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虫ん坊 2011年5月号:手塚マンガあの日あの時 第16回:文明礼賛と自然回帰のはざま

虫ん坊 2011年5月号:手塚マンガあの日あの時 第16回:文明礼賛と自然回帰のはざま

敗戦直後の大阪で、手塚治虫は医大生として、またマンガ家として二足のわらじをはいて歩み始めた。いまだ生々しい戦争の記憶、廃墟となった街。それらは若き日の手塚に生涯変わらない戦争批判の気持ちを植え付けた。でも一方で手塚は、平和と復興に向けて力強く歩み始めた人びとに大きな期待も寄せている。この時期に描かれた手塚作品には、そんな時代の気分が素直に描かれている。今回はこの当時の代表作『ジャングル大帝』を中心に、手塚治虫の文明観を読み解いてみよう。



◎大震災に寄せて、前書きのようなもの

 今回のテーマは昭和20年代の手塚治虫の文明観についてです。これは前回のコラム『大阪赤本と秘境探検ブームの時代』から続くお話として当初から予定していたものでした。
 けれども、その執筆の準備をしている中で東日本大震災が起こりました。被災された方々はいまだ苦しい状況の中で日々を送られていることと思います。この場を借りて心よりお見舞い申し上げます。また原発事故問題もいまだ解決の目処が立たず、放射能汚染という二次被害が広がり続けており、世界中が不安に陥っているさ中でもあります。
 そうした状況の中で文明観について語ることが果たして適切なのかどうか悩みました。

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昭和52年に刊行が始まった講談社版手塚治虫漫画全集の記念すべき第1回配本は、この『ジャングル大帝』から始まった(以後、第3回配本までに全3巻が完結)。この講談社全集版『ジャングル大帝』の元版となったのは、昭和41年に小学館から刊行された低学年向けのムック版で、『漫画少年』に連載された最初の『ジャングル大帝』からは、かなりの描き変えがなされている

 しかし、そんな迷いの中であらためて『ジャングル大帝』を読み返してみると、不思議と元気が湧いてきました。震災でしぼんでいた気持ちや将来への不安がフッと軽くなった気がしたのです。
 それはなぜなんだろう。この作品には近ごろのテレビのような「がんばれ、がんばれ」と連呼する励ましの言葉は一切出てきません。そこに描かれているのはアフリカの密林に住む白いライオン一族の3代に渡る生き様の物語です。森の平和を脅かす人間たちとの壮絶な戦い。まだ見ぬ故郷を目指す幼いレオの命がけの旅。肉食獣と草食獣との間で模索される共存への道──。そうした様々な出来事の中で、生き物たちがそれぞれ必死に生きている姿が描かれているのです。
 そうした中で、彼らが常に正しい選択をするとは限りません。主人公のレオでさえ誤った判断をし、それが取り返しのつかない結果をもたらしてしまうこともあるのです。このマンガは彼らの生き方を通して、人間が生きることの厳しさをありのままに描いているのです。
 でもそんな厳しい世界にあってなお、生きて前へ向かって歩こうとする姿が、今のぼくの落ち込んだ気持ちに活力を与えてくれるのです。
 このマンガが発表された当時も日本は大変な状況にありました。そしてそんな中で読者はレオたちから大きな勇気をもらったにちがいありません。そうしたことから、今回のテーマはやっぱりコレでいこうと決めました。
 このコラムを読んで興味を持たれた方は、ぜひ『ジャングル大帝』を読んでみてください。すでに読んだことのある方も読み返してみてください。今の萎れた気持ちがほんの少し軽くなるかもしれませんよ!


◎街の灯を見て平和を実感した!

 ではいよいよ本題です。皆さんは“灯火管制とうかかんせい”という言葉をご存知だろうか。太平洋戦争中、夜間の空襲で目標にされることを防ぐために街灯を消したり、家の灯りが外へ漏れ出さないよう電灯の笠を黒い布で覆ったりしたことを言う。したがって戦時中の都会の夜はまるで停電しているかのように真っ暗だった。
 昭和20年8月15日、長かった戦争がようやく終わり、灯火管制の必要がなくなった夜空に煌々と明りが灯った。
 戦後生まれのぼくはもちろん当時を知るわけではないが、その日を経験した多くの人が、光り輝く夜景を見て初めて「ああ、本当に戦争は終わったんだ」と実感したと語っている。
 手塚治虫も、この8月15日に大阪の夜景を見たときの思い出をこう記している。
「H百貨店のシャンデリアが、はげ落ちた壁の間で、目も眩むばかりに輝いている。何年振りだろう、灯火管制がとかれたのは? その灯を見ていたら、はじめて平和になったのだという気分がこみ上げてきて、満足この上なく、踊り狂わんばかりに陽気になった。
 ──ヒャア、おれは生き残ったんだ。幸福だ──」(講談社版全集第383巻『手塚治虫エッセイ集1』より)
 このときの電気の光は、科学文明を知る現代人にとって、まさしく平和の象徴だったわけである。

