虫ん坊

関係者インタビュー 私と手塚治虫 瀬谷新二編 第1回 冷めることがなかったアニメへの情熱

2020/05/18

関係者インタビュー

私と手塚治虫

1回 冷めることがなかったアニメへの情熱

文/山崎 潤子

 手塚治虫先生の関係者に話を聞き、さまざまな角度から手塚治虫の素顔を探っていこうという企画です。今回は、瀬谷新二さん。手塚プロダクションのアニメーター・作画監督です。手塚プロダクション入社後の若かりし日々や、手塚先生のアニメへの思いなどを聞いていきます。

PROFILE

prof_watashito_seya.jpg瀬谷 新二

アニメーション監督、作画監督、アニメーター。

1978年にアニメーターとして手塚プロダクション入社。1989年の『青いブリンク』にて作画監督補佐、サブキャラクターデザインを担当。以後、『アストロボーイ・鉄腕アトム』『ブラック・ジャック』『遊戯王ZEXAL』など多くの作品でキャラクターデザインや作画監督として携わる。


●独学でアニメを自作した高校時代

────瀬谷さんは1978年に手塚プロダクションに入社されたんですよね。

瀬谷:はい。たしか『スター・ウォーズ』の第1作目が日本で大ヒットした年でした。『スター・ウォーズ』や『未知との遭遇』には、アニメ界もだいぶ影響を受けましたね。

────手塚先生も『スター・ウォーズ』は好きだったんでしょうか。

瀬谷:もちろん、大好きだったと思いますよ。当時『11PM』っていう深夜番組でスター・ウォーズの特集をやっていて、先生がニコニコしながらゲストで出演されていたのを覚えています(笑)。

 手塚先生は漫画家でありながら、日本屈指のSF作家でもあったわけですから。『鉄腕アトム』しかり、戦後まもない頃からSFをテーマにした作品をたくさん描いている。とにかく、視点がとても大きいんですよね。

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漫画『緑の猫』(1956年)

1950年代に描かれた屈指のSF作品。父をギャングに殺され、1匹の猫とともに数奇な運命をたどる三吾。謎を秘めた緑の猫の正体とは......

────瀬谷さんの入社動機は?

瀬谷:とにかくアニメがやりたかったんですよ。高校生の頃からひとりでアニメ製作をはじめたくらいですから。当時はビデオなんてもちろんなくて、8ミリフィルムの時代です。8ミリで絵をコマ撮りしてアニメーションをつくっていたんですよ。

────そこまでアニメにのめり込んだきっかけは?

瀬谷:高校生になる直前くらいかな。代々木の日本青年館ホールに「虫プロ名画祭」っていう、虫プロ作品の上映会を観に行ったんです。そこで小さい頃に白黒テレビで見た『ジャングル大帝』の映画のオープニングを、はじめて大きなスクリーンで、カラーで体験したわけです。「なんてきれいで、鮮やかなんだろう」って、口をあんぐり開けて驚いた記憶があります。

 今みたいにYouTubeDVDもない時代ですから、そう簡単に見たいものを見られる時代じゃなかった。フルアニメーションでフラミンゴの群れが大空にパーっと飛んでいくというものすごい映像を見て「アニメをやりたい」って心に決めたんです。

────当時はアニメ製作の情報もあまりなかった時代ですよね。

瀬谷:月岡貞夫さんの『アニメーション』(美術出版社)っていう作画の入門書と、『小型映画』(玄光社)という8ミリカメラの専門誌の「アニメと特撮」っていう別冊本。この2冊にタイムシートの初歩的な解説があって、これなら自分でもつくれるかもって思って。アルバイトをして8ミリカメラを買って、見よう見まねではじめたんです。

────ちなみに、当時の8ミリカメラのお値段は?

瀬谷:いまだによく覚えているけど、当時54000円でした。ビル掃除のアルバイトの時給が340円で、それをせっせと貯めてね。それから、撮影機材として三脚を買いました。カメラを固定して、紙に描いた絵を撮影していくわけです。

 コマ撮りをするには、描いた絵をずれないように固定して、すかしながら次の構図を描いていきます。それにはタップといって、穴を開けた紙にはめ込んでずれないようにする道具が必要なんですが......さすがにそれは売っていなくて、本を読みながら自分でつくりました。30cmの竹の定規に、輪切りにした面相筆を突起として貼りつけてね。

────今はなんでも手に入る時代ですが、当時はなかったんですねえ。

瀬谷:下にライトが仕込まれているトレース台も市販されていなかったから、自分でつくりました。板をのこぎりでギコギコ切ってね。

それから、紙はあるけどセルは簡単には手に入らない。これはたまたま通っていた学校の近くにアニメの仕上げスタジオがあって、お願いしたら売ってくれました。特殊なセル絵の具もなんとか手に入れてね。犬がくだらないことをするっていう3分半くらいの短編アニメーションをつくったりしましたね。

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「高校生の頃、はじめてつくったアニメの主人公(犬)はこんな顔だった」と描いてくれた瀬谷さん。

