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虫ん坊 2016年4月号:手塚マンガあの日あの時 第45回:グルメな手塚マンガ、ア・ラ・カルト!!

虫ん坊 2016年4月号:手塚マンガあの日あの時 第45回:グルメな手塚マンガ、ア・ラ・カルト!!

 近ごろ世間では、戦後マンガ史始まって以来何度目かのグルメマンガブームが訪れているという。そこで今回はその流行に便乗して、手塚の食にまつわるエピソードのあれこれと、手塚マンガの中に描かれた美味しい食事場面を拾い集めてみた。手塚はマンガの中で日本人の“食”をどう描いてきたのか!? また今回初めて真相に迫った幻の食材(?)“ヒョ○○ン○ギ”の味とは……!? グルメマンガの好きなあなたなら、もう読まずにはいられないっっ!!!



◎手塚治虫が通った美味しいお店!

 手塚治虫がグルメだったことはよく知られている。和洋中華問わず美味しい店をたくさん知っていたし、人に連れられて行った店が気に入れば自分でも通った。
 そんな手塚のお気に入りだったお店のいくつかは「虫さんぽ」でもおじゃまさせていただいている。一例を挙げると……、
 豚肉の三枚肉のあんかけ煮「老肉(ラオーバ)」が大のお気に入りだった西新宿の台湾料理店「山珍居」虫さんぽ 第40回
  手塚のリクエストでできた特別メニュー「特製上海焼きそば」がある高田馬場の中華料理店「一番飯店」。そば粉入り饅頭「更科」が大好物だった同じく高田馬場の老舗和菓子店「青柳」虫さんぽ 第21回
  そして星新一らSF作家仲間との集まりの後によく行ったのが六本木のレストラン「キャンティ」、ここでは当時はまだモダンで珍しかったバジリコのスパゲティを食べるのが常だったという→虫さんぽ 第27回


虫ん坊 2016年4月号:手塚マンガあの日あの時 第45回:グルメな手塚マンガ、ア・ラ・カルト!!

東京・西新宿の台湾料理店・山珍居の「老肉(ラオーバ)」。ランチタイムには本日のスープとご飯が付いて1,300円、夜はラオーバのスープ仕立て、またはあんかけ仕立て(いずれも単品)各1,620円

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東京・高田馬場の中国厨房一番飯店の「特製上海焼きそば」。スープが付いて1,380円


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東京・六本木のレストラン・キャンティの「スパゲッティ バジリコ」2,520円。1960年の創業当時からの伝統で、みじん切りにした青じそとパセリが入っているのが特徴だ


◎食べられないけど美味しい食べ物とは!?

 では手塚マンガの中に描かれている料理にはどんなものがあるのか!?
 まずはいきなりですが実際には食べられない料理から紹介いたしましょう。最近は地下ダンジョンに棲息するモンスターを食べるマンガが大人気となっていますが、手塚マンガにも、それに負けない奇妙な食べ物がいろいろと登場しているのです。
 例えば1960年から61年にかけて雑誌『週刊少年サンデー』に連載された『キャプテンKen』には、火星で採れる謎のフルーツが出てきている。人類が火星に進出し植民地化しているという未来、地球から火星へやって来た少女・水上ケンに、現地で暮らす星野マモル少年の父親が、そのフルーツを出して食べ方をていねいに説明している。
 その果物は皮をむいたら実は食べずに皮を食べるのだという。味についてはまったく触れられていないけど、星野家ではケンを歓迎する食卓で出しているものなので、まずいはずはないだろう。
 手塚マンガの中には、こうした異世界の食事シーンというものがかなりひんぱんに描かれている。食生活の違いというのは文化の違いを端的に現わす表現として効果的だからだろう。


虫ん坊 2016年4月号:手塚マンガあの日あの時 第45回:グルメな手塚マンガ、ア・ラ・カルト!!

虫ん坊 2016年4月号:手塚マンガあの日あの時 第45回:グルメな手塚マンガ、ア・ラ・カルト!!

『キャプテンKen』より。ポンポという果物の食べ方は、皮をむいてその皮の方を食べるのだという。さらにもうひとつの果物の方は種の皮をむいて食べるのだとか。味はどうだったのだろうか。
※画像は講談社版手塚治虫漫画全集『キャプテンKen』第1巻より


◎一生に一度は食べてみたい幻の食材とは!?

