虫ん坊 2010年1月号 トップ投稿特集1特集2オススメデゴンス!コラム編集後記

コラム:手塚マンガあの日あの時 黒沢哲哉 第8回:地上最大のロボットとアトム貯金箱

連載期間17年! その間、ずっと人気トップを走り続けた『鉄腕アトム』。その『アトム』の歴史の中に、史上最高のお正月があったって知ってた!? 今回は、そんな、あるお正月の、あの日あの時をお送りします!!


『アトム』史上最高のお正月!?

『鉄腕アトム』といえば、言うまでもなく手塚治虫の代表作だ。雑誌『少年』の昭和26年4月号から始まった『アトム大使』から数えると17年にわたって続いた大長編だったのだ。

光文社のカッパ・コミクス版『鉄腕アトム』の『地上最大のロボットの巻』上下巻。カッパ・コミクスは表紙に数字が2つあってややこしいけど、これは雑誌扱いだったため。それぞれ昭和40年の5月号と6月号で、通巻番号は右上の第17巻、第18巻となる


  しかもその間、アニメ化されたりお菓子のオマケのアトムシールが大ブームになったりと、常に話題を提供し続け、昭和43年3月号で『少年』が休刊するまで、ずっと人気トップの座を独走し続けた怪物作品だった。
  ということで、アトムは連載中に17回の正月を迎えてるわけだけど、その中でも特別なお正月があったのをご存知だろうか? それは昭和40年1月のことだ。この年の正月は、17年間の『アトム』の歴史の中でも“史上最高のお正月”だったのだ。そして、その史上最高のお正月を知るためのキーワードは3つ。「大団円」「視聴率」「貯金箱」である!!

第1のキーワード「大団円」!

 まずは最初のキーワード「大団円」から読み解いていこう。
  これは、『鉄腕アトム』の中でも最高の人気を誇ったエピソードが昭和40年1月号(発売は39年12月)で堂々の完結を迎えたコトを意味している。
  そのエピソードとは、昭和39年6月号から始まった『史上最大のロボット』の巻(単行本化時『地上最大のロボット』に改題)だ。
  中東の王サルタンが作らせた百万馬力のロボット・プルートゥが、世界に名だたる強豪ロボットを次々と倒していく。プルートゥは、次はどんなロボットと戦うのか!? アトムはプルートゥを倒せるのか!? ぼくらは毎月ハラハラドキドキしながら次号の発売を待った。
  しかも物語の終盤近くなって、プルートゥを上回る二百万馬力のロボット・ボラーが出現! お話は最後の最後までまったく予想のつかない展開になったのだった。
  手塚治虫自身がノリにノって描いている。そんな空気がぼくら読者にもヒシヒシと伝わってくる。『地上最大のロボット』は、そんな多くの人の心に残る大傑作になったのである。そしてそれが、この1月号でついに大団円を迎えたのだ。これは盛り上がらないハズがないでしょう!!

『地上最大のロボット』を収録した朝日ソノラマ版『鉄腕アトム』第3巻(昭和50年7月発行)。ソノラマのこのシリーズは、刊行時に、各巻の冒頭に手塚自身が登場し、当時の思い出を語るシーンが新たに描き下ろされた

第2、第3のキーワード!!

 2つ目のキーワードは「視聴率」! これはもちろんテレビアニメのことだ。
  白黒版『鉄腕アトム』は、国産初のテレビアニメシリーズとして虫プロが製作し、昭和38年1月1日からフジテレビ系で放送が始まった。昭和40年1月は、それからちょうど3年目に突入したところだったが、人気は衰えるどころか、ますます上昇し続けていた。
  そして昭和40年1月25日放送の第56話『地球防衛隊の巻』が、シリーズ最高視聴率40.3%を記録したのだ!!
  2008年に大ブームを巻き起こしたNHKの大河ドラマ『篤姫』の最高視聴率が29.2%だから、当時の『アトム』人気がいかにすごいものだったかが想像できるだろう。

 さて、いよいよ3つ目のキーワード「貯金箱」である!
  まずは、写真のアトム人形をご覧いただきたい。キリッとひきしまった表情で上空を見上げ、両腕に力を込めたポーズは、いままさにジェット噴射で飛び立とうという瞬間なのか、いまにも動き出しそうだ。さらにその真剣な表情と三頭身のぽっちゃりした体系のギャップが何とも愛らしい。
  この人形は高さが12cmほどのソフトビニール製で背中にコイン投入口があり貯金箱になっている。そう、第3のキーワード「貯金箱」とは、このアトム貯金箱のことなのだ!!

