虫ん坊 2013年10月号 トップ特集1特集2オススメデゴンス!コラム投稿編集後記

虫ん坊 2013年10月号:虫さんぽ 第30回:東京・総武線沿線、手塚マンガゆかりの出版社を各駅停車散歩!!

虫ん坊 2013年10月号:虫さんぽ 第30回:東京・総武線沿線、手塚マンガゆかりの出版社を各駅停車散歩!!

 今回の虫さんぽは、総武線沿線の出版社をめぐる散歩だっ!! 虫さんぽではちょうど1年前、講談社や光文社など文京区の出版社を訪ね歩いた。だがしかし! 手塚治虫先生が作品を発表した出版社は文京区だけじゃない!! 今回は総武線沿線の出版社を訪ね、かつて手塚先生とご縁のあった編集者の皆さんに案内をしていただく予定だ! ちなみに快速電車は水道橋、飯田橋、市ヶ谷には停まらないので注意しよう。ではさっそく出発だっ!! 「ご乗車ありがとうございます。快速高尾行き、次の停車駅は四ッ谷です」うあぁ、しまったーーーっ!!



◎水道橋駅から少年画報社へ!

虫ん坊 2013年10月号:虫さんぽ 第30回:東京・総武線沿線、手塚マンガゆかりの出版社を各駅停車散歩!!

散歩の出発地点、JR総武線水道橋駅。散歩当日は低気圧の接近で、晴れたり曇ったりいきなりザアッと雨が降ってきたりして安定しないお天気だったけど、いざ、出発するぜーーーーっ!!

 秋もすっかり深まり、今年の夏のあの猛烈な暑さもそろそろ遠い記憶となりかけて来ました。
 そんな散歩日和のこの季節、今回は総武線沿線に点在する、手塚先生ゆかりの出版社を訪ねてそぞろ歩いてみようと思います。
 スタート地点はJR総武線水道橋駅。最初に目ざすのは「少年画報社」だっ!
 水道橋駅西口を出たら大通りを10mほど南下、路地を入ってすぐのところに建つ5階建てのビル、ここが少年画報社である!


◎手塚先生東京進出の第1歩は……!!

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水道橋駅から徒歩数分の距離にある少年画報社のビル。シックなレンガ色がかっこいいぜ!!

 だがちょっと待ったーっ! 編集部へおじゃまする前に、なぜここ少年画報社を、今回の散歩の最初の目的地としたのか、その理由を説明しておこう。
 昭和21年、プロのマンガ家としてデビューした手塚治虫先生は、最初は関西の出版社で単行本を中心に活動していた。しかし昭和25年、学童社の雑誌『漫画少年』の初連載『ジャングル大帝』を皮切りに、手塚先生はいよいよ東京へと進出する!
 すると東京のほかの出版社からも、手塚先生に我も我もとマンガの執筆依頼が殺到するようになった。
 そして、そうした東京の出版社の中でもいち早く手塚先生獲得に動いたのが少年画報社だったのである!


◎めくるめく読み切り別冊の時代!!

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 手塚先生のマンガが少年画報社の雑誌『少年画報』に初掲載されたのは、昭和25年11月号の読み切り『鳩時計事件』である。そして同誌の昭和26年4月号からは早くも『サボテン君』の連載が始まっている。
 だけど手塚ファンにとっての当時の少年画報社の功績は、何といっても、手塚先生の読み切り短編作品を雑誌の別冊付録として何冊も刊行してくれたことである。
 ここに紹介した付録の数々。このカラーの表紙を見てるだけで美しさに目まいがしてきそうだぜ〜〜〜っ!!


虫ん坊 2013年10月号:虫さんぽ 第30回:東京・総武線沿線、手塚マンガゆかりの出版社を各駅停車散歩!!


手塚先生が少年画報社の雑誌『少年画報』に発表した読み切り作品。左から昭和27年7月号の別冊付録『火星からきた男』、昭和27年11月号別冊付録『ピストルをあたまにのせた人びと』、昭和28年9月号別冊付録『宇宙狂想曲』


◎社長みずから案内人を務めてくださった!!

