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虫ん坊 2014年4月号:虫さんぽ 第33回:東京豊島区 トキワ荘通りを鈴木伸一先生と再訪する!!

虫ん坊 2014年4月号:虫さんぽ 第33回:東京豊島区 トキワ荘通りを鈴木伸一先生と再訪する!!

 今回の虫さんぽは、かつてマンガ荘と呼ばれた伝説のアパート「トキワ荘」界隈を、スペシャルゲスト・鈴木伸一先生と歩くっ!! このあたりは2009年の虫さんぽですでに紹介済みだけど、あれから5年、お休み処(案内所)の新設や新たな写真の発掘など、NEWな話題がいくつも増えているらしい。ならば行かなくちゃ! 昭和20年代の終わりから30年代にかけて、手塚治虫先生を慕う若きマンガ家たちが暮らしたトキワ荘。その伝説を、生き証人である鈴木先生の案内で歩く! こんなぜいたくな散歩はめったにありませんぞ〜〜〜〜〜っ!!



◎この街はいつか来た街

虫ん坊 2014年4月号:虫さんぽ 第33回:東京豊島区 トキワ荘通りを鈴木伸一先生と再訪する!!

西武池袋線の椎名町駅で下車したら、トキワ荘通りへ向かうには南口へ出る。ここからトキワ荘通りまでは歩いて5〜6分だ

 東京の巨大ターミナル駅・池袋から西武池袋線の普通電車に乗って1駅。電車は椎名町駅に到着した。前回のトキワ荘さんぽと同じく、今回もここを散歩のスタート地点としよう。
 冒頭にも書いたように、ここトキワ荘界隈は2009年春の虫さんぽですでに散歩済みの場所である。


◎トキワ荘のあった街は今どうなっている!?

虫ん坊 2014年4月号:虫さんぽ 第33回:東京豊島区 トキワ荘通りを鈴木伸一先生と再訪する!!

山手通りと目白通りが交わる南長崎一丁目交差点。写真の正面に見える灰色のビルのあたりに、後で本文でも紹介する、トキワ荘のマンガ家ゆかりの喫茶店「エデン」があった

 この当時はちょうどトキワ荘跡地近くの公園に「トキワ荘のヒーローたち」という記念碑が完成したばかりのころで、地元は大いに沸いていた。
 だけどマンガを愛してやまない地元の皆さんの夢はそこで終わってはいなかった! その後も地道な努力を続け、新資料の発掘やモニュメントの新設、イベント開催、お休み処(案内所)の開設など、トキワ荘の話題で今でも大いに盛り上がっているのだという。
 そこで今回は、5年ぶりにここトキワ荘界隈を再訪することにした!


◎案内人はこの人しかいない!!

虫ん坊 2014年4月号:虫さんぽ 第33回:東京豊島区 トキワ荘通りを鈴木伸一先生と再訪する!!

目白通りとトキワ荘へ向かう商店街の通りが二又に分かれる三叉路。この三叉路に建つ南長崎交番は、地元では通称・二又交番と呼ばれて親しまれている。かつて鈴木伸一先生がトキワ荘に住んでいたころ、早朝にこの交番の前を通ったところ、不審人物と見られて職務質問を受けたことがあったという

 といっても、ただ再訪するだけじゃ読者に対してサービスが足りない。もっとなにかプラスアルファの要素が欲しい! たとえば、当時トキワ荘で実際に生活をされていた鈴木伸一先生に案内をお願いできないだろうか!?
 私・黒沢のそんな提案に、手塚プロのI藤プロデューサーは当初、難色を示した。
 現在、杉並アニメーションミュージアムの館長を務めておられる鈴木先生はかなりご多忙のはずである。また締め切りから逆算すると散歩はまだ寒い3月上旬までに行わなければならない。鈴木先生に風邪を引かせてしまうわけには絶対にいかない!


◎鈴木先生が案内人を快諾してくれた!!

虫ん坊 2014年4月号:虫さんぽ 第33回:東京豊島区 トキワ荘通りを鈴木伸一先生と再訪する!!

トキワ荘通りの街灯に掲げられている「トキワ荘のヒーローたち記念碑完成4周年」の記念旗。2009年にここを歩いたときには別の旗が掲げられていた。ぜひ見くらべてみてください。ちなみにここの商店街は、正式には目白通り二又商店会と南長崎ニコニコ商店街というふたつの商店街で構成されているのだが、豊島区では現在、トキワ荘のヒーローたち記念碑のある南長崎花咲公園の先の丁字路から、目白通りと山手通りが交差する南長崎一丁目交差点までを、通称して「トキワ荘通り」と呼んでいる

 だけどぼくはどーーしてもあきらめられず、I藤プロデューサーを説得し、渾身の企画書を書いて鈴木先生の元へお送りした。
 すると後日、直接電話口にお出になられた鈴木先生から「いいですよ」という快諾のお言葉が!!
 こうして今回のビッグゲストの出演が決定したのでありました!! ありがとうございます鈴木先生、うおおお〜〜〜っ!!


