関係者インタビュー
私と手塚治虫
第3回 母よ、あなたは強かった
文/山崎 潤子
手塚治虫先生の関係者に話を聞き、さまざまな角度から手塚治虫の素顔を探っていこうという企画です。1人目は、手塚るみ子さん。言わずとしれた手塚先生のご長女です。家庭での手塚先生について、話を聞いていきます!
PROFILE
手塚 るみ子
手塚治虫の長女。プランニング・プロデューサー、手塚プロダクション取締役。手塚作品をもとにした企画のプロデュース、イベント開催など、幅広い活動をしている。
手塚るみ子さんよりひと言
父・手塚治虫については「仕事への執着が半端なかった」「若い才能に嫉妬しまくった」というようなエピソードがたくさんあります。でも、娘の私からみれば、普通の父親であり、普通の家庭人であったように思います。
お父さんが漫画家という家庭は、確かにサラリーマンの家庭とは少し違うかもしれません。
でも、世の中には家がラーメン屋さんだとか、あるいは漁師さんだとか、落語家さんだとか、いろいろな職業の方がいるわけで、漫画家もそのひとつにすぎません。
一般的な家庭とくらべればいろいろ違うところもあるのでしょうが、我が家だけが特段変わっていると思ったことはないんです。
──るみ子さんのお母さまでもある、手塚先生の奥さまはどんな方なのでしょうか?
手塚:母は大阪・豊中市の生まれで、わりと裕福な家の娘だったようです。おおらかな家庭でのんびり育ったおっとりした娘が、国民的な漫画家・手塚治虫と結婚して東京へ出てきたわけですから、最初はかなり面食らったみたいですね。家事や子育てはまるきり妻まかせなのは、当時の家庭はどこもそうでしょうが、やはり漫画家の妻というぶん相当苦労したようです。
家庭での手塚治虫について一番よく知っているのは、やはり母ですよね。父が亡くなったあとに母が書いたエッセイ*にも、くわしく書かれています。
*『手塚治虫の知られざる天才人生』(講談社)
──手塚先生が結婚されたのは1959年、30歳の頃ですよね。
手塚:その頃は父がもっとも忙しい時期だったんじゃないかな。しかも結婚の翌年に家を建てたり、翌々年には虫プロ(の前身となるアニメ制作会社)をつくったりと、本当にめまぐるしい時期だったと思います。父としても、所帯を持って、夢だったアニメスタジオをはじめるという、ある意味人生の頂点を極めた頃だったでしょうね。
でも、母からすれば、ごくふつうの新婚生活を夢見ていたのに、いきなり毎日が修羅場のような家に嫁ぐことになったわけです。想像していた家庭生活とは180度違う世界だったわけですから、これはとんでもないところにお嫁にきてしまったと、結婚当初は泣き暮らしていたようです。
結婚前のデートの風景を描いた手塚治虫による一コママンガ。映画の後にディナーを...というもくろみが外れた先生
──箱入り娘がいきなり超多忙な漫画家さんの妻になったわけですね。ものすごいご苦労されたでしょうね。
手塚:新婚だというのに、夫はいつも仕事に追われているんですからね。しかも家の中に見知らぬ編集者がいつも居座っていて。人見知りだった母は、相当つらかったようです。
富士見台の家ができると、宝塚の父の両親を呼び寄せることになったんです。母からすれば舅、姑ですからそのお世話もしなくてはならない。そのうち3人の子供が生まれて7人家族になって、大所帯の家族の世話に加えて、編集者やアシスタントの食事の面倒までみなければならない。庭には虫プロの社員が出入りしていて落ち着かないし。そもそも広い家はそうじひとつするのも大変だったと思いますよ。
その頃はお手伝いさんが2人いましたが、そこだけ聞くと「お金持ちだから」「大きな家だから」と思われるでしょうが、そんな日常、とても母ひとりでは無理だったんでしょう。
虫プロダクション当時の手塚治虫の家と、虫プロダクションの建物の関係性がよくわかるカット。
──想像しただけで、ものすごい結婚生活です。
手塚:母にしてみれば、それまでの価値観をすっかり変えられた結婚生活だったんでしょうね。
立場が人をつくるといいますが、母は「自分を変えなければ手塚治虫の妻にはなれない」と悟ったのでしょうね。漫画家の妻になって、3人の子供も生まれて、いろいろな面で腹をくくったんだと思います。
妻として、母として、どんどん強くなる
がちゃぼい一代記 より 赤ちゃん誕生の時も仕事、仕事...
──ご夫婦仲はどうだったんでしょうか?
