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虫ん坊 2014年12月号 トップ特集1特集2オススメデゴンス!コラム投稿編集後記

虫ん坊 2015年6月号:虫さんぽ 第40回:東京・新宿界隈 SF作家仲間との交流、そして路地裏アラベスク!!

虫ん坊 2015年6月号:虫さんぽ 第40回:東京・新宿界隈 SF作家仲間との交流、そして路地裏アラベスク!!

 これまで虫さんぽで数々歩いてきたように、手塚治虫先生は東京都内のあちこちを作品の舞台として登場させている。新宿もそのひとつだ。しかし不思議なことに手塚先生が新宿を作品のメイン舞台としてひんぱんに描くようになったのは意外にも遅く、1960年代の終わりごろからだった。それはなぜなのか!? 今回はそんな手塚マンガの謎を探りつつ、初夏の新宿界隈を歩きます。手塚先生が通った絶品グルメの紹介もあるよ!!



◎春を通り越して夏! の新宿散歩

虫ん坊 2015年6月号:虫さんぽ 第40回:東京・新宿界隈 SF作家仲間との交流、そして路地裏アラベスク!!

新宿さんぽのスタート地点は新宿三丁目駅だ。地上へ出ると、一軒オフィス街のようなたたずまいの中に老舗風俗店ビルがそびえ立っているのが見えた。さすが新宿!

ということで今回の新宿さんぽは都営新宿線の新宿三丁目駅からスタートだっ! 地下からの階段をのぼって地上へ出ると……暑〜〜〜〜い!!
 近ごろ年々春が短くなってきてるけど、これはもうほとんど夏ですね。前回の池袋さんぽが小雪の舞う寒い寒い散歩だったのに、何と今回はジリジリ照りつける太陽と紫外線にお肌を焼かれながらの激アツ散歩となってしまったのだ。皆さんも紫外線対策と熱中症対策には怠りなく!!
 ではさっそく出かけましょう。まず向かったのは、酉の市で有名な花園神社方面である。
 新宿三丁目駅から地上へ出て北上すると突き当たる大きな通りが靖国通りだ。花園神社はこの靖国通りを渡ったちょうど反対側にある。


◎今は失われた地名・三光町から始まる物語……

虫ん坊 2015年6月号:虫さんぽ 第40回:東京・新宿界隈 SF作家仲間との交流、そして路地裏アラベスク!!

花園神社の靖国通り側の入口。とても味わいのある神社なんだけど手塚先生に関係する話題はないので今回はパス

 花園神社を中心とした靖国通りの北側一帯は、かつて三光町と呼ばれていたが、1978年の町名変更によって歌舞伎町一丁目と新宿五丁目のそれぞれ一部となった。
 その三光町という町名の出てくる手塚マンガが1970年に雑誌『SFマガジン』に発表された短編『ドオベルマン』だ。
 手塚先生自身が語り部として登場し、そのモノローグで始まるこの作品の中で、手塚先生がドオベルマンと名乗る奇妙な外人画家の男と出会ったのがここ三光町だった。
 初対面なのに妙に馴れ馴れしい画家を持てあました手塚先生は、仕方なく彼をなじみのバーへ連れて行く。
 旧・三光町エリアは太平洋戦争の終戦後、一時、青線と呼ばれる風俗街として栄えた。だけど昭和32年(1957年)に施行された売春防止法によって青線は一掃され、多くの店が業態を飲み屋へと変えて生き残ったのだった。


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『ドオベルマン』は『SFマガジン』に発表された奇妙な短編マンガである。作品の中で手塚先生が「こんな風采のやつ 見たな そうだ! 小松左京のゴエモンだ!」と言っているが、ここで語られてるゴエモンとは小松左京が1965年に発表したSF小説『明日泥棒』に出てくる珍妙な服装をした宇宙人のことだ。ゴエモンは見た目のキテレツさとは裏腹に、世界中の音を消してしまったり爆発物を使用不能にしてしまうなど恐ろしい力を持っている。『SFマガジン』掲載作ということで、手塚先生はSFファンを多分に意識したキャラクター設定をしたのだろう。講談社版手塚治虫漫画全集では『SFファンシーフリー』に収録されている


◎昭和の面影が今も残る飲食店街

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三光町という名は正式な町名からは消えたけど、実際に町を歩くとその名前をあちこちで見にする。三光町という町名はまだ生きているのだ