◎山手通りから、いよいよトキワ荘通りへ!

 やや興奮気味のまま、椎名町駅を降りたぼくは足どりも軽く、スキップをしながらトキワ荘通り方面へと向かった。
 しかしスキップをし続けるには距離がありすぎたので途中で徒歩に変えた。ぜぇぜぇハァハァ……。
 椎名町駅南口を出て山手通りを南下、5〜6分ほど歩くと目白通りとの交差点に差しかかる。この目白通りを右折して200メートルほど西へ向かうと道が二又に分かれている。そこを右へ。商店が建ち並ぶこの道をひとつ曲がった脇道の奥に、かつてトキワ荘が建っていた。


◎当時新築のアパートにひとりのマンガ家がやってきた!

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『いんなあとりっぷ』1975年12月号に掲載された手塚先生のイラスト。手塚先生のトキワ荘時代の仕事風景が、若干自虐的な味を加えながらリアルに描かれている。『ヒョウタンツギタイムス』No.4(1977年、手塚治虫ファンクラブ京都刊)の再録より

 ここでトキワ荘について、あらためてざっとおさらいしておこう。  昭和28年、東京の出版社での仕事が増えてきた手塚治虫先生は、編集者の紹介で、ここ豊島区椎名町(現・南長崎)に建ったばかりの新築のアパートを訪れた。アパートの名前はトキワ荘。
 木造二階建てでトイレ・炊事場は共同、部屋は四畳半の質素なアパートだけど、東京の人口が急増していた当時は、これでもかなりモダンな建物だった。
 手塚先生が借りたのは二階の14号室。階段を上がって2階の手前左側。アパートを正面から見ると、玄関の右上の部屋である。間もなくその向かいの部屋にマンガ家の寺田ヒロオが入居してきた。


虫ん坊 2014年4月号:虫さんぽ 第33回:東京豊島区 トキワ荘通りを鈴木伸一先生と再訪する!!

虫ん坊 2014年4月号:虫さんぽ 第33回:東京豊島区 トキワ荘通りを鈴木伸一先生と再訪する!!


昭和30年代のトキワ荘前のスナップ写真。キャッチボールをしているのは親子だろうか。そういえば道ばたでキャッチボールをする姿というのも最近はまったく見かけなくなりましたね。※写真は山内ジョージ氏蔵(2点とも)


◎ただのアパートがマンガ荘になった!

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2013年12月14日に開催された「トキワ荘通りお休み処オープニングセレモニー」でのひとコマ。写真中央左が鈴木先生で、右隣はよこたとくお先生。鈴木先生はオープンカーでのパレードがあることは当日まで聞かされておらず、どんな顔をしていいか分からず恥ずかしかったと語っていた

 手塚先生は、わずか1年足らずで同じ豊島区内の雑司が谷にある並木ハウスへと引っ越してしまったが、その後に14号室へ引っ越して来たのが藤子不二雄のおふたり、つまり後の藤子不二雄A先生と藤子・F・不二雄先生だった。
 寺田先生と藤子両先生の3人は、地方在住の優秀な才能を持ったマンガ家の卵たちを次つぎとトキワ荘へ呼び集め、彼らはお互い切磋琢磨しながら、マンガの黄金時代を築き上げていったのである。やがてここは、誰が呼んだか“マンガ荘”と言われるようになった。


◎そうそうたる入居マンガ家たち!

 入居時期は異なるけど、ここに暮らしたマンガ家には前出の3人のほかに次のような人びとがいた(敬称略)。森安なおや、石森章太郎(石ノ森章太郎)、赤塚不二夫、よこたとくお、水野英子、山内ジョージ。そして今回の虫さんぽ案内人を務めていただいた鈴木伸一先生もその中のひとりだったのである。
 そのトキワ荘は1982年11月、老朽化のために解体されてしまったが、マンガを愛する地元の人たちの情熱によって、モニュメントや案内板が設置されるなど、「トキワ荘のあった街」は今も大切に語りつがれている。


◎地元悲願のお休み処が完成!

