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ミテ☆ミテ
虫さんぽ 第3回:豊島区南長崎 元トキワ荘周辺・その1-
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東京都心の巨大ターミナル駅・池袋。ここから西武池袋線に乗って1駅。椎名町駅を下りると、池袋とはガラリと雰囲気が変わって、小さな軒を連ねた昭和の香りのする、昔ながらの商店街が広がっています。
その商店街から路地を1本入ったところに、かつて「トキワ荘」という木造モルタル2階建てのアパートがありました。
トキワ荘は1952年(昭和27年)12月に上棟。翌年春に手塚治虫先生が仕事場として入居して、東京でマンガ家として本格的に活動を始める足がかりとなった場所でした。
先生がここで仕事をされていた期間はわずか1年半ほどですが、その後、手塚先生を慕う若いマンガ家の卵たちが数多く住むようになりました。寺田ヒロオ、藤子不二雄(藤子・F・不二雄、藤子不二雄A)、石森章太郎(石ノ森章太郎)、赤塚不二夫、水野英子、よこたとくお……。
やがて彼らはそれぞれが人気マンガ家となり、手塚先生とともに戦後マンガの黄金時代を築き上げていったのです。
彼らの青春は映画やドラマにもなり、トキワ荘はマンガファンの間で伝説のアパートとして知られるようになりました。
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トキワ荘に住んだマンガ家たちがトキワ荘をテーマに描いた競作『トキワ荘物語』の手塚治虫版。 講談社版全集では第274巻『紙の砦』に収録
建物は残念ながら1982年に解体されて今はありませんが、今年2009年4月、地元町会や商店街の要望を受け、豊島区によって、近くの公園に『トキワ荘のヒーローたち』と題した記念碑が建てられました。
今回は、その記念碑と元トキワ荘の周辺を、手塚先生や若きマンガ家たちが暮らした時代に思いを馳せながら、歩いてみたいと思います。
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駅を出ると、ちょうど満開の桜並木が出迎えてくれました。その桜並木を通って拡幅工事中の山手通りを南下し、目白通りを右折。交番のある三叉路を右へ向かうと、一方通行の道路に沿ってふたつの商店街が連なっています。山手通りから交番の少し先までが目白通り二又商店会、その先が南長崎ニコニコ商店街です。
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椎名町駅近くの桜並木。
除幕式の日には、ちょうど満開だった
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ここが今回の散歩道なのですが、まずは商店街の一番奥にあるスエヒロ堂という時計屋さんを訪ねました。ここで出迎えてくださったのが店主の小出幹雄さん(51)です。
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今回、案内をしてくださったスエヒロ堂のご主人・小出幹雄さん(左)と奥様の洋子さん
小出さんはこの土地に生まれ育ち、現在は南長崎ニコニコ商店街のイベント担当として、トキワ荘記念碑の建設にも尽力されたおひとりです。
今回は小出さんに街を案内していただけることになりました。
「この街は私の庭みたいなものですから、まかせてください!」
という小出さんの頼もしいお言葉に足取りも軽く、まずはスエヒロ堂の隣の南長崎花咲公園へと向かいます。
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今年の4月4日、この公園に『トキワ荘のヒーローたち』という立派な記念碑が建立されました。除幕式には、かつてトキワ荘に暮らしたマンガ家の鈴木伸一先生、水野英子先生、よこたとくお先生らが列席。手塚プロからは松谷孝征社長が出席しました。また寺田ヒロオ先生、石ノ森章太郎先生、赤塚不二夫先生のご子息らも出席されて、春の穏やかな陽気の中、とても豪華で盛大なイベントとなりました。
このとき水野英子先生がスピーチの中で、手塚先生が生前「いつかトキワ荘の記念碑が出来たらいいね」とおっしゃっていた、という話をされて「その夢が今日こうして実現したのはとてもうれしい」と語っておられたのが印象的でした。
記念碑は、石の台座にトキワ荘に暮らしたマンガ家たちの自画像とサインが銅版のプレートになって埋め込まれており、その上にブロンズ製のトキワ荘が乗っています。
トキワ荘の玄関脇にはブロンズ製のスクーターが置かれていますが、実はこれは、当時トキワ荘に足しげく通っていたマンガ家のつのだじろう先生のスクーターをイメージしたものなのです。
