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虫ん坊 2011年3月号:手塚マンガあの日あの時 第15回:大阪赤本と秘境探検ブームの時代

虫ん坊 2011年3月号:手塚マンガあの日あの時 第15回:大阪赤本と秘境探検ブームの時代

昭和20年代初め、大阪で“赤本”と呼ばれる玩具本が流行していた。手塚治虫はその赤本の世界で単行本デビューを果たし、そこを舞台として立て続けに作品を発表していく。その内容はSFから西部劇まであらゆるジャンルにおよんでいるが、今回はその中から冒険・探検マンガに焦点を当ててみた。さらにそこへ、昨年末刊行された『創作ノート』の記述を重ね合わせてみると……何とそこから手塚治虫の創作の秘密が浮かび上がってきた! 果たしてそれは──!!!?



◎手塚治虫の冒険・探検世界、その始まりは……

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『新寶島』(昭和22年育英出版刊)。長らくオリジナル通りの状態で読むことができなかった幻の本。しかし2009年、小学館クリエイティブより完全復刻されたので、今は誰でも気軽に読める。※画像はその復刻版

 手塚治虫の単行本デビュー作『新寶島しんたからじま』(構成/酒井七馬さかいしちま)は、昭和22年1月に大阪の育英出版という小さな出版社から刊行された。これは当時、関西圏で多く流通していた“赤本”と呼ばれる単行本の一冊として出たものだ。
 この作品について手塚は「スチブンソンの「宝島」と、「ロビンソン・クルーソー」と、ターザンをごちゃまぜにしたようなアクションもの」(『ぼくはマンガ家』昭和44年毎日新聞社刊)と紹介している。
 この時、こうした冒険ものがテーマとして選ばれた理由は、当時、絵物語や小説の世界で、秘境探検ものが大ブームとなっていたからだと考えられる。
 今回は、そうした戦後の秘境探検ブームの時代に描かれた手塚の赤本マンガをプレイバックしてみよう。
 このころ秘境探検モノがブームとなった理由は様々考えられるが、そのひとつは、人々がその日の暮らしにも困る窮乏きゅうぼう生活の中で、ひととき辛い現実を忘れ、原始世界や異境の楽園に逃げ込みたかったという思いがあったからではないだろうか。


◎ごぼうのように味気ないターザン?

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『新寶島』より、ピート少年をピンチから救出する野生のヒーロー・バロン(ターザン)! ……という勇ましいシーンなのに、これを見ると確かに筋肉が痩せて皮膚がたるんでいるように見える(笑)。『ぼくはマンガ家』によれば、バロンの顔は酒井七馬が手塚の絵の上から紙を貼って描き変えてしまったそうで、そのために、余計ちぐはぐな感じになっている

 そして実際に、食糧事情は終戦から1年半がたってもいまだにかなり悪かったようで、手塚は『新寶島』執筆当時の思い出をこう語っている。
「このターザンには参ってしまった。なにしろ、ぼくは当時ひどく痩せこけていたので、筋肉隆々きんにくりゅうりゅうというイメージが浮かばず、描くターザンはどれもこれも、ごぼう(※「ごぼう」に傍点)のように味気なかった」(前出『ぼくはマンガ家』より)
 そして実は大阪の赤本は、こうしたモノ不足の時代だからこそ誕生したものだったのだ。それはいったいどういうコトなのか!?
 以前から、このコラムを担当する手塚プロの若いプロデューサーIさん(**歳女性・独身)からも「赤本って何なのか、よく知らないんで、どこかで一度詳しく説明してくれませんか」というリクエストをいただいていたので、この機会に、本論に入る前に赤本について紹介しておきますね。「そんなの知ってるよ」っていう方は、ここから小見出し3つくらい飛ばしちゃってください。


◎大阪“赤本”とは何か?