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お休み処前の除幕式後の写真。中央の黒いコートが鈴木先生。そこから右へ水野英子先生、よこたとくお先生、丸山昭さん。このとき、お休み処の看板に全員で寄せ書きがされ、その看板は、現在お休み処の1階に飾られている

 そんなトキワ荘通りの最新の話題が「豊島区トキワ荘通りお休み処」と名付けられた無料休憩・案内所の開設だ。
 2013年12月に行われたこのお休み処のオープニングセレモニーには、鈴木伸一先生のほか、よこたとくお先生、水野英子先生、元『少女クラブ』編集長で、虫さんぽにも何度かご登場いただいている丸山昭さんもゲストに招かれ、大々的な式典が開催された。
 今回の鈴木先生との待ち合わせもこのお休み処なので、まずはここへ直行しよう。


◎古い商家の建物は丈夫で長持ち!

 山手通りから目白通りへ折れて西へ。交番のある三叉路を右へ向かい、そこから30mほど歩いた右側にお休み処がある。
 2009年の虫さんぽで訪れたとき、ここには老舗のお米屋さんがあった。現在のお休み処は、そのお米屋さんだった当時の建物を改装したもので、ぶっとい梁(はり)と重厚な瓦屋根に古い商家の面影があって、じつに味わい深い建物である。


◎おなじみの地元案内人登場っっ!!

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トキワ荘通りお休み処の1階フロア。奥の受付に立っておられるのがスタッフの首藤哲伺さんで、右に座っているのがマンガ家の福田健太朗さんだ トキワ荘通りお休み処 開館時間10:00〜18:00(最終入館17:30)、休館日:毎週月曜日(月曜が祝日の場合は翌日火曜日休館)、年末年始、問い合せ:03-6674-2518

「おじゃましま〜す」
 木製の引き戸を開けてお休み処の中へ入る。
「黒沢さん、お待ちしてました!」
 出迎えてくださったのは、前回の虫さんぽで案内人を務めてくださった小出幹雄さんである。小出さんは地元で時計店を経営するかたわら、トキワ荘に関する資料の収集や「トキワ荘のあった街」の宣伝広報活動に、ものすごい情熱を傾けおられる方だ。
 私・黒沢も、小出さんとは前回の虫さんぽ以来、同好の士としてすっかり意気投合し、ときどき情報交換をさせていただいていた。


虫ん坊 2014年4月号:虫さんぽ 第33回:東京豊島区 トキワ荘通りを鈴木伸一先生と再訪する!!

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お休み処や近隣の商店などで無料配布されている「トキワ荘ゆかりの地散策マップ」(左2点)とカラー絵はがき。この絵はがきの原画を描かれたのは鈴木伸一先生だ(絵はがきは1月で配布終了)


◎トキワ荘通りの情報なら何でも揃う!

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本棚にはトキワ荘関連の資料本がぎっしり並んでいる。手塚先生と藤子・F・不二雄先生の伝記まんがが仲良く並んでますね。おやっ、この『小学館版 学習まんが人物館 藤子・F・不二雄』の脚本を書いているのは、なんと黒沢哲哉じゃないかーっ!(宣伝)

 鈴木先生がお見えになるまでには、まだ少し時間があるので、まずは小出さんにお休み処の中をざっと紹介していただいた。
 小出さん、よろしくお願いします!
「はい。ここお休み処は2階建てで、1階は休憩・物販・イベントスペースになっています」
 おおっ、棚にはトキワ荘関連の資料本や、トキワ荘出身マンガ家のマンガ本がいっぱい並んでいますね!
「はい。椅子もありますので、この街を訪れたマンガファンの皆さんが情報収集をしたり休憩できるスペースになっているんです」
 ちなみにぼくの著書も置いてくださってありがとうございます。何ならサインしていきましょうか? あ、展示物に書き込みは禁止ですか。そうですか。


◎お休み処には、本物のマンガ家さんがいることもある!

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福田さんがスケッチブックに即興で絵を描いてくださった。ご自身の描かれているマンガのキャラクターだそうである。この街からぜひビッグなマンガ家になって巣立ってくださいね〜〜〜〜っ!!

 ところで小出さん、さっきからカウンターの横の机で絵を描いている男性はもしかしてマンガ家さんですか?
「はい。ここトキワ荘通りでは若いマンガ家さんを応援する企画もいろいろと行っていまして、そこで学んだ若いマンガ家さんが、こうしてお休み処にいることもたまにあるんです。そうした日にお越しいただいたお客様は、目の前でマンガを描くところを見学したり、お子様と一緒にマンガの塗り絵をして遊んだりできるんです」
 それは楽しいですね!
「それから、まだ数は少ないですが、ここでしか買えないオリジナルグッズも販売しておりますので、散歩のおみやげにぜひお買い求めください」


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お休み処1階に置かれている寄せ書きノート。その1ページには、先日、イベントでここを訪れたという鈴木先生の書き込みも!


◎このスリッパ……ただのスリッパじゃないぞ!!

