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関係者インタビュー 私と手塚治虫 濱田高志編 第2回  ひとりのファンと手塚治虫の邂逅

2021/04/21

関係者インタビュー

私と手塚治虫

第2回  ひとりのファンと手塚治虫の邂逅

文/山崎 潤子

手塚治虫先生の関係者に話を聞き、さまざまな角度から手塚治虫の素顔を探っていこうという企画です。濱田高志さんは、多数の手塚作品の復刻版を手掛けています。子供の頃に手塚漫画から受けた影響、手塚治虫本人との邂逅、そして現在のお仕事にどうつながっていったかなど、運命のような深い縁をお聞きしました。

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濱田高志(はまだ・たかゆき)


アンソロジスト、編集者、ライター。
宇野亞喜良、和田誠、柳原良平といったイラストレーターの画集の企画・編集、テレビやラジオ番組の構成・出演、音楽CDの企画などを手掛ける。これまで国内外で企画・監修したCDは500タイトル以上。手塚作品の出版は国書刊行会、立東舎の一連の復刻シリーズをはじめ、『手塚治虫表紙絵集』(玄光社)、文芸誌『新潮』の特集「手塚治虫のエロチカ」(新潮社)など多数。大阪府出身。

濱田さんが企画・編集、解題をつとめた手塚治虫の珍しい作品を集めた単行本はこちら


「手塚治虫アーリーワークス」
「手塚治虫コミックストリップス」


■忙しすぎる手塚治虫が託した『ファンタジア』

──濱田さんは手塚先生と実際にお会いになったことは?

手塚先生が亡くなったのが僕が大学生の頃だから、一緒に仕事をすることは叶わなかったけど、子供の頃からファンとして、何度かお会いしてるんですよ。

──その話、ぜひ聞かせてください。

まず思い出深いのは、小学生のときに開催されたファンクラブ京都のイベントの出来事です。あれはたしか、大阪の郵便貯金ホール(現メルパルクホール)だったかな。

朝から手塚アニメの上映会があって、あとから手塚先生が来てくれることになっていたんです。上映が1本終わるたびに「手塚先生が高田馬場を出られたようです」なんてアナウンスされるんだけど、一向に来る気配がない。結局夕方になっても手塚先生は姿を現さなくて、子供たちはざわざわしていたんです。

──いつものことながら、めちゃくちゃ忙しかったんでしょうね。

そんなとき、手塚プロダクションの方が会場に手塚先生のコレクションの『ファンタジア』のフィルムを新幹線で持って来てくれたんです。そのとき、会場では手塚先生と電話をつないで「今日は仕事で行けなくてごめんなさい。そのかわり、今日は僕のコレクションの『ファンタジア』を預けたので、それをみんなで楽しんでください」と話してくれました。『ファンタジア』がビデオやLDとしてソフト化されたのは1991年で、僕らの世代は当時まだ観た人が少なかったから、貴重な機会でしたよね。

──約束は果たせなかったけど、ちゃんと子供たちのことを考えていたんですね。

初めて本物の手塚先生の姿を目にしたのは、その少しあと小学生5、6年生の頃。大阪の阪急か阪神デパートいずれかだったと思うけど、子供向けの漫画教室があったんです。
当時、「ああ、本物の手塚先生だ!」って感激しました。よく「後光が差して見える」って言うけど、僕にとっては本当にそんな感じでした。手塚先生は、漫画の神様と呼ばれますが、そのときは本当にそう思いましたね。とにかくもう、圧倒的なオーラがありました。漫画教室では模造紙に適当な形を書いて、これからどんな絵になるかあててみてください、って感じで、子どもたちを楽しませてくれました。

──おお、とうとう本物を!

中学生の頃にも、同じようなイベントがあって参加しました。
手塚先生が模造紙に絵を描きながらクイズを出して、正解したらその絵をもらえるというコーナーがあって、僕はお茶の水博士がウランを抱いた絵をもらいました。
終演後に正解者はその絵にサインしてもらったんですが、その後も帰り難くてずっと会場に残っていたんですよ。そうしたら、閉店時間を過ぎちゃって、先生と一緒にエレベーターに乗ることになり、そのときに握手してもらいました。手が大きくて、厚くて、あったかくてね。本当に神様って感じでした。
それが初めての至近距離での出会いでした。模造紙を持っていたから「あ、当たったんだね」なんて話しかけてくれましたね。

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■幻のサイン会にから思わぬ展開に......