この旧・三光町の一角に当時の飲み屋街の面影が今もほとんどそのまま残る一角がある。新宿ゴールデン街である。花園神社の裏手、わずか50メートル四方の一角に建坪3〜4坪ほどの小さな飲み屋が100軒以上も集まっている。
 ここには1960年代後半から70〜80年代にかけて、多くの作家や俳優、映画・テレビ関係者などが集まった。そして手塚先生が『ドオベルマン』を描いた1970年ごろはゴールデン街が最も栄えた時代だったのだ。
 『ドオベルマン』の作中の手塚先生が怪しい外人画家を連れて行く“ミツ子の店”も恐らくゴールデン街の中の一軒という設定なんでしょう。


◎手塚先生が通った幻の貝料理屋さんとは!?

 実際、ゴールデン街に手塚先生のなじみのお店があったかどうかは今回の調査では判明しなかったけど、手塚先生が当時この近辺に出没していたという足跡はつかめた。
 それは手塚先生がゴールデン街近くにかつてあった小さな料理屋について書いた以下の文章である。
「『浜や』(貝料理)新宿、新宿区役所通りをちょいと入ったところ。漫画集団の連中がよく行くのでぼくももう十年近い常連になってしまった。季節の魚料理が時期時期によっていろいろと出てくるので楽しい」

 これは『東京25時 東京の夜と昼』という雑誌の1970年9・10月合併号に掲載された「有名人の行きつけのお店」というアンケート記事の一部だそうで、手塚プロ資料室長の森晴路さんが最近発掘し、ファンクラブ会報『手塚治虫ファンマガジン』2015年3月31日号で発表されたものだ。


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新宿ゴールデン街。写真のようなお店が狭い敷地内にみっちりと並んでいる。まるで昔の日活映画のセットか70年代のATG映画のロケ地のようである。バブル時代には地上げの危機にも見舞われたがかろうじて現状が保たれ、最近は若い人たちが空き店舗に新規出店するケースも多いという。昭和を愛するぼくとしては、いつまでも残ってて欲しい風景ですね


◎幻のお店を知る方にやっとたどり着いた!!

 この貝料理の店「浜や」がすでにないことは調べてすぐに分かったが、どこにあったのか、どんなお店だったのかは関係者やゴールデン街の常連に聞いてもまったく分からなかった。
 そんな中、ネットで検索して唯一ヒットしたのがHorikoshimさんのブログ「だいじょうぶだよ」だった。Horikoshimさんはかつて浜やの常連だったそうで、浜やの思い出をブログに詳しく綴っておられた。漫画集団のメンバーでもあるマンガ家の赤塚不二夫に、この店でお酒をおごられたこともあったという。
 さっそくメールで連絡を取ったところ、すぐに返信があり、電話での取材を快諾してくださった。
 Horikoshimさんこと堀越正男さんは現在66歳。IT企業にお勤めの方だった。
 堀越さんによれば浜やがあったのは新宿区役所の斜め前。今は大きなビルがいくつも建ってしまい正確な場所は分からなくなってしまったというが、かつてこのあたりに小さな飲み屋が建ち並んだコの字型の路地があり、浜やはその路地の突き当たり正面近くにあったのだという。


◎オンボロ店舗なのに名店の味!?

 堀越さん、さっそくですが、浜やはどんなお店だったんですか?
 「2階建ての小さなお店でね。姉弟で経営していて店主はお姉さん、弟が板さんをやっていました。
 建物は1階を入って左側に厨房があり、真ん中が6〜7席ほどのカウンター。そのカウンターの後ろを通って奥に階段があり、のぼると2階が6畳と4畳半ほどの座敷になっていました。
 家が古くて建物が傾いていましてね、空いた酒ビンを寝かしておくとゴロゴロと転がってしまうんです。だからここで飲むと早く酔うと言われてましたね(笑)」
 うひゃー、まさに昭和の飲み屋って感じですね。メニューはどんなものが人気だったんでしょうか。
 「これはもう貝料理です。旬のコハダなど魚の刺身も出しますがメインはあくまでも貝料理でした。蛤の酒蒸しが名物で、行くとみんな必ず食べていましたね。あとは「浜鍋」という鍋料理です。蛤の鍋で事前に予約が必要なんですが、これも常連はみんな注文していました。板さんは有名な老舗割烹料亭で修行をされた方でしたから店はオンボロでも味は一流だったんですよ」
 なるほどー、聞いているとよだれが出てきます。


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新宿区役所(左)と、通りをはさんで向かいの浜やがあった路地あたりの風景。隙間なくビルが建ち並んでいてどこに路地があったのかさえもはや分からない。このビル群の真裏がゴールデン街だ


◎閉店パーティでは手塚先生が乾杯の音頭を!!

