」
黒沢「どちらの判型の方が売れていますか?」
小磯「ほぼ同じくらいの売れ行きですね。ただ興味深いのは『火の鳥』や『ブラック・ジャック』などの代表作ではない作品は、大判のB5判の方が売れ行きが良いんですよ」
黒沢「それは面白いですね。例えば第1回刊行作品だと『ザ・クレーター』の第1巻とかの大判が売れているということですか?」
小磯「そうです。『火の鳥』や『ブラック・ジャック』は過去に大判で単行本になっていますが、一度も大判で単行本になったことのない作品が大判で売れているんだと思います」
黒沢「確かにそう言われると、ぼくも大判の『ザ・クレーター』が欲しくなってきました(笑)。では地域による売れ行きの差はありますでしょうか?」
小磯「地域差はほとんどありませんね。どのお店でも人気の作品はやはり定番作品になります」
最後に小磯さんご自身の手塚マンガ遍歴をうかがった。
小磯「私が小学校のころに、地元の地域図書館に講談社版の「手塚治虫漫画全集」全400巻が置いてありましてね。私は通い詰めてほとんど全巻を読破しました。子どもには難しい内容のお話もありましたし、これは親に言ってはいけない内容だなと思うお話もありましたが(笑)、どの作品もよく分からないなりに夢中で読みましたね。
お薦めの作品ですか? ベタですがやはり『火の鳥』ですね。読み進めていくにつれてバラバラだった物語が少しずつつながっていくという構成は素晴らしいです。あと私はロビタが大好きなんですよ。生い立ちも含めて魅力的なキャラクターですよね。そういうわけで『火の鳥』は今も折に触れて何度も読み返しています。
それから初めて読んだときの印象が強烈に残っているのが『処刑は3時におわった』という読み切りです。夢の中で自分の体が思うように動かない時ってあるじゃないですか。この作品はその悪夢がそのままマンガになったような内容で、本気で恐怖したのを覚えています。これをマンガにできる手塚治虫はやはりすごいと思います。
小学生のころはただ夢中で読んでいただけで、将来、まさか自分が手塚マンガに関わるとは思っていませんでしたが、今は私が図書館で手塚マンガに出会ったように、ひとりでも多くの方に手塚マンガとの出会いの機会が作れたらいいなと思っています」
小磯さん、ありがとうございました!!
こうして手塚治虫書店全店を巡ってきたぼくは再び濱田高志氏と会った。
黒沢「行ってきましたよ濱田さん!」
濱田「お疲れさまでした。どうでしたか、率直な感想は?」
黒沢「新刊だけでなく既刊を長く売りたい、手塚マンガの読者層を広げたいという手塚治虫書店の設立意図はそれなりに達成できている気がしました。本をネット通販で買ったり電子書籍で十分という読者が増えている中で、本との出会いの場としてとても意義のあるお店かなと。
ただその一方で正直に言うと、あれだけ手塚マンガが揃っていると、今買わなくても今度買えばいいやと思ってしまうという感覚もありましたね。実際、取材で訪ねた手塚治虫書店に買いそびれていた本が置いてあったので一瞬買って帰ろうかなと思ったんだけど、また今度でいいや、みたいな(笑)」
濱田「まさしくぼくらの時代にも同じようなことがありましたね。ぼくらが子どものころは名作といわれる手塚マンガもほとんどが絶版状態だったので、藤子不二雄A先生の『まんが道』のお話の中に出てくる数カットだけを見て『ロスト・ワールド』ってどんなお話なんだろうとか、想像するしかなかったわけです。それが今は全集があったり複刻版が出たりしていつでも読めるようになった。そうしたら手塚ファンがそれを片っ端から買って読むかというとそんなことはないんですよね」
黒沢「人間ってそういう生き物なんでしょうね。なかなか先のことが見越せないというか。例えば地方のローカル鉄道が廃線になるというと人がドッと集まって悲しんだり、老舗のラーメン店が閉店するというとその時だけお客さんが殺到したり。そんな中で手塚マンガを今後も世に広め、読み継いでいってもらうにはどうしたらいいんでしょうか」
濱田「ぼくら編集者に出来ることは新刊を出し続けていくことしかないんじゃないかと思いますね。手塚治虫書店のような既刊を長く売ってくれる書店があっても、新刊が出なければお客さんは書店へ足を運んでくれなくなってしまいますから」
黒沢「読者に常に新しい話題を提供し続けるということですね。しかし、濱田さんはぼくよりはお若いですが、お互いにもういい歳ですからねえ、いつまでも続けられませんよね」
濱田「そうなんです。ですから手塚本を企画して出版する編集者にも後進が出てきて欲しいですよね。ぼくらがぼくらより先輩の手塚ファンからいろいろと教わりながら作ってきた手塚本ですが、ぼくらもそうやって先輩から預かったバトンを後輩に渡さなければいけない。今はそんな時期に来ているんだと思いますね」
手塚マンガをリアルタイムで読んだ世代が年々減っていく中、それを後世の読者に引き継いでいくにはどうしたらいいのか。それを探りたいという思いから始まった今回の旅──。それは、ぼくと同じような危機感を抱きながら手塚マンガを世に広めようと努力する人びととの出会いの旅でもあった。
だがその一方で、今回の旅ではその道のりが決して平坦ではないこともまた改めて強く認識させられたのだった。
手塚マンガという人類の宝を何としてでも次の世代へと引き継いでいかなければならない。その思いはひとつだが、そのためにひとりひとりが出来ることは何なのか。ぼくらに残されている時間はもうあまりない。
取材協力/濱田高志、丸善ジュンク堂書店、丸善 丸の内本店内、ジュンク堂書店 名古屋栄店、MARUZEN&ジュンク堂書店 梅田店、丸善岐阜店(順不同、敬称略)