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関係者インタビュー 私と手塚治虫 手塚 眞編 第3回  AIでは再現できない、手塚治虫の目に見えない演出のすごさ

2021/01/11

関係者インタビュー

私と手塚治虫

第3回 AIでは再現できない、手塚治虫の目に見えない演出のすごさ

文/山崎 潤子

手塚治虫先生の関係者に話を聞き、さまざまな角度から手塚治虫の素顔を探っていこうという企画です。今回は手塚治虫の長男、手塚眞さん。これまで数々の映像作品を手がけてきた眞さんが、手塚漫画の中でもカルト的人気を誇る『ばるぼら』を実写映画化(20201120日全国公開)。撮影時のエピソードや原作への思い、そして父・手塚治虫の漫画についてお聞きしました。

tezukamacoto_prof.jpgPROFILE

手塚 眞

ヴィジュアリスト。1961年東京生まれ。高校生の時に8mmで映画製作を始め、大学在籍中から映画、テレビ、ビデオなどさまざまなメディアで活躍する映像クリエイター。映画『白痴』(1999年)はヴェネチア国際映画祭でデジタル・アワード賞を受賞、世界的に注目された。ネオンテトラ代表取締役、手塚プロダクション取締役、手塚治虫文化財団代表理事、手塚治虫記念館名誉館長兼総合プロデューサー、宝塚市大使などを務める。


■他人に気を配るのは手塚治虫の"臆病さ"から!?

────あらためて、父親としての手塚治虫はどんな存在ですか?

手塚眞(以下、手塚):そう聞かれると難しいです。父とはずっと一緒に暮らしていたはずなのですが、それほど多くの話をしたわけではないんですよ。顔合わせた時間も短いですから。

────だからでしょうか。ご著書*を読むと、他の誰よりも手塚治虫という人物を俯瞰的にとらえていらっしゃるような。

*手塚眞『父・手塚治虫の素顔』 (新潮文庫)

手塚:手塚治虫の周囲にいた方は、みなさん自分だけの手塚先生という見方をするんですよね。手塚治虫は自分のものだと考えたくなるというか。でも僕にはまったくそういう考えはなくて、手塚治虫はみなさんのものと思っているんですよ。

────実の息子でありながら、客観視ができていたのでしょうか?

手塚:僕もそうかもしれませんが、父親自身も非常に客観的な人間なんですよ。漫画を描いているときは没入して感情をあらわにすることもあったかもしれませんが、普段の父は本当に穏やかで理性的でした。人が気づかないような細かいところまで見ていて、いろいろ気を配るような人間でした。

────やっぱり、先生はすごく気を使う方なんですね。

手塚:僕も気を使うほうなのでなんとなくわかりますが、理性的に気を使っている部分と、臆病だから気を使っている部分があって、うちの父親は若干臆病なところもあったようです。つまり、自分が嫌な目にあわないように、いつも気を配りながら生きているみたいなところはありましたね。でも、父のそういう部分はなんとなく理解できるような気がします。

────気の弱さ、みたいなものでしょうか。

手塚:気の弱さというより、もしかしたら、戦争をくぐってきているから、どうしても臆病になってしまうところがあるのかなとも思います。僕らは戦後に生まれているから、怖いものなしなんですよ。本当に怖い思いをしていないから、僕も平気で変なことに手を出したりしてしまう。あ、変なことといっても映画とかの話ですよ(笑)。

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■漫画の神様が誰にも見せなかった孤独

手塚:父が絶対に見せなかったのは自分の孤独感です。父のまわりにはいつも誰かがいて、たくさんの人に囲まれて賑やかなところで仕事をし続けてきたけれど、作家としての孤独感を持っていないはずはない。でも、それは家族にも見せなかった。父が孤独をどこでどう癒していたのかは僕らにはわからなかったし、おそらくまわりにいたスタッフもわからないんじゃないでしょうか。

────漫画の神様と崇められた先生の本当の気持ちは、わかりようがないですね......。

手塚:中身は超人でも神様でもなく、普通の人間ですから。弱いところもあっただろうし、寂しい思いをしたこともあっただろうと思います。

いつも愛想よく、誰とでもうまくやっていこうというのも、利己的なものではなく、誰も嫌な気持ちにさせたくない、和やかであってほしい、だから場を荒げたくないという気持ちがあったんじゃないでしょうか。やはりそれも、戦争を見てきたからなのかもしれませんが。