 そして、そんな奇妙な食べ物の中でも本当にあったらぜひ食べてみたいと思うのがヒョウタンツギだ。
 ヒョウタンツギというのは手塚マンガの初期のころから物語の端々にピョコッと顔を出す謎の生物だ。キノコと言われることが多いが本当の正体は不明で時には人間語を喋ることもある。
 このヒョウタンツギを考案したのは手塚の妹の美奈子さんだった。そしてじつはヒョウタンツギは誕生したときから食用だったのだ。以下、手塚のエッセイからの引用だ。
「妹と落書きをしているとき、妹がヒョウタンに目鼻をつけた、ツギだらけのおかしなものを描いた。なんだときいたらヒョウタンツギだといった。海のなかの岩にはりついていて、さかんにガスを出すんだと説明した。これを食べますのには、まずヒョウタンツギをひもでくくると、すごく怒るから、そこを引っこ抜いて、持ってかえってスープに入れて食べるのよ。寒いときに食べると、汗が出るほど温まります。と、もっともらしい説明書きまで書いたこのヒョウタンツギについては、いまでもなお、正体不明なんで、いろんな人から動物なのか、植物なのかきかれると、ヒヒヒヒッと笑ってごまかすことにしている」
(講談社版手塚治虫漫画全集『手塚治虫エッセイ集6』「わが想い出の記」より。※初出『手塚治虫漫画選集19 おれは猿飛だ1』1962年鈴木出版刊)


◎23年越しで幻のアレを食べたのはこの人だった!!

 美奈子さんの説明によるとヒョウタンツギの採取にはちょっとしたコツが必要らしいことが分かる。そしてその採取に失敗して結局食べられないというシーンが出てくるのが1952年から54年にかけて雑誌『少年クラブ』に連載された『ロック冒険記』だ。
 地球へ大接近してきたディモン星へと探検に向かったロック少年。彼が食料を探して森へ分け入ったところで発見したのがヒョウタンツギだった。だが棒で叩いてみたところ毒ガスを吐かれて撃退され食べることはできなかった。
 後にディモン星人と知り合って案内された市場でロックは再びそのヒョウタンツギを見つけるが、もはや食べようとはとても思わなかったようだ。


虫ん坊 2016年4月号:手塚マンガあの日あの時 第45回:グルメな手塚マンガ、ア・ラ・カルト!!

虫ん坊 2016年4月号:手塚マンガあの日あの時 第45回:グルメな手塚マンガ、ア・ラ・カルト!!

『ロック冒険記』より。ロックの見立てではキノコの一種とのことだが、思わぬ反撃をくらって食べるのはあきらめる。その後、ディモン星人に連れられて行った市場に並んでいるのを見つけるが……。
※画像は講談社版手塚治虫漫画全集『ロック冒険記』第1巻より


 しかし! である。そのロックがヒョウタンツギを食べる場面の描かれている作品があるのだ。しかも料理方法は美奈子さんお薦めのスープで……。
  『ロック冒険記』の発表から23年後の1975年に描かれた『ブラック・ジャック』第57話「ブラック・クイーン」がそれで、女ブラック・ジャックとあだ名される冷徹な女医・このみと、恋人のロックが待ち合わせをしたおしゃれなレストラン。そのテーブルに出されているのがヒョウタンツギ・スープだった。残念ながらふたりがこれを口にしている場面は描かれてはいないので美味しいのかどうなのかは分からない。


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『ブラック・ジャック』「ブラック・クイーン」より。ここでもふたりがこのスープを食べるシーンはなし。せめて味だけでも聞かせてもらいたい!
※画像は講談社版手塚治虫漫画全集『ブラック・ジャック』第5巻より


◎弁当のおかずにネコのえさ!?

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『ブラック・ジャック』「上と下」より。超高層ビルの建築現場で昼休み中の力さんとその同僚。不景気を嘆く彼の弁当のヒョウタンツギもかなりランクが下がっているらしい。
※画像は講談社版手塚治虫漫画全集『ブラック・ジャック』第3巻より

 ヒョウタンツギは弁当のおかずにも合うらしく『ブラック・ジャック』第161話「上と下」では、建設現場で働く力さんの弁当のおかずにヒョウタンツギが入っている。
 弁当のおかずに入るくらいなので高級食材というわけではなくて庶民も食べられるものだと推測できるが、力さんのセリフによれば不景気で品質が落ちているらしい。シイタケの甘辛煮的な存在なのだろうか?


