近ごろ世間では、戦後マンガ史始まって以来何度目かのグルメマンガブームが訪れているという。そこで今回はその流行に便乗して、手塚の食にまつわるエピソードのあれこれと、手塚マンガの中に描かれた美味しい食事場面を拾い集めてみた。手塚はマンガの中で日本人の“食”をどう描いてきたのか!? また今回初めて真相に迫った幻の食材(?)“ヒョ○○ン○ギ”の味とは……!? グルメマンガの好きなあなたなら、もう読まずにはいられないっっ!!!
手塚治虫がグルメだったことはよく知られている。和洋中華問わず美味しい店をたくさん知っていたし、人に連れられて行った店が気に入れば自分でも通った。
そんな手塚のお気に入りだったお店のいくつかは「虫さんぽ」でもおじゃまさせていただいている。一例を挙げると……、
豚肉の三枚肉のあんかけ煮「老肉(ラオーバ)」が大のお気に入りだった西新宿の台湾料理店「山珍居」→虫さんぽ 第40回
手塚のリクエストでできた特別メニュー「特製上海焼きそば」がある高田馬場の中華料理店「一番飯店」。そば粉入り饅頭「更科」が大好物だった同じく高田馬場の老舗和菓子店「青柳」→虫さんぽ 第21回
そして星新一らSF作家仲間との集まりの後によく行ったのが六本木のレストラン「キャンティ」、ここでは当時はまだモダンで珍しかったバジリコのスパゲティを食べるのが常だったという→虫さんぽ 第27回
では手塚マンガの中に描かれている料理にはどんなものがあるのか!?
まずはいきなりですが実際には食べられない料理から紹介いたしましょう。最近は地下ダンジョンに棲息するモンスターを食べるマンガが大人気となっていますが、手塚マンガにも、それに負けない奇妙な食べ物がいろいろと登場しているのです。
例えば1960年から61年にかけて雑誌『週刊少年サンデー』に連載された『キャプテンKen』には、火星で採れる謎のフルーツが出てきている。人類が火星に進出し植民地化しているという未来、地球から火星へやって来た少女・水上ケンに、現地で暮らす星野マモル少年の父親が、そのフルーツを出して食べ方をていねいに説明している。
その果物は皮をむいたら実は食べずに皮を食べるのだという。味についてはまったく触れられていないけど、星野家ではケンを歓迎する食卓で出しているものなので、まずいはずはないだろう。
手塚マンガの中には、こうした異世界の食事シーンというものがかなりひんぱんに描かれている。食生活の違いというのは文化の違いを端的に現わす表現として効果的だからだろう。
そして、そんな奇妙な食べ物の中でも本当にあったらぜひ食べてみたいと思うのがヒョウタンツギだ。
ヒョウタンツギというのは手塚マンガの初期のころから物語の端々にピョコッと顔を出す謎の生物だ。キノコと言われることが多いが本当の正体は不明で時には人間語を喋ることもある。
このヒョウタンツギを考案したのは手塚の妹の美奈子さんだった。そしてじつはヒョウタンツギは誕生したときから食用だったのだ。以下、手塚のエッセイからの引用だ。
「妹と落書きをしているとき、妹がヒョウタンに目鼻をつけた、ツギだらけのおかしなものを描いた。なんだときいたらヒョウタンツギだといった。海のなかの岩にはりついていて、さかんにガスを出すんだと説明した。これを食べますのには、まずヒョウタンツギをひもでくくると、すごく怒るから、そこを引っこ抜いて、持ってかえってスープに入れて食べるのよ。寒いときに食べると、汗が出るほど温まります。と、もっともらしい説明書きまで書いたこのヒョウタンツギについては、いまでもなお、正体不明なんで、いろんな人から動物なのか、植物なのかきかれると、ヒヒヒヒッと笑ってごまかすことにしている」
(講談社版手塚治虫漫画全集『手塚治虫エッセイ集6』「わが想い出の記」より。※初出『手塚治虫漫画選集19 おれは猿飛だ1』1962年鈴木出版刊)
美奈子さんの説明によるとヒョウタンツギの採取にはちょっとしたコツが必要らしいことが分かる。そしてその採取に失敗して結局食べられないというシーンが出てくるのが1952年から54年にかけて雑誌『少年クラブ』に連載された『ロック冒険記』だ。
地球へ大接近してきたディモン星へと探検に向かったロック少年。彼が食料を探して森へ分け入ったところで発見したのがヒョウタンツギだった。だが棒で叩いてみたところ毒ガスを吐かれて撃退され食べることはできなかった。
後にディモン星人と知り合って案内された市場でロックは再びそのヒョウタンツギを見つけるが、もはや食べようとはとても思わなかったようだ。
しかし! である。そのロックがヒョウタンツギを食べる場面の描かれている作品があるのだ。しかも料理方法は美奈子さんお薦めのスープで……。
『ロック冒険記』の発表から23年後の1975年に描かれた『ブラック・ジャック』第57話「ブラック・クイーン」がそれで、女ブラック・ジャックとあだ名される冷徹な女医・このみと、恋人のロックが待ち合わせをしたおしゃれなレストラン。そのテーブルに出されているのがヒョウタンツギ・スープだった。残念ながらふたりがこれを口にしている場面は描かれてはいないので美味しいのかどうなのかは分からない。
ヒョウタンツギは弁当のおかずにも合うらしく『ブラック・ジャック』第161話「上と下」では、建設現場で働く力さんの弁当のおかずにヒョウタンツギが入っている。
弁当のおかずに入るくらいなので高級食材というわけではなくて庶民も食べられるものだと推測できるが、力さんのセリフによれば不景気で品質が落ちているらしい。シイタケの甘辛煮的な存在なのだろうか?
