虫ん坊 2016年7月号 トップ特集1特集2オススメデゴンス!コラム投稿編集後記

虫ん坊 2018年8月号:虫さんぽ 第60回:夏の関西さんぽ(中編)京の都で手塚先生のスタミナグルメと思い出話を堪能!!

虫ん坊 2018年8月号:虫さんぽ 第60回:夏の関西さんぽ(中編)京の都で手塚先生のスタミナグルメと思い出話を堪能!!

 先月から3か月連続でお届けしている関西さんぽ、中編の今回は京都を歩きます。京都には巨大な火の鳥が3羽もいた!? 手塚先生お気に入りの名店では伝統の味を堪能。そして謎の倉庫に秘蔵された手塚マンガの山、山、山……その家の主人は何者なのか!? 猛暑の中、虫さんぽ隊は京を行く~~~~っ!!



◎某日午前9時半、京都市北部からさんぽスタート!!

黒沢

「お早うございます、時刻はただいま午前9時半です。眠いです。我々虫さんぽ隊がいま来ているのは京都市北区、あの有名な金閣寺のすぐそばです。でも今日私たちが向かうのは金閣寺ではありません」


O山

「手塚プロの虫さんぽ編集担当O山です。そうなんです、私たちが今日向かう最初の目的地……それは……!! 立命館大学 国際平和ミュージアムです!」


黒沢

「何でも事前情報ではここに巨大な火の鳥がいるとのこと……!!  早速、その姿を拝みに行こうと思います!!」


黒沢・O山

「夏の京都さんぽ、スタ~~~ト!!」



◎“火の鳥”レリーフの秘密を知る案内人が登場!!

 ということで、立命館大学国際平和ミュージアムの受付で挨拶をし、さっそく館内へ入らせていただいた。すると……さっそく発見! 2階まで吹き抜けとなった広いロビーラウンジの壁面いっぱいに、雄々しくはばたいていたのは火の鳥の巨大なレリーフだったのだ。
 さらに! 後ろを振り向くと何と反対の東側の壁にも、もう1体の火の鳥が羽ばたいている。手塚ファンとしては何ともぜいたくな空間です。
 それにしてもこれら2体の火の鳥のレリーフはいつから、なぜここに掲げられているのだろうか。そして2体の火の鳥が意味するものとは!?
 ここで立命館大学国際平和ミュージアム元課長の田中栄治さんと電話がつながっています。


―――もしもし田中さん、お早うございます。火の鳥レリーフで過去と未来を表現するというコンセプトはどのように生まれたのでしょうか?


田中

「お早うございます。当ミュージアムは、立命館の『平和と民主主義』という教学理念を広く伝えるための教育・研究機関として1992年5月に開館いたしました。
 その開館の3年前の1989年7月に設立委員会が発足しましてね、そこでどんな施設にするかが検討されたんです。
 ミュージアムには過去の戦争と誠実に向き合い未来の平和を創造する、というコンセプトがありましたので、その話し合いの中で、戦争にまつわる展示のほかに、ミュージアムのコンセプトをシンボル的に伝えられるようなオブジェを作りたいという案が持ち上がったんです」



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立命館大学国際平和ミュージアム。開館時間 9:30-16:30(入館は16:00まで)、休館日:月曜日(月曜日が祝日の場合は、火曜日が休館)、祝日の翌日、年末年始、夏期休暇中の一定の期間(詳しくは開館日程でご確認下さい)。問い合せ:075-465-8181


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火の鳥のレリーフが見下ろす立命館大学国際平和ミュージアムのエントランスロビー。立命館大学では毎年、太平洋戦争開戦日の12月8日前後にこの場所で「不戦のつどい」という行事を開催している

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案内プレートを熱心に撮影するO山。今回は取材記者兼カメラマンとして大活躍してくれた


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悲しくも辛い戦火の歴史を背負った「過去」の火の鳥(左)と、未来への希望を体現した「未来」の火の鳥(右)。どちらの造形も火の鳥の魅力を見事に表現している



◎火の鳥レリーフ設置が満場一致で決定!!


―――コンセプトは最初から決まっていたのですね。


田中

「そうなんです。そしてそのコンセプトに、手塚治虫先生の『火の鳥』がぴったりなんじゃないかと推薦された教授がいらっしゃいまして。もちろん私どもも、ご自身の戦争体験を綴られた手塚先生の自伝マンガを読んでおりましたし、先生が長いマンガ家人生の中で戦争の悲惨さ、平和の大切さ、命の尊さをテーマに作品を描き続けていたことも知っておりましたので、満場一致で決まりました。
 設立委員会が発足したのは手塚先生が亡くなってすぐのことでしたので、手塚先生の戦争と平和についての思いを、このミュージアムの一角に掲げて、いつまでも忘れずにいたい、という思いもありましたね。
 手塚プロダクションさんとはそれまで繋がりがあったわけではなく、レリーフの件ではじめてご連絡させていただきました。何度か高田馬場の手塚プロ本社へ足を運び、東の火の鳥は戦争による人々の苦しみと悲しみを表現し、西の火の鳥は平和な未来の実現を表現。そして真ん中の空間が「現在」であると。その「現在」の空間に立って、過去と未来について考えてもらえるようなラウンジにすることに決まりました」