 また同じく『ブラック・ジャック』の第241話「オペの順番」では密猟者のナイロンがイリオモテヤマネコを捕えるワナのエサにヒョウタンツギを使っている。イリオモテヤマネコもヒョウタンツギは好物なのだろうか、相当な勢いで食らいついている。


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虫ん坊 2016年4月号:手塚マンガあの日あの時 第45回:グルメな手塚マンガ、ア・ラ・カルト!!

『ブラック・ジャック』「オペの順番」より。 ヒョウタンツギは“生き餌”としてイリオモテヤマネコの捕獲に使われている。
※画像は講談社版手塚治虫漫画全集『ブラック・ジャック』第22巻より


◎大いなる歴史にピリオドを打ったのは……!!

 ディモン星の森に自生していて現代の日本でも普通に食材として流通している(らしい)ヒョウタンツギであるが、手塚マンガの世界では紀元前のインドでもすでに食材として使われていたようだ。
 大長編マンガ『ブッダ』の中で北インド地方を訪れたブッダ。彼は鍛冶屋のチュンダに一夜の宿を所望する。そこでチュンダが食卓に出したのがヒョウタンツギだった。ここでは皿に盛られているからスープではなく煮物か焼き物にしているようだ。チュンダは粗末な料理だからとしきりに恐縮するがブッダはかなり気に入ったようだった。
  ところがこのヒョウタンツギが原因かどうかは分からないがブッダはこの直後から体調を崩し、ついには命を落してしまうのである。
 うーむ、ヒョウタンツギ……食べるにはそれなりの覚悟が必要なのかも知れません。


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『ブッダ』より。貧しい鍛冶屋の家でふるまわれたヒョウタンツギ料理。ブッダ一行にもおいしいと評判だったが、翌日、ブッダは体調を崩してしまう。
※講談社版手塚治虫漫画全集『ブッダ』第14巻より


◎五千万円以上の価値があるラーメン!?

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 さて、実際に食べられない料理はこのくらいにして、手塚マンガに出てくる(本当に食べられる)料理で登場頻度がもっとも多いメニューは何か!? これはもうダントツで「ラーメン」ではないだろうか。
 ここでは、その良く出てくるラーメンの中でも、ラーメンが物語の中で効果的に使われている作品をいくつか見てみよう。


  『ブラック・ジャック』第211話「ある女の場合」では、金持ちから無一文に転落した女性を緊急手術で救ったBJが、手術代としてその女性に「ラーメン1杯」を請求する。しかも支払期限は設けず「そのうちに ラーメンをおごってくれよ じゃあな!」と言って立ち去ってしまうのだ。

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『ブラック・ジャック』「ある女の場合」より。高額な治療費を請求するBJだからこそ、お金の本当の価値と、お金以上に価値があるものの違いが分かっているのだ。だが彼女にそれが分かる日は来るのか?
※講談社版手塚治虫漫画全集『ブラック・ジャック』第6巻より

 それからしばらくしてBJが偶然再会したその女性は貿易商の男性と結婚し、再び大富豪夫人となっていた。女性はBJにかつての手術代として五千万円を支払うと申し出るがBJはそれを拒否する。
 女性に向かって寂しそうに言うBJ。
 「そんな五千万円より あなたが心をこめておごってくれるラーメンの方が満足でしてね」
 だが果たして一杯のラーメンに五千万円以上の価値があることをこの女性は気付いてくれるのか……?


◎物語は一軒のラーメン店から始まった……!!