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「トキワ荘」という金文字の入ったスリッパ。これもお休み処1階で販売されている。1足1,000円

 続いて靴を脱いで2階へ上がる。
「スリッパをどうぞ」と差し出されたスリッパを見て驚いた。なんと「トキワ荘」という金文字が入っているではないか! 小出さん、このスリッパはいったい……!?
「じつはこれもお休み処の開設にあわせて製作したものなんです。1階でおみやげとしても販売しておりますので、よろしければお買い求めください」
 むむむ、トキワ荘通りお休み処、予想はしていたが、こいつはそーとー本気である……!!


◎トキワ荘の部屋を忠実に再現!

虫ん坊 2014年4月号:虫さんぽ 第33回:東京豊島区 トキワ荘通りを鈴木伸一先生と再訪する!!

お休み処には、トキワ荘通りオリジナル商品も売られている。チューダーあめは1袋100円。チューダーというのはトキワ荘時代に寺田ヒロオ先生が考案したというオリジナルカクテルで、焼酎とサイダーを混ぜた甘い飲み物だった。チューダーあめにはもちろんアルコールは入っていないが、その味をうまく再現していると好評だ

 2階は展示スペースになっていて、まず目を引くのは、当時の写真を元にほぼ忠実に再現されたという、トキワ荘の寺田ヒロオ先生の部屋だ。
 また、それ以外にも、トキワ荘にマンガ家たちが集っていた時代の懐かしい物々がズラリと並び、おぼろげながら当時のこの街の空気を感じることができる空間となっていた。


◎鈴木先生は、ひとりアニメの道を選んだ!

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鈴木伸一先生が到着! さっそくお休み処2階の展示スペースへと向かう。2階は土足禁止なので靴は靴箱へ入れよう。この靴箱はトキワ荘の玄関にあった靴箱をイメージしているそうで、鈴木先生もフタを開けて興味深そうにご覧になっていた

 と、そうこうしているうちに、鈴木伸一先生がお休み処に到着した。
「どうも、遅くなりました」
 おひとりでやって来られた鈴木先生は、足どりも軽く、いつもまったくお歳を感じさせない若々しさに驚かされる。
「鈴木先生、本日はよろしくお願いします!」
 ここで鈴木先生のプロフィールを簡単に紹介しよう。
 鈴木伸一先生は昭和8年、長崎県の出身で昭和30年に上京、間もなく雑誌『漫画少年』の投稿仲間だった寺田ヒロオ先生の誘いでトキワ荘に入居した。
 だがその後、鈴木先生はほかのマンガ家仲間とは別の道を歩むことになる。昭和31年5月、アニメーション制作の夢を抱いた鈴木先生はトキワ荘を出て「フクちゃん」のマンガで有名な横山隆一先生のおとぎプロに入社。昭和38年には、トキワ荘の仲間たちと一緒にアニメ制作会社「スタジオゼロ」を立ち上げ、『おそ松くん』『パーマン』『怪物くん』などのテレビアニメ制作を手がけた。
 そのスタジオゼロは1971年に解散したが、鈴木先生はその後もCMアニメや番組のオープニングタイトルなどを多数制作。現在は杉並アニメーションミュージアムで館長を務めながらアニメ文化の普及に尽力している。また著名なアニメ作家たち10人と「G9+1」というアニメ創作グループを作り、今でも制作発表を続けている。


◎テラさんの部屋に鈴木先生も感激!

 鈴木先生は、つい先日もイベントのゲストに招かれてここトキワ荘通りを訪れたということだったが、あらためてお休み処の展示を見ていただいた。
「この前はあわただしくてゆっくり見ていられなかったので、今日はゆっくり見たいと思ってね」
 そうおっしゃられた鈴木先生は、2階に上がり、寺田先生の部屋を見渡して懐かしそうに目を細めた。
「テラさん(黒沢注:トキワ荘仲間は、寺田先生のことを親しみを込めてみなこう呼んでいた)の部屋はね、まさにこんな感じでしたよ。もうホントにこのままだったんです。いやあ、よく再現してあるなあ」
 ぼくなんかは、こうして見ると物がとても少ないように感じるんですが。
「当時はこれが普通だったんです。ぼくなんかも上京するのに小さなカバンひとつしか持って来てなかったですから。布団と小さな机がひとつあればそれで充分だったんですよ」


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当時の写真を元に忠実に再現されたトキワ荘の寺田ヒロオ先生の部屋。タンスなどは運良く写真にそっくりのものが見つかったが、柱に吊された状差しだけは、どうしても同じものが手に入らなかったため、スタッフが手作りで複製したんだとか。鈴木先生も「懐かしいですね」と感心しきりだった


◎交差点の角(カド)にあった喫茶店の「鹿の角(ツノ)」!?

