手塚治虫のマンガは“萌えマンガ”の元祖だと言われることがよくある。ジッサイ手塚作品には初期作品のころから、今でいう“萌え〜”的な要素が満載だった。だけど一方で「ソレって後から言われてるだけで手塚自身はそんなこと、当時はまったく意識してなかったんじゃないの?」とも言われる。そりゃそうだ。しかしそんな中で、手塚が意図的に“萌え〜”を狙って描いた異色の作品があったのをご存知だろうか。その作品が登場したのは1980年代初め、時代はラブコメとロリコンマンガが少年雑誌を席巻していたころのことだ。今回は、そんな手塚の幻の(でもないが)“萌え〜”マンガ誕生の時代を振り返ろう!
マンガやアニメのキャラクターの魅力を言い表す言葉として“萌え”という言葉が、使われ出したのは、ぼくの印象では1990年代の半ばごろからだろうか。
それが2000年代に入るころから、インターネットの爆発的な普及とともに、一気に拡散し一般化していった。
では“萌え”とは何か。ひとことで言い表すのは難しいけど、あえて説明するとこんな感じだろうか。
アニメやマンガのキャラクターの性的な魅力に対して言う言葉が“萌え”である。しかし過剰なセクシーさは萌えとは言わない。
幼い子どもや小動物を愛でる感情に近いといえばそうだけど、単にかわいいだけなのも萌えではない。
風に揺れるポニーテールや、ハイソックスとミニスカートのスキマからチラ見えする太ももなど、特定の部分に魅力を感じるフェティッシュな感情も萌えという。
要するに“萌え”というのは外的なものではなく、受け止める側の心が、まるで春の若葉が芽吹くような心ときめく感情のことを指した主観的なものなのである。
そして、この“萌え”という言葉が広まってゆく中で、にわかに注目されたのが手塚治虫のマンガだった。
手塚マンガに出てくる純粋で無垢で中性的な少年少女たち。それらがまさに“萌え”なのではないか、手塚こそは“萌え”の元祖だったのではないかというのである。
そんな当の手塚は、かつては女性を色っぽく描くのが下手だと言われ、手塚自身もそれをコンプレックスにしていた。
手塚のあの丸っこい線のペンタッチでは、女性をどんなにセクシーに描こうとしても、どうしても幼児体型になってしまうという。
ところが、その丸っこい線の絵を今の“萌え”の基準に照らしてみると、絶妙に抑制されたエロチシズムが、まさに現代の“萌え”そのものなのである!
ここで参考資料として、ぼく的に“萌え”る手塚マンガのカットを並べてみたので、それがどんなものかをご覧いただきたい。
『エンゼルの丘』の悲しい運命を背負った人魚姫・ルーナ姫の姿、アトムの妹・ウランちゃんの天然なキュートさ、そしてその直系とも言えるピノコの純粋な可憐さなどなど。
ただしこれらは今も言ったように、手塚自身が“萌え”を意識していたわけではもちろんない。
ところが! そんな手塚マンガの中にたった1作品だけ、まだ言葉もなかった“萌え”を意識して描いた作品があった!?
それはいったいどんな作品なのか。そしてその作品はどういう経緯で誕生したのか。今回は、そんなあの日あの時を振り返ります。
1970年代半ば、手塚治虫は長いスランプから抜け出し、『ブラック・ジャック』と『三つ目がとおる』でふたたび少年マンガの頂点に返り咲いた。
だけど少年マンガ雑誌は内容も読者もず〜っと同じワケではない。読者は成長し、世代交代をくりかえして日々移り変わっていくのだ。それに何か1本ヒット作が出れば、マンガ界全体がなだれをうったように、そっちの方向へ引っぱられていく。
この時代もまさにそうだった。少年マンガの世界には新しいふたつのムーブメントが生まれようとしていたのだ。
そのひとつが男女の恋愛のドキドキを、ギャグをまじえながら軽いタッチで描いた恋愛コメディ=いわゆる“ラブコメ”であり、もうひとつの流行は、少女のあどけない魅力をセクシーに描いた“ロリコンマンガ”だった。
ラブコメの元祖ともいえるふたつの大ヒットマンガの連載が始まったのは、まさに手塚の『ブラック・ジャック』と『三つ目がとおる』の連載が終わった1978年のことだ。その作品とは柳沢きみおの『翔んだカップル』と高橋留美子の『うる星やつら』である。
ここから始まったラブコメの流れは、やがて80年代に入るとさらに拡大し、テレビアニメをも巻き込んで巨大なラブコメブームを形作っていくことになるのだ。
