手塚治虫のマンガには数多くの、そして多種多様な動物が登場しています。しかも彼らは単なる脇役ではなくて物語の展開に欠かせないキャラクターとして人間の登場人物たちと対等に渡り合っているのです。今回はそんな手塚マンガの動物キャラの中からネコとイヌにスポットを当ててみました。果たして手塚は“イヌ派”? それとも“ネコ派”? その疑問にも今回ついに決着が付く!!……かも知れません。
ペット愛好家の間で恐らく永遠に決着の付かない論争がある。犬と猫、どちらが可愛いくてペットとして優れているかという論争だ。外野からすれば「どっちもそれぞれ魅力がある」で良さそうなもんだけど、イヌ派もネコ派もそこはお互いに絶対に譲れないようで、飲み会の席などで自分の飼っているペットの話になり、相手が自分の派閥に属していない人間と分かると、何とかして相手を言い負かそうとして議論は果てしなく熱くなるのである。
では手塚治虫はイヌ派だったのかネコ派だったのか。その作品歴を振り返ってみると初期作品から晩年の作品まで、イヌもネコもじつに多くの物語の中でそれぞれが重要な役割を演じている。
だけどさらに個々の作品をたんねんに見ていくと、イヌとネコ、それぞれの扱われ方や描かれ方にはかなり違いがあることが分かってきた。さっそくそれらの作品のいくつかを、時代を追って見ていこう。
1947年、手塚治虫が酒井七馬との合作で出した初の単行本『新寶島』には主人公ピート少年の相棒として、一緒に宝探しの冒険旅行をする子犬が出てくる。この犬はピートと船長のために、大海原を漂流するイカダの上で食料の魚を捕ったり、密林では樹上に潜む大蛇がいることをピートに知らせたりと大活躍している。
この作品は手塚の単独作品ではなかったために長く再刊されず、1984年に講談社版手塚治虫漫画全集に収録した際には、手塚自身が最初に描いた、酒井の手が加わる前の草稿を思い出しながら描き起こしたセルフリメイク作品が収録されたのだ。
その講談社版手塚治虫漫画全集『新宝島』のあとがきを読むと、手塚が最初からこの子犬のキャラクターについてかなりこだわっていた様子がうかがえる。以下、そのあとがきから。
「冒頭の犬を助けるくだりは、構図こそちがっていますが草稿にもどしました。中には犬のギャグや重要なアクションがあったのですが、すっかり割愛されており、思い出せたのは渓流にのまれたピートを、命綱をくわえて助けにいくところです。原本ではその命綱が消されてしまっています」
また手塚は、当時の単行本では割愛されてしまったラストの夢オチも復活させることにした。
「とにかく『新宝島』も夢オチにもどそうと思いました。が、この部分は、どうも草稿の内容が思い出せません。たしか犬が夢だったことをピートに告げて去っていくのですが、どうやって告げたかが記憶にないのです。ですから今回、この部分だけは全く新しくアイディアをつくりかきなおしました。つまり、かきおろしです。
ぼくは、この犬をピーターパンに仕立てあげました。ピーターパンは永遠の子どもで、架空の国へウェンディたちを案内します。それをもじって、『新宝島』では海賊や人食い人種のいる架空の島へ、ピート少年をいざなう狂言まわしが犬だというわけです。犬の正体が実は妖精で、パンという名前……というのももじりです」
主人公と共に波瀾万丈の冒険をする相棒にふさわしいのは、やっぱりだんぜん猫より犬ということにはみなさん同意していただけることと思います。
さらにもうひとつ、手塚は『新寶島』の4年後にも子犬が主人公を助けて大活躍する冒険物語を描いている。1951年から53年にかけて雑誌『冒険王』に連載された『冒険狂時代』だ。
時代は19世紀半ば、日本では幕末のころ、日本人の侍・嵐凧之助が密書を携えてヨーロッパを旅していた。ところが船が海賊に襲われて座礁、凧之助と共に救命ボートに乗り合わせた中に1匹の子犬がいた。
誰もその犬の名前を知らなかったので「ポチ・白・ペス・犬」といい加減に名付けられた子犬は、その後、凧之助を助けながら様々な国を巡ることになる。
犬が人間にとって信頼すべきかけがえのない相棒になるという構図は、後でもまたいろいろな作品を紹介するけど、手塚のお気に入りの設定だったようだ。
ちなみにこの作品は手塚が中学時代に描いた習作『オヤヂの宝島』が下敷きになっている。2009年3月に小学館クリエイティブより『新寶島』豪華限定版の付録として初刊行されたその単行本 を見ると、やはりそこにも聡明な白犬が登場していて、主人公のヒゲオヤジを助けて大活躍しておりました。
こうして見てくると手塚はもう“イヌ派”と言い切ってしまって問題なさそうだけど、それはまだ早計というものです。同じ時代に手塚マンガの中で猫はどのように描かれていたのかを見てみよう。
1952年に雑誌『少女クラブ』に発表された絵物語『おかあさんの足』は、探検家の飼い主とともにジャングルへ行った母猫と数匹の子猫のお話だ。
探検家がジャングルを去る時、飛行機に乗せる荷物が重量制限を1kgだけ超過してしまう。そこで探検家は子猫を1匹置き去りにしようとするのだが、母猫はそれを阻止するために自分自身を犠牲にした思い切った行動に出る!