 1986年から87年にかけて『週刊少年チャンピオン』に連載された『ミッドナイト』には「ラーメン軒」というラーメン屋が重要な場所としてたびたび登場している。
 このお店が初めて出てきたのは第3話で、主人公のタクシードライバー・ミッドナイトこと三戸真也が仕事を早じまいしてこの店にフラリと立ち寄った。ミッドナイトはこの店の常連らしくメニューも見ないで「トン骨ラーメン」を注文している。
 ミッドナイトはこの日、別のタクシードライバーに轢かれて傷ついたネコを治療し、ネコは「トン骨」と名付けられこの店で飼われることになった。
 だが北米産の野生種だったネコは成長するに従って凶暴化し、近所の家畜やペットを襲うようになってしまう……。
 ネコに塩分濃度の高いラーメンを与えるのはどうなのよ、という意見もあると思うけど、トン骨ラーメンをうまそうにすするトン骨の姿はじつに愛らしい。


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『ミッドナイト』より。タクシーの洗車を終えてラーメン屋へと立ち寄ったミッドナイト。しかし今夜は何かが起きるような予感がよぎった……? 
※画像は講談社版手塚治虫漫画全集『ミッドナイト』第1巻より(以下、同じ)


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ミッドナイトの予感通りに交通事故で傷ついた野良猫を助けることに。だがそのネコはあまり人間になつかない北米産の野生種だった。


◎訳ありラーメン店主には秘密の生い立ちが!?

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『おお!われら三人』より。粗末なバラックでラーメン店を営む猿飛佐助の父親。その店の名前は「ラーメン軒」。
※画像は講談社版手塚治虫漫画全集『流星王子』所収「おお!われら三人」より

 ちなみにラーメン軒という店名、『ミッドナイト』以前にもどこかで見たような……と思ったら、ありました! 手塚が『ミッドナイト』の30年も前に発表した『おお!われら三人』という作品の中で、3人組の主人公のひとり猿飛佐助少年の実家がラーメン軒というラーメン屋を営んでいたのだ。
 この作品は昭和10年代の日本が舞台で、日本が太平洋戦争へと突き進んでいく暗黒の時代を背景にした青春物語である。
 それからおよそ40数年後の世界を舞台とした『ミッドナイト』でラーメン軒を営むワケアリ風な店主。その風貌は、髪の毛が薄くなってはいるもののどことなく猿飛佐助少年に似ていると言えなくもない。
 もしもこの店主が猿飛佐助のその後だとしたら……九州が発祥とされる豚骨ラーメンが日本中に広まったのは1950年代だというから、ラーメン軒のトン骨ラーメンも、父の店を継いだ佐助が戦後になってメニューに加えたものだろう。少年時代から科学の知識があって手先も器用だった佐助は豚骨スープを独自に研究開発し、ついには店の新たな看板メニューとしたのだ。……っていうのは勝手な妄想だけど、興味のある方はぜひ両作品を読みくらべてみてください。


◎手塚の大好物一覧大公開!!

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『ボクのまんが記』より。アンコが好きだった手塚がタイヤキも好きなのは分かるけど、なぜかワタアメも好きだったんですね。
『鉄腕アトムクラブ No10』(1965年5月1日、虫プロ刊)所収

 こうしてマンガにたびたびラーメンを登場させている手塚はやっぱりラーメンが好きだったのか。そう、好きだったのです。その証拠となるイラストが1965年に発表されたエッセイ『ボクのまんが記』の中に描かれている。
 「ボクの好物」と題されたイラストには手塚が舌なめずりをしながら箸とフォークを持ってテーブルに就いていて、その目の前にさまざまな料理が並べられている。
 その中にありました、チャーシューメン。心をこめて作られた料理には体だけでなく心も暖める力があるが、特に寒い日に食べるラーメンはその力が強い。そんなラーメンの力を手塚治虫も信じていたんでしょうね。


◎ジャンボ・ステーキを食べて賞金ゲット!?

 そしてラーメンと同じく手塚の大好物だったのが肉だった。先ほどのイラストにもビーフステーキがおいしそうに描かれているが、マンガ『七色いんこ』には、演技派の犬・玉サブローがジャンボ・ステーキを食べるエピソードがある。
 街を歩いていた玉サブロー、レストランのショーウィンドウに「ジャンボ・ステーキに挑戦!」の文字を見つける。(犬だから)お金はないが食欲だけは十分ある玉サブローは迷わずこのジャンボ・ステーキにチャレンジするのだが……、とこの先は読んでからのお楽しみ。


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『七色いんこ』第35話「ベニスの商人」(1982年『週刊少年チャンピオン』掲載)より。体操でお腹を空かせて意気揚々と店内へ入る玉サブロー。いかにも悪人顔の店主に嫌な予感がするが……。
※画像は講談社版手塚治虫漫画全集『七色いんこ』第5巻より


◎コンビーフキャベツを知ってるかい?

