虫ん坊 2014年12月号 トップ特集1特集2オススメデゴンス!コラム投稿編集後記

虫ん坊 2015年3月号:虫さんぽ 第39回:東京・池袋界隈 手塚先生とマンガ家仲間との交流の足跡をたどる!!

虫ん坊 2015年3月号:虫さんぽ 第39回:東京・池袋界隈 手塚先生とマンガ家仲間との交流の足跡をたどる!!

  手塚治虫先生は昭和29年暮れからおよそ2年半、豊島区雑司が谷のアパート・並木ハウスに仕事場を構えていた。なのでそこから徒歩15分圏内の池袋駅周辺は、まさに手塚先生のホームグラウンドだったのだ。今回はその池袋界隈で手塚先生がマンガ家仲間と集ったお店の跡地や手塚先生の愛した味を訪ねます。それでは、さっそく出発いたしましょう〜〜〜〜〜っ!!



◎戦後の混乱と空前の映画ブームの中で……

虫ん坊 2015年3月号:虫さんぽ 第39回:東京・池袋界隈 手塚先生とマンガ家仲間との交流の足跡をたどる!!

雪は降る、池袋東口にぃ〜、ルララー♪ 前日まで快晴だったのにさんぽ当日【だけ】雪だなんて、哀愁のメロディが流れてきそうだけど、元気出して行くぜ〜〜〜っ!!

東京都豊島区池袋。渋谷、新宿と並ぶ都心の大都会だ。昭和29年10月、手塚先生はこの池袋にほど近い豊島区雑司が谷、鬼子母神堂近くのアパート・並木ハウスに仕事場を構えた。その後、昭和32年4月に渋谷区の初台に転居するまでのおよそ2年6ヵ月間、手塚先生はこの並木ハウスで数々の名作を生み出したのだった。
この並木ハウスは手塚先生が仕事をしていた当時の面影のまま今もその場所に建っており、虫さんぽでは2011年4月、元講談社編集者で手塚番だった丸山昭さんの案内で訪問している。

・虫さんぽ 第15回:東京・豊島区雑司が谷 並木ハウス周辺を歩く

 そして今回は池袋駅周辺を歩きます。そもそも手塚先生が豊島区椎名町(現・南長崎)のトキワ荘から雑司が谷の並木ハウスへ転居したのは、その場所が池袋の映画館街に近く、仕事場を抜け出してすぐ映画を観に行けるからだったとも言われている。その池袋には果たして手塚先生のどんな足跡が残されているのだろうか!?


◎児漫長屋のたまり場とは!?

虫ん坊 2015年3月号:虫さんぽ 第39回:東京・池袋界隈 手塚先生とマンガ家仲間との交流の足跡をたどる!!

東口駅前にそびえ立つディスカウントショップ「ドン・キホーテ」。昭和30年代当時、ここには間口の小さな商店がいくつも並んでおり、児漫長屋のメンバーが集まったという中華料理店「燕華」は、このビルの向かって左端あたりにあったようだ

外は雪。……なんと前日は快晴でさんぽの翌日も快晴。さんぽ当日だけが雪だなんて!! まあそれも冬のさんぽの味わいということで、マフラーに首を埋めてさっそく出発です!!  まずぼくが向かったのは池袋東口の真正面、現在は大型ディスカウントショップ「ドン・キホーテ 池袋東口駅前店」のある場所だ。
 営業していた期間は不明だが、かつてこの場所に「燕華えんか」という中華料理屋があった。このお店は昭和20年代の終わりから30年代にかけて、手塚先生もメンバーとして名を連ねていた「東京児童漫画会」=通称「児漫長屋」の例会によく使われていたという。


◎児童漫画界の熊さん八っつぁん誕生!!

児漫長屋とはどんな集まりだったのか。その始まりは昭和25年ごろにさかのぼる。
当時の漫画界ではいまだ少数派だった児童漫画家の古沢日出夫、馬場のぼる、福井英一らが音頭を取って児童漫画家の親睦と地位向上のためにつくった集まりがその前身だった。
神田で開かれたその第1回目の会合には、まだ関西を拠点にしていた手塚先生も駆けつけ、ゲストには『冒険ダン吉』の漫画家・島田啓三氏が招かれた。手塚先生のエッセイには、その場でのこんなやりとりが記されている。
「『児童漫画家が団結して、いい仕事をとろう!』
『そうだ、東京児童漫画会を結成しよう!』
と、意気軒昂けんこうに拍手しあったとき、
『かたいよ、そんな名前は』と島田啓三氏から声があがり、『長屋がいいよ、和気藹々あいあいとしていて。児童漫画略して、児漫長屋はどうだい』
 島田啓三氏は、生粋の江戸っ子で、落語のファンであった。
『つまりな、みんな熊さん八っつぁんになるんだ。そして、今月の月番と来月の月番を決めて、世話をしてもらおう』
(中略)
 こうして、とんでもない名前のサロンができ上がった」(手塚治虫著『ぼくはマンガ家』(平成12年、角川文庫刊)より


