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虫ん坊 2018年9月号 特集1:業務命令は「アトムを作れ」!? 本田技術研究所 重見聡史さんインタビュー

虫ん坊 2018年9月号 特集1:業務命令は「アトムを作れ」!? 本田技術研究所 重見聡史さんインタビュー


 今から30年以上前。ある会社で、研究チームに向かって上司は言った。
「アトムを作れ」。
 二足歩行ロボット・ASIMOの開発リーダー、本田技術研究所・重見聡史さんに、開発当時のお話やロボットの未来についてインタビューした。
 Hondaが育てたロボットはどう生み出され、どう育ち、これからどうなってゆくのか。
 もう一人のアトムのお話。



重見 聡史 Satoshi Shigemi

(株)ホンダ・リサーチ・スティチュート・ジャパン 上席研究員
専門領域:ロボティクス
1987年(株)本田技研工業入社。同年10月(株)本田技術研究所に配属後、
四輪のECU(Electric Control Unit)開発を手がける。
1996年からロボット研究に従事し、ASIMOに至るHondaロボティクス技術進化に貢献。
2002年からはASIMO開発責任者を務める。
2012年上席研究員
2015年基礎技術研究センター 執行役員を歴任。
現職は2017年4月より、
(株)ホンダ・リサーチ・スティチュート・ジャパン 上席研究員



 アトムの誕生日は原作では2003年4月7日とされている。

 現実にはそこから今年で15年が経った。

 実際に空を飛び、人間と信頼関係を築き、十万馬力で助けてくれるアトムのようなロボットは未だ我々の前には現れないが、産業用ロボットの発達はもちろん、パーソナルロボットPepperやペットロボットAibo、iPhoneの人工知能siri、果てはロボットレストランなんていうものまで現れ、ロボット業界は世間を騒がせている。

 忘れてはならないのが2000年。

 アトムの誕生年よりも前に、とある会社が「アトムを作れ」という夢を掲げ、二足歩行ロボットを世に発表した。そのロボットは日本だけでなく世界中を虜にし、我々にアトムの夢を確かに見せてくれた。

 それが本田技術研究所のASIMOである。

 手塚治虫は「十万馬力の正義の味方『鉄腕アトム』も、科学至上主義で描いた作品では決してないことは、よく読んでいただければわかることです。」と言っていたように、進歩のみを目指して突っ走る科学技術に対し非常に危機感を持っていた。

 ASIMOが世界初の二足歩行で、文字通りその大いなる第一歩を踏み出す裏にも、沢山の苦労と、知られざるHondaの大きな志があった。

 Honda本社のあるウエルカムプラザ青山にて、現在ASIMO開発リーダーを務める重見聡史さんにお話を伺う。

(※以下、緑文字が重見氏の言葉)


虫ん坊 2018年9月号 特集1:業務命令は「アトムを作れ」!? 本田技術研究所 重見聡史さんインタビュー


業務命令は「アトムを作れ」だった!?

 ASIMOの前身である、二足歩行ロボットのプロジェクトが発足したのが1986年。
 今から実に32年も前のことである。
 当時の上司は研究チームに向かって、こう言ったという。

「アトムを作れ」

 1986年にHondaは小型ビジネスジェットの研究(HondaJet)とともにロボット研究を始めました。理由は二つ。一つはこのままバイクや車、パワープロダクツだけで将来永続的に繁栄していけるのかどうか、そのために将来人の生活が一変するような新しい事業になることを考えよう、という動きがあり、その一つがロボットだった。もう一つの理由は、電気や電子といったコンピューター制御技術や材料技術を手の内に入れておいた方が良いんじゃないかということを当時のHondaのトップが考えていたことです。


 とはいえ、そのオーダーが「アトムを作れ」というのは、当時、科学の粋を集めた研究チームにはなんとも不似合いというかファンタジックな話だ。
 研究者たちにとっては余りにも突飛な指令だったのではないだろうか。

 Hondaには、目標をハッキリさせるために、極力シンプルに言う伝統があるんです。例えば、1960年代の交通社会における大気汚染を解決するために「子どもたちに青空を」。
 車が走る=排ガスが出る、ではなく、これはちょっと言い過ぎですが、エンジンを通すとよりキレイな空気が出るようにしよう、という目標を立てて、排気ガス規制を革新技術でクリアする。
 「アトムを作れ」というのもそうで、実際に手塚治虫先生の『鉄腕アトム』を作ろうとなると、空を飛んだり、十万馬力だったりとなってくるけれど、そうではなくて、人に寄り添い、人々の生活が変わるようなロボットを作ろうというのを志の表現としてわかりやすく「アトムを作れ」と言ったんですね。
 と言っても、研究室には実際に手塚マンガが置いてあったり、ASIMOを飛ばそうと真剣に議論したこともありますけど。私は若い頃に読んでいたんですが、ロボットを始めてから『鉄腕アトム』や『火の鳥』を読み直しましたよ。『火の鳥』は何回も読みました。「未来編」が一番好きでね。登場する電子頭脳って今でいうAIでしょ。アレをあの時代に描いていたということがすごいなと。