 引き続き堀越さんにお話をうかがいます。堀越さん、浜やには赤塚不二夫先生以外にもマンガ家さんは来ていましたか?
 「話をしたことはないですが、藤子不二雄A先生はよくいらしていましたね。あと寺田ヒロオ先生もお見かけしたことがあります」
 手塚先生はどうでしょう。
 「お店でお会いしたことはなかったですが、浜やが新宿のお店を閉めるときに常連が集まってパーティを開いたんです。新宿のホテルに200人くらい集まりましてね。そのときに乾杯の音頭を取ったのが手塚治虫先生でした。ただお忙しかったようで、手塚先生はあいさつだけしてすぐに帰られてしまったようです」
 浜やが新宿のお店を閉店したのはいつごろですか?
 「その記憶が曖昧なんですが、おおよそ40年くらい前ですから1970年代の終わりから1980年代の初めごろだったと思います。再開発で立ち退きを迫られて私鉄沿線の別の場所に移ったんですが、数年後に板さんが病気で倒れて、そこも完全に閉じてしまいました」
 堀越さん、貴重なお話をありがとうございました!!
 堀越さんに教えていただいた浜やのあったあたりを歩いてみたが、大きなビルが隙間なく建ち並んでいて、堀越さんが言われたとおり、その路地がどこにあったのかさえも、まったく分からなくなっていた。


◎新宿五丁目に大人のための怪しいお店がある?

 続いてこの旧・三光町周辺を舞台とした手塚マンガがまだあるのでそれらを紹介しながら、このあたりをもう少し歩いてみよう。
 まずひとつ目は1971年に雑誌『漫画サンデー』に掲載された短編『巨人と玩具』。これはドラえもんのひみつ道具の大人版のような超危険な玩具を売るお店が新宿五丁目にあるという設定で始まる風刺マンガだ。
 物語の冒頭にはこのお店の住所まではっきりと書かれている。新宿五丁目25番地の銀行脇。もちろんその住所を当たってみたけどそこに銀行はなく、それらしいお店も見当たらなかった(アタリマエだ)。


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1971年『漫画サンデー』に掲載された『巨人と玩具』。左が初出時のトビラで右が講談社版全集の1ページ目。なぜかタイトル部分にあったイラストがビル街に描き変えられている。お店の住所が番地まで明記されているが、もちろんそんなお店は存在しない。※画像はトビラ絵が『別冊太陽 手塚治虫マンガ大全』(平凡社刊)より引用。本文は講談社版手塚治虫漫画全集『フースケ』より


◎歌舞伎町の裏手にある骨董屋で……。

 そしてもうひとつ、1973年から74年にかけて雑誌『ビッグコミック』に連載された『ばるぼら』には、浜やの西側、歌舞伎町が重要な舞台として登場する。
 この物語の主人公である作家・美倉洋介が新宿駅で出会ったフーテンの少女ばるぼら。この得体の知れないフーテン少女はその後なぜか美倉の家に居着くようになり、彼を翻弄するようになるのだが……。
 このばるぼらのなじみの、これまた超怪しい女主人が経営する骨董屋が「歌舞伎町五丁目15番地の小さな薬屋の隣」にあるという設定なのである。
 残念ながら実際は歌舞伎町は二丁目までしかないけど、歌舞伎町の裏あたりなら、確かにそんなお店があってもおかしくないような気がします。


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靖国通りにある西新宿五丁目交差点はちょうど花園神社の正面だ

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新宿駅東口から西口へ抜けるガード近くの路地のスナップ。『巨人と玩具』に出てくるマドックというお店はこんな感じのお店なのだろうか(写真のお店と手塚マンガは一切関係ありません!)


