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関係者インタビュー 私と手塚治虫 辻真先編 第5回 アニメ『ジャングル大帝』の知られざる裏話

2022/06/01

関係者インタビュー

私と手塚治虫

第5回 アニメ『ジャングル大帝』の知られざる裏話

文/山崎潤子

手塚治虫先生の関係者に話を聞き、さまざまな角度から手塚治虫の素顔を探っていこうという企画です。今回は『鉄腕アトム』や『ジャングル大帝』のアニメ脚本を手掛けた辻真先さん。1950年代から始まったテレビ業界の裏話、過去から現在に至るまでの漫画やアニメの話を交えながら、手塚治虫との思い出を語っていただきました。

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PROFILE

辻 真先(つじ・まさき)

推理作家、脚本家、エッセイスト。1932年愛知県生まれ。名古屋大学文学部卒。草創期のNHKでドラマ・バラエティ・歌番組などの番組づくりに携わったのち、『鉄腕アトム』『巨人の星』など、テレビアニメ脚本を数多く手掛ける。さらに作家として本格ミステリ、旅行エッセイ、アニメのノベライズなど広範囲に渡り作品を執筆。1982年に『アリスの国の殺人』で第35回日本推理作家協会賞(長編部門)、2019年に第23回日本ミステリー文学大賞受賞など。2021年には、さまざまな名作アニメの誕生秘話を綴った『辻真先のテレビアニメ道』を上梓。


■レオたちは何を食べて生きている?

───辻先生は『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』など、数々の手塚アニメの脚本も書かれていますよね。

アニメの『ジャングル大帝』や『どろろ』の小説化では僕が話を書いて、北野英明さん(作画監督・アニメーター)が非常にいい絵を描いていましたね。

───漫画をアニメの脚本にするにあたって、大変なことはありましたか?

『ジャングル大帝』はいろいろ制約がありました。アメリカに売り込むために、原作のような大河ドラマにしてはいけないということでした。

───1話完結、主役はレオでという方針でしたよね。

3話でも36話でも、どこから観てもわかるようにつくれというんだから、難しかったですよ。

───原作通りのものが観たいという声もありますからね。

もちろん僕らもそうです。最初は原作通りのコンテができていたけど、急に方針が変わったから参りました。

───黒人の描写もNGでしたよね。

舞台はアフリカ大陸なのに、第1話からひとりも黒人を出していないんです。原作では黒人の村人たちが火のまわりで太鼓を叩いたり、踊ったりして白人をもてなすシーンがありますが、それもダメでした。動物を狩ろうとするのも、現地で案内するのも白人。あれでよくなんとかなったと思いますが(笑)。

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『ジャングル大帝』(1950年〜1954年)

ジャングルの王パンジャの子として生まれた白いライオンのレオが、さまざまな冒険を経て、ジャングルの王として成長していく物語。アニメ1965年より全52話で放映された。

───制約がある中、原作ありきで成立させなければならないわけですね。子供たちはアニメも手塚治虫が描いていると思っているわけですから、制作陣はブレないように作品を理解した上でつくらなければいけないという大変な仕事ですね。

あるとき、アニメを見た子供からこんな投書が来たんです。「ライオンは肉食動物なのに、どうやって生きているんですか? ライオンのすぐそばに鹿がいるのは大丈夫ですか?」って。たしかに、肉食動物が草で満足できるわけがないよね。

───動物たちはみんな仲良しという設定ですから、子供は不思議に思いますよね。

僕らはそういう意見を放っておかず、誠実に対処するというスタンスでした。

たとえば田河水泡さんの『蛸の八ちゃん』という漫画で、蛸の八ちゃんは魚を釣って食べるんですよ。そもそも蛸が陸に上がって服を着ているし、そこまでのファンタジーならなんでもありだけど、レオはそういうわけにはいきませんよね。

だから「主食は昆虫、脊椎動物は食べてはいけない」という設定にしたんです。パール・バックの『大地』で、バッタの大群が田畑を荒らすでしょう。あれをヒントにして、肉の代用品としてバッタを食べようという話をつくったわけです。

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───アニメ脚本の仕事で想い出深いことはありますか?