虫ん坊 2015年3月号:虫さんぽ 第39回:東京・池袋界隈 手塚先生とマンガ家仲間との交流の足跡をたどる!!

虫ん坊 2015年3月号:虫さんぽ 第39回:東京・池袋界隈 手塚先生とマンガ家仲間との交流の足跡をたどる!!


角川文庫版『ぼくはマンガ家』(平成12年刊)の表紙(左)と、そこに収録されている児漫長屋結成当時の写真。第1回会合のときのものだろうか。昭和29年に急逝した福井英一氏の姿も見える(後列左端)。手塚先生はいちばん後ろの右上に控えめに立っている


◎台風の目が並木ハウスに接近中!?

 昭和20年後半代からは、児漫長屋の拠点は池袋となった。その大きな理由のひとつが、当時西武線沿線に児童漫画家が数多く住んでいたことだ。ここに当時の児漫長屋の交流の様子がうかがえる記事がある。昭和54年の雑誌『コミックアゲイン』に掲載された元児漫長屋メンバーの座談会だ。
 参加者は漫画家のうしおそうじ、高野よしてる、古沢日出夫の各氏。そして元『漫画王』『冒険王』編集長で座談会当時は秋田書店取締役編集局長だった阿久津信道氏、『コミックアゲイン』編集長・鈴木清澄氏である。
うしお 当時の漫画家の分布は西武線グループと世田谷グループに分かれていた。西武線沿線は島田(啓三)さんが住んでいて、だんだん増えていった。
(中略)
阿久津 西武線グループはね、群をつくって押しかける!
高野 行動派だったんだなあ!?
古沢 台風の目・・・・ってのがあってね。福井英一、高野よしてる、山根一二三。これが襲ってくるんだよ。順々に。(笑)
高野 夜中すぎると飲み屋はなくなるし金もなくなる。とにかくタクシー代出しあって古沢日出夫ン家に行こう。次に入江しげるン家行こう。ずーっと回ってだんだん数が増えてくるんだよ。(笑)
鈴木 何度かそういうことがあったんですか?
古沢 いや、もういつも(笑)
高野 例会の後は必ず襲撃!!」(みのり書房『月刊コミックアゲイン』昭和54年7月号掲載「COMIC AGAIN 座談会 児漫長屋 第1期漫画黄金時代を語る!」より)
 うわ〜〜〜、なんだか毎月ものすごいコトになっていたようだけど、池袋駅から徒歩15分の並木ハウスに住む手塚先生も、当然のごとくこの台風の目の被害には一度ならず遭遇していたようだ。前出のエッセイにはこんな記述がある。
「台風の目が家に襲いかかると、手がつけられない。この台風の音は、
『呑ませろォ』
『飯だあー』
『冷蔵庫どこだあ』
『いっしょに来いー』
 と聞こえる。そして、たちまちぼくは台風に巻きこまれて、支離滅裂のまま外へ吹き出される」(前出『ぼくはマンガ家』より)


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みのり書房から刊行されていたマンガ雑誌『月刊コミックアゲイン』昭和54年7月号の表紙(左)とそこに掲載された児漫長屋関係者の座談会記事。参加した漫画家と編集者全員が故人となってしまた現在では、非常に貴重な証言と言えるだろう



◎昭和20〜30年代の池袋が知りた〜い!!

