2014年10月の『虹のプレリュード』、2014年11月の『ルードウィヒ・B』、2015年1月の『PLUTO』と、このところ手塚治虫原作の舞台化企画が続いていますが、さらに今年4月、主演にEXILEパフォーマー、橘ケンチさん、演出・脚本に徳尾浩司さんを迎えて『ドン・ドラキュラ』の舞台化が決定しました!
※虫ん坊2014年12月号 特集1「『PLUTO』演出・振付 シディ・ラルビ・シェルカウイさん」
※虫ん坊2014年9月号 特集2「ミュージカル『虹のプレリュード』演出 上島雪夫さんインタビュー」
今月は演出・脚本を手がける徳尾浩司さんにお会いし、お話を伺いました。テレビドラマ、舞台で精力的に活躍されている徳尾さん、どんな舞台を見せてくれるのか?! 必読です!
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ドタバタコメディ『ドン・ドラキュラ』が舞台化!!
——今回の舞台化のきっかけを教えてください。
徳尾浩司さん(以下、徳尾):本作のプロデューサーである松田誠さんが、橘ケンチさんを主演にして、何か手塚作品で舞台をやりたい、というアイディアを思いついたのがきっかけと伺っています。
ケンチさんのキャラクターを考えたときに、じゃあ、『ドン・ドラキュラ』はどうか、と。そこで、『ドン・ドラキュラ』が軽妙なコメディ作品ということもあるので、コメディ作品を多くやっていた僕に、お声がけくださったようですね。
——『ドン・ドラキュラ』という作品は以前からご存知でしたか?
徳尾:名前は知っていましたが、読んだことはありませんでした。
今回、お話をいただいた後に、初めて読んでみました。手塚先生にこんな作品もあったとは、知りませんでしたね。
——初めて読んでみて、どんな印象をもたれましたか?
徳尾:コメディだけど、いろいろな問題提起も詰まっていて、深い作品だな、と思いました。
人間VSドラキュラという対立構造があって、でもそれを笑いにしている。しっかりと芯のあるテーマが根底に立っている作品ですよね。
——舞台の雰囲気はどのようなものを思い浮かべていますか?
徳尾:このドラキュラは、一見、正統派のドラキュラのように見えますが、どこか間が抜けていて、人間っぽいところがあります。ドラキュラのイメージを良い意味で裏切っていますよね。そんなところをうまく出せればと思います。
今回は、主演が橘ケンチさんでもありますので、スタイリッシュな雰囲気は持たせたいですね。外見のかっこよさと、主人公ドラキュラの、人が良くて、素直で、ちょっと人間くさいキャラクターの対比で、それぞれを引き立てるようになってくれればと思います。
——原作で、印象に残っているシーンはありますか?
徳尾:ドラキュラが日光に当たって、灰になるシーンがすごく印象的でした。ドラキュラという存在のもろさとか、いろいろなものを象徴させているような気がします。そのくせ、棺おけに入れて、ドラキュラ家に伝わる秘法を使うと、何事もなくよみがえるのも面白いです。舞台にも何らかの方法であのシーンを再現したいですね。
その中でもやっぱり、一番印象に残っているのは進学塾の跡地で子どもたちの幽霊と相打ちで灰になってしまうシーンです。愛娘であるチョコラを助けるために捨て身になるんですよね。チョコラへの愛情を感じる名シーンなので、ぜひあのエピソードは入れたいと思っています。
——チョコラとドラキュラの関係について、気になりますね! 後ほど詳しくうかがうとして、他にはどんなシーンがお気に入りですか?