―――2つの火の鳥にそれぞれ違いがあるのは、そういうことだったのですね。


田中

「苦しみと悲しみを表現するために、東の火の鳥は彩度が低めの色で、頭が下がり気味になっています。一方、西の火の鳥は明るい色味で、翼を大きく広げて絢爛に飛び立っています。この構成やデザインは早い段階で決まりましたね。
 レリーフは多治見焼でできておりまして、滋賀県の陶石制作会社で作られたものをミュージアムの壁にはめ込んでいます」



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立命館大学国際平和ミュージアム 元課長の田中栄治さん。今回は電話でお話をうかがいました!



◎火の鳥は平和の使者としてこれからもはばたく!!

 引き続き立命館大学国際平和ミュージアム元課長・田中栄治さんの電話インタビューです。


―――火の鳥レリーフはいまでも大変きれいな状態が保たれていますが、メンテナンスなどはどうされているのでしょう。


田中

「館内ですので直射日光が当たることはなく、照明も小さいものを使用しているため照明による影響もありませんが、空調のチェックなどに合わせて一定の期間で壁面の点検は行っています。
 最近は関西で地震がありましたので、レリーフはもちろん、ほかの展示物の状態を維持するためにも、設備の点検は入念に行いたいと思っています」


―――ところで田中さんご自身は手塚マンガは読まれますか?


田中

「『紙の砦』など、手塚先生の自伝マンガはひととおり読みましたし、『ブラック・ジャック』も読んだことがありますよ。当館の資料室には、『火の鳥』が揃っていますし、『ガラスの地球を救え』もあります。
 2001年には、「手塚治虫展―世紀をつなぐ作品とメッセージ」という企画展を滋賀・草津の立命館大学びわこ・くさつキャンパスで開催し、あわせて1 万5千人もの方に来場していただきました。
 これからも、国際平和ミュージアムは火の鳥レリーフと共に、戦争の「過去」と平和の「未来」について考えられる場所でありたいと思います。ミュージアムを訪れた際には、ぜひこのラウンジに立っていただいて、火の鳥を見ながら、戦争のあった過去を振り返る時間を過ごしてほしいと思います」


―――田中さん、ありがとうございました!!


参考リンク:「手塚治虫展―世紀をつなぐ作品とメッセージ」(立命館大学国際平和ミュージアム)



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アップにしてみると細部の精巧な作りがよく分かる。左の「過去」の火の鳥の暗く沈んだ色調と、右の「未来」の火の鳥の明るい色調の違いをぜひ近くでご覧ください



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2階のラウンジへ上がると、ガラス越しではあるが、より間近でレリーフを見ることができる



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京都が主な舞台となっている『火の鳥』「乱世編」より。生き物の歴史は生存競争の歴史だったというテーマを描いた異色作だ。※画像は講談社版手塚治虫漫画全集より



◎京都から日本のマンガを世界に発信!!

立命館大学国際平和ミュージアムを後にして京都市内を南下する。次に向かう目的地も『火の鳥』に出会える手塚スポットだということでヒジョーに楽しみなんだけど、編集担当O山は「私、前から行きたかった場所なんですよ~!!」とさらにテンションを上げている。
 ちなみに今回の移動には車を利用しているが、バスで移動する場合には立命館大学前バス停から京都市営バスを利用。15系統か51系統に乗り烏丸御池で下車する。所要時間はおよそ30分、料金は230円である。
 烏丸御池バス停でバスを降りると、国道367号線を挟んだすぐ斜め前に建っているのが次の目的地「京都国際マンガミュージアム」である。
 今回こちらを案内してくださるのは京都国際マンガミュージアム 広報担当の中村浩子さんだ。中村さん、こんにちは!

 

中村

「よく来てくださいました!」


O山

「芝生に寝転んでマンガが読み放題だと聞いてぜひ一度来てみたかったんです。何から読もうかなー」


黒沢

「今日は虫さんぽだからマンガを読んでる時間はないよ」


O山

「えー、そんなー、やだー!!」



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京都国際マンガミュージアム。開館時間 10:00-18:00(最終入館時刻 17:30)、休館日:毎週水曜日(休祝日の場合は翌日)、年末年始、メンテナンス期間 ※休館日、開館時間は予告なく変更する場合がございますので、予めお問合せください。問い合せ:075-254-7414



◎昭和初期のレトロな建物に5万冊のマンガが集結!