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豊島区立郷土資料館はこの勤労福祉会館7階にある。開館時間9:00-16:30、入館料:無料、休館日:月曜日、第3日曜日、国民の祝日、年末年始(12月28日〜1月4日)、そのほか展示替え等による臨時休館あり、問い合せ:03-3980-2351。ちなみに同館は来年2016年1月から1年以上の大規模改修工事に入るため、2015年12月1日ごろから休館する予定だそうです。詳しい日程などは下記公式ホームページでアナウンスされるそうなのでお出かけ前にはぜひチェックしてください 豊島区立郷土資料館 公式ホームページ

 当然ながら、現在の池袋駅周辺にはその当時の面影はほとんどない。手塚先生や児漫長屋の仲間たちが夜ごと繰り出して熱い漫画談義を交わしていたころの池袋はどんな街だったのだろうか。それを探るべくぼくが次に向かったのは、豊島区立郷土資料館だ。
 池袋駅東口から明治通りを南下して、左手にジュンク堂書店池袋本店が見えてきたら、その目の前の南池袋一丁目交差点を右折。びっくりガードをくぐって西池袋方面へと向かおう。消防署のある交差点を左折してすぐ左側にある豊島区立勤労福祉会館の7階が目指す郷土資料館だ。
 ちなみに、いま前を通ったジュンク堂書店池袋本店も手塚スポットで、後ほどおじゃまさせていただく予定なんでお忘れなく!!


◎終戦直後の池袋駅周辺は広大な自由市場だった!?

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星野朗氏が昭和22年に調査した資料を元に作成された池袋駅周辺の連鎖商店街(ヤミ市)分布図。これを見ると池袋駅の東口側ではヤミ市が南北に広がっており、北口側では立教大学の先の方まで道路に沿って西に長く延びていたことがわかる。図版提供/豊島区立郷土資料館

 豊島区立郷土資料館で応対してくださったのは、2009年のトキワ荘さんぽの際にも取材にご協力いただいた豊島区文化商工部文化デザイン課の横山恵美さんだ。

・虫さんぽ 第4回:豊島区南長崎 元トキワ荘周辺・その1
・虫さんぽ 第4回:豊島区南長崎 元トキワ荘周辺・その2

 横山さん、今回もお世話になります! 手塚先生たち児漫長屋のメンバーが月に一度の例会で羽目を外していた時代、つまり昭和20年代後半から30年代にかけての池袋は、いったいどんな雰囲気だったんですか?
「池袋駅周辺には、昭和20年の終戦直後から、いくつもの戦災復興マーケット、いわゆる『ヤミ市』ができていました。
 ヤミ市については、どこも資料が少ないのですが、池袋のヤミ市については、昭和22年6月に、当時、東京高等師範学校(今の筑波大学の前身)の学生だった星野朗さんという方の行った詳細な調査資料が残されていまして、その後の立教大学の研究などもあり、当時の様子がかなり詳しくつかめているんです」


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1962(昭和37)年10月に撮影された池袋東口の風景。先のヤミ市の分布図でいうと「森田組東口マーケット」のあったあたりが更地になっていて建築資材が積み上げられている。今まさに再開発されようとしている様子がよく分かりますね。中華料理「燕華」があったのは写真左上のアーケードが見える商店街のあたりである。写真提供/高木進一氏

 この地図が当時のヤミ市の分布図ですね!
「はい。星野さんの調査によると昭和21年から22年までの間に池袋駅周辺には東口に5箇所、西口に9箇所のヤミ市が点在していたようですね。
 しかし東口では昭和26〜27年ごろから駅前の再開発が始まりまして、ヤミ市は区画整理で次つぎと撤去されていきました」
 ちょうど手塚先生が雑司が谷の並木ハウスへ引っ越してきたころですね。
「そうですね。昭和30年には西武百貨店本館と新館の接続工事が竣工していますし、昭和31年には池袋ステーションビルの工事が始まっています。なので昼間は工事の音がかなりうるさい時代だったと思いますよ(笑)。ただし西口はそれより10年ほど遅れて再開発が始まりましたので、昭和36〜37年ごろまでヤミ市が残っていたようです」
 うしおそうじ氏の著書『手塚治虫とボク』(2007年、草思社刊)によると、児漫長屋の左党、つまりお酒好きがよく通った「肉豆腐が自慢の平田屋」というお店が西口にあったらしくて、今回このお店も探したんですけど残念ながら見つけられなかったんです。
「そのお店も、もしかしたらヤミ市の名残りのお店だったのかも知れませんね」


◎昭和30年ごろには映画館の数が最高に増えた!!

