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東京の中心地・中央区銀座。ここではイベントや試写会が毎日のように行なわれ、手塚治虫先生も足しげく訪れていた街だ。今回は、春のうららかな日差しの中、手塚先生の銀座での公私にわたる足跡をたどります。奥様とのロマンチックなエピソードも公開!! ◎コラムニストデビューした長男に手塚先生は……
今回の虫さんぽは、都営地下鉄線・東銀座駅からスタートする。
駅から地上へ出ると、すぐ目の前に建っているのが、この5月に建て替えのために閉館になった歌舞伎座だ。 と、階段を登る途中からなぜかものすごい人、人、人! いったい何だ!? と思ったら、この散歩当日は、歌舞伎座で ちなみにこの歌舞伎座の裏手には、雑誌『Hanako』や『クロワッサン』を出しているマガジンハウス本社がある。30年前の1980年秋、ぼくはここで出していた『ポパイ』という雑誌に記事を書いていた。それで、当時自主映画仲間で、まだ19歳の大学生だった 眞くんは、高校生のころから絵も文章も得意だったけど、商業誌に記事をかくのはこれが初めてだった。 そのため後日、なんと手塚先生自身が『ポパイ』編集部へ突然やってきて「息子をよろしくお願いします」と編集長に挨拶したのだとか。何とも親バ……いや、ゲフンゲフン、ほほえましいエピソードではありますね(笑)。 ◎手塚先生と奥様の銀ブラデート さて、晴海通りを銀座方向へ歩いていくと、最初に交わる大きな交差点が、銀座4丁目交差点だ。銀座といえば、テレビでも映画でもまずここを映し出す。つまりは銀座の“ヘソ”のような場所である。 円柱形のデザインが目をひく現在の三愛ドリームセンターは1963年に完成した。晴海通りを挟んで建つ服部時計店とともに、銀座のランドマークになっている。設計したのは、後に新宿NSビルなども手がける
そして実はここも、手塚先生ゆかりのスポットなのである。いったいどういうコトなのか〜〜っ!? と、テレビだったらここでCMに入るとこだけど、Webなのでこのまま続きます。
話は1958年(昭和33年)ごろにさかのぼる。この前年の4月、手塚先生は2年半住んだ豊島区のアパート・並木ハウスから、渋谷区の初台にあるマネージャー宅の二階へ引っ越していた。 またそのころ手塚先生は、親戚の紹介でお見合いをし、後に奥様になられる ただし交際中とはいっても超多忙な手塚先生だから、結婚前のデートはわずか2回だけだったという。 そしてそのうちの1回が、悦子さんが宝塚からはるばる8時間かけて初めて上京し、一緒に歩いた銀座デートだったのだ。 そのときのことを電話で悦子夫人にお聞きした。悦子夫人は「もうずいぶん昔のことで、あまりはっきり覚えてないんですけどねぇ……」と照れながらも、懐かしそうに語ってくださった。 「手塚はいつも仕事に追われていましたから、私が東京へ行った日も、仕事のカンヅメ明けだったんです。ですからデートといっても午後から街をぶらぶら歩いて、その後、映画を見たか、お食事をしたか、それくらいなんですよ」 (写真提供/株式会社三愛)
◎思い出の香水《黒水仙》そんな短時間のデートの中で、悦子夫人が今でもはっきり覚えていることがあるという。それは、この銀座4丁目交差点の現・「この角に化粧品屋さんがありましてね、ショーケースの中に《 イギリス映画『黒水仙(原題:Black Narcissus)』は1946年に製作され、日本では1951年に公開された。一方、香水の《黒水仙(Narcisse Noire)》は、フランスの香水メーカー・キャロンが1911年に発売した高級香水で、戦前から日本にも輸入されて上流階級の人々に愛用されていた。そして戦後、映画『黒水仙』のヒットによって、一躍人気の香水になったのだった。
(左)映画『黒水仙』公開時のパンフレット。監督は『赤い靴』(1948年)のマイケル・パウエルとエメリック・プレスバーガーのコンビ。美術監督のアルフレッド・ユンゲは、ヒマラヤの断崖とそこに建つ古城をまるまるセットで再現し、アカデミー美術賞を受賞した
(右)同パンフレットより、黒水仙の解説文
映画は現在DVDで発売されている。ぼくもさっそくネットでポチって購入してみた。
お話はデボラ・カー演じる修道女が、ヒマラヤの山奥の任地で、世俗を捨てた聖職者としての生き方と、過去の恋愛の思い出のはざまで葛藤するというもの。映画の題名の『黒水仙』とはまさにこの香水《黒水仙》のことで、劇中、若いインドの将軍がこの香りをしみこませたハンカチを愛用している。そしてこの香水の香りが、デボラが悩む俗世の象徴として描かれているのだった。 それにしても、映画が共通の趣味だった手塚先生と奥様らしい、何とも心温まるお話でした。奥様ありがとうございました! ◎フランス料理まぼろしの名店続いてぼくは並木通りを左折し、銀座6丁目方面へと歩く。 手塚プロ松谷社長の情報によると、かつてここに手塚先生がよく通われた「レンガ屋」というフランス料理店があったという。 そこで調べたところ、当時レンガ屋で総料理長をつとめていたジョエル・ブリュアン氏が、現在、赤坂の東京ミッドタウンで「キュイジーヌ フランセーズ ジェイジェイ」というお店を開いていることが分かった。 ◎ソニービルに集う漫画集団とは!? 次に向かったのは銀座ソニービルだ。ここの1階の喫茶店で、ある方と待ち合わせているんだけど……と、店内を見回すと、ひと足先に来ていたその方は、初対面ながらすぐに分かった! ソニービル。ここの交差点に面した三角形の狭い空間は、様々なオブジェや広告が展示される企画スペースになっている。岩本先生が漫画集団のチャリティショーを仕切っていたころ、ここに赤塚不二夫先生をクレーンで吊るして漫画を描いてもらおうとしたのだが、危険だといって却下されてしまったそうである(笑) さて、なぜ岩本先生にここまで来ていただいたかというと、ここソニービルでは、かつて毎年“漫画集団”主催のチャリティショーが開かれていて、それに手塚先生も参加されていたからなのだ。 「そもそもこのチャリティショーの始まりは、『アッちゃん』を描いた漫画家の ◎『ワンサくん』のサインをもらった! このソニービルのチャリティショーには、ぼくも高校時代、1973年から3回ほど通った。初めて手塚先生の姿を生で見たのもこのときだ。もちろんサイン会にも並んだ。今から思うと夢のようなことだけど、当時はまだのんびりした時代だったから、ひとりひとり、先生に何を描いて欲しいかをリクエストして、先生がその場で絵とサインを描いてくれたのだ。 ところで岩本先生には、手塚先生にまつわるスポットを他にもお聞きしたので、また機会をあらためて歩いてみたいと思います。 ◎由季江さんのドイツ料理店はどこにある!? と、今回の散歩は、当初はこれで終わりのはずだった。ところが下取材の最中に新たな情報がもたらされた。
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