 赤本というのは、一般の書籍流通ルートで売られる本や雑誌と違い、駄菓子や雑貨を扱う問屋から卸されていた玩具本のことだ。だから書店だけでなく駄菓子屋や夜店に並ぶことも多く、そうした場所で少しでも目立つように、表紙に赤色を多用したことから“赤本”と呼ばれるようになったという。
 ではなぜ戦後のこの時期、大阪で赤本が広まったのか? そこには終戦直後という特殊な事情があった。
 昭和20年8月、日本の敗戦で太平洋戦争が終わり、日本にようやく平和が戻ってきた。しかし長かった戦争で日本の生産・流通システムはほとんど壊滅しており、物不足は深刻な状態となっていた。
 そうした中で食料や衣料・燃料などの生活必需品は“統制物資”と呼ばれ、GHQ(連合国軍総司令部)の指導のもとで国が管理をし、一定量しか売らない配給制が敷かれていたのだ。
 そして洋紙もその統制品として指定されていたため、東京の大手出版社は、活動を再開したものの紙がなくて思うように本が出せない状況となっていた。


◎大阪赤本の中心地“松屋町”

 と、そんな状況を逆に商売のチャンスととらえたのが、ナニワの商人たちだった。統制品に指定されていない“仙花紙せんかし”と呼ばれる粗悪なすき返し紙(古紙再生紙)を使って赤本を続々と刊行しだしたのだ。
 赤本は紙の質だけでなく内容も低俗でお粗末なものがほとんどだったが、本に飢えていた人々はこれに飛びつき、その部数を加速度的に増やしていった。
 そんな当時、この赤本発行の中心地となっていたのが、大阪の松屋町(まっちゃまち)にある駄菓子や雑貨の問屋街だった。問屋は最初、出版社が作った赤本をただ卸しているだけだったが、やがてそれがもうかると分かると、我も我もと自分のところで赤本を出し始めた。
 こうしてブームがピークとなった昭和23年ごろには、松屋町には何十軒ものニワカ出版社がひしめいていたという。


虫ん坊 2011年3月号:手塚マンガあの日あの時 第15回:大阪赤本と秘境探検ブームの時代虫ん坊 2011年3月号:手塚マンガあの日あの時 第15回:大阪赤本と秘境探検ブームの時代

『ジャングル魔境』(昭和23年東光堂刊)の表紙(左)と、ハガードの『洞窟の女王』をモデルにしたという森の女神の初登場シーン(画像は2点とも復刻版)。講談社版全集では第138巻『ジャングル魔境』に収録されている


◎手塚の創作意欲が爆発!

 この赤本時代の手塚作品を見渡してみると、早くも様々なジャンルに手を広げていることが分かる。今回のテーマである冒険ものを始めとして、SFやファンタジー、西部劇、時代劇、名作文学の翻案からマンガ入門書まで!
 それまで戦争によって抑えつけられていた「マンガを描きたい!」という手塚の欲求が一気に解放され、しかもその発表の場を得たことで、創作欲が、まさにビッグバンのごとく一気に弾けたという感じだ。
 1作1作手に取って見ると、もうあれも描きたい、これも描きたいという手塚の気持ちが物語の端々からあふれ出てくるような気がするし、実際そうだったに違いない。
 特にSF作品に関しては、物語展開も独創性にあふれ、早くも意欲的な表現手法が随所に試みられていて、手塚がプロとしてデビューするはるか前からSFマインドやセンス、発想といったものを磨いてきていたことが良く分かる。


◎赤本時代のSFものと冒険ものをくらべると……

 ところが、このころのSF作品と、今回のテーマである探検・冒険ものの作品を読みくらべてみると、両者の間の面白い違いが浮かび上がってきた。それは、探検・冒険ものマンガの方が、同時期に発表したSFとくらべて、既成の小説や映画の影響をよりストレートに受けているということだ。
 曖昧あいまいな言い方をしてると分かりにくくなっちゃうからハッキリ言うと、映画や小説から登場人物の設定やストーリーの設定などをちゃっかり拝借はいしゃくしている例が実に多いということなのだ。
 もちろん古今の名作からヒントや刺激を受けて物語を作ることは恥ずべきことではないし、むしろそうした積み重ねの中で物語の歴史はつむがれてきた。そして手塚マンガだってもちろんその流れの中にあるのだ。
 だけどこのころの手塚のSFの独創性とくらべると、冒険・探検マンガではその引用がちょっと“生”っぽいかな〜と言うコトなのだ。


◎映画や小説からの影響

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昭和31年に創元社「世界大ロマン全集」の第5巻として刊行された『洞窟の女王』。昭和23年の玄文社は持っていないので紹介できませんでした