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『ばるぼら』より、新宿歌舞伎町裏にあるという設定の怪しい骨董屋。美倉がこの店の女店主ムネーモシュネーからもらったピカソの絵は、どうせ贋作だろうと思っていたら、後日鑑定してもらって本物だと判明する。まさかここにある朽ちかけた骨董品はすべてが本物なのか!? 講談社版手塚治虫漫画全集では第145〜146巻『ばるぼら』全2巻に収録されている


◎巨大歓楽街・新宿歌舞伎町の始まりは……

 新宿歌舞伎町が世界でも有数の巨大歓楽街になるきっかけは太平洋戦争の終戦直後にさかのぼる。一面焼け野原となった新宿のこの一角に歌舞伎の劇場を建てて一大娯楽センターにしようという都市計画が持ち上がった。
 結局、資金難などから歌舞伎の誘致は見送られたが、1956年には新宿コマ劇場がオープン。周囲にはまたたく間に歓楽街が広がっていった。現在でもこの地域には飲食店、性風俗店、アダルトショップ、ゲームセンター、ラブホテルなどが密集し、大人のアミューズメントシティになっている。
 映画館の数も一時はかなり多く歌舞伎町は映画街としても知られていたが、1990年代以降に相次いで閉館。1956年にオープンした新宿ミラノ座が昨年2014年12月31日に閉館したことで、歌舞伎町の映画館は一時ゼロになってしまった。だが今年4月、コマ劇場の跡地に新宿東宝ビルが完成。同建物内に12スクリーンを持つシネコン「TOHOシネマズ新宿」がオープンした。


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ムネーモシュネーの骨董屋がありそうな歌舞伎町の裏路地を探索してみた。本文にも書いたように決して治安の良いエリアではないので暗くなってからの探索は控えましょう。それから昼間でもうかつに写真を撮るとトラブルになる可能性もあるので注意!


◎ポン引きにはくれぐれも注意!!

 それにしても歌舞伎町、昼間から怪しいです(笑)。ひとりで歩いていると、どう見てもカタギじゃないラフな服装のおっさんが「ビデオ? 裏あるよ、裏」とかささやきながらすり寄ってくる。こんな人にさんぽの途中で出会ってももちろん話に乗っちゃダメですよ!
 新宿区や住民による浄化作戦のおかげで、ひと昔とくらべるとかなり健全な街になった歌舞伎町ですが、いまだにぼったくられたという話や路上で恐い目に遭ったという話は聞きますので、くれぐれも注意してください。


◎1960年代の終わり、新宿東口を舞台とした事件とは!?

さてそろそろ歌舞伎町を後にして新宿駅方面へと向かおう。
 新宿駅はさっきも紹介したように『ばるぼら』にも出てきていたが、ほかにも新宿駅周辺が舞台となっている作品がいくつかあるので紹介しよう。
 東口駅前の新宿通りは1969年から71年にかけて『サンケイ新聞』に連載された『海のトリトン』(連載時タイトル『青いトリトン』)に登場している。
 主人公トリトンの育ての親である青年・矢崎和也が、やさぐれて新宿の町をうろつくうち、自分の給料を奪った先輩とバッタリ出会う。
 新宿のどこなのか、作中では詳しい場所までは書かれていないんだけど、和也のモノローグに「あの日の新宿は れいの学生のさわぎで 殺気だっていました」とある。
 この「れいの学生のさわぎ」とは何か。これは1968年10月21日にここ新宿駅周辺で起きた暴動事件、いわゆる「新宿騒乱」のことを指している。
 10月21日は国際反戦デーに当たり、1968年のこの日、反戦団体が各地で集会を開いていた。そして新宿では左翼系の過激派集団が角材などで武装し2000人のデモ隊となって東口に集結、機動隊と激しく衝突した。その後、デモ隊はさらに暴徒化し、駅構内にも侵入、電車を壊して炎上させるなど混乱を極めた。
 和也が新宿で先輩たちと出会ったのはまさにこの騒乱が起きた直後のことであり、投石された石が散らばる路上でのことだったので、これは恐らく東口前の新宿通り周辺をイメージしていたとみていいでしょう。
 ちなみにこの新宿騒乱は晩年の作品『ネオ・ファウスト』にも描かれていまして、こちらの絵はハッキリと新宿東口の風景になっています。


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手塚先生が作品の舞台として新宿を多く描いたまさにそのころ、1960年代後半から70年代前半ごろの新宿区の観光案内パンフレットを入手した。左が新宿駅西口の空撮写真で、右が新宿駅東口の全景である。新宿駅西口がこのように整備されたのは1966年で、ロータリー形式になった地下駐車場と、その左右にある竹をスパッと切ったようなデザインの換気塔が特徴的だ。この換気塔、現在は青々とした蔦でびっちりとおおわれている