 わかりやすく大きな夢を未来に伝える、と言う意味ではHondaの伝統は手塚マンガに通じる部分がある。自動車の修理工から数々の逸話を残す稀代の経営者となった本田宗一郎氏が創業したHondaの、未来への切なる思いを垣間見たような気がした。

ASIMOは「Hondaの子育て」である。

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『鉄腕アトム』では、自身の最愛の息子・飛雄を失った天馬博士がその悲しみを埋めるために息子そっくりのロボット、アトムを作った。Hondaでは新しいことを始めよう、そのための技術を今のうちに構築しようという目標のためにASIMOのプロジェクトが始まったわけだが、その根源は一体どこにあるのか。いうなればリアル天馬博士でもある重見さん(天馬博士にはマッドサイエンティストとしての一面もあるわけだが)はこう語る。

 それはHondaにとっての夢ですよ。大昔に印刷機ができ新聞や本なりで情報伝達が可能になり、また今の時代だとインターネットやスマートフォンができて、間違いなく生活が変わったじゃないですか。そういうものを作りたい、その一つがロボットだったと。ASIMOはそれこそ「Hondaの子育て」なんて言われてね。これがなかなか育たないんですよ。当時の社長にも「ウチの孫の方が早く育つじゃないか」なんて言われてね(笑)。


 Hondaの研究所には、とあるスケッチがある。
 一枚の絵の中には女の子。「こっちだヨ」と話しかけるその後ろには一台のロボット。女の子の買い物に付き合い、「もう少しゆっくり歩いて下さい」と言いながら沢山の荷物を持って後を追うこのロボットは「お供ロボット」と呼ばれていた。人と共存するようなロボットを作りたいという、Hondaの理念「技術は人のために」を表している。

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ラジオ少年からロボット開発へ

 重見さんがASIMO開発チームに入ったのは1996年。Hondaがロボット開発に着手してから10年が経った頃だった。現実の天馬博士はASIMOという我が子を生み出すまでに一体どんな人生を送ってきたのか。ふと、興味が湧いた。

 幼少期はアキバに通うラジオ少年ですよ。色んな機械をバラしては元に戻そうとするんだけど戻らなくなっちゃったりしてね。父親が家を建てる工務店の仕事だったので、現場に連れて行ってもらってゼロから家が作られる過程を見ていた影響で、モノづくりは好きでしたね。高校生くらいから制御の力で機械をコントロールすることに興味が出てきました。入社後は車のECU(エンジンコントロールユニット)を自ら設計し、商品化をしていて、なにか新しいことをやりたいと思ったタイミングで希望を出していたロボット開発へ。今のようにロボットを専攻する学科は当時無かったですから、ほぼ素人でした。そもそも、ウチの研究者は結構素人集団なんです。ある意味で素人集団の方が変に壁を作らない。社風としても、それは出来ないだろうという壁を作らずに夢のような高い目標へチャレンジすることが重要視される。始めた頃は人間のように歩くロボットなんて不可能だと言われていましたからね。


虫ん坊 2018年9月号 特集1:業務命令は「アトムを作れ」!? 本田技術研究所 重見聡史さんインタビュー

 研究チームに入った当時はまだ「ASIMOの影も形も無かった」そうだ。
 ロボット部門にも色々あり、工場で車を組み立てたりネジを回したりするような大型のロボットを開発する研究が重宝される中、小型のコミュニケーション・ロボットの開発チームは肩身の狭い思いをしたことも多々あったと言う。

 一番最初は大体3人くらいで始まったんです。周りからは「あいつらのは、なかなか歩かないだろうな」と思われていた。工場で作業が出来る大型ロボットがもしできたら24時間稼働出来るようになるかもしれないわけだから、みんなその方が価値があると思うじゃないですか。小さいサイズの家庭内パートナーロボットはどうしても主流じゃなかったんですよね。それを作ってどうするんだよ、という声は沢山ありました。技術的には貴重な知見を得られたのでやらせてもらって良かったと思っていますけどね。