またそれと同じころに始まったのがロリコンマンガブームである。これはラブコメと似てるようでいてちょっと(かなり?)雰囲気が違っていて、男女の恋愛というよりも、幼い少女の愛らしさやエロチシズムに焦点を当てた作品が主だった。
こちらは吾妻ひでおの美少女マンガあたりがその始まりだろうか。こちらもやがて魔法少女もののテレビアニメ人気などとともに大きなマーケットを築いていくことになる。
ここで誤解のないように言っておくと、ここでいう少年誌のロリコンマンガというのは、いまの大人が想像するようなエログロだったり鬼畜だったりするアダルトなロリコンマンガとはかなり違ったものである。
それに今じゃ信じられないかもしれないが、この時代はプラトニックな少女愛というのは知的な大人の“文化”のひとつと見なされていたのだ。
評論家が少女愛について語ったり、劇作家やミュージシャンがロリータをリスペクトした作品を発表するなど、ロリコンはサブカルチャーの一ジャンルとして完全に認知されていた。
こうして少年マンガ誌が大きく変貌をとげようとする中で、手塚はふたたび道に迷いかけていた。
『三つ目がとおる』の後に『少年マガジン』に連載した『未来人カオス』も、『ブラック・ジャック』に次いで『少年チャンピオン』に連載した『ドン・ドラキュラ』も、正直、大きな話題とはならないまま連載を終えた。
しか〜〜〜し! ここであきらめてしまわないのが努力の大天才、手塚治虫である!!
手塚は新しいマンガの潮流が生まれると、いつも自分からあえて相手側の土俵へ飛び込んでいき、そこで真っ向勝負を挑んできた。1960年代の劇画ブームのときも、1970年代のハレンチマンガブームのときもそうだった。
そして今回のラブコメ&ロリコンブームに対しても、手塚は真っ向勝負を挑んだのである。それが少女戦士を主人公としたSFファンタジー『プライム・ローズ』だった。
『プライム・ローズ』は、『七色いんこ』の連載が終わったおよそ2ヵ月後の『週刊少年チャンピオン』1982年7月9日号から連載が始まった。
物語は、いつの時代ともどこの世界ともわからない荒涼とした大地から始まる。その荒れ地にはふたつの国家が存在していた。独裁軍事国家グロマン国と、それに支配されている小国ククリット国だ。
このふたつの国の間で続いた長い長い戦争が終わったとき、両国はお互いの平和を担保するための人質として、それぞれが幼い王子と王女を相手国に差し出した。
主人公のエミヤ・タチは、この人質交換によってグロマン国からククリット国へと送られた王女だった。それから16年の歳月が過ぎた。エミヤはククリット国の貴族の家庭でわがまま放題に育てられ、美しくもやんちゃな少女になっていた。
『プライム・ローズ』のヒロイン・エミヤは、まさしく手塚治虫の好むオテンバでハネっ返りな性格の美少女であり、手塚流美少女キャラの正統を継ぐキャラクターといっていい。
ただし過去の手塚マンガの少女キャラと大きく違うのは、エミヤがかなり恋多き女であることだ。エミヤは彼女の前に次つぎと現れるイケメン青年に片っ端から恋をしてしまう。
また彼女は年齢のわりには恥じらいがあまりないらしく、やたらと人前で裸になるシーンが登場するのも驚きだった。
そもそも彼女が女戦士として戦うときのコスチュームなんてほとんど裸同然で、「この格好で剣を持って暴れたらココとかアソコとかいろいろ見えちゃうだろ!」と、想わずツッコミを入れたくなるほどのかなりアブナい衣装なのだった。
ここで今回のゲストをお招きしよう。『プライム・ローズ』の連載スタート時に『週刊少年チャンピオン』で手塚番(手塚治虫の担当編集者)をされていた伊藤嘉彦さんである。
伊藤さんは1979年に『チャンピオン』編集部の手塚番(手塚治虫の担当編集者)となり、最初に担当されたのが連載終了後に読み切りシリーズとして不定期掲載されていたころの『ブラック・ジャック』だった(※)。
※このころのお話は、伊藤さんがキャラクターとして登場するマンガ『ブラック・ジャック創作秘話』に詳しく描かれています。
その後伊藤さんは『ドン・ドラキュラ』(1979年)、『七色いんこ』(1981〜82年)と続けて担当し、『プライム・ローズ』(1982〜83年)の途中まで、およそ4年間にわたって手塚番をつとめられた。そして現在は、株式会社幻冬舎コミックスの代表取締役社長をされている。
伊藤さん、さっそくですが『プライム・ローズ』はどんな経緯で生まれた作品だったんですか?