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『海のトリトン』より、国際反戦デーの日に新宿をうろついていた和也が、大切な給料を奪った先輩たちと出会い、思わず取り出したナイフで……。この作品は新聞に連載されていた作品だったため、旬なニュースが巧みに取り入れられている。講談社版手塚治虫漫画全集では『海のトリトン』全4巻に収録

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1988年、『週刊朝日ジャーナル』に連載された『ネオ・ファウスト』より、1968年10月21日の新宿騒乱を描いた場面。この作品は日本が学生運動で騒然としていた1960年代後半を舞台としているが、残念ながら未完で終わってしまった。講談社版手塚治虫漫画全集では手塚先生の没後に刊行された第4期の『ネオ・ファウスト』全2巻に収録されている


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虫さんぽ当日の新宿駅東口の風景。アルタ前で新宿通りに立ち、新宿三丁目方面を向いて撮った写真だ。左に見える靴店「ABCマート」のある場所が、先のパンフレットで「ワシントン靴店」がある場所だ


◎東口を舞台とした手塚マンガはまだある!

 同じく新宿駅東口周辺が作品に登場するのが1976年から78年にかけて雑誌『ビッグコミック』に連載された『MW(ムウ)』である。主人公の結城美知夫は関都銀行新宿支店に勤めるエリートサラリーマンという設定だ。
 この結城の勤める銀行の外観が、新宿駅東口駅前に建つ三井住友銀行新宿支店ビルのたたずまいとよく似ている。『MW』連載当時は住友銀行だった建物だ。
 マンガにはポールの上に掲げられたデジタル式の街頭時計も描かれているが、かつての住友銀行にも、看板の下に電光式のデジタル時計が付いていた。
 またこの後の場面では、結城が支店長の車に同乗し、新宿駅東口の地下駐車場から出てくる場面が描かれている。その背後にそびえる四角い大きな建物は「新宿ステーションビル」、現在の「ルミネエスト新宿」である。
 ちなみに、この三井住友銀行のビルの向かって左隣2軒目には、現在、巨大街頭ビジョンが掲げられている「新宿アルタ」が建っているが、アルタが完成したのは1979年で、『MW』連載当時、ここには生鮮食品スーパー「二幸食品店」があった(新宿区のパンフレット写真を参照)。


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『MW』より、結城美知夫の勤める関都銀行新宿支店の風景。この銀行も新宿東口駅前に建つ三井住友銀行(旧・住友銀行)の建物をモデルにしたと思われる


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三井住友銀行新宿支店の外観。近く建て替えられる予定だそうで、さんぽ当日は店が完全に閉じられ、看板の文字も白く消されていた

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関都銀行新宿支店が東口にあったという推測のもうひとつの根拠が『MW』のこのシーン。支店長の車が東口の地下駐車場から出てきている。支店長はここで自分の車に結城を同乗させ、さりげなく自分の娘を紹介。結婚への伏線を張っている


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マンガに近いアングルから新宿ステーションビル、すなわち現在のルミネエスト新宿を撮影した。だけどその手前にあるコマのような形の換気塔の横で巨大な樹木が育っていて、マンガとまったく同じアングルからは撮影できなかった


◎新宿西口で若者たちのエネルギーが爆発!!

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『ばるぼら』より、美倉洋介がばるぼらと出会った場面。1960年代の終わりごろ、アメリカのヒッピー文化に影響を受けた日本の若者たちが新宿駅周辺に集まり、現代文明を否定して、シンナーを吸うなどして一日を無為に過ごす姿が見られるようになった。ばるぼらもそんな若者のひとりだったのだろうか