 ここで具体的な作品名を挙げてみると、昭和22年に発表された『キングコング』は、1933年にアメリカで製作された映画『キング・コング』を下敷きにしたものだし、ターザンは前出の『新寶島』のほか、昭和23年の『ターザンの秘密基地』などいくつもの作品に登場している。
 また同じく昭和23年に出版された『ジャングル魔境』には、アフリカの奥地で原住民を従えている白人の女王が出てくるけど、この女王のキャラクターは、冒険小説家H・R・ハガードの代表作『洞窟の女王』(1887年)のアッシャという女王を下敷きにしたことを、手塚自身が講談社版全集のあとがきに書いている。
『有尾人』(昭和24年)は、同題の小栗虫太郎おぐりむしたろうの小説(昭和14年)からかなりのイメージを引用していることがうかがえるし、さらにマンガ評論家の故・米沢嘉博よねざわよしひろ氏は、香山滋かやましげるの小説『オラン・ペンデクの復讐』(昭和21年)の影響を指摘していた。


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『有尾人』(昭和24年不二書房刊)の表紙(左)と、最終ページ(画像は2点とも復刻版)。予告ページに「密林(ジャングル)大帝」の予告が掲載されている。先月の虫さんぽで「『ジャングル大帝』は当初、大阪の単行本用に描かれたが、学童社で見せたところ『漫画少年』での連載が決まった」という話を書いたけど、どうやら不二書房から出す予定だったようだ。講談社版全集では第254巻『有尾人』に収録されている


◎昭和20年代は秘境探検ブームの時代

 ね、SF作品の独創性とくらべるとその違いはかなり大きいでしょ。この違いはどこから来るのか? ぼくはそれは手塚の“新しもの好き”というところに尽きるのではないかと思っている。
 前述したようにこの時代、日本では秘境探検ものの映画や小説、絵物語が大ブームとなっていた。これに手塚がハマらないわけがない。そしてそれに感化された手塚が自身の作品にそのアイデアを次々と反映させていったのだ(というぼくの想像)。
 では実際に当時、どんなものが流行していたかというと、まず映画の世界ではアメリカから『ターザン』映画が続々と輸入され公開されていた。
 アメリカの小説家エドガー・ライス・バローズの創造したターザンはアメリカでは戦前から人気で、すでに何人もの役者によってターザン映画が作られていた。それらは戦前も日本に入って来ていたが、戦争で一時中断していた。それが戦後になって過去の作品から最新作までが一気に押し寄せてきたことでブームとなったのである。
 この『ターザン』ブームは、絵物語の世界では山川惣治やまかわそうじの『少年王者』に大きな影響を与えた。また同様の影響のもとで描かれた横井福次郎よこいふくじろうのマンガ(絵本)『冒険ターザン』からは、手塚も大きな刺激を受けたと述べている。
 また、こうしたブームを受けて海外の秘境冒険小説も続々刊行された。前出したハガードの小説『洞窟の女王』は戦前にも邦訳が出版されていたが、手塚が『ジャングル魔境』を発表した昭和23年にも玄文社という出版社から新訳版が出ていたから、もしかしたら手塚もそれを読んでいたのかも知れない。

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山川惣治の絵物語『少年王者 魔人ウーラ篇』(集英社「おもしろブック」昭和23年2月号掲載)。『少年王者』は、元々は山川が昭和21年ごろ紙芝居として描いたもので、それが雑誌連載され全国的な人気となった。※画像は『別冊太陽 子どもの昭和史 少年マンガの世界I』(1996年平凡社刊)より引用

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横井福次郎の『冒険ターザン』(昭和25年光文社刊)。横井の作品はその代表作『ふしぎな国のプッチャー』を始め、手塚作品に多大な影響を与えている。※画像は『別冊太陽 子どもの昭和史 少年マンガの世界I』(1996年平凡社刊)より引用


◎日本にもコピー商品花盛りの時代が……

 さて、ここで話を終えてしまったら、何だかこの当時の手塚の冒険・探検マンガはすべてパクリだった、みたいな結論になってしまうから、そうではないということをハッキリ述べておこう。
 このころ日本では著作権や創作物のオリジナリティに関する規範きはんがいまだ曖昧な時代だった。近年、中国の遊園地のオブジェが日本のアニメキャラにそっくりだといって問題になったけど、それとまったく同じような状況が当時の日本にもあったのだ。
 またそれはマンガに限らず、家電製品やカメラ、高級ライターなど、あらゆるものにおよんでいた。今でこそ日本製品と言えば高品質と世界から認められているが、昭和30年代まで日本製品と言えば、ほとんどが安物のコピー品を意味していたのだ。

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昭和20年代のものと思われる駄菓子屋売りのターザンメンコ。当然、無版権商品である(笑)。モデルとなったのは、1930〜40年代の代表的なターザン俳優、ジョニー・ワイズミュラーだろうか?