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1962(昭和37)年3月に撮影された池袋西口マーケット入口付近の写真。表通りに面して「トリスバー」「おでん」などの看板が見えるが、「美人街」と書かれた路地の奥にはいったいどんなお店が建ち並んでいたんだろうか。夜に迷いこんだら無事では出てこられなそうな気がしますが、案外そうでもなかったんでしょうか。写真提供/高木進一氏

 引き続き横山さんにお話をうかがいます。手塚先生は映画館が近いから雑司が谷に引っ越したとも言われているんですが、池袋が映画の街になったのはいつごろからなんですか?
「資料によりますと、池袋周辺で映画館の数が一気に増えたのは昭和25年からですね。昭和25年には分かっているだけで11館もの常設館が開館しています。その2年前の昭和23年に作家の三角寛みすみひろしが池袋東口に人世坐を開館して、それから昭和30年までに主要な映画館のほとんどがオープンしているようです」
 池袋という街がまさに急速に拓けていった時代だったんですね。
 手塚先生はエッセイなどにも映画館名はあまり書かれていないんですが、藤子不二雄A先生の書かれた『トキワ荘青春日記』(昭和56年、光文社刊)には池袋のエトワール劇場や人世坐の名前が出てきます。A先生は昭和31年2月20日には人世坐で『エデンの東』を観たそうで「人世坐、満員なり。通路で座り見」と書かれています。
「当時は娯楽が少なかったので映画館はいつも満員だったようですね」
 ぼくが前に調べたところでは、日本で映画の入場者数が史上最高を記録したのは昭和33年(11億2,750万人!)で、映画館数がピークとなったのが昭和35年(7,457館)だそうですから、昭和30年ごろは、いくら映画館が出来ても人が入りきれない状態だったんでしょうね。
 ぼくも昭和30年代に地元の映画館で東映の長編漫画映画や東宝の怪獣映画を観た記憶がありますが、あのころの映画館はいつも満員だった印象で、今の映画館とはまるで違う観客同士の一体感がありました。あの熱気の中でもう一度映画を観てみたいですね。
 横山さん、本日はどうもありがとうございました!!


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豊島区立郷土資料館に昭和59年6月の開館当初から展示されているヤミ市のジオラマ。星野氏のヤミ市分布図にある「森田組東口マーケット」の一部をリアルに再現している。目線を人形の高さに合わせて顔を近づけてみると、まるでその時代にタイムスリップしたかのようだ


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ジオラマで再現された「森田組東口マーケット」のあった一角には、現在、ヤマダ電機と三菱東京UFJ銀行が建っている

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1962(昭和37)年8月の夕刻に撮影された映画館「人世坐」前の通り。人世坐は池袋東口のサンシャイン通りに入る五叉路の先、現在の東京信用金庫本店の場所にあった。看板には夏らしく「スリラー映画祭」の文字が見える。間もなく次のプログラムが始まる時間なのか、看板に見入っている人たちの姿が何人か見える。隣のお店には「氷」ののれんがかかっているから甘味屋さんだろうか。無秩序に林立する立て看板も懐かしい。写真提供/高木進一氏


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『トキワ荘青春日記』(昭和56年、光文社刊)。藤子不二雄A氏がトキワ荘時代につけていた日記をベースに、トキワ荘関係者の座談会やインタビューで構成された本。トキワ荘出身マンガ家たちの当時の生活ぶりが良くわかる一冊だ

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豊島区立郷土資料館では2009年に同館で開催された「トキワ荘のヒーローたち展」の記念グッズが購入できる。写真上から絵はがき(1枚100円)、クリアファイル(1枚300円)、そして左下がトキワ荘関連の貴重な写真や資料がたっぷり収録された図録(1,500円、トキワ荘二階見取図付き)だ。右の2つは無料パンフレット。虫さんぽの際にぜひこれもゲットしよう!!



◎ジュンク堂書店コミック売り場に手塚先生の直筆サインを発見!!

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ジュンク堂書店池袋本店。営業時間:月〜土 10:00-23:00、日・祝 10:00-22:00、定休日:年内無休、問い合せ:03-5956-6111

 豊島区立郷土資料館を後にして、今来た道を戻って向かったのは先ほど前を通ったジュンク堂書店池袋本店だ。正面玄関を入り、まっすぐ向かったのは地下1階のコミック売り場である。
 応対してくださったのはジュンク堂書店池袋本店 コミック担当の平田亜弓さんである。ぼくは声を潜めて平田さんに聞いた。
 平田さん、こんにちは。さっそくですが“例のブツ”はどこにあるんですか?
「ああ、“あれ”ですね。こちらです」
 そう言ってにっこり微笑んだ平田さんが案内してくれたのは売り場の一角。白い柱の壁に大きな額が飾られていた。店内の照明が反射して若干見にくいが、近づいてみるとそれはホワイトのペンで描かれたアトムとレオのイラストである。
 そう。すでに知ってる手塚ファンは知ってるし知らない手塚ファンは全然知らないと思うけど、じつはこれは手塚先生の直筆イラストとサインの入った大きなガラス板なのだ。
 なぜガラス板? そしてなぜここに飾られている!? それについては去年6月の「虫ん坊」の過去記事をお読みいただきたい。

・虫ん坊 特集 手塚治虫書店仕掛人 岡充孝さんインタビュー!