 続いてJRのガード下をくぐって新宿駅西口の地下広場へと向かいます。
 『ばるぼら』で美倉洋介がばるぼらに出会ったのは、絵の雰囲気からして間違いなくこの西口地下広場のどこかだろう。
 さらにここ西口地下広場を舞台とした手塚マンガがもう1作品ある。雑誌『少年サンデー』1969年8月24日号に発表された短編『がらくたの詩』だ。物語の冒頭、無数の若者たちで埋めつくされた新宿西口広場が見開きで描かれている。
 これもまた当時ここで実際にあった出来事をベースとして描かれたものだ。
 1969年4月ごろ、新宿西口広場でベトナム戦争反対を訴える若者たち数人がギターを弾きながら反戦ソングを歌いカンパを募った。やがてこの集まりは急速にふくれあがってゆき、その数は夏前にはついに7000人にまでなっていた。
 フォークによるゲリラ活動。やがてこの西口広場の集会は“フォークゲリラ”と呼ばれるようになった。
 しかし7月18日、東京都は「西口広場」を“広場”ではなく“通路”であるとして若者たちがここに集まることを許さず、機動隊を動員して強制排除してしまった。以後、フォークゲリラ運動は急速に下火となり、わずか半年足らずで幕を閉じたのだった。
 このマンガが掲載された『少年サンデー』の発売日から考えると、手塚先生は恐らくこの強制排除の直後にこの作品を構想し、一気に描き上げたに違いありません。
 


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『がらくたの詩』より、主人公の少年が新宿西口のフォークゲリラを見に来る場面。この後少年は自らもこのフォークゲリラ活動にのめり込んでいくことになるが、皮肉にも少年の兄はそれを制圧する側の機動隊員だったのだ。講談社版手塚治虫漫画全集では『アポロの歌』第3巻に収録されている


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1969年7月に発売されたフォークゲリラの実況録音ソノシート。同年5月に収録されたもので、集会の異様な盛りあがりの様子とともに、若者たちが警察官に強制排除される様子が生々しく録音されている

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さんぽ当日の新宿駅西口地下広場の風景。今はこうして何事もなく人々が行き交うだけの通路だが、1960〜70年代の激動の時代からさらに20年後の1990年代半ば、バブル崩壊直後には、この西口周辺に100人以上のホームレスが集まり、壁際にダンボールハウスがズラリと並んで再び世紀末的な光景が展開していたのだった


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こちらはオマケネタ。左は『ばるぼら』の1カットで右は『MW』のヒトコマ。どちらも似たようなタイル張りの坂道が描かれているが、この道はかつて新宿西口の京王百貨店と新宿駅舎の間にあった新宿南口へと抜ける抜け道をモデルとしたものだろう。『MW』のカットではこの道沿いに関都銀行新宿支店があることになっているので、だとすれば関都銀行新宿支店は京王百貨店の場所にあったことになる???


◎いよいよグルメスポットへGO!!

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手塚先生が大好きだったというラオーバのお店「山珍居」。
営業時間(火-金曜)12:00-14:00、17:00-23時、(土曜)12:00-14:00、17:00-22時、(日曜)17:00-22時、定休日:月曜日、問い合せ:03-3376-0541。
※2015年6月1日から8日まで店内修繕のため臨時休業

 さて新宿駅周辺をぐるぐると歩き回ってけっこうお腹も減ってきました。いよいよ今回の新宿虫さんぽ最後の虫スポットへと向かいましょう!!
 新宿駅西口から青梅街道の一本南側の道を新宿中央公園に沿って西へ徒歩およそ15分。都営地下鉄大江戸線の西新宿五丁目駅からすぐの場所にその虫スポットはある。
 黄色いテントを掲げた台湾料理の店「山珍居」。このお店では、かつて手塚先生が大好物だったという名物料理が、今も当時のままの味で出されているという。
 その料理の名前は“ラオーバ”。んー、呪文のような響きのこの料理、いったいどんな料理なのだーーーっ!?
 さっそくお店におじゃまして店主の黄 善徹(こう ぜんてつ)さんに話をうかがった。
 黄さんは現在69歳。二代目店主として妹さんと共にこのお店を切り盛りされている。


◎日本SF作家クラブはこの店から始まった!!

 黄さん、まずはお店の沿革からお教えいただけますか?
 「私の父がこのお店を開いたのは1947年10月のことです。しかし現在のこの場所ではなく新宿西口の大ガードに近い線路際にありました。当時は5〜6坪ほどの小さなお店でした。
 手塚先生が最初にお店に来られたのはいつごろだったんでしょうか。
 「はっきりとは分かりませんが、最初のお店か次のお店に移ってすぐのころからではないかと思います。
  と言いますのは、1963年3月に日本SF作家クラブが発足して、その第1回会合にうちのお店を使っていただいたんですね。それ以来、小松左京先生や星新一先生などには、ずっとひいきにしていただいていましたので、手塚先生も恐らくそうしたお仲間と来られたのが最初じゃないでしょうか」
 なるほど! 日本SF作家クラブといえば当時の『SFマガジン』編集長・福島正実さんが音頭を取って設立した団体で、小松左京、星新一、石川喬司、半村良、光瀬龍などなど、後に日本SF界の重鎮になるそうそうたるメンバーが名を連ねていたんですよね。手塚先生も会員でしたから確かにそうかも知れません。