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こちらは昭和30〜40年代の商品だと思うけど、ターザンブランドのエキスパンダー。ターザンブームは昭和30年代に入ってもまだ続いていたから、ぼくも「アーアアー!!」という雄叫びはよくまねをした


◎手塚本人が明かした『ターザンの秘密基地』秘話!

 そして、こうした当時の著作権事情について、手塚治虫が前出の講談社全集版『ジャングル魔境』のあとがきで、注目すべき証言をしている。
 この本には『ターザンの秘密基地』も収録されているが、タイトルは『シャリ河の秘密基地』と改題されている。
 これはもちろん著作権に配慮したものだが、実はこの作品を発表した昭和23年当時から、早くも海外作品の名前を勝手に使用することはまずいという認識が起こりはじめていたというのだ。以下、その部分を引用してみよう。
「ターザンは、ご存じのとおりエドガー=バロウズの原作で、著作権は彼とか映画会社が持っています。無神経にターザンを登場させていた日本の漫画家も、うかつにこの密林の王者の代名詞を使えなくなりました。「ターザンの秘密基地」のネームは、下がきの段階ではたしかにターザンとなっていたのですが丸山東光堂の社長の申しいれで、急遽きゅうきょタアザ(※「タアザ」に傍点ぼうてん)というおかしな名前にかえてしまったのです。
 しかし表紙だけはもう製版もすんでいましたし、タアザ(※「タアザ」に傍点)では売れゆきに支障をきたすということで原題のまま出す、というおかしななりゆきになってしまいました」(講談社版全集第138巻『ジャングル魔境』あとがきより)
 昭和20年代前半の、しかも赤本の世界で、すでにこうした動きがあったというのは注目すべきことだと思う。


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『ターザンの秘密基地』(昭和23年東光堂刊)の表紙(左)と、中ページ(画像は2点とも復刻版)。確かに当時の本では、主人公の呼び名が“タアザ”になっているのが分かるが、講談社版全集では“モンスター”と書き改められている。講談社版全集第138巻『ジャングル魔境』に『シャリ河の秘密基地』と改題して収録されている


虫ん坊 2011年3月号:手塚マンガあの日あの時 第15回:大阪赤本と秘境探検ブームの時代虫ん坊 2011年3月号:手塚マンガあの日あの時 第15回:大阪赤本と秘境探検ブームの時代虫ん坊 2011年3月号:手塚マンガあの日あの時 第15回:大阪赤本と秘境探検ブームの時代

『ターザンの洞窟』(昭和30年中部出版社刊『漫画デパート』に収録されたもの)。手塚が『ジャングル魔境』のあとがきの中で、『冒険ターザン』の影響を受けて描いたと述べているのがこの作品だ。ただしこの『漫画デパート』判は再録で、初掲載は昭和24年に三島書房という大阪の出版社から出た『まんが玉手箱』という単行本に収録されたものだという。※画像は『ヒョウタンツギタイムス No.16』(1982年手塚治虫ファンクラブ京都刊)の復刻版より孫掲載。ちなみに後年、この作品を横山光輝がリメイクしており、そちらは、小学館クリエイティブから2010年に刊行された手塚治虫原作、横山光輝作画作品のアンソロジー『黄金都市』の中に収録されている


◎大発見!『創作ノート』に注目の記述が!!

虫ん坊 2011年3月号:手塚マンガあの日あの時 第15回:大阪赤本と秘境探検ブームの時代

小学館クリエイティブより2010年12月に刊行された『手塚治虫 創作ノートと初期作品集』。9冊の構想ノート、手塚自身が手作りした漫画スタジオの俳優名鑑ノート、アマチュア時代の習作『幽霊男』『勝利の日まで』『恐怖菌』の復刻版、本編には使用されなかった未使用原稿の複製原画、研究者の解説を収録した読本が納められている。何だか今回のコラムは小学館クリエイティブの本ばかり紹介したヨイショ記事みたいになってしまったけど(笑)、どれも手塚ファンには素直にオススメできるものばかりですよ!