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喫茶店「エデン」関連の展示コーナー。ここに置かれた椅子とテーブルも、当時、エデンで使われていた実際のものだそうである

 続いて鈴木先生が目を止めたのは喫茶店「エデン」関連の展示品だ。
「エデン」というのは、先ほど歩いてきた山手通りと目白通りの交差点にあった喫茶店だ。昼は純喫茶として営業し、夜はお酒も提供するお店になった。当時、石森章太郎(石ノ森章太郎)先生がこのお店の常連で、そのエッセイにもたびたび名前が出てきている。鈴木先生にお聞きしてみた。
 鈴木先生は当時、「エデン」に行かれたことはあったんですか?
「何度かありますよ。石森氏に誘われたりね、編集者との打ち合わせに使ったこともあったかな。ところでここに置いてある鹿の角は何ですか?」


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前回の虫さんぽでの訪問以後に、新たに発掘された喫茶店「エデン」の写真。当時、かなりモダンな建物だったことがよく分りますね。※画像提供/トキワ荘通り協働プロジェクト協議会

 ここですかさず隣にいた小出さんの注釈が入る。
「これはですね、エデンの店内に飾ってあった飾りです。お店を閉めるときに記念にもらって保管していた方がおられましてね。その方から提供していただいたんです」
 それを聞いて鈴木先生も感心する。
「いやあ、鹿の角までは覚えてなかったなあ。そんなものが、よく残っていましたねえ、ははは」


◎トキワ荘時代からあるコーヒーを味わいながら

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それではお休み処を出て、鈴木先生の案内で散歩に出発っっ! ちょっと肌寒いけど気合いで歩くぜっ!!

 お休み処を出た鈴木先生と小出さん、そしてぼくの3人は、トキワ荘跡地に建てられたモニュメントや、トキワ荘ゆかりの場所に新設された案内看板などを見て回った後、旧「エデン」跡地の向かい側にある喫茶店ヴィオレで休憩することにした。
 この喫茶店ヴィオレも、トキワ荘にマンガ家が集っていた時代から営業している歴史あるお店である。
 ここでコーヒーを飲みながら、鈴木先生に、あらためてトキワ荘当時のお話や手塚先生とのエピソードをうかがった。


◎初めてのアパート暮らしに感激!

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地元の案内人・小出幹雄さん(左)と、鈴木先生。アニメとマンガの話に世代を超えて盛り上がる!!

 鈴木先生、先生が長崎から上京されたのは、資料によれば昭和30年とありますが、それ以前はどんな生活をされていたんでしょうか?
「ぼくは高校を卒業して4年間、下関の印刷会社で働きながら、マンガを描いては雑誌『漫画少年』に投稿していました。
 最初に上京したときは、父の知人のつてを頼って、洋画家で風刺漫画なども描いておられた中村伊助先生のお宅に居候させてもらったんです。
 足立区梅島の中村先生のお宅にはおよそ1〜2ヵ月ほどいたでしょうか。それから間もなくして昭和30年の夏ごろ、テラさんに誘われてトキワ荘へ引っ越したんです」
 最初のトキワ荘はどんな印象でしたか?
「いやもう生まれて初めてのアパート暮らしがうれしくてね。四畳半がものすごく広く感じました。何しろさっきも言ったように、当時はモノが何もなかったですから。家具は中村先生からいただいた小さな黄色い子ども机がひとつだけだったんです」
 マンガ本などはお持ちだったと思いますが、どうされていたんですか?
「ミカン箱に入れて積んでありました(笑)」


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トキワ荘跡地への入口に立てられた案内看板。よく見ると鈴木先生や水野英子先生の直筆サインが!!!


◎『漫画少年』の原稿料はゼロ円だった!?

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現在は日本加除出版の敷地となっているトキワ荘跡地に、2012年3月に建てられた石造りのモニュメント。この年はトキワ荘建立60年と解体30年が重なった年で、それを記念して建てられたものである。モニュメントの高さがかなり低いように思われるかも知れないが、小出さんによれば、これは見学に訪れた子どもが、マンガ家の先生の住んだ部屋に実際に触れられるようにということで決められた高さだそうである

 独立されて、マンガだけですぐに生活は出来たんですか?
「ぼくは当時はデザイン会社に務めていましたから。昼間は会社へ出勤し、夜にマンガを描くという生活をしていました。じつは当時、『漫画少年』ではいろいろと仕事をさせてもらいましたけど、ぼくは一度も原稿料をもらっていなかったんですよ」
 ええーっ、本当ですか?