 ……と言って駄々をこねるO山は放っておいて、中村さんに館内を案内していただいた。 


中村

「当館は京都市と京都精華大学の共同事業として2006年11月25日に開館しました。京都市からは30年間土地と建物を無償で提供していただいておりまして、運営は京都精華大学が行っています。所蔵資料はおよそ30万冊で、そのうち5万冊が来館者の方に自由に手に取って読んでいただけるようになっています。それらの本は館内のお好きな場所で読めますので、先ほどO山さんが言っておられたように庭の芝生に寝転んでお読みいただくこともできます」


―――ここはかなりクラシックな建物ですね。


中村

「元々ここには京都市立龍池小学校という明治2年開校の小学校があったんです。その小学校が1995年に閉校となりまして、昭和初期に建てられた建物をそのままミュージアムとして利用しています。昔は学校へマンガなんて持ってきたらだめだと言われたじゃないですか。その小学校にこれほどたくさんのマンガが並ぶっていうのは不思議といいますか、時代が変わったんだなと思いますね。でもそれは時代がいい方へ変わったんだと私は解釈しています」


―――マンガが文化として認知されてきたということですね


中村

「まさにそういうことだと思います」


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京都国際マンガミュージアムの館内を案内してくださる中村浩子さん(左)と黒沢。ディープなマンガの話ができるうれしさに、ついついニヤケてしまってます。失礼!

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成年コミックコーナーの手塚治虫棚。読みたい本がありすぎて目移りしちゃう感じ



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昭和初期の建物らしく階段なども味わい深い。木造校舎だった小学校時代を思い出して懐かしくなります



◎伝統技法で作られた火の鳥のオブジェ!!

 館内の棚は1階が少年マンガ、2階が少女マンガ、3階が青年マンガのフロアとなっている。手塚治虫の棚には手塚ファンの基本図書である講談社版手塚治虫漫画全集のほかに、手塚マンガビギナーにお勧めの名作アンソロジー『手塚治虫名作集』(集英社)が並んでいたのがありがたい。そして1999年に実業之日本社から刊行された『人間ども集まれ!〈完全版〉』が並んでいる渋さにも感心いたしました。
 そしていよいよ中村さんに本題の手塚スポットへ案内していただこう。その場所は2階メインギャラリー横の渡り廊下横にある。


中村

「こちらが京都の伝統技法で作られた火の鳥のオブジェです」


―――うおお、想像以上に大きいですね!


中村

「縦4.5メートル、横11メートルあります。京都市が伝統産業製品の魅力を広く発信するために取り組んでいる「京もの活動事業」の一環として2009年9月にこの場所に設置されました。須藤光昭さんという仏師(仏像彫刻師)の方が仏像と同じ技法で作られたものです。具体的には「寄木造り」という技法で紅松という木材のパーツを組み合わせ、目の部分には玉眼という水晶が使われています」


―――オブジェの目の前に渡り廊下がありますが、この渡り廊下もオブジェを見やすくするために設置されたんですか?


中村

「いえ、この渡り廊下は開館当初からあったんですよ。そして廊下の横にはタペストリーが掲げられていました。でもこうして火の鳥のオブジェが設置されると、この通路も最初からそのために用意されていたとしか思えませんね(笑)。ちなみに夜になると火の鳥がスポットライトでライトアップされますので、より神々しい姿になりますよ」


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火の鳥のオブジェがある2階の渡り廊下。この大きさ、そしてこの近さ!

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神々しいまでの威厳ある顔立ち。これも仏像彫刻の手法が生かされているからなのか


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手塚マンガ『火の鳥』「乱世編」より。永遠の命を求める時の権力者たちの醜い争いと、そこに巻き込まれた人々の悲喜こもごもの物語が描かれる。※画像は講談社版手塚治虫漫画全集より



◎読むほどに知るマンガの奥深さ!

 最後に中村さんご自身のマンガ歴をうかがった。


中村

「私は、小学校時代は『りぼん』が大好きで、池野恋先生の『ときめきトゥナイト』にはまっていました。雑誌で読んで単行本も揃えて、もちろんアニメも見ていました。
 私は京都生まれの京都育ちなんですが、京都の夏には地蔵盆という縁日があって子どもが集まるイベントが開かれるんですね。するとそこへみんながマンガを持ってきて回し読みが始まるんです。私もそこで誰かが持ってきた『マーガレット』を読んだりして好きな作品の幅がかなり広がりましたね。
 ただ中学へ入っていったんマンガからは離れてしまったので、ここで仕事をするようになってマンガの奥深さや広がりを知りました。それと、手塚先生のほかにも劇画や赤本など、関西発祥のマンガ文化というものがあると知り、マンガがより身近に感じられるようになりました。
 ここにはマンガについて詳しい研究員がおりますので、マンガの歴史など、いろいろ教えてもらい勉強しています。手塚先生のマンガ以外では杉浦茂を読んで感動しました。こんな面白いマンガがあったのかと。そうした日本のマンガの魅力を、これからも海外の人や若い人にどんどん伝えていきたいですね」


―――中村さん、ありがとうございます!!