 読むのが面倒な方にあらましをざっくり言うと、このサインは1984年に神戸のジュンク堂書店三宮店を手塚先生が電撃訪問した際にお店のガラス扉にサインしたものだった。しかし三宮店は1995年1月の阪神大震災で被災、そのガラス扉も割れてしまった。
 だけど手塚先生のサイン部分だけは奇跡的に無事だったので、1997年、ジュンク堂池袋本店がオープンした際、手塚先生のサイン部分のみをカットしてここに展示したのである。


◎店内は撮影禁止。サインは脳裏に焼き付けよう!!

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今回、案内をしてくださったジュンク堂書店池袋本店コミック担当の平田亜弓さん。好きなマンガは、よしながふみ先生の『フラワー・オブ・ライフ』。手塚マンガでは『ブラック・ジャック』と『ブッダ』、そして『MW』がお好きなんだとか。またそれを同僚に話したら薦めてくれたのが『ばるぼら』でこれにもハマったそうである。なかなか渋いチョイスです

 平田さん、このサインについて、お客様からいわれを尋ねられたりしたことはありますか?
「そうですね、いわれを聞かれたことはあまりないんですが、お客様同士が『サインがあるよ』と言ってこの額を見ながらお話されていることは時々あります。あとたまに写真を撮ろうとされるお客様がいらっしゃるのですが、店内は撮影禁止なので大変申し訳ないですが、そういう場合はお断りさせていただいています」
 さんぽで来られた方は写真ではなくぜひ目に焼き付けて帰っていただきたいですね!
 それと平田さん、こちらのコミックコーナーは手塚先生のマンガが非常に充実してますね。大型の復刻本から新書や文庫まで、主要な手塚作品はほとんど置いてあるんじゃないでしょうか。
「ジュンク堂書店は新刊やベストセラーだけでなく良い本は積極的に売っていこうというのがモットーですので、手塚先生のマンガもこうして数多く取り扱っています」
 前に虫さんぽで、ジュンク堂と同じ系列店の丸善 丸の内本店の「手塚治虫書店」にもおじゃまさせていただきましたけれど、あちらのお店の品揃えに劣らないラインナップですね。

・虫さんぽ 第34回:東京・銀座から丸の内へ 手塚先生のおもてなしメニューを堪能する!!


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ジュンク堂書店池袋本店地下1階のコミック売り場に飾られている手塚先生の直筆サインイラスト。白い壁にジャストマッチでコミックコーナーを盛り上げていますね!!

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レジ前の棚一面を占領した手塚治虫コーナー。有名作品はいろんなバージョンの本が揃っているから、TPOに合わせてチョイスするのもいいですね。例えばこれから飛行機や新幹線に乗って旅に出るなんてときには文庫本。家でじっくり読みたいときには豪華本という感じ。え、すでに全部持ってるって? そんなマニアな人はもう1冊ずつ買っちゃいなさい!!



◎外国人の方にお薦めの手塚本は……?

 丸善 丸の内本店では手塚マンガを買っていかれるお客様は意外にも女性の方が多くて『リボンの騎士』などがよく売れているとうかがったんですが、こちらはどうですか?
「うちは手塚マンガを買っていかれるのは男性のお客様が多いですね。作品では『ブッダ』や『ブラック・ジャック』など、やはり定番作品が人気です。あとうちは外国のお客様も多くいらっしゃるので、手塚マンガを買っていかれる外国の方もけっこういますよ。
 これはお客様から教えていただいたのですが、秋田書店の新書版コミックスなどは、全部の漢字にルビがふってあるから日本語が苦手な人でも読みやすいというんです。なので外国のお客様にどの手塚マンガを買ったらいいか尋ねられたときには新書版のコミックスをお薦めしています」
 それはいいことを聞きました。こんどからミーも外人のフレンズにアスクされたときには新書版のカァミックスをレコメンドしようと思いマース。
 平田さん、本日は貴重なお話センキューでしたーっ!!