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トキワ荘時代の鈴木先生。当時、手塚先生を慕うマンガ家の多くがベレー帽をかぶっていた。写真に映っている本と雑誌に埋もれた机が、鈴木先生が、中村伊助先生からもらったという子供机だろうか。ちなみにその机は、鈴木先生がトキワ荘を出られるときに置いていき、それを水野英子先生が引き継いだということだ

「『漫画少年』は、ぼくがトキワ荘へ入って間もなく休刊になってしまいましたから(黒沢注:漫画少年の廃刊は昭和30年10月)」
 それは辛いですね〜!
「でもぼくは『漫画少年』のおかげで手塚先生を始めとした多くのマンガ家仲間と知り合うことが出来ましたし、トキワ荘に入ったのも『漫画少年』の縁がきっかけですから」
 お金には代えられない大切なものをもらったということですね。
「その通りです」


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かつてトキワ荘のマンガ家たちが足しげく通った映画館「目白映画」のあった場所。現在はドラッグストアとなっているが、ここにも建物の横に案内看板が設置されている。ちなみにこれらの看板、錆びているように見えるが、これは周りの風景になじむようにわざとエージング処理をほどこしたものだ。しかしあまりにもリアルすぎて本当に古い看板のように見え、うっかりしてると見逃してしまいそうだ


◎マンガ荘での仲間との日々

虫ん坊 2014年4月号:虫さんぽ 第33回:東京豊島区 トキワ荘通りを鈴木伸一先生と再訪する!!

トキワ荘のモニュメントで、ご自身が住まわれていた部屋の場所を指さす鈴木先生。じつはこのモニュメントのある場所は、かつてトキワ荘の裏手に当たる場所だった。しかしトキワ荘から松葉へは裏口から行った方が近く、鈴木先生によると、松葉の出前は、いつも正面玄関からではなく非常階段を上がって裏口から届けられたそうである

 トキワ荘での生活はどうでしたか?
「それはもう楽しかったですよ。当時、マンガの話ができる人なんて、ほとんどいなかったですから。それがトキワ荘へ入ったら周りがマンガ好きばかりなんですからね。
 月に1回、誰かの部屋へ集まって会合を開くんですが、そのときは、ふだん静かな藤本氏(黒沢注:藤子・F・不二雄先生)が誰かにいたずらを仕掛けたりしましてね、いつも盛り上がっていました。


虫ん坊 2014年4月号:虫さんぽ 第33回:東京豊島区 トキワ荘通りを鈴木伸一先生と再訪する!!

マンガ家・田中正雄先生の仕事場跡地に設置された案内看板を見る鈴木先生。田中正雄はトキワ荘在住ではなかったが、『ダルマくん』、『ライナーくん』などのマンガで一世を風靡した。小出さんによれば、今も健在で神奈川県に在住しておられるそうである

 そうやってワイワイやって、そろそろお腹が空いてきたなっていうころになると「松葉」へラーメンの出前を頼むんです。
 電話なんてないですから、みんなの注文をきいてお店まで行くんですが、それはたいてい安孫子氏(黒沢注:藤子不二雄A先生)の役目でしたね。安孫子氏は何ごとにつけても、とにかくマメだったんです(笑)」


虫ん坊 2014年4月号:虫さんぽ 第33回:東京豊島区 トキワ荘通りを鈴木伸一先生と再訪する!!


こちらもトキワ荘住人が通った銭湯「鶴の湯」の跡地と、その脇に掲げられた案内看板。現在、こうした案内看板はトキワ荘通り周辺の4箇所に設置されていて、このコラムが公開される2014年4月始めごろまでには、さらに6箇所に追加で掲げられるそうである。すべてを巡ってみたい方は、トキワ荘通り案内処でたずねてみていただきたい


◎最初に手塚先生に会ったのは……

虫ん坊 2014年4月号:虫さんぽ 第33回:東京豊島区 トキワ荘通りを鈴木伸一先生と再訪する!!

南長崎一丁目交差点、旧「エデン」跡地の対面にある喫茶店「ヴィオレ」。トキワ荘通りがマンガ家で賑わっていた時代の面影を感じさせる懐かしい店だ。営業時間9:00〜21:30、定休日:日曜日、祝日

 手塚先生と最初に会ったのはいつ、どこでですか?
「じつは手塚先生とは、トキワ荘時代には一度もお目にかかっていないんです。
 最初にご挨拶させていただいたのは、昭和33年4月に池袋の三越で東京児童漫画会(通称=児漫長屋)の展覧会「こども漫画まつり」が開催された時ですね。手塚先生もそこに作品を出されていて、そこでお話をさせていただいたのが最初です」


虫ん坊 2014年4月号:虫さんぽ 第33回:東京豊島区 トキワ荘通りを鈴木伸一先生と再訪する!!