「そうですね、手塚先生はよく新しい連載を起こされるときには、編集者に事前にいくつかの候補を示して、どれがいいか意見を求めると言いますよね。
実際、わたしの場合も『七色いんこ』の連載を始める前には、先生がわたしに3つのアイデアを提示してくださって、どれがいいか意見を求められたんです。そのうちのひとつが『七色いんこ』で、ふたつめは後の『ミッドナイト』(1986〜87年)の原型となった『ドライブラー』というお話でした。あとのひとつは何だったか忘れましたけど、とにかく3つのアイデアをお話しくださったんです。
ところが『プライム・ローズ』のときはそれとはまったく違っていました」
どう違っていたんですか!?
「手塚先生からは事前の相談はありませんで、『伊藤氏、次はこれでやりたいんです』と最初から決め打ちでおっしゃってこられたんですよ」
やっぱりそうでしたか! 手塚先生としては、そうとう自分の中で練った企画だったということですね。だけどここでファンタジーをもってきたのはどういう理由だったんでしょう?
「手塚先生は最初はSFがやりたかったんです。しかし当時、新しく編集長になった阿久津(邦彦)氏はSFには否定的でしてね、SFマンガは売れないからだめだと。それでSF色を薄めて剣と魔法の世界の要素を取り入れた、いわゆる“ヒロイックファンタジー”になったんだと思います。
もっとも当時はヒロイックファンタジーなんていう言葉も一般的じゃなくて、普通の人はほとんど使っていなかったんじゃないでしょうか。
だから手塚先生は、この作品の世界観を“『フリントストーン』みたいな世界”という言い方をされていましたね」
『フリントストーン』というのは、アメリカのハンナ・バーベラ・プロが製作したテレビアニメーションですね。
「そうです。原始時代なのに石でできたテレビや自動車があったりするというおかしな世界のお話ですね。『フリントストーン』はコメディですけれども、手塚先生はああいった時代考証の混乱した不思議な世界をイメージされていたのでしょう」
実際に上がった原稿をみて伊藤さんはどう思われましたか?
「それはもう連載第1回目のトビラ絵を見て、手塚先生、今回はかなり力が入っているな、と感じました。古代遺跡のような建造物をバックに、いかにもヒロインというコスチュームを着た美少女がスックと立っている。ものすごく魅力的な構図ですね。これからどんな物語が始まるんだろうという期待感がこの1枚の絵に込められている感じがして、今でも大好きな絵です」
確かにこのトビラ絵には「これでどうだ!」みたいな手塚先生の“気合い”が感じられますね。それにこのコスチュームの見えそうで見えないアブナイ感じがたまりません(笑)。
「このころは少年雑誌でもかわいい女の子が主人公のマンガがたくさん出て大ヒットしていましたから。手塚先生はそうした当時の人気マンガをそうとう研究されていたはずです」
伊藤さんありがとうございます。伊藤さんにはまた後ほどご登場願いたいと思います。
さて、こうして『プライム・ローズ』の連載は始まった。
この作品のストーリーだけじゃないもうひとつの見所は、前にも書いたようにヒロインのエミヤのセクシーな描写の数々だった。
例えばエミヤがコロニーと呼ばれるグロマン国の犯罪者収容施設への潜入を試みる場面。地面にはいつくばるエミヤの後ろ姿をとらえたカットでは、彼女のTバックのお尻がドーンとアップでとらえられていたり。
それに続く次号では、コロニーに潜入したエミヤが、グロマン国のピラール殿下に見つかってしまい、その場で服を脱げと命じられるなど。
手塚マンガとしては過激なこれらのシーンからは、当時のラブコメやロリコンマンガに対するむき出しの対抗心がヒシヒシと感じられる。
しかしこうして流行に対する対抗心が先走って描かれた手塚作品は、往々にして異端の作品となってしまう。感情が先走り、ストーリーに一貫性がなくなり、主人公の突飛な行動ばかりが目立つようになる。