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二代目店主の黄善徹さん。突然の取材にも気さくに応じてくださった。料理の味もさることながら、この黄さんの人柄が多くのお客さんを惹きつけるんでしょうね

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明るく清潔な店内。ランチタイムを終えてお店を閉めた時間にうかがったんだけど、その直前まではお客さんがひっきりなしに出入りしていて、てんてこ舞いだったという。お忙しいところおじゃましました!


◎マンガ家の常連さんも多かった!!

 黄さん、手塚先生はいつもおひとりで来られていたんですか?
 「おひとりのときもありましたし、知り合いを連れて来られるときもありました。色紙も2度描いていただいたことがあるんですが、お店に飾っていたら2枚とも盗まれてしまったんです。妹が幼かったころに『女の子だからリボンの騎士を描いてあげよう』と言って描いてもらった色紙には妹がとくに思い入れがあって、それが今も残念でなりません……」
 まったく心ない人がいますね。そんな人は本物の手塚ファンではありませんよ!!
 ところで手塚先生以外にもマンガ家さんは来られていましたか?
   「赤塚不二夫先生はよく来てくださっていました。あとは藤子不二雄A先生とF先生ですね。赤塚不二夫先生は最初どなたか分からなくて、いつも若い方たちを大勢連れていらして親分のようにふるまっておられたので、私は宗教の教祖様か何かかと思っていたんです。
 当時はちょうどタモリがテレビに出始めたころだったんですが、ある日テレビを観ていたら、その教祖様がタモリと一緒にテレビに出てましてね、初めてマンガ家の赤塚不二夫先生だと分かったんです(笑)」
 あはは、確かにあのころの赤塚先生には教祖様的な雰囲気があったかも知れません。


◎いよいよ手塚先生の大好物だったお肉料理が登場!!

虫ん坊 2015年6月号:虫さんぽ 第40回:東京・新宿界隈 SF作家仲間との交流、そして路地裏アラベスク!!

手塚先生が大好きだったというラオーバ(老肉)。今回提供していただいたのはランチタイムメニューの定食で、ごはんと本日のスープ(この日は大根のスープ)が付いて1,300円(以下、価格はすべて税込み)。夜はラオーバ(スープ仕立て、またはあんかけ仕立て、いずれも単品)がそれぞれ1,620円である。ちなみに写真のラオーバだが、本来なら付け合わせはお肉の後ろに配置するものだけど、撮影時にお皿をあえて180度回転させて撮っている。これは写真を撮るときのオススメのアングルだそうで、確かに扇型に広がった肉の形がとても美しく、お肉の厚みもしっかりと分かる絶妙なアングルだ。皆さんもお店に行ってラオーバを注文したら、食べる前にお皿をぐるっと180度回転させて写メってみてはいかがでしょう


 それでは黄さん、ぼくにも手塚先生がお好きだったというラオ、ラオ、えーと……。
 「ラオーバです。漢字では“老肉”と書きますが、豚肉の三枚肉をやわらかく煮込んで醤油で味付けした台湾の定番料理です。うちでは肉をたっぷりのスープに浸したものと、あんかけにしたものの2種類がありますが、最近はランチメニューとして、お昼の時間だけ、あんかけにしたラオーバにライスとスープを付けた定食もお出ししています」
 ではそのラオーバ定食をお願いします!!
 そして待つこと数分。目の前に運ばれてきたのは、金塊のように大きく分厚い肉。そこにとろみのついた餡がかけられ、まさに黄金色に輝いている。


◎あっさりスープとこってりお肉のハーモニー!!