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手塚治虫本人が主人公を演じている半自伝的マンガ『紙の砦』(昭和50年『週刊少年キング』掲載)。無意味な軍事教練を強制され、空襲におびえる中でもひたすらマンガ家になる夢を捨てなかった手塚青年の青春物語だ。そのラスト近くのシーンで、手塚が大阪の街に明りが灯ったことを喜ぶ場面がある。講談社版全集では第274巻『紙の砦』に収録


◎発達しすぎた科学が人類を滅ぼす!?

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手塚治虫の赤本時代の代表作。左から『ロスト・ワールド』前後編、『メトロポリス』、『来るべき世界』前後編。後に初期SF3部作と呼ばれるようになった。講談社版全集ではそれぞれ第130巻、第44巻、第45〜46巻に収録(画像はすべて復刻版)

 けれどもその一方で、つい昨日までは、その科学文明によってもたらされた大量殺戮兵器たいりょうさくりつへいきが街を破壊しつくし、人びとは死の恐怖におびえる日々を送っていた。
 そのため手塚が戦前から戦時中にかけて構想したという初期SF3部作『ロスト・ワールド』(昭和23年)、『メトロポリス』(昭和24年)、『来るべき世界』(昭和26年)には、科学文明を過信し、それにおごり、悪用しようとする人間たちのおろかさがみにくく描かれている。
 特に、人間の身勝手によって生み出された人造人間が、人間社会を大混乱に陥れるという物語『メトロポリス』では、ヨークシャー・ベル博士が冒頭とラストシーンで語るこの言葉が、読むものの胸にストレートに突き刺さる。
「いつかは人間も 発達しすぎた科学のために かえって自分を滅ぼしてしまうのではないだろうか?」
 こうした手塚の、科学文明を悪用することに対する批判の姿勢は終生変わらず、多くの作品でそれを読み取ることができる。

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『メトロポリス』のオープニングシーン。ヨークシャー・ベル博士(花丸博士)が、サーチライトが光る大都会の夜景をバックに読者に問いかけるカットは実に印象的だ

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『来るべき世界』のクライマックスシーン。地球最期の時が迫り、群衆がパニックに陥ってロケットを奪い合うという場面。終末感に満ちた悲劇的な盛り上がりは、空襲の記憶も生々しい当時の読者にとってはかなり衝撃的なものだったに違いない


◎『ジャングル大帝』は自然回帰がテーマなのか?

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『漫画少年』昭和26年正月号に掲載された『ジャングル大帝』連載第4回の扉。この『漫画少年』版『ジャングル大帝』は、現在は小学館クリエイティブから刊行されている復刻版で読むことができる。画像は『ヒョウタンツギタイムズNo.28』(1990年手塚治虫ファンクラブ京都刊)の復刻版より孫転載したもの

 ただしここで読み誤らないように注意したいのは、手塚マンガは決して科学文明そのものを批判しているわけではないということだ。
 1980年代ごろだったか、科学文明に対する一種の反対運動のようなものが少しだけ流行した時期がある。人間が人間らしく生きるためには文明を捨てて自然に帰るべきだという運動だ。そしてそのころ、『ジャングル大帝』などの手塚マンガがその先駆として注目されたのだ。
 だけど、その運動家たちもそれを紹介したメディアもその内容を完全に読み誤っていたのは、手塚マンガは今も言ったように文明そのものを批判したことは一度もないということだ。
『ジャングル大帝』は、確かにジャングルに暮らす動物たちと人間との対立を描いており、その限りにおいては、人間の文明社会を鋭く風刺したものになっている。


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『漫画少年』版『ジャングル大帝』連載第4回より、アフリカへ戻ったレオが、未開のジャングルを見て驚く場面

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光文社版『ジャングル大帝』第1巻より、レオの帰郷シーン。この単行本は基本的には『漫画少年』版を元版としているが、ここでも単行本化に際してかなりの描き変えがなされている。この場面では、ショックを受けたレオの心情を細かくカット割りすることでより繊細に表現している。