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少年画報社取締役社長・戸田利吉郎さん。明治大学漫画研究会の出身だった戸田さんは、学生時代、何本かの漫画を雑誌に発表したこともあるマンガ家だったのだ!! その話は来月のコラム『手塚マンガあの日あの時』でご紹介しよう

 この少年画報社を案内してくださるのは、現在の少年画報社取締役社長・戸田利吉郎さんである。うおお〜〜〜っ、社長じきじきのご案内ありがとうございます!!
 戸田さんが少年画報社へ入社したのは昭和43年4月。最初に配属された『週刊少年キング』編集部では、手塚先生の同誌での初連載作品『ノーマン』の原稿取りを経験するなど、手塚先生の仕事ぶりを間近で見てきたひとりである。


◎明々社から少年画報社へ!

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昭和34年竣工当時の少年画報社ビル。この当時、周囲には高い建物はひとつもなく、ビルから駅のホームが良く見えたという。※画像提供/少年画報社

 それでは戸田社長、まずは会社の沿革からお聞かせ願えますか? ピキーン(緊張している音)
「はっはっは、そう堅くならずに(笑)。小学館出身の創業者・今井堅が、少年画報社の前身である明々社を創立したのは終戦直後の昭和20年10月のことです。そして昭和23年には児童向け読み物雑誌『冒険活劇文庫』を創刊しました。これが後に改題して『少年画報』となったのです(昭和25年2月〜)。さらに昭和31年5月には社名も株式会社少年画報社とあらため、新たな出発を切りました」
 なるほどー、『少年画報』の創刊は、手塚先生が東京で活躍を始められたころとぴったり一致するわけですね!
「まさにそうです。当時は児童向けの読み物が、絵物語からマンガへと急速に移行している時代でしたから、うちとしても手塚先生にはぜひ描いてもらいたいと早くから考えていたようです」


◎貴重な雑誌がズラリと並んだ書庫!!

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少年画報社の書庫を戸田社長が案内してくださった。『少年キング』の並んだ棚から戸田社長が取り出したのは、戸田社長が入社した当時の雑誌『少年キング』昭和43年4月28日号だ。この号から手塚先生の『ノーマン』の新連載が始まった

 お話をうかがった後、戸田社長には、少年画報社の書庫へも案内していただいた。
 厳重なセキュリティのロックを解除して入れていただいた広いフロアには、ガラス扉のついたスチール製本棚が整然と並び、その中には背表紙をチラッと見ただけでもそれと分かる超貴重な本や雑誌がギッシリ詰まっている!! うおおっ!!
「一部、倉庫に保管しているものもありますが、ここにはうちの過去の出版物がまとめて収蔵してあります」
 戸田社長によれば、初期の古い雑誌は傷みを防ぐために合本して表紙をつけて保管し、最近の雑誌などはすべて3冊ずつ保管しているという。
 懐かしい『少年画報』や『少年キング』のバックナンバーも並んでますが、過去の雑誌は全巻揃っているんですか!?
「それがあいにく欠けているところもあるんですよ。最初はきちんと保管してあったということですが、イベントで貸し出したり資料として持ち出したりして返却されないものがありましてね。特に残念なのが手塚先生の別冊付録がまとめてなくなっていることです」
 うおお、それは残念ですね!
「ですから後に古書店で買って補充したものもかなりありますよ」
 戸田社長、貴重なお話をありがとうございました!!


◎福井英一氏が手塚治虫に猛抗議した!!

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『漫画教室』事件の発端となった手塚治虫の『漫画教室』第17回。『漫画少年』昭和29年2月号に掲載されたこのエピソードを見た福井英一は、自分の作品が批判されたと解釈し、少年画報社で仕事をしていた手塚治虫のもとへ怒鳴り込んできた

 さて、少年画報社の話題はまだ終わりません。昭和29年、ここ少年画報社を舞台として、手塚先生を主役としたある“事件”があったのをご存知だろうか。それを紹介しよう。
 事件の発端は、昭和29年、手塚先生が学童社の雑誌『漫画少年』に連載していた『漫画教室』という作品から始まる。
 同誌の2月号が発売されて間もなくのことだから1月初旬のことだろう。少年画報社の編集部でカンヅメになって仕事をしていた手塚のもとへ、マンガ家の福井英一がタクシーで乗り付け、怒鳴り込んできた。
 当時『少年画報社』の編集者だった福元一義氏の著書『手塚先生、締め切り過ぎてます!』(2009年集英社刊)によれば、それは深夜11時過ぎごろだったという。福井氏とともに、手塚とも親しいマンガ家の馬場のぼるも同行していた。
 以下、手塚先生のエッセイから引用しよう。
荒れ模様で入ってきた福井氏は、開口一番、手塚先生にこう切り出したという。
「「やあ、手塚、いたな、君に文句があるんだ」
「な、なんだい?」
「君は、おれの作品を侮辱した。中傷した。謝れ、謝らないならおもてへ出ろ」」(講談社版手塚治虫全集第383巻『手塚治虫エッセイ集』第1巻より)