もうひとつ、大切な思い出があります。
忘れもしない、1985年1月のことでした。僕は高校生で、大阪の北浜の三越でアルバイトをしていたんです。その日はたまたま、アルバイト先で手塚先生のトークショーとサイン会があるということだったんです。結論を言うとその情報は間違いで、サイン会はなかったんですが......。

アルバイトを休んで、とりあえず行ってみました。でも、待てど暮らせど先生は現れない。僕と同じようにサイン会があると思ってうろうろしていたファンが2人いました。奈良の中学生と名古屋のお医者さん。初対面だったけど、ファンクラブの会報を持っているからお互いわかるんですよ。

で、やっぱりガセ情報だったのかと思っていたら、手塚先生がふらりと入ってきたのを見つけたんです。

──なんと! 本人があらわれたわけですね。

実はその日、手塚先生は関西に戻ったついでに、お忍びで来ていたらしいんです。僕らが「先生、今日はサイン会ですよね」って聞いたら、「今日はサイン会はないよ」って返事で。「でも、ここに書いてありますよ」ってファンクラブの会報を見せたら「ああ、ほんとだ。でも今日はサイン会はやらないんですよ」って。

ただ、三越のスタッフから、トークショーを頼まれたらしくて「じゃあ、トークショーまで少し時間があるから、どこか場所を移してみんなで話をしましょう」ってことになったんです。

──ええ! すごい!

先生に「このへんで落ち着けるところはない?」って聞かれました。その日は1月5日で、オフィス街だったこともあって、周辺の店は軒並み閉まっている。でも、僕は三越の社員が使う喫茶店を知っていたから、そこに案内したんです。エル・パティオって喫茶店でした。

そして喫茶店の奥まった席に4人で座って、先生が「好きなものを注文しなさい」って言ってくださって、ケーキをごちそうになったんです。

──漫画の神様と3人のファンが喫茶店に......。

僕らは早速「先生、サインをください!」ってお願いしたんですが、先生は「いやいや、サインはあとにしてまずはみなさんの話が聞きたいんです」とおっしゃって。

──どんな話をしたんですか?

ずーっと漫画の話ですね。最初は僕らが質問攻めにしていたんですよ。
「『バンパイヤ』の続きはどうなるんですか?」って聞くと、先生は「あれはいずれ完結させますよ」って。結局しなかったけど(笑)。「『未来人カオス』の続きは描かないんですか?」って聞くと、「あれは受けなかったんですよねー」なんて、正直に答えてくれました。

そのうち、先生から僕らに対する質問が多くなっていったんです。
あれはどう思う?これはどう思う?って。

たとえば、当時『美味しんぼ』が流行っていたんですが、先生が「『美味しんぼ』はどう思いますか?」って聞いてくるんです。名古屋のお医者さんが「あれはあれでおもしろいですよ」みたいな感想を話すと、先生は「僕だったら宇宙食の話を描くだろうねえ」なんて言っていましたね。

それから、「大友さんの『AKIRA』は読みましたか?」とも聞かれました。当時は『AKIRA』の2巻が出た頃で、僕も読んでいましたから「読んでいます。おもしろいですよ」って答えたら、「1巻はよかったけど2巻はちょっとパワーダウンしちゃったよなあ」「あれはどうなるんですかねえ。どこがおもしろいですか?」とか軽いジャブを入れてくるんです。
先生がいろいろ質問をしてくるものだから、僕らもずっと感想を言い合っていましたね。

──ライバル漫画に対する読者の感想が気になっていたんですね。

でも、普通一介のファンに、神様のような漫画家が本気でこんなこと聞きます? 本当なら僕らがもっと質問して、話を聞きたいのに(笑)。

──そういうところ、手塚先生って本当にピュアな感じがしますよね。

■喫茶店で語り合った2時間半

──他にはどんなやりとりがあったんですか?

手塚先生の作品についてもいろいろ話しました。「僕の作品では何が好きですか」って聞かれたから、「『アリと巨人』が好きで、読みながら最後は泣きました」って答えたら、「ずいぶん古いのを知ってるねえ。でもそんな古いのはいいから!」って。「あとは『ワンサくん』も好きです」って言ったら「ああ、あんな中途半端なのはいいよ」って。

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漫画『アリと巨人』(1961年)
戦争で両親を失い、強い友情で結ばれたマサやんとムギやん。やがてマサやんは新聞記者、ムギやんはやくざ者と、まったく別の道を歩むことになるのだが......。

──きっと、言ってほしい作品があったのかもしれませんね(笑)。

当時は『陽だまりの樹』や『アドルフに告ぐ』の連載中で、その話もしましたね。たしかアドルフがまもなく終わるタイミングだったから「次はどんなものを描けばいいですかねえ」なんてことも聞かれました。(編注:同年5月に連載終了)

──へええ。漫画好きのファンにリサーチをしたんですね。

アニメはこういうことやりたい、漫画はこういうことをやりたいって、そのとき温めていた企画の話までしてくれました。「今度、蚊が主人公のアニメをつくろうと思っているんだよ」なんてね。のちの「モスキート」(未完成)のことでしょうね。

──かなり長い時間話したんですか?