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講談社版全集『ジャングル大帝』第1巻より、こちらも同じレオの帰郷シーン。『漫画少年』版や光文社版とくらべるとコマ割りはシンプル。このバージョンは低学年児童向けに描き改めたものであるため、レオがデッキに突っ伏して泣くという直接的表現にして、より分かりやすくしたものと思われる


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昭和33年に光文社から刊行された『ジャングル大帝』第1巻の表紙。この光文社版手塚治虫漫画全集の『ジャングル大帝』は、残念ながら第4巻まで刊行されたところで未完となった

 人間社会で成長したレオが、初めて見た故郷のジャングルが想像とまるで違う未開の地だったことに絶望するシーンなどは、まさしくその象徴と言えるだろう。
 例えばここでレオが気を取り直し、人間社会で学んだ文明を捨てて野性に帰り、大自然の中で生きることを選択したのなら、自然回帰派しぜんかいきはの運動家たちにとっては実に都合がいい話になっただろう。
 けれどもレオのした選択はそれとはまるで逆だった。
 レオは動物たちに人間の言葉を教え、密林を開墾かいこんして農業を始める。また動物たちがそれぞれ食べ物を持ち寄ってそれを分け合うことで、肉食獣と草食獣が共存できる環境を作り上げようとするのである。
 当時、『ジャングル大帝』を盛んに持ち上げていた自然回帰派の人たちは、このエピソードをいったいどう読んでいたのだろう。あるいは実際はろくに読んでいなかったのかも知れませんね(笑)。


◎動物たちが作り上げた密林の宮殿

 ともかく、レオはこうして人間社会の文明をジャングルに次々と持ち込み大改革を行っていく。そしてついには動物たちがレオに内緒で自主的に、ジャングルの中に古代神殿のような巨大な宮殿まで作り上げてしまうのだ。
 動物たちが自分の持てる能力を最大限に発揮しながら地盤を固め、石を運び、木材を切り出し、次第に宮殿の姿が見えてくる。
 このあたりのまるで予想のつかない展開は、まさに手塚マンガの真骨頂しんこっちょうと言えるだろう。その光景はまるで往年のスペクタクル映画を見ているような胸躍るものがある。

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光文社版『ジャングル大帝』第2巻より、レオがジャングルの動物たちを鼓舞して文明社会を築こうと宣言する場面。どことなく鉄腕アトムを思わせる

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レオのアイデアでジャングルに開かれたレストラン。各自が自分のエサにはならない食べ物を持ち寄ってお互いにシェアをするというアイデアだ。変な食べ物を持ってくる動物がいたりしてコミカルな展開が楽しい場面だが、果たしてこれで本当に肉食獣と草食獣が平和共存できたのだろうか(光文社版第2巻より)


 連載当時は、日本各地で戦災からの復興の槌音つちおとが響き、空襲で壊れたビルは修復され、焼け跡には新しい建物が次々と建てられているころだった。
 読者は恐らく、そんな明るい未来への希望と重ね合わせながら、レオのジャングル文明化計画を胸躍らせて見守っていたに違いない。

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動物たちが協力し合って、レオとライヤのためにジャングルの奥地に作り上げた巨大な宮殿(光文社版第3巻より)

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レオの息子ルネは人間社会に憧れて家出をする。この場面はルネが勝手に妄想した楽しげな人間社会のイメージ。生まれた時からレオに人間のような教育をほどこされて育ったルネにとって人間社会は憧れの世界だったのだ。だがその後ルネは実際に人間社会へ行き、そこが決して幸福な夢の世界ではなかったことを知ることになる(光文社版第3巻より)


◎文明社会の行方

 今回の震災報道の中で、被災地に電気が回復し、ようやく家の電灯が付いたとき、その場にいた全員が「わあっ!」と喜びの声を上げたのがものすごく印象的だった。
 それはきっと手塚が終戦の日に大阪の夜景を見て感じた幸福感にも等しいものだったに違いない。やはり電灯の光は、単なる明るさを提供するだけのものではなく、文明社会そのものの象徴なのだ。
 今後、原発事故が安定化へ向かったとき、ぼくらは、あらためて電気エネルギーをどのように生み出し、それをどのように使っていくのか、決断を迫られるときがくる。
 今回の事故を反省材料として原発をより安全なものとして対策を施し、再び運用させるのか。あるいは生活を変えて減った分のエネルギーを節約することで対応するのか。
 願わくばそのときに、レオのような決断力と行動力を持った人が出てきてぼくらをより良い方向へ導いてくださいますように。……って、お前は他力本願かよ!>黒沢




黒沢哲哉
1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番


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