また同じく『ブラック・ジャック』の第241話「オペの順番」では密猟者のナイロンがイリオモテヤマネコを捕えるワナのエサにヒョウタンツギを使っている。イリオモテヤマネコもヒョウタンツギは好物なのだろうか、相当な勢いで食らいついている。
ディモン星の森に自生していて現代の日本でも普通に食材として流通している(らしい)ヒョウタンツギであるが、手塚マンガの世界では紀元前のインドでもすでに食材として使われていたようだ。
大長編マンガ『ブッダ』の中で北インド地方を訪れたブッダ。彼は鍛冶屋のチュンダに一夜の宿を所望する。そこでチュンダが食卓に出したのがヒョウタンツギだった。ここでは皿に盛られているからスープではなく煮物か焼き物にしているようだ。チュンダは粗末な料理だからとしきりに恐縮するがブッダはかなり気に入ったようだった。
ところがこのヒョウタンツギが原因かどうかは分からないがブッダはこの直後から体調を崩し、ついには命を落してしまうのである。
うーむ、ヒョウタンツギ……食べるにはそれなりの覚悟が必要なのかも知れません。
さて、実際に食べられない料理はこのくらいにして、手塚マンガに出てくる(本当に食べられる)料理で登場頻度がもっとも多いメニューは何か!? これはもうダントツで「ラーメン」ではないだろうか。
ここでは、その良く出てくるラーメンの中でも、ラーメンが物語の中で効果的に使われている作品をいくつか見てみよう。
それからしばらくしてBJが偶然再会したその女性は貿易商の男性と結婚し、再び大富豪夫人となっていた。女性はBJにかつての手術代として五千万円を支払うと申し出るがBJはそれを拒否する。
女性に向かって寂しそうに言うBJ。
「そんな五千万円より あなたが心をこめておごってくれるラーメンの方が満足でしてね」
だが果たして一杯のラーメンに五千万円以上の価値があることをこの女性は気付いてくれるのか……?
1986年から87年にかけて『週刊少年チャンピオン』に連載された『ミッドナイト』には「ラーメン軒」というラーメン屋が重要な場所としてたびたび登場している。
このお店が初めて出てきたのは第3話で、主人公のタクシードライバー・ミッドナイトこと三戸真也が仕事を早じまいしてこの店にフラリと立ち寄った。ミッドナイトはこの店の常連らしくメニューも見ないで「トン骨ラーメン」を注文している。
ミッドナイトはこの日、別のタクシードライバーに轢かれて傷ついたネコを治療し、ネコは「トン骨」と名付けられこの店で飼われることになった。
だが北米産の野生種だったネコは成長するに従って凶暴化し、近所の家畜やペットを襲うようになってしまう……。
ネコに塩分濃度の高いラーメンを与えるのはどうなのよ、という意見もあると思うけど、トン骨ラーメンをうまそうにすするトン骨の姿はじつに愛らしい。
ちなみにラーメン軒という店名、『ミッドナイト』以前にもどこかで見たような……と思ったら、ありました! 手塚が『ミッドナイト』の30年も前に発表した『おお!われら三人』という作品の中で、3人組の主人公のひとり猿飛佐助少年の実家がラーメン軒というラーメン屋を営んでいたのだ。
この作品は昭和10年代の日本が舞台で、日本が太平洋戦争へと突き進んでいく暗黒の時代を背景にした青春物語である。
それからおよそ40数年後の世界を舞台とした『ミッドナイト』でラーメン軒を営むワケアリ風な店主。その風貌は、髪の毛が薄くなってはいるもののどことなく猿飛佐助少年に似ていると言えなくもない。
もしもこの店主が猿飛佐助のその後だとしたら……九州が発祥とされる豚骨ラーメンが日本中に広まったのは1950年代だというから、ラーメン軒のトン骨ラーメンも、父の店を継いだ佐助が戦後になってメニューに加えたものだろう。少年時代から科学の知識があって手先も器用だった佐助は豚骨スープを独自に研究開発し、ついには店の新たな看板メニューとしたのだ。……っていうのは勝手な妄想だけど、興味のある方はぜひ両作品を読みくらべてみてください。