◎昭和の歴史を秘めた超高層ビルへ!!

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雪景色の中で上層階が霞んで見えるサンシャイン60。地上239.7メートルは竣工当時アジアで最も高いビルでした。出来たばかりのころはかなり遠方からでも見えたんだけど、最近は周りに高いビルが増えてしまって、なかなか全景を撮影するポイントがありませんでした

 ここからは雪の中を少し歩いてサンシャイン60へと向かう。現在サンシャイン60が建っている場所は昭和史的にはさまざまな曰くのある場所で、戦前から戦中にかけては未決囚を収容する「東京拘置所」があった。
 手塚先生の『アドルフに告ぐ』に、この東京拘置所が出てくる。昭和16年10月24日、スパイ容疑で逮捕され、東京拘置所に収監されていたリヒャルト・ゾルゲが取り調べを受ける場面である。
 この日、罪を認めたゾルゲは、マンガには描かれていないが太平洋戦争末期の昭和19年11月7日、ここ東京拘置所で死刑が執行された。


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『アドルフに告ぐ』より、東京拘置所でゾルゲが取り調べを受ける場面。その後、ゾルゲはここから一度も出ることなく拘置所内で処刑された。講談社版手塚治虫漫画全集『アドルフに告ぐ』第4巻より



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巣鴨の東京拘置所は終戦直後の昭和45年11月、GHQ(連合国軍総司令部)に接収され「巣鴨プリズン」と名付けられて戦争犯罪人(戦犯)を収容するための施設として使用された。巣鴨プリズンに勾留され、その後、東京裁判で死刑判決が出た東条英機ら7名を含む60名の死刑が巣鴨プリズン内で執行された。その死刑台があったとされるあたりは、現在サンシャイン60に隣接する東池袋中央公園となっていて、その一角に、慰霊のための「平和祈念碑」がひっそりと建っている

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東池袋中央公園のすぐ横には乙女ロードと呼ばれる女性アニメファンたちの聖地がある。1945年と2015年。70年の時をへだてた歴史が交錯する不思議な空間だ



◎サンシャイン60建設当時に思いを馳せながら読む手塚マンガ

 それからサンシャイン60についてはもうひとつ! じつは手塚マンガにサンシャイン60そっくりなビルが出てくる作品があるのをご存知だろうか。『週刊少年チャンピオン』1977年2月28日号に掲載された『ブラック・ジャック』第161話「上と下」がそれだ。
 この物語の主人公は高層ビルにオフィスを構える大企業の社長だ。そしてその社長の会社が入居している超高層ビルのデザインがサンシャイン60とうり二つなのである。



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『ブラック・ジャック』「上と下」より。高層ビルに居を構えて順風満帆だったワンマン社長がある日、急病に倒れる。しかも社長の血液型はRH−型という珍しい血液型だった



 サンシャイン60の建設工事が始まったのが1973年、開業が1978年4月だから、手塚先生が「上と下」を発表した1977年初めごろは、サンシャイン60がもうかなり上層階まで出来上がっていたと思われる。手塚先生はそんな建設中のサンシャイン60を見上げながら、この物語の構想を練ったに違いありません。
 なのでサンシャイン60をイメージしながらこの作品を読むと、マンガが発表された当時の東京の空気感なんかも伝わってくるのではないでしょうか!



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幸い、近くの工事現場で働く作業員にRH−型の男がいて血液の提供を申し出たため、ブラック・ジャックの緊急手術により、社長は一命を取り留めた。社長は作業員に感謝し、超高層ビルのレストランで食事をごちそうするのだが……。画像は4点とも講談社版手塚治虫漫画全集『ブラック・ジャック』第4巻より



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マンガに近いアングルでサンシャイン60の写真が撮れないかと、建物の周りをウロウロしてみたが無理だった。そこで案内係のお姉さんに聞いてみたらサンシャインビルの4階に模型があるという。さっそくそこへ行って撮ったのがこの写真。どうです、『ブラック・ジャック』に出てくるビルとそっくりでしょ?


◎デパ地下のお総菜屋さんが手塚スポット!?

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西武百貨店池袋本店にダッシュで戻り(寒いから)、エスカレーターでデパ地下へ向かう。本日ラストの目的地はお総菜屋さんなのです?