徳尾:ドラキュラがテレビ局に潜入する話はすごく好きなんです。あのような、巻き込まれ型のエピソードはコメディの定石で、いろいろなアイディアを入れこめて面白いんです。その舞台がテレビというのも、面白いと思います。原作では時代劇の現場にまぎれてしまって大変な目に遭うドラキュラですが、舞台では、ホラーの中に紛れ込んでしまうようなアイディアを考えています。正真正銘の本物のドラキュラなのに、「あれはちょっと、やりすぎててドラキュラっぽくないよね」とか言われちゃう、とか。
僕自身、テレビの仕事もやっていて、現場の空気とかを知っているから、想像もしやすいところもあります。今のテレビ局はセキュリティがすごく厳しいので、あんなふうに部外者が紛れ込むなんてことはないんですけど(笑)。
——先ほど、チョコラのお話が出ましたが、今回の舞台では人間関係もすごく気になりますね。原作にもいろいろ、魅力的なキャラクターがいますが、どんなキャラクターが登場するのか、気になります。
徳尾:ドラキュラとチョコラの父と娘の関係は、丁寧に描きたいと思っています。セリフのやりとりはもちろん、話していないときの空気も大切ですね。父親は娘が心配で、いろいろ口出しをしたいんだけど、娘にとっては、それがうっとうしい。母親と違って、娘としては、「そうじゃないんだよなあ…」っていうところがいっぱいあるんだと思います。
僕にも娘がいますが、もう2歳くらいから「お父さん向こう行ってて!」みたいな感じでしたから。一緒にいられる時間もどうしても、舞台の稽古とかで短くなってしまうせいか、あまり慕われなくて、ちょっとさびしいです。
でも、家で仕事をしているときに、隣で娘がなにかお人形遊びのようなことをしていると、妻から見ると「あなたたち、2人で同じことしてるわね」という感じらしいです。僕、脚本を書くときに声にだして読みながら書くんですよ。娘も一人でお人形相手にぶつぶつ言ってるから、それが良く似ている、って。
黙ってそっぽを向き合っているときの、父と娘の独特な雰囲気をうまく出したいです。僕みたいな父親の立場からも、若い女性が娘として見ても共感できるようなものにするのが、この作品の一つの鍵になると思います。
——ドラキュラには、別れた奥さんがいますね。あのキャラクターは出てきますか?
徳尾:今回の舞台では、父と娘の関係に絞りたかったので、お母さんは出てきません。お母さんがいると、家族のお話になってしまうんですよね。
チョコラとドラキュラの間に立って、諌めたりしてくれる存在は、ドラキュラの従者のイゴールです。チョコラも、イゴールに言われると素直に従ったりしますし、ドラキュラも主従ではありますが、すごくイゴールを信頼していて、イゴールにしかいえないような本音を吐いたりもするんです。
——親子愛以外の関係性としては、ヘルシング教授が重要な位置をしめているようですね。原作のヘルシングは、ぜんぜん怖くなくって、痔もちのおっちょこちょいな性格ですが…
徳尾:やっぱり2人はよきライバルだと思うんですよね。ヘルシングはちょっとマッドサイエンティストのような、イっちゃってるキャラクターで、とんでもないことをするんですよね。今回の舞台ではドラキュラを倒すために、いろいろなキャラクターを動かそうとするキャラクターにしようと思っています。配役の池田鉄洋さんのイメージもありますから、原作よりももっと策士な面を出したいな、と。
——ドラキュラはチョコラの担任の先生・ルーシーに恋心を抱くという設定なんですね。父娘関係、敵対関係にさらに恋愛要素が入るんですね。
徳尾:ルーシーは、原作の元レディースの担任の先生が印象深いキャラクターだったので、登場させました。ドラキュラがラストで好きになる歯医者の先生よりも、先生のほうがキャラクターが立っているな、と思ったので。ルーシーを好きになることで、ドラキュラの中の人間不信が解消されていくんですね。
一方、ドラキュラをしつこく追っかける、ブスキャラ設定のブロンダも大好きなキャラクターです。チョコラたちの学校の人でもないし、ヘルシング陣営の人物というわけでもなく、ましてテレビ局の関係の人でもない、他の人物とは全く違う世界の人物なのですが、嵐のようにやってきて、わーっと引っ掻き回して、また去ってゆく異質なキャラ、というような面白さは是非舞台にも加えたいです。
でも、ブロンダも彼女なりのいろいろな思いを抱えていると思っていて、そんなブロンダの「心の中」もちょっと描ければいいですね。
——徳尾さんが舞台の世界に入ったきっかけは何でしたか?
徳尾:高校のときの文化祭で、クラスで演劇をやる、ということになったときに、担任の先生に「おまえ、脚本書いてみない?」といわれたのがきっかけですね。特に明るいわけでもなく、友達が多いわけでもなく、教室の隅でぼんやりしていたので、先生としてはなにか役割を与えよう、くらいの軽い気持ちだったんだと思うんですけれども。
そのとき、クラスのみんなで一つの劇を作り上げる楽しさに気づいて、なんとなくそれをずっと引きずっています。
——では、その後はずっと脚本家とか、演出家を目指してこられたのですか?