────暴力を目の当たりにしてきたわけですからね。私たちの多くは、日常の中で人が殴られたり理不尽に命を失うなんていうことは体験していないわけですから。

手塚:父が争いごとを嫌っていたのは間違いありません。だから『鉄腕アトム』の「地上最大のロボット」なんか、本人はいやいや描いているのがわかるんです。でも読者や視聴者は絶賛してくださる。実は、本人は苦痛だったと思います(笑)。

■手塚治虫がスポーツ漫画を描かなかった理由

────手塚先生は運動音痴だからスポーツ漫画を描かないなんて言われますが、争いが苦手というのが本当の理由なのかもしれませんね。

手塚:そうだと思います。特にチーム同士での戦いは苦手ですよね。ひとりで淡々とやるようなスポーツならいいんですよ。以前浦沢直樹さんと話したときに「手塚治虫はスポ根漫画を描かないですよね」って言ったら「いっぱいあるじゃないですか。『火の鳥』なんてまさにスポ根ですよ。たとえば黎明編のラストで崖を登って行くシーン。あれがスポ根じゃなくてなんなんですか」っておっしゃっていましたね。ひとりで這ってでもがんばっていくというようなシーンはたくさんあるんです。

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『月と狼たち』(1972

未来のニューヨーク。うだつの上がらない青年スズキとダスティンは地球に見切りをつけ、盗んだロケットで宇宙へ飛び立つ。ダスティンとはぐれたスズキは、トカゲ型宇宙人と出会い宇宙の英雄ムーンウルフとしての訓練をはじめるが......。

スポ根的展開と思いきや、決して戦いを選ばない主人公を描いた短編。

────まさに、相手のいないスポ根ですね。鍛錬シーンも多いですよね。

手塚:というか、そればっかりです(笑)。『ブラック・ジャック』なんてほぼそんな感じじゃないでしょうか。根性ものはたくさんあるけれど、チームで、対相手と戦うのはダメなんです。

────それは手塚先生の心の根の部分かもしれませんね。相手を倒すよりも自分を高めるというような。ストーリーテラーとしての真骨頂でもありますが。

手塚:ストーリーテラーだからこそ、ここ一番っていうときに簡単に人が死んでしまうんです。すべて計算でね。

────たしかに、あっさり死んじゃいますよね。

手塚:昔東映で『西遊記』というアニメをつくったとき、父は猿のヒロインのリンリンがラストで死んでしまうという悲劇の脚本を書いたわけです。でも、その脚本に周囲は大反対。父としては「大切な人の死」についてさまざまな思いがあったけれど、それを時間を費やして説明するのが大変だったから「死んだほうが効果的でしょう」とつい言ってしまった。そうしたらスタッフがみんな怒ってしまったわけで。若き頃の宮崎駿さんがこの話を聞いて手塚治虫を嫌いになったというのも有名な話です。

────残酷さや冷徹さではなく、作家としての職人技なんでしょうね。

手塚:たまにやりすぎるんですよ。『きりひと讃歌』の人間テンプラみたいに(笑)。あれは発想のおもしろさなんですが、たまにおもしろすぎて行き過ぎちゃう。常人はついていけないですよね。

昔、第1話だけ父が描いて、第2話以降は藤子不二雄先生が描いた『ピロンちゃん』っていう子供向け漫画があるんです。最初の設定は父がつくったわけですが、初回だけ発想が飛びすぎているんです。地球にやってきた宇宙人が毎回逆立ちして挨拶するとかね。藤子不二雄先生はその設定をきれいに忘れてくれて、バランスよくまとめてくださいましたが(笑)。

AIが描いた漫画に足りなかったもの

────手塚先生の漫画って、1ページの情報量がすごく多いですよね。

手塚:それはものすごいところであると同時に、読者がついていけないところもたまにあるんですよ。

────作品数も異常ですが、ひとつの作品に込められたアイデアも並外れていますよね。手塚先生の頭の中はいったいどうなっていたんでしょう......。

手塚:僕も制作に携わった、AIが手塚治虫の新作漫画を描くというプロジェクト*がありましたが、実は現在も研究が進んでいて、AIにコマ割りをやらせようとしています。ただ、コマ割りっていうのはそんなに単純なものじゃないんですよね。