ゆるやかで大きな曲線で描かれた母猫の姿には、子猫たちを絶対に守るという強さと優美なやさしさがあふれている。一方、子猫たちのよちよちとしたあどけない仕草にも猫をじっくり観察していなければ描けない愛情のこもったリアリティが感じられる。
手塚は気に入ったお話は何度もリメイクしたりアイディアを再利用したりするが、このお話も、5年後の1957年に同じ『おかあさんの足』というタイトルで、お話の展開も落ちもほぼ同じ3ページの短編マンガとして再発表している。
悲劇が一転してハッピーエンドへと変わる絶妙な物語構成も含めて、猫ファンなら誰もが納得していただける傑作猫マンガである。
ここで再び犬マンガに焦点を戻し、1950年代半ばから70年代までの作品に登場した犬たちをいくつか続けて紹介しよう。どの犬も『新宝島』のパンの血統を受け継いだ、主人公の信頼すべき相棒たちであり、中には少年誌の連載で堂々と主役を張った犬もいる。
1954年から55年にかけて雑誌『おもしろブック』に連載された『ワンダーくん』は、タイトルだけを聞くとヒーローマンガかと思うけどさにあらず。東京湾に浮かぶ無人島で野良犬たちと一緒に暮らすホームレス少年が主人公のお話だ。“ワンダー”は英語の“驚異”とか“奇跡”という意味のWonderではなく犬のワンなのである。
ワンダーくんは島で犬たちと共に平和に暮らしていたが、やがてその島一帯に原子力工場を建設するという話が持ち上がる。そしてワンダーくんと犬たちは大人たちの汚い欲望の渦に巻き込まれていくことになる。
島では洋服も着ないで裸で生活していたワンダーくんだったが、大人と対等に渡り合うために犬のマスクをかぶり「紋手 栗須人(もんて くりすと)」と名乗って行動を開始する。
この作品では犬は犬らしく描かれていて擬人化は最小限に抑えられているが、もの言わぬ犬たちの代弁者として行動するワンダーくんは饒舌で行動的だ。ワンダーくんの活躍で、果たして島に平和は戻るのか!?
『ワンダーくん』の10年後、1966年から67年にかけて雑誌『少年ブック』に発表された『フライング・ベン』では、犬がついに少年マンガの主役に躍り出た。
古代ローマの霊水によって人間並みの知力を得たベン、ウル、プチの3匹の犬。彼らは命の恩人である矢野徹の遺言に従い、その息子・正の相棒になる。
中でもシェパード犬に良く似たベンは正義感が強く、行動力も抜群で見た目も精悍。伴俊作やフーラ博士など、手塚マンガのレギュラーキャラと対峙しても一歩も退かない堂々とした演技を見せている。
むしろ人間側の主人公である矢野正の方がじみなキャラなので、ともするとベンの影に霞んでしまいがちだ。
1972年、新「ライオンブックスシリーズ」の1作品として『週刊少年ジャンプ』に3回に分けて掲載されたのが『ミューズとドン』だ。
エジプトのダム建設現場で古代神殿の遺跡が発掘され、それを移築しようとしたところ、怪現象が続発する。人間たちにその幻覚を見せていたのは、妖術を使う謎の豹・ミューズだった。ミューズを倒すべく選りすぐりの猛犬が集められ、その中に日本人青年・永野正(ただす)が飼っている愛犬・ドンがいた。
このドンも『フライング・ベン』のベンと同様に、飼い主である正の思惑とはまったく別に自分の意志で行動し、堂々と主役を張っている。この行動力はまさに犬ならではのものだろう。
1950〜70年代初頭にかけて、手塚がこうして犬をヒーローとして活躍させるマンガを多く描いた背景には、当時の犬ブームも少なからず影響していたと思われる。
終戦後、1950年代から60年代にかけて日本でテレビが普及し始めたころ、アメリカから名犬が登場する子ども向けドラマが多数入ってきた。
コリー犬のラッシーが主役の『名犬ラッシー』は1957年に当時のKRテレビ(現・TBS)で放送が始まった。騎兵隊のアイドル的な存在の犬リンチンチンが活躍する『名犬リンチンチン』は日本テレビで1956年から放送開始。そして1963年に日本テレビで放送開始された『名犬ロンドン』はシェパード犬が1匹で旅をするという異色の物語だった。
1959年から60年にかけて放送された日本のテレビドラマ『少年ジェット』(フジテレビ)にもシェーンというシェパード犬が登場し、主人公ジェットの相棒として重要な役割を演じていた。
