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東京都・渋谷にある映画館「ユーロスペース」で5月21日から、公開される映画『アトムの足音が聞こえる』。
いわゆる、俳優がドラマを演じて作るフィクション作品ではなく、ドキュメンタリーフィルム、というこの作品。なぜこういったタイトルなのかといえば、国産初のテレビアニメとして1963年正月のお茶の間を飾った『鉄腕アトム』の音響を務めた音響デザイナー、
『鉄腕アトムの足音』という「作品」を出発点に大野松雄さんという人物に鋭く切り込んでいった本ドキュメンタリー、映画ファンはもとより、テレビアニメ『鉄腕アトム』をもっと知りたい、という方にも興味深い内容になっています。
今月の虫ん坊では、この作品の監督・脚本・編集を手がけた映画監督、
冨永昌敬 略歴:
1975年、愛媛県出身。
1995年、日本大学芸術学部映画学科監督コース入学。卒業制作『ドルメン』が00年オーバーハウ全国際短編映画祭にて審査員奨励賞を受賞。続く『ビクーニャ』が2002年水戸短編映像祭にてグランプリを獲得。以後、実験的ホームメイド映画『亀虫』(03)、
ミュージシャン
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鉄腕アトムの足音を作った男のドキュメンタリー 『アトムの足音が聞こえる』
冨永監督(以下T):この映画のプロデューサーの
要するに僕はドキュメンタリーを撮りたかったんです。それが音に関するものだったので喜んで引き受けましたが、初めから大野さんに対して興味があったか、といわれると、実は怪しいものなんです。
それまでも自分の劇映画では、当然やるべきことの一つとして、音響も大切にしてきたつもりでした。だから、このような作品の監督として白羽の矢が立つ素地はあらかじめあったとは思っています。
T:手塚漫画はいろいろ読んでいましたけど、大野さんが“足音”を担当したという、テレビアニメ版の『鉄腕アトム』は一度も見たことがなかったんです。あの作品の放送開始が1963年なので、視聴者として該当する世代でもありませんでした。
しかし、このドキュメンタリーを作ることになって初めてDVDを見せていただいて、確かにすごいな、と思いました。『アトムの足音』というのはこれのことなのか、と。この作品の面白さの要素のひとつに、音響が取り沙汰される所以は確かにありました。
もちろん、子供のころには『サザエさん』や『ドラえもん』を見て育った世代ではあります。あの作品の音響は大野松雄さんの弟子である
でも、アニメーションの音響に興味を持つようになったのは、この映画があったからです。
T:企画が持ち上がった当時、2008年ですが、ちょうど大野さんが東京国際アニメフェアで功労賞を受賞されたり、手塚治虫さんの生誕80周年に合わせて、草月ホールでのコンサート(2009年7月14日開催『大野松雄〜宇宙の音を創造した男』)が企画されたりした関係で、大野さんに関する情報は、集めやすい状態でたくさんありました。
取材をした時期は、大きく二つに分かれるんですよ。まずは、草月ホールのコンサートに向けてのリハーサルから本番にいたるまでの間と、そこから半年後ぐらいに、滋賀県の知的障害者施設でのお芝居をやった頃と。どちらも取材や撮影の大半は滋賀県の施設で撮っています。というのも、大野さんはその施設に自分のアトリエをもっている、というか、そこにもう、ほぼ寄生しているような感じで(笑)。
といっても、実際は京都市内のアパートにお住まいなんですが、まるで施設の体育館を、作業場のようにして使っているんですよ。だからこの映画ではあえて、大野松雄はあの施設に住み着いている、というふうに見えてもいいんじゃないかという撮り方をしています。
取材の時期が、半年ぐらいあいて分かれていたのは、僕にとってはありがたいことだったんですよね。一回目の取材の時には、大野さんとの距離がうまくいかなくて、けっこう手こずったこともありましたからね。
T:初めて会ったときから、相当
初めのうちは、コミュニケーションがうまくいかなかったんですよ。僕の質問が愚問だったりもしたので、それで気分を害されたりとか、そういったことはよくあったんです。それで説教されたり、嫌味をいわれたりもあって、今度は僕が不機嫌になったり。