当然、その時代にはあまり評価されず、手塚自身も気に入らず、なかなか単行本化されなかったりして、半ばお蔵入りとなってしまうのだ。
それで思い出すのが、手塚が1970年に『少年チャンピオン』に発表した『やけっぱちのマリア』である。この作品は少年マンガなのに、そのヒロインはは何とアダルト人形に宿った幽霊の少女というカゲキなものだった。
これは、このころ永井豪の『ハレンチ学園』から始まったハレンチマンガブームがあり、手塚がそれに対抗して描いたのがこの作品だったのだ。
この当時のあの日あの時については、第11回「ハレンチマンガ旋風の中で」に書いているので、ぜひそちらも参照していただきたい。
そして『プライム・ローズ』もまた『やけっぱちのマリア』と同様、キワモノ的作品になろうとしていた。ぼくも連載当時は、エッチシーンはともかくとして(笑)、正直なところ物語にはあまり感情移入ができなかった。
ところが手塚マンガの不思議なところは、時代を経て読み返すと当時は失敗作だと思っていた作品も、まったく新しい輝きを放って見えることだ。
『やけっぱちのマリア』も、手塚自身の思い入れは低かったようだけど、ぼくも含めてファンは多く、何と2012年12月にはNHK-FMラジオでラジオドラマとなって放送されるなど再評価の動きもある。
そして今回ひさびさに『プライム・ローズ』を読み返してみたところ、このストーリーの面白さと奥深さに、ぼくはあらためて衝撃を受けたのだ。
新しい発見もあった。それは手塚がデビュー間もない昭和24年に発表した『奇蹟の森のものがたり』というマンガとの共通項だ。この作品も剣と魔法の世界を舞台として、国同士の争いに巻き込まれたお姫さまの運命を描いたファンタジーだった。そしてそのお姫さまの名前が、ブライア・ローズ姫というのだ。プライム・ローズとは2文字違いの名前である。
果たしてこれは偶然か!? ぼくはそうではないと考える。
というのも、手塚は新たなジャンルの作品に挑戦するとき、自分が過去に描いた旧作のテーマやモチーフを引用することが間々あるからだ。
例えば以前このコラムで紹介した『ジャングル大帝』と、それ以前に描いた『ターザンの秘密基地』との関係などはまさにそうだった(あの日あの時 第15回)。
しかもこの『奇蹟の森のものがたり』でブライア・ローズ姫を演じているのは、同じ昭和24年に発表された手塚の初期SFの代表作である『メトロポリス<大都会>』の主人公ミッチイだったのだ。
ミッチイといえば、手塚の得意とする中性的な美少女・美少年の元祖ともいえるキャラクターである。
そのつもりで今度は『メトロポリス<大都会>』を読み返してみたら、そこには『プライム・ローズ』でエミヤが剣の修行に明けくれた足形の岩山とそっくりな、足形の無人島が出てくるではないか! これも偶然か!?
まあ、ここであんまり強引な私論を展開してもしょうがないので、ここは素材を提供するだけにして、この先は皆さんの解釈におまかせいたしましょう。興味のある方はぜひ読みくらべてみてください。
ここでふたたび伊藤さんにお話をうかがおう。伊藤さん、いまあらためて『プライム・ローズ』の時代を振り返ってみていかがですか?
「そうですね、ファンの方がこうやってこの作品をあらためて評価してくださるのは、もちろんうれしいですが、編集担当としては、当時はやはり辛かった記憶しかないですね。手塚先生が苦しんでいらっしゃるのが分かりましたから。
何しろ新しく出てくる若いマンガ家はみんな自分の描きたいものを描きたいように描いていればいいわけです。そしてその中でヒットしたものが大きなブームを生んでいくんですからね。
ところが手塚先生が後からその世界で勝負をするとしたら、先生はマーケティングをせざるを得ないわけですよ。このマンガの魅力がどこにあるのか、読者は何を求めているのかといったことですね。
わたしはそれで、手塚先生が当時ひとりで悩んでいらっしゃる姿を目撃したことがあります」
いったいどんな姿なんですか?