手塚アニメではないのですが、『巨人の星』(1968年~1971年)の僕が脚本を書いた回で毎週4%ずつ視聴率が上がったのはうれしかったですね。でも、くやしいけど原作にはかないませんでした。よく覚えているのが「甲子園へのVサイン」(第33話)の回で一徹が甲子園に行く飛雄馬たちを見送るシーン。漫画では見開きで、発車する列車を左半分、見送る一徹を右半分の横に長い4コマで見せたんです。あの表現はうまかったですね。でもテレビじゃ再現できないんですよ。

───原作を超えようという心意気は素晴らしいですね。

それから、『デビルマン』の「妖獣シレーヌ」という回で、永井豪さんに女性の妖獣シレーヌという新しいキャラをつくってもらったんです。それを永井さんは漫画のほうでも使ったんですが、その描き方もうまかったです。シレーヌの最期のシーンは、森の中で天を仰いだまま死ぬんですが、グロテスクな姿を逆光できれいに見せている。あんな表現は思いつきませんでした。

■手塚治虫との忘れがたいエピソード

手塚先生とのいちばんの思い出といえば、第6回目の日本SF大会(1967年)です。市ヶ谷の洋服会館が会場でしたが、行ってみると大盛況、人がいっぱいで座ることもできない。ふと横を見ると、手塚先生も立って見ていたんです。これじゃあ終わるまで座ることもできないねという感じで、2人で外に出たんですよ。

で、腹も減ったし昼飯時だというわけで、近くの蕎麦屋に入りました。そこでそばを打つ間二人で飲んで......、日本酒を2本くらい空けたかな。手塚先生とサシでお酒を飲みながら話ができたのは、おそらくあのときだけだったんじゃないかな。ずいぶん長く一緒に仕事をしてきたけど、2人きりという機会はそれまでほとんどなかったんです。打ち合わせではいつも誰かがいますから。

───手塚先生も辻先生のように話題が豊富な人と話せて、楽しかったでしょうね。

時間を忘れて楽しく話しましたが、何を話したかはきれいさっぱり忘れてしまいました。きっと、映画やディズニーの話あたりでしょうね。

───手塚先生が誰かとゆっくり2人で話す機会というのは、たしかにあまりなかったかもしれませんね。

とにかく忙しすぎて時間がない人ですからね。手塚先生とサシで話せるチャンスはなかなかないから、ラッキーでした。「いつか手塚先生のピアノを聞かせてください」なんて約束した覚えもあるけど、果たせませんでした。

───遅刻や締切を守らないことで有名な手塚先生ですが、迷惑をかけられたというようなエピソードはありますか?

迷惑というわけではありませんが、手塚先生の代役をするハメになったことがありました。
僕が青山に引っ越して間もない頃だったと思います。手塚先生のマネージャーだったと思いますが、突然電話がかかってきて「今すぐホテルニューオータニに行って小松左京先生に会ってくれ」というんです。
雑誌の記事で小松左京先生と手塚先生の対談か何かの企画だったと思いますが、例によって手塚先生が間に合わない。とにかく手塚先生が到着するまで、なんとか話を合わせてほしいという頼みでした。青山なら近いということで、僕に白羽の矢が立ったんでしょう。
しかたがないからすっ飛んで行きましたが、ネクタイを忘れてホテルに入れない。事情を話してホテルの人にネクタイを借りて、手塚先生が着くまで小松左京さんと話しました。もちろん何を話したかは覚えていませんが、小松先生もぽかんとしていましたよね(笑)。

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■命があるかぎり、書き続ける

───テレビプロデューサーから始まって、アニメの脚本、ミステリ作家などなど、辻先生の仕事量と仕事の幅はものすごいですね。

よくも悪くもNHKのおかげでしょうね(笑)。生放送の世界で鍛えられたから、必要に迫られて書くのも早くなったんです。東京駅を出て、大阪に着く頃には一本上げて、「はい」って渡してとんぼ返りなんてこともありました。

───89歳になられた今も執筆活動をされているのは敬服します。ネタが尽きるようなことは?

それはないですね。ネタがなくなったら倒れるだけですから(笑)。異世界ものの次に、まだ生きていたらエロをテーマに書きたいですね。

───晩年にエロを書くなんて、北斎のようですね。

気が若くないと書けないから、モチベーションはあがると思いますよ。(笑)。せっかく生きているからには、何かやらなきゃ。エログロだって、90の爺さんが書くなら多少お目こぼしがあるかもしれないでしょう。これからは真ん中を貫くような力はないから、端っこをふらふらあるきながら生きていきたいですよね。

───見習いたい人生観です。

手塚プロダクションの松谷社長によれば、手塚先生の最後の言葉は「頼むから仕事をさせてくれ」だったというでしょう。僕も最後まで書いていたいですね。

いつか僕の命も終わるときがくるだろうけど、そのときまではやれるだけのことをやりたいと思っていますよ。ガキンチョみたいに「やったやった、もう遊び疲れた」って感じで終われたら一番いいだろうなと思っています。僕の人生なんて、ずっと好きなことをして遊んでいたようなものだけどね。

───辻先生の遊びを、これからもたくさんの人が楽しみに待っています。

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〈了〉


yamazaki.jpg山崎潤子

ライター・エディター。
幼少期より漫画漬けの生活を送ってきた生粋のインドア派。
好きな手塚作品は『ブラック・ジャック』。著書に『10キロやせて永久キープするダイエット』などがある。


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