こうしてマンガにたびたびラーメンを登場させている手塚はやっぱりラーメンが好きだったのか。そう、好きだったのです。その証拠となるイラストが1965年に発表されたエッセイ『ボクのまんが記』の中に描かれている。
「ボクの好物」と題されたイラストには手塚が舌なめずりをしながら箸とフォークを持ってテーブルに就いていて、その目の前にさまざまな料理が並べられている。
その中にありました、チャーシューメン。心をこめて作られた料理には体だけでなく心も暖める力があるが、特に寒い日に食べるラーメンはその力が強い。そんなラーメンの力を手塚治虫も信じていたんでしょうね。
そしてラーメンと同じく手塚の大好物だったのが肉だった。先ほどのイラストにもビーフステーキがおいしそうに描かれているが、マンガ『七色いんこ』には、演技派の犬・玉サブローがジャンボ・ステーキを食べるエピソードがある。
街を歩いていた玉サブロー、レストランのショーウィンドウに「ジャンボ・ステーキに挑戦!」の文字を見つける。(犬だから)お金はないが食欲だけは十分ある玉サブローは迷わずこのジャンボ・ステーキにチャレンジするのだが……、とこの先は読んでからのお楽しみ。
ちなみにラーメンともステーキとも関係ないが、さっきのイラストで手塚の手前に置かれている「コンビーフキャベツ」を知らない人がいるかも知れないと思ったので蛇足の補足をしておこう。コンビーフキャベツというのは缶詰のコンビーフをほぐしてキャベツと一緒に炒め、コンソメスープの素や醤油、塩胡椒などあり合わせの調味料で適当に味付けしたものだ。今はコンビーフの缶詰が驚くほど高くなってしまったのである意味高級料理だが、昔は肉が高くて買えないときに、どこの家庭でも母親が肉野菜炒めの代わりに作ってくれた簡単家庭料理だったのだ。
母の手料理こそがこの世で最高のごちそう──というのは誰もが認めるところだろう。そんなホロリとする料理をテーマとしたマンガが読みたくなった時には『ブラック・ジャック』のこんなお話はいかがだろうか。
BJが雪に降りこめられてたまたま立ち寄った宿で、その宿をひとり切り盛りする女主人と出会う。その日は女主人にとって特別な日だった。遠方で暮らす3人の息子が13年ぶりに帰ってくることになっていたのだ。テーブルには4人分の心づくしの料理が並べられ準備は万端整っていた。だが三人の息子たちは無常にも次々と電話や電報で「帰れない」と伝えてくる。
テーブルは片づけられ、小さなテーブルに自分と亡き夫の陰膳だけが置かれることになった。がっくりと肩を落して急に老け込んだように見える女主人。その目の前に並べられたまったく箸が付けられていない料理。女主人の孤独を描いた哀しい名場面であった。ちなみにこれは第164話「勘当息子」というお話です。
最後に、今回手塚マンガをグルメという視点から振り返ってみた中で、ぼくが見た食べ物をもっともおいしそうに食べているベストワンシーンを紹介しよう。
それは1975年に雑誌『週刊少年キング』に掲載された読み切り作品『すきっ腹のブルース』だ。終戦直後の極度の食糧難の中、大寒鉄郎はやむにやまれぬ思いから仲間たちと一緒に畑のサツマイモを盗む。そして深夜の台所でひとりそれをふかして食べるのだ。ひと言も喋らず詰まる喉を時々ヤカンの水で潤しながら、ひたすら食べ続ける。
生きること、食べることの意味をこれほど的確に表現した名場面はなかなかないでしょう。
ということで次回は手塚マンガのグルメシーンを特集した第2弾“まずい編”(仮題)をお送りいたします。手塚マンガに出てくる食べ物は決してうまいものだけではない!? これを読んでからのお食事は絶対に控えていただきたい、そんなコラムになる予定です。
おまけとして次回紹介予定の『ブラック・ジャック』からBJのセリフをひとつ。「こ…このケシズミはなんだ おれにケシズミをくわせる気か……っ」
果たしてピノコはBJにどんな料理を出したのでしょうか。ではまた次回、お楽しみにっっ!!