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イベントなどで京都国際マンガミュージアムを訪れたマンガ家さんの手から型取りした手形がズラリと並べて展示されている。画像はさいとうたかを先生(左)とモンキーパンチ先生の手形。ペンの持ち方にもそれぞれ個性があって興味深い

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今年2018年は雑誌『ビッグコミック』の創刊50周年に当たるため、京都国際マンガミュージアムでは9月2日まで企画展を開催中。虫さんぽで訪問した際にはプレ展示として各年代の『ビッグ』の表紙を飾った人物に因むオモチャなどが展示されていた


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小学校時代の校庭をそのまま利用した中庭。春や秋の晴れた日には、寝転んでマンガを読むひとで埋まってしまうとか

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『りぼん』愛読者だった中村浩子さんは、大人になり、世界中の人に日本のマンガ文化を広める素敵なお姉さんになったのだった!



◎観光地のど真ん中にある高級フレンチのお店!

 さて朝から2ヵ所の手塚スポットを巡り、ちょうどいい具合にお腹がすいてきた。ということで次の目的地は手塚先生のお気に入りだったフレンチレストラン。そこへ行ってランチをいただくことにしよう!! 京都国際マンガミュージアムからは、最寄り駅である烏丸御池駅から京都市営地下鉄に乗り、三条駅で京阪電車に乗りかえる。そしてひと駅目の祇園四条駅で下車。そこからおよそ徒歩5分で目指すお店に到着する。
 そのお店は花見小路通という祇園の風流さを凝縮したような路地に面して建っている。道の両側には寺社仏閣や飲食店などが建ち並んでいて外国人観光客がかなり多い。そんな賑やかな通りに控え目な看板をひっそりと出しているのが、本日の京都さんぽ3ヵ所目の目的地「ぎをん萬養軒本店」なのだ。



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外国人観光客が行き交う花見小路通(左)と、その一角に建つぎをん萬養軒本店の建物。人通りが途切れるのを待って写真を撮ろうとするのだが、なかなか人通りが途切れずギブアップ!!



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ぎをん萬養軒本店 営業時間:LUNCH 11:30-15:00(14:00 Last order)、DINNER 17:00-22:00(20:30 Last order)、定休日:火曜日・水曜日、問い合せ:075-525-5101



◎ハイジが出てきそうなお店とは!?

 まずはこのお店について書かれた手塚先生の1985年のエッセイをお読みいただこう。
「萬養軒へかよいだしたのはもう二十年くらいになりますか、とにかくきっかけは仲間のマンガ家が京都うまいもの地図を出版して送ってきてくれて、名前を見つけたのです。
(中略)
 萬養軒でなんといってももっとも印象的なのは瀟洒しょうしゃなロングスカートを召して立っておられるご婦人が席へ案内してくださること。きけば社長の御親族とのことですが、そのシックでいかにも京都女性らしくて、しかも気品ある対応。ぼくは最初あッこれはロッテンマイヤ先生だ! と感じたのです。「アルプスの少女ハイジ」に登場する、家庭教師──厳格で格調高く知性的で──のイメージがぴったしだったのです(誤解をまねかぬように申しあげますが、これはスタイルのイメージであって、決して小説の人物の性格や役割のイメージではありません)。するととたんに店の中がスイスのレストランのようにエキゾチックに見えたりして……。」(講談社版手塚治虫漫画全集『手塚治虫エッセイ集7』所収「ハイジが出てきそうな店」より ※初出は1985年刊『鸞庭房』萬養軒七十五周年記念出版編集室)

 ちなみにこのエッセイの中で、手塚先生はこの店へ来るたびに何度も道に迷ったと書いている。
「ぼくは方向オンチではないが道路オンチなので、五、六度はウロウロ、ウロウロさがし歩いて、結局、すぐ目と鼻の先の天津甘栗の店で場所をきくんです。しまいにはぼくの顔をおぼえられちまって、またあんたですか、何度同じ店の場所をきくんですかと呆れられたりして……最近またわかりにくくなったのは、あの通りにはり出しができて全体像が見にくくなったせいですかな。ひどいときには五百メートルくらいさがしながら先へいってしまうのです。」



◎手塚先生お気に入りの料理をいただく!

 ぼくとO山は幸いなことに迷うことなくお店に到着。白い暖簾をくぐって細い階段を2階へ上がる。
 そこで穏やかな笑顔で出迎えてくださったのは、萬養軒ぎをん店店長の田中聡さんである。
 店内は落ちついた空間に適度な間隔を空けて真っ白いテーブルクロスのかかったテーブルが整然と並んでいる。由緒あるお店ということでぼくとO山は、ここへ来る途中でTシャツとジーンズから多少落ちついた服装に着替えてやって来たのだが、それでも緊張してしまいます。
 それではさっそく田中さんにお願いして手塚先生も食べた名店の味をいただくことにしよう。ぼくとO山が選んだのは4,000円のお昼のコース(※前記金額に8%の消費税と10%のサービス料が加算されます)だ。
「アミューズ お料理はじまりの一皿」と名付けられた前菜から始まり、メインディッシュから本日のデザートまで全6品。さらに小菓子の添えられたコーヒーor紅茶まで付いてこのお値段は破格といっていいでしょう。


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落ちついた店内でぼくらを出迎えてくださった萬養軒ぎをん店店長の田中聡さん

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この日いただいたお昼のコース。左上から時計回りに、アミューズ お料理はじまりの一皿(ニンジンとウニのコンソメムース仕立て)、ホワイトアスパラガスと帆立貝のポワレ 生姜風味、オードブル盛り合わせ(サーモンマリネと稚鮎のフリット、パンとバター



◎幻のメニューを特別に再現!!