日本の経済がどんどん上向いていた時代、犬を飼う家はどんどん増えていた。東京の葛飾区にある我が家の近所でも、当時は4〜5軒おきに犬を飼う家があり、前を通るたびに激しく吠えられて恐かった記憶がある。
一方、同じ時代に猫ブームはあったのかというと調べてもあまり出てこないし、ぼくの記憶でもブームがあった覚えはない。
当時は今のように猫の気ままで気まぐれなところが魅力であるとか、あのもふもふな感触がたまらないとか、肉球のプニプニ感が好きであるとかいった猫ファンの意見が表に出てくることはほとんどなかった。むしろ残飯にかつおぶしをぶっかけたネコメシを与えておけば後はほとんど世話をしなくていいので手がかからず、お年寄りが飼っている、という印象が強かったのだ。
いや、待ってください。ひとつだけ猫を主役にしたブームがありました! 1953年から57年ごろにかけての「化け猫映画」ブームです。
化け猫映画は戦前の大映の人気シリーズで“元祖化け猫女優”と呼ばれた鈴木澄子の主演で何本もの化け猫映画が作られた。
そのブームよもう一度ということで1953年に大映が公開した入江たか子主演の『怪談佐賀屋敷』が当たったことから化け猫映画が続々と作られるようになったのだ。
そんな化け猫映画のブームを意識したと思われる手塚の猫マンガをいくつかご紹介しよう。
『鉄腕アトム』の一エピソードとして1953年に発表された「赤いネコの巻」は、武蔵野の森を愛し、森が開発によって荒らされることを憂えたY教授が、動物たちを操って反乱を起こすというお話だ。Y教授はチリという赤猫を飼っており、自身もまたその赤猫に扮して人間たちにたびたび武蔵野の森を破壊しないようたびたび警告を発する。だが人間たちがそれを聞き入れることはなく、教授はついに実力行使に出る!!
『ワンダーくん』では主人公の少年が大人たちと交渉する際に犬のマスクをかぶったが、この話ではY教授は猫のマスクをかぶる。物語全体の雰囲気もスリラー仕立てのちょっぴり恐い演出になっていて、化け猫映画もそこのけの化け猫ミステリーマンガになっている。
1956年におもしろブック版「ライオンブックス」シリーズの1作として発表されたのが読み切り短編『緑の猫』である。
物語は高度な知能を持った緑の猫・グリーンを巡って様々な人間の欲望が交差するSF犯罪サスペンスで、猫の得体の知れない不気味さが強調されているところなどは日本の化け猫映画そのままである。ただしこの作品の場合は話の舞台が日本に留まらずアメリカからヨーロッパにまで広がっており、何ともバタくさい化け猫マンガになっているところが手塚マンガらしい。
1969年に「空気の底」シリーズの1編として発表された短編『猫の血』には、化け猫映画そのものが作中に出てくる。
主人公の「私」は映画の配給会社に勤めており映画館にフィルムを届ける仕事をしていた。その仕事でたびたび訪れるとある小村。その村の映画館ではなぜか化け猫映画が好まれ、観客たちの映画を見る熱心さにも異常なものがあった。やがて「私」はその村の娘を嫁にもらい東京で生活を始めたのだが……。
化け猫伝説を当時の現代に当てはめて描いた風刺短編であるが、このマンガの見所は何といっても「私」が嫁にもらった村娘の猫そのものの性質でしょうね。
現代の猫ブームとは雰囲気が違うけど、キャラクターとしての猫がブームになったことは過去に何度かあった。
例えばマンガ家の赤塚不二夫は猫が大好きで自身も「菊千代」という猫を飼っており、マンガにも数多くの猫を登場させていた猫好きマンガ家の代表だ。その赤塚が1967年に雑誌『週刊少年サンデー』に連載したマンガ『もーれつア太郎』に登場させた「ニャロメ」という猫は、本音をズバズバと言うアクの強いキャラクターとしてたちまち人気猫になった。
猫に暴走族風コスチュームをさせて写真を撮ったポスターや免許証風ブロマイドが突発的に大流行したのは1980年のことだ。「なめんなよ」というキャッチフレーズから略して「なめ猫」と呼ばれた写真を部屋に飾ったり、キーホルダーをカバンにぶら下げたりするのが男女問わず流行となった。
1974年にデビューしたサンリオの女児向けキャラクター「ハローキティ」のキティちゃんは年齢問わず女の子の心をとらえ、たちまちブームとなった。以来、現代にいたるまで変わらぬ人気を保っている猫キャラクターの代表選手である。2015年からは同じ猫仲間同士ということで(?)ドラえもんとコラボした新商品シリーズ「DORAEMON × HELLO KITTY」を展開するなど、さらなる発展を続けている。