 ナイフが付いていないので、この大きな肉をどうやって食べたらいいのか一瞬戸惑ったけど、試しに箸で切ってみたところ、肉はトロトロにやわらかくて、ふわっと簡単に切ることができた。
 ひと口大に切った肉を口に含むと、最初に餡のあっさりした味わいが来て、次に肉の旨味がじゅわっと広がる。これは美味しいです。
 黄さんによれば、山珍居のラオーバは砂糖を使っていないのがこだわりだそうで、味付けは醤油と香味野菜のみ。このシンプルな味付けによって肉の旨味を引き出し、いくらでも食べられるあっさりとした味に仕上げているんだそうである。
 黄さん、貴重なお話ありがとうございます。それから本当に絶品のラオーバ、ごちそうさまでした!!
 ちなみに山珍居はこの記事が公開される2015年6月1日から8日まで修繕のために臨時休業するそうなので、行ってみようという方はご注意ください。


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手塚治虫先生の長女・るみ子さんのエッセイによれば、こちらも手塚先生が大好きだったという山珍居の名物、エンチャン(煙腸)。

スモークの香りが利いた手作りソーセージで、持ち帰りも可能(1本650円、店内で食べる場合は一皿1190円)。今回はラオーバ定食でお腹いっぱいになったので、ぼくもピータン(1個220円)と一緒にテイクアウトした

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エンチャンを自宅で食べる場合は、スライスしてからフライパンで軽くあぶると美味しいとのことでやってみた。油がほどよく溶けて香りが際立つ。味は意外にも塩味はそれほど強くなく肉の自然な甘味が生きていて、ラオーバと同様、これもいくらでも食べられる味だ。ここで左党な皆さんへの補足情報! ぼくはお酒を飲まないんだけど酒のみな方向けに、ラオーバやエンチャンに合うお酒を黄さんにうかがって来ましたよ。ラオーバやエンチャンの甘味を引き立たせるには黄酒(こうしゅ)という老酒(ラオチュー)の若いやつがいいそうだ。老酒というのは3年以上寝かせて熟成させたものだけど黄酒は3年未満のもので甘味が少なくキリッとした味なんだとか。これらをお店で食べる際にはぜひ黄酒も注文してみてください


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ここ「山珍居」で発足した日本SF作家クラブの面々がゲスト出演している手塚マンガを2作品紹介しよう。左は1967年に『漫画読本』発表された短編『日付け健忘線』。冒頭からいきなり小松左京と星新一が登場、ふたりの珍妙な会話から物語が始まっている。一方、右は1969年から70年にかけて『ビッグコミック』に連載された『I.L』から。SF作家クラブの実質的な初代会長だった『SFマガジン』編集長・福島正実(マンガでは“正美”となっている)、怪獣大図解などで知られる大伴昌司、作家の小松左京、イラストレーターの真鍋博などの面々が並んでそれぞれSFオタク的なセリフを吐いている。講談社版手塚治虫漫画全集では『日付け健忘線』は『雑巾と宝石』に収録、『I.L』は全2巻で収録されている


◎謎はすべて解けた!!

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今回のさんぽのゴールは都営地下鉄大江戸線の西新宿五丁目駅。駅出口の真上がかに道楽になっていて、駅名看板の真上で巨大なカニのオブジェがうごめいている。なかなかシュールな光景だ

 ということで皆さん、今回も暑い中、大都会・新宿さんぽにお付き合いくださいましてありがとうございます。
 60年代から70年代にかけて、手塚マンガに新宿周辺が頻出するようになった理由、それは手塚先生が新宿に行きつけのお店ができてひんぱんに訪れるようになったからだったんですね。
 だけどもちろんそれだけではなく、歌舞伎町周辺や旧・三光町周辺の独特の雰囲気が手塚先生の創作意欲を刺激したということもあるでしょうし、新宿駅周辺が様々な歴史的出来事の舞台となった時代だったということなど、新宿が最も熱い時代だったということも確かなようです。
 それではまた次回のさんぽにもぜひおつきあいくださいねーーーーーーっ!!

(今回の虫さんぽ、4時間37分、5435歩)


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今月のオマケ画像2点。左は『ブラック・ジャック』第236話『B・Jそっくり』より。新宿駅のホームで涙を流しながら立っている少女。B・Jが見とがめた彼女はまさにこれから自殺をしようとしているところだった。そして右は1961年から62年にかけて『少年クラブ』に連載された『ふしぎな少年』より。特にランドマークが描かれているわけではないから絵だけじゃどこだか分からないが、主人公のサブタンが悪漢に襲われるこのシーンは新宿という設定になっている



取材協力/台湾料理 山珍居、堀越正男(ブログ だいじょうぶだよ)(順不同、敬称略)


黒沢哲哉
 1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。手塚マンガとの出合いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番


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