 次々と運ばれてくる料理はどれも凝った細工が施され見た目も美しく味もじつに奥深い。ぼくもO山もひと皿ひと皿に感動していたのだが、そんな中、ついに待望のソレ・・が運ばれてきた!
 じつは今回のさんぽではコースの中のクリームスープを特別に別のスープに変更していただいていたのだ。
 というのは、先ほど紹介した手塚先生のエッセイにこんな一文があるからだ。
「ぼくのお気に入りの席は奥に向かって左の真ん中あたりで、スッポンのスープを味わいながら綺麗な店のなかを見渡していると、旅先のあわただしさを忘れてしまいます」
 しかし大変残念なことに、このスッポンのスープは大変手間がかかるため2年ほど前にメニューから消えてしまったそうで、今回は特別に当時のレシピでそのメニューを再現していただいたのでした。
 ぼくとO山の目の前にその幻の萬養軒特製スッポンのスープが運ばれてきた。真っ白い陶器のフタを開くと、紅茶色の澄んだスープ、その底にはサイの目に切ったゼラチン質のスッポンの皮が透き通って見えている。
 口に含むとコクのある甘味が口いっぱいに広がり、後からほのかな苦みが追いかけてくる。一口ごとに体に養分が染み込んでくる感じのする大人の味わいだ。手塚先生はこのスープで日々の疲れを癒し、新たな創作への意欲を高めていたのだろうと思うと、この味わいもひときわ貴重なものに感じられる。



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今回特別に手塚先生が食べた味を再現してご提供いただいた萬養軒特製スッポンのスープ。※現在は提供しておりません



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上2点がこの日のメインディッシュ(好きな方を1品選ぶ)。ぼくが選んだのは舌平目のカニクリーム包みパン粉焼き トマト風味(右上)、O山が選んだのは仔牛ロースのソテー イタリア風(左上)。左下が本日のデザート(フルーツバニラアイス)、右下が小菓子(ミニシュー、マカロン、ラングドシャヘーゼルナッツ、抹茶とホワイトチョコをコーティングした生チョコ)と紅茶



◎手塚先生がいつも迷ったお店への道……!!

 突然ですが、ここで(株)萬養軒 代表取締役社長の伊谷快児さんと電話がつながっております。伊谷さんこんにちは!


伊谷

「こんにちは。萬養軒は明治34年に麩屋町錦小路で創業し、大正2年(1913)に四条通麩屋町に移転しました。
 昭和の初めに御所で御大典がありまして、それ以来、皇室との関わりが深まりまして、国賓の方々にも多数ご来店いただいております。手塚先生が来てくださったのも、四条通麩屋町に店をかまえていたころですね。
 平成13年(2001)に大和大路新橋へ移転しましてそこで10年営業した後、2013年4月に現在の花見小路通に移転して、現在は「ぎをん萬養軒」として営業しています」


―――手塚先生はこちらへ来るたびに迷ったらしいですが、その麩屋町のお店は迷いやすい場所にあったのでしょうか?


伊谷

「まったくそんなことはなく……(笑)、四条通に面しておりましたので、比較的わかりやすい場所にありました」


―――移転前の店内の様子・雰囲気について教えてください。


伊谷

「外観も店内も、現在とは全く違った雰囲気でしたね。今は和を意識した外観ですが、当時は洋館で、らせん階段やシャンデリアがあり、クラシックなソファー、店内にキャンドルを灯すなど、内装も王朝風でした。夜にはエレクトーンの演奏もご用意しておりました」


―――うかがっているだけでうっとりしそうなお店ですね。手塚先生のエッセイによれば、お気に入りの席は「奥に向かって左の真ん中あたり」だったそうですが、そこはどんな場所だったんでしょうか?


伊谷

「店内の奥のほうに長いソファー席があったので、きっとそこのことだと思います。片方が長いソファーになっていて、テーブルを挟んでもう片側に椅子が並んでいる席でした。座ると右側に装飾された台が置かれていて、そこで一旦ソファー席が区切れていました。とくにVIP席というわけではなく通常のお席です。



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四条通沿いにあった、手塚先生が通っていたころの萬養軒の写真。実に立派な建物です。※画像は『鸞庭房』(萬養軒七十五周年記念出版編集室編、1985年刊)より。提供/(株)萬養軒



◎手塚先生のスタミナ源!

引き続き萬養軒社長の伊谷さんへの電話インタビューをどうぞ。


―――すっぽんのスープを今回特別にご用意していただきましたが、現在はメニューにないそうですね。貴重なスープをありがとうございます。スープを飲んだ時にコンソメ味の中にほのかな苦みを感じました。


伊谷

「すっぽんのスープは、すっぽんを丸々一匹入れて出汁を取っています。すっぽんの肉はくさみもありボソボソとしていて口当たりもあまりよくありません。ですので具はすっぽんの皮を少量入れているだけなんです。出汁を取るためだけにすっぽんを丸々1匹使用していますので濃厚なすっぽんのエキスを堪能できます。すっぽんは精力がつきますから、手塚先生はこれを飲まれてお仕事に励んでおられたのかもしれませんね」


―――伊谷さんは手塚マンガはお読みになられたことはありますか?