徳尾:それがそうでもなくて、ぽつり、ぽつりと人生の節々でなんとなく演劇のことを思い出す、という感じで。大学も理系で、理工学部の数理学科でしたし。
——そういえばテレビの「御手洗ゼミの理系な日常」という作品は、理系ゼミのお話でしたね。
徳尾:僕にしてみると大学は入学はしたものの寄り道のような感じで、数理学科というのは、テストさえちゃんと受けていれば単位はまあ取れるので、授業に出ても難しくてついていくのが大変というのでサボりがちになって。学生のころも劇団にいましたから、そちらばかりに熱を入れていました。
社会人になってすぐに「とくお組」という劇団を立ち上げて、いっぽうでサラリーマンもやって、という二足のわらじで来ていましたが、だんだん両立が難しくなって、5年間で会社のほうは辞めました。会社の人は、「いつ劇団をあきらめるんだ?」って言ってましたけど。
——数理学科の勉強も作品に生かされているのではありませんか?
徳尾:確かに、演劇やドラマの脚本を考えるときも、人間同士のつながりなどを論理的に考えるのは好きですね。でも、ここが人間の面白いところですが、いくら論理的に「ここでこの人と恋に落ちるはず」と考えておいても、書いていくとそうはならなかったりするんです。いやあ、人間の心の機微は難しいですよ。論理で簡単に割り切れないので。
——脚本を書きつづけるために、何か工夫をしていることはありますか?
徳尾:リアリティのあるセリフを心がけていますので、先ほどもちょっと話しましたが、セリフは必ず声に出して読みながら書いていきます。そうすることで、集中力が削がれるのも防げるんです。会話を声に出していると、どうしても続けたくなるんですよね。不思議なことに。
それから、配役が決まっている状態で脚本を書くときは、その人に会えるのであれば会っておきます。話し方とか、しぐさのクセとか、声のトーンとかは、キャラクター作りにすごく参考になるんですよね。会えない場合でも出演作品のDVDなどをあさってみたり、テレビに出ているシーンを探したり…。大変なのは、たとえばグラビアアイドルみたいな、写真などでしか顔を見たことのない方の場合です。インタビューとか、コメンタリーとか、何でもいいからとにかく動いている姿を見せてくれー! ってなります。
アイディアの収集には、僕は、ファミレスとか、喫茶店などの外で仕事をすることも多いんですけど、そういうところで近くの席に座っている人の会話をこっそり盗み聞きするのも、結構いいんです。よく見ていると、ファミレスっていろんな人が悲喜こもごも、いろんなシチュエーションに陥ってるんですよね。家族連れ、カップル、友達同士とか。上司と部下の二人連れとか。説教されてるのとかははたから見てると面白いです。
あとは…、自分で言われてむかついたこととかは覚えておくようにしますね。いやな奴を出すときの資料として(笑)。
そういうストックをいっぱい持っておくと、観客の方にも「あるある」と思っていただけるようなものが書けるんですよね。
——脚本家・徳尾浩司として、手塚作品の中から特にすごい! と思うものを教えてください。
徳尾:子どものころに読んだんですが、『火の鳥』の太陽編です。あれには衝撃を受けました。7世紀の日本と、21世紀の未来の世界が行ったり来たりする、なんて、設定からしてスケールが大きすぎて。時代劇とSFの両方を一つの作品にしちゃうなんて、誰も考え付きませんよ。あの作品は本当に、子どものころに読めてよかったなあ、と思った作品です。大きなスケールの世界観の中で、でも、人間が織り成すドラマはどんな時代でも共通の普遍的なもの、という構成の仕方には、かなり影響を受けたと思います。
——もし、手塚治虫に今会えるとしたら、何か聞いてみたいことはありますか?
徳尾:ええーっ!? 難しい質問ですね……。……そうですね、僕らの常識からすると、手塚先生って、インプットの時間なんてなさそうなくらい、すごい勢いで表現をアウトプットしてますよね。蛇口でたとえると、ずうっと全開、みたいな感じで……。いったいどうして、そんなことができるのか、を聞いてみたいです。デビュー前にインプットしたものをそのままずっと生かされているのか、何か描くべきものの核をつかまれていて、それがあるから描きたいものがどんどん溢れてくるのか…。ぜひ知りたいですね。
——では、最後に舞台『ドン・ドラキュラ』を楽しみにしている方々にメッセージをお願いします。
徳尾:原作の『ドン・ドラキュラ』の面白さはもちろん、ケンチさんが見せるドラキュラ像は、こういう人いそうだな、と思ってもらえるドラキュラになると思います。かっこいいけど、あたたかい物語になりますので、楽しみにしていてください。
——ありがとうございました!