 ちなみにラーメンともステーキとも関係ないが、さっきのイラストで手塚の手前に置かれている「コンビーフキャベツ」を知らない人がいるかも知れないと思ったので蛇足の補足をしておこう。コンビーフキャベツというのは缶詰のコンビーフをほぐしてキャベツと一緒に炒め、コンソメスープの素や醤油、塩胡椒などあり合わせの調味料で適当に味付けしたものだ。今はコンビーフの缶詰が驚くほど高くなってしまったのである意味高級料理だが、昔は肉が高くて買えないときに、どこの家庭でも母親が肉野菜炒めの代わりに作ってくれた簡単家庭料理だったのだ。


◎食卓を囲む人と人との絆の物語……。

 母の手料理こそがこの世で最高のごちそう──というのは誰もが認めるところだろう。そんなホロリとする料理をテーマとしたマンガが読みたくなった時には『ブラック・ジャック』のこんなお話はいかがだろうか。
 BJが雪に降りこめられてたまたま立ち寄った宿で、その宿をひとり切り盛りする女主人と出会う。その日は女主人にとって特別な日だった。遠方で暮らす3人の息子が13年ぶりに帰ってくることになっていたのだ。テーブルには4人分の心づくしの料理が並べられ準備は万端整っていた。だが三人の息子たちは無常にも次々と電話や電報で「帰れない」と伝えてくる。
 テーブルは片づけられ、小さなテーブルに自分と亡き夫の陰膳だけが置かれることになった。がっくりと肩を落して急に老け込んだように見える女主人。その目の前に並べられたまったく箸が付けられていない料理。女主人の孤独を描いた哀しい名場面であった。ちなみにこれは第164話「勘当息子」というお話です。


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『ブラック・ジャック』「勘当息子」より。電車が止まってしまい雪深い田舎町の宿へ駆け込んだBJ。そこには年老いた女主人が久々に再会する息子たちのために心をつくした手料理が並べられていた。
※画像は講談社版手塚治虫漫画全集『ブラック・ジャック』第3巻より(以下、同じ)


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息子たちが誰も来ないという知らせを受けて、BJが女主人の晩酌の相手をする。


◎手塚マンガのもっともおいしい顔大賞はコレ!!

 最後に、今回手塚マンガをグルメという視点から振り返ってみた中で、ぼくが見た食べ物をもっともおいしそうに食べているベストワンシーンを紹介しよう。
 それは1975年に雑誌『週刊少年キング』に掲載された読み切り作品『すきっ腹のブルース』だ。終戦直後の極度の食糧難の中、大寒鉄郎はやむにやまれぬ思いから仲間たちと一緒に畑のサツマイモを盗む。そして深夜の台所でひとりそれをふかして食べるのだ。ひと言も喋らず詰まる喉を時々ヤカンの水で潤しながら、ひたすら食べ続ける。
 生きること、食べることの意味をこれほど的確に表現した名場面はなかなかないでしょう。


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『すきっ腹のブルース』より。現代人の想像を絶する飢餓状態の中、ふかしイモを夢中でほおばる大寒。手塚にとってもこの時代の記憶は忘れることができないのだろう。ひたすらイモを食べるだけのこの1ページの説得力はすさまじい。
※トビラ画像は『別冊太陽 手塚治虫マンガ大全』(平凡社刊)より引用、本編画像は講談社版手塚治虫漫画全集『紙の砦』所収「すきっ腹のブルース」より


 ということで次回は手塚マンガのグルメシーンを特集した第2弾“まずい編”(仮題)をお送りいたします。手塚マンガに出てくる食べ物は決してうまいものだけではない!? これを読んでからのお食事は絶対に控えていただきたい、そんなコラムになる予定です。
 おまけとして次回紹介予定の『ブラック・ジャック』からBJのセリフをひとつ。「こ…このケシズミはなんだ おれにケシズミをくわせる気か……っ」
 果たしてピノコはBJにどんな料理を出したのでしょうか。ではまた次回、お楽しみにっっ!!


黒沢哲哉
 1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番


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