
文/山崎潤子
関係者に話を聞き、さまざまな角度から手塚治虫の素顔を探っていこうという企画です。今回は、「手塚治虫の最後のアシスタント」といわれる青山由香さん。青山さんは、手塚治虫が亡くなる10ヵ月前に手塚プロダクションに入社されました。異例入社のきっかけや在社中のエピソードを中心に、手塚マンガや手塚治虫への愛があふれるお話をお聞きしました。
PROFILE

青山由香(あおやま・ゆか)
北海道札幌市出身。父親の本棚にあった手塚治虫のマンガを読み、熱心なファンに。短期大学卒業後、手塚プロダクションに入社。手塚治虫の最後のアシスタントとなる。1989年のテレビシリーズと連携した『ジャングル大帝』や『青いブリンク』の学年誌での連載、『三つ目がとおる』のグッズなどを担当。現在はイラストレーターとして活躍中。2026年、MoN Takanawaで行われた、マンガをライブパフォーマンスで体験する「MANGALOGUE:火の鳥」では、『火の鳥 未来編』の着彩を担当。
──青山さんは手塚先生が亡くなる10ヵ月前に入社したわけですが、先生のお身体の調子はどうだったのでしょう。
先生は入退院を繰り返して、半蔵門の病院まで原稿を取りに行くこともありました。そうなると新座よりも高田馬場のほうが近いから、私たちも高田馬場に待機していた時期もあります。
──入院中にも仕事を続けられていたわけですね。
そういえば、入院中の先生を怒らせてしまったことが二度ほどありました。
先生は病院からアシスタントに電話で指示を出すことがよくあって、その電話をうっかり私がとってしまったんです。「あ、受けちゃった。困ったな」と思ったのですが、とりあえず話を聞きました。そうしたら先生の指示に「グンシュウ」というのがあって、「え? グ、グンシュウ......?」「群衆です」「えーっと......グンシュウ? 」「群衆です」「グン......?」みたいな感じになってしまって、最後は先生もイラッとして「群衆ですっ!」っておっしゃいました。漢字を見ればわかったんですが、そのときはなんのことやらさっぱり......。チーフアシスタントの福元さんに「あの、ここは〔グンシュウ〕だそうですが」と伝えたら、「はいわかった」と言われました。
──いきなり電話口で言われると、ポカーンとなることありますよね。
軽くパニックになって、「グンシュウって???」という状態でした。わかったフリをすればよかったのかもしれませんが、先生の声がだんだんイライラしてくるのだけはわかりましたね。病身の先生をイラつかせたかと思うと、後悔しかありません。

当時連載中だった『ネオ・ファウスト』(1967〜1968年)の群衆シーン。見開きで展開するダイナミックな構図は、手塚治虫のお家芸でもある。
もうひとつは、やはり先生が入院されていたとき、病室に伺って原稿の受け渡しをすることがあったんです。先生の病室をノックすると、先生が歯ブラシをくわえながら出ていらして、原稿を渡されました。その後てのひらをこちらに向けるような動作をされてから、ドアを閉めたんですね。
──ちょっと迷うリアクションですね。
そうなんです。「ありがとう。もう帰っていいよ」なのか、「ちょっと待ってて」なのか、わからなかったんですよ。「もう帰っていいよ」ならそれでいいんですが、「ちょっと待ってて」の場合は帰るわけにいかないじゃないですか。5分くらい病室の外で待ってみましたが、何も起こらず......。迷いに迷ったあげく、ドキドキしながら再度ノックしてみたら、ドアが開いて「何やってるんですか!?」って怒られました。「ご、ごめんなさい!」って帰りましたけど。
──先生からすれば「なんでまだいるの?」っていう。
そうなんです。しょんぼりして、会社に帰ってからも落ち込んで「今日は絵を描く気がわきません」って言ったら、「普段から描いてないだろ」って言われましたけど。
先生が最後に入院される1ヵ月くらい前だったと思います。「ちょっと来てくれる?」って先生の部屋に呼ばれたことがあったんです。今度は呼ばれたから、堂々と部屋に入りましたけど。
──先生から直々に......。
そして、先生がいきなり「『ジャングル大帝』の続きは、あなたが描いてくれるかな」おっしゃったんです。
──え!