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 私が入った頃はまだまだ真っ直ぐにしか歩けない。当然走ることも出来なかった。P2と呼ばれる210㎏、182㎝ぐらいの頃です。家庭に入るロボットとしては大きくて威圧感があるので、小さくしなければならない。200㎏を50㎏ぐらいにしなければならないわけですから、それはもう大変で。足が長いロボットというのは歩かせやすいんです。ところが同じスピードで小型となると早く足を動かさなきゃならない。足が受けた衝撃に対してすぐに反応し、姿勢をコントロールしなければならないのが非常に難しかったですね。先輩に、「そんなんじゃ歩けるわけがない」なんて言われましたが、成功した時は嬉しかったですね。


虫ん坊 2018年9月号 特集1:業務命令は「アトムを作れ」!? 本田技術研究所 重見聡史さんインタビュー

 ところで、『鉄腕アトム』において最も有名な傑作のひとつ、「地上最大のロボットの巻」で、アトムは強敵プルートウに負けないために100万馬力に改造されるわけだが、2000年の発表以降、ASIMOも改造を繰り返し、バランス能力の向上、歩行速度の上昇など改良が加えられ、現在見ることができるのは新型ASIMOである。その改良部分にも沢山の苦労があったという。


速く走れるようになったのに「昔のスピードが良かったんだ! 」って。


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 発表後は幸いにも色んな所に呼ばれたので、それによって技術が上がった部分はあります。チェコに日本の親善大使として行った時なんて、歩かせる場所のカーペットがものすごいフワッフワなんですよ。そんな所でテストしたこと無い! ウチの役員応接室だってそんなフワフワじゃないよ! って、その場で安定するように必死に調整したこともありました。
 改良部分で言うと、走らせるのはやっぱり技術的にとても難しかったので、研究のために実際に自分たちで走ってみたり。ただ、仕組みがわかったところで人間の骨格や筋肉はロボットとは違うので、ロボットが歩けるとは限らない。そこでロボットなりの工学的な仮説を立ててやってみる。上手くいかないことの連続で、「やっとできた」の繰り返しです。人間が無意識に出来ていることがいかに難しいか、人間ってどれだけ素晴らしいかということに気づかされました。
 あとは余談ですが、機械の人間味? みたいなものに惹かれる方が中高年の世代に多いんですよ。以前デモンストレーションを見てくれた時に言われたのは、デモ終わりにASIMOが帰る「トボトボ感」が良い、って言うんですね。それで何年後かに、改良してもう少し速く走れるようになりましたよって言ったら、「昔のスピードが良かったんだ!」って (笑)。


 現在はウエルカムプラザ青山や日本科学未来館でのデモンストレーションなど広報活動やブランディングを行っているASIMOだが、ASIMO開発における技術はHondaの様々な製品に活かされているのだという。その多岐に渡る活動についてのお話を伺った。

 すでにある成果としては、ASIMOを作る過程で生まれた技術をシビックなどの車に応用するのは、8年ぐらい前からやっていますね。ASIMOは常に3歩先まで予測して歩いてるんですよ。その予測技術を車のVSA(車体の横滑りを防止する安全技術)に応用しています。他には歩行アシストにもASIMOが歩く時の歩行理論を応用しています。
 また震災時の原発事故でもASIMOに対する期待の声はありました。技術者としては役に立ちたいと思って、高所調査用ロボットという新しいロボットを作って福島の現場で使ったことがあります。急に作ることになり、時間が無いのでASIMOの制御系の部品を利用しました。ASIMOは57自由度(※自由度=ロボットの動きの融通性を表す、人間で言うと「関節」に近い意味の尺度)あるんですけど、福島原発に入った高所調査用ロボットは11自由度。HondaはASIMOで57自由度の技術を持っていたからすぐに完成させることができた。普通の産業用ロボットや作業用アームというのは大体7自由度なんですね。そこから増やすことは通常難しいのですが、ASIMOのおかげでHondaはすぐにできたという背景がありました。高所調査用ロボットは狭い所で作業をしなければならなかったので、人間でいうと手先から肩甲骨を介して腰までぐらいの自由度が必要だったんです。