伊谷

「もちろんです! カラーの『鉄腕アトム』のアニメ(1980年版)はまさに世代でしたのでリアルタイムでぜんぶ見ていました。それから年上の親戚の家に手塚先生のマンガがそろっていたんですよ。『火の鳥』、『鉄腕アトム』、『ジャングル大帝』、『リボンの騎士』を夢中になって読んでいました。


―――手塚先生のエッセイに出てくるロングスカートの女性はどなたなのでしょうか?


伊谷

「私の叔母です。当時はロングスカートを着て店に立っておりましたので、それを見た手塚先生が「アルプスの少女ハイジ」のロッテンマイヤ先生に似ているとおっしゃったんです。そして何度目かのご来店の時に先生が叔母に「あなたの似顔絵を描きますよ」とおっしゃって、次にご来店くださった時に約束通り絵を描いてきてくださったんです。
 ロングスカートを着た叔母と手塚先生とアトム、そしてハイジが描かれた素敵なイラストで叔母もとても喜んでおりました。原画は長いこと店内に飾っていてお客様にもよくイラストについて尋ねられましたが、現在は店内には飾っておらず、私の手元で大切に保管しています」


―――伊谷さん、そして店長の田中聡さん、貴重なお話と美味しいお料理ありがとうございます。ごちそうさまでした!!


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『鸞庭房』(萬養軒七十五周年記念出版編集室編、1985年刊)と、そこに掲載された手塚先生のエッセイ+イラスト。(株)萬養軒の伊谷社長によれば、「先にイラストだけをプレゼントしていただいていたので、記念誌に載っている(手塚先生の)文章は、後から寄稿していただいたものだと思います」とのことです



虫ん坊 2018年8月号:虫さんぽ 第60回:夏の関西さんぽ(中編)京の都で手塚先生のスタミナグルメと思い出話を堪能!!

さんぽ当日にその場で本を複写させていただいたものなので、あまり状態は良くありませんが貴重な絵ですのでぜひごらんください。※『鸞庭房』(萬養軒七十五周年記念出版編集室編、1985年刊)より。提供/(株)萬養軒



◎最後に向かったのは手塚ファンの聖地!?

 まるで手塚先生と一緒にランチを食べたような気がする。そんなぜいたくな時間を過ごしたぼくら虫さんぽ隊は花見小路通のお店を後にして、本日最後の目的地へと向かった。
 祇園四条駅から再び京阪電車に乗って終点の出町柳駅まで北上。ここで路面電車のようなローカル線の叡山電鉄に乗り換えて3駅目の一乗寺駅で降りる。
 ここで待ち合わせていたのが石川古本店の主人であり、京都漫画研究会代表の石川栄基いしかわえいきさんである。
 ただしオールド手塚ファンには、元手塚治虫ファンクラブ京都代表の石川さんとご紹介した方が「ああ、あの!」と分かってくださる方が多いのではないだろうか。
 一乗寺駅前から電話をかけると、しばらくして作務衣姿の石川さんが軽い足取りで現われた。石川さんこんにちは!


石川

「道、すぐ分かった? ああそう、ほなよかった!」


 こんな気さくな口調で会話が始まった。実にお元気そうに見えるが、大病を抱えており3度も手術をされているという。
 石川さんは1975年、日本で初めての絶版マンガ専門古書店「石川古本店」を開業、その2年後の1977年にはほとんど独力で手塚治虫ファンクラブ京都を設立した。ファンクラブでは「ヒョウタンツギタイムス」という会報を年に2~4冊発行、さらに手塚マンガの貴重な絶版作品を精力的に複刻して自費出版するなど、1980~90年代に手塚ファンだった人なら知らない人はいない存在だった。だがその手塚治虫ファンクラブ京都も1997年に惜しまれつつ閉会し「ヒョウタンツギタイムス」は33号で終巻となった。
 かつて日本一の手塚マンガコレクターと言われ、今も変わらぬ熱烈な手塚マンガファンだという石川さんの近況を探るべく、今回の京都さんぽのゴールはここ石川古本店と決めたのだ。
 ちなみに石川古本店は看板だけは残しているが現在は休業中で、石川さん曰く「どうしても来たいという物好きな方は、事前に電話してくだされば、開くかもしれないし……開かないかもしれない、開かないときはゴメンナサイ。そんな開かずの古本屋です、と書いておいてください(笑)」とのことです。



虫ん坊 2018年8月号:虫さんぽ 第60回:夏の関西さんぽ(中編)京の都で手塚先生のスタミナグルメと思い出話を堪能!!