大和銀行のアトム貯金箱。後から模造されたコピー品もあるらしいので注意が必要だ!

狙われたお年玉!!

 このアトム貯金箱は、昭和39年ごろに大和銀行(現・りそな銀行)が景品として作ったもので、これをもらうには「アトム積立預金」を契約する必要があった。
  昭和54年発行の『大和銀行六十年史』によると、「アトム積立預金」の取り扱いが始まったのは昭和38年12月20日からだった。
  ただし、このときからアトム貯金箱のプレゼントも始まっていたのかどうか、残念ながらこの『六十年史』には、貯金箱についての記述は何もない。ぼくの記憶では、まだこの時点では貯金箱はなかったように思うのだが……。ちなみに、現在ぼくの手元にある雑誌の中では、昭和39年10月号の『少年』の大和銀行の広告に、初めてこのアトム貯金箱が登場している。

『少年』昭和39年10月号の表紙(左)と、それに掲載された大和銀行の広告。下の方に小さく「アトム ペナントができました<アトム信託>お預入れの方にさしあげます」とある。アトム信託サービスは昭和39年6月1日から始まった


  このコラムを担当する手塚プロのI藤さん(年齢は秘すが若い女性)に、この広告を見せたら、「少年誌に銀行が広告を出してたなんて意外で驚きました」と言われた。確かに今の『少年ジャンプ』や『少年サンデー』に銀行の広告が載ってたら違和感がある。
  だけど当時は、銀行が個人の顧客獲得に必死だった時代で、その狙いは子どもにも向けられていた。子どもの持っているお金……そう、狙われたのは年に1度だけ子どもたちに転がり込むビッグマネー=お年玉だったのである!!
  昭和40年1月4日、ぼくは母親と一緒に隣町の大和銀行へ行き、お年玉千円を貯金して「アトム積立預金」口座を開設した。そして3ヶ月間、ず〜〜〜っと思い続けていたアトム貯金箱をついに手に入れたのだった!!
  このアトム史上最高のお正月に、ぼくと同じようにお年玉を預けた子どもは、恐らく数え切れないほどいたに違いない。その証拠に、今でもこの貯金箱はフリーマーケットやネットオークションでしばしば見かける。そして、それらのひとつひとつにマジックで名前が書かれていたり、個性的な傷や汚れがあったり。当時の子どもたちが、いかにこの貯金箱を愛していたかが想像できるのだ。

上のアトム貯金箱の広告が掲載された『少年』昭和39年10月号では、『史上最大のロボット』がいよいよ佳境に! プルートゥが5人目のロボット・ヘラクレスとの戦いに決着を付ける!(左)。裏表紙は、アトムシールのオマケが入った明治製菓のマーブルチョコの広告。モデルの女の子は、今のこども店長をはるかに超える人気子役だった上原ゆかりちゃん!

キャラクター貯金箱の変遷史

 そもそも、銀行がこうしたソフビ製のマスコット貯金箱を作り始めたのは、昭和30年代の半ばからだった。
  もっとも早いものとして記録に登場するのは、昭和36年に三菱銀行(現・三菱東京UFJ銀行)が作った「ブタのブーちゃん貯金箱」あたりらしい。翌37年には日本勧業銀行(現・みずほ銀行)が「のばらちゃん貯金箱」を、富士銀行(現・みずほ銀行)が「ボクちゃん貯金箱」をデビューさせている。

大和銀行よりひと足早くマスコット貯金箱のサービスを始めた、日本勧業銀行の「のばらちゃん」(左)と、富士銀行の「ボクちゃん」3種。特に富士銀行は貯金箱に積極的で、長期に渡って何十種類ものボクちゃん貯金箱を出していた