たいした仕事もしていない新人ですから、当然「えええっ!」となりました。で、何を思ったのか、急に一人前なったような感じで「先生、ちょっと考えさせてください」って答えたんですね。何が起こったのかわからず、まずはいったんトイレに行って......。でも、「断る理由もないし」と思い直して「先生、よろしくお願いします!」ってお返事をしたんです。先生は「ありがとう」と言って握手をしてくださいました。
──おおお! 超展開。
そして......、ここが私のダメなところなんですが、早速アシスタント仲間のとこに戻って、みんなにペラペラ報告したんです。「先生にレオの続きを描いてくれって言われちゃったんです♡」って。アシスタントチーフの福元さんも驚いて、すぐに立ち上がって勢いよく断りに行かれました......。
──さすがに「いくらなんでも、ちょっと早いです」みたいな感じでしょうか。
考えてみれば、先輩たちもいるのに、いきなりそんなことできるわけがないんです。ひとまず自分の中だけで留めておけばいいのに、うれしくてうれしくて、親に報告するみたいに。
でも、結局先生をがっかりさせただろうし、その日は落ち込んでしまって、しょんぼりしたままでしたね。
──手塚先生の真意はどうだったんでしょう。青山さんは「ブラック・ジャックの続きを描いてくれた人」という刷り込みがあったから、うっかりアシスタントの上下関係を考えずに頼んじゃったのでしょうか。
そうかもしれませんね。ただ、先生が亡くなったあと、アシスタントの先輩たちは次々と独立するために辞めていったんです。私はしばらく会社に残っていましたから、幼年誌や学年誌の『ジャングル大帝』の連載を複数担当しました。
──最終的には、約束を果たされたわけですね。
運命というわけではありませんが、あのときの先生の言葉はうれしかったです。おかげさまで、レオは何も見ずに描けるようになりました。
先生が亡くなったのは、忘れもしない、1989年の2月9日でした。その日は伴さんはじめアシスタントの先輩数人と近所のデニーズにお昼を食べに出ていたんです。私はチキンカレーを注文してね。
そこに会社に残っていた先輩がやってきて、「今、先生が亡くなった」と。先輩もテレビのニュースで知ったそうで、報告にきてくれたんです。サブチーフだった伴さんは「青ちょんのチキンカレーもらうわ。青ちょんは僕のを食べて」と、先に来ていた私のチキンカレーを大急ぎで食べて、真っ先に会社に戻りました。
──サブチーフとして、先に帰らなければならないという......。
内心、チキンカレーは食べたかったんですけどね。私は後から伴さんが注文したものを食べたはずですが、味もどうやって帰ったかもよく分からなくて、もうそこからは、何がなんだか分からない状態でした。
──亡くなったと聞いて、どんな気持ちだったのでしょうか?
もう、本当に驚きました。私も先生は体調が悪くて入院しているけど、そのうち戻ってくると思っていましたから。先生ご自身も胃潰瘍だと言われていたらしいですし。
ただ、今思えば「おかしいな」ということがありました。先生のご自宅には鳥小屋があるんですが、先輩アシスタントが奥様から餌をあげるように頼まれたそうで。「家族の誰も鳥に餌をあげられない状況なんてあるのかな?」と不思議に思ったのを覚えています。今思えば、奥様やご家族は病院に詰めているときだったのでしょうね。
──本当の病状は近しい人しか知らなかったんですね。
スタッフや関係者に心配をかけてもいけないし、私たちがお会いした時に顔に出てしまっても困るだろうし......。
そういえば、もうひとつおかしなことがありました。
病院の先生から電話があって、本棚にある医学書のあるページをすべて読み上げるようにいわれたんです。電話を受けたのは先輩アシスタントで、彼女は私と違って難しい医学用語もすらすらと読めたんですが、それが「がん」のページだったんです。そのときはマンガのネタかなと思いましたが、いま思えば、先生もうすうす気づかれていたのかもしれません。このことも、なんとなく嫌な予感として心に残っています。
そして3月2日に青山葬儀場で社葬が行われました。
私たちが片付けをしているところに落語家の立川談志さんがいらして「いいか。悲しいのはこれからなんだぞ」っておっしゃったのを覚えています。私はそのときもずっと泣いていて、先輩たちからも「まだ泣いてんの?」と言われたくらい。それから何十年も泣き続けることになるわけですが。
──なかなか気持ちの整理がつきませんよね。
先生が亡くなってから半年くらい、私はずっと泣いていました。仕事が終わってアパートに帰ると、涙が止まらなくて。当時は自分が生きている意味なんてないんじゃないかと思ったくらいでした。
先輩たちが一人また一人と辞めていくなか、松谷社長に「君はどうする?」と聞かれて、私は「行くところがないのでしばらく置いてください」とお願いしたんです。
──先輩たちが辞めていくのは、寂しい状況ですね。
とはいえ、講談社の全集の書き起こしや『ジャングル大帝』のアニメのコミカライズなどの連載もあって、仕事がなくなったわけではないんです。そんなわけで、私が学年誌などの『ジャングル大帝』のマンガを担当することになったわけです。あとは伴さんが描かれていた『手塚治虫物語』のお手伝いをしたり。......といっても、大した戦力にはなれなくて、歯がゆかったですが。
──仕事があるとはいえ、ちょっとつらそうな日々ですね。
その後は私のほうも悲しみが続いてしまって、どうにもできなくなって会社を辞めることになりました。先生との思い出はもちろん、手塚プロダクションでの思い出の一つひとつが私の人生では大きくて、本当に大切なものです。みなさん何もできない私を仲間として受け入れ、あたたかく受け入れてくださいました。不思議なぐらいいい思い出ばかりです。
[第4回に続く]
山崎潤子
ライター・エディター。
幼少期より漫画漬けの生活を送ってきた生粋のインドア派。
好きな手塚作品は『ブラック・ジャック』。著書に『10キロやせて永久キープするダイエット』などがある。
バックナンバー
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