話が尽きなくて、2時間半くらいかな? ずっと漫画の話をしていました。

──忙しい手塚先生と2時間半も?

そうなんです。話の途中で喫茶店の店員さんが色紙を持って、サインを頼んできたんです。そうしたら先生は少し怒った様子で「いや、僕はいま彼らと話しているんだからやめてください。あとにしてください」って。僕らは手塚先生を独占できて優越感に浸れましたが(笑)。

──尊重してくれたんですね。3人のファンとする漫画の話が本当に楽しかったんでしょうね。

でも、帰り際には支払いを済ませてから、わざわざさっき断った店員さんに声をかけてサインしていました。さっきは怒っていたのに、やさしいなあって思いましたね。

もちろん、僕らもサインをもらいました。僕は悩んだあげく、ワンサくんとケン一とロックをお願いしました。先生は「ワンサくんをリクエストするなんて珍しいね」って言いながら描いてくれました。

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漫画『ワンサくん』(1971年〜1972年)
街の片隅でたくましく生きる犬たちを描いた作品。主人公のワンサはもともと三和銀行のマスコットとしてデザインされたもので、漫画は未完。アニメ化もされたが、手塚治虫は関わっていない。

最後にダメ押しで奈良の中学生が「先生、新しい色紙を買ってくるのでもう一枚描いてもらえますか?」ってお願いしたら、「じゃあ、トークショーが終わったらきてください」ってことになったんです。僕らは新しい色紙を準備して待っていたんですが、トークショー後は結局時間がなくなってしまって、「じゃあ今度にしましょう。神戸でイベントがあるから楽屋にいらっしゃい」って言ってくれました。

──その約束はどうなったんですか?

実際に、その後神戸で大人向けセミナーのようなイベントがあったんです。先生にしてみればリップサービスだったと思うけど、僕は間に受けて行きましたよ(笑)。自作の漫画原稿と色紙を持って。「先生、約束しましたよね」って話しかけたら、最初は怪訝な顔をされたんですけど、「北浜の三越で......」って話したら思い出してくれました。そのあと控え室に入れてもらって。
自作の漫画を持ってきたことを言うと、「先にそれを見せてください」って。僕の漫画はメビウスっていうフランスの漫画家の影響を受けた絵柄だったんですが、先生はすぐにわかったらしく「よく描けているけど、人の真似はだめだよ」って。「でも、メビウスが好きだなんて珍しいねえ」なんていう話もしてね。その後もひとしきり漫画の話をしましたね。

──手塚先生は、当時一介のファンだった濱田さんと、対等に向き合ってくださるわけですよね。

そうなんです。手塚先生は本当に熱心に話してくれました。そのときも「なんでメビウスなんて知ってるの?」から、話が盛り上がって。今ほど日本でメビウスが知られていなかった頃の話です。当然翻訳本も出てないし、当時は熱心なSFファンにしか知られていませんでした。『スターログ』に「落ちる」という作品が載った程度だったと思います。当然、ネット通販なんてないから、目当ての洋書を買うには、大型書店の洋書コーナーをまわって、なければ注文して船便で半年後に届くっていう感じでしたから。そういう話をおもしろがってくれて「僕も陽だまりやアドルフで、メビウスっぽい効果線を使っているんですよ」なんていう話をしてくれました。
そのときは、15分くらい話したと思います。最後に色紙にアトムとレオが正面を向いて走ってくる絵をお願いしたら、リクエスト通りに描いてくれました。

──漫画の話ができる、情熱のある人には別け隔てがないんでしょうね。

正直言って、喫茶店で先生と話せた2時間半は、僕の人生で三指に入るくらいの出来事です。

次回は、手塚治虫に影響を受けた濱田さんの幅広いお仕事について聞いていきます。


yamazaki.jpg山崎潤子

ライター・エディター。
幼少期より漫画漬けの生活を送ってきた生粋のインドア派。
好きな手塚作品は『ブラック・ジャック』。著書に『10キロやせて永久キープするダイエット』などがある。


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