 そして手塚は同じあとがきの中でこう続けている。
「それやこれやで、最初ははりきってかいていたぼくのファイトは途中で急に失われてしまい、どうでもいい気持ちになって手をぬいて仕上げてしまいました」
 実際、この物語の後半は、いきなり何の脈絡みゃくらくもなく巨大カブトムシが出てきたかと思うと、宇宙人や宇宙船が登場し、ドタバタのSFになってしまうのだ。
 では手塚が『ターザンの秘密基地』で本来描くはずだった後半はいったいどんなストーリーだったのか。それはもう永遠にやぶの中だと誰もが思っていたことだろう。
 ところが! 先ごろ刊行された『手塚治虫 創作ノートと初期作品集』を見て驚いた。何とそこに収録されている1冊のノートに、そのあらすじがほとんど終わり近くまで記されていたのだ!


◎『ターザンの秘密基地』の本当の結末とは

 それは表紙に『有尾人2』と書かれたA4判のノートだった。このノートの前半は『有尾人』のコマ割りされた下書きが30数ページにわたり描かれている。表紙に2とあるように下書きは途中からで、1は失われてしまったのだろうか。だが完成した作品にはない、ピギイ(下書きノートでは“ピート”)とランプの漂流シーンなどもていねいに描かれていて、見れば見るほど興味深い。
 そして問題の『ターザンの秘密基地』のあらすじは、このノートの最後の方に記されていた。
 それによれば後半、ターザンはローラから文明社会の話を聞いてそれに憧れ、ジャングルの動物たちに教育をほどこし、そこを文明社会のようにしようと試みるはずだらしい。
 と、ここまでお読みになれば、手塚ファンの中にはピンと来られたかたもおられるだろう。そう! この展開は後に『ジャングル大帝』で文明社会からジャングルへ戻ったレオがやったこととほとんど同じなのである!!
 手塚治虫の頭の中では、この2つの作品がひと続きの構想の中で生まれたことを示す、超超超〜貴重な資料と言えるだろう。
 いやー、驚きました。この『創作ノート』は大きな箱入りでけっこうなお値段がしますが、今後もここから多くの研究者によって様々な分析がなされていくのではないでしょうかね。


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構想ノート『有尾人2』の表紙(左)と、そこに収録されている、完成作品には描かれなかったピギイとランプの漂流シーン


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そしてこれが今回のスクープ!! 構想ノート『有尾人2』の中で発見した、『ターザンの秘密基地』の「本当の結末」が書かれたあらすじメモである!! ちょっと読みにくいけど、下のページの最後6行くらいが幻の構想が書かれた部分だ。その手前には、ターザンがローラに、大切にしている頭蓋骨を見せるシーンがあるが、これは恐らくターザンの父親か母親の骨で、ターザンの出自にまつわる謎が秘められているというアイデアだったのだろう。また上のページも同じく『ターザンの秘密基地』のものらしいが、こちらは下ページとのつながりが不明で、ちょっとした思いつきをメモったものだったのかも知れない

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同じく構想ノート『有尾人2』より『ターザンの秘密基地』のキャラクタースケッチ。胸板を強調したマッチョなターザンのスケッチが描かれているが、これはやはり『新寶島』の貧弱なターザンを反省して、ためし描きしてみたものなのだろうか


◎そして手塚の冒険マンガは大きく羽ばたいた!!

 手塚治虫の冒険・探検テーマの作品は、こうした赤本の習作時代を経て、いよいよ『ジャングル大帝』に到達する。
 そして、さらにそれ以後はどうなっていったかというと、SFと探検・冒険ものの作品は融合し、地球の兄弟星への冒険を描いた『ロック冒険記』や、尻尾のはえた少年の話から壮大な異世界冒険ロマンへと発展していく『0マン』など、独創性にあふれた手塚流の秘境ワールドが続々と顔を見せていくことになるのである。
 その話はいずれまた! ぜひまた次回のコラムにもおつきあいください!!




黒沢哲哉
1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。手塚マンガとの出合いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番


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