────す、すごい高校生ですね。

瀬谷:そうしたら、漫研の後輩たちも一緒につくりたいって言ってくれて、みんなで宮沢賢治の『よだかの星』を原作に、20分くらいのアニメをつくりましたね。

●運命的な募集広告との出会い

────その頃から、アニメの世界で生きていくと決めていたわけですね。

瀬谷:でも「アニメーターになりたい」っていう気持ちだけで、将来のことは何も決まっていなかったんです。手塚先生の作品は大好きだったから、先生のもとでアニメをやれたら最高だけど、当時虫プロは倒産していましたからね。

 そんなとき、運命的な出来事がありました。たしか高校を卒業しようという頃だったかな。当時は『ブラック・ジャック』が「少年チャンピオン」、『三つ目がとおる』が「少年マガジン」に連載されていたんですが、漫画の最後に小さく「アニメ動画の見習い募集中」っていう広告があったんです。

────すごいタイミングですね。

瀬谷:そうなんです。就職活動もせず、将来はどうしようかと思っていたところに、たまたま希望する仕事の募集をみつけたわけですから、勝手に運命的だと思っているんだけど(笑)。

 早速自作のアニメーションフィルムと漫画を送りましたが、そのとき自分を選んでくれたのは、前回登場した小林さんと、アニメーターの中村和子さんでした。

 応募者は40人以上いて、自作のアニメを送ってきたのは私だけだったらしくて。絵がうまい人は他にもいたけど、そこまで好きならと、4月から入社が決まったんですよ。

────入社後、手塚先生の印象はいかがでした?

瀬谷:ひと言でいえば、めちゃくちゃエネルギッシュでしたよ。

────当時、手塚先生は50歳くらいですよね。

瀬谷:あの頃は『ブラック・ジャック』『三つ目がとおる』『ユニコ』『ブッダ』、さらに不定期連載で『火の鳥』といくつも連載を抱えて、とにかくものすごく忙しい時期でした。そんな状況なのに、アニメーションをやりたいっていうんですから。で、僕らが採用された。

────いわゆる暗黒期を抜けて、仕事が最高にのっている時期ですね。

瀬谷:そうだと思います。虫プロが倒産したとき「もう二度とアニメやらないから安心してください」って、まわりに約束したはずなのにね(笑)。

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入社早々、忙しい現場に飛び込んだ

────瀬谷さんが入社した1978年といえば、日テレの24時間テレビで『100万年地球の旅 バンダーブック』が放映された年ですよね。

瀬谷:そうですね。もちろんバンダーブックにも参加しましたが、私の最初の仕事は市川崑監督の実写版『火の鳥』の作画でした。映画の中にアニメーションパートがあったので。

────実写版『火の鳥』といえば、あのそうそうたるメンバーの?

瀬谷:猿田彦役が若山富三郎さん、ニニギ役が仲代達矢さん、ナギ役が尾美としのりさん、ヒミコ役が高峰三枝子さんでした。豪華な俳優陣ですよね。映画の中の山犬が走っているアニメーションのカットが、私の初仕事でした。アニメーション監督は藤子不二雄先生の漫画のキャラクターの、ラーメン大好き小池さんのモデルになった鈴木伸一さんでした。

 私は最初に配属されたのが火の鳥班だったから、そこで新人教育を受けながら仕事をしていました。春先に火の鳥、夏場にバンダーブックがはじまったという感じで。

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映画『火の鳥』(1978年)

古代ヤマタイ国を舞台にした「黎明編」を実写化。キャストはもちろん、監督市川崑、脚本谷川俊太郎、テーマ曲ミシェル・ルグランと、豪華スタッフの揃い踏みとなった。

────入社早々、あわただしい現場だったんですね。

瀬谷:そうですね。最高にひどかったです(笑)。高田馬場のセブンビルの2階で、道路側が漫画部、反対側がアニメ部でした。それほど広くないフロアに、漫画部はアシスタントさんが10人くらい、アニメ部は私と同期の新入社員2人を含めて、7人くらいいたいと思います。

────アニメの技法は、どうやって学んでいったんですか?

瀬谷:だんだんと入門書も増えてきたし、先輩から仕事を通じて教わることも多かったですね。ただ、実際にアニメーターになってからは、プロの仕事に求められるクオリティにびっくりして、それまでの自分では全然ダメだと。で、きちんとデッサンの勉強からはじめました。

────手塚先生から直接指導されるようなことは?

瀬谷:手塚先生は忙しい人でしたが、入社直後に基本的な運動の法則、つまりモノが落下するときの加速度はどうのこうのみたいなことを教わった記憶があります。新人たちが3人で練習課題をやっていたときに、「どうも手塚です」ってスタスタッと早歩きであらわれて、説明をはじめて、「じゃ、がんばってね」ってスタスタっと去っていかれました。

────常に早歩きなんですね。

瀬谷:先生は忙しいしせっかちだからいつも早歩きで、足音も早くてね。スリッパの音でわかるんですよ。「あ、先生が来た」って。当時は入社したての新人アニメーターのために割くような時間はなかったはずですが、ありがたかったですね。

次回は『100万年地球の旅 バンダーブック』製作の舞台裏や、未完のアニメ作品『森の伝説』についてのエピソードをお聞きします。

──第2回「いつだって、手塚治虫はみんなの中心にいた」に続く──


yamazaki.jpg山崎潤子
ライター・エディター。幼少期より漫画漬けの生活を送ってきた生粋のインドア派。好きな手塚作品は『ブラック・ジャック』。著書に『10キロやせて永久キープするダイエット』などがある。


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