漫画のコマはただ流れに沿って1つのコマで誰かがセリフを話していればいいというわけではありません。大きさや形が、展開によって非常に考え抜かれたものです。この場面で主人公がこう考えているからこういうコマの形なんだっていう、漫画の演出なんです。映画でいえば、監督がどんなふうにカットを落とし込むかという、演出手腕の見せどころでもある。もちろんそれは読者が気づかない、気づかなくていいところなんですけれど。

TEZUKA2020プロジェクト。「もしも、今、手塚治虫さんが生きていたら、どんな未来を漫画に描くだろう?」をテーマに、手塚治虫の漫画をAIで蘇らせようというキオクシア、手塚プロダクション等によるプロジェクト。20202月に『ばいどん』がモーニング誌上で発表された。

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『ぱいどん』(TEZUKA2020プロジェクト・2020年)

舞台は管理社会が進んだ2030年の東京。記憶を失くしたホームレスのぱいどんは、左目に義眼をはめ込むと別人格になる。ある人物を探してほしいという依頼を受け、ぱいどんは事件に巻き込まれていく。

────たしかに、コマ割りによって読み手に与える印象は大きく変わりそうです。

手塚:たとえば今回の映画『ばるぼら』でも、観てくださった方が「あのシーンがよかった」などと言ってくださいますが、その裏で僕らはいろいろな演出をしています。光や色や音など、観客に気づかれないように、表に見えないようにしているわけですが。

そういった見えない演出が手塚治虫の漫画にもたくさんあります。そこまで考えると、AIが漫画家の頭の中を再現するというのは簡単なことではないんですよ。

────コマが「手塚先生風」であればいいというわけではないですね。

手塚:一つひとつのコマに意味があるし、しかもそれは絵柄とともにデザインされている。意味のあるものがさらにデザインされているなんて素晴らしいことですが、そこまでの情報量があることに誰も気づいていない......っていうことに、AI漫画をやってみて気づきました。

漫画はコマで誰かがセリフを話していればいい、映画は脚本どおりに俳優を置いて撮るだけといい、では演出とはいえません。

■本当の演出は目に見えないし、気づかれない

手塚:『ばるぼら』を観てくださった方は「新宿が舞台なのに新宿に思えない」「言葉に表せない不思議な雰囲気がある」なんて言ってくださいます。

それには理由があって、たとえば音を変えているからなんです。新宿のシーンでは、新宿の音をほとんど使っていません。ヨーロッパやニューヨーク、中国の音、あるいは自然の音や鐘の音とか、いろいろな音を混ぜているわけです。

────だから現代の新宿とも違うような、不思議な感じがしたわけですね......。

手塚:でも、観客がそういった演出に気づく必要はないんです。つくり手側がそういった演出をすれば、観客は無意識に異質なものを感じてくれるわけです。

────気づかないけれど、感じるわけですね。

手塚:映画『ばるぼら』では色をあまり出していないんです。僕は今回フィルム・ノワールのような、影や闇を使った演出をやりたくて。といってもカラー作品ですから、色を使いながら色を感じさせないように、カメラマンやスタイリスト、メイクさんとも話し合って色を抑えています。赤い靴など、ばるぼらだけは印象的な色を使っていますが、登場人物の服装もなるべくモノトーンにして、できるだけ色を沈めていくという演出をしています。

────今、思い出すとまるでモノクロ映画だったよう気が......。

手塚:普通の映画の半分以下の明るさに抑えて、ダークなトーンで、ある種のゴシックストーリーに見えるようにつくっています。だからそう感じるんでしょうね。

────映画が終わるまで別の世界にいたような気がしましたが、観客は手のひらで転がされていたんですね。まったく気づきませんでした!

手塚:それが監督の仕事ですから。〈了〉

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yamazaki.jpg山崎潤子

ライター・エディター。
幼少期より漫画漬けの生活を送ってきた生粋のインドア派。
好きな手塚作品は『ブラック・ジャック』。著書に『10キロやせて永久キープするダイエット』などがある。


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