暮れなずむ南長崎花咲公園の「トキワ荘のヒーローたち」記念碑。5年前のさんぽ時にはまだ街灯と囲いは設置されていなかった

虫ん坊 2014年4月号:虫さんぽ 第33回:東京豊島区 トキワ荘通りを鈴木伸一先生と再訪する!!

小出さんのお店、時計の「スエヒロ堂」は南長崎花咲公園のすぐ隣。そのショーウィンドウにはトキワ荘関連のキャラクターや資料が並び、さながらミニ博物館のようである


◎実写映画『火の鳥』のアニメパートを担当

虫ん坊 2014年4月号:虫さんぽ 第33回:東京豊島区 トキワ荘通りを鈴木伸一先生と再訪する!!

さっきまで晴れていたのに気温がさがって急に雪が降ってきた。暖かいコーヒーを飲んでホッとする。この後、鈴木先生からは、トキワ荘時代のお話や手塚先生との旅行の話など、たくさんのお話をうかがった。その中には今回、初めて紹介させていただく貴重なエピソードも含まれているかも!

 手塚先生との思い出で、何か印象に残っているお話はありますか?
「時代はトキワ荘からずっと後のことになりますが、1978年の暮れに手塚先生に誘われて、アメリカのディズニースタジオなどを訪ねたことですね。
 これには前段となるエピソードがありましてね、1978年の夏に東宝が市川崑監督の実写映画で『火の鳥』を公開しましたが、この映画のアニメパートをぼくがやらせていただいたんです。
 市川崑監督は、当初、この部分を手塚先生に監修してもらう予定で、手塚先生も実際に絵コンテまで描かれたんです。
 でもいつもの手塚先生のことですので、描いているうちにイメージがどんどんふくらんでしまいましてね、そのままでは実写本編と話がまったくつながらない展開になっていたんです。
 だけどもう手直しする時間はないということで、急きょ、ぼくのところへ話が持ち込まれたんですよ」


◎手塚先生とのアメリカ旅行!

虫ん坊 2014年4月号:虫さんぽ 第33回:東京豊島区 トキワ荘通りを鈴木伸一先生と再訪する!!

鈴木先生がトキワ荘の仲間とともに設立したアニメ制作会社「スタジオゼロ」、その軌跡を追った本『ゼロの肖像』(2012年、講談社刊)。監修と装画は鈴木伸一先生。トキワ荘時代の記述はわずかだけど、スタジオゼロが日本のアニメーション界に与えた影響を正当に評価している興味深い一冊です

「それで、映画が無事に公開された後、手塚先生がお礼のおつもりだったんでしょう、一緒にアメリカ旅行に行かないか、と誘ってくださったんです」
 旅行はどうでしたか?
「もう夢のようでしたよ。ディズニーアニメはぼくがアニメーションを志した原点ですし、そこへ手塚先生と一緒に行けたんですからね。ディズニー・スタジオには“ナイン・オールド・メン”と呼ばれた9人の伝説のアニメーターがいるんですが、そのうちのひとりであるウォード・キンボール氏のお宅にもおじゃましました」
 旅行中、手塚先生とはどんな話をされたんですか。
「ずっとアニメとマンガの話ばかりしてましたね。例えばぼくがウォルト・ディズニーの『白雪姫』を40回観たという話をすると、手塚先生は負けず嫌いですから、すぐさま「ぼくなんか『バンビ』を80回も観ましたよ」と切り返してくるんです(笑)
 ちょうどそのときの思い出を、つい先日出た『キネマ旬報』で語っていますので、よかったら読んでみてください」
 分かりました、ぜひ買わせていただきます!!


虫ん坊 2014年4月号:虫さんぽ 第33回:東京豊島区 トキワ荘通りを鈴木伸一先生と再訪する!!


鈴木先生が、1978年に手塚先生と一緒にディズニー・スタジオなどを訪問した際の思い出を語った記事が掲載されている『キネマ旬報』2014年3月下旬号。掲載されている写真も鈴木先生が提供された貴重なものである


◎松葉のラーメンを食べながら、トキワ荘談義は続いた!

虫ん坊 2014年4月号:虫さんぽ 第33回:東京豊島区 トキワ荘通りを鈴木伸一先生と再訪する!!