結局、そういうやり取りが生まれてしまう原因は、僕のほうにあるんですよね。相手から『いい言葉』を引き出そうとしすぎるあまり、安直に水を向けるようなことをしていたんです。逆の立場だったら、僕だって嫌な思いをするかもしれない。それにずっと気づけなかったんです。
そうして四苦八苦して取材を続けていくうちに、大野さんという人がどういう人なのかようやく分かってきて、それからは、ただ、付きまとうでもなく、ぼんやりと一緒にいたり、たまにカメラを向けてみたり、という感じで作ることができるようになりました。
そうなるにはある程度時間も必要ですし、こちらは白紙の状態からはじめていますから。いきなり行って、いいものを取らせてもらえるほど、簡単なじいさんじゃなかった、ってことですね(笑)。
T:作品の中で、レイ・ハラカミさんもおっしゃっていますが、大野さんって、自分の作った作品にぜんぜん興味を示さないんですよ。取材を進めていって、「昔こんな仕事をやった」っておっしゃるから、「じゃあ、それ見せてくださいよ」といっても、「俺、持っていないよ」って言うんです。たとえば『アトム』みたいに、誰もが知っている仕事であれば、作品の名前さえ出せば観客は「ああ、あれか」と分かってくれますが、大野さんのお仕事はそうではないものもたくさんありますから。映画の中にも出てくる『血液』とか『土くれ』といった作品なんか、科学映画、文化映画ですからね。ドキュメンタリーを撮っていても、とても劇場ではかからないような題材の物だったり。
だから、どうしても作品の中でそれらの一部を紹介する必要がありました。それで資料集めに
その話でさらに言うと、今回、タイトルを決めるのも悩みました。『血液の音が聞こえる』とか『土くれの音が聞こえる』じゃ誰も分からないですよね。やっぱり、『アトム』なんですよ。
T:どうしてあのような構成になったかというと、現在の大野さんは、音響デザインの仕事からはほとんどリタイアしているんですよ。今は滋賀県の施設でお芝居のPAをなかばボランティアでやっている。だから、出てきても、『鉄腕アトム』の音の人、というイメージと一致しないと思うんですよ。だから、ちょっとこれはくどいぐらいの前振りがないと、自然には登場できないな、と思って、あたかも探し回って発見しました、というシナリオにしました。
T:大野さんご本人に少しずつ話を聞いて、その中にお名前が出てきた方にコンタクトを取って話を聞きに行きました。ご高齢の方が多かったですが、皆さん結構お元気でした。完成してから亡くなった方も二人いらっしゃいますが…。
大野さんは、自分のことはあまり話しても仕方がないと思っているようなんです。気分が乗るといろんなことを話してくれるんですが、大野さんは基本的には、「自分のドキュメンタリーなんて撮っても、面白くないとおもうよ」、という、一貫してそういう態度でした。
だから、第三者の証言を取るつもりで、お話聞ける人にはいろいろあたって。そのおかげで、前半部は資料編、とでもいうような形になりました。
また、アニメに関して言えばご本人のお仕事よりも、同業の後輩の方々の仕事を見せたほうが早いんですよ。大野さんのお弟子さんは、柏原満さんという『ドラえもん』の人で、さらにその影響下にあったかたには、『機動戦士ガンダム』の
いろんな人の功績を仲介にしないと、実態が見えてこないような人で。
T:ぼくもいまそれを思いました。ぜひ聞きたかったですが、大野さん以上に手こずるかもしれませんね(笑)。
『鉄腕アトム』の音、といえば大野松雄、とよく言われますよね。もちろん、もっといろいろな仕事をやっていらっしゃるんですが、一番わかりやすくて、日本人だったら誰でも知っている作品と言ったら、やはり『アトム』なんですよ。また、“大野松雄”対“手塚治虫”、という構図も見栄えがしますしね。
なにより、手塚治虫、というお名前自体が、大変引きが強いじゃないですか。その手塚治虫を「素人は黙ってろ!」と言って怒鳴りつけた、なんていうエピソードは、いわば大野さんの武勇伝になっていますよね。大野さんも、手塚治虫さんの名前をうまく利用しているふしがあると思いますが。