そしてそのキティちゃんのサンリオが1976年に出版した雑誌『リリカ』に手塚が創刊号から連載したのがユニコーンの子どもが主人公のオールカラーマンガ『ユニコ』だ。
このマンガには「チャオ」という名前の子猫が登場する。飼い主に家を追い出されて野良猫となったチャオは魔法使いに弟子入りするのが夢である。
キティちゃんの本丸であえて手塚が描いたファンタジー猫は気まぐれでわがままで、ユニコに心配をかけてばかりのおじゃまキャラだが、そこも含めてなぜか憎めないところが、現代の猫ブームの中でも立派に通用する萌え具合ではなかろうか。これは相当に猫を観察し愛していないと描けないものだと思われる。
ということでいろいろと具体例を挙げてきたのでここらで結論を出そうと思う。手塚治虫はイヌ派だったのかネコ派だったのか。
まずは手塚自身の証言から。手塚は講談社版手塚治虫漫画全集『フライング・ベン』のあとがきに次のように書いている。
「ぼくは犬が大好きで、どんなにほえつく犬でもニコニコして応対してやりますが、ベンにはぼくの犬への思いがこめてあります。ウルも大好きな性格です。それにくらべてプチは、いくらか通り一ぺんの犬になってしまいました」
“通り一ぺんの犬”と表現するあたりが犬に対する思い入れの強さが見え隠れして、やっぱり手塚はイヌ派だ、と思えてくるけど結論はまだ早い。手塚の長女・るみ子さんにメールでお尋ねしたところ、次のようなお返事をいただいた。
「宝塚で猫を飼ってたこともあり、もっとも身近な動物として観察もしていたでしょうから猫派か犬派かといえば、おそらく手塚は猫派じゃないかと推測します」
その手塚るみ子さんが2003年に秋田書店から刊行された『手塚治虫アンソロジー 猫傑作選』の巻末には次のような一文を寄せている。
「その昔、父の育った宝塚の家には何匹かの猫が飼われていたそうな。手塚家が引っ越す際に、そのうちの2匹だけを連れてきたのだが、それが私の知るところの手塚家の最初のニャンコ、「ムック」と「チロ」であった」
ただこの2匹の猫は、るみ子さんによれば、手塚の仕事関係の人々がひっきりなしに出入りする都会の手塚家の生活になじめなかったようで、るみ子さんの祖母、つまり手塚の母の部屋にずっと引きこもっており、ひっそりと死んでしまったという。そのためか手塚家でその後猫を飼うことは二度となかった。
一方、同じ2003年に刊行された『手塚治虫アンソロジー 犬傑作選』の巻末にも手塚るみ子さんは、手塚治虫の次のようなエピソードを紹介している。
「動物好きの父は(中略)どんな犬にも精一杯の愛情を示した。ところが犬の方ではそれほどでもないようで、いつだったか寺の境内にいた犬を撫でようとして、思い切りガブリとやられたことがあった。さすがに父もその時ばかりは犬に腹を立てていたが、だからといってその後『犬ギライ』になることもなく、むしろ馴れ馴れしくする自分の態度を反省していたようだ」
そんな手塚家で犬を飼ったのは、るみ子さんによれば、手塚が病気で入院した1988年が初めてだったという。家が物騒だからとるみ子さんのお母様、つまり手塚の奥さんである悦子さんがコリーを飼い始めた。茶色い毛並から「カプチーノ」と名付けられ、手塚が亡くなって数年後に癌でなくなったとのことだ。
もうこうなってくると手塚はイヌ派だったのかネコ派だったのか、まったく分からなくなってくる。
そこでふと思い当たるのが、手塚のある名言だ。手塚は仕事ではマンガとアニメの二足のわらじを生涯履き続けた。マンガで稼いだお金を湯水のようにつぎ込みアニメを作っては膨大な赤字を作った。一時は虫プロが倒産し、家も財産も全て失って、マンガの著作権さえも全て失いそうなピンチに陥った。
しかしそこから再びヒット作を連発してマンガ界に返り咲くと、また懲りずにアニメの制作を始めた。
そんな中で手塚がマスコミに対してたびたび口にしていたのがこの言葉だった。
「マンガは本妻、アニメは愛人」