◎『漫画教室』事件の結末はいかに……!?

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福井英一の代表作『イガグリくん』の単行本(昭和29年、秋田書店刊)※画像は平凡社刊『別冊太陽 子どもの昭和史 少年マンガの世界I』より引用

 何やら、ただならぬ様子だが、いったい何が起きたのか!?
 じつは福井氏は、手塚先生が『漫画少年』2月号に掲載した『漫画教室』の内容に怒っていたのだった。
 この号で手塚先生が、悪い手抜きマンガの例として描いた見本の絵が福井英一の『イガグリくん』そっくりだ、と福井氏は主張していたのである。
 結局、その日、手塚先生は仕事を中断し、福井氏と馬場氏の三人で池袋の飲み屋へ行って話し合い、手塚先生が謝罪したことで一件落着となった。
 手塚先生はその顛末をこう書いている。
「正直なところ、そのころのぼくは、福井氏の筆勢を羨(うらや)んでいたのだった。それが無意識に『イガグリくん』的漫画に対する中傷として、『漫画教室』という作品ににじみ出てしまったのだ。いわれてみるとたしかに思い当たり、言い訳のしようがない。ぼくはやりきれない自己嫌悪に陥り、
「すまなかった」
 と、頭をさげた」(前出『手塚治虫エッセイ集』第1巻より)
 ちなみに少年画報社の戸田社長によれば、この当時の少年画報社の編集部は、現在の場所ではなく、水道橋駅をはさんだ反対側の都立工芸高校近くにあったということです。


虫ん坊 2013年10月号:虫さんぽ 第30回:東京・総武線沿線、手塚マンガゆかりの出版社を各駅停車散歩!!

虫ん坊 2013年10月号:虫さんぽ 第30回:東京・総武線沿線、手塚マンガゆかりの出版社を各駅停車散歩!!


福井英一に謝罪した手塚は、翌月の『漫画教室』第18回の中で、主人公のナンデモカンデモ博士をつるし上げることで、福井への謝罪の気持ちを表した。※『漫画教室』の画像は3点とも2010年小学館クリエイティブ刊の『漫画教室』より引用



◎旧・潮出版社から秋田書店へ

虫ん坊 2013年10月号:虫さんぽ 第30回:東京・総武線沿線、手塚マンガゆかりの出版社を各駅停車散歩!!

飯田橋駅を降りると雨だった。ここから南へしばらく行くと旧・潮出版社のビルが見えてくる

 少年画報社を後にして次に向かったのは、お隣の飯田橋駅だ。東口を出て大通り沿いに南下すると、1階に紳士服屋さんが入った8階建てのビルが見えてくる。
 ここはかつて手塚先生が『ブッダ』や絶筆『ルードウィヒ・B』を発表した雑誌『コミックトム』などを出版していた潮出版社のあった建物だ。その潮出版社は現在、千代田区一番町へ移転しているので、そちらへは後ほどうかがいます!
 そしてその旧・潮出版社の建物の先を左へ曲がると突き当たりがホテルメトロポリタンで、その右角に建つ大きなビルが『週刊少年チャンピオン』を出している「秋田書店」である。


◎漫画の王様『冒険王』と『漫画王』!!