  マンガのキャラクターを使用したものでは、昭和37年に三菱信託銀行(現・三菱UFJ信託銀行)が根本進の新聞マンガの主人公『クリちゃん』の貯金箱を出しているが、アニメキャラとしては、大和銀行の「アトム貯金箱」がお初だったのではないか(「違う!」という指摘があったらコメントください)。
  その後、ソフビ製マスコット貯金箱人気は家電メーカーにも広がっていく。
  手塚キャラでは、昭和40年10月から放送が始まった、日本初のカラーテレビアニメ『ジャングル大帝』のスポンサーだった三洋電機が、レオの貯金箱や、手塚治虫デザインのリスのマスコットの貯金箱などを出していた。

三洋電機のレオ貯金箱(左)と、手塚治虫がキャラデザインした、同じく三洋電機のリスの貯金箱。リスは昭和45年大阪万博のサンヨー館のコンパニオンのコスチュームを着ている


  この貯金箱人気は、その後、昭和40年代後半に入るころから次第に下火となっていくが、手塚ファン的には、さらにもうひとつの盛り上がりを見逃してはいけない。

三和銀行のワンサくん貯金箱2種。良く見るとビミョーにポーズが違う。これ以外に20種類以上のバリエーションがあって、コレクターには集めがいがある。またワンサくん以前にも三和銀行には「サンちゃん」というテリヤ犬のマスコット貯金箱があった。犬好きの銀行なのだ

 昭和46年ごろ、手塚治虫が手がけた三和銀行(現・三菱東京UFJ銀行)のマスコットキャラ『ワンサくん』の貯金箱を、同行が出し始めたのである。三和銀行は、ワンサくんを昭和60年ごろまでマスコットとして使用しており、その間に作られた「ワンサくん貯金箱」は何と20数種にものぼっている。
  ちなみにアトムの貯金箱も、後年、ほかの銀行などが入れ替わり立ち替わり作っていて、ぼくが現物を確認したものだけでも以下の種類があった。東邦銀行、山口銀行、北海道銀行、北越銀行、近畿銀行、千葉興業銀行、ユニバーサル証券(現物を持ってないので画像はなし。スマン!!)。


『少年』昭和41年1月号(左)と7月号に掲載された大和銀行の広告。すでに貯金箱の紹介はない。ところでこのアトムの絵、デッサンが微妙におかしく見えるのは、どうやら元の絵を左右反転して使っているためらしい(笑)

そしてあの正月は思い出になった

 口座開設から2年後、ぼくは自転車を買うために口座を解約した。当時、大和銀行は解約すると通帳を返さなければならず、手元には貯金箱だけが残った。
  このアトム貯金箱は、ぼくが書いた本や雑誌の中で、過去に何度も出演してもらっている。そして現在は、友人の経営する「柴又のおもちゃ博物館」に出張中だ。


過去にぼくの「アトム貯金箱」が出演した本。左・『レトロおもちゃ大図鑑』(平成10年宝島社刊・共著)※絶版、右・『ぼくらの60〜70年代宝箱』(平成18年いそっぷ社刊)

 彼(=アトム貯金箱)は、今日もきっと博物館のガラスケースの中で、ほかのマスコット貯金箱たちと一緒に、訪れるお客さんたちの目を楽しませているだろう。もしかしたら「彼」は、現存するアトム貯金箱の中で、もっとも多くの人の目に触れた1体かも知れない。
  たまに博物館へ行って「彼」と再会するとき、ぼくは、あのアトム史上最高のお正月を思い出す。『史上最大のロボット』が堂々の完結を果たした、その余韻にひたりながら、テレビの『鉄腕アトム』を食い入るように見たあのアトムな正月を──。
  ガラスケースの中にひっそりとたたずむアトムくんの視線の先にも、きっと、そんな思い出の数々が浮かんでいるに違いない。

 

参考文献/『大和銀行六十年史』(大和銀行刊)



黒沢哲哉
1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番


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