 さて、真冬の雪中さんぽも最後の目的地となりました。サンシャイン60から再び池袋駅東口へと戻り、向かったのは西武百貨店池袋本店地下のお総菜コーナーです。
 その一角に「ホワイトベアー」という、ハンバーグやグラタンなど洋食系の料理が並んでいるお総菜屋さんがある。ここが手塚スポットなのである。
 ということで、このお店の前である方と待ち合わせをしているんだけど……と、ぼくがあたりを見回していると、にこやかな笑顔の女性が歩み寄ってきた。
「こんにちは。ホワイトベアーの古屋です」
 この方が本日のラストとなる手塚スポットの案内人・株式会社ホワイトベアー 専務の古屋聖子さんだった。古屋さん、どうぞよろしくお願いいたします!!



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洋食系の美味しそうなお総菜が並ぶ「ホワイトベアー 西武池袋店」。営業時間:月-土曜 10:00-21:00、日曜・祝日 10:00-20:00。問い合せ:03-3981-0111



◎手塚先生が通った洋食屋さんとは

虫ん坊 2015年3月号:虫さんぽ 第39回:東京・池袋界隈 手塚先生とマンガ家仲間との交流の足跡をたどる!!

レストラン時代から使っている白クマのマーク。のちほどこのイラストの入ったレストラン当時のメニューも紹介します!

 それにしてもデパ地下のお総菜屋さんがどうして手塚スポットなのか?
 じつは「ホワイトベアー」はかつて池袋の東口駅前でレストランを経営していた。そして並木ハウス時代の手塚先生もしばしばそこを利用していたのだ。
 場所を西武百貨店内の喫茶店に移して、古屋さんにさっそく当時のことをうかがった。
 古屋さん、まずはホワイトベアーの沿革をお教えいただけますか?
「当時の記録がほとんど残っておりませんのでざっくりしたお答えしかできませんが、私の祖父が池袋駅の東口前にお店を開いたのは昭和27年ごろのことだそうです。
 祖父は最初は文具店を経営していたそうですが、昭和30年ごろに改装して食事も出す喫茶店を始めたということです。グリルといいますか、いわゆる洋食屋さんですね」



◎バナナカレーライスは実在したのか!?

 まさにそのころのことだと思いますが、手塚先生がエッセイにお店のことを書かれていますので紹介しますね。
「池袋東口にホワイトベアーというこぢんまりしたキッチンがあって、そこでぼくは来月号の執筆順を編集者といっしょに決めながらめしを食べた。その店の名物はバナナ入りカレーライスという珍品だった。ふつうのカレーを甘くしてスライスしたバナナを混ぜてあるという代物で、まともなカレーを食べ慣れている人間ならみんな敬遠する。
『まんが道』の本に、藤子氏をこのホワイトベアーにぼくが招待したことが描かれてあるが、そのとき藤子氏にバナナカレーライスを食べさせたかどうかは残念ながら記憶にない」(講談社版手塚治虫漫画全集『手塚治虫エッセイ集6』「トキワ荘前史」より。※初出は1987年、蝸牛社刊『トキワ荘青春物語』)



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 古屋さん、このバナナ入りカレーというのは本当にあったんですか?
「分からないです(笑)。祖父ももういないですし、母にも聴いてみたのですが記憶にないそうです。ただ、これははっきりしたことではありませんが、うちのお店の2〜3軒先に喫茶店(このお店も今はもうありません)がありまして、もしかしたらそこで出していたかも知れないということです」
 なるほど、その可能性はありますね! 手塚先生は驚異的に記憶力が良かったですが、エッセイなどでもたまにボタンをかけ違って記憶されていることがありますので! ちなみに「ホワイトベアー」で手塚先生にごちそうしてもらったという藤子不二雄A先生は『まんが道』の中ではステーキを食べている様子を描いておられます。
「はい。ステーキならメニューにあったと思います(笑)」



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藤子不二雄A先生の半自伝的名作マンガ『まんが道』より。手塚先生が満賀道雄と才野茂のふたりに「ホワイトベアー」でごちそうをするシーン。ふたりは手塚先生と共にゲーリー・クーパー主演の映画『ヴェラクルス』を観て、それからこの店へやってきた。だけど満賀道雄はじつは肉や魚が一切食べられない。それでもせっかく手塚先生がごちそうしてくれるのだからと無理して目を白黒させながら食べるシーンが展開する。『ヴェラクルス』の日本初公開は昭和30年5月なので、これはその年の出来事だったのだろうか。画像は2013年刊行の小学館クリエイティブ版『まんが道』第6巻より。(c)藤子スタジオ