この言葉をぼく的に解釈すると、愛人に喩えられたアニメは「ものすごく魅力的な女性なんだけど、彼女を自分のものにしておくには相当なお金がかかり、そのくせわがままで気まぐれで、なかなか自分になつくことはなく、もしかしたら自分を破滅に追いやってしまうかも知れない、ものすごく危険な存在」ということか。一方、本妻であるマンガは「自分の夢を心から応援してくれていて、いつもわがままを許してくれ、時には傷ついた自分をやさしく癒やしてくれる、そんな果てしなく大きくて、自分にとってなくてはならない存在」となるだろうか。
そしてここでふと思うのは、もしかしたらこの言葉は手塚の犬と猫に対する愛情表現にもそのまま当てはまるのではないかということだ。
手塚るみ子さんが前出の『犬傑作選』の巻末に寄せた文章から再び引用しよう。
「犬の健気さ・誠実さ・忠誠心は父にとって特に評価している部分である。だから漫画に登場する犬キャラは、大概にしてヒーロー然と描かれる。ヒーロー=つまりはりりしく勇敢な男性的イメージをもつ犬に対して、猫はしたたかでミステリアスでエキゾチックな魔性のオンナ風に描かれる。この犬と猫の両局イメージは人間の登場キャラクターそのものにも応用されていて、たとえば『リボンの騎士』のサファイアは女性でもイヌ気質のキャラであり、対して同じ女性のヘケートはまるきりネコ気質にある(作中でも猫に化ける)。犬も猫も単なるケモノとして見るのではなく、つねに人間っぽく感じていた父、そんな手塚治虫だからこそ、たとえ動物を主人公にした作品であれ、その物語は素晴らしいヒューマンドラマとして、私たちに多くの感動と共感を与えることが出来るのだろう」
手塚は、犬と猫それぞれ異なる気質にそれぞれの魅力を感じていたと見る、るみ子さんの意見にはまったく同感だ。
そしてそれはここで紹介した手塚の犬マンガと猫マンガ(のごく一部ですが)を見てきてくださった皆さんにもご納得いただけるのではないでしょうか。
もっともっと手塚の犬マンガと猫マンガを読みたいという人向けにおすすめリストを最後に付けましたので、興味のある方はぜひ原典に当たってみてください。
ところで最後に、手塚マンガの中でずっとヒーローを演じてきた犬に代わって、猫がヒーローとして主役を張った希少な手塚マンガを紹介して今回のコラムを終わりたいと思います。
アトムとTOM☆CATをくっつけて『アトムキャット』というのは、いかにもパッと思いついたダジャレがまず最初にあって筋は後から考えたという安易な印象を受けるけど、じつはふざけているのはタイトルだけで、手塚自身はこの作品にかなり本気で取り組んでいた。
というのは1985年の冬か86年の春ごろに開かれた手塚ファンの集まりでのことだ。壇上に上がった手塚先生はぼくらファンに向かって近々描く予定だという新作マンガの構想を語り始めた。記憶を元に採録風に紹介してみると、それはおおよそこんな感じの内容だった。
「ぼくはね、今度描くマンガでアトムを復活させようと思ってるんです。といってもロボットのアトムをそのまま描くわけじゃないんです。猫がね、アトムみたいなスーパーマンみたいになって活躍するお話なの。タイトルももう決めてあってね、『アトムキャット』って言うんです」
ここで会場は笑いに包まれた。バンドの「TOM☆CAT」は当時大人気だったから、手塚先生の冗談にまんまとはめられたと思ったのだ。
ところが手塚はすぐに口を尖らせて、ややむきになりながらこう続けた。
「いやいや冗談じゃないんです。本当に描こうと思ってるの。その猫はね、空も飛べるし力も10万馬力あるというスーパーキャットなんです。それがね、いじめっこなんかをバンバンやっつけるの。発表されたらね、ぜひ皆さん読んでください」
手塚がここまで言っても、ぼくを含めて、多くの人が、このマンガが実際に描かれるとは思っていなかった。それが単なるジョークではなく本気だったとしても、手塚にはいま抱えている連載が何本もあり、今さらわざわざアトムをネコにして描くなんてそんな余裕があるはずないと思っていたからだ。
ところが、それからおよそ半年後、世界文化社から創刊された新雑誌『ニコニココミック』で『アトムキャット』の連載は始まった。
そこにはあのとき手塚が楽しそうに語っていたお話そのままに、猫のスーパーヒーローアトムキャットがアトムのような大活躍をしていたのだ。犬と猫のドラマを無数に描いてきた手塚が最後に描いた動物マンガ。それは猫が画面狭しと飛び回るヒーローマンガだったのである。
それではまた、次回のコラムにもおつきあいください!!