石川古本店主人で元・手塚治虫ファンクラブ京都代表の石川栄基さん。とても病み上がりとは思えないお元気さで楽しい話をたくさん聞かせていただいた


虫ん坊 2018年8月号:虫さんぽ 第60回:夏の関西さんぽ(中編)京の都で手塚先生のスタミナグルメと思い出話を堪能!!

手塚治虫ファンクラブ京都の会報『ヒョウタンツギタイムス』左からNo.2、No.4、No.3。ぼく(黒沢)は2号から入会したが、まだ学生で会費が払えず3年ほどで退会してしまった

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手塚治虫ファンクラブ京都から刊行された複刻本の数々。下段の『ぴぴちゃん』は、背の部分に貼られていた銀紙まで原本通りに再現している



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石川さんの半生を描いたノンフィクション『手塚治虫バカ一代』(司田竹己著、2004年集英社インターナショナル刊)。石川さんの破天荒な生き方がよくわかる



◎手塚先生が来たら隠れる!?

近くの喫茶店に入り石川さんに話をうかがった。


―――石川さん、手塚先生との思い出を聞かせていただけますか?


石川

「ぼくが手塚先生と最初にお会いしたのは手塚治虫ファンクラブ京都を設立した直後です。東京の目黒で「'77とうきょうマンガフェスティバル」というイベントがあって、そこで初めて紹介してもろたんです。そんとき先生に「ぼくの作品の中で何が一番好きですか?」と聞かれたんで、ぼくは「全部です」と答えたのを覚えてます。
 生涯で手塚先生にお会いしたのは20回前後ですかね。ファンクラブをやってるころは近いところにいたから会おうと思えばいつでも会えたんです。でも忙しい先生に、ぼくのために貴重な時間を使わせてはいけないと思ってましたから、わざと距離を置いていたんです。近くにいても会わないの。先生が来たら隠れるの(笑)。
 いつだったか、西日本カーフェリーが主催する「手塚治虫と巡る長崎の旅」みたいな企画があったの。ぼくもそれに家族で招待されたんで参加したんですが、このときも先生と会わないようにずっと隠れていたんです。
 船内で手塚先生のマンガ教室というのが開かれましてね。先生お得意の模造紙にマジックペンで絵を描きながらマンガの描き方を面白おかしく紹介するというやつなんですが、ぼくもそれを見に行ったら、主催者側の不備で模造紙を貼るマグネットが用意されていなかったの。それで先生が困ってたんで、ぼくがたまらず壇上に上がってって紙を手で押さえてやりました。それで会っちゃったの(笑)。
 後で先生の船室へご挨拶にうかがったら、奥様の悦子さんと当時小学生か中学生くらいだった次女の千以子さんがいらっしゃってて、先生は3人で来ておられたようですね。
 あ、そうそう、それから手塚先生のために東京から京都までとんぼ返りしたことがありますよ」



◎手塚先生に大切な忘れ物を届ける!


―――石川さん、東京から京都までとんぼ返りされたってどういうことですか?


石川

「ぼくは年に1回、ファンクラブの取材と称して手塚プロへ顔を出していたんです。お宮参りじゃないけど。
 あれは『ブラック・ジャック』の連載が始まってすぐのころかな。ぼくが上京して手塚プロを訪ねると、当時先生のマネージャーだった松谷(孝征)さん(現・手塚プロ代表取締役社長)がやって来てこういうの。
「石川さん、今日、京都へ帰るつもり?」
 って。
 帰るも何も今来たばかりです言うたら、松谷さんが、手塚先生が大阪で講演の予定があって大阪にいてるんやけど忘れ物をしたと。それを届けてくれんかって言うのね。
 それでもうその日の予定は全部パーですわ。東京での滞在時間はわずか1時間。新幹線代は出してもらいましたが、新幹線に飛び乗って大阪のホテルまで行って「先生忘れんもんです」言うてそれを渡したの。ちなみにその届けたものって何やったと思います?」


―――墨汁……ですか?


石川

「ナイショやけどね、後で手塚プロの人に聞いたら便秘の薬やったの。そういうもの先生は薬局で自分で買えないと言うてね。でもまあお役に立てて良かったです。先生もそのときは気をつかってぼくと3時間くらい話をしてくれました。話の内容は全部忘れましたけど(笑)」


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現在は倉庫になっているという石川さんのお店へ向かう。ワクワクが止まらない!

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石川古本店は現在休業中。問い合せ:075-711-5429



◎手塚先生はゴッドファーザー!?


―――そうして手塚先生にいつも気を使っておられた石川さんですが、たった1度だけ手塚先生に個人的なお願いをしたことがあったそうですね?