◎洋食屋さんからンレストランに改装

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昭和53年の業界新聞に「ホワイトベアー」が紹介されたときの記事より。今は会社にも残っていないというレストラン当時の店頭の貴重な写真が掲載されている

 それで古屋さん、洋食屋さんはいつごろまで営業されていたんですか?
「昭和48年ごろまでです。その数年前から私の父がお店を手伝っていたのですが、父はもともと六本木のイタリアンレストランでチーフとして働いていましたので、父がお店を継ぐことになったときに、洋食屋から本格的なレストランに改装したんです」
 六本木のイタリアンレストランって、もしかして“C”ですか? だったら手塚先生も行っていたとエッセイに書かれていたお店です! もしかしたら古屋さんのお父様は、手塚先生が行かれていた際にも、お料理を作っておられたかも知れませんね!
「そうかも知れません」


◎ホワイトベアーに幻のメニュー復活を提案!?

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「ホワイトベアー」が西武百貨店の中でお総菜屋さんを始めたのはどういう経緯だったんでしょうか。
「昭和48年前後のことですが、うちのお店にお客さんとしていらしていただいていた方の中に池袋西武本店の方がいて、その方からお誘いをいただいたんです」
 今のお総菜屋さんで売っておられる商品の中で、手塚先生が通っていたころのお店の味に近いものはありますでしょうか?
「えーと、そうですねえ……、グラタンはもしかしたら当時の味に近いかも知れません。今もうちの厨房で作っていますから」
 おお、グラタンですか! さっそく買って帰ります! そうだ古屋さん。今のホワイトベアーのメニューにバナナカレーを復活させるというのはどうでしょうか? うん、これは名案だ。ぜひやりましょう!!
「えーと、そうですね……考えておきましょう……」
 どうも失礼しましたー。古屋さん、本日は貴重なお話ありがとうございました!!



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こちらは昭和50〜60年ごろの「ホワイトベアー」店内の様子。残念ながら改装後の写真なので、手塚先生が通っていた時代とはまったく雰囲気が変わっているそうだ。テーブルスペースはシックで高級感のある落ちついた雰囲気。1階にはテイクアウトコーナーもあった。写真提供/ホワイトベアー


◎グラタンの味に昭和30年代の手塚先生を回顧する!!

  ということでぼくが「ホワイトベアー」で帰りに買ったのは「オムライスグラタン」520円と「デミグラスハンバーグ」650円の2つ(各税別)。帰宅後、電子レンジで温めてフタを取ると、ふわっと立ちのぼった湯気からは、ぼくが子供のころに味わった懐かしい洋食屋さんの香りがした。
  グラタンをスプーンですくって口に含むと、味は今風に洗練されてはいるものの、その奥には確かに昭和20年代から続く洋食屋さんの素朴な味わいがあった。しかもそれは手塚先生も味わった「ホワイトベアー」の味なんだと思うと、ぼくにはこのグラタンが特別な料理に思えてくるのだった。皆さんも虫さんぽの帰りには、ぜひ「ホワイトベアー」のグラタンを買ってみてください!
  それでは皆さん、今回も真冬の虫さんぽにお付き合いくださいましてありがとうございます。春はもうすぐそこまで来ています。次回はもっと暖かいさんぽでご一緒いたしましょう!! は、は、はっくしょん!!

(今回の虫さんぽ、3時間17分、3225歩)


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古屋さんにレストラン時代の貴重なメニューをお持ちいただいた。現在のお総菜屋さんにも掲げられている白クマのマークが入っている。このマークは喫茶店からレストランに改装したころから使われているものだというが、誰が描いたものなのかははっきりしないそうです



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100円ショップとロッテリアの間の白いパネルで囲われた空き地がレストラン「ホワイトベアー」のあった場所だ。中華料理店「燕華」のあった場所から南へ数10メートルのところである

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ぼくが購入した「ホワイトベアー」の「オムライスグラタン」(左)と「デミグラスハンバーグ」。購入時には店員さんが温め方についてもていねいに説明してくれた。その説明通りに温めたらバッチリ美味しくいただけました



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取材協力/豊島区豊島区立郷土資料館ジュンク堂書店池袋本店、ホワイトベアー、西武百貨店池袋本店(敬称略)


黒沢哲哉
 1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番


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