トキワ荘通りに来たらシメはやっぱりこれ! 中華料理「松葉」のラーメン(480円)です。鈴木先生のほころぶ笑顔が美味しさを物語っている。九州出身の鈴木先生は、上京するまではラーメンと言えばとんこつであり、いわゆる東京風の醤油ラーメンというのは、トキワ荘へ入居して、ここ松葉で初めて食べたんだそうである

 すっかり話し込んでしまい、喫茶店を出るとあたりにはすでに薄紫色の夕暮れが迫っていた。
「ひさびさに「松葉」のラーメンを食べて帰ります」とおっしゃる鈴木先生に、ぼくと小出さんももちろん同行させていただき、ここでもラーメンを食べ、餃子をつまみながら、ひとしきりトキワ荘と手塚先生の話で盛り上がった。
 鈴木先生が小出さんに対し、
「街おこしやマンガ文化の発展に役立つのなら、ぼくの描いた絵は自由に使っていただいていいですよ」
 と言っておられたのが印象的だった。
 手塚先生がトキワ荘に部屋を借りたのはたまたまだったかも知れない。だけどそこに芽吹いた小さな芽は、今、大木となってすくすくと育っている。


虫ん坊 2014年4月号:虫さんぽ 第33回:東京豊島区 トキワ荘通りを鈴木伸一先生と再訪する!!

お店の前で小出さん(左)と鈴木先生が並んで記念写真をパチリ。ふー、おいしかったぁ!! 中華料理松葉 営業時間:11:00〜15:00、16:00〜21:00、定休日:なし、問い合せ:03-3951-8394

虫ん坊 2014年4月号:虫さんぽ 第33回:東京豊島区 トキワ荘通りを鈴木伸一先生と再訪する!!

こちらは前回の虫さんぽ以後に新たに発掘された昭和37年の松葉の写真。ラーメン45円は現在の10分の1ですね。※画像提供/トキワ荘通り協働プロジェクト協議会


◎トキワ荘はいまも永遠の彼方に……!!

虫ん坊 2014年4月号:虫さんぽ 第33回:東京豊島区 トキワ荘通りを鈴木伸一先生と再訪する!!

ゴールは都営大江戸線落合南長崎駅。すっかり暗くなってしまいました

 われわれ虫さんぽ隊は、落合南長崎駅前で解散となった。階段を降りる際、ふとトキワ荘の方を振り返ってみたけど、高い建物にさえぎられ、いったいどっちの方角だったのかも、もう分からなくなっていた。
 ついさっきまで鈴木先生と歩いたトキワ荘通りでの出来事が、まるで夢のようにも感じられた。
 鈴木先生、小出さん、長時間の散歩におつきあいくださいましてありがとうございます。最後まで読んでくださった読者の皆さんにも心からの感謝を込めて、ぜひまた次回の散歩でご一緒いたしましょう!!


虫ん坊 2014年4月号:虫さんぽ 第33回:東京豊島区 トキワ荘通りを鈴木伸一先生と再訪する!!


小出さんから、2013年12月から2014年1月にかけて、トキワ荘通り周辺で行われたイベントの写真をお借りした。左から若手マンガ家によるコミック即売会、椎名町駅近くに設置された無人案内所、都内7店舗の古書店に協力してもらい、空き店舗を利用して開催したトキワ荘古書展。こうしたイベントは今後も積極的に開催していく予定だそうで、直近でいうと、今年2014年4月7日〜26日までのトキワ荘通り2商店会共催の福引きセールでは、特等にトキワ荘オリジナルTシャツが出品されるとのことです。我こそはという人はぜひ訪れてみてはいかがでしょう!



虫ん坊 2014年4月号:虫さんぽ 第33回:東京豊島区 トキワ荘通りを鈴木伸一先生と再訪する!!


今月のおまけ・その1。手塚先生の『ブラック・ジャック』第8話「とざされた記憶」に、トキワ荘という名前のアパートが登場している。その管理人はなんとヒゲオヤジであり、住人として藤子・F・不二雄先生と石ノ森章太郎先生そっくりの人物も出てくる。ぜひ一度ご覧になってください。講談社版全集では『ブラック・ジャック』第10巻に収録


虫ん坊 2014年4月号:虫さんぽ 第33回:東京豊島区 トキワ荘通りを鈴木伸一先生と再訪する!!


今月のおまけ・その2。つい先ごろ、小学館クリエイティブから手塚先生の『アニメキャラクター設定画集』が刊行された。本文で鈴木先生が語っておられる『火の鳥』のコンテは収録されていないが、『バンダーブック』、『マリンエクスプレス』など、日本テレビのチャリティー番組『24時間テレビ 愛は地球を救う』の中で放送された手塚アニメのキャラクター設定画が全220ページにわたってたっぷり収録されている。マンガとはまた違う、手塚先生のアニメにかけた情熱。その一端がうかがえる貴重な資料です



虫ん坊 2014年4月号:虫さんぽ 第33回:東京豊島区 トキワ荘通りを鈴木伸一先生と再訪する!!


(今回の虫さんぽ、6時間15分、3245歩)

取材協力/豊島区豊島区トキワ荘通り協働プロジェクト、南長崎ニコニコ商店街、
目白通り二又商店会、杉並アニメーションミュージアム(順不同)


黒沢哲哉
 1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番


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