・「お母さんの足」 1957
(手塚治虫漫画全集382巻『とんから谷物語』収録)
・鉄腕アトム 「赤いネコの巻」 1953
(手塚治虫漫画全集221巻『鉄腕アトム1』収録)
・ライオンブックスシリーズ 「緑の猫」 1956
(手塚治虫漫画全集275巻『ライオンブックス6』収録)
・チッポくんこんにちは 1957
(手塚治虫漫画全集317巻『チッポくんこんにちは』収録)
・「よろめき動物記」 第17話「猫」 1964-65
(手塚治虫漫画全集95巻『鳥人大系2』収録)
・空気の底シリーズ 「猫の血」 1969
(手塚治虫漫画全集264巻『空気の底』収録)
「ネコと庄造と」 1975
(手塚治虫漫画全集157巻『ブラック・ジャック7』収録)
「されどいつわりの日々」
(手塚治虫漫画全集164巻『ブラック・ジャック14』収録)
「望郷」 1976
(手塚治虫漫画全集366巻『ブラック・ジャック19』収録)
「オペの順番」
(手塚治虫漫画全集371巻『ブラック・ジャック22』収録)
・「二人のショーグン」 1979
(手塚治虫漫画全集125巻『タイガーブックス5』収録)
・マコとルミとチイ 「その11 ゴキブリネコ」 1979
(手塚治虫漫画全集273巻『マコとルミとチイ』収録P125〜)
・アトムキャット 1986-87
(手塚治虫漫画全集309巻『アトムキャット』収録)
「ACT.3 」 1986
(手塚治虫漫画全集354巻『ミッドナイト1』収録P57〜)
「ACT.51 」 1987
(手塚治虫漫画全集巻358巻『ミッドナイト5』収録P25〜、「ACT.2」に該当)
・冒険狂時代 1951-53
(手塚治虫漫画全集40巻『冒険狂時代』収録)
・「ワン公月へ行く」 1952
(『手塚治虫文庫全集 手塚治虫漫画全集未収録作品集2』収録)
・「ワンダーくん」 1954
(手塚治虫漫画全集340巻『地球大戦』収録)
・フライング・ベン 1966-67
(手塚治虫漫画全集180-183巻『フライング・ベン1-3』収録)
・「反射」 1971
(手塚治虫漫画全集239巻『ショートアラベスク』収録)
・ふしぎなメルモ 「ブルドッグの巻」 1971
(手塚治虫漫画全集280巻『ふしぎなメルモ』収録)
・「ワンサくん」 1971-72
(手塚治虫漫画全集380巻『ワンサくん』収録)
・「ミューズとドン」 1972
(手塚治虫漫画全集64巻『ライオンブックス4』収録)
「万引き犬」 1974
(手塚治虫漫画全集152巻『ブラック・ジャック2』収録)
「犬のささやき」 1975
(手塚治虫漫画全集165巻『ブラック・ジャック15』収録)
「なにかが山を……」 1974
(手塚治虫漫画全集168巻『ブラック・ジャック18』収録)
・ミッドナイト 「ACT.34」 1987
(手塚治虫漫画全集110巻『三つ目がとおる10』収録)