手塚:父母の夫婦仲はとてもよかったですね。ただ、父はふだんやさしいけれど、こうと言い出したら聞かない、頑固できかんぼうなところがあるんです。時代的に多少亭主関白的なところもあったでしょうし。子供にはそういう姿を見せないけれど、本当に忙しいときはイライラして母に感情をぶつけることもあったようです。ただ、根がやさしいのでそのあと謝ったりしていたらしいですが。
虫プロ時代、後先考えずにやりたいことすべてに手を広げる父に、母が心配して口を出したら「男の仕事に女が口を出すな、お前は淀君か!」って初めて怒鳴られたそうです。
──家庭だけでなく、仕事のことも影から見守っていたわけですね。
手塚:手塚治虫の妻として覚悟を決めてからというもの、母は案外肝が座っていたようです。
虫プロの資金繰りがどうにもうまくいかなくなって、借金を抱えた父が悩んでいたとき、母は「家を売ればいい」と言ったそうです。意外なほど冷静だった妻に背中を押されたのがよかったんでしょうね。虫プロは倒産して、大きな家も失いましたが、父は首をくくらずに済みました。あの時、母が一緒になってテンパってしまうような女性だったら、どうなっていたのかと思いますね。
──手塚治虫の妻として、母として、いつのまにか強くなっていらっしゃった......。
手塚:父はお金に無頓着で、好きなことにはあるだけ使ってしまうタイプ。一般的な経済観念が抜けているところがあって。私も人のことはいえませんが(笑)。
アニメをつくるときも、つい予算以上にお金を投資してしまうようです。たとえば『展覧会の絵』という自主制作アニメには、2000万円も自腹を切ってつぎ込んだという話があります。自分の好きなもの、夢中になったものには金の糸目をつけないんですよね。
母はごく普通の金銭感覚がありましたから、父のお金の管理がザルということはわかっていたでしょう。だから、アニメという夢を追う父を見守りながらも、常に覚悟のようなものがあったのかもしれません。
──手塚先生の活躍も、奥さまあってこそだったのかもしれませんね。
という手紙がきた より 怪しげな手紙にあわてる先生と、泰然自若とした奥様。
手塚:作家が120%の力で創作に向かえば、プライベートは犠牲になって、そのしわ寄せは家族にいく。母はずっとそれに耐えてきたんだと思います。ただ、徐々に手塚治虫の妻としての使命感のようなものが備わって、母自身が変わっていったんですよね。そういう意味では、母は本当に強くなったんだと思います。
父も母のありがたみは、つねづね感じていたようです。亡くなる間際まで書いていた父の日記には「悦子はよくできた妻だ」「悦子には頭が下がる」など、母に対する感謝の言葉がたくさん記されています。仕事一途な父には頼れないぶん、母はいつもひとりで私たち子供や祖父母のことを心配したり悩んだりしていましたから。忙しい父の状況や体調を気づかって、家庭を支えてくれたことは、父もずっと気づいていたんでしょうね。
だからといって、ほったらかしていたことには変わりありませんでしたけど(笑)。
『ごめんねママ』(1961年)
パパ、ママ、幼いヤー坊の三人家族の日常描いた漫画。頭にツノが生えた「もうひとりのボク」にまどわされて、ヤー坊はやさしいママを困らせる。
──ゆっくり二人の時間をもたれるようなことは?
手塚:父はずっと仕事に追われて、母は子供や祖父母の世話に追われていましたから、夫婦でゆっくり過ごすというのはなかなかなかったようですね。
父が亡くなる数年前になって、ようやく海外旅行に連れて行ってもらって、うれしそうでした。あれはフランスだったかな? 父は仕事がらみでよく海外に行っていましたが、母にとっては初めてだったんです。
ようやくたまには二人で旅行ができるかと思っていた矢先に、父は病気で倒れてしまいました。母は、本当は父ともっといろいろなところに行きたかったでしょうね。
スペイン旅行の様子。右下のほうに手塚先生ご夫妻が。
約束を守れなかった父
──奥さまは大変そうですが、子供から見たら、手塚先生は概ねいいお父さんだったんでしょうか。
手塚:そうですね。やさしいし、好きなことはやらせてくれるし。
ただ、なかなか約束を守れない人でした。たとえば家族での旅行や食事のとき、約束した時間に現れない、最後まで来ないというのはしょっちゅう。大人になった今は事情がわかりますが、子供の頃はすごくがっかりしましたね。
そのせいか、いまだに約束を違われることがすごく苦手ですね。もちろん大人の社会では時に仕事を優先すべき場合もあって、当時の父はそんな仕事を山ほど抱えていたのもわかります。そのおかげで、私たち家族はごはんが食べられて、何不自由なく暮らせるわけですから。
でも、子供心にはすごく期待したぶん、約束を違えられたときの失望感が大きくて。大人になった今も、約束にこだわってしまうのは父のせいですね。
ごめんねママ より お正月の風景。約束を守らないパパの姿、ちょっと手塚先生と重なるかも。
──現在、るみ子さん自身は漫画家さんと結婚されていますが、いかがですか?
手塚:クリエイティブな職業の人って、何時から何時まで仕事っていうわけにはいかないですよね。クオリティに限りがないから、納得いくまでとなれば時間なんて決められない。だから、できるだけそういう職業の男性は避けていたんですが......。きっちり時間が決まっているような職業のほうが精神的に楽なんでしょうが、結局私は作家性のある人に魅力を感じてしまうのかもしれませんね。
クリエイティブでありながら、家庭を大事にして約束を守ってほしいというアンビバレンツな理想があるんですね、私には。作家殺しなんですよ(笑)。
編集部より
インタビューでも登場した、桐木憲一さんが手塚るみ子さんとの生活を描いた『手塚家の日々』が桐木憲一さんのnoteに掲載されています。
ぜひ読んでみてください!
(C)桐木憲一
★note
https://note.com/kirikikenichi/n/n624a5e0d14d0
★桐木さんのツイッターにも、不定期で連載されています。
https://twitter.com/kenichi_kiiriki
山崎潤子
ライター・エディター。
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