石川

「そうなの。うちの三男の名前を付けてもらったの。男の子が生まれたから先生に名前を付けてもらえませんか、って。そうしたら先生が“浩”と命名してくださったんです。手塚先生の弟さんと同じ名前です。でもぼくはそれじゃ畏れ多いからいややと言って、違う字にしてもいいですか? と先生に聞いて“寛”としたんです。
 その寛が生まれて1年目のことですわ。ぼくが家でゴロゴロしていたら、突然コンコンって誰かがやってきて、ドアを開けたら手塚先生が立っていた。先生がわざわざうちまでお祝いに来てくださったんです。そのときに描いてもらったのがこの絵です。
 この絵は息子が持っているはずなんですが、もしかしたらもう売っ払ってるかも知れません(笑)。


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開かずの古本屋が開いた! 右端には今も残る「手塚治虫ファンクラブ京都」の看板が

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石川古本店の店内。どんな本があるのかと、ついつい背表紙に目が行ってしまいます



◎ぼくの寿命を2年あげたい……!

 喫茶店を出て、現在は倉庫になっているという石川さんのお店「石川古本店」へ案内していただいた。お店の前には、マンガ専門古書店だった時代の名残をとどめるアトムやお茶の水博士、写楽くんの絵看板。そしてビリケンさんの上には「手塚治虫ファンクラブ京都」の看板が掲げられている。
 そして扉を開いたその奥には……恐ろしい数のマンガ本が山積みとなっていた。そして次から次へと出てくる手塚先生の直筆原画やサイン本など秘蔵のお宝がザクザク。それもあまりにも無造作に出てくるものだから、手塚ファンとしては目まいがしてくるほどだった。最後に石川さんにこんなことを尋ねてみた。


―――ファンクラブ京都を運営されていたころを振り返ってみて、いまどんな心境でおられますか?


石川

「そうやね、お金にはいつも苦労してました。こだわりがあったからね。少しでも立派な本にしたいと思ってたから。当時はカラーの印刷代がものすごく高くて、写植代も高かったし、1号出すたびに毎回数十万円の赤字が出ていたんです。ほんまの話、ファンクラブをやってなかったら家があと2軒くらい建ってたと思いますわ(笑)。
 それでもやり続けられた原動力は手塚先生の力が大きかったのはもちろんだけど、その周りにいる人たちがやさしくしてくれてたからね、だから続けられたんです。そのひとことに尽きます。
 東京に行ったら松谷さんに会うとかね。古徳(稔)さん(現・手塚プロ出版局長)にもお世話になったしね。そういう人と人とのつながりがあって楽しみがあったからやれたんです。ふたりにはいろんなことで迷惑もかけたし、世話になった人はほかにもいっぱいいますが、いまでも頭が上がらないのは手塚プロの松谷さんと古徳さんですね。
 ぼくは今年で70になるんですよ。手塚先生の年を10年も超えてしまったの。
 手塚先生が亡くなったときにね、手塚先生にぼくの寿命を2年あげたいって思ったの。当時のうちの従業員を集めて「お前らも寿命を2年ずつ分けてくれ」言うてね。そしたら先生があと10年生きられるからって。
 先生はやりたいことが山ほどあって、次はこんなことがしたい、あんなことがしたいって、いつも言うてはりましたからね。あと10年あればそのごく一部でも実現できたんじゃないかと思ってね。
 ただあれだね。手塚先生が亡くなったのは天が与えた運命だったのかもしれんね。もうお休みしなさいていう。リボンの騎士の神様がそう言ったどうかは分からんけどね」


――― 石川さん、心温まる貴重なお話をありがとうございました!



虫ん坊 2018年8月号:虫さんぽ 第60回:夏の関西さんぽ(中編)京の都で手塚先生のスタミナグルメと思い出話を堪能!!


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次から次へと出てくる手塚先生のサイン本や生原稿など。まだまだ貴重なものがあるとのことだがキリがないので今回はここまで!


虫ん坊 2018年8月号:虫さんぽ 第60回:夏の関西さんぽ(中編)京の都で手塚先生のスタミナグルメと思い出話を堪能!!

2階へ続く階段もご覧の通り。床が落ちそうで2階には上がれないとのこと。どんだけ本があるんだ!?

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本棚の片隅で手塚先生の写真が静かに微笑んでいた……



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ここに掲げられていたのは、シルエットからすると……火の鳥の赤ちゃんではないかな!?



◎次回後編もお楽しみに~~~~!!

 ということで、今回の京都さんぽ、いかがだったでしょうか。いろいろな場所で手塚先生をものすごく身近に感じられた充実したさんぽだったと思います。
 ぼくとO山は京都駅で解散。ぼくは車で次回虫さんぽの目的地へ向かい、O山は新幹線で帰途につきました。
 皆さんもそれぞれお気を付けてお帰りください。ではまた次回、夏の関西さんぽ(後編)でお会いいたしましょう。次はいったいどこへ向かうのか、お楽しみにっっっ!!


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今回の虫さんぽは京都駅で解散。ではまた次回をお楽しみに!!!!



虫ん坊 2018年8月号:虫さんぽ 第60回:夏の関西さんぽ(中編)京の都で手塚先生のスタミナグルメと思い出話を堪能!!

(今回の虫さんぽ、6時間25分、8,519歩)


取材協力/立命館大学国際平和ミュージアム京都国際マンガミュージアム株式会社萬養軒石川古本店(順不同、敬称略)


黒沢哲哉
 1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番




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