 ASIMOの部品で新しいロボットを作り、原発での現場作業を行っていたとは驚きである。まさに自分を犠牲にして地球を守ったアトムと同じではないか。
 その『鉄腕アトム』をはじめ、手塚治虫は、様々な作品の中で科学技術の進歩に翻弄される未来を描いている。『火の鳥』では電子頭脳同士の争いやロボットの葛藤を、『ブラック・ジャック』でも電子頭脳に管理された病院でのコンピューターの苦悩を、他にも自分の組んだプログラムに翻弄されてしまうある事件を描いた「ハエたたき」や、ロボットとの愛情を描いた「聖女懐妊」など、数え上げればキリがない。もちろんそれは遠い未来の話かもしれないし、マンガの話かもしれない。だがいつかはやってくる未来であり、現実に人間の仕事を奪うという側面を問題視するような動きも出てきている。
 ASIMOの開発リーダーである重見さんに、未来のロボットやテクノロジーの危険性を問うのも失礼な話だが、思い切って聞いてみたところ、返ってきた答えは、意外なほどに人間臭い言葉だった。

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家畜でもペットでもない、新しいカテゴリを作りたい。

 ……人間の仕事を奪うのかなあ。ちょっとしたお手伝いなんですよ。小さい頃ってお手伝いしたじゃないですか。新聞持って来たりジュース運んだり。そういう小さい子のお手伝いだったらあっても良いかなあって。ロボットがお手伝いが出来れば、その分人間は有効な時間が作れると思うし、一緒にいて楽しい、という要素も必要だと思う。敵対するわけではなく、人と共存するロボットになりたいとずっと言っているんです。
 ロボットにとって一番大事なものをひとつ挙げるとしたら、「その人にとって何が大事なのかがわかること」でしょうね。機械であるロボットがどうやったら信頼されるのかを考えなければいけないと思うんです。絆、まで言ったらアレですけど、極端な話、馬だってそうだし、ペットだって文化の中でそうなってきた。でもロボットが馬やペットになれるわけじゃないので、なにか別の存在として、新しいカテゴリを作りたいと思いますよね。


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虫ん坊 2018年9月号 特集1:業務命令は「アトムを作れ」!? 本田技術研究所 重見聡史さんインタビュー

 手塚先生はあの時代にここまで壮大なことを考えていた。その哲学っていうのはすごいなあって思います。どうしてあそこまで考えられるのかなぁ。スケール感が違うじゃないですか『火の鳥』だって。古代から未来へとあれだけ飛ぶじゃないですか。あれを描けるのってすごいし、特に未来なんて当たっている部分もある。だからロボットについても、悪い心を持ったロボットなども描いていますけど、きっといつかはそんな未来が来るんだと思うんですよ。それをあの時代で動いている機械や技術を見て描けたというのは信じられないですよね。それをマンガという形で見せてくれたことがとてもわかりやすかった。
 ロボットについて話してみたかったなあ。ヒューマノイド開発をやっていると、ロボットが人に与える印象について考えることがあるんです。良い印象だけではなくて、ロボットだから緻密な計算や様々なセンサーで心を読み取られているんじゃないかという恐怖心を人に与える可能性もある。そうするとロボットになんか近づきたくなくなるかもしれない。
 先ほどトボトボ歩くASIMOが良いという人の話をしましたが、不完全な部分が必要なのかもしれない。機械というのは難しくって、「機械に愛着を持つ」ということはすごく複雑で大切なポイントだと思う。車でいうと「愛車」という言葉がありますが、今の若い子が「愛車」という感覚をどのように持っているのかはわからない部分もあります。僕の頃はマニュアルミッションで一生懸命機械をコントロールしようと苦労して頑張った。今はオートマが主流だから、アクセルを踏めばスムーズに進む。人間が手をかけてあげなくても動いちゃう。そうすると、愛情を持ち辛いんじゃないかなって。


 奇しくも、マンガの神様と世界初の二足歩行ロボット開発者が口を揃えて言った言葉は「愛情」という、一見科学技術やテクノロジーと最もかけ離れた言葉だった。

虫ん坊 2018年9月号 特集1:業務命令は「アトムを作れ」!? 本田技術研究所 重見聡史さんインタビュー

 この日、青山ウエルカムプラザで拝見したASIMOのデモンストレーションの観覧者は、アジアの技術者らしき団体客、欧米から来たと思われる観光客ご夫婦、国内の親子連れや高齢者たちと多種多様だった。ASIMOが走った瞬間、年齢も国籍も問わず、ワッと歓声が上がり、観る者すべてが何とも言えない感情とともに笑顔に包まれていた。

 科学と人間の共存は、きっとできる。

 近い将来、手塚治虫が描いたように、ロボットと人間との間になにか問題が起きるとしたら、それを解決するのはやはり「愛情」なのかもしれないし、ASIMOを育て上げたHondaの親心が、その懸け橋となってくれるだろう。

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