そのころトキワ荘には、住人以外にも東京在住のマンガ家たちが多く集まってきていて、トキワ荘の仲間たちは、そういう人たちを「通勤組」と呼んでいました。
中でもつのだ先生はトキワ荘へ通うためにわざわざスクーターを購入し、ほとんど毎日のように入りびたっていたため、「家賃を払わない住人」とまで言われていたそうです(笑)。
記念碑のトキワ荘に置かれたスクーターを見ながら、この中ではきっと、今日も仲間たちが集まって熱いマンガ談義を交わしているんだろうなぁ、などと想像すると楽しくなってきます。
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左:散歩当日は、記念碑の周囲に囲いを作る工事中だった
右:4月4日に行なわれた除幕式の様子
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さて、次はいよいよトキワ荘跡地へと向かいます。商店街を東へ200メートルほど戻った左側、路地の角に『トキワ荘跡入り口』という商店街で立てた看板があります。この路地を入って20メートルほど行った突き当りの右手奥に、かつてトキワ荘がありました。
現在、跡地には出版社の建物が建っていて当時の面影はありませんが、小出さんのお話では、路地の正面に立つこの会社の石の門柱は昔からあったそうで、唯一、この門柱に当時の面影を偲ぶことができます。
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トキワ荘解体時の写真。
右下隅に、本文で触れた出版社の石の門柱が見える
(画像提供/永井晴次郎)
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「しかしですね」と小出さん。「実はこっち側はトキワ荘の裏手だったんですよ」
小出さんによると、ぼくらがマンガや写真でよく見るトキワ荘の正面玄関は、この路地のひとつ先の道を左へ曲がったNTT落合電話局の方を向いていたそうです。
ということで、ぼくらもそちら側へ回ってみることにしました。
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右が落合電話局。
左の電柱のあたりがトキワ荘玄関へ向かう入り口があった場所だ
こちらの道にも当時の面影はありませんが、目を閉じて、トキワ荘の姿を思い浮かべてみます。
トキワ荘は、二階に部屋が11室あり、階段を上がってすぐの左側、建物を正面から見て玄関左上の14号室が、手塚先生が入居した部屋でした。しばらくしてその向い側に寺田ヒロオ先生が入居。その後、手塚先生が退出した部屋に、藤子不二雄先生(藤子不二雄A先生と、藤子・F・不二雄先生のおふたり)が引っ越してきたことから、多くの若いマンガ家が集まるようになったのです。
当時の家賃は月三千円。部屋は四畳半でトイレと炊事場は共同。風呂はなく、近くの鶴の湯など当時は何軒もあった銭湯へ、下駄を鳴らして通うのがトキワ荘住人の日課でした。
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左:仕事の忙しくなった赤塚不二夫先生が、トキワ荘のほかに仕事場として借りた紫雲荘
右:トキワ荘の住人も通った鶴の湯は、平成3年ごろ廃業(画像提供/杉山勲)
手塚先生の自伝『ぼくはマンガ家』によると、すきま風がすべての部屋を通り抜けるほどの安普請(やすぶしん)で、向う三軒両隣にどんな客が来たか、夕飯のおかずは何かなどが丸わかりだったといいます。
今の感覚で考えると、学生のひとり暮らしでも敬遠されてしまいそうな質素さですが、当時としては、これでもモダンでおしゃれなアパートであり、地方から上京してきた若者にとっては、ちょっぴり背伸びをした憧れの都会生活だったのです。
さて、次回は虫さんぽ特別企画のため一回とんで、トキワ荘編・後編はさらにそのあとに続きます。後編ではひきつづき小出さんの案内でトキワ荘周辺をもっと詳しく探索しましたのでお楽しみに。グルメ情報もあるよ!!
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トキワ荘関係者が出したトキワ荘の本各種。今回の取材のアンチョコです(笑)
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黒沢哲哉
1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。手塚マンガとの出合いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番
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