「手塚プロには出版社から最新の雑誌が毎週送られてきますので、それが仕事場にたくさん置かれていたんです。
ある日、わたしは夜中に、手塚先生がその仕事場にポツンと立って、最新の少年雑誌をむさぼるように読んでいるのを見たんです。それがものすごい真剣な表情で、声もかけられない感じでした。
手塚先生はそうやって若い人の描く最新のマンガを読んでは、自分のマンガとどこが違うのか、自分のマンガは時代遅れになっていないか、そんなことにいつも悩んでおられたんじゃないでしょうか。
わたしなどは、手塚先生は大御所なんだから、若い人の流行なんて気にしないで自分の描きたいものを描けばいいのに、と思ってしまいますが、そうなさらないところが手塚先生なんですね」
んー、常に時代のトップであり続けたいと願っていた天才の孤独を垣間見るようなお話ですね。
「それから話しているうちに、もうひとつ思い出しました。手塚先生が執筆されている途中で、何度かわたしにこんなことを聞いてこられたんです。「ここでエミヤの裸を描いてもいいですか?」とか、「このふたりが顔を見合わせるシーンで、目線の行方を示す点々を描いてもいいですか?」とかですね。
それまでの作品では、そんな細かい点について聞かれることはまずありませんでしたから、そうした点でも『プライム・ローズ』では常に「これでいいのか、外してはいないか」を確かめながら描いておられたということでしょう」
さらに伊藤さんのお話は続きます。
「あの時代、手塚先生にとって厳しかったのは、マンガだけでなく映画も革命の時代だったことです。
当時はジョージ・ルーカスとかスティーブン・スピルバーグが斬新なSF映画をどんどん発表して、ものすごい特撮で迫力ある映像を見せていた時代でした。
そんな中でマンガは相変わらず平面に印刷された白黒の動かない絵ですから。手塚先生の得意とするSFでは、いくらがんばっても大迫力の映画にはとてもかなわないわけです。
だから本来ならば、ファンタジーで勝負をすると決めたら、それから半年とか1年とかじっくり時間をかけて、その世界観などのグランドデザインを綿密に練らなければいけなかったんです。場合によってはSF考証とかメカデザインの専門家も入れてですね。
でも手塚先生にはそんな時間の余裕はありませんでした。思いついたらすぐに執筆に取りかからなければならなかった。今思うと、それが残念でなりませんね」
伊藤さんのおっしゃる通りですね。さらに皮肉なのは、当時のラブコメやロリコンマンガにしてもアメリカのSF映画にしても、それを作った人たちは、その多くが手塚マンガの影響を強く受けた若いクリエイターだったということですね!
「まさにそうなんです。だからこれは逆説的な言い方になりますが、もしもスピルバーグやルーカスが、手塚先生がもっと若かったころに世に出てきていたらどうだっただろうと、時どき考えるんですよ。
手塚治虫がいなければ彼らの作品も生まれなかったわけすから、そんなことはあり得ないんですけどね。
それでもあえて、もしも若いころの手塚先生がルーカスやスピルバーグの作品と出会っていたら、と考えてみるんです。
そうしたら手塚先生は、きっとそれを越えるようなすごいマンガを描いていたに違いないと、わたしは思いますよ」
うーん、それは確かにぼくも想像してみたくなります。伊藤さん、貴重なお話をありがとうございました!!
さて、こうして1980年代に盛り上がったラブコメ&ロリコンマンガブームはその後どうなったのか。実はある事件によって一気に沈静化してしまうことになる。
それは1988年から89年にかけて東京や埼玉で起きた連続幼女誘拐殺人事件だった。
この事件がマンガやアニメに与えた影響ははかりしれないものがあった。というのは、後に逮捕された当時26歳の犯人の男が、いわゆるアニメと特撮のオタクだったからだ。
男が逮捕されたのは89年7月、手塚治虫が亡くなっておよそ半年後のことだ。そのときマスコミが公開した男の部屋の写真に人びとは驚愕した。部屋中がマンガとビデオで埋めつくされていたからだ。
当時から「コレクターとしては普通の部屋」「むしろ系統だって集めていないだけにヌルい」などとも言われていたが、ものを集める習慣のない一般の人にとっては異様なものと映った。
そしてこれによってオタクとロリコンはすべて危険という偏見が広まり、オタク叩きや、ロリコンマンガ、ロリコンアニメに対する有形無形のバッシングが始まったのである。
その後、マンガの性表現は規制(自主規制も含む)を強め、特に未成年に対する性表現は今やほとんどタブーとされている。
しかし、そんな抑制された性表現の中で逆に盛り上がってきたのが今の“萌え”なのだ。
そんな今、当時は失敗作とも言われた『プライム・ローズ』を“萌え”の観点に照らしてみると、そこに描かれた性表現の抑制と解放のバランスが絶妙で実に心地がよいのである。
まだ読んだことのない方、昔読んで詳しい内容は忘れてしまったという方、ぜひ一度、手に取って読んでみてください。あなたもきっとエミヤに“萌え”ちゃいますよ!