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かつて潮出版社の本社だった潮ビル。現在は紳士服屋さんが営業中

 秋田書店は、元小学館の編集者だった秋田貞夫氏が同社を退社した後、昭和23年に設立した出版社だ。  翌昭和24年1月には児童向けの読み物雑誌『少年少女冒険王』を創刊、同誌は後に『冒険王』と改題し、次第にマンガ中心の雑誌になっていった。また昭和26年12月にはより低年齢向けの児童マンガ誌『漫画王』も創刊している。 『冒険王』も『漫画王』も、手塚先生が東京進出直後から初期の連載や読み切りを数多く発表した雑誌だ。  それから、これはまた後で詳しく紹介するが、昭和20年代、手塚先生はこの秋田書店編集部で寝泊まりしながら原稿を描いたこともよくあったということだ。


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『少年少女冒険王』昭和24年1月創刊号。左下に書かれた『ダイヤ魔神』というのが『砂漠の魔王』の前身で、次号第2話より『砂漠の魔王』と改題された。※画像は平凡社刊『別冊太陽 子どもの昭和史 少年マンガの世界I』より引用

虫ん坊 2013年10月号:虫さんぽ 第30回:東京・総武線沿線、手塚マンガゆかりの出版社を各駅停車散歩!!

秋田書店での手塚先生の初連載作『冒険狂時代』。昭和26〜28年『冒険王』連載。※画像は平凡社刊『別冊太陽 子どもの昭和史 少年マンガの世界I』より引用


◎『B・J』で手塚番を務めた名編集者登場!!

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昭和48年に竣工した秋田書店の本社ビル。とってもおしゃれなデザインの建物ですね

 そして! 秋田書店で手塚先生の代表作といえばもちろんコレ! 1970年代に『週刊少年チャンピオン』に連載されて大ヒットした『ブラック・ジャック』だっ!
 ということで、今回秋田書店を案内してくださるのは、現在、同社AS企画副編集長であり、かつては『ブラック・ジャック』の三代目担当編集者だった青木和夫さんである。
 青木さんは昭和50年に秋田書店に入社、すぐに『少年チャンピオン』編集部に配属され、『ブラック・ジャック』の担当、つまり手塚番を命じられた。
 その青木さんは、先ごろテレビドラマ化もされて大人気のマンガ『ブラック・ジャック創作秘話〜手塚治虫の仕事場から〜』(原作/宮崎克、漫画/吉本浩二)にも登場しており、その中では「『ブラック・ジャック』の原稿をもっとも数多くとった男」と紹介されている。※宮崎克氏の崎は正しくは(山へんに竒)です。
 青木さん、初めまして! かつて手塚先生が泊まられた編集部というのはココにあったんですか?
「いいえ、秋田書店がここに移転して現在の社屋を建てたのは、私が入社する2年前の昭和48年3月のことです。それ以前は、水道橋駅に近い千代田区三崎町に本社があったんです。
 さらにそれより前は、駿河台下に古い建物を間借りしていたそうですが、さすがにそのころのことは私も知りません」


虫ん坊 2013年10月号:虫さんぽ 第30回:東京・総武線沿線、手塚マンガゆかりの出版社を各駅停車散歩!!

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『ブラック・ジャック』の新連載が始まった『週刊少年チャンピオン』昭和48年11月19日号の表紙(左)と、同誌の『ブラック・ジャック』第1話トビラ絵。青木さんが用意してくださった秋田書店保管の合本ファイルより。このトビラ絵、タイトルが『ブラック・ジャック』なのになぜダイヤのジャックなのか、手塚ファンの間でも大きな謎とされている



◎『B・J』執筆のため編集部にカンヅメに!!

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秋田書店のエントランスには、『少年少女冒険王』に創刊号から連載し、人気を博した福島鉄次の絵物語『砂漠の魔王』のレリーフが飾られている。この『砂漠の魔王』は2012年8月、秋田書店の創立60周年を記念し、完全復刻版が刊行された

 手塚先生がこちらの新社屋に来られたことはあるんですか?
「はっきり覚えているのは、わたしの担当時代だった『ブラック・ジャック』の連載中に、ここの7階の会議室に詰めて仕事をされたことですね」
 ええっ『ブラック・ジャック』のころにですか!? 手塚先生があちこちの出版社や旅館に詰めて仕事をされていたのは昭和30年代の前半までだったと聞いていますが、そのときはどんな事情があったんでしょう?
「よっぽど締め切りがギリギリだったのか、どこかへ旅行に出かけられる直前だったのかもしれません」
 青木さん、貴重なお話をありがとうございます!!
 青木さんには次回のコラム「手塚マンガあの日あの時」でもゆっくりとお話をお聞きする予定です。お楽しみにっ!!


◎鉄腕アトム、市ヶ谷に現る!

虫ん坊 2013年10月号:虫さんぽ 第30回:東京・総武線沿線、手塚マンガゆかりの出版社を各駅停車散歩!!

市ヶ谷駅へ到着。さっきまで雨だったのにこのころにはすっかり晴れて太陽が。ホームの片側がお堀に面していて、東京の駅には珍しい開放的な駅である

 さて、次はふたたび総武線に乗って次の市ヶ谷駅で下車をする。目ざすのは先ほどもチラッと名前を出した潮出版社の新社屋なんだけど……、
 その前に! ここ市ヶ谷駅は『鉄腕アトム』の初期のエピソード「フランケンシュタインの巻」(昭和27〜28年)にワンカットだけ描かれているのでソレも忘れずチェックしよう。


虫ん坊 2013年10月号:虫さんぽ 第30回:東京・総武線沿線、手塚マンガゆかりの出版社を各駅停車散歩!!

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『鉄腕アトム』「フランケンシュタインの巻」(昭和27〜28年)より。アトムの同級生タマちゃんが、怪物ロボット・フランケンに誘拐されてしまった。誘拐犯からの手紙に従ってアトムは市ヶ谷駅へと急ぐ。2枚目の画像の左上、水道橋駅のカットは連載時にはなく単行本化の際に描き加えられたものである。講談社版全集第221巻『鉄腕アトム』第1巻より



◎手塚番を8年務めた熱血編集者登場!!

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潮出版社エントランスホールにて、取締役総務局長の大浦静雄さん

 そして、ここから徒歩10分ほどの場所にあるのが現在の「潮出版社」である。
 こちらで案内をしてくださるのは、現潮出版社取締役総務局長の大浦静雄さんである。大浦さんは昭和51年に潮出版社へ入社。雑誌『希望の友』編集部へ配属され、間もなく当時手塚先生が同誌に連載中だった『ブッダ』の担当となった。そして以後、『少年ワールド』、『コミックトム』と掲載誌を変えながら『ブッダ』の連載は続き、大浦さんは足かけ8年にわたって手塚番を務めたという。


虫ん坊 2013年10月号:虫さんぽ 第30回:東京・総武線沿線、手塚マンガゆかりの出版社を各駅停車散歩!!

大浦さんが手塚番だった昭和54〜55年に潮出版社から刊行された『別冊月刊少年ワールド』版『ブッダ』。この版は第6巻まで刊行された

 それにしても大浦さん、手塚番8年というのは長くないですか?
「恐らく長い方でしょうね。手塚番は体力的にハードですから、大手の出版社は若い新人編集者に担当させて、大体3〜4年で交代します。しかしうちは大手とは規模が違いますから(笑)」


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『鉄腕アトム』の市ヶ谷の絵にそっくりな風景を市ヶ谷駅前で見つけた。うーん、アトムが立っていたのは、まさしくこの場所に違いない!!

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現在の潮出版社がある一番町SQUAEビル。2012年12月よりここへ移転した


◎大浦さんの秘蔵写真を初公開!!

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昭和63年当時の潮出版社ビル。先ほど紹介した現在の写真と比較すると、建物の1階付近の外装などが若干模様替えされているのがわかる。※画像提供/潮出版社

 そんなベテラン手塚番だった大浦さんから、今回、手塚先生のとても貴重な写真をお借りしました。この写真はいつ撮られたものなんですか?
「1984年の11月に中野サンプラザで開かれた私の結婚式のときの写真です。手塚先生がゲストでお越しくださって、ステージで模造紙に絵を描いていただいたんです。
 まず最初に私と妻がアルファベットで名字と名前を書くでしょう。そして後からそこに手塚先生がマジックで加筆されましてね、アッという間にこんなイラストにされたんです」


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大浦さんが入社されて1〜2年目(昭和52〜53年ごろ)の潮出版社の社内風景。手前のシマが当時の『希望の友』編集部で、右端が若き日の大浦さんである。※画像提供/大浦静雄

 うおおっ、これはうらやましいですね。手塚先生が講演などでよくやられていた即興パフォーマンスですよね!!
「前任の先輩編集者が結婚されたときには、手塚先生は忙しく出席できず祝電だけだったそうで、『大浦、もっと感謝せーい!』と、羨ましがられましたね(笑)」
 いえいえ、これは手塚番8年の役得ですよ!! 大浦さん、ありがとうございました!!


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昭和59年11月11日、中野サンプラザで行われた大浦さんの結婚式に手塚先生がゲストとして出席。大浦さんと奥さまが書かれたアルファベットのサインに手塚先生が加筆して、アッという間に大浦家のスウィートホーム風景に仕上げてしまったそうだ。※画像提供/大浦静雄(2点とも)



◎手塚先生がカンヅメになった名門ホテル

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御茶ノ水駅は坂の上にあって広々と見晴らしがいい駅だ。手塚先生がひんぱんに上京するようになった昭和25年当時、お茶の水は獅子文六の新聞連載小説『自由学校』の舞台として有名で、手塚先生も「ここがあのお茶の水か」と思ったという。そんな思いが後に「お茶の水博士」の名前を生んだのかもしれない

 さていよいよ散歩も終盤である。市ヶ谷駅からふたたび総武線でお茶の水へ戻り、駿河台下交差点へ向かって坂を下ってゆく。
 すると右手の小高い丘のてっぺんにクラシカルなホテルが建っている。昭和29年開業の「山の上ホテル」である。



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文字通り山の上に建っている山の上ホテル。ホテルとして営業を始めたのは戦後だが、このモダンな建物は昭和11年に建設されたものだそうである。ちなみに私・黒沢も1980年代に『少年ジャンプ』の仕事で一度だけこのホテルにカンヅメになったことがある

 今回の出版社巡りというテーマからは外れるけど、潮出版社の大浦さんが手塚番だったころ、ここにカンヅメになっていた手塚先生のもとへ何度か原稿取りに訪れたそうなので、ここも立派な手塚スポットとしてぜひ立ち寄ってみていただきたい場所だ。


◎秋田書店創業当時の編集部で……!!

虫ん坊 2013年10月号:虫さんぽ 第30回:東京・総武線沿線、手塚マンガゆかりの出版社を各駅停車散歩!!

一瞬、パリの路地裏を思わせる明治大学脇の細い道。昭和20年代当時、秋田書店編集部が間借りしていた建物というのは、このあたりにあったのだろうか

 続いてその先の路地の奥には、創業したばかりの秋田書店編集部が間借りしている建物があったという。
 残念ながら秋田書店にも当時の資料は残っておらず正確な場所を特定することはできなかったが、手塚先生にとって当時の秋田書店編集部はとても思い出深い場所だったようだ。以下、手塚先生の文章より引用してみよう。


虫ん坊 2013年10月号:虫さんぽ 第30回:東京・総武線沿線、手塚マンガゆかりの出版社を各駅停車散歩!!

雑誌『冒険王』昭和28年5月号別冊付録として発表された読み切り西部劇『レモン・キッド』。講談社版全集第70巻『レモン・キッド』のあとがきによれば、このマンガも当時の秋田書店編集部に詰めて、わずか2日半で描き上げたものだったとか。※画像は平凡社刊『別冊太陽 手塚治虫マンガ大全』より引用

「(秋田書店の)当時の社屋は二階建ての木造事務所で、まあ、見ばえのする会社ではありませんでした。しかも、二階は「ラッキー」という別の娯楽雑誌の出版社で、せまい階段はギシギシ音がし、その階段の下には、返本や発送前の「冒険王」や単行本が山積みされていました。ぼくはよくこの社内で、しめ切りギリギリの原稿をかいたものです。ときには編集部の机の上にふとんをしいてねたこともありました」(講談社版全集第19巻『ぼくの孫悟空』第8巻あとがきより)
 当時の出版社の風景や手塚先生の仕事ぶりが目に浮かんでくるような文章ですね。


◎もうすぐなくなる小学館ビルを見学!

虫ん坊 2013年10月号:虫さんぽ 第30回:東京・総武線沿線、手塚マンガゆかりの出版社を各駅停車散歩!!

8月中は連日、落書きの見学者で賑わっていた旧・小学館ビルも、9月の散歩当日は、すでに周囲がカラーコーンで囲われ、ひっそりとして、ただ取り壊しを待つだけとなっていた。その奥に見える隣の白いビルは集英社本社だ

 そしていよいよ最後の目的地へと向かおう。駿河台下交差点から靖国通りを西へ向かい、神保町交差点を左へ曲がる。すると共立女子大学のキャンパスの手前に建っている大きなビルが旧・小学館本社ビルである。
 この小学館ビルは昭和42年に竣工。しかし耐震性の問題からこの9月に解体されることが決定した。新社屋の完成は2016年春の予定だという。
 小学館といえば、手塚先生が創刊号から数々の名作を発表した『週刊少年サンデー』の出版元であり、手塚先生との縁も深い場所だった。またひとつ手塚先生ゆかりの建物がなくなるというわけだ。


◎壁やガラスにプロマンガ家の落書きが出現!!

虫ん坊 2013年10月号:虫さんぽ 第30回:東京・総武線沿線、手塚マンガゆかりの出版社を各駅停車散歩!!

小学館ビルに描かれたマンガ家の落書きを見ようと集まった人びと。小学館ビルではこうした見学者のために日中だけロビー内の照明を点灯して、中が見えるようサービスしていた。2013年8月19日撮影

 ところでこの小学館ビルの取り壊しが始まる直前の8月、にわかにこの建物に注目が集まった。社屋の解体を惜しむ有名マンガ家たちが集まって、建物の壁やガラス面などにたくさんの落書きをしたのだ。
 落書きといってもプロのマンガ家による直筆の絵である。このことがマスコミで報道されると、マンガファンが続々と見学に訪れ、解体寸前の小学館ビルは、にわかに観光名所と化したのである。


◎“大”学館ビルの礎石に手塚先生の似顔絵が!?

虫ん坊 2013年10月号:虫さんぽ 第30回:東京・総武線沿線、手塚マンガゆかりの出版社を各駅停車散歩!!

ガラスに描かれた落書き。この裏側はかつて打ち合わせロビーだった場所で、落書きは建物の内側から描かれている。2013年8月19日撮影

 ところで、じつは手塚先生も、このビルの礎石に自分自身の似顔絵を落書きしていたことをご存知だろうか。いや、実際の建物に落書きをしたわけではない。マンガの中でそんなお話を描いていたのだ。
 それは手塚先生が昭和47年から48年にかけて『週刊少年サンデー』に連載した『サンダーマスク』の中でだった。この作品の中に、小学館ビルをモデルとした「大学館ビル」という建物が登場する。そしてそのビルの礎石には、何と手塚治虫そっくりの顔が浮かび上がるという荒唐無稽な設定で、そのとぼけた絵が描かれているのであった。
 そう! つまり現代のマンガ家たちが2013年に落書きするより41年も前に、手塚先生はしっかりとこのビルに落書きをしていたのである(マンガの中で)! マンガの世界では何でも一番であることを目ざした手塚先生らしいエピソードと言えよう。いや、いくらなんでもこれは強引か!?
 では今回も長時間の散歩におつきあいくださいましてありがとうございます。ぜひまた次回の散歩でもご一緒いたしましょう!!


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虫ん坊 2013年10月号:虫さんぽ 第30回:東京・総武線沿線、手塚マンガゆかりの出版社を各駅停車散歩!!


講談社版全集第270巻『サンダーマスク』より。大学館ビルの礎石になぜか手塚治虫の似顔絵が浮き出していた。この謎を皮切りに、事件は意外な方向へ発展していくのであった!



◎お楽しみは来月もなのだ!!

 ところで、今回案内人としてご登場くださった少年画報社の戸田利吉郎さん、秋田書店の青木和夫さん、潮出版社の大浦静雄さんですが、三人の手塚番だった当時のお話など、皆さん、ぜひもっとお聞きしたいと思いませんか? そこで! 次回のコラム『手塚マンガあの日あの時』では、もう一度お三方にご登場いただき、その当時のお話をじっくりうかがっちゃおうと思います! お楽しみに〜〜〜〜っ!!


虫ん坊 2013年10月号:虫さんぽ 第30回:東京・総武線沿線、手塚マンガゆかりの出版社を各駅停車散歩!!


(今回の虫さんぽ、5時間25分、7684歩)

取材協力/少年画報社秋田書店潮出版社(順不同